名バ列伝『グレートエスケープ』【完結】   作:伊良部ビガロ

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本編
第1話 グレートエスケープ(大脱走)


 ――時はトゥインクル歴2208年。

 ウマ娘と人類が宇宙へ進出して既に2000年以上が経過していた。だが、宇宙へ歩みを進めても人類はお互いの利益、宗教、イデオロギーのために争い、血を流すことをやめはしなかった。

 そして地球トレセン学園連邦に対して反旗を翻したシャダイ公国が引き起こしたタカラヅカ=キネン戦争の趨勢が、今決まろうとしていた……

 

「ゴールドシップ! なぜわからないんですの!? こんなものを地球に落とせばにんじん一本食べられない惑星になるんですのよ!?」

「地球にいるやつらは自分のことだけ考えてるやつが多すぎるんだよ……だから全員ブリにしてやると宣言した!」

 

 マックイーンの駆けるウマ娘スーツ『オーロラ』とゴールドシップの操る『ポイントフラッグ』が火花を、エネルギーを、刃をぶつけ合う。漆黒の宇宙に瞬きほどの光が生まれては消えていく。

 

「ウマ娘がウマ娘を罰しようなどと……!」

「このゴールドシップ様が粛清しようというのだよ!」

「エゴですわそれは!」

「地球が持たねえ時が来てるんだよ!」

 

 刹那、『ポイントフラッグ』が構える。

 ――それはライフルというにはあまりに大きすぎた。大きく、分厚く、重く、そして大雑把過ぎた。それはまさに核兵器だった。

 

「こいつでまとめて吹っ飛ばしてやるぜぇぇぇぇーーーーっ!」

「くっ、受け止めなければスイーツ、いえ地球が……生けるものすべてが全部ブリになってしまいます!」

 

 砲口から放たれる黄金色の砲撃。

 ヒシアケボノ級戦艦だろうと一撃で飲み込む極太の光線を今更かわすことは不可能、マックイーンは冷静に判断した。

 ならば、防ぐまでのこと。核兵器の熱量すらも受け止められるはずの、防具で――

 

「おばあさま……私に力を――ッ!」

「なにぃーっ!? そいつはメジロ共和国に伝わるという天皇賞・春の盾!」

「うおおおおっ、スイーツ、いえ地球はきっと、守って見せますわ――ッ!」

 

 永遠にも感じられるほど、引き伸ばされる時間。

 メジロマックイーンが渾身の力で受け止めた黄金の輝きは徐々に宇宙の漆黒へ散っていく。

 

「はぁぁぁぁっ!」

「馬鹿な、このゴルシ様のネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が……貫けねえだとッ! ジャスタっ、ジャスタウェイ反応しろ! どういうことだ!」

「ミスタータイ……ヴィクトリーズのユタカのように、華麗にかっ飛ばしますわぁぁーー!!」

 

 盾から弾かれる一筋の光。互いの信念をぶつけあうマックイーンとゴールドシップは共に気づかなかったが、ウマムスキー粒子で構成された残滓は圧倒的なエネルギーの余波で産まれたワームホールに吸い込まれていった。

 そしてワームホールの出口には、同じ地球――だが遥か過去、それもパラレルと呼ばれる時間軸の違う地球の大気圏に吐き出されたのだ。

 ウマムスキー粒子は次第にエネルギーを失っていく。そしてその残滓が、日本の北海道、とある牧場に降り注いだ。

 たづなさんはその現象により生み出される世界を思い描く。

 

「人の域に留めておいたウマ娘が本来の姿を取り戻していく。人の掛けた呪縛を解いて、人を超えた神に近い存在へと変わっていく。天と地と万物を紡ぎ、相補性の巨大なうねりの中で、自らをエネルギーの凝縮態に変身させているんだわ。純粋に人の願いを叶える、ただそれだけの為に……」

 

 それによって、多くの競走馬の運命が大きく変わるのだった……

 

 ――つまりゴルシちゃんのせいだから仕方ない!

 

 

 ○○○

 

 

 

「だいぶ熱が下がったな……」

「先生も峠は越した、と。しかししばらく様子は見ないと……大丈夫ですかね」

「臆病な気質で、さらに肺炎の重症化。馬としてはしんどいだろうから、走る気を出してくれるかどうか」

「ウチとしては待望の大物になりそうな馬だったのに」

 

 誰かが話す声がする。なんでだ。俺は家の布団で寝ていたはずだ。肺炎? 家で倒れて救急搬送でもされたというのか?

 体が重い……腕が持ち上がらない。声も出づらい。

 

『ブルルゥ……』

 

 馬みたいな変な声が出た。意識を失うほどの肺炎で救急搬送されたなら酸素マスクとかもしていたのだろう。喉もカラカラになっているはずだ。

 少しずつ慣らしていこう。

 

「馬体はいいんだが元々臆病なのがな。病弱でもあったから、競走馬になれるかは怪しいぞ」

「元気な時はよく走って見えるのに」

「生き物だから、ままならんものさ。とにかくこの後も気を抜かずに見ていくぞ」

 

 この人たちはドクターだろうか。重い瞼を開けるとジャージ姿のおっちゃんとあんちゃんだった。

 どう見ても医者じゃない。面会する部屋を間違えてそのまま馬の話? おいおいこっちは重症患者だぞ。看護師さんになんとかしてもらおう。

 ナースコールはどこだ……これかな。藁だ。笑、じゃないが。いや待て。なんで藁? いやそもそも、何だこの手は。

 ……馬の手というか、脚……?

 

「競走馬としての買い手がつくかなぁ……見栄えはいいとはいえ、ひ弱だと意味がないからなぁ」

「一応見に来たいという方はいますけどね。ほら、こいつの母親のシルバーパートの馬主さんが」

「ああ、あの人は馬主を引退するってさ。ちょっと本業が大変だから趣味はやめるって。それにしてもあの母親は丈夫だったんだがな……父馬に似たのかなぁ」

「父に似てるならダービー馬の素質があるってことじゃないですか」

「そこまではいわんけどな。体型とかは似てると思うんだよな……」

 

 二人がこっちを見ながら話をしている。これはアレだ。夢だ。俺が馬になんてなるはずがない。

 確かにとても眠い。きっと疲れて変な夢を見ているのだろう。

 俺はもう一度瞼を閉じた。うまうまうみゃうにゃ……。

 

 

 

 夢じゃないやんけぇ!!

 

「うわっ、なんか病気する前よりお前元気になったなぁ……」

 

 夢じゃない! 馬になってる! 脚が地面に着く度蹄の音がして楽しいよわぁいなんて言ってる暇ないわ!

 どうしてですか? どうして……

 

「本当に大丈夫か? とりあえず元の場所に戻ってこい」

 

 かぽかぽ、蹄を鳴らして失意の只中にいる俺を牧場のあんちゃんは行ってこいよなんて気楽そうに言う。

 その中は柵でおおわれているものの、広大な草原が広がっていた。そこにはちらほら、ほかの馬もいる。

 

「ぶるるっ、ぶるるっ!(行けるわけねーだろ! 無理だよ!)」

「うおお、嫌がるのは相変わらずだな……そうそう、落ち着け落ち着け、ちょ、やめ、やめろって! 力強くない!?」

 

 騒ぐ俺を見つめるほかの馬たち。やだ、言葉通じない……多分。注目を集めてしまい牧場デビューはさらに難しくなってしまった。

 もう行きたくねぇ。

 

「ぶぁっ!(嫌だァ!)」

「うおっ、あぶねぇ!!」

 

 暴れるあまり、俺は二足歩行を獲得した。ごめん、立っただけだ。

 しかしその弾みであんちゃんが尻餅を着いてしまった。このままでは前脚で踏みつけてしまう。

 慌てて体をひねると同時に、あんちゃんも転がるように俺から離れた。

 

「あぶねえな……本当に。ったく、元気になるのはいいんだけどさぁ」

 

 いてて、と腰を擦りながらあんちゃんは立ち上がる。なんてこともなさそうな振る舞いだが、避けようと必死な姿はそれだけ馬の巨体が危険だとわかっているからだろう。

 もう俺は人間じゃない──無意識のうちにそれを否定していたのだろうが、俺は観念した。

 謝るつもりで頭を下げる。するとあんちゃんは笑いながら俺を撫でた。

 

「謝ってるのか? おいおい、賢くまでなっちまったな……病気で少しおかしくなったか?」

 

 少しむかついたので頭でぐい、と軽く押してから草原に歩き出した。まだ、人間だった頃の気持ちと折り合いはつけられそうにない。まずは芝生を歩き回って頭を冷やすところから始めるべきだと、俺は思った。

 

 

 

 イェェェェ!! ヒャッハァァァァァ!!

 超☆サイコー!! 走るのたのちぃぃぃいひゃっほおおおおお!!

 

「うーん、大丈夫かな。元気すぎやしないか? 骨折とかしそうだ」

「頭おかしくなったりとか?」

「ない……と思うんだがなぁ」

 

 走り回る俺を見ながら語る牧場主と思われるおっちゃんと従業員のあんちゃん。

 こうして走ってわかったのは、俺は馬として走ることを気に入ってしまったということ。どうせ考えたところで人間に戻れるわけもなし。

 馬として人生、いや馬生を楽しまにゃ、暗い人生になってしまうだろう。

 おっちゃんやあんちゃんは競走馬といっていた。つまり品種はサラブレッド、超がつくほどの経済動物だ。

 当然、人間より遥かに過酷な末路が待っているかもしれない。ならばこそ、悩んでいないでこの先生き残るかを考えなければなるまいッ!

 いくぜぇぇぇぇ!! 私の競走馬生活はここからスタートするのだァッ!!

 

「あんだけ元気なら競走馬でもやっていけそうだがなぁ」

「あの臆病なあいつが? 人を乗せられますかねぇ」

 

 うおおおおお!! 坂道楽しい!! 蹄の音が最高に面白い!! ん? これは芝じゃないな……くんくんくん。ヴォエッ!! うんこじゃねえかッ!! くせえッ!!

 

 

 

 頭が冷えた。何をあんなにはしゃぎまわっていたのだろう。1週間も走り回れば、放牧地に目新しいものはなくなる。そうなると暇で仕方がない。

 テレビ、ゲーム、漫画……そういうものが欲しくて仕方ない。

 とはいえ、だ。あの時考えたところ競走馬として生きることは嘘ではない。デビューすらできなければ、デビューしても勝てなければよくて乗馬や観光業で働くことになり、最悪馬肉や実験動物だ。

 誰だってそれは嫌だ。やる気を出さなくてはなるまい。人間だった俺はもういない。ここにいるのはサラブレッド(牧場のみんなからは黒鹿毛なためか『クロスケ』ととりあえず呼ばれてる)の俺だ。

 と、気合いを入れても暇なものは暇だ。牧場にいるみんなが来ると楽しいが仕事をしてるからそんなに会えない。

 同じ放牧地の1歳馬たちは最初こそいじめっ子キャラなのか、追いかけ回してきたから適当に逃げて遊んでいたが、バテて諦めてしまっている。

 

「おいおいクロスケ、また端っこにいるのかよ。虐められっぱなしだなぁお前は」

 

 は? 違うが? あいつらと遊んでやっただけだが? 今も端っこで「なんだアイツ……なんで追いつけねぇ!」「逃げてばかりの弱虫が……あんなに速かったっけ?」「む〜り〜……!」とか言ってるぞ? マジだぞ? 馬語わかるんだぞ?

 抗議とばかりに頭を押し付けるが「よしよし」とあんちゃんに撫でられてしまう。むむむ、くるしゅうないぞ……俺、男のはずだったんだけど。なんで撫でられて喜んでるの?

 冷静になって頭を引っ込めると同時に、車のエンジン音が聞こえてくる。おっちゃんたちが使う車とは違う車種だ。

 

「お客さんかな。……見学に来るって言ってたような……あっ、出迎えの準備してなかったわ!」

 

 それはまずいだろう。あんちゃんよ、はよ行け。

 俺は背中を押すように頭を押し付けた。それにしてもなんかもっといい感情表現とか、仕草はないだろうか。いつも頭を押し付けてばかりだ。

 慌てて走り出したあんちゃんを見送りながら、車から出てくる人影を見つめる。

 俺は気に入ってるが決して観光名所になるような大きな牧場ではない。親戚だろうか。そうして見つめていると、車から出てきたのはぱっちりとした目が可愛らしいお嬢さんだった。

 

「おお、美人だな……これは乗馬にでも来たかな?」

 

 うちで乗馬をやってるところは見たことがないが、あのおっちゃんのことだ。乗ってみるか? なんて言い出すのかもしれない。

 うーん、良い尻だ。俺に乗って欲しい。おっとこれは下ネタじゃないぞ?

 しかし言葉も喋れない俺が立候補など出来るはずもない。だからといって諦めるには惜しいが……そこで俺は放牧地の出入口の南京錠がかかっていないことに気がついた。

 南京錠だけでなく閂もあるのだが……俺にとってはこんなもの知恵の輪よりも簡単だ。

 手を伸ばして弄って……はい開いた。扉が空くとほかの馬たちがこちらに気がつくが、流石にあいつらは大人しく柵の中に帰るようなお利口さんではない。

 南京錠を口と舌で動かし、軽く噛んで……カチッとハマる音。

 出入口の施錠、ヨシ! あんちゃんには現場猫シリーズのオアシスの言葉を贈ろう。

 

「よっしゃ、美人のもとへエスケープだぜぇ!」

 

 かぽかぽと足取り軽く、歩みを進める。

 今生で初めての脱走は俺のバ生を大きく変えるきっかけになったのだった。

 

 ○○○

 

 私は競馬が好きだった。幼い頃、父に見せてもらった日本ダービーの熱狂と歓喜は今でも思い出せる。そのころから私は競馬があればレースを見るようになった。

 そして大人になった私は父の事業を引き継ぐと、馬主になりたいという想いを抑えきれなくなった。馬主資格取得のための審査を受け、調教師や生産者との交流の場では積極的に話を聴く。

 そしてここ、懇備弐(コンビニ)牧場の牧場主である天長(アマナガ)さんから競走馬の購入の話を頂いた。

 当然、買った馬が勝つどころかデビューするかどうかもわからない、厳しい世界ということは理解している。だが、いざ馬を選ぶ段階になるとダービー、有馬記念といった大レースで勝つ自分の馬と、馬主として表彰される自分をつい妄想してしまう。

 

「では橘(タチバナ)さん。じゃあとりあえず1歳馬から見ていきましょうか」

「よろしくお願いします」

「とりあえず準備はしてくるので、お待ちください。建物を見ても大丈夫ですから。とはいえ、あまり見るものもありませんが……」

 

 牧場の従業員の方──慌てて出迎えてくれた姿に驚かされたが──の苦笑いに対してこちらも笑みを返す。部屋の中で待とうか悩んだが、どうせなら北海道の大自然の空気を吸いたくなった。

 私は外に出て周囲を見回した。まず第一に出てくる感想は『広い』という一言だ。放牧地の方だろうか、馬が数頭寝転んでいる姿が見える。

 懇備弐牧場は大きくはないが、馬たちは和やかに過ごしているように見える。これから馬を購入する贔屓目もあるのかもしれないが、広大な牧場でのびのびと過ごさせているおかげなのかもしれない。

 

「んんっ……はー、やっぱ北海道でっかいどーって感じでアガるわ。というか肩凝るわぁ……ウチやっぱりああいう堅苦しい場面苦手だわこれからも会社でやると思うとつらたにえん……」

 

 牧場関係者がいないところで伸びをしながら思いを吐き出した。

 仕事だから、社会人だから他人の目を気にした振る舞いをしているが、本来そういうことはとても苦手だ。結局、道楽の世界だろうと人付き合いからは逃げられない。

 

「どんな子かなー、トニービンとかブライアンズタイムの子かなー、ダービー馬になっちゃうかなー。やっべマジアガってきた。黒鹿毛とかがいいなぁ……あと、頭が良くて人懐っこい馬。そんな子がいいなぁ……」

 

 段々居ても立ってもいられなくなり、放牧地の方を向いた瞬間、目の前に一頭の馬がいた。

 

「ぶるるるっ、ぶるっ……(うおお、美人……お姉さん乗ってかない?)」

 

 黒鹿毛の馬体に、すらっと伸びた前脚と首。見下ろす眼差しは値踏みしているかのように見える。

 

「なんでこんなところに……従業員の人は? 一頭だけ?」

 

 目の前の馬は興奮した様子もなく、ぱかぱかと私の周りを歩き始めた。そして鼻を鳴らして私の臭いを嗅いだり、身体を近付けてくる。

 私は驚きのあまり動けなかった。後から思えば、自分より大きな動物が無造作に近づいてくるなんてかなり危ない状況だった。けど、この時は、目の前の馬に見惚れていた。

 

「おぉい、橘さん大丈夫ですかぁー!?」

 

 従業員の方が慌てて走ってくる。くるくると回っていた馬は従業員から隠れるように私の背中に回った。凛々しさを感じさせた馬体が一転して可愛らしく見える。

 

「この子は……」

「どうやってか脱走したみたいです。なんてこった……怪我がなけりゃいいんですが」

「貴方脱走してきたの?」

 

 驚きのあまり見つめると馬は鼻息を鳴らした。どうだといわんばかりの反応。従業員の方はため息をついた。こいつはいつも悪戯をするんですよ、と。

 脱走するくらい頭が良くて、こんなにも人懐っこい黒鹿毛の馬――

 

「チョー最高じゃん! バイブス半端ねえ、ってかパネぇ! え、何この子マジありえないんだけどこの子しか有り得ねーってこれ!」

「た、橘さん?」

「この子にします! 絶対この子! この子でお願いします!」

 

 我に返るまで、しばらくの時間を要した。そして自分の無礼を詫びながらも、この子を買いたいという気持ちを話すと従業員さんも、牧場主さんも快諾してくれた。

 もちろん、引退後の面倒も含めて見ることを契約に盛り込んで。

 

「ちなみに名前とかはあるんですか?」

「クロスケと呼んでましたが幼名のようなもので。是非競走馬として名前をつけていただけたら」

「……この子、脱走してきたんだよね。もしかしたら会いに来てくれたりして……うーん、なら、名前は……『グレートエスケープ』! うん、これに決めた! よろしくね!」

 

 私の初めての馬。私が名前を付けると、クロスケことグレートエスケープは大きく嘶いた。

 少しテンションが上がってしまったが、冗談ではなくこの子は素晴らしい景色のもとへ連れ出してくれるという確信があった。

 

 

 

 ×××

 

 

 

 桜の匂いが立ち込めて、期待と不安で胸をいっぱいにしながら門をくぐる。

 きっとここを歩いているウマ娘たちはほとんどがそんな心持ちなのだろう。大半は周囲を気にしながら1人で歩いているが、気づけば既に仲良くなっている2人組も見かけた。

 少し羨ましくなる社交性の良さだ。昔からコミュニケーションでは失敗したっけな……なんて鼻の下を擦る。

 

「立ち止まってどうした。入学生に何か用があるのか」

「邪魔だったか? それは失礼した」

 

 振り向くとトレセン学園の生徒会副会長である、エアグルーヴがいた。腕章に生徒会と描かれたものを装着している。入学生に対する案内をしていたのだろう。

 

「大体なぜ貴様がここにいる」

「私もトレセン学園の生徒だ。トレセン学園にいておかしくはあるまい」

「貴様は補習の対象だったと記憶しているが?」

「……やれやれ。仕方ない。潔く教室へ戻ることにするよ」

「そっちは補習の教室ではないぞ」

「くそァ! あばよとっつぁ、違ったエアグルーヴ!」

「待て! 脱走ウマ娘あり、脱走ウマ娘あり! 者共であえであえ! 脱走ウマ娘の名は──」

 

 ──グレートエスケープ!

 

 後方で叫ぶエアグルーヴから私は逃げる。その名前を表すように、跳ねるようにして。

 デビューはもうすぐなのだから。補習なんてしていられない。そんなことよりトレーニングだ。

 走る途中でアイネスフウジンを見つけた。よく世話を焼かれて、それでいてなんだか他人の気がしなくて、『アイネス姉さん』と慕わせてもらっている。

 

「アイネス姉さん、おはよう! バイトで疲れてないかな」

「おはようなのエッちゃん! 制服姿で走るなんてやる気満々だね……これからトレーニングなの?」

「今もトレーニングの一環かな。アイネス姉さんはどうだい?」

「私もこれからトレーニングなの。一緒に走る?」

「あとでよろしく!」

 

 後ろから私を追いかける声がする。アイネス姉さんに挨拶をして慌てて駆け出した。

 3女神像の傍を通ると今度はマヤノトップガンと鉢合わせる。

 

「おっはよー! エッちゃんどしたのー? ……さては補習から脱走したなー?」

「大正解! 流石マヤだな。大人なオンナは鋭い」

「わかるもん。エッちゃんいつも脱走してるし」

「あれ……そうかな。そうかも。というわけでマヤ、私は別方向に行ったと伝えておいてくれないか」

「アイ・コピー! まっかせて!」

「ありがとうマヤ! 頼りになるオンナ!」

 

 マヤを置いて捕獲部隊から姿を消すべく再び逃げ出した。近くの茂みに飛び込んで様子を窺っていると、ほどなくしてエアグルーヴが生徒会所属のウマ娘を引きつれてやってきた。

 

「マヤノトップガン。ここにあのバカ……エスケープは来てないか?」

「あー、副会長さんが追ってたんだ。えっとねー、エッちゃんは……向こうに行った、と言ってと頼んでそこの茂みに隠れてるよ」

「は、謀ったなマヤ!」

「ごめんねエッちゃん。ネイチャちゃんが『大人のオンナの嘘はアクセサリー』って言ってたから」

「あいつ余計なことを!」

「神妙に縄につけ、エスケープ!」

「げえっ、エアグルーヴ!」

 

 エアグルーヴが追いかけてくるのを私は一目散に逃げ出した。流石エアグルーヴ、ほかのウマ娘たちよりも鋭く、それでいて素晴らしい瞬発力で捕らえんとばかりに迫ってくる。

 だが私は捕まらない。なぜなら我が名は『グレートエスケープ』。私は煩わしいモノ、しがらみ、そして勝利を求める全てのウマ娘たちからも、逃げ切ってみせる。

 

 そして栄光を掴んだ暁に、私は高らかに宣言するのだ。

 

「私は何者にも囚われない」

 

 まずはトレーナーの元へ、脱獄を果たしてみせる。

 校門付近からチームの部室へ向けて駆ける途中で、歩いている男の人の影。私のトレーナーさんだ。

 

「トレーナー! はやくトレーニングしよう!」

 

 減速しつつ、トレーナーの前に躍り出る。AKIRAのバイクシーンを意識しながら、かっこよく。

 トレーナーは苦笑いしながら、やけにやる気だな、と一言。

 

「もちろん。メイクデビューを目指す日々はもう始まっているからね。まずは補習から逃げ切ってみせないと」

 

 ここからだ。トレーナーと私、グレートエスケープの日々はここから始まるのだ。

 

 ちなみにこの後トレーナーの手によってエアグルーヴ率いる『脱獄ウマ娘捕獲部隊』に引き渡された。

 裏切り者ー! という私のトレーナーへの声が春のトレセン学園の青空に響き渡った。

 

 だがこの走りでなんとなく、レースに使えそうな技法が思い浮かんだような気がした。

 




5年間の待機時間を我慢できず書きました。感想頂けるとやる気が出ます。よろしくお願いします。

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