名バ列伝『グレートエスケープ』【完結】   作:伊良部ビガロ

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「お前にも俺並のガチャ運がありゃ最強のウマ娘が――まぁ、相変わらず経済力がカスすぎて目も当てられねえがな」
「……ないもんねだりしてるほどヒマじゃねえ。あるもんで最強の闘い方探ってくんだよ。一生な」

というわけでオープンリーグですけどAグループ2位。勝てなかったよ……


※みなさんの感想が大変励みになっています。どしどし感想を送ってもらえたら嬉しいです!


第15話 グレートエスケープの世界

「あの……エスケープ先輩、ちょっといいすか……」

 

 食堂でトレセン学園特製牛丼を食べていると声をかけられた。

 お盆にハンバーグステーキ定食を乗せた、片目を髪で隠した流星が特徴的なウマ娘、ウオッカが立っていた。

 

「食べながらでもよければ。座るといい」

「アザッス!」

 

 ウオッカ――私の後輩ではあるが、その実力は多くの生徒に知れ渡っている将来有望なウマ娘だ。

 切れ味鋭い末脚は見る者を震わせるスター性を兼ね備えている。

 そんな彼女はどこか落ち着かない様子で、歯切れが悪かった。

 

「珍しいじゃないか。私に『5バ身ブッチぎってやりますよ!』と挑んできたウオッカ君とは思えないな」

「ぐっ……! か、過去のことはいいんすよ! ってか次は勝つっす!」

 

 出会いはウオッカからの果たし状によるものだった。

 宣戦布告された私は手加減することなく全力で走り、5バ身置き去りにした。

 彼女はダイヤの原石だが、まだまだ磨けていない。

 そんな才能任せな彼女に負けているようでは、頂点など遥かに遠い世界になってしまう。

 ただ、格上だろうと臆するなく勝負を挑む姿は嫌いではなかった。

 それ以来、ウオッカを何かと可愛がることが増えた。こうして、何かを相談されるくらいには。

 

「じゃあ聞きますけど……あの……エスケープ先輩って、バイク持ってるって……マジすか」

「うん? ああ。それがどうかしたかね」

「お、おおー! ちなみに……なに乗ってるんですか」

「トライアンフTR6トロフィー」

「うおおおおお! か、かっけぇ、かっけー! しかも大型! 免許持ってるんすか!?」

「そりゃあ持っているとも」

 

 ウオッカはバイクが好きなのを思い出した。

 私はスマホを取り出し、バイクの写真を見せる。

 

「だいぶオンボロだがね。メンテも中々骨が折れる」

「ヴィンテージじゃないすかぁ! うわぁ、いいなぁ……いいなぁ……!」

 

 目がキラッキラしている。

 宝物を見つけた少年のように……あまり比喩になっていないな。

 嬉しそうに写真を見てはすげーすげーと呟いている。

 

「……乗ってみるか?」

「え!? いいんすかぁ〜?」

「最初から期待してただろう……ちょうど、これからシューズと蹄鉄を買いに行こうと考えていたからな。ついでにウオッカ君がどのように選んでいるのか興味がある。意見が欲しい」

「バイク、タンデム……どんな服着ていこうかなぁ。革ジャンで決めるとして……サングラスも欲しいな……うへへへ」

「ダメだ、聞いてないな」

 

 〇〇〇

 

 というわけで午後から買い物に行くことになった。

 制服から私服に着替えてから、ちょっとウオッカが好きそうな格好を意識する。多分喜ぶだろう。

 トレセン学園に密かに設えた隠しガレージから愛車を出す。メンテナンスも昨日のうちに済ませている。

 再度確認してからバイクを押して歩き出す。

 誰かに見つかると面倒だ。

 私も可能なら、マルゼンスキー先輩のように一人暮らしをして堂々と愛車を管理したい。

 あの人はどうやって管理しているのだろうか。

 隠しガレージから出て学園の門へバイクを押しているとエアグルーヴと鉢合わせた。

 

「む?」

「げ」

「……すみません。入校証を確認させていただいてもらってもよろしいでしょうか」

「……うん?」

 

 私ということに気がついていないらしい。

 今の私は格好はヘルメットを被り、サングラスに革ジャンにジーンズという格好だ。

 確かにこれでは顔はわかりづらい。

 とはいえ、生徒証はあっても入校証なんて持っているわけ……あるんだな、これが! 実はこっそり確保していつでも出せるようにしていた。

 嘘だ。本当は母が学校に来た時に持っていたものを返し忘れていた。が、これもこのことを見越してということにしておく。

 そもそもトレセン学園は業者の出入りが非常に多い。

 そのため業者の名札の他にある入校証は簡素なもので、持ってさえいればよっぽど怪しい風体でなければパスできる。

 私は安心して入校証を渡した。

 

「失礼しました。お帰りですか?」

「んんッ……ええ、そうです」

 

 声音を変えて対応するとエアグルーヴが気づいた様子はない。

 これはいけるかもしれない。

 

「では……」

「校門まで見送ります」

 

 ダメかもしれない。

 私はバイクを押しながらエアグルーヴと並んで歩く。大丈夫、あと数十mの距離を誤魔化せばいいだけだ。

 どうせエアグルーヴのことだ、むっつりとしてそのまま校門まで見送るだけだろう。

 と、思っていたのだが、彼女は意外なほど気さくに話を振ってきた。

 

「失礼ですが、生徒の保護者の方ですか?」

 

 もちろん、口調は普段と変わりないが、こうして話を振ることが珍しく見えた。

 ひょっとして私には塩対応なだけでほかの生徒にはこんな感じだとか?

 有り得る。

 この前も栗東寮の監視カメラをジャックして脱走していたし、補習から逃げすぎて先生からトレーナーや生徒会に連絡されたりもしたからな……。

 

「ええと……ご存知かわかりませんが、グレートエスケープの……妹です」

「グレートエスケープさんの……」

 

 母と名乗ろうかと思ったが母は何度かトレセン学園に来ている。

 それに迷惑がかかるのは避けたい。ここは妹の名を騙ることにした。許せ、妹よ。帰ったらトレセン学園の近くにある有名なキャロットプリンを食わせてやる。

 それはそうとエアグルーヴが自分の名に敬称をつけているのを聞いて背中がなんだかかゆくなった。

 礼儀として当たり前なんだけど。

 校門の方を見るとウオッカが……いない。

 まだ遅れているらしい。

 そのためだろうか、よせばいいものを、私は急にエアグルーヴから見た私を知りたくなってしまった。

 

「どうですか、わ、姉は……」

「素晴らしいウマ娘です。ダービーを勝利し、学園でも有数のウマ娘として知られています。トレーニングに余念がなく、それを手本にする後輩ウマ娘も多くいます」

 

 これは他所向けの発言だな。

 もう少し本音が聞きたくなってしまった。

 きっと私に意地悪な質問をする記者もこんな気持ちなのだろうか。

 

「そうですか? 姉は昔はすごく足が遅くて。努力はしてましたけど……そんなに速くなるなんて」

「アイツが………昔から速いものだとばかり」

 

 お、ちょっと言葉が砕けて興味を示しているらしい。

 しめしめ。このままもっと聞いてみよう。

 

「正直姉がダービーを勝つなんて信じられないです。あの姉が……と。運が良かったんでしょうね」

「……いいえ。それは違います。彼女は、グレートエスケープは紛れもない実力でダービーを勝ちました。だからこそ、私はアイツとGIレースで決着を望んでいます。……私のライバルは運だけで勝つような奴ではないのです」

 

 ……やばい、恥ずかしい。

 まさかエアグルーヴがこんなに私を意識しているとは思わなかった。

 彼女はティアラ路線に進み、オークスを制した。

 同世代ではあるが今のところ戦う予定はまだないが、いずれは激突することもあるだろう。

 

「エアグルーヴ……さん、は、グレートエスケープのライバルなのですか?」

「……本人には言わないでくださいね」

 

 そう言って照れ笑いを小さく浮かべるエアグルーヴ。

 なんだか申し訳ないような気がしてきた。

 まだウオッカは来ないだろうか、周囲を見回した時、ちょうど寮からこちらに走ってくる彼女が見えた。

 満面の笑みで、目がキラキラしている。

 

「おーい! エスケープせんぱーーい!」

 

 おいばかやめろ。

 

「……は?」

 

 隣に立っていたエアグルーヴが凍りつく。

 じっとこちらを見つめて、上から下まで視線を繰り返し動かしていた。

 

「まずいな、これは」

「貴様……な……なんの真似だ……これは……?」

 

 エアグルーヴが顔を真っ赤にしてぷるぷるしている。流石に私が誰だか気づいたのだろう。

 本人を前にして本人に対する中々言えない想いを吐き出してしまった彼女の心情を考えると、流石にからかうことはできない。

 私は持っていたタンデム用のヘルメットをウオッカに投げ渡した。

 

「乗れ!」

「……! ッ、っ、っっっ〜!! はいッス!!」

 

 目を輝かせながらウオッカが私の後ろに身を翻した。

 こういうの好きだろうから、ちゃんと反応してくれると信じていた。

 この瞬発力がレースでも発揮されているのだろう。

 流石だ。

 

「待て、グレートエスケープ!!」

「悪いなエアグルーヴ! このバイクは二人乗りなんだ!」

 

 ウオッカが後ろから抱きつくのを確認すると、私はエンジンを吹かし、アクセルを捻った。

 ウオッカと私の頭の中で流れるのは当然大脱走のマーチ。

 TR6のエンジン音を響かせながら街へ繰り出す瞬間は何物にも代え難い多幸感を生み出してくれる。

 

「今のアレなんスか!? 超……超超超かっこよかったっすけど!! 有無も言わさずバイクで逃げ出す……オレもやってみてぇ……!」

「帰った時にどうするか困ってるがな……とりあえずは買い物とタンデムを楽しむとするか」

「ハイっす!」

 

 ひとまずこの後のことは忘れて、ウオッカに愛車の素晴らしさを実感してもらおうとさらにスピードを上げるのだった。

 しかし……これからエアグルーヴと顔を合わせづらいな……。

 

 

 

 ×××

 

 

 

 ジャパンカップまであと数日。

 最終追い切りは栗東坂路で行うことになった。正直調教は嫌いじゃない。もちろん誰かを乗せるのはしんどいし、重いし、息も苦しくなるけどアスリートって感じでテンションがついつい上がる。

 

「調子よさそうだね」

 

 併せ馬をしてくれたダンスパートナーさんが笑みを浮かべていた。

 先日、エリザベス女王杯を制した彼女は勢いそのまま、ジャパンカップに出走することになった。黒井先生としては是非とも獲りたいタイトルなのかもしれない。

 

「ダンスパートナーさんの方はどうですか。疲れてないですか」

「ぜーんぜん! と言いたいけど……ちょっと忙しい気持ちもあるかなぁ……」

 

 苦笑いを浮かべるダンスパートナーさん。

 今日の最終追い切りでは俺に先着を許す結果になったわけで、本調子ではないのだろう。

 

「俺はすぐにでもレースがしたい気分です。なんででしょうね、ダンスパートナーさんの走りを見てから、胸が熱くて仕方ないんです」

「えへへ、嬉しいなぁ……ジャパンカップは頑張ろうね!」

「はい。強敵も多いらしいですしね……」

 

 調教スタンドにはマスコミが大勢押しかけてこちらにカメラを向けている。ちょうど並んで歩いているのもあって、まさにシャッターチャンスだろう。

 ダービー馬とオークス馬の豪華な併せ馬はもちろん、ジャパンカップに出走するメンバーの豪華さによって注目度が増しているような気がする。

 厩舎に戻ったら新聞を読まなくては。

 

「あ、少し待っててくださいね」

 

 少し離れた場所に移動する。

 調教スタンドに向けて自分のゼッケンが見えるように立ち尽くした。多分この角度が一番映えるはずだ。

 追い切りに騎乗していたケンちゃんは特に動じることなく、のんびりと俺のアピールに付き合ってくれていた。サンキュー、ケンちゃん。

 

 

 

 ――世界の名馬に対して、日本馬が挑む! 東京芝2400mGⅠ、ジャパンカップには豪華な出走メンバーが揃った。

 

 そんな見出しが書かれた雑誌を読み耽る。情報収集は大切だ。関係者の間でも、ジャパンカップのメンバーは豪華だと話しており、そのうちの一頭とされる俺も鼻が高かった。だからこそ、無様なレースはできない……いや、したくない。

 

 

 

 今回のジャパンカップで日本勢は、現在古馬王道路線で三強とされるマーベラスサンデー、マヤノトップガン、サクラローレルは出走せず残念だったが、それらに見劣りしないメンバーが走る。

 

〇グレートエスケープ……今回日本勢ツートップとして期待されるダービー馬。父アイネスフウジン、母父シンボリルドルフと流行とはかけ離れた血統だがスタートで躓いた皐月賞を除き、全レースで複勝圏を確保しているまさに世代ナンバーワンのダービー馬。菊花賞ではダンスインザダークの猛烈な末脚に屈したものの、ダービーと同じ舞台でもう一度レコード勝ちを見たい。

 

(写真)最終追い切り後に馬体を見せつけるグレートエスケープ

 

 

 

 どうやら俺はかなり期待されているらしい。

 今までなら嬉しさを感じるとともに、負けられないと思っただろうが、不思議と心は落ち着いている。

 ジャパンカップの日まで、コンディションを整えるだけだ。

 次のページには俺と同じくらい、大きく取り上げられているサラブレッドがいる。

 

〇バブルガムフェロー……グレートエスケープと並んで外国馬に立ち向かうのがこのバブルガムフェロー。今年のクラシックを席巻したサンデーサイレンス産駒と同期で2歳王者だが、春は骨折で全休。しかし復帰後は3歳にして古馬の強豪を抑えて天皇賞・秋を制覇してみせた。2歳のころはグレートエスケープと東西の横綱として前評判を得ていた。この舞台で同期のダービー馬に本当の実力を見せつける。

 

 バブルガムフェロー、春に対戦はできなかったがサンデーサイレンス四天王でも一足先にGⅠを勝利した名馬。もちろん、こいつがダークやイシノサンデー、ロイヤルタッチより上とは言わないが、もしかしたら俺はダービーを勝つことができなかったかもしれない。

 決して容易い相手ではない。

 そのほかにも様々なサラブレッドが紹介されている。

 同世代のマイル王、タイキフォーチュン。秋華賞勝ち馬のファビラスラフイン、そして我が厩舎の先輩であるオークス馬、ダンスパートナーさん。

 日本馬の主なメンバーは全体的に3歳馬と牝馬が挑むという構図。

 続くページには海外馬が多く書かれている。

 

〇シングスピール……パリ大賞、エクリプスSで2着、今年に入ってからはカナディアン国際Sで初のGⅠ勝利を決めるとBCターフで2着するなど実力上昇中。父はインザウイングス、祖父はサドラーズウェルズ。鞍上はイタリアの若き天才ジョッキー、フランクリン・アントリーニが騎乗する。

 

〇ペンタイア……父ビーマイゲストは重賞勝ちまでだがその父は言わずと知れた大種牡馬、ノーザンダンサー。母父は欧州三冠を初めて達成したミルリーフ。勝ち鞍はアイルランドチャンピオンS、そしてキングジョージ(正式名称略)。社来(シャライ)ファームの代表である吉村輝夜(ヨシムラ・カグヤ)氏がオーナーの馬が日本へやってきた。今の日本競馬の立役者ともいえるオーナーの眼には日本で勝てるという未来が見えたか?

 

 その他にも外国からサラブレッドの名前が並んでいるが、特に大きく取り上げられているのがエリシオというサラブレッドだった。

 戦績には世界最高峰のレースのひとつである凱旋門賞を5馬身差でぶっちぎって勝利したとある。

 まさに世界最強クラスの馬だ。

 この馬が断然の一番人気になるだろう。

 もしこの馬に勝てば俺は……世界最強のサラブレッドとして、扱われるだろうか。

 誰かに賞賛されることは嬉しい。

 黒井先生やケンちゃん、厩務員の西京さんやスタッフたち、妹ちゃんにだって褒められたい。橘ちゃんに褒められた時はもっと頑張ろうと思えた。

 けど、それとは違う欲望が溢れ出し、今にも走り出したい思いで一杯になる。

 

 ああ、そうか――これが『勝ちたい』ってことなんだ。

 

 ダンスパートナーさん、ダンスインザダーク、そしてこれまで戦ってきた多くのサラブレッドたちを思い出す。

 これまでは誰かの願いや思いに応えようと必死だった。

 けど、今回のジャパンカップは、勝利のためだけに走ろうと決意を固めた。

 

 〇〇〇

 

「YO! そこのイケてる兄ちゃん♪ 声かけてるのはオレちゃん♪ この舞台で決まるのは最強じゃん♪」

 

 ジャパンカップ当日のパドック。

 調教を終えてからも調子を崩すことはなく、府中競馬場へやってきていた。

 もちろんダンスパートナーさんも一緒だ。

 

「YO! YO! ついにやってきたジャパンカップ♪ お前が刻むのは精確なラップ♪ それを破る俺はお前にとってのトラップ♪ YO!」

 

 ですが、黒井先生……調子を崩しそうです……!

 

「ダービー出てりゃ俺が優勝、お前は凡将、大人しく引退してはどうでしょう♪」

 

 目の前で突然ラップによる攻撃を仕掛けてきた謎のサラブレッド。

 俺は瞬く間に目が死んでいく感覚を覚えた。

 パドックを見ている観客は「わー、向き合ってるー」なんて暢気なことを言っているが俺からしたら宣戦布告やトラッシュトークよりダメージのある、名状しがたい精神攻撃を受けて、暢気していられない。

 

「グレートエスケープ、できるのは逃げることだけ! なんか勝ったことあったっけ♪ YO! 逃げしかないイモ野郎、今日勝つのは俺だろう、その名こそバブルガムフェロー!」

 

 バブルガムフェローと名乗った目の前の奴はふぅ、と息を吐いた。

 

「というわけだ。テメーにゃ負けねえ」

 

 俺はロイヤルタッチやイシノサンデー、ダンスインザダークを思い出した。

 初めて見たときもこんな感情を覚えた気がする。

 懐かしさすら覚えながら、俺は絶叫した。

 

「なんでサンデーサイレンス産駒は頭のおかしいやつばっかりなんだッッッッ!」

「ちょ、ちょっと、エッちゃん、私は違うよ!」

 

 パドックの離れたところからダンスパートナーさんの抗議の声が聞こえたがそんなことに反応する余裕はなかった。

 バブルガムフェローはラップを歌い切って何故か得意げで、言葉をつづけた。

 

「テメーの戦績は同年代を相手にしているだけ♪ 雑魚の中で持て囃されてるだけ♪ 酔っているのは偽りの勝利の酒♪ 勘違い野郎は田舎へGo ahead!」

「……大概何言ってるかわからねーけど、ダークよりはマシだな……」

「お山の大将倒せば最強が誰かみんな理解♪ お前の栄光も破壊♪ 偽りの称号はうるさい♪」

 

 言いたいことはなんとなくわかる。

 だが俺にも譲れないものがある。こういうものは、舐められたら終わりなのだ。

 一度舐められたら、レースでも格下としての走りを強いられる。

 俺はバブルガムフェローにガンを飛ばし、メンチを切った。体格は同じくらいで毛色も同じ、だからこそ対等とは思わせず、自分が格上だと振る舞うように接する。

 

「一つ言っておく……お前がどんな奴を倒したかは知らないが、俺の戦った相手に雑魚はただの一頭もいない。よく覚えておけ、ガム野郎」

「その言葉が雑魚っていうんだよ……芋野郎」

「おいおい、俺を忘れるなよ」

 

 俺とバブルでガンを飛ばし合っているところに割って入る馬がいた。

 視線を向けると、どこかで見た覚えのある顔だ。

 

「お前らと同期のマイルスピード王……このタイキフォーチュン様をな」

 

 タイキフォーチュン、今年のNHKマイルカップを制覇した3歳マイル王だ。

 記憶には薄かったがラジオたんぱ2歳S、弥生賞と対戦したことがあったような気がする。だが、バブルガムフェローにとっては知らない相手だろう。

 

「フォーチュン……YO! YO! 冴えねえ兄ちゃんYO! ここは違うぜマイル、なのに挑む身の程知らずさにこっちが参る♪ イエア!」

「なんだとコラぁッ! テメーッ!」

「見苦しいわ、おやめなさい」

「……君は?」

「ファビラスラフイン。以後、お見知りおきを。ダービー馬さん」

 

 礼儀正しそうにお辞儀をしてみせたのは今年の秋華賞を勝利したファビラスラフイン。

 牝馬三冠路線に進んだ馬は大抵エリザベス女王杯に駒を進めることが多いのだが、敢えて強豪が揃うジャパンカップに挑む豪胆さ。

 穏やかな物腰の裏には誰にも負けないという勝気さが渦巻いている。

 

「ファビラス、お前、俺に負けてるくせにまた挑んできたのか? リベンジマッチのつもりか?」

「興味ありませんわ。あのときはマイルで負けてしまいましたけど、あくまで私の本分は中距離。ここで勝って、本当の女王が誰か教えてあげないといけませんから」

「俺たちを見てねーっていうのか」

「貴方たちではなく、貴方です、見ていないのは。今日は古馬相手に天皇賞を勝利したバブルガムフェローさんに、レコードタイムでダービーを勝利したグレートエスケープさんに挨拶に来ただけですわ」

「減らず口を……」

「HEY! イカすねーちゃんよ……俺を相手に選ぶ眼は信頼! でも芋野郎を同格に見るのは心外!」

「いいえ、同じですわ。勝者たる私にとっての敗者でしかないのですから」

「HEEEEY! 女でもナメてると俺ちゃんキレちゃうぜ!」

 

 バブルガムフェロー、タイキフォーチュン、ファビラスラフインが騒がしく言い合っている。こいつらが同期と思うと気が重い反面、クラシックもだいたいこんな感じだったことを思い出した。

 

「みんな喧嘩しちゃだめだよ! これからもうすぐレースなんだよ!」

 

 止めに来たのはダンスパートナーさん。年上ということで張り切っているのだろうか、彼女はあまりそういうことに向いているタイプではない。

 誰も言うことを聞かずにわーわーと揉めている。

 そこに助け舟を出したのが、また別の競走馬だった。

 

「おいおい、やめようや。外国からのお客さんもおるんやで。あんまりみっともないとこ見せたら、テキのオヤジさんに叱られるちゃうんか」

「HEY! オッサン誰だYO!」

「オッサンて。てか、アンタはこの前も一緒に走ったやないかい。負けてもうたけどな」

「カネツクロスさん……」

「久々やな、ダンスちゃん。エリザベス女王杯はおめっとさん」

「あ、ありがとうございます……」

 

 俺はまったく知らなかったが、ダンスパートナーさんが知っているらしかった。

 

「カネツクロスさんは何度か走ったことがあって、重賞を幾つも勝ってる馬なんだよ」

「ちなみに俺の親父は白い稲妻ことタマモクロスや! グレートエスケープ、アンタは俺と同じ内国産種牡馬を父に持つ馬。仲良くしたかったんよ。よろしくな!」

「ああ、どうもよろしく……」

「じゃ、あいつら止めてくるわ。外国からのお客さんも呆れとるわ」

 

 カネツクロスさんと挨拶をする。

 そしてまだ言い争っている三人をカネツクロスさんが諫めた。

 

「ほら、いい加減にしとき。レースで決着をつけるのがうちらやろ」

「うるっせえぞこのバカ!」

「なんやとバカ言うほうがアホやねんこのアホ!」

 

 結局日本馬は全員言い争いを始めてしまったようで、騒がしいのが3人から4人に増えただけになってしまった。

 早くケンちゃんたち来ないかなぁ。

 

「はっはっはっ。日本のサラブレッドは面白いね」

 

 ゆったりと現在一番人気に推されているエリシオが近付いてくる。

 その後ろに控えるようにして、シングスピールとペンタイアがこちらを値踏みするような眼光を向けていた。

 

「どうも、グレートエスケープです」

「君がこの国のダービー馬なんだね。私はエリシオ。よろしく、いいレースをしよう」

「……随分仲良くしてくれるんだな」

「うん? 当然だろう。僕はただ走るだけだからね。1着をとることが求められている。極東のこの地で、負けてなんかいられないんだ」

 

 凱旋門賞を勝っただけあって傲岸不遜なのではないかと心配していたが、中々どうして勝気なやつだ。

 笑みを交えているが眼はまったく笑っていない。

 俺たちを見てすらいない。

 ダークから見た俺も、こんな風だったのだろうか。だとしたら、めちゃくちゃ悔しくもなるというものだ。

 じっと見返してもエリシオは興味も持たず、俺たちを見ているようで見ていない状態は続いた。

 そんな俺の反応に対して後ろに控えていた2頭が割って入った。

 

「あまり睨むな。レースで走りづらくなるだろう」

「君はペンタイアか」

「ああ。今年のキングジョージを勝たせてもらった。不相応なのはわかっているが、運が良かったんだ」

 

 態度は落ち着いているくせに言うことはいちいち卑屈だ。

 そんなペンタイアを気にすることなくこちらに話しかけてくるもうもう一頭のゼッケンにはシングスピールとあった。

 

「悪い悪い! ペンタイアもエリシオも癖があるやつなんだけど悪意はないんだ! 君がここのダービー馬だね、よろしく。シングスピールっていうんだ」

 

 シングスピールはずいぶんと気さくな奴だった。

 外国からやってきた馬だから、長くは一緒にいられないがもう少し話してみたい、そんな気持ちが良い奴だ。

 

「よろしく。今日は負けないぞ」

「ああ。君たちは競馬後進国といわれているが、油断はしない。もちろん、エリシオにもペンタイアにも、誰にも負けない……勝つのは、俺だ」

 

 力強い宣言に全身の筋肉がぶるりと震える。

 目の前のこいつは今、5番人気だが前評判なんて気にせず、自分が最も強いと信じてこの場に立っている。

 どんな奴にも負けない、自分が最強だというプライドが振る舞いに滲み出ている。

 ただの良い奴ではない。

 そうこうしているうちに、ようやく騎手やテキがやってくる。

 

「よし、グレ坊。行くっしょ」

「一番強いレースをしてこい。今日一番強いのはこいつや」

 

 ケンちゃんが俺に跨り、黒井先生が声をかける。

 この二つがあるといよいよレースなんだ、と気合いが入る。

 そんな俺に妹ちゃんが近づいてきた。

 

「……?」

「……グレくん」

 

 俺のことはそうやって呼ぶのか。

 グレっちの響きも大好きだったが、これもまたなんだか気分がいい。

 妹ちゃんは俺の額を優しく撫でた。

 ぎこちなくて、厩舎スタッフや橘ちゃんと違って、恐怖感や警戒心も感じている。

 それでも撫でてくれるのは、歩み寄ろうという意思なのだろう。

 俺は彼女を怖がらせないように気をつけながら、顔をこすりつける。

 うーん……橘ちゃんとは違う香り。

 

「……怪我しないでね」

 

 心配そうな表情の妹ちゃん。

 怪我は確かに怖い、大怪我で引退とか予後不良なんてしたくない。

 だからといってビビって走らない気なんてさらさらなかった。

 元は人間だろうと、今の俺はダービー馬『グレートエスケープ』だ。

 勝利を必ず掴んでみせる。

 

 

 

『世界からまたしても名馬が集結しました。それに挑むは超新星と女王たち! 第16回ジャパンカップの本馬場入場です』

 

 どうやら一番最初に入場するのは俺らしい。

 そういえば、東京競馬場に来るのは日本ダービー以来だったな。

 あのときは盛大に立ち上がって大歓声を起こさせたっけ。

 

「ケンちゃん、アレやっていいかな?」

「頼むからやめてくれよ……あの時は落ちるかと思ってヒヤヒヤしたんだからな……」

「わかった、やめる」

「まぁ、もうやらないよな?」

 

 まるで通じているかのような会話になったが、もちろん言葉は通じていない。

 けど、俺とケンちゃんの間に言葉は要らないはずだ。

 俺は自らの馬体を晒して大歓声を一身に浴びた。

 

『皆さんの記憶にも新しいでしょう。春に見せた衝撃のスピード、レコードタイム。ダービー馬がここに帰ってきました!1枠1番グレートエスケープ! 馬体重は498kg、プラス10kgです。単勝オッズは3.9、現在1番人気』

「グレスケー! 頼むぞぉぉぉ!」

「あのときの感動をもう一度見せてくれ!」

「凱旋門賞馬に負けるな、日本代表はお前だー!」

「また給料全部賭けてんだ! 菊花賞の分を取り返してくれぇー! 本当に頼むから!」

「キャーーッ! かっこいいーー!!」

「梶田くーん!! こっち見てー!!」

 

 男たちの欲望渦巻く叫びの他には、女性客からの黄色い声援も聞こえた。俺に対する声援だけでなく、ケンちゃんに対する声援も入り交じっている。

 ダービーを勝って以来、ファンが増えたとニヤニヤしていたのを思い出した。

 むむむ、俺の方が人気なんだからな! ……なんてな。若き天才ジョッキーが俺の背に乗っているんだ、嬉しいに決まっている。

 でもちょっと悔しいのでファン増やしてくるわ。

 

「あっグレートエスケープこっちきた!」

「ほんとかっこいい!」

「でけぇなぁ……馬体重も前走もより増えてるし、平気か?」

「ダービーはもう少しあっからな。むしろこの前が絞りすぎてたんじゃないか?」

「……いつまで歩いてるんだ、グレートエスケープは」

「さぁ」

 

 みんなに見せびらかすように芝をぱかぱかと歩く。

 盛り上げて、グレートエスケープという名前を日本中に、世界中に轟かせてみせる。

 

(橘ちゃんにも届くような、すごい馬になってみせるからさ)

 

 世界最強がすぐ傍に来ているのだ、これはまたとないチャンスとすら言える。

 馬場にはエリシオが離れたところを歩いている。続いてペンタイア、シングスピール、ストラテジックチョイスなどなど、外国馬が堂々とターフへ登場していた。

 

(絶対に勝つ……!)

 

 眼光を飛ばし、俺は返し馬で最後のチェックを行う。

 世界最強に挑む戦い、ジャパンカップがもうすぐ始まる――

 

 

 

〈上位人気馬 単勝オッズ〉

 

1番人気 グレートエスケープ 3.7倍

2番人気 エリシオ 3.8倍

3番人気 バブルガムフェロー 4.0倍

4番人気 ペンタイア 7.5倍

5番人気 シングスピール 9.1倍

 

『今回は第16回ジャパンカップ、人気は3頭が少し抜けています。まずは外国招待馬についてお聞きします。解説の安藤さん、如何ですか。やはり凱旋門賞馬のエリシオですか』

『過去の凱旋門賞馬はいずれも凡走しているんですが、この馬はまだ3歳でローテーションにもゆとりがあります。先行するタイプなので展開にも左右されず、地力を発揮してくれると思いますよ』

『続いてキングジョージを制したペンタイアに、BCターフで2着のシングスピール……錚々たるメンツに対抗する日本代表格はやはりこの2頭ですね』

『同じ日本代表でも対照的ですね。片や日本内国産馬の血統を持ち、クラシックを戦い抜いたダービー馬。片や春は全休し、古馬を相手に戦った今をときめくサンデーサイレンス産駒。サンデーサイレンス産駒は今年の牡馬クラシック3戦のうち2勝、この前のエリザベス女王杯でもダンスパートナーが勝っていますし、ノリに乗っていますよね』

『その中で安藤さんの本命はバブルガムフェロー、と』

『鞍上の岡谷騎手は2400は初めてだけど大丈夫と言っていましたしね。馬体もすごく良く見えます』

『3歳馬が世界を打倒するのか、世界が実力を見せつけるのか。ジャパンカップのファンファーレです』

 

 ファンファーレが鳴り響く。

 関東のGIで演奏されるこの曲は皐月賞での苦い敗北と、日本ダービーでの輝かしい勝利を思い出させてくれる。

 このレースが今年最後になると黒井先生は言っていた。

 ありったけの気合いを込めて、全力で勝ちに行って、その後は故郷の牧場で休養タイムだ。

 

「だから、思い切り走れるな」

 

 ゲートに大人しく収まると観客の歓声が一際大きくなる。

 息をフッと吐く。

 橘ちゃん……ダーク……ダンスパートナーさん……少しだけ、自分のために走るということがわかった気がする。

 俺は今、心の底から叫んでいる。

 

(勝ちたい)

 

 って。

 

『全頭収まりました第16回ジャパンカップ、スタートしました! 流石に選ばれた優駿たち、16頭の揃った綺麗なスタートです』

 

 ゲートが開けば内枠の利を活かしてスピードをつけて先頭まで走る。

 

「オラオラーッ、どいとけやぁ! ハナは俺が切るんや!」

 

 外からカネツクロスさんが切れ込んでくる。

 展開次第では逃げると言われていたエリシオは控えて3番手か4番手といったところ。

 人気上位の有力馬は揃って先行している。

 向正面に入る頃には馬群がやや伸びきっていた。

 緩みないペース、かといって今回はハイペースではない。

 

『先頭は1番のグレートエスケープです。ダービー馬が果敢にハナを切ります。2番手に14番カネツクロス、稲葉がいきます。凱旋門賞馬エリシオは3番手、好位につけています。4番手にファビラスラフイン、続いてバブルガムフェローはここ、5番手にとりついています! グレートエスケープは前半1000mを59秒から60秒で経過、これは平均ペースです』

 

 すごい圧だ。

 経験が浅い奴もいたクラシックとは違う、全員がグレードレースで戦ってきた百戦錬磨であり、同じ3歳馬でもGIで勝利するような馬しかここにはやってきていない。

 後ろから俺を狙う威圧感がぴりぴりと背中と脚を痺れさせる。

 まともな精神だったらかかってさらに逃げようとしていただろう。

 

「ダービー馬さんや! もっと逃げなくてええんか? 緩いペースやなぁ!」

「うるせーですよ! 逃げたきゃ逃げりゃいいじゃないですか!」

「へっ、俺のスピードでは結構しっかり逃げてるつもりなんや!」

 

 カネツクロスさんが言葉でつついてくる。

 彼の単勝オッズを見るに、GIでの勝利はまだないのだろう。走りを見ていても、なんとなくほかの馬と比べて一段落ちるように見えた。

 それでも自分が勝てるように手を尽くしている。

 カネツクロスさんだけじゃない。

 ほかの馬全頭が勝ちたいと願って走っているのだ。

 

「それでも負けない……勝つのは俺だ!」

 

 大欅を超えて最終直線へ。ここまで緩みないペースで走ってきた。

 あとは地力勝負だ。

 ケンちゃんの合図とともに手前を変えてスパートをかけた。

 

『最終コーナーに入り先頭はグレートエスケープ! 1馬身と抜け出した! エリシオ、ファビラスラフインが追ってくる! さらに内からシングスピール! 残り400を通過、先頭は依然グレートエスケープ!』

「このままいっちまえ、グレ坊! 頑張れ!」

 

 バカ言うなってケンちゃん。

 とっくに頑張ってるよ。

 後ろから凄まじい馬蹄の音が圧力になって俺を駆り立てる。

 

「クソッ……芋野郎が……なんであんなに速ぇんだ!」

「待てよジャパニーズ……ダービー馬! お前に世界の称号は与えられない……!」

「私は勝つのです。見るものに証明してみせるの、女王は私、ファビラスラフインと! エアグルーヴなどではないのでしてよ!」

「逃がしてたまるかッ! 善戦続きだろうと……勝たなきゃ意味ないんだ!」

 

 後続からの怨嗟にも似た、追い込みがすぐ側まで迫っている。

 恐怖すら覚える熱気にこのまま横へ逃げてしまいたくなるが、そんなことはしてられない。

 偉大なる逃走の逃げ道は目の前に一本道ががっぽり広がっているんだ。

 最適な逃走経路は目の前のまっすぐ、ただ一つ!

 

「エッちゃんがんばれーっ! そのまま行っちゃえー!」

 

 ダンスパートナーさんの声。

 俺は再び手前を変えて息を思い切り吸い込んだ。

 

「うおおおおッ!」

『残り200、先頭はグレートエスケープだ、グレートエスケープだ! バブルは伸びない! エリシオは届かない! ファビラスは追いつかない! シングスピールは捉えられない! 見たか世界! これが偉大なる逃走者だーッ!』

 

 全力を出し尽くしたあとの倦怠感は、不思議なほど気持ちよかった。

 これが勝利の味。

 勝ちたいと願って、満たされたこの想いはどこまでも爽快な味だった。

 

『グレートエスケープ、勝ちタイムはなんと2.23.4! ダービーレコードより早く逃げ切ってみせました! 恐ろしい3歳馬、まさに最強のダービー馬です! アスコットへ、ロンシャンへ! 日本血統の夢を見せてくれる走りでした!』

 

 レース後、1番に近づいてきたのはダンスパートナーさんだった。

 

「エッちゃんおめでとう! すごいよ! 1番に逃げ切って、私も走らなきゃいけなかったのに応援しちゃって……とにかくすごかった!!」

「ありがとう、ダンスパートナーさん。……直線での声援で、力が湧いてきたよ」

「き、聞こえてたんだ……なんだか嬉しいなぁ」

 

 はにかむダンスパートナーさん。

 彼女は中1週で決して楽なコンディションではなかったはずだ。もしも叶うなら、本気の彼女と走ってみたいという気持ちが湧いてきた。

 

「グレートエスケープ!」

「シングスピール……」

「今日は俺の負けだ。最近中々勝ちきれなくて悔しいが……諦めないからな。そしてまたいつか、走ろう! ジャパンカップか、ドバイか、ヨーロッパかはわからないが……」

「俺は――」

 

 なんて答えようか少しだけ迷ってから、ダークのことを思い出した。

 

「――次も勝つ。負けないからな」

 

 シングスピールは嬉しそうに笑った。

 

「グレートエスケープ。君は……L'Arc(凱旋門賞)には来るのか?」

 

 そう声をかけてきたのはエリシオだった。

 凱旋門賞――それは、日本のホースマンがいつかはと夢見てきた欧州で最高峰のレース。

 五冠馬シンザンを超えろ、と馬を生み出し、皇帝シンボリルドルフを生み出してからは世界を制覇しろと日本のホースマンたちは目標をステップアップさせてきた。

 その中で具体的な世界最高峰の舞台とされている。

 もちろん、俺が出たいと言ったところで出してもらえるような場所ではない。

 そもそも凱旋門賞なんて考えたことすらなかった。

 俺が難しい顔をしていると、エリシオは笑った。

 

「もしも叶うなら、その舞台でリベンジをしたい。楽しみにしているよ」

 

 エリシオはそう言って去っていく。

 そこへバブルガムフェローが俺に噛み付く。もちろん、比喩だ。

 

「YO! YO! なにが凱旋門賞、リベンジマッチはどう? まだてめぇにゃ負けられない俺参上!」

「……すまん、よくわからない」

「カッ! 覚悟しておけってことだよ芋野郎! 凱旋門賞に行く前にテメーに100倍でやり返したるってことだ!」

「あら、はるか後方で負けていた殿方の言葉とは思えませんわね。おめでとうございます、グレートエスケープさん。私もいつか貴方に勝ちたいですわ。貴方のような素敵な方となら、また走っても熱い戦いが出来ると思いますの」

「ファビラスラフイン……素敵な、って。けど、次も俺が勝ってみせる!」

 

 ファビラスラフインも、バブルガムフェローも。エリシオ、シングスピールといった馬たちにも、負けない。

 俺は勝ちたいという思いを知ってしまったのだから。

 これからも、走り続けて、勝ってみせる!

 

 ほかの馬たちが引き上げても、俺は――いや、俺たちはまだターフに残っている。栄光を掴んだことを知らせるためのウイニングランが、これから始まる。

 芝生に戻って走ると、ウイニングランでは鞍上への梶田コールが鳴り響く。

 俺の名前は少し呼びづらいから叶わなかったけれど、同じくらい嬉しかった。

 

 口取り式ではガチガチに緊張した妹ちゃんがトロフィーを受け取っている。

 そりゃあそうだ。

 いきなり日本でもトップレベルの馬を持つ馬主になって、表彰されて平気ではいられない。

 橘ちゃんはそのへんヨユーそうだが。

 

「……グレくん」

 

 妹ちゃん。どうだったかな? かっこよかっただろ?

 

「……すごかった。ドキドキした。かっこよかった!」

 

 興奮冷めやらぬといったふうに、俺をべたべたと撫でる妹ちゃん。俺は大人しく撫でられながら、誇らしい気持ちでいっぱいになったのだ。

 ――こうして、俺の3歳シーズンは終えた。

 皐月賞での敗北、日本ダービー、橘ちゃんの死、ダンスインザダークとの戦い……そしてジャパンカップ。

 1年が濃密で、何十年も生きたような錯覚に陥る。

 それでも、俺の競走馬生活はまだまだ続く。

 どこまでいけるか……まだまだ走り続けてみたかった。

 

 

 

 翌年、俺が最優秀3歳牡馬と、年度代表馬を受賞したことでケンちゃんや黒井先生、妹ちゃんが表彰された。

 表彰式には、橘ちゃんの写真も連れて行って貰えたと聞いて、俺は自分を誇らしく思えたのだった。




〇ウマ娘ワールド
・ウオッカ
 俺より強い奴に会いに行くスタイルでグレートエスケープに勝負を挑んだ。いくら才能豊かでも経験や練習量が違ったのでウオッカは惨敗。しかしグレートエスケープにとっては過去の自分と重なるものもあり、世話をよく焼くように

・エアグルーヴ
 実力はあるのだからそれにふさわしい振る舞いをしろと内心常々思っているが前半部分を伝えるのは恥ずかしいので黙っている。

・妹
 そのうち競走馬世界でも出せたらいいなって

・トライアンフTR6
 映画「大脱走」でスティーブ・マックイーンが乗っていたバイク。学園でもメジロマックイーンを乗せたことがあったり。

・免許
 大型二輪免許は18歳以上が取得できるが……どういうことやろなぁ(すっとぼけ

〇競走馬ワールド
今回の被害馬
1.シングスピール
 ここまでは善戦マンで2着などが多かったが史実ではジャパンカップを勝利、その後ドバイWCを制覇するなどここから覚醒していく。今回は残念ながらジャパンカップは勝てなかったが、この後も勝ち鞍あるからひとつくらい貰ってもええやろ!

2.サクラローレル
 本来であれば5戦4勝(天皇賞・春、有馬記念)を制覇し年度代表馬を受賞している。しかしグレートエスケープが6戦4勝(日本ダービー、ジャパンカップ)を制覇したため取られた。
 作中で語れなかったが、日本調教馬で3歳馬のジャパンカップ勝利は初(史実ではエルコンドルパサー、日本内国産馬だとジャングルポケット)なのが主な理由。ちなみに日本ダービーとジャパンカップを同一年に制したのは今のところジャングルポケットのみです。

・岡谷幸男(オカヤ・サチオ)騎手
 美浦所属、史上最多の勝利数を誇るレジェンドジョッキー。皇帝シンボリルドルフの主戦騎手でもあった。

・稲葉文雄(イナバ・フミオ)騎手
 美浦所属のトップジョッキー。ライスシャワーの主戦を務めたことで有名。

・本当は3歳ジャパンカップで馬生編は完結する予定でした。ウマ娘編を同時に書くようにしたらもっと先も書こうとなったのです

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