冷静になろう。これはウマ娘の二次創作作品だからな!!
※感想いつもありがとうございます。更新が早くなったのも感想のおかげです。
※いつも誤字報告感謝しています。誤字が多くてすまない……
「凱旋門賞へ行きます」
黒井先生が俺の馬房の前に集まったケンちゃん、厩務員の西京さん、そして妹ちゃんへ向けてそう宣言をした。
「今年の大目標はここや。まずは日経賞から復帰して天皇賞・春、宝塚記念を獲る。その後はフォワ賞で叩いてから凱旋門賞へ乗り込むで」
「日経賞……ですか。わざわざ関東に行くのはなんでなんスか? 叩きなら阪神大賞典でも良さそうッスけど」
「凱旋門賞の後は有馬記念かジャパンカップを考えてるからや。日経賞は有馬記念と同じコース、ここの走りを帰国後の参考にするで」
真剣な顔つきで質問するケンちゃん。彼にとっては俺が一番のお手馬のはずだ、そりゃあ気合いも入る。
妹ちゃんは所在なさげにしている。競馬知らなければよくわからないよね。
俺は首を伸ばして妹ちゃんに甘えた。
妹ちゃんは戸惑いながら俺を撫でてくれた。
大丈夫、別に仲間外れにしてるわけじゃないから。
「橘さん……それでええですか」
「わ、私にはどういうことかよくわからなかったんですけど……凱旋門賞、が世界で一番すごいレースなんですよね?」
BCクラシックやドバイWC、キングジョージなど色々あるが確かに世界一のレースといっても差し支えないだろう。
黒井先生やケンちゃんも、西京さんも頷いた。
「……グレくんが、グレートエスケープが、海外に行っても……大丈夫なんですか?」
「100パーセント安全とは言えません。ですがこいつは頭のいい馬や。アホなことはしない。もちろん、万全の状態で送り出しますし、万全でなければ凱旋門賞には行きません」
「だったら……私から言うことはありません。よろしくお願いします」
妹ちゃんは深々と頭を下げた。
決して心を開いてもらった出会いではなかったけど、今では俺のことを心配してくれている。
彼女には頭が下がる思いだ。
お辞儀をするとまた撫でられた。嬉しい。
……最近、自分が馬の仕草とかしても違和感を全く感じないどころか人間だったことも忘れつつある。
大体3か4年くらい馬やってるんだもの、そりゃあ忘れる。
「健二! お前下手な騎乗すれば凱旋門賞では乗り替わりやからな、覚悟して乗れよ」
「当たり前っすよ」
平気そうな顔をしているがケンちゃん、俺にはわかる。
鞍上交代は嫌だって顔だ……。
『――以上、第45回日経賞のパドックでした。解説の岡部さん、如何でしたか』
『やっぱり去年のダービー馬、グレートエスケープが一番良く見えますね。去年のダービー以降、少し体重が減っていましたが今回はダービーのときと同じ体重まで戻っています』
『今回は512kg、前走から14kgの増加ということになりますが、これは成長分と?』
『トモの張りや歩容も抜群ですし、風格は充分です。久々ですけど落ち着いていて、入れ込んでる様子もありませんね』
『単勝オッズは現在1.5倍で1番人気です』
パドックを回りながら脚元を確認する。
調子は文句なし。自分のレースは問題なくできるだろう。
こうなるとあとは相手次第なところもあるが……ほかの馬たちからの睨みつけているとすらいえる視線が、度々俺ヘ向けられる。
抜けた1番人気故に当然、マークはされるだろう。
俺が1歩歩く度にぎろりと他馬の視線が向く。
『対抗とされるのは2番人気、ローゼンカバリーでしょうか。4歳馬です。去年、春のクラシックは間に合わず条件馬でしたがセントライト記念を勝利して菊花賞へ駒を進めました。そこでは11着と敗北しましたが年末の鳴尾記念では4着。明け4歳初戦のAJCCを勝利、中山記念では3着と安定しています。今年が楽しみな馬ですね!』
『ここから天皇賞・春、宝塚記念を狙っているでしょうからね。充分立ち向かえると思いますよ』
『他にはマウンテンストーンも楽しみです。ここまで2戦連続2着と惜しいレースが続いています』
『やはり安定して走っているというのは魅力ですよね』
『OP特別2着から重賞挑戦のインターフラッグ、去年のエリザベス女王杯2着のフェアダンスが控えています』
『グレートエスケープは唯一のGI馬として挑まれる立場ですからね。休み明けですがここは格の違いを見せて欲しいです』
周囲の観客の視線も期待に溢れている。単勝オッズが低いだけではない、色んな人気が俺には乗せられているようだ。
日経賞は有馬記念と同じ中山競馬場芝2500m。
黒井先生は有馬記念かジャパンカップか決めるために、という目論見もあるくらいには、勝てるだろうと思われていた。
しかし――俺たちには、懸念がひとつあった。
『馬場はこのまま重馬場で行われそうですね。雨は止みましたが天候は曇りのままです』
『グレートエスケープの不安要素にはそこもありますね。グレートエスケープはここまで走ったレースはいずれも良馬場です』
これまで不良馬場や重馬場でのレース経験はまったくなかった。いずれも良馬場、稍重ですら調教で走った程度。
黒井先生もそこを一番気にしていた。
雨の予報が出たレース前に、俺に悩みを吐露していた。
『重馬場で走ったことが無い馬なんていくらでもいる。だが、お前は大型馬、それもストライド走法や……弥生賞では中山のコーナーを苦にしておらんかったが、そこに渋った馬場が加わるとどうなるかは未知数や』
ため息と共に俺の馬房の前で項垂れる黒井先生。
彼もまた、調教師として勝利を掴むために悩んでいた。
はっきり言って、俺も自信があるとは言えない。
調教はともかく、実際のレースで脚がどんな感触を返すのか、全く想像がつかない。
『……そんなの、レースで負けたら考えればいいじゃないスか。あのシンボリルドルフやオグリキャップだって負けたことあるんスよ?』
厩舎スタッフの若者、白村が仕事をしながら言った言葉によって、結局はレースに出て考えるしかないという結論に至ったのだが。
「健二……今日のレース、無理はするな」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
黒井先生の言葉に、ケンちゃんと俺はもちろん、寡黙な西京さんですら驚きの声をあげた。
あのスパルタで大胆不敵、傲岸不遜な黒井先生が無理するな? 俺たちは思わず顔を見合わせた。
「雨でも降るんスかね」
「雨はさっきまでのはずだ」
ひょっとして黒井先生も体調が悪いんじゃないのか……?
俺達が困惑していると黒井先生が一喝する。
「やかましいわ! 初めての重馬場、それに決して得意とは言えないコーナーがきつい中山競馬場でのレースやぞ。心配くらいするわ」
「休み明けですしね……テキがそう言うなら」
ケンちゃんはぽんぽんと俺を撫でてから、西京さんの肩を借りて俺の背に跨った。
勝負服こそ綺麗だが顔は泥がたくさんついていて、この馬場の荒れ具合を身をもって知っている顔だった。
「わかったな、グレ坊」
俺はそっぽを向いた。
「なっ!? グレ坊、俺の言うことを聞け! あくまでここはGII、こんなところで怪我をしたらどうする! ここはいいレースをするだけで充分やろうが!」
「そうッスよ。グレ坊もムキにならず言うこと聞いた方がいいっしょ。林檎とかくれなくなるかも」
西京さんも何も言わない代わりに俺の引き縄を引っ張り、黒井先生へ向けようとする。
何も俺は怪我をするつもりはない。
だが、怪我を恐れて全力を出さないつもりもなかった。
「俺はダービー馬だ。負けていいレースなんてひとつもない――勝ったレースだけがいいレースだ! そんな舐めた気持ちで走るなら、俺は走らねえ!」
叫ぶように吐き捨てると、黒井先生は歯噛みした。
先生が俺を心配してくれているのはわかる。俺よりも競馬というものを知っているだろうし、ここがゴールでないことも、理解しているつもりだ。
だとしても、これだけは譲れないのだ。全力で走った末に負けるのなら……仕方がない。
悔しいが、また勝つしかない。ダークのときもそうだった。
けど、力を抜いて走るのは違うはずだ。
「グレ坊……俺も、初めてのダービー馬を持って、ビビってたんやろな……」
黒井先生は俺の身体をバシンと叩いた。
「言うからには勝ってこい! ただし、少しでもまずいと感じたら止める! 健二、お前が手綱を握るんやぞ!」
「了解ッス」
西京さんはそっと引き縄を持つ手を緩める。
これは俺の我儘だが――そんな我儘も聞いてくれるみんなのためにも、そして俺自身のためにも、勝ちたい。
「さぁ行くでグレ坊!」
「当然だろ!」
俺は大きく嘶いて前脚を高く振り上げた。
そしてケンちゃんと黒井先生に滅茶苦茶怒られた。
『グレートエスケープ、パドックで暴れ出しました』
『レースがイヤになったんでしょうか。休養明けですからね、カッカしているかもしれませんよ』
俺のオッズが、少しだけ上がったらしい。
〇〇〇
返し馬で足元を確認すると想像以上にドロドロとしていて、蹄の引っかかりが悪かった。
馬場も内側が悪く、特に走りづらそうだ。一見すると芝生は生えそろっているように見えるが、その下は薄く水が張っている。ここから雨でも降ればすぐに不良馬場になりそうだ。
待機所にたどり着くと、縞々の勝負服と縞々の大きなブリンカーをつけた馬に絡まれた。
「よう、ダービー馬。久しぶりだな」
「お前は……ええっと」
「ローゼンカバリーだ。ま、覚えてないだろうがな。あの時の俺は雑魚だったが……今日は違うぜ。それに、中山は俺の庭だ。関西のヤローには負けねえ」
「……ん、ブリンカーずれてるな……」
ローゼンカバリーの騎手がブリンカーを一度外す。するとローゼンカバリーの雰囲気ががらりと変わった。
「うわぁ……一人は嫌だよぅ……寂しいのはやだよぅ……グレートエスケープくん! 置いて行ったりしないよね!?」
「よし……装着完了だ」
「てめーにゃ負けてられねえ、菊花賞でのリベンジだ!」
「あれ、上手く付いてなかったかな……」
「俺一人は本当ダメなんだ! 頼むから一緒に走ってくれよぅ!」
昨日、競馬新聞を読んで、ローゼンカバリーの父馬がサンデーサイレンスということを思い出した。
「なんでサンデーサイレンス産駒は頭のおかしいやつばっかりなんだッッッッ!」
俺の叫びは誰にも拾われることなく、中山競馬場に消えて行った。
ゲートに入り、開くのを待つ。中山は先行勢が有利。しかも芝2500mのコースはコーナーがすぐ目の前にあるため、内枠であるほどスムーズにコーナーに入ることができる。
つまり逃げ馬である俺にとってはスタートが大切になる。
ガコン、と音をたててゲートが開くと同時に俺は飛び出した。
ほぼ真ん中の枠からスタートし、一気にハナを奪ったタイミングでコーナーを迎えた。
――絶好のスタート! このまま逃げ切ってやる!
そしてコーナーを曲がろうとした瞬間に事件は起きた。
『先頭に立ったグレートエスケープおおっと大きく躓いた、いや滑りました!』
ずるぅっと脚が滑り、外側へ膨らむ。
鞍上のケンちゃんもバランスを崩すほどで、あと少しで落馬という状態だった。
「危ねえッ!」
脚に力を込めてケンちゃんが落ちないように踏ん張る。そしてバランスを立て直せるよう、身体をよじって手助けをした。
俺がコーナーで揉めている間に他の馬はすいすいとコーナーを曲がっていく。
辛うじて俺が取りついたのは、11頭中6番手と本来の脚質とはかけ離れた位置になってしまった。
「わ、悪いケンちゃん……!」
慌てることなく、6番手のままレースを進める。スタンド前の直線では馬場が荒れており、スピードも出ないのだろう。ペースは比較的スローで進んでいる。
ケンちゃんの指示に従い、スタンド前直線でスピードを上げて先頭集団に近付く。
外を回ってしまうがこの馬場では先行する以外に選択肢はない。
3番手までつけてから、第1コーナーへ差し掛かる。
が、しかし。
『おおっとグレートエスケープ、第1コーナーでもバランスを崩しているか? スピードが出せません』
スピードを出そうとする度に外へ滑りそうになり、思うように走れない。
中山の急カーブは知っているつもりだったが、馬場が重くなるとこれまで以上に走りづらかった。
「グレ坊、ここはスピードを緩めて走るしかないっしょ! このままじゃいつか転倒して大怪我しちまう! 逃げるのは無理だ!」
ケンちゃんが手綱を思い切り引いて俺を抑えようとしている。
先行するのが有利とはいえ、ここまでノメっていてはそもそもレースにならない。
俺は力を抜いた。
「わかったよ、前に行くのはやめた」
「わかってくれたか……?」
「だが勝ちは諦めちゃいない! 俺は、勝つんだ!」
「グレ坊、お前まだ勝つつもりか……!?」
中団に控えながら第2コーナーへ。
とはいえ打開策はなにも思いつかない。
このまま中団でレースを進めてもサンデーサイレンス産駒のような瞬発力は俺には出せない。
スピードを緩めればコーナーを曲がれるだろうが、加減速はスタミナを消費するし、ほかの馬たちに遅れをとることになる。
(考えろ、考えろ。頭フル回転させてなんとかするんだ……そもそもなんで他の奴らはスムーズにコーナーを曲がれる。体重は精々10から20kgしか違わねえやつもいるし、なんで……)
第2コーナーから向正面に入るその時だった。
芝生の中に一際えぐれた窪みを見つけた。このままでは脚がとられてしまう。この馬場では転倒すら有り得る。
(ま、ずいっ!)
必死に歩幅を縮めて窪みを回避する。
だがしかし、無理な歩幅の変更のせいで体が横に倒れそうになってしまった。
倒れる!
俺は無我夢中になって前に走り体勢を立て直そうとした瞬間、滑ることなく、スムーズにコーナリングをこなして向正面に入った。
(あ……れ? 今なんで曲がれた……?)
転びそうになったのに、むしろ今日一番の上手さで曲がることができた。
俺は先程体を横に倒して――
「――そうか! わかったぞ!」
俺は中山競馬場の向正面の下り坂を利用してスピードを上げた。
ケンちゃんは手綱を引きっぱなしだが、俺は引っかかることを承知で前に進む。
「おいグレ坊、オーバースピードだ! そのまま行けば怪我するぞ!」
「いいやッ、問題はなし! ここからは俺は逃げてみせるさ!」
俺の武器はスタミナを活かした持続したスパートだ。瞬発力がない代わりに、スピードに乗れば長くいい脚を使える。
ここまでの消耗を承知の上で俺は第3コーナーから捲るようにスパートをかけた。
「く……ええい、ままよ!」
ケンちゃんが覚悟を決めて構えた。
俺は泥に脚を踏み入れるなり、体を埒に向かって思いっきり倒した。
そして、脚の回転をこれまでのストライドの広いものから小刻みなものに変えて一気に加速した。
「な、なんだ、急に上手く曲がって……ハッ! グレ坊……お前……自分でストライド走法からピッチ走法に変えたのか!?」
ケンちゃんの驚愕に対して俺は答えなかった。わりと転倒しかねないギリギリの技……技というのも烏滸がましい。
小手先だけの小細工だ。
馬はスピードを出して曲がる時はバイクみたいに体を倒しながらコーナリングをする。
俺も普段は無意識のうちにそれをやっていたはずだ。
だが脚元が悪いのを気にして、体を倒す角度が足りずに脚を滑らせていた。
そしてもう一つ。普段の良馬場であれば急コーナーでも前に脚を出し、倒れる前に進むことが出来ていたが重馬場になることで足の力が地面に伝わらず、結果として地面を蹴れずに芝の上で滑るばかりだった。
それは俺の走りがストライド走法という、歩幅が広く跳ぶような走り方だったからだ。
そこで俺は敢えて歩幅を短くする走法、ピッチ走法にして地面に触れる時間を増やし、バランスを保ちやすくした――その結果が、コーナリングの改善だった。
もちろん良馬場でストライド走法で走る時の方が曲がりやすいしスピードも出やすい。だが今だけは、この走り方でないとスピードを出して曲がれないのだ。
脚の負担も増える。少しでも重心移動を失敗すれば最高速のままクラッシュしてしまうだろう。
だがダンスパートナーさんが、ダークが、怪我にビビって勝ちを諦めるか?
そんなわけがない。俺は自ら手前を替えた。
「いくぞケンちゃん! ここから捲って勝つんだ!」
「よし……これならいけるで……ここまできたら勝つ以外ないっしょ!」
6番手から徐々に進出していく。第4コーナーでは大外に膨らんでしまうが外目の馬場の方がまだ走りやすい。
俺は思い切り脚を踏みしめた。
「うおおおお!!」
「や、やっぱり来たかダービー馬……! だが、カーブも曲がれない奴に、中山で負けてられっかよ!」
丁度内側のローゼンカバリーと併せるような格好になった。
脚に力を入れるが、引き離せない。
「流石に脚はたっぷり残ってるんでな。いくらダービー馬でも、今のお前にゃ負けられねえよ!」
「ぐっ……まだまだァッ!」
息が苦しい。ケンちゃんが俺をぐいぐい押しているが思うようにトップスピードに乗り切れない。
「ここまで脚を滑らせたり、スピードを出したり、大外を回すなどで明らかに余計な疲労がある……きついか……!?」
ケンちゃんの鞭が入るが脚が思うように進まない。
いくら小細工をしようと結局、俺のストライド走法が重馬場には合わないことに変わりはない。
だけど――だとしても!
「根性だけは、負けられないんだああああッ!」
「お前、まだ……!?」
中山の最後の急坂を乗り越える。そして最後、ローゼンカバリーに並んだままゴール板を駆け抜けた。
どっちが先かはまったくわからない。
ただ、とにかく全力で走りきったことだけは確かだった。
併走していたローゼンカバリーが息を切らしながら言った。
「なんて走りだ……あんなチグハグな競馬をしながら並ばれちまうなんてな……やっぱりダービー馬はすげえな」
「ありがとう……けど、もう息もできないくらいしんどい……もうこんなレースはしたくないな……!」
「フン、結局テメーの敵はテメーだけだったというわけか……いけ好かねえダービー馬だ」
ローゼンカバリーのブリンカーがズレているのに気がついた。
俺はそのズレを大きくズラしてやった。
「で、でも最後まで一緒に走ってくれたから寂しくなかったよ! 次は負けないからね! すごい走りだったけど、天皇賞に出るつもりだから!」
……二重人格、いや二重馬格かぁ?
掲示板には写真判定の文字が浮かび、その間に検量室の方へ向かう。しばらくしてから、1着は俺ということで確定し、歓声が上がった。
終わってみれば1番人気と2番人気でワンツーフィニッシュという波乱のない結果となった。
だが俺にとっては危うく負けるかもしれないという大波乱すら感じていたレースでもあった。
苦しみながら勝ち取ったハナ差のGIIは、黒井先生やケンちゃんへ謝らなくちゃいけないなと俺に思わせた。
脚がとても重かったが――これが勝利の重さだと、しばらく俺は苦労の末に勝ち取ったものに、酔いしれるのだった。
×××
元旦の日、トレーナー室でグレートエスケープのトレーニングメニューを練っていると扉をノックされる。
どうぞ、と声をかけると、グレートエスケープが部屋に入ってきた。
「あけましておめでとう、相棒」
彼女に倣ってこちらも新年の挨拶を返す。
「やはり挨拶はきちんとしないとな。それで、今日のトレーニングはどうするんだ?」
トレーニングするつもりだったのか?
グレートエスケープは何を当たり前なことを、と腕を組んだ。
「日経賞まで時間がない。その後は天皇賞も控えているんだ。一日だって惜しい、そうだろう?」
確かに彼女の言うことにも一理ある。
とはいえ、グレートエスケープは焦っているようだ。
一息ついた方がいい、そう思って提案をした。
初詣に行かないか?
「初詣……? 神頼みでもするというのか。それで勝てるなら苦労はしないと思うが」
グレートエスケープは渋っているようだが初詣は大切だと熱心に説得すると彼女はそれなら……と初詣についてきてくれた。
神社は初詣の参拝客で賑わっていた。
「人もだいぶ多いな……参拝するだけで時間が経ってしまうんではないか?」
呆れたように言いつつも、彼女は律儀に並んでくれている。
待っててもいいよと言うと「相棒だけだと変なことを願われそうでイヤだ」と隣に並んできた。
しばらく待つうちに順番が来る。
何を祈ろうか……。
健康祈願、凡事徹底、蓋世不抜……
こちらがこの3つのうちに1つ決めて祈ると同時に、グレートエスケープも柏手を鳴らした。
何を願ったんだと聞くとグレートエスケープは笑った。
「何も。私はただ決意しただけだ。強くなる、と」
本来初詣は一年の決意を神前で誓う儀式だったと聞く。彼女はある意味正しい行いをしたわけだが、ひょっとして初詣を楽しみにして調べていたのだろうか。
「あっ、グレートエスケープだ!」
「本当だ……サインください!」
「この前の勝った時、本当にかっこよかったです! グッズも買っちゃいましたよ!」
「グレートエスケープ……菊花賞から翌年まで休養を選んだウマ娘、今最も注目されているとすら言ってもいい有力ウマ娘だ」
「どうした急に」
「えー、そんなすごいウマ娘なんだ! サイン貰っておこう!」
参拝客の一人がグレートエスケープに気がつくと、みんながあっという間にグレートエスケープを囲んだ。
次々と挨拶やサインを求めてくる勢いに流石の彼女もたじろいでいた。
これまでの彼女なら当たり障りのない返事をして、人混みから逃れていただろう。
しかし、
「いつも応援ありがとうございます。……これからも走りますよ」
一人一人丁寧にサインや握手などを行い、ファンの対応をこなしていた。
初詣は気づけばグレートエスケープのサイン会会場と化した。
参拝客が捌けた頃には日も沈んで夜にさしかかろうとしていた。
伸びをしているグレートエスケープに声をかける。
大丈夫か?
「まぁ……疲れたよ。スタミナには自信があるが、流石にあれだけの長丁場は初めてだ」
初詣のつもりが随分疲れるイベントになってしまった。少し申し訳なくなり、謝るとグレートエスケープは首を振る。
「私も予想していなかったことだ。仕方ないだろう……あの客のほとんどは、私のファンだろうか」
多分、そうだろう。
或いは、今日からファンになるであろう人たちだ。
「あれが全部ではないのだろう? ……随分、多くいるんだな。そして、あんなに私の勝利を望んでくれていたのか」
河川敷に差し込む夕陽によって、彼女の表情を窺うことは叶わなかった。
彼女は河川敷の道から芝生へ降り立ち、河のすぐ側まで歩みを進めた。
芝生から砂利や石で溢れた場所まで出ると、石を拾う。
「これまで私は自分の勝利のために走ってきた。私を勝たせてきたのは、私と相棒の努力だと思っていた。だが……ファンの力というものは、もっと大きな力を持っているのだろうか。それによって、勝たせてもらったのだろうか」
グレートエスケープは小石をお手玉のように手で弄んでから、河へ向けて石を投げた。
平べったい小石は水上スキーのような勢いで水面をすべり、反対側の岸までたどり着いた。
「相棒……私にはわからない。レースでは常に独りだった。もちろん、相棒の手助け無しにここまで勝てなかっただろうが……ファンとか、そういう思いに負けてしまうものだったのか」
きっとグレートエスケープは、なにもファンの声援を無駄だと思っている訳では無いのだと思う。
ただ、ほかのウマ娘が口にするファンの後押しというものがよくわからないだけなんだろう。
――今日、ファンの声を聞いてどう思った?
「どう……って。そうだな……ああ、心地よかったよ。私は知らない相手だったが、賞賛されるというものはやはり嬉しい。勝たなくては、と思わされたよ」
その気持ちがファンの力ってやつじゃないかな。
「……! なるほどな……私だけが勝ちたいと思っているわけではなく、ファンも私の勝ちを望んでいるわけか。なるほどな……ファンの力か……確かに、勝つために努力しなければならないな」
グレートエスケープはダッシュで河川敷の坂を駆け上がると、振り返った。
「少しだけわかったような気がする。きっと、気づかなかっただけで、その声によって背中を押されていたのかもしれないな……相棒! 早く帰ってトレーニングといこうか!」
声をはりあげた彼女に応えて、河川敷の道へ走り出す。
頭が良さそうでいて、意外と悩みがちな彼女のトレーナーは自分で、最初のファンも自分だ。
彼女に勝って欲しい、勝たせたいという思いで一緒に走ってきた――少なくとも一つは、ファンの力が彼女の背中を押していたのだ。
〇〇〇
日経賞当日を迎えて、グレートエスケープは控え室でそわそわしていた。
控え室の中をうろうろしては鏡に向かって髪の毛をいじったり、靴紐をチェックしている。
緊張しているのかと声をかけると、彼女はいいや、と答えた。
「今まで意識しなかったが、ファンが私のために来ていると思うといてもたってもいられなくなってきただけだ」
それを緊張していると言うんだと思う。
グレートエスケープは深呼吸を繰り返していた。
「ファンの手前、いいレースをしなくてはな」
表情を引き締めるグレートエスケープ。本調子に戻りつつあるが、まだ彼女らしくない物言いだった。
俺は彼女と出会った頃を思い出して、言った。
――勝ったレースだけがいいレースだ。
グレートエスケープはぽかんとしてから、大きな声で笑った。ひとしきり笑ってから、こちらに視線を向ける。
身震いするほど冷たく、無情なまでに勝利を貪る鋭い眼光――勝利に飢えるグレートエスケープの瞳がようやく戻ってきた。
「その通りだ相棒。私も、相棒も、そして応援する観客も。誰も善戦なんて求めていない。求めているのは『勝利』の二文字。そうだろう、相棒!」
もちろんだ。
俺は彼女の背中を押すファンとして、トレーナーとして、発破をかけた。
――勝って戻ってこい!
まだ寒さの残る中山に、春と、王者の訪れを予感させた。
日経賞をグレートエスケープは見事勝利してみせた。勝利を掴み、威風堂々に振る舞う姿はまさにダービーウマ娘に相応しい風格だった。
レース後、学園に戻ると……
「らんでぃ~んぐ!」
校門で目の前に小さなウマ娘が現れた。
「エッちゃんレースすごかったね! おめでとう!」
「マヤノじゃないか。ありがとう、どうしたんだ急に」
マヤノトップガン――幼げな風貌をしているがレース展開に合わせた変幻自在な脚質でいくつもの大レースを勝利しているトップウマ娘だ。
ステイヤータイプでもあり、いずれグレートエスケープとぶつかると思っていたウマ娘でもある。
「エッちゃんずっと悩んでる風だったけど、なんだか強くなったみたいだから! エッちゃんは次のレースどこに出るの?」
「まだ正式には決まっていないが……相棒」
俺はマヤノトップガンに次は天皇賞・春を予定していることを伝えた。
京都芝3200mで行われる最も距離の長いGⅠレース。スタミナと勝負根性が溢れるグレートエスケープにはぴったりの舞台だろう。
それを聞いてマヤノトップガンは小さくぴょこぴょこと跳ねた。
「ほんと!? やったやったやったー! エッちゃんと走れる! なんだか今日のレースでエッちゃんすごいキラキラしてたから……きっとマヤと最高にキラキラできるよ!」
自信満々に言ってみせるマヤノトップガン。
小柄な体格だが、彼女の天才的なレース勘で積み上げてきた実績が、ひと際大きな壁のように立ちはだかっているようだった。
「マヤもトレーニングしなきゃ。エッちゃん、天皇賞ではいいレースをしようね~!」
マヤノトップガンはそう言って走り去った。
風のような速さで、あっという間に見えなくなってしまった。
いいレースをしよう、と言われたグレートエスケープは楽しみそうに笑っていた。
「マヤと話すことは多いから、私が常々言っていた『いいレース』の意味を良く知っている」
それってつまり……。
「ああ、宣戦布告だ。――相棒! 次の敵はマヤノトップガンだ。天皇賞・春まで時間がない。全力で仕上げてみせよう!」
闘志に溢れるグレートエスケープはレース後だというのにこのままトレーニングを始めてしまいそうなほど、熱く燃え上がっていた。
元々予定していたレースではあるが、ああも正面切って挑まれたら引くわけにはいかない。
早速、天皇賞・春に向けてトレーニングとレースのプランを練り始めるのだった。
Clear!!
日経賞で2着以内
Next!!
天皇賞・春で3着以内
〇競走馬パート
・「凱旋門賞へ行きます」
だから気に入ったッ!
・今週の被害馬「ローゼンカバリー」
セントライト記念、AJCC、今回の日経賞など中山競馬場のGⅡを多く勝利した競走馬。wikiによると「ブリンカー未着用時の本馬はレース中1頭になると寂しがって鳴き、後から本馬を抜く馬がいると嬉しがって耳をパタパタさせて追いかけてしまった」という。拙作ではブリンカーでキャラが変わる競走馬に。エルちゃん、キミのキャラをとってしまったな……
・日経賞
当初のプロットではもっとあっさり勝つ予定だったが重馬場で行われたことに気が付いて内容を変更。筆が乗ったともいう。
〇ウマ娘ワールド
・参拝
「健康祈願」体力+30
「凡事徹底」能力値+5
「蓋世不抜」スキル+35