SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】短編集 作:大野 紫咲
愛理さんがブンスコ二次創作本編にも名前だけちらっと登場しましたが(1節15話)、その時ヨハネさんが話していた愛理とヨハネさんとの出逢いに当たるお話です。
服を交換した話はまた別に上げます!
「ちょっと待った」
ぱしん、と。
すれ違いざま、片方の手が腰回りの装身具を掴む音がした。
「……どうかした? お姉さん」
「今、スっただろう?」
ヨハネ――
ここ、セブンスコードの世界は、いわゆる仮想現実だ。IDを持った己の姿は必ずしも現実の見た目や性別に似ている必要はないし、現実世界での常識的な服装に準じる必要もない。
にも拘わらず、その女性はYシャツに黒ズボンの地味な格好だった。どこらへんにでもいる、すれ違った瞬間路上の風景と化してしまうに違いない、当たり障りのない見た目。けれどその微笑みは、穏やかながらも挑戦的な視線を伴いながらヨハネを見上げていて、シャツの袖から伸びた華奢な白い掌は、微塵たりともヨハネを離す気配がない。
蠱惑的な光を湛えたヨハネの目元が、面白い獲物を見つけたとばかりに、ゆっくりと緩んだ。
「へぇ? データ上でビットコインをスリ取られたことなんて、大抵の人間は気が付かずにいるものだけど。こんな場所を無防備にフラフラしてる割には、随分と警戒心が強いんだね、あんた」
「おあいにく様。これでも治安の悪いところのやり口には、まあまあ慣れてるものでね。自分のやったことを特に否定する気もないなら、返してもらおうか?」
「残念。今、他のはした金と合わせて売買市場に流しちゃった。取引に出すのに、あと微量だけゴールドが足りなかったんだよね」
「マジかよ、今の一瞬で? 早すぎだろ」
馬鹿にするように答えたヨハネの前で、女性はチッと舌打ちをする。幼顔に似合わず柄が悪いようで、まぁそんなに大した額じゃないからいいけど、と言いながら、長い脚で路地にそびえ立つ壁際のドラム缶に寄り掛かると、煙草に火を点けながら問い掛けた。
「あんた、このへんの人?」
「このへんの……って言い方をされると、よくわからないけど。リアルで住んでる方の場所は全然違うからね。この辺りの賭場を生業にしてる、って言われたらそうかな。あんたは?」
煙草の先から灰を落とした女性は、自分より幾分背の高いヨハネを見上げて小首を傾げてみせる。
「少なくとも、現地慣れはしてないただの観光客さ。だから実のところ、ここがどこだかよく分かってないんだよね。地図は持ってたし、飲み屋街にでも行こうと思ってたんだけど、道を一本曲がり損ねたみたいだ」
「よく無事だったな……。悪い事は言わないから、とっとと帰んな。いくらあんたがスリを見抜く観察眼の持ち主って言ったって、植能のある奴に束でかかられたらひとたまりもないんだから」
「……植能? ああ、よく喧嘩連中が鉤爪みたいなの使ってる、あれのことか」
合点がいったように頷く女性を見て、今度はヨハネの表情が驚きに変わる。
「あんた、セブンスコードにいるくせに、植能を知らないのか?」
「こっち来たばっかりなんだって。今の君の言い方で何となくわかったよ。ふぅん、そういうのがあるんだ」
「信じらんない……あんた植能も知らずに、こんな危ない場所を丸腰で歩いてたわけ? いいから、こんなところでボクに油売ってないで、子供は怪我しないうちに大通りまで戻るんだね」
呆れ半分でそう言ったヨハネの前で、女性の顔が愉快と不快を半々ずつ織り交ぜた表情になり、眉を跳ね上げると口角を持ち上げた。
「あのねぇ。言っとくけど、僕の方が二十は年上だと思うよ?」
「何でそんなことわかるのさ」
「そりゃ、それだけ派手な格好で、何度も賭場に出入りしてる有名人なら、いくら僕でも顔ぐらい覚えるよ。そうだろ? セブンスコードイチのイカサマ師――クヌギ ヨハネくん」
ドラム缶から飛び降りるように腰を上げた女性が、距離を詰めたのに合わせて、初めてヨハネの顔に焦りが浮かぶ。
「な……っ、あんた、知ってて声を……」
「大人を舐めてもらっちゃ困るねぇ。今されたことをネタにして、賭場の連中に触れて回ってもいいんだぞ、僕は」
「金なら、もう売っちゃったからないって言っただろ! 何なんだよ、オバサン」
「賭場のゲームであらゆる操作術を掌握してる君なら、倍にして取り戻すぐらい簡単だろ? あれがただのはした金だと思ってんのか? ――刻印入りのレア度が高い記念通貨だって分かってて盗んだんだろ、僕のコイン」
飄々と話していた声が、ぐっと低音に下がる。うっすらとその口元に浮かんだ微笑みを見て、取るに足らない植能すら持たない相手だというのに、ヨハネの背筋がぞくりとした。
「証拠が……ボクがやったっていう証拠が、ないだろ。あんたの言い分だけで、どうやって」
「証拠……そうだなぁ」
掴んだ手首を握り締めた女性が、頭の上にあるヨハネの顔をぐっと引き寄せて囁いた。
「既に半分裸みたいなもんだけど、たとえば君の体を隅々まで身体検査したらどうなるんだろうな。丁度人気もないし……あんまり往生際悪くゴネるようなら、今すぐここでひん剥いてやろうか?」
ひっ、とヨハネの喉から声が漏れる。次の瞬間、考えるより先に叫んでいた。
「……ッ、コルニア! 視覚情報を〝改竄〟!」
ぽん、と女性の掴んでいた褐色の手首が、腕ごと体から外れた。彼女が目を丸く見開いている間に、襞のついた長い衣装の裾を翻したヨハネは、子ウサギの如く路地の奥へと逃げ込んでいく。
「ちょっとした冗談のつもりだったのに」
あっけに取られてその背を見守っていた女性の手元から、握っていたはずの腕が歪んで消える。後には、広げた自分の掌が残っているばかりだ。
「……なるほど。これが君の〝植能〟ってやつね。これじゃ、イカサマも働き放題だろうな」
ひょいと肩をすくめて、女性は歩こうとしていた方角へ路地を進み出す。黒い革靴でこつこつとコンクリートの上を歩いていくと、すぐにネオンの眩しい表通りに出た。
賑やかな人波に顔を出すと、彼女の姿を見かけた、かなり大柄な――女性言葉を離す男性が、笑顔で目を輝かせて駆け寄ってくる。
「あらぁ、アイリじゃない! 今日もウチのお店で飲み比べやってく?」
「よしてくれ、この間も行ったばかりだろ。だいたい、ミカと一緒じゃミカが強すぎて勝負にもならないよ」
苦笑いで、愛理が露骨に残念そうな筋肉質の男――ミカに応じる。隣を歩き始めたミカが、不思議そうな様子で首を傾げた。
「そういえば、あんたこんな所で何やってたの? こっから先の通りは危ないって言うじゃないのぉ。たまにあのへん、売人が売り損ねた変な植能とか、落ちてるって聞くけどぉ……レアパーツでも探してたワケ?」
「いいや。ちょっと道に迷って、悪戯好きの子猫と戯れてただけ」
「あらぁ……こんな薄汚れた路地に、猫ちゃんなんていたかしら?」
ますます首を捻るミカの隣で、愛理は薄い肩を揺らして、くっくっと楽し気に笑っている。
「からかい過ぎて、僕はフラれちゃったみたいだ。生意気だけど、なかなか可愛い子猫ちゃんだったよ」
すれ違った賭場の客が、またヨハネの奴に搾り取られたと愚痴を零しながら、愛理のすぐ傍を歩いていく。その姿にちらりと視線を寄越してから、愛理は思った。
(ヨハネ……ね。見栄張った格好はしてたけど、僕からすると、宵闇を舞う蝶々っていうより、やっぱり手癖の悪い泥棒猫なんだけどなぁ)
少年じみた顔を思い出し、ふっと笑みを浮かべた愛理の横顔を、ネオンのピンクの灯りが照らしていた。