SEVEN's CODE二次創作夢小説【オレンジの片割れ】短編集 作:大野 紫咲
うちのサヤコさん、絶対ムラサキに対して巨大感情抱えてるだろうと思ったんですけど、想像以上に、うわ〜〜〜〜何これバカ〜〜〜〜〜〜!!!!!好き〜〜〜〜〜!!!!!ってなりながら書きました(崩壊する語彙(^p^))
完全なる二次創作ではありますが、お楽しみいただけますと嬉しいです。
「……ねえ。私はどうしてケーキセットを前にして、カフェのテラス席であなたと向かい合っているのかしら」
「へへへへへへ」
両肘をついて、緩み切った頬と瞳を向けながら、足をぶらぶらさせる小柄な袴姿の女——ムラサキを前にして、サヤコこと
格式高いティーセットと、白いテーブルクロスや椅子にはおよそ不似合いな、パンク調の露出が多い服装に緩めのジャケットを羽織り、サヤコはムラサキよりもうんと背の高いその体躯を椅子の上で反らしながら、胡乱げな目でムラサキを見やる。
遡ること十分前。
偶然道で会ったムラサキに「ねえサヤコさん今暇!? とりあえずめっちゃ暇ってことにして、今から私とお茶しない!?」と会った瞬間から半ば強引に話し掛けられ、機関銃さながらの誘い文句に押され。頷いているうち、サヤコはあれよあれよと言う間にカフェの一角に座らされてしまった。
生活をだいぶ切り詰めているせいもあるが、そうでなくとも、流行に乗る女子が好みそうなお茶や菓子の類には興味がない。目の前の皿に、アフタヌーンティーのケーキスタンドから取り分けられた、苺のモンブランが乗っている。つやつやの苺とピンクのクリームでデコレーションされたそれを、ためつすがめつしながらつついていると、ムラサキが言った。
「こういうお店、あんまりサヤコさんの趣味じゃなかったっけ」
「曲がりなりにも、何度か
「うん。知ってる。可愛いの、あんまり好きじゃないんだよね。でも、ここのケーキ美味しいんだよ。味は見た目ほどごってりしてるわけじゃないし」
そう言って目の前のミルクレープを口に運ぶムラサキに倣って、とりあえずフォークを口に運ぶと、拍子抜けするほどさっぱりとした、甘さ控えめの苺クリームの味がサヤコの口に広がった。
今まで毛嫌いして食べて来なかったが、たしかに美味しい、と思う。
意外そうに睫毛を瞬かせたサヤコを見て、目の前のムラサキがまた、無邪気に笑った。
「ね。おいしいでしょ」
「……ほんとね」
「私も甘いものは苦手なの。砂糖やクリームがたっぷり入ってると、すぐ胃もたれしたりお腹を壊したりしちゃうから。
でも、ここのは豆乳クリームとか全粒粉とかてんさい糖とか、体にやさしめの物使ってるし、私が食べても大丈夫だから、サヤコさんも好きかもと思って。
おいしいならよかった。セブンスコードの人はあんまりこういう食べ物にこだわらないから、お店探すの大変だったよ〜」
よく喋る口で、すっと縁取りのなされたティーカップの端から紅茶を啜るムラサキ。
自分が全く喋らなかったとしても相手になるのは苦労しなさそうだ、と思いながらも、サヤコも口を開く。
「こういう……陽の当たるお店で誰かと平和にお茶するなんて、何だか変な気分だわ」
「夜の街の方が好き?」
「特別に好んでいるわけじゃないけど、裏社会に身を置く事の方が多かった身の上としては、落ち着くといえば落ち着くわね。……でも、あなたと飲むお茶は悪くない」
「そう言ってもらえてうれしい」
明るい色の紅茶を揺すりながらも、ムラサキが本題らしい本題に入ろうとしないので、剛を煮やしてサヤコは問い掛けた。顔色を伺うような真似をされているのではないか、向こうが言わずとも何かを求め、察しろと思われているのではないかと、落ち着かない。
「それで? 何の用なの。あなた、一応SOATの配属になったんでしょ。元客のよしみがあるにしても、私とつるむのはマズいんじゃないかしら」
「風俗はやめたわけじゃないよ。まあ、ほとんど忙しくて顔出せてないけど……」
「だったら、SOATとして今度は私の内情でも探る気?」
「ううん。この間、ステムタワーで助けてもらった時のお礼をしてなかったな、と思って」
ふう、となんでもないことのように湯気を吹いたムラサキの答えに、サヤコは再び目を見開くことになる。
ステムタワーと言えば、先月あたりに異常気象が発生し、セブンスコード中が謎の黒雲と怪電波に襲われたあの一件を指しているのであろうが、その時にサヤコがやったことと言えば、ムラサキの足となる車両の盗難を手伝った挙句、タワーまでの運転に手を貸しただけだ。
「感謝される筋合いは、ないと思うのだけれど。今、裁く側の人間であるあなたには」
「それでも、あの時サヤコさんが助けてくれなかったら、私タワーまで辿り着けなかったし、ヨハネさんのために闘うことも、ことりを助けることも出来なかった」
「ことり……?」
「ああ、うん。あの時、タワーに向かって飛んでったでっかい鳥がいたでしょ。あの子の暴走を収めて元の姿に戻したら、そうなったの」
そう言ったムラサキが、不意に着物の袂を覗き込んだ。
「あら。お目覚め?」
もぞもぞと、重ね合わせた襟が動く。サヤコが見ている前で、ムラサキの胸の間から、青色の毛を頭頂部に立たせた鳥がひょこんと顔を出した。
ちょんちょんとテーブルクロスの上を歩いてくると、サヤコの目の前で首を傾げて、大声で鳴く。
「ぴーーーーっ」
「ふふ。今まで寝てたのよね、ことりちゃん。ご挨拶できてえらかったね」
ちょん、とムラサキが頭を指先で撫でると、ことりは皿の側に落ちたタルト生地の欠片を、早速つつき始めた。
少しびくついてその様子を眺めているサヤコの前で、ことりはダンスするように頭とお尻を激しく上下させている。
「美人のお姉さんを前にして興味津々だねえことりちゃん」
「び、美人、って……。……笑った顔は、あなたの方が可愛いと思うわ」
「やだ、そんなこと思ってくれてたの? うれしい〜♡」
自身にも思い掛けなかった言葉が自らの口から飛び出し、困惑しながら口元を押さえるサヤコ。その前で両頬を押さえて喜んだムラサキは、にこにこした笑顔のままサヤコに言う。
「ありがと。でも、ケーキを食べてる時のサヤコさんの顔もかわいかったよ?」
「!?」
「ね、ことりちゃん。そう思うよね。サヤコさんって自分で気付いてないだけで、すっごい美人だよね」
「ぴぃ」
「何か新しいものに出逢った時の顔が、目がきらきらってして素敵なの。ね」
「ぴっぴっ」
同意するように、ことりが頷いて鳴いている。
うろたえるサヤコの前に、卓上で冴えるような青い羽根をはためかせたことりが、とことこやって来て見上げようとすると、サヤコは少しがたっと椅子を引いて後ろに下がった。
「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ。……あ、もしかして鳥苦手だった? ごめんね」
「い、いいえ。そうじゃないわ。そうじゃないんだけど……」
「嫌いじゃなかったら、触ってあげていいよ。大丈夫、噛んだりしないし、人懐っこい子だから」
おそるおそる手を伸ばすと、サヤコはネイルをした細く長い指先で、ふわりと青い羽毛を撫でた。白黒模様のついた顔に埋まったつぶらな瞳を、ことりは気持ちよさそうに細めている。最初はびくついていたサヤコだが、猫のようにことりが擦り寄ってくるので、だんだんと慣れて器用に首回りや胸毛を撫でるようになった。
「ね。怖くないでしょ」
「ええ。……柔らかいのね、この子」
知らず知らずのうちに、ルージュを引いたサヤコの口角が上がっている。
色白な顔に穏やかな笑みを浮かべていたサヤコは、ふと俯きがちにぽつりと呟き、片手で胸を押さえた。
「……怖かったの」
「?」
「何かを壊すことしか出来なかった私では、……この子も、触れたら傷付けるんじゃないかって」
切なげに揺れた瞳と、クロスグリのようなことりの瞳が合う。相変わらずその手の内でくつろいでいることりは、不思議そうに首を傾げるばかりだ。
ゆっくりと雲が泳ぐ青空の下で、その言葉に息を呑んだムラサキは、ただ優しく瞳を細めた。
「サヤコさんは、優しいんだね」
「はあ……あなたは会うたび会うたび、変なことばかり言うのね。私のことが、優しいとか可愛いだとか」
「だってほんとのことだもん?」
「私は、あなたほど素直でもないし可愛くもないわ」
「私だって、特に素直な人間のつもりはないんだけど〜? どちらかというと捻くれてると思うし、若い子にうつつを抜かしてるだけのオバサンだよ?」
「なに、それ」
思わずくすっとサヤコは笑ったが、ムラサキは多少の皮肉を含んだ笑みを崩さない。
「だって、リアルの年齢はきっとサヤコさんより年上だと思うもん」
「とてもそうは見えないけど」
「あ。今ちょっとバカにした」
「口の端にクリームつけて、ほっぺた膨らませて言われても説得力ないわね」
「えっ、うそ。どこどこ?」
食べていたシュークリームを放り出しそうな勢いで顔を擦り始めるムラサキを見て、我慢できずにサヤコは噴き出しながらおしぼりを差し出す。
むう……と不満げな声を上げて顔を噴いたムラサキは、双方に紅茶のおかわりを注ぎ足してからふと言った。
「でも、ちょうど今日サヤコさんに会えてほんとによかった。今日お誕生日でしょ?」
折しも、1月31日。
もはやIDも戸籍も残っていない自分の生年月日を誰かに知られているなどとは思わず、驚き顔のままサヤコは尋ねる。
「……あなた、本当に何者なの?」
「まあ、諸事情あってそのへんのことには詳しくて。だから、それもお祝いしたくて誘ったんだ。お礼も兼ねてね。
あんまり大袈裟にすると逃げちゃうと思ったから、言わなかったけど。あ、ちょっと待って」
ふとごそごそと鞄を探ったムラサキは、その中からちゃりんと小さな紐付きの根付のようなものを取り出すと、サヤコの前に差し出した。
金色の鈴と、赤い鯱鉾のような魚がついている。
「……何、これ」
「私の住んでる時空だと、ちょうど今年の1月31日は、旧正月前の大晦日に当たるの。明日が旧暦のお正月。別のゲームでの戦利品だけど、縁起物だし、サヤコさんは赤色がよく似合うし。お誕生日祝いにはぴったりかなって。折角だからお揃いにしよ?」
まるで別の世界から来ているようなムラサキの物言いを、不思議に思うサヤコ。
よかったらもらって、と言いながらその指先にムラサキがぶらんと提げた魚の根付を、サヤコはとりあえず受け取った。
真紅の体に、金の頭と尻尾がついている。模様も金ぴかで、いかにも中華らしく派手な感じだ。なんとも言えない顔で、サヤコがつぶやく。
「旧暦、ねぇ……」
「あれ、サヤコさん知ってる?」
「一応、知識としてはね。でもこの世界に、旧暦でわざわざ祝日を祝う人なんてもういないわよ」
「まあ、元々日本じゃ随分昔から廃止されちゃってたからね。そうかなとは思うよ」
「魚は縁起物なの……? 日本だったら、腹開きは切腹だから嫌がられるとは聞いたけれど」
「あ、それはうなぎの話かな?
中国語では、
ぎゅっ、と手のひらに魚を握ったサヤコの目の前で雑学を披露していたムラサキは、あっと声を上げると、慌てて自分の携帯端末をチェックした。
「ふ〜、よかった。まだセーフ。もうちょっとのんびりしてたいんだけど、午後から仕事なんだ。行かなきゃ」
「SOATの見回り?」
「うん。時間厳守の隊長が、遅れると厳しいからね。まあまだ余裕はあるけど、先に行って待ってないと心配で拗ねちゃう、面倒くさい
ふふ、と笑うムラサキの頬が、くすぐったげな色に染まっている。
はにかむようなその笑顔が、とても特別な物に見えて、サヤコは涼しげな目を細めた。
「ねえ。あの隊長、あなたの彼氏なの?」
「えっ。ちっ、ち、違うよ。大事な人だけど、付き合ってるとかそういうのじゃ……たぶん。
向こうはそんな気ないだろうし……そ、そこまで思い上がったことは、私には」
「でも、パートナーなのよね」
「うん。仕事上のね。そうなるにも、色々あって……ううう、SOATの守秘義務もあるから言えないんだけどおお」
もどかしそうにばたばた足を動かしたムラサキは、はあ、と諦めたように溜息をつくと、ことりを着物の肩に乗せた。
共に立ち上がったサヤコを制して、先を歩く。
「待って。お祝いだから私が払う」
そうしてきっちりサヤコの分までお会計を済ませたムラサキは、夢見る少女のような瞳で隣を歩いていた。全然自分とは違う彼女が、どうしてこう隣にいてくれようとするのだろう、と内心思うサヤコの前で、都会の空気感にも負けない鮮明なリボンを付けた頭を上げたムラサキは、名残惜しげに笑みを浮かべた。
「残念だけど、ここまでだねー。でも、今日会えてほんとによかった。次、またいつサヤコさんが捕まるかわかんないもん。このままお礼出来なかったらどうしようって思っちゃった」
親しげな態度の割には、ムラサキはサヤコに連絡先を聞かない。
それは、立ち入ったことを聞けば「友達」ではいられなくなると、彼女は分かっているからなのだろう、とサヤコは思う。犯罪まがいのことでこの身を立てている自分と、どういうわけか一本の糸のような縁が重なり合い、繋がっているSOATのムラサキ。
詳しいことを知れば、捕らえなければならなくなる。事件解決のために協力を得たから不問にしているとはいえ、それ以外に関して今のサヤコの何らかが明るみに出れば、彼女はSOATとして動かざるを得なくなる。そうならないギリギリのラインで、ムラサキが付き合い接してくれていることを、サヤコは知っている。
何も知らないような、人懐っこいような振りをして、線引きを決して誤らない。
だからこそ、偶然サヤコを街中で見かけた時、あんなにも必死で引き留めたのだろう。
「よく、こんなに親しげに私と接することができるわね」
「私は、サヤコさんが好きなので」
「私はあなたにとって、善にも利にもならないかもしれないのに?」
「それでも、私は信じてる。サヤコさん、根は優しくていい人だと思うもん」
何の根拠もない、そんな言葉は、上部だけのものだと切り捨てられるはずだった。
ふと、静かな瞳でムラサキを見下ろしながら、サヤコは何の脈絡もなく問い掛ける。
「……ねえ。さっきのチャーム、お揃いだって言ったわよね」
「え? うん」
「あなたも、今持ってるの?」
「うん。あるよー。ほらほら」
サヤコが出してきた根付けにぶつけるようにして、ムラサキは自分のスマホについていたそれを、こつんと合わせた。無邪気な笑顔はとても楽しそうだ。同じ色をした紅い魚を、サヤコがじっと手に取って眺める。燃えるような赤色が、その瞳には映り込んだ。
「……綺麗ね」
「えっ? 同じだよ。見た目もデザインも一緒でしょ? サヤコさんのと」
「私とあなたとは、違う。心の汚れ方も、輝きも。あなたの方が……ずっとずっと、眩しい」
まるでその言い方が、根付けではなく人に向けた言い方であるようで、その言葉に寂しいものを感じながらも、ムラサキはやや頬を赤らめる。返す言葉を探してもどかしい表情を作るムラサキに、サヤコは自ら背を向けた。
「ねえ! またお茶しようね! 今度は、もっと高くて美味しいアフタヌーンティーのお店! ぜったいに行こうね!」
返事をしないサヤコに、ムラサキが叫ぶ。
赤い夕日の下、名残惜しそうに帰途へ向けてムラサキが足を運び始めた頃になり、サヤコはようやく、遠く離れた場所からムラサキを振り返った。自分が見られているとも知らずに、リボンをひょこひょこ揺らして歩くムラサキのハーフアップを見送るサヤコの胸には、苦い何かが残る。
ぎゅ、と硬い素材で出来た小魚を掌の内に食い込ませながら、自分をいい人だと呼ばわったムラサキの言葉を思い返し、サヤコは小さく呟いていた。
「……あなたを狙っているのが、たとえ私だったとしても?」
その言葉は届くことなく、セブンスコードの都市の風に紛れて消えていった。
*****
「遅くなってごめんなさい」
「キミが遅れるなんて珍しい。どこで道草を食っていたのかな?」
「少し、面倒な輩に職質を掛けられたのよ。なんとか切り抜けたわ」
セブンスコードの表側では目につかない、裏世界との境目の空間。
きい、とモニター前の椅子を軋ませた白衣の少年——ニレが振り返る。
おそらく、今の感じではあの地区のカメラは監視対象から外れていたはず。この世界に寄生するAIである私の感覚を以てしても、彼に本当の理由を特定はされないだろうと思ったけれど、この鋭い眼光に貫かれている時は、常に緊張が走る。
やましいことがあろうとなかろうと、彼のご機嫌を取れるかどうかに、アオカゲの中ではすべてが掛かっている。
やがて彼は、にこっと笑いながら椅子ごと私に向き直った。
「ボクの監視が行き届かないキミの言葉に100%の信憑性を見出すことはできないけれど、まあ仕方がない。そう思っておくことにしようか。
キミはとても不安定な存在だ。ボクが椎名鞘子の残留思念から作り上げた、出来損ないのバックアップに過ぎないのだから」
侮蔑と嘲笑。
本当の「私」は、とっくの昔に死んでいる。
では、ここにいる残り滓のような私の意味は——そう考えて、結局はニレの同位体たる存在、人工知能から発生した「彼」につくことしか、できなかった。
たとえ生まれ変わろうと、別の「私」としてここに存在しようと、「彼」に仕え必要とされることだけが、私の唯一の存在意義——そう思ってきた。
コーヒーを手に、彼がつぶやくのが聞こえた。
「そういえば、キミは以前の事件の際、『彼女』に接触していたね」
「ええ。いけなかったかしら」
「いいや。不自然に思われるよりはその方が敵策だよ。彼女にも『弱点』があった方が、こちらとしては都合がいい。キミが彼女の『弱点』となれ。蹴られるべき向こう脛にね」
「そのまま、適度に関係を保てということ?」
「より深く、内側に潜り込むんだ。『何か』があった時には、二度と立ち直れない傷を受けるほど深く。そうしておけば、保険ぐらいにはなるだろう。
それが、役立たずのキミにできる唯一のことだからね。いわば償いの続きだ」
「わかっているわ」
それでも、私情が少しは滲み出てしまっていたのだろうか。
彼は私に向けて、微かに眉を顰めた。
「くだらない情を持つなよ。『彼女』を最終的に手に入れるのは、このボクだ。
ボクは櫟夜翰に特別な興味はないが……『ボク』が彼に執着していたせいで、キミは随分と不愉快な目に遭ったんだろう?
だとしたら『彼女』を壊すことは、都合よくキミの恋敵への復讐にもなるじゃないか」
「ええ……そうね」
とんだイカサマ師のくせに、外見だけでチヤホヤされていたヨハネ。
「私」が何をやっても、ニレの心を向けることが出来なかった。
不意に椅子を立ち上がったニレが、私の方へやってくる。そんな過去の「私」の暗い憎悪を埋めるようにして、彼は背伸びをしながら私の唇を奪った。激しく吸い、食い破り、ひりひりと血が滲んだ唇から顔を離すと、子供とは思えない妖艶な笑みで、にやりと紅に染まった口角を舐めてみせる。
「君はボクの駒だ。ボクに忠実に、ボクの思いのままに動く存在でなければならない……
そのために、不必要なものは全て切り捨てろ。わかっているね」
「もちろんよ。あなたに従うわ」
私は平然と頷きながら、再びモニターの中へ恍惚とした視線を向ける彼の背中を見つめた。
不必要なものは捨てろ。
彼はそう言った。
必要かそうでないか、どうやって私は判断すべきなのだろう。
答えは簡単。「私は判断すべきではない」。彼こそがすべてで、絶対の基準。
(それなのに……胸が痛いのは、どうして?)
私はこの強大な存在に、抗えない。逆らえない。
いずれその命を受け、敵として刃を振るい、立ちはだかることになる。そうとも知らず、ただただ阿保みたいに無邪気な笑みを浮かべる「彼女」の顔が、ほんの僅かな記憶の中で何度も浮かんだ。
なぜ、ニレがここまで「彼女」に執着するのか、それは知らない。
けれど、彼の計画を完遂するために必要で、代わりのない不可欠な存在なのだということはわかる。
(……)
踵を返しながら、私は血で染まる唇を引き結んだ。
嫉妬。羨望。諦念。憎悪。
私ではなく——なぜ彼女が、愛した人の隣で幸せに笑っていられるのかと。
彼女に対する感情は、決して好意だけではない。
彼女のことを、初めて会った時は太陽のようだと思った。愛らしく、きらきらとして、自信に満ちた笑顔が眩しくて。私とは関係もなく、縁もなく、決して交わらない別次元の存在なのだと。
けれど、彼女の光は目を焼く太陽のそれではなく、蝋燭の灯りのような、私を傷付けない温もりを与えるそれなのだと、ささやかな付き合いの中で気がついた。
痛めつけたいはずなのに、傷付く顔が見たいはずなのに、彼女に向ける泥のような私の感情を遥かに凌駕する何か——憎しみさえ包み込んでしまうような暖かさに包まれた心が、それは嫌だと号哭する。
これは、期待? ……それとも、希望と呼ばれるものなのかしら。
私には、持つことさえ許されないものだと思っていた。
もしも私に裏切られたら、あなたはどんな顔をするだろう。
どんな感情を、私に向けるのだろう。悲しみ? 怒り? 嘆き?
いずれにせよ、元通りにならなくなってしまうことは確かだ。
私とあなたの間に築き上げられた全ては、永遠に戻ってこなくなる。
そうなる事が未来の確定事項なら。私はただ淡々と、ニレの手駒でいた方がいい。
けれど——もし、そうでないのなら?
万が一にも、私とあなたに、そうでない未来が訪れる可能性が、あるというのなら。
飼い殺しの魚である私には、今はまだ、どうするべきかわからない。
それでも——これだけは。
この子に込めた心だけは、嘘のない世界で、自由に泳いで行ってほしいのだと。
彼女に貰った小魚のアクセサリーを、私は血が滲むほどに、強く強くその手に握り込んだ。
別のゲームの戦利品だったアクセサリー→Skyの来福の日々で出てきたアレです
Skyでは頭につけるやつですけどね!(実際には買ってないので今度試着魔法する←)