1
九頭竜隼人が行方不明になって三日が過ぎた。
そのせいか、クラスの空気は平穏なものになっている。
一言でいって彼は嫌われ者だったからだ。
かといって、ありがちないじめの対象などにはならない。
そんなことのできる相手は、クラス内どころか学校のどこにもいなかったからだ。
上級生はもちろん、教師たちだって怪しいものである。
日本人どころか人間離れした整った顔だちと、超人的な体力を持つ隼人。
傲慢で他の子供を露骨に見下した言動をとる少年だった。
また、それに見合うだけの才能や実力があるから、なお悪い。
一度だけ、彼より体の大きい男子が喧嘩を売ったことがあった。
柔道を習っていたそうで、腕力には自信があったのだろう。
しかし、結果はひどいものだった。
ハッキリ言って、大人と赤ん坊が勝負したようなものである。
生半可な柔道経験など何の役にも立たず、強いて言えば受身を取れたくらいだ。
しばらくして、その男の子は学校に来なくなった。
それ以後、隼人に積極的に関わろうとする者はいない。
そもそも隼人と話の合う子供は一人もいなかった。
ただ、隼人のほうから接触していた子供はいた。
高町なのはという女の子だ。
しかし、なのは自身は隼人のことが苦手だった。
いくらきれいな顔でも、仲良くしたいと思えるような相手ではない。
でも、それではすませられないところがあった。
本当の意味でキッパリ拒絶できるようになったのは、最近のことだ。
友達のアリサなどは単純に嫌いですましているが、なのはの場合は違う。
善良で素直な性格ながら、自分の根っこに自信を持てていなかった。
そのせい、なのだろうか。
なのはには明瞭な夢や目標、胸を張って自慢できる特技はなかった。
理数系は得意だが、文系や体育は苦手。
その得意な理数系も、それをどう生かしていいかはわからない。
反面、隼人は学力でも体力でも負け知らず。性格を除けば完璧超人だ。
少なくとも、なのはの目からはそう見えた。
だから、相手を否定したくてもしきれない自分が確かにいた。
お前は何かあいつに勝っているものがあるのか? と、心の奥でささやく声がする。
けれど、そんななのはに胸をはれるものができた。
それは、遠い世界からやってきた魔法の力。
2
私立聖祥大学付属小学校──の校舎屋上。
立ち入り禁止となっているその場所に、少女は悠然と立っていた。
黒い髪を風になびかせながら、そこから見える風景を見つめている。
……わけではなかった。
その手にある青い宝石を静かに見つめている。
これを手に入れたのは、ついさきほど。川原の片隅でだ。
強い魔力を秘めた宝器らしいが、いささか不安定である。
念のために魔力で封じ込めた後、今こうして掌中で弄んでいる。
調べたところ、どうやら使用者の願いをかなえることができるらしい。
だが、それがどの程度のもので、どう作用するのかは不明。
例えば、
「世界一の美女になりたい」
と願えば、世界中の女を見殺しにするようなものということもありうる。
それにしても、と少女は下のグラウンドを見ながら考える。
自分はどうしてこんな騒がしいところに来たのだろう。
記憶によれば、自分はこの学校に通っていた。それは確かだ。
かといって、別にまたここに来たいわけでもない。
勉学をしたい思えば、もっと効率的でレベルの高い場所や人員を確保できる。
会いたい人間がいるわけでもない。
記憶にある人間はいくらもいるが、特に思い入れは感じないのだ。
ふと思い出すのは、高町なのはという少女。
今の思考なら、取るに足らない凡庸な、少々器量が良い小娘だ。
この小娘というのもおかしいな。自分と彼女は同い年なのに。
「なぜ、ずいぶん年下のように感じるのかしらねえ……?」
九頭竜隼人という名前を持つ、少し前まで少年だった少女は笑った。
性別どころか、その容姿も隼人のそれではなくなっている。
黒い髪と瞳を持つ、白人種に近い風貌を持ったものだ。
自分の現状について、知りたい。理解したい。
少女が切に希望するのは、その一点につきる。
だが、その回答を掌中の宝石に問うつもりはなかった。
使用するにしても、色々とテストをしてみるべきだろう。
そのうち、少女は下のほうがやかましいことに気づいた。
どうやらグラウンドから少女の姿が見えてしまったらしい。
下から人がやってくる気配もする。
小さく舌打ちを漏らして、少女はその場から飛び去った。
だが、飛び立っていくらもしないうちに、別の気配を察知した。
自分と同じく、魔力をまとったものの接近である。
少女は空中で動きを止めて、それを待ち構えた。
現れたのは、黒いバリアジャケットをまとった金髪の少女。
金色の瞳がジッと少女を見つめている。
「あなたの持っているものを、渡して」
デバイスであろう斧のようなものを手に、金の少女は言った。
だが、少女は答えられない。
金の少女から目が離せないまま、呆然としていた。
「あなたの持っているジュエルシードを、渡してください」
金の少女はもう一度警告するように言ったが、それすらも届かない。
雑多な、ノイズにも似た記憶の奔流に少女が抗えない。
それをもたらしたのは、紛れもなく目の前の──
「あり……しあ?」
何故そんな言葉が出たのかもわからないまま、少女はつぶやいていた。
だが、これだけは確実だ。
自分は子の少女を知っているのだと。
「──え?」
少女の反応に、金の少女は身構えながらも当惑しているようだった。
「あなた……誰!?」
頭痛にも似た錯綜が走る頭を押さえながら、少女は相手を睨む。
「わ、わたしは……」
若干ひるむ金の少女に、少女は無意識のうちにつかみかかっていた。
突発的な行動とその速度に対応しきれず、金の少女は容易く胸倉をつかまれてしまう。
「あなたは誰!? だれ!? だれ!?」
胸倉をつかんだまま、少女は力任せに相手を揺さぶる。
その狂気にも似た圧力に耐えかねたのか、
「フェイト……。フェイト、テスタロッサ……」
搾り出すような声で、金の少女は言った。
「てすた、ろっさ……」
聞いた言葉を繰り返しながら、少女は揺さぶる手を止める。
「フェイトを、はなせええええええええ!!」
その隙を突くかのように、鋭い咆哮をあげて何かが飛来してくる。
「ち!」
少女はつかんでいる少女──フェイト・テスタロッサをそれ目掛けて放り投げた。
それは、投げ飛ばされたフェイトの体をあわててキャッチする。
「使い魔……」
乱入者の正体は、獣の特性を持つ女。その素性をわずかながら少女は察する。
「こいつ、よくも……!」
使い魔は牙を鳴らして少女を威嚇するが、その効果はない。
「教えてもらうわ。あんたのことを……」
宣言しながら、少女は
「ああっ……!」
神を捕らえるその鎖は、ほんの一瞬でフェイトを使い魔ごと縛り上げた。
「フェイトとか言ったわね。あんたは、何物?」
少女の問いに、フェイトは無言だ。
静かな赤い瞳から拒絶の意思がハッキリと伝わってくる。
それに対して、少女は青い宝石を見せた。
「……ジュエルシード!」
「欲しければ話しなさい。お前が何者か」
「あんた、管理局じゃないよねえ……」
フェイトに代わるように、使い魔がうなった。
違う──と少女は静かに首を振る。
「何を……話せばいいの?」
「全て──と言いたいところだけど」
少女はジュエルシードを弄びながら、フェイトを見つめる。
「あんたが何者で、何故これを集めているか。とりあえず、こんなところかしら?」
「……わたしはフェイト・テスタロッサ。ジュエルシードを集めているのは、お母さんが必要
だと言っているから」
テスタロッサ。
その言葉がフェイトの口から出た時、少女は鈍痛のようなものを頭に感じる。
いくつもの記憶が飛び交い、あるいは消えていくような。
少女の反応がフェイトに不気味なもの映ったらしく、表情を強張らせている。
「ぷれしあ……てすたろっさ」
意図せぬ言葉が、少女の口から漏れた。
「……知ってるの!?」
それにフェイトが反応し、縛られたまま使い魔がうなる。
「──あなたは、プレシアの……娘?」
頭を押さえながら、睨むような視線で少女は問う。
うなずくフェイト。
それを見た瞬間、少女の目の前が赤く染まったような気がした。
「違う……!」
そして、少女が放ったのは否定の言葉である。
「プレシア・テスタロッサの娘は、アリシア・テスタロッサのはず……。フェイトじゃない」
「何を言ってるの……?」
フェイトは、次第に狂気を宿していく少女に脅えながらも、
「わたしは、お母さんの……プレシア・テスタロッサの娘」
「違う!! 違う!! 違う!!」
少女は黒髪を振り乱して、なおも否定した。
「プレシアの娘は、アリシアだけ! 他にはありえない!」
「何なんだよ、こいつ……。頭が、おかしいんじゃないのか……?!」
フェイトの使い魔は、呪縛されながらもフェイトを守ろうと身を堅くする。
「そんなこと……そんなことは、ないよ! わたしは……」
「黙れっ!!」
反論しようとするフェイトの首を、少女はいきなりつかんだ。
少女、いや人間離れしたその握力に、見る間にフェイトの顔が青くなっていく。
「ち……きしょう! フェイトから手をはなせ、はなせぇ!!」
使い魔の悲鳴が、虚しく空にこだましていく。