名バ列伝『グレートエスケープ』【完結】   作:伊良部ビガロ

18 / 46
※いつも誤字報告感謝します。ハーメルンのUIが7年前くらいから変わりまくって使いやすすぎて震える……誤字修正が楽ちんすぎる……ありがとうみんな……

※感想もいつもありがとうございます。返信追い付かないときもありますがどしどし送っていただけると嬉しいです。その応援が励みになるし頑張れる……恥ずかしがらずにレッツ感想!!




第18話 臨戦態勢

「マヤノトップガン対策会議の時間だ」

 

 グレートエスケープはトレーナー室のテーブルを占拠していた色んな道具を叩き落として、Blu-rayディスクや雑誌、レース記録などがまとめられた資料をドンとテーブルに乗せた。

 私物を置いていたせいでいくつか床に散乱してしまう。この後掃除するのはこちらの役目だというのに。

 レースの勝利を優先するふてぶてしいグレートエスケープが戻ってきたのは嬉しいが、そこは落ち込んでいた頃の彼女のままでよかった。

 

 例:

 普段通りイケイケなグレートエスケープ。

 

「相棒。これとこれとこれの洗濯を頼む。部室がなんだか汚れているな……それはそうと戸棚にあったキャロットチップスは相棒のものか? 美味しかったぞ。私は今日のタイムをまとめておく。ああ、疲れたら先に帰っていてくれ。タイムをまとめたら私もクールダウンしてすぐに上がる」

 

 雑用など押し付けてくるし結構傍若無人だ。これがクラスではクールなちょいワル生徒で済んでいるのが不思議でならない。

 もちろん掃除などはやらなくても彼女は文句ひとつ言わないが、彼女自身そのへんのことはやらないので結局こちらがやらざるを得ない。

 そして彼女は見張ってないとすぐ追加トレーニングをするか、データをまとめようと遅くまで残る挙句、寮の門限を紙よりも容易く破る。

 結局彼女の傍にいないと落ち着かなくなってしまう。

 これが、少し自信を失っていた頃は。

 

「……もうこんな時間か。部室の整理でもするか……相棒、少し休んでいてくれ。いつも迷惑をかけてすまない……コーラ? ああいや、体に良くないだろう。スポドリとアミノ酸でいい」

 

 部室の掃除や雑用を率先してやりつつ、トレーニングについても悩んでタイムが伸びなかったり。

 こちらの方がアスリートとしては良くない状態だったが、一人のウマ娘としてはだいぶやりやすかったのも事実。とはいえ、数日でしおらしい彼女に落ち着かなくなってもっと頑張らないと、と思った訳だが。

 

「……どうした相棒、家事に疲れたか? たまには息抜きをした方がいい」

 

 多分悪気はないんだと思う。

 ある意味レースにストイックなのはいい事だと思う。

 話を作戦会議に戻す。次の春の天皇賞で最も有力とされているのがマヤノトップガンだ。

 俺もだらだら過ごしていたわけじゃない。

 彼女の資料を集めて対策を考えていた。

 

「マヤノトップガンの最大の武器はレース展開に対する勝負勘、そして変幻自在な脚質だ。これまでも逃げ切り、好位抜け出し、4角先頭と異なる戦法でGIを勝利している。相棒もここは知っているな?」

 

 相手なりに作戦を変えられる器用さ、そしてそのレースで最適な戦法を理解する読み、それを実現可能な能力。

 改めて書き出してみるとかなりの脅威だ。

 グレートエスケープはホワイトボードに先程の戦法を記していく。

 

 隣の虎の絵はなに?

 

「マヤノトップガンだ。似てるだろう?」

 

 相槌だけ打って、資料に目を落とした。

 こうして見ると相手の作戦はどうなるか分からない以上、対策の打ちようがない。

 そこが強みでもあるのだろう。

 

「そうだ、だがマヤノトップガンが私を標的にしていると考えたらどうだ。相棒なら私に勝つためにどんな作戦を指示する?」

 

 グレートエスケープは基本的に逃げか先行だ。マイペースで逃がし、離れてしまうと直線で捉えきれない可能性がある。

 彼女に天皇賞・春という3200mの長丁場で勝つことを考えると、スタミナを残しつつ前を狙える位置でレースを進めたい。

 

 ――先行か!

 

「私を標的にするなら、そうだろうな。様々な戦法を取れるように見えて、意外と選択肢は狭められるものだ」

 

 そうなるとマヤノトップガンの上がり3ハロンのタイムが気になってくる。

 去年も天皇賞・春に出走しているがそこでは5着に終わっている。この時も先行し、4コーナーを先頭で回った。どこまでタイムを出せるかと考えると上り3ハロンは前でレースをすればおよそ35秒前後。

 つまりグレートエスケープも同じく上がり3ハロンを35秒前半にまとめれば負けないということだ。

 

「ここで必要になるのは、長距離を走っても最後の直線で踏ん張るスタミナか、ペース配分を整えて脚を溜める戦術のどちらかだ。今から重点的にやるのなら、片方だけだが……どちらがいいと思う?」

 

 スタミナか、戦術か。

 少し悩んでから俺が答えを出すと、グレートエスケープは満足そうにうなずいた。

 

「それならば、後はそのためにトレーニングするだけだな」

 

 〇〇〇

 

 相棒とやることを決めたはいいが、ただトレーニングするだけで勝てるかと言われるとまだ勝算が高いとは言えない。

 私はランニングをしているとコースをマヤノトップガンが走っているのに気が付いた。

 せっかくだから彼女の走りをしばらく見ていくことにした。

 ちょうどタイムを測っているらしく、彼女のトレーナーがストップウォッチ片手に手を振っている。

 天皇賞・春を見据えた3200mのタイム測定だろうか。

 

「いっくよぉ~!! アフターバーナーぜんかぁぁぁぁい!!」

 

 最後の直線、マヤノトップガンは爆発的な加速を見せる。

 小柄なバ体が光の尾を引きながら弾丸と化した。

 なんと表現すればいいだろうか――例えるなら、まさにマッハの末脚。音を置き去りにせん勢いで直線を駆け抜けていく。

 3200mを走って出せる末脚ではない。

 もしもあの末脚が天皇賞でも発揮されたら――私の背中に冷たいものが通り抜けた。

 マヤノトップガンもまだまだ、成長しているということだ。

 

「ただ鍛えるだけじゃ意味がない、か」

 

 菊花賞よりも長い長距離レース経験は中々得られるものではない。

 どうすればマヤノトップガンにも負けない力を手に入れられるだろうか、と考えるうちに、近くを通るウマ娘たちの会話が耳に届いた。

 

「今日食堂のケーキ食べ放題なんだって。早く行こう?」

「実はこの日のためにダイエットしてたんだよねぇ」

 

 ケーキ。スイーツ。ダイエット……私の脳裏に名案が浮かんだ。

 きっと食堂にその人はいるだろう。

 私は食堂へ向けて走った。

 

 と、いうわけで今回のゲストはメジロマックイーンさんです。

 モンブランを口に運んでは頬を緩ませ切って「この日のために生きてきたと言っても過言ではありませんわぁ~……!」と内心で思っているかのようです。

 

「……人の心を勝手に代弁しないでください。それで、何の用ですか。グレートエスケープさん」

 

 メジロマックイーン。天皇賞・春を2連覇し、他には菊花賞や宝塚記念を勝利した最強ステイヤー。安定して勝利を積み重ねる姿に人は歓喜や熱狂を超えて退屈すら生み出したといわれるウマ娘だ。

 大量のケーキをぱくぱくと味わっている小柄な姿からは想像もつかないが、レースに臨めば何倍も身体が大きく見えるほど、圧倒的な風格を持っている。

 

「最強ステイヤーメジロマックイーンに助言を求めたいと思ってね。邪魔させてもらったわけだ」

「そういうことですか。私を頼ってくださるのは嬉しいですが、今私は忙しいので」

「もちろんタダでとはいわない。取引だ。私も無償で何かをしたり、されるのは好まないからな」

 

 メジロマックイーンの眼が細められる。

 つまらないものを出せば私のスイーツタイムを邪魔した報いを受けてもらいますと言わんばかりだ。

 私は懐から一枚のチケットを取り出した。

 

「きみならこれが何か、わかるのではないかな。メジロのお嬢」

「これは……ウマンサンクレールの優待券!? あの超有名スイーツ店のものを……何故貴方が!?」

「少し縁があってね。ここで聞かせてもらおう。お嬢、私のトレーニングに」

「私のトレーニングは厳しいですわよ?」

 

 愚問だったな。

 流石はメジロマックイーン、スイーツを味わうことを邪魔すれば鬼になるという噂は本当なのかもしれない。

 メジロマックイーンが私の差し出したチケットを掴む……が、がっしりと握って離さない。

 

「……? っ……ふっ……!」

 

 渾身の力を込めて握ったまま、渡さない。

 メジロマックイーンも負けじと力を入れて美しい白い頬を真っ赤にさせている。

 

「な、なんなんですの……何故渡してくださらないのですか!」

「まだいつまでやるか、トレーニングの内容も聞いていない。適当な口約束では困るからな」

「一番約束に信用を置けないウマ娘の貴方が何を……」

「私も私が信用がない自覚があるからこそ、契約書にサインが必要なわけだろう」

 

 メジロマックイーンはため息をついて腰掛けた。

 

「わかりました。私もしばらく休養でレースに出る予定はありませんし、ステイヤーとして認められたことに感謝して、協力しましょう」

「スイーツのためだろう」

「ノブレス・オブリージュですわ。とはいえ、私のアドバイスで怪我をされたら困りますからね。ちゃんとトレーナーに話を通してくださいまし」

「当然だとも。相棒に黙ってこんなことをするのは申し訳ないからな」

 

 というわけで、相棒に事情を話すとあっさりOKを貰えた。

 私とメジロマックイーンはジャージに着替えてコースに向かうと、既に相棒が待っていた。

 そのときのメジロマックイーンが持ってきたのはやたら重そうな木箱だった。

 

「グレートエスケープさん。天皇賞までの約1ヶ月、貴方にはこの蹄鉄をつけてもらいます」

「これは……? うっ……重い……!」

 

 メジロマックイーンから受け取った蹄鉄は通常のものより遥かに重く、気を抜けば落としてしまいそうだ。

 

「芝3200mに必要なのはとにかくスタミナですわ。いくら完璧な作戦やスパートのタイミングを掴もうと、最終的に勝負を決めるのは積み重ねてきた基礎トレーニングです。貴方には釈迦に説法かもしれませんが」

「確かに、その通りだ。これをつけて走ればいいのかね?」

「ええ。1ヶ月後、貴方はどこまでも高く飛べる翼を手に入れてるでしょうね」

 

 私はその場でシューズに蹄鉄を合わせ、釘を打ち直した。

 数歩歩くだけで脚が難しい表情をしているようだ。

 だが、これで3200mを走り抜けたなら、実際のレースはどこまで走れる――いや、飛べるのだろうか。

 

「筋トレとコースメニューからだな」

 

 まさに鉄がまとわりついた両足を抱えるようにして、飛び跳ねると着地の時には周囲が軽く揺れているようだった。

 

「ええ。まずはハードル飛越を軽く100からいきましょう。肩慣らし程度ですが」

 

 そういってメジロマックイーンが用意したのはミニハードル。

 

「お嬢、君は意外と根性タイプなんだな」

「メジロのウマ娘たるもの、いつだって優雅に。ですが、時には泥にまみれようと立ち上がる泥臭さが必要になる時もありますわ。もちろん、見せるものではありませんが」

 

 私はまず、ハードルの飛越から始めた。最初の数回は意外といけそうだと思い、2桁を越えてしばらくすると汗をかき、50もやるころには脚が他人のもののように思えた。

 結局、74回で私は地面に倒れ込んだ。

 

「まだウォームアップですのに、倒れ込んでどうするんですの?」

「はぁっ……はぁ……はぁ……ぜぇ、ぜぇ……ふーっ……まだまだぁ!」

 

 脚が産まれたての子鹿のようにガクガクと震える。

 それでも、気合いで立ち上がる。

 今でこそ体格は立派なものを両親から貰えたが、決して誰にも負けないスピードがあるわけでも、無尽蔵のスタミナがあるわけでも、めざましいパワーを持っていた訳でもない。

 けど、根性だけは。精神だけは、負けられない。

 

「う、ああああっ!!」

 

 私は何度も飛び続けた。

 天皇賞はこれよりも遥かに苦しいはずだ。こんなウォーミングアップ程度で弱っていたら、マヤノトップガンと戦うどころか最下位で入線になるだろう。

 

「勝つのは、私だ……!」

 

 地面を揺らす音が響く。

 私は100回を終えると、今度はコースを走って初日から徹底的に自分をいじめ抜いたのだった。

 

 〇〇〇

 

 メジロマックイーンが協力してくれたのは望外の僥倖だった。

 超重量級の蹄鉄を身につけて足に負荷をかけるトレーニング方法。

 下手をすれば怪我の恐れがあるが、そこを管理するのがトレーナーの役目だ。

 彼女には目いっぱい体をいじめ抜き、強くなってもらうとしよう。

 

 あのトレーニングは1ヶ月でスタミナがそれだけつくものなのか?

 

 メジロマックイーンは自分がやっていたからこそグレートエスケープに教えたのだろうが、効果に関しては未知数だった。

 マックイーンは声を上げながら跳ぶグレートエスケープを見ながら答えた。

 

「もちろん効果はありますわ。ですが、それだけで勝てるかといわれたら違います。スタミナもスピードも、地道なトレーニングの積み重ねで強くなるものですから」

 

 じゃあ、何故?

 

「あの表情を見てください。『勝つのは自分だ』という精神力で疲労すらねじ伏せてみせる、そんな顔をしていますわ。ステイヤーとして、その力が必要なのです。根性論だけで勝てるような世界ではありませんが、スタミナが尽きて苦しい時に踏ん張れるかどうか――最後にはやはり、根性が必要だと私は考えています」

 

 じゃあ大丈夫だな。

 

「……? なにがですか?」

 

 ウチのグレートエスケープは、根性だけならどんなウマ娘にも負けないから。

 

「親バカならぬウマ娘バカ……ですわね。ふふっ、ええ、そんな思いもまた、必要なのかもしれませんね……」

 

 夕暮れのコースに、グレートエスケープの悲鳴混じりの叫びが響き渡った。

 

 

 

 ×××

 

 

 

 馬房で休むダンスパートナーさんに俺は尋ねた。

 

「マヤノトップガンって……あと、サクラローレルとマーベラスサンデーってどんな奴でした?」

「んぇ……?」

 

 ついさっきまでお昼寝をしていたダンスパートナーさんはぽけーっとしたまま顔を上げた。

 彼女はジャパンカップの後、有馬記念を走った後に香港のクイーンエリザベス二世カップに出走し、現在は休養中。

 勝利は飾れなかったが短い期間で大レースを何度も走るタフさは流石というほかない。

 そんな彼女は菊花賞や有馬記念などで三強と称された三頭と激突していた。

 雑誌などで情報は集められているとはいえ、やはり実際に共に走った経験からわかるものもあるだろう。

 ダンスパートナーさんはにへらと笑った。

 

「あー……エッちゃんだぁ〜……どーしたのー……?」

 

 完全にオフモードだ。ぽわぽわしてレースのことなんて全く考えてない。

 休みになったらこれだけ気を抜いてしっかり休めることが、繰り返し走るだけの体力を作る秘訣なのかもしれない。

 しかし天皇賞・春はもう今週、今朝には最終追い切りが終わっている。

 ぽわぽわダンスパートナーさんとぽわぽわしてる暇は無いのだ。休みの日に仕事の話をするわけだから、そう考えると申し訳ないけど。

 

「ダンスパートナーさん。ダンスパートナーさん」

「……はっ。あ、うん、なに? き、聞いてたけどもう一回言って?」

「マヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーと走ってみてどうでしたか?」

「うーん……みんなやっぱり強かったよ」

 

 ちなみにダンスパートナーさんと三頭は同期である。特に親交が深いわけではなかったというが。

 まぁ、普通はそうだ。

 

「マヤノトップガンさんは速かったし、サクラローレルさんも飛ぶような末脚が凄かったなぁ……

マーベラスサンデーさんは……うん……ま、マーベラス……」

 

 いったいなにがあったんだ、マーベラスサンデーとの間に。

 ところで、厩舎の外がなんだか騒がしい。

 音から考えるに、調教師の取材に来た競馬新聞などのマスコミだと思うが数が多い。

 耳を立てて盗み聞きをする。

 

「今週の天皇賞・春は如何ですか黒井先生」

「はい、日経賞は重馬場で脚をとられていましたけどその疲労はあまり見せていないですね。ここまでの追い切りも気合いたっぷりで時計も素晴らしいものを出している。ダービーの時よりも好調です」

「相手は初対戦となるマヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーがいますが、力関係はどう見ていますか?」

「グレートエスケープはステイヤー向きの気性と体格をしています。ここは絶対に負けられないですね」

「それでは最後にはファンの方々に一言お願いします」

「私にダービーを取らせてくれた馬ですから思い入れも深いです。次のレースでは皆様にとっても思い入れができるようなレースにしたいです」

 

 一人目の記者の質問が終わるとほかの記者はまた別の内容を確認してくる。

 どんな質問に対しても黒井先生は強気な発言を繰り返していた。

 実際に俺もこの上ないほど絶好調だ。

 今朝の最終追い切りでは坂路を自己ベストタイムで駆け抜けた。

 どこからでもかかってこい、と言いたいがあくまで俺はチャレンジャー。

 初めての3200mという距離はこれまでにない苦難が俺に降りかかってくるだろう。

 

「けど、負ける訳にはいかないだろ」

 

 世代最強と評された今、この距離で勝たなければ称号は取り下げになるだろう。

 そしてここで勝てば、菊花賞で勝ったダンスインザダークの価値もまた上がるというもの。

 

「俺だって勝ちたいからな」

 

 ふんす、と鼻息は荒く。

 気合いを入れると、外から気になる質問が聞こえてきた。

 

「グレートエスケープは先日の日経賞で途中からストライドを変えて走ったと梶田騎手が話していましたが……黒井先生はどうお考えですか」

 

 そういえばそうだったな。

 もちろん骨格に合わない走り方をする以上、負担もかかるし、慣れた走り方の方が速いに決まっているが。

 黒井先生なら笑い飛ばすだろうか。

 あの馬はよく変なことをするだけだ、と。

 しかし、黒井先生は想像だにしない答えを記者に返した。

 

「あの走りはサラブレッドには有り得ない走りやったな。俺も震えたわ」

 

 え?

 

「いや――1頭、その走り方をする馬がいたな」

「ええ、セクレタリアト……ですね」

「あの伝説の馬や」

 

 え?

 ちょっ、まっ……え?

 念の為に説明しておこう。

 セクレタリアトとはXX72~XX73年のアメリカで活躍した伝説の馬のことである。

 あまりの強さに人々は熱狂し、まさに最強の馬としてアメリカでは語り継がれている。

 様々な伝説が彼の馬には存在するが、最も有名なのは彼がアメリカで三冠を達成したベルモントステークス(ダート1マイル½、つまり12ハロン、約2400m)だろう。

 セクレタリアトはこのレースで2.24.0というタイムを記録した。もっとわかりやすく言おう。

 2着に31馬身差をつけ、従来のレコードを2.6秒短縮し、30年以上経っても記録が破られるどころか2分25秒台で走った馬すら存在しない。

 ちなみに俺が勝ったダービーのタイムは2.25.0で俺より1秒速い。ダートなのに、芝を走った俺よりも!

 そんなセクレタリアトがやっていたのは等速ストライドと呼ばれる走り方だ。

 通常のサラブレッドは骨格でストライドが決まっている。だから胴が詰まったストライドが短い馬ほどマイラー、スプリンターとなる。

 逆に胴が長い、特に俺のような大型馬はストライドが広い馬はステイヤー寄りになる。

 しかしセクレタリアトはレース展開やコースで走り方を変えていた。サラブレッドには有り得ないことだ。

 そう考えると、俺も同じようなことをやっているとはいえ、俺のはあくまで小手先だけの技だ。

 本物とは違う……が、抗議できるわけもなく、俺はハラハラしながらインタビューを聞いていた。

 

「グレートエスケープはセクレタリアト級、と?」

「そこまでは言わん。が、あの馬に特別なものがあるのは事実や。これまでダービーを勝った馬たちとは違う、何かがある……三冠はとれんかったけどな」

「なるほど……これは天皇賞で凄まじいレコードが出るかもしれませんね」

「楽しみにしとき」

 

 気づいたら俺は伝説の馬と比べられていた。

 プレッシャーというレベルではない、無理難題じゃないかとすら思った。

 

「黒井先生はグレートエスケープを高く買っているんですね」

「ああ。初めて見た時からこの馬には惚れ込んでいたんや。こいつは凄い馬になる! ってな。調教師をやっていて良かったと思うし、こいつが無事に活躍するなら、こいつと一緒に引退だってしてええと思っとるわ」

 

 黒井先生……!

 そうだ。伝説に届くかどうかじゃない。

 虚勢だろうと、見栄だろうと、勝たなくちゃいけないんだ。

 橘ちゃんだけじゃない。俺に関わってくれた人を、最強の馬に関われた人にしてみせる!

 記者は「おぉ……」と声を上げた後に言った。

 

「そのセリフ、ダンスパートナーがオークスを勝った時も言ってましたね……」

「せやったかな?」

 

 黒井先生……

 と、とにかく、俺は天皇賞・春へ向けて闘志を燃やすのだった。

 

 〇〇〇

 

 天皇賞・春の状況としてまず、世間で言われていたのは『古馬の強豪に挑むダービー馬、グレートエスケープ』という構図だった。

 3強はいずれも父が外国産種牡馬。サンデー四天王を倒し、世界の強豪を撃破した父、母父ともに内国産馬の俺が古馬の最強格を倒すことを最も期待されていた。

 しかし、馬券の人気は意外とシビアだった。

 1番人気はグレートエスケープこと、俺が2.8倍。去年のダービー、ジャパンカップを勝利し、休み明けの日経賞は脚元の不利がありながら1着。

 テレビではスタート直後やコーナーで滑るなど大きくロスをしながら勝ち切る姿に対し「この馬は規格外だ!」というファンの声で溢れていた。

 2番人気はサクラローレル。3.2倍でほとんど差がない。去年の天皇賞・春ではあのシャドーロールの怪物、ナリタブライアンを倒し勝利。去年の有馬記念でも勝利したことで年度代表馬の投票では俺とほとんど同数に近い票を獲得していた。今年は有馬記念から直接天皇賞・春へ出走することになった。

 3番人気、単勝オッズが4.0倍なのがマヤノトップガンだ。一昨年の年度代表馬だが去年はサクラローレルに3敗している。しかしこの前の阪神大賞典では逃げ、先行の戦法ではなく直線で一気に抜き去るレースで勝利している。

 4番人気が単勝オッズ4.2倍のマーベラスサンデー。こいつも去年サクラローレルに負けてこそいるものの、前走のGⅡの大阪杯では快勝してこの舞台にやってきている。

 離れた5番人気にはロイヤルタッチ。こいつと走るのは菊花賞以来、久々だ。

 俺は4枠7番での出走が決まった。

 レース当日、パドックを回っていると、現役最強の呼び声もあるサクラローレルに話しかけられた。

 

「よう。お前がグレートエスケープか」

「どうも、サクラローレル」

「フンッ、澄ましたようなツラをしてるな。自分が特別だとでも言いたげな……俺から年度代表馬のタイトルを奪っただけのことはある」

「なんだ随分と喧嘩腰じゃねーか、先輩」

「人間どもはどうやら理解してねーらしいからな。ここで誰が最強なのか、理解させてやる」

 

 どうやら闘争心バチバチといった雰囲気だ。

 俺だって黙っているつもりはない。ぎろりと睨み返して、ガンを飛ばし合う。

 そこへ割ってきたのがマヤノトップガンだった。

 

「オーケー、完全に理解した。ローレルは嫉妬してんだな。クラシックで華々しい活躍をしてきたグレくんに。わかっちゃったわ」

「トップガン……テメー知った風な口を利くんじゃねえ。テメーだって皐月賞やダービーに間に合わなかったじゃねえか。そもそもオレは怪我で出られなかっただけだ。実力が足りなかったテメーとは違う」

「おお、怖い怖い。グレくん、俺結構気に入ってんだよねキミのこと。なんか親近感あるし? 今日はよろしく」

「あ、ああ、よろしく……」

 

 マヤノトップガンはサクラローレルとは対照的に、随分と軽い奴だった。

 挑発に対しても飄々として、気負っていない様子だ。

 しかし不気味なのは、彼の眼だった。

 俺の目をじっくりと見ながら、ふぅん、へぇ、なんて声を出している。

 見透かすような瞳がなんとも不気味だ。

 

「あれ、マベくんは?」

「トップガン、アイツを呼ぶんじゃねェ。話がややこしくなるだろうが」

「……マーベラスサンデーのことか?」

 

 するとどこからか大きな声が聞こえてきた。

 

「ん? マーベラス……呼んだかい?」

 

 不敵な笑みを浮かべたサラブレッドが姿を見せた。……盛大に小便をしながら。

 

「マーベラスサンデー! テメーパドックで小便するのいい加減やめろッ!」

「ローちゃんはこのマーベラスさを理解してないねえ……キミもやってみるといい。とってもマーベラスだよ」

「誰がやるかボケッ!!」

「あっはっはっはっ。マベくん相変わらずだねえ。キレはどう?」

「ふ、マーベラス。すごい出た」

「何の話をしているんだテメエらはッ!」

 

 マーベラスサンデーは小便を出し終えると、ふぅ、とやり切ったような表情を浮かべた。

 そして俺を見た。

 

「中々マーベラスな素質があるね。強いサラブレッドというのはよくわかる」

「……ど、どうも」

「だが実力を知るには、もっとだ……見るべきものがある」

「はぁ」

「――放尿している姿を見れば、実力すらも理解できる。そういうわけだ。キミもマーベラスな体験をしよう」

 

 俺はそっと笑みを浮かべた。

 一度視線を足元に下ろしてから、声を出して小さく笑った。とても乾いた笑みだった。

 そして叫んだ。

 

「なんでサンデーサイレンス産駒は頭のおかしい奴ばっかりなんだッッッッ!!!!」

 

 俺はサクラローレルと少しだけ仲良くなった。

 ちなみにこの後、ロイヤルタッチやローゼンカバリーと少しお話をしたのだった。そういえばこいつらもサンデーサイレンス産駒だったなと思って話していたが、やっぱり頭のおかしさを節々に感じさせた。

 大丈夫だろうか。

 天皇賞・春をちゃんと走り切れるか、不安になってきたのだった……。

 




〇ウマ娘ワールド
・今回はちょっとアニメシナリオ的な修行回。ようやくVSウマ娘ができるようになったので。あとはトレーニングシーン大好きなので。

〇競走馬ワールド
・マーベラスサンデー
 史実でもパドックで放尿する癖があったらしい。なぜだろうか。

・テンポの都合でカットしたロイヤルタッチとの会話

「久々じゃねえか芋野郎」
「元気してたか?」
「ケッ、バブルの野郎にも勝って俺らの中じゃすっかりテメーが大将格か。見とけよ、あの3強とかも関係ねー。勝つのは俺様、ロイヤルタッチだ」
「そういやダークは今カワイイお嫁さん選びで忙しいんだって」
「やっぱアイツからぶちのめすか」
「アイツさらっと自慢してくるのクッソむかつく」

 ちょっとした同窓会でした。

・同じくローゼンカバリー
「テメーを独りで走らせて負けるのは御免だ。徹底的にマークしてやる」
「手が滑った。ブリンカーずらしちゃったごめん」
「もうわざとでしょ! というか一人で逃げるのはやめてくれよ~寂しくなるだろぉ~!」
「牡にそんなこと言われてもな……(ダンスパートナーさんには言われたいかも)」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。