※メインストーリー三章見て思った。……先にダービー、やっておいてよかった。
個人馬主が亡くなった場合、そのとき所有していた馬は他の馬主に所有権を移動させなくてはいけない。
相続人が馬主資格を持っているのであればその馬主に、馬主資格を持っていなくとも条件を満たしていれば馬主資格を取得し相続することができる。
相続人が馬主になれない者の場合は相続馬限定馬主となり、所有馬が競走馬登録を抹消するまでその資格は有効となるが新規の競走馬登録はできない。
「じゃあ問題ないよね」
ダンスパートナーさんに尋ねられたことを答えると、そんな言葉が返ってきた。
確かにどこに問題があるかわからない、引き継ぎさえすれば問題は無いのだから。
「そのはずなんですけどね……ただ、人間の怖いところというか。これには欲望が絡みついてくるんですよ」
「どういうこと?」
「レースの賞金は大半が馬主のものになる。つまり俺はざっくりいうとカネになるんです」
「カネ……エッちゃんはカネに? んん?」
ああ、そっか通じないのか。
あんまりにも人間っぽい振る舞いばかりしていたから逆にびっくりした。そういえば馬だったな……。
「俺がレースで勝てばダンスパートナーさんが人参沢山貰えるとします。嬉しいですか」
「嬉しい……」
「色んな人が人参を欲しがったらどうしますか? 分けるのは無しですよ」
「え、ええ……っと、独り占めは悪いから、譲るかな……?」
「みんながダンスパートナーさんみたいに優しければ良いですけどね。みんな人参を欲しがるから喧嘩になりますよね」
「……つまりエッちゃんを巡ってみんなが人参欲しさに喧嘩してるんだ」
「そうです。多分ですけど……人参が欲しくて喧嘩してます」
「そんな喧嘩するまで人参好きだったんだ……なのに厩務員さんや先生は人参を……私に……」
ダンスパートナーさんがしんみりと感動してるので講義はここまで。
つまりどうなっているかというと――
「俺がかっこよくて、強くて、人気者なのがいけないんだ……」
「まさか誰もグレートエスケープを欲しがらんとは思わんかったわ」
嘘だろ!?
黒井先生の呟きに俺は目眩すら覚えた。
仮にも日本ダービーを勝った上に、競馬関係だけでなくテレビや雑誌でも人気になりつつあるスターホースだというのに。
一緒に並ぶ厩務員の西京さんが頷いた。
近くで作業をしていた厩舎スタッフのあんちゃんが驚く。
「なんでですか。ダービー馬ですよ? 誰でも欲しいに決まってます」
「橘オーナーは個人馬主、それも元の事業は父親から引き継いだとはいえ10年足らずで事業を拡大し、成長させた人や。つまり競馬関係者ではなく、言ってしまえばファンが高じて馬主になったといえる」
「……? それがなんで相続に?」
「牧場関係者なんかだったら相続なんていくらでもするやろうが、橘オーナーの周りにいる人達が競馬のこと興味なかったらどうや」
「あっ」
そういうことか。
確かに限定的に相続はできるが、相続さえすればいいというものではない。
馬は生き物で宝石や貴金属のようにはいかない。
維持費というやつがかかるわけだ。
大体預託料として月に数十万円、支払う必要があるわけで。
「橘オーナーも貧しいとまでは言わないが一代で富を築いた人。はっきり言って家全体が馬を持てるほどの富裕層というわけではないんや。預託料を払うのもバカにならん」
「なるほど……でも素人だと賞金稼ぎそうだからという理由で確保しそうですけどね」
「そこは慎重だったんやろな……競走馬だって生き物や。どんな良血でも勝てないどころかデビューすらしないこともある。そう考えたら結構な博打やで」
つまり家族に相続したいという人がいないというわけか。
橘ちゃんと前に話した時『グレっちが生きていける分のお金は用意してっからね!』と言っていた。
それはどうなのだろう。
「あんなにグレ坊を大切にしていた橘オーナーが何もしてないとは思えないんですけどね」
スタッフのあんちゃんが言うと、黒井先生は「それがな……」と肩を落とした。
「預託料に関しては俺に既に支払われてるんや。『もし怪我や病気になった分の治療費や引退後のお金も含めて』と。だから名前貸すだけでええんやけど、競馬なんて全然知らない家族や。実はあとから余計なお金がかかるのでは、そもそもギャンブルだし、と……受け入れが良くないんや。橘ちゃんのお父様も亡くなってるから競馬が好きな人は家族にいなくなってしまったようやし」
「……名前貸すだけでもと説明してるのにこれじゃあ、ちょっと……」
「そもそも家族が亡くなった上に会社のことや他のこともやることたくさんあるんや。言ってしまえば馬のことが後回しになるのもしゃーない」
じゃあ何すか。グレートエスケープくんは競走馬じゃいられないってことすか。
……やべえじゃねえかッ! イヤダイヤダ、ダービー馬になれたのにあっさり登録抹消されて種牡馬にもなれず(そもそも繁殖入りの話なんてしてるわけがない)、どこかに行くなんて。
新しい就職先なんてラッキーパンチ先輩がいる乗馬クラブくらいしか思いつかない。
コネで採用してくれないかなぁ!
「……やばくないですか、先生。西京さん」
「やばいで」
「やばいよ」
俺もやばいと思う。
とはいえ、俺はどこまでいってもサラブレッド。
結局俺を走らせるのは人間であって、俺がいくら意思を見せようと無理なものは無理だ。
こんな形で終わってしまうのか、俺は頭を抱えたかった。
「……希望は僅かながらあるんやが」
黒井先生のその一言が本当であることを、俺は心から祈り続けた。
〇〇〇
栗東トレセンという場所は随分田舎にあるなぁという印象を覚えた。
そして、もっと牧歌的な施設だと思っていたけど実際はひとつの街のようで、その中に熱気と効率を求める無機質さも見えた。
「姉さんはここに来てたんだ……」
私の姉、橘馬奈(タチバナ・マナ)は先月、長い闘病生活を終えた。
父親の事業を継いであっという間に拡大させた姉は終わりを迎えるにあたって、遺言状を用意していた。
適当でふざけているように見えて意外ときっちりしている姉らしい気遣いだった。
その中で、馬に対する内容が含まれていた。
姉は馬主になり、1頭のサラブレッドを所有していた。名前はグレートエスケープ、テレビで聞いたことがある名前だ。
でも、私はあまり興味を引かれるどころか嫌悪感すら覚えた。
競馬はギャンブルだ。
そして、競走馬として大成できなかったサラブレッドの大半は屠殺か実験動物になる。
仮にレースで走っても種牡馬として活躍できなければこれまた行方知れずになってしまう。
私は姉が馬を持つと言うので調べてみて、後悔するほど残酷な世界が広がっていることを知った。
なにも馬が、動物が好きでベジタリアンになっているわけでもないし、今だって馬刺しは好きだ。
ただ、人間のエゴとでもいうのか、それを感じ取ってしまったせいで好きになれないでいる。
それでも遺言状に書かれていたサラブレッドの処遇。
そして、痛み止めのための麻薬で意識が朦朧とする中、その馬の名前を呼び続けていた姿を見てしまえば、無視することは出来なかった。
名義だけ貸すだけでもいいと姉は言っていた。
でも、それはあまりにも無責任な気がした。
馬主になり、レースで勝てば表彰式? のようなものにも出なくてはいけない。名義だけ貸して関係者と話もしないというのは、いくらなんでも失礼だ。
だから私は、その例のサラブレッドをまず見ることにした。
その上で、他の馬主に売却するか、私が相続するか、決めようと思った。
(広い……地図見たけど同じような建物が並んでるし……)
アポイントメントをとって、その馬を管理している黒井先生と話すことになったが、広すぎて迷ってしまいそうになる。
行ったり来たりしながら黒井先生の厩舎へ向かっていると、曲がり角から黒く長い影が地面に伸びていた。
(なにか……いる)
ゆっくりと影が動き出す。
物陰から現れたのは、1頭のサラブレッドだった。
黒く、大きく、そして何よりも草食動物とは思えない鋭い眼光。
一目見て、私は恐怖を覚えた。
(なんでこんなところに馬が……!?)
見上げるほどに大きい馬がこちらを見下ろしている。
草食動物は穏やかなイメージを持たれるが大概そういう生物は臆病なもの。
見知らぬ生き物に驚いて暴れ出すことだってある。
体重400kgを超える生き物に突進でもされたらバラバラになってしまう。
私は恐怖で声を上げそうになったが――目の前の黒い馬はパニックになることもなく、その場でぐるりと回った。
そして、身につけた紫色のゼッケンに名前が書かれていることに気がつく。
(……グレート、エスケープ……この馬が)
一度、姉が病を押してレースを見に行ったとき、ついて行ってこの馬を見ていたがその時よりも大きくなっているように感じた。
あのときの迫力とは違う、落ち着いていて岩のような厳かなオーラを纏っている。
グレートエスケープは一度嘶くと、引き縄を私の前に放った。
「……持てってこと?」
恐る恐る縄を持つと、グレートエスケープが歩き出す。私はどうしようか迷ってから、とりあえずついて行くことにした。
……一応、今の所有権は私ということになってるし、問題は無い、はずだ。
グレートエスケープについていくと、件の黒井厩舎へたどり着いた。
この馬は私を案内したのだろうか。
そう考えると、少しだけ不気味に感じた。
厩舎に着くなり、黒井さんという方が私に気がついて小走りでやってきた。
「初めまして。橘恵奈(タチバナ・エナ)です。姉の馬奈(マナ)がお世話になりました」
「どうも橘さん……この度は御足労頂いて……グレ坊と一緒に来たんですね」
「え、ええ……ついてきたら……流石というべきか、トレーニングセンターでは競走馬は放し飼いなんですね」
「……………………まぁ、せやな」
なんだろう、今の間は。
「で、で! グレートエスケープはどうでしたか」
「どう……ですか」
なんて答えればいいのだろうか。
かっこよさを褒める? いい馬だと言う?
当たり障りのない答えを言えばいいと思ったが、私は不誠実なことのように感じられて、率直な感想を口にした。
「……怖かったです。あんなに大きくて」
「そら、そうやろな」
ぽりぽりと頭をかく黒井さん。
やっぱりもう少し当たり障りのないことを言うべきだっただろうか。
私は昔からそうだ。正直すぎるとよく両親や先生からもよく言われていた。
褒めてくれたのは姉くらいか。
「もう少し近くで見てみますか。あいつをどうするにしても、ちゃんと見ていただきたいですし」
「……はい」
先程私を案内? したグレートエスケープは馬房に入り敷き詰められた藁をかき分けたりよけたりしている。
結構整頓された位置によけられていた。
「頭がいいって言うのは、本当なんですね。姉が言っていました」
「ああ、俺も初めてや。こんなに頭がいい馬は。実は人間が入ってるんじゃないかってくらい人間くさいわ」
「だとしたら、とても辛いでしょうね。勝てなければ殺されてしまう世界で生きていくことになる訳ですから。勝っても、望まれなければ必要とされない……幸せに過ごせるんですかね、その馬は」
そこまで口にしてから、黒井さんとグレートエスケープがじっと私を見つめていることに気がついた。
「す、すみません。素人が偉そうに」
「いや……少し安心したわ。橘オーナーといい、妹さんといい……馬のことを心配してくれている優しい人やって」
「……怒らないんですか? 素人がサラブレッドや競馬のことをわかったように語って、責めているのに」
「事実や。この世界では勝たなきゃ意味が無い。負ければ終わる、人間なんかよりも遥かに残酷な世界や。けど、牛や豚だって人間が食うために生かし、殺している……そこに違いはないやろ。それでも畜産に関わる人間は牛や豚に愛情を注いで育てている。競馬界も同じや」
……私は何も言えなかった。
そして、浅はかな発言をした自分を恥じた。
残酷に感じるのは変わらなくても、偏見や先入観で物を言っていたのは事実だった。
「ごめんなさい」
「謝らんでええ。俺も時々考えてしまうことがある。それでも生きている以上は愛情を持ってやらんとな。こいつらはみんな、可愛くて、かっこええんやから」
黒井さんが見せた笑顔は少年のようにあどけなくて、彼がサラブレッドと、競馬のことが大好きなことがよくわかった。
姉も、こんな笑顔を浮かべていた気がする。
天衣無縫な人ではあったけど、ここ数年は特に幸せそうで、会う度にグレートエスケープの話をしていたのを思い出した。
(この……馬を追えば、私にもその気持ちがわかるのかな)
私にとって姉とは越えられない壁だった。
幼い頃から勉強や運動が優秀かつ誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力があり、子供の頃は嫉妬などよくしていた。
両親は姉を見習えとよく言っていて、私はそれに反発する気持ちを覚えていたこともあった。
そんな私に姉は、泣いてる私に『恵奈ちゃんには恵奈ちゃんのよさみがあって同じよさみはウチにはまったくナシナシの洋梨っしょ。恵奈ちゃんは自分のバイブス上げてパリピってけばおけまる水産よ』と言ってくれた。
意味はよくわからなかったが……言いたいことは大体わかった。
大人になるにつれて、姉と自分を比較することはやめたが……大好きだった姉が亡くなって、正直何故私じゃなかったのかと思う時がある。
あのグレートエスケープも、姉のことが大好きだったのだろう。
テレビで仲睦まじい様子が放送されていた。
「あの馬も、姉が馬主を続けられたら嬉しかったんでしょうね」
「……あいつはびっくりするくらい懐いていたし、橘オーナー……お姉さんも忙しいのにしょっちゅう会いに来ていましたから」
「ええ、いつもあの馬の話をしていましたよ」
癌が発覚し、余命宣告を受けてから姉は塞ぎ込むことが多かった。それでも、テレビでグレートエスケープの話が出る度に、少しだけでも笑っていた。
今思うとグレートエスケープは姉の心を救ってくれていたんだと思う。
「もし……私が相続しなかったら、グレートエスケープはどうなるんですか?」
「……まぁ、今から売却して権利の譲渡は間に合わんやろうし、競走馬登録抹消ってことになるかな」
「抹消されると?」
「乗馬クラブが買い取るか、馬術用の競技馬になるかとか……買い取ってくれるところがあれば余生をそっちで過ごすことになる」
「……この子にとって何が幸せなんでしょう」
「それはあいつに聞いてみんとわからんわ。目を見てみるとええんちゃうか」
私は馬房の前に行き、グレートエスケープの瞳をじっと見つめた。
「……橘さん。その馬房の隣やで」
「……………失礼しました」
横にズレて今度こそじっと見つめる。
透き通った綺麗な瞳をしていて、そこに映る私の姿もくっきりと見えた。
「……全然わかりません」
「せ、せやな」
正直、この馬に抱いたのは不気味な程、頭がいいということと、大きな体から繰り出される威圧感に対する怖いという思いの二つだった。
でも、私が怖いと思っても、姉に元気と希望を与えたように、グレートエスケープが走ることで多くの人を勇気づけるのだろうか。
――だったら、その勇気の芽を摘むことは正しいのだろうか。いや、正しいはずがない。
「――相続します」
競走馬や競馬というものが好きかと言われたら、正直嫌いだと思う。
ギャンブルであり、そしてギャンブルに熱中する人々がいる。でもそれと同じくらい夢を見て、希望を見ている人たちがいる。
せめてこのグレートエスケープが走り抜けるまでは、彼を追ってみようと思った。
黒井さんはただ「そうか」とだけ言った。
穏やかではあったが、彼が笑みを浮かべたのを見て、黒井調教師というホースマンもグレートエスケープが走ることによって救われる人なのかもしれないと思った。
こうして、競馬嫌いな私の馬主生活が始まった。
(なんか知らんうちにまとまった……)
グレートエスケープは蚊帳の外ならぬ馬房の中だった。
×××
瓶のコーラの王冠を開けると炭酸の抜ける小気味いい音が響いた。
キンキンに冷えたコーラを瓶で飲む、何にも代えがたい至福のひとときだ。ハンバーガーが欲しくなる。
休憩時間を過ごす私が座るテーブルの対面にウマ娘が座った。
「どうもスマートファルコン先輩」
「むっ、どうせならファル子先輩って呼んでほしいな」
スマートファルコン……ウマ娘アイドル、ウマドルを自称する先輩ウマ娘。
主にダートを活躍の場としていて後続を引き離す逃げ戦法を得意とする彼女とは、あまり関りがなかった。
私はコーラを飲み干すと瓶を置いて佇まいを正す。
私と相席するウマ娘には二種類いる。
一つは友人として談話をするウマ娘で、サイレンススズカやシンボリルドルフが当てはまる。
二つ目は相談事を抱えているウマ娘だ。
それも、生徒会や風紀委員には言いづらい少しダーティなものが多いだろうか。
後者の場合は関りが薄いウマ娘もどんどん頼ってくる。
今日の相談者はスマートファルコンだったというわけだ。
「それで何の用かな、ファル子先輩。私に何か話があるんだろう」
「実は……逃げ切りシスターズに加入してほしいの!」
「却下だ」
「逃げ切り早ッ」
逃げ切りシスターズとは、スマートファルコン先輩が勝手に組んだ結果思いのほか受け入れが良くなんだかんだで成立してしまったウマドルグループである。
メンバーはサイレンススズカとミホノブルボン。
「何故私なのかね。そもそもメンバーは既に3人いるだろう」
「実は夢で……かくかくしかじか」
「まるまるウマウマというわけか……もう一度言う。断る」
「なんでぇ!?」
「当然だろう。ウイニングライブの練習ならともかく、ウマドルとかいうものになっている暇はない……トレーニングの時間だ。失礼する」
「ああっ、待って、せめて名刺だけでも……」
私は空き瓶をゴミ箱に捨ててカフェを後にすることにした。
しかし、ファル子先輩は諦めきれないのか私の制服を掴んで引き留めてきた。
「待ってよぉ~! マチカネフクキタルちゃんからは逃げ切ろうとするウマ娘が新メンバーって言われてるの! だからお願い、それはもう加入する運命ってことなの!」
「よりによってフクキタルを信じるな! 大体私はアイドルというガラではないだろう」
「そんなことはないよ!」
ファル子先輩は私の前に立つとスケッチブックを見せながら解説しだした。
「可愛いというより綺麗、カッコイイ寄りのエッちゃんはアイドルグループのお姉さん的な立ち位置として人気が出るはず! やっぱり属性は大事だよ」
「それはいわゆるアイドルグループの中で年増扱いされる立ち位置ではないかな」
「う゛ッ゛……エッちゃんはそんなことならないと思うケド……」
「私の目を見ながら言いたまえ」
「でも、でも……とにかく逃がすわけにはいかない! ここはアイドルらしく……実力行使あるのみ! スズカちゃん、ブルボンちゃん!」
彼女がそう呼ぶと物陰から網を持ったサイレンススズカとミホノブルボンが現れた。
「本当にやるんですか……?」
「オペレーション、脱走ウマ娘の捕縛。オーダー受信しました。迅速に確保します」
スズカは恐る恐るというようなへっぴり腰で、ブルボンは相変わらず感情の読めない瞳の色で迫ってくる。
ここで逃走を選ぶことは可能だがちょうど今コーラを飲んだばかりで走ればウマ娘にあるまじき行為を行いかねない。
両手を壁に突いて背中を向けた。
「生徒会以外にこのポーズを取らされるのは屈辱だ……」
「そこまでしなくていいから! エスケープ、みんな見てるから!」
スズカに止められた結果、逃げ切りシスターズと交渉の席につくことになった。
「やはり私がやる必要はないと思うんだが。可愛いアイドルというものに」
「ウマドルだよ」
「……ウマドルには似合わない」
別に可愛くなりたいわけでもないが、客観的に見て私には不向きなものだろう。
背丈は大柄で顔立ちも愛嬌があるとは思えない。
どちらかというと眼光が鋭い方であり、威圧感を与えるタイプのウマ娘だ。
アイドルのように愛想を振りまくのは難しい。
そんな私の意見に対して、沈黙を保っていたミホノブルボンが挙手した。
「意見をまとめますと、『可愛くなる』という条件が達成されれば逃げ切りシスターズの加入を拒否する理由はないということですね」
「いや……トレーニングの時間とかもあるんだが」
「その分多くトレーニングすれば解決できます。スマートファルコンさん、サイレンススズカさん。如何でしょうか、グレートエスケープさんを可愛くすれば上手く行くのではないですか」
一体何を言っているのだろうか。
ブルボンも突飛なことを言う。二人にこいつを止めてくれと視線を向けた。
「なるほど……可愛くなりたいカッコイイ系アイドル……これは大ヒットするはず。具体的にはボクとか言って慌てて私と言い換えるような、身体能力高めの王子様アイドル……トップを狙える逸材だよ!」
「ファル子先輩、それすごく使い古された奴。というか偉大な先人が持ってる属性だろ。スズカ……君からも何か言ってくれ」
「え!? ええと……私としてはメンバーに加入してもらった方が、その、収拾がつくから……」
スズカからはツッコミの悲しい思いを聞き取ってしまった気がする。
そうなると止めてくれる者は誰もいない。
私は諦めて付き合うことにした。
「と、いうわけで! ウマドルならまずはファンに対するアピールが大切! こんな風に……」
ダンススタジオに連れてこられるなり、始まったのはアピールから。
ファンの声援を受けることで人気が高まり、私を応援する声で対戦相手を萎縮させることはできるだろうが、だからといって出来るかと言われると首をかしげるところではある。
しかしファル子先輩は続ける。
「みんなー! 元祖ウマドルのスマートファルコンです! 今日のライブはどうだったかなー?」
『カワイイー!』
ブルボンとスズカの合いの手が入る。鏡に向かって話す姿はシュールだが、真剣な表情からは決してバカにできたものではない。
トレーニングもこれくらい熱心にやるべきと考えると、見習うべき姿だ。
「みんなありがとー! トキメキ☆ウマドル、スマートファルコン! みんな、覚えて行ってね! ……こんな風に!」
「口上が考えつかないのだが……」
「自分の長所とか、チャームポイントを込めるとみんなに覚えてもらいやすいよ?」
長所か。自分のことを考えてから、私は鏡をファンに見立てて宣言した。
「長所は勝つところ……グレートエスケープだ。勝者として最高のライブを届けてみせよう」
指を立てて頂点のポーズ!
やってみるとしっくり来る感じだ。意外といい口上かもしれない。
「ダメー! 全然エッちゃんの魅力を押し出せてないよ! なんというか、こう、もっと可愛く、親しみやすく!」
しかしファル子先輩的にはイマイチだったらしく、ダメだしを食らってしまった。
「む……そうか。ブルボン、スズカ、何か意見はないか?」
「アイドルに必要な可愛らしさには仕草を見せることが重要とデータがあります。可愛い仕草を取り入れてみては。ちなみに一般的にはこういった『きゃるん』『いやん』といった仕草が例に挙げられています」
「無表情だととてもシュールだな……スズカからは何かないか?」
「え!? えーと……やっぱり、常日頃から応援してくれているわけだし、ファンに対する感謝の言葉があってもいいんじゃないかな……」
「あとはエッちゃんは普段の声が低めだから、ちょっと高い声を意識するといいかもしれない!」
「なるほど。では……」
腰まで伸びた長い黒髪をポニーテールに、そして表情を動かしやすいように簡単に揉んでから、鏡に全力でアピールした。
そして音程をできる限り高くするために喉の調子を確かめてから声を出す。
「みんな~! ハピハピ~☆ 今日も一日カワイイ☆ウマドルのグレートエスケープだゾ☆ みんなの応援が私をキラキラにしてくれてるの! だから今日もとび~っきりの声援、よろしくネ☆彡」
今のはだいぶよかったんじゃないだろうか。
アドバイス通りにできたはずだ。
私が振り返るとスズカとファル子先輩は目をそらした。
「ごめん……」
「ごめんなさい……」
「この感情の名前を検索中……該当しました。『痛い』という感情に一致しました」
「よしわかった。全員表へ出ろ」
そんなこんなで、気づけば私をアイドルデビューさせるという逃げ切りシスターズによるプロデュースに取り込まれていた。
元来負けず嫌いな私としては自然とアイドルらしく振る舞えるようにしようと、彼女たちの指導に対抗するようにのめり込んでいった。
そして――
「みんな! 私の、グレートエスケープのライブにようこそ。こんなに集まってくれるなんて感激だ……フフ、今夜は少し、キケンな夜になりそうだな……♡」
『ギャアアアアア!!!!』
絶叫にも似た声援が響く中で、私は歌う。
舞台こそ学園で行うミニライブ(それでもたくさんのファンが駆けつけてくれた)だが、手は抜かない。
全力で歌い、全力で踊る。
衣装も勝負服やウイニングライブ用の衣装ではなく、王冠を載せた王子様風の衣装を身に着けて、最前列のウマ娘ちゃんに投げキッスを送る。
こうして歌いながら踊ることで心肺機能が鍛えられ、ステップも自然と無駄のない動きを意識するようになっていく。
勝利に関係ないと切り捨てようとしたが、意外と何が役立つかわからないものだ。
私はそれが面白くて、笑顔を浮かべながら観客に手を振るのだった。
「あの……ファル子先輩。エスケープはどうしてあんな風に……」
「私気づいたの。ウマドルは可愛いだけじゃない、一人一人に色んな魅力があるんだって。だからエッちゃんは可愛い路線じゃない、王子様路線で全然いいと思ったの!」
「それはもうプロデューサーの仕事なんじゃあ……」
「データから意地悪年上イケメンアイドルタイプは需要が高いとマスターからの指導がありました。素晴らしい判断だと思いますが……メンバーを増やす話はどこへ行ったのですか?」
「あ」
「ウソでしょ……」
のちにアイネスフウジン、マルゼンスキーが逃げ切りシスターズに加入したが、そのお話はまた別の機会に――
〇競走馬ワールド
・橘恵奈(タチバナ・エナ)
橘馬奈の妹で現在は25歳。大学卒業後、手伝うために父の後を継いだ姉の会社に就職。会社は姉が信頼できる役員に任せ、いずれは彼女が継ぐのかもしれないが今はまだ普通の若いOLである。競馬はあまり興味ないかつ好きではなく、テレビでグレートエスケープを知ったのと、昔のオグリキャップ人気を覚えている程度。これからどうなるかはグレートエスケープや周囲次第。
・元ネタ開示「キタサンブラック」
デカくて逃げ先行タイプの競走馬としてキタサンブラックを参考にしています。戦法はアイネスフウジンとウイポのユーエスエスケープ、そしてキタサンブラックですね。
・現時点での元ネタ競走馬
ユーエスエスケープ(父馬、戦法、適性)
ヴィクトワールピサ(ジュニアの戦績)
キタサンブラック(戦法、体格)
実はあと1頭いたりします。これはすごーく薄いテイストなので分かる人は少ないと思いますが、当ててみてくださいね!
〇ウマ娘ワールド
・逃げ切りシスターズ
現在はまだマルゼンスキー、アイネスフウジンは加入していない。グレートエスケープを加入させようとスマートファルコンは企んだが方向性の違いからPに目覚めた。あというほど逃げウマ娘じゃないのも決め手。
アイネスフウジン加入後はグレートエスケープは熱心なファンになったとかなんとか。
・ウマドル「グレートエスケープ」
凛々しい風貌を活かして男装の麗人系アイドルにプロデュースされた。最初は乗り気ではなかったが次第に楽しくなり、時々学園でミニライブを行うように。女性ファンがとても多い。グッズ収入を得られないか画策しているがエアグルーヴに先手を打たれて学園が管理した上でギャラが支払われることに。
・親愛度ランク4
靴のサイズ 左:26.0cm 右:25.5cm