というわけで天皇賞・春スタートです
※19話やってまだ4歳始動と考えるとウマ娘編同時進行しててよかったな本当に
天皇賞・春は京都を舞台に行われる。
菊花賞よりもさらに長い、ステイヤーたちが鎬を削る最高の舞台。
本馬場に入場すると歓声が俺を出迎えた。
何度聞いても、観客からの欲望、期待、願いの籠った声は俺を高揚させる。
『雄大な馬体を見せるのは4枠7番グレートエスケープ。増減は-3キロ、509kgでの出走です』
「キャーー! こっち向いてーー!」
「グレくーーん!」
「今月も給料を増やしてくれーっ!」
大観衆が競馬新聞を丸めて振っていた。
まるで大海の水面のように不規則で荒れた波だ。
待機所まで颯爽と駆け出すと、歓声が一際大きくなった。
返し馬を終えて待機所で話しかけてきたのは、またもサクラローレルだった。
「カッ! 大人気なことだな、ダービー馬」
「ローレルはやけに突っかかるな。大人気ないぞ」
「ふん、大人気なくもなる。去年は特に調子が良かった。昔から弱かった脚が強くなったのもそうだが……去年は年度代表馬になるチャンスだった。それをテメーが持っていっちまったからな……タイトルがあるかないかで、俺の価値も変わってくるってもんだ」
「そうか。でも奪って悪かったな、と言ったら怒るだろ?」
「当たり前だ。俺が言いたいのは去年の話じゃねえ。今年は去年の俺を超える……今年の目標は凱旋門賞だ。そこで日本馬初のタイトルを手に入れて、競馬を見てるやつすべてを納得させてやる」
凱旋門賞――俺も同じく目指している最中だ。
別に天皇賞に勝てなくても凱旋門賞は出走できるが、だからといって「負けでいいです」とはならない。
「俺だって負ける訳にはいかない」
「その理由はファンの期待とやらか?」
確かにファンや、関係者のために走っていた。今でも、彼らのため勝利を届けたいという気持ちにも嘘はない。
でも、それと同じくらい、俺の心には燃え盛るものがある。
「いいや。俺は俺のために勝つ。勝って、最強を証明してみせる」
「アハハッ! 二人とも燃えてんじゃん! グレくんもローレルにビビらないし、かっこいいねぇッ」
飛び込んできたトップガンとマーベラス。
返し馬を終えて準備完了の雰囲気を漂わせている。
「ま、大体わかったよ。レースがどうなるか。その上で言っちゃうけど……勝つのは俺、マヤノトップガンだ。今回の予想はマジで当たるぜ」
「うーん、マーベラス。マヤくんのそういう予想はよく当たるからね」
「ケッ、勝てないかもとほざいてた去年の天皇賞・春と有馬記念は確かに当たってたがな。負けることは誰にでもできらぁ」
「そうだね。マーベラスな予想だけど、やはりマーベラス。君の放尿具合から見て調子がいいのはわかっているけど、それに勝つからこそマーベラス。今日のパドックでの放尿のキレもよかったからね」
「マベくん俺がパドックで小便してたって嘘つくのやめてもらっていい?」
なんだか雰囲気がおかしくなってきた。
ローレルを見るとなんだか微妙な表情で、俺と目が合った。
『それはそうと苦労してるんですね』
『見ればわかるよな……苦労してんだよ』
ライバル関係でバチバチとしつつも、同情と諦観に関してはとても気があった雰囲気を見せていた。
ついに発走時刻直前となり、ゲートへ向かう。
ゲート前につくと3頭は軽口を叩かず、ただ無言でゲート、そしてその先を見据えていた。
じんわりと肌が湿る感覚。
この汗は冷や汗かと思ったが、徐々に熱くなる体に安堵を覚えた。
体が、脚が、燃えるようで、フワフワとした感覚。
係員の誘導に従いゲートへ入ると今までと違い、不安や焦燥でいっぱいになった。
今頃になって緊張している自分に少し笑ってしまいそうだ。
天皇賞・春――ここを勝って、最強のサラブレッドになってみせる!
『天皇賞・春、さぁ行こう。スタートしました。全頭揃って飛び出しました大きな出遅れはありません。果たして何が行くのか』
ケンちゃんからグイグイ押されて先行を促される。俺たちのいつもの勝ちパターン、マイペースで逃げ切る作戦でいく予定だ。
五分のスタートから一気に先頭へ躍り出た。
しかし外から競りかけてくる馬がいる。
ビッグシンボル――俺と同じ逃げ、先行馬だけあってハナは簡単に譲りたくないらしい。
「ダイヤモンドS、阪神大賞典とここまで長距離レースを2着……ステイヤーとして目覚めつつある俺を捉えられるかな? ダービー馬よ!」
「そうか。じゃあ先にどうぞ」
「……あれぇ?」
『ハナにたったのはビッグシンボル、ダービー馬を制して行くのはビッグシンボルです。ダービー馬グレートエスケープは2番手に控えました。鞍上西井が果敢にハナをきりました第115回天皇賞・春。グレートエスケープは2番手に控えてタマモハイウェイ、メジロランバダ、エイシンホンコンが続きます。そしてロイヤルタッチ』
ビッグシンボルにこのまま行かせて2番手をついていく。
先頭を走るビッグシンボルのペースはまぁまぁで俺のマイペースで走れる展開。
サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンは少し離れて後ろにいる。
「1頭くらいはついてくると思ったが、中団に控えたか?」
ケンちゃんの反応からしてすぐ側にいるわけではないらしい。最初の第3コーナーの坂を登り、下っていく。
1周目の第4コーナーではレースは落ち着き、このままスローペースになりそうな雰囲気だった。
ホームストレッチを走ると大歓声が上がる。
少し気合いが入るが、体が硬くならないように力を抜いた。
気を入れすぎても力んで余計な体力を消費してしまう。あくまで気合いを入れるのは最後の直線だ。
「よしよしグレ坊、いい力の抜け具合だ」
『先頭を走るのはビッグシンボル。“大きな”心臓にモノを言わせて逃げ切るのか。レースを引っ張ると思われたグレートエスケープは2番手、これはスローペースになりそうだ』
正面スタンド前掲示板に映るレース映像を横目で見ると、3強はいずれも中団にいた。
マヤノトップガンは中団やや後ろ、内側で落ち着いており、サクラローレルは対照的に外目。そんなサクラローレルをマークするように不気味にマーベラスサンデーが後ろにつけていた。
時計では62秒程度、淡々と落ち着いて第2コーナーへ入っていく。
『正面スタンド前を通り過ぎて大歓声が湧き起こります。1番人気、日本血統の底力を見せつけたいグレートエスケープは2番手でゆったりと追走。ビッグシンボルを眺めているようです。サクラローレルはここにいました、もう一度カメラで見たいサクラローレルは中団外目、それを見るマーベラスサンデー。マヤノトップガンはおおっ、やや後方に位置を取り折り合っています』
向こう正面に入るまでレースは動かず、各々が騎手と折り合い、勝負どころまでの準備を進めていく。
このままスローペースになるかと思われたが残り1800m程でレースが、サクラローレルが動き、観客がどっと湧いた。
『おおっとサクラローレルが先団を狙っているぞ! これはかかってしまったか、行ってしまったぞ! 鞍上の館山典佑(タテヤマ・ノリスケ)はどうなんだこれは。マーベラスサンデーもこれをマークして上がっていく。マーベラスサンデー鞍上滝カナタ、サクラローレルをマークする構えです』
すぐ後ろまでサクラローレルが上がってきたのが見える。まだ残り1600mはあるのにもう上がってきたのか?
押し出されるように後続もペースが上がり、先頭のビッグシンボルがスピードを上げた。
このペースならついていける、前のビッグシンボルも直線でバテるだろう。
「よう、ダービー馬。捕まえに来たぜ」
「かかってるんじゃないのか、ローレル。まだ距離は長いぜ」
「ケッ、あの先頭のガキはともかく、テメーを楽に逃がしたらそのまま行かれちまうのはわかってんだよ」
外回りの第3コーナー、淀の坂を登る。
当たり前だが1周目以上にきつく感じ、その上ですぐ下り坂でスピードが出すぎてしまう。
そうなると第4コーナーで速度が出すぎて大きく膨らんでしまい、ロスに繋がる。
長距離レースでそれはかなりの負担になるだろう。
(ペースが速い……! レースの中盤からぐっと速くなったからか……!)
『春の天皇賞にしては珍しい入れ替わりの激しいレースとなりました。淀の第3コーナーを越えて坂を下っていきます。おお、グレートエスケープが動いた動いた、第4コーナーを前に先頭に躍り出ます』
ビッグシンボルが想定より早いタイミングでバテはじめた。中盤、それも早いタイミングから落ち着く間もなくペースが上がった影響だろう。
俺はどうだろうか……まだ、いけそうだ。
息を入れて、このままロングスパートをかけてスタミナで押し切るべく、手前を変えた。
『ここでグレートエスケープが動いた動いた動いた! 日本血統のスタミナで逃げ切るのか、しかし怖いローレル、マーベラスがついてきている! トップガンは後ろで少し苦しいか!』
「第4コーナー手前で速度を上げるなんてヘボ騎手とアホ馬だな! そのまま外に膨らんでロスしちまうぜ!」
どの馬かわからないが、俺を揶揄する。しかし、そんなことわかりきっている。
「いいや、そうはならない。なぜなら、勝つのは俺だからだ!」
コーナーだけストライドを狭めて馬体を横にいつも以上に倒す。
速度を落とさずにブレーキをかける真似は脚への負担がかかるがそのために最終コーナーまでとっておいた、とっておきだ。
カーブをスピードを落とさずに曲がりきると、後続から驚きの声が上がる。
「な、なんだとォーッ!?」
内埒から離れきらず、かといってぶつからず、速度を落とさず。
後ろを少しだけ突き放した感覚を理解した。
「このまま――ッ!」
直線を向いた途端に、脚が一気に重くなった。
体力が底を尽きかけて、思うように脚が出なくなっている。早い話がスタミナ切れ寸前だ。
百里を行く者は九十里を道半ばとす――こうしてみると確かに、直線で力尽きるのがよくわかる。
「よぅ……人気者……! このペースでまだ走ってるのは褒めてやる……!」
「マーベラス! このペースはマーベラス……でも……勝つことでなお、マーベラス!」
マーベラスサンデーとサクラローレルが競りかけてくる。残り300m、まだ粘らなくてはいけないのに並ばれてしまっている。
ダメか――!?
俺の弱気を吹き飛ばすのは、ケンちゃんの左ムチだった。
「粘りきれ、グレ坊ッ!」
首を下げて、鞭をバシバシと俺のトモに叩きつけるケンちゃん。
そうだ、いつだって俺を助けてくれたのはケンちゃんで、最高の戦友なのだ。
「うおおおッ!」
「まだ粘るか……だがテメーにゃ何より速度が足りねえ! 瞬発力の戦いになれば、特にそれが出てくる!」
アタマ分前に出ていたはずの差が埋まり始める。
そうは言うがマーベラスサンデー、サクラローレル共に限界近くまで体力を消費しており決して余力が残っている訳では無い。
ならば後は勝負根性の戦いになる――!?
歓声が一際大きくなった。
まだゴールは先だ。先頭集団はまだ団子状態のままのはず、だとしたら何が起こって――
『おおっと外から何か突っ込んでくる! トップガンだトップガンだトップガンだ! 外からマヤノトップガンが追い込んでくる!』
「アイ・コピー……完全に理解していたよ、この展開も」
マヤノトップガンが外から一気に並びかけてきた。
この超ハイペースでなぜこれほどの脚を残せているのか。それは、予め脚を残せるように後方待機していたからで……
「この展開を読んでいた……のか……!?」
「グレくん、君はすごい奴だ。マトモに逃げや先行で挑んだら負けたか共倒れだったかもしれないが……俺はどこからでも正攻法の戦いができる」
驚きながらも必死に追従する。
残り200mでマヤノトップガンが俺たちより先に出ているのが見えた。
「マーベラス……! そんなに余裕に……!」
「余裕なわけないよ、マベくん。ギリギリで脚を残せるペースで、それでも限界まで速度を出してもまだわからないんだ……! だが……勝たなきゃ意味が無いッ! 見ていろ、俺の末脚をッ!」
トップガンがさらに加速する。
スピードが足りない。ここからマヤノトップガンを上回る速度を出すにはどうしたらいい。
ローレルの言う通り、体格と血統共に一瞬のスピードに欠ける俺ではここから巻き返すのは不可能に近い。
酸欠になりゆがみ始めた視界、必死に頭を捻る。
スピード、瞬発力、俺の血統と体格――
『トップガンだトップガンだ、マーベラスサンデーとサクラローレルが並ぶ! もう一度グレートエスケープ、すこしヨレながら粘る粘る!』
――一瞬のスピード。スプリント適性、セクレタリアト……。
無我夢中になりながらもう一度手前を変える。
これはスタミナを回復させる訳では無い。今からやるのは、一か八かの賭けだ。
脚がズキリ、と痛む。それでも俺は――負けたくない!
「うああああッ!」
ぐん、と加速する感覚を覚える。
小手先だけの手品のようなものでも、どんな手を使ってでも勝ち切りたい。
我武者羅に脚を動かす中で、身体がガクンと沈み込み、ローレル、マーベラス、トップガン、三頭より少しだけ前に出た。
『四頭が並ぶ、三強か、新星か、固まったまま!』
視界がぐにゃりと歪む。
頭がぼーっとして身体がふわふわと浮いているような心地で。
なんとか、勝てた――の、か?
「――はっ!?」
一瞬、意識が飛んでいた。
いつの間にか余計な力が抜け、身体が楽になっている。
少し遅れて、背中にケンちゃんが乗っていないことに気が付いた。
「――グレ坊」
見下ろした先にケンちゃんが立っていた。
まだここはターフの上。
たとえレースが終わっても検量室に行くまで下馬してはいけないはずだ。
だというのに、ケンちゃんは俺の頭を優しく抱きながら、周囲の係員をジェスチャーで呼んでいる。
「大丈夫だ。きっと良くなる。今は冷静に、落ち着いて、暴れるなよ……」
なにやってるんだよ。
天皇賞・春はどうなったんだ。ついさっきまで走っていたはずだろう。
下馬している暇なんてないはずだ。
どういうことだ――半ばパニックになりながら見上げたターフビジョンには、1着から順番に、4番、8番、14番、7番、16番と、順位が表示されていた。
4着――つまり、負けた。勝てなかった。
現実を理解しはじめてから、じわじわと体にレースを終えた疲労感が溢れ出し――右前脚に焼けるような激痛が走った。
「ぐ……うッ……!」
今までに感じたことのない痛み。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれなんだこれなんだこれなんだれこれ――!
痛みで思考がまとまらない。正常な判断を下せない。
痛みのせいで頭がどうにかなってしまいそうで、それを振り払うように頭を上下に何度も振った。
「グレ坊落ち着け、怪我が悪化しちまうっ……大人しくしろ……良い子だから……」
ケンちゃんが繰り返し俺を撫でる。
その言葉に少しだけ冷静さを取り戻し、深呼吸を繰り返した。
心臓が脈打つのに合わせてその度に激痛が右脚に走った。
係員の誘導に合わせて馬運車がやってくる。
「おい、芋野郎ッ!」
振り向けば、ロイヤルタッチが息を切らしながらこっちへ視線を向けていた。
いつもの見下したような、偉そうなツラではなく、心配そうな顔だった。
「てめぇ……脚を……」
右脚の激痛。
これはきっと、そういうことなのだろう――それでも俺は、言葉にはしなかった。
「俺より後ろで入線したのに、心配か?」
「バッ……てめぇ……次こそは負けねえよ! だから……だから……さっさと次のレース出て来いよ!」
俺はその言葉に対して、曖昧に笑うだけで約束はしなかった。
結局、天皇賞・春は3強に遅れること半馬身差の4着という結果に終わった。
しかし、レースの結果以上に、今もなお激痛を訴えてくる右脚が俺の心をじわじわと蝕んでいた。
×××
ついに迎えた天皇賞・春、当日。京都レース場には10万人近い観衆が押し寄せている。
メインレースの一つ前、第10レースの最後の直線なんてGIレースと遜色ない歓声が上がっていた。
会場の熱気を聞きながら、控え室で私は化粧のための鏡を見つめていた。
顔色は、よし。寝癖もない。
間違いなく絶好調。私はシューズを履き替えてから、蹄鉄をまだ交換していなかったことを思い出した。
「忘れるところだった……」
昨日ギリギリまで特訓していたから、重量級の蹄鉄のままだった。
蹄鉄を打ち直して履き直すと、足に凄まじい違和感が迸った。
軽い……あまりにも……。
決して不快感ではなく、試しに跳ねてみたら天井にぶつかってしまいそうだと、杞憂ではなく本気で心配するほどに調子がいい。
一歩出すとそのまま走り出してしまいそうだ。
「それが超重量級蹄鉄の効果のひとつでもありますわ」
いつの間にかメジロのお嬢が部屋に訪れていた。
ノックはしましたわよ? と先んじて断りを入れてからお嬢は言った。
「重い荷物を下ろしたあとの解放感。やはりメンタルは重要です。実際に付いたスタミナ以上の走りを引き出す精神状態のはずですわ」
「お嬢、感謝する。ウマンサンクレールはどうだった?」
「最ッ高ッでしたわ! モンブランの甘さは多幸感を引き出し、それでいて口説くないパティシエの熟練の技を舌で味わう悦びは何物にも変え難く――し、失礼しました」
喜んでくれたようでなによりだ。
お嬢は佇まいを整えると、拳を握り激励した。
「とにかく、私が特訓に付き合ったんですから勝たないと承知しませんわ」
「当然だとも」
私は勝負服の指ぬきグローブをはめ直した。
気が引き締まり、気づけば嫌な緊張感は消えて高揚感で満たされていた。
「いい表情ですわね。では、スタンドから見ています。ご健闘を」
お嬢はそう言うと控え室を後にした。入れ替わるようにトレーナーがやってくる。
メジロマックイーンが来たのか? と言うトレーナーに対して「応援されたよ」と答えた。
「不思議な気持ちだ。今までは自分が勝つために走っていた。メジロのお嬢が協力してくれるのは交換条件があったからで私の勝敗には興味無いと思っていた。それでも勝って欲しいと願うようになるというのは……それだけ特訓に真剣に手伝ってくれていたのだな」
相棒はきっとそうだ、と頷いた。
控え室にレース場のスタッフがやってきた。もうすぐパドックです、の声に私は立ち上がった。
「さぁ、行くぞ相棒。マヤノトップガンにリベンジだ!」
威勢のいい返事が聞こえてから、「リベンジ?」と聞き返された。
「……私、今リベンジと言ったか?」
相棒が頷く。
私はまだマヤノと模擬レースはともかく、実際のレースでは勝負したことはない。
なんで自分でそんなことを言ったのか、わからない。
「……なんでリベンジなんだろうか」
トレーナーと一緒に首を傾げながらパドックに向かう。しかしその疑問も、道中で作戦を話すうちに忘れてしまうのだった。
「エッちゃんの勝負服ってさー、モチーフはマフィアとか、ギャング? ワイルドでかっこいいよねー!」
「そういうマヤノこそパイロットみたいでかっこいいな。どこまでも飛んでいけそうだ」
ゲート前ではどこまでも軽やかに言葉を交わす。
今更勝つとか、負けないとか、言い合う必要がないことはよくわかっている。
お互いの心にはただ『勝つ』というどこまでも純粋な熱気が立ち込めていて、肌を焼くほどの緊張感となって放出されている。
「マヤノ!」
「なぁに?」
私はゲートに入る直前の彼女を呼び止めた。
握り拳を作ると、小さく掲げる。
「無事に走りきろう」
マヤノはつぶらな瞳をぱちぱちと瞬かせると、同じように拳を作ってこつん、とぶつけてきた。
「アイ・コピー!」
そう言って別れると、ゲートへ体を進ませた。
すべてはこの時のために。
私はゲートが開くのを静かに待った。
『本日の天皇賞・春は実況は赤坂、解説は細江さんでお送りしています。さぁ、全バ共にゲートに収まりました。変幻自在に舞い踊る音速の翼か、それすらも逃げ切って魅せるのは逃亡者か。淀の舞台で繰り広げられるドッグファイトの結末は如何に――天皇賞・春、スタートしました!』
踏み込んだ地面に爆発を起こしてやる気持ちでゲートを飛び出す。
完璧なスタートを決めるとハナを主張し走り出した。
『やはり先頭を行くのはこのウマ娘! グレートエスケープ!』
『彼女の脚質には合っていますね』
『続いてラージマークが続いて、マーベラスサンデーは中団、マヤノトップガンは後方です! 今回は思い切った作戦に出ましたね細江さん』
『どこからでも走れるのが彼女の魅力です。末脚に期待しましょう』
マヤノトップガンは後方と予想とは真逆の位置に彼女はいた。
だが私は想定通りのレースで進めている。
何も問題は無い。
正面スタンド前ではペースを落ち着けるべく、力を抜きつつストライドを大きくした。
〇〇〇
「マヤノトップガンは最後方。取れる手段は二択、早めに捲るか直線一気のレースをするつもりだろう。だがグレートエスケープの力を考えると捲り戦法ではスタミナが持たない。ならば取るのは直線一気のはずだ」
「どうした急に」
「しかしグレートエスケープはレースのインタビューなどでも有名なように非常にクレバーなウマ娘だ。マヤノトップガンのレースはある意味一か八かの戦法。破れかぶれの選択だとしたらかえってグレートエスケープにとっては楽になるだろう」
「そうか? 距離を離そうとかかるんじゃないか」
「彼女のことだ。一定のセーフティリードを保って逃げる戦法だろう。対するマヤノトップガンは感覚派だ。先行の正攻法ではないレースを選択するということは、何か見えているのかもしれない……!」
「つまりどっちが有利なんだ!?」
「ひとつ言えるのは……みんな頑張れーッ!」
「おおおおおおおおおお!!!!」
〇〇〇
正面スタンドを通ると大歓声が聞こえてくる。
余計な力は入らない、むしろ嬉しくなって、リラックスできた。
隊列はやや縦長でレース展開は落ち着いている。
スローペースのままだ。
だが――相棒はスローペースにはならないだろうと予想していた。
私、グレートエスケープは自己評価抜きに、実績のあるウマ娘だ。
逃げウマなのもあり、多くのウマ娘がマークしやすい標的ともいえる。
故に私の動きに合わせてスパートをかけてくるウマ娘が多数出るため、後半からペースが一気に速くなるだろう、と相棒は語る。
(――なるほど。マヤノが下がったのはそれか)
このレースで有力なウマ娘は私とマヤノ。
マヤノまで前につけていたら、他のウマ娘にまとめてマークされて思うようなレースができなくなるのを恐れていたというわけだ。
だとしたらマヤノは後ろに下がってなお私を差し切る自信を持っているということ。
『第3コーナー淀の坂を越えていきます。後続が一斉にスパートをかけていきます。グレートエスケープが捉えられる、ダービーウマ娘はここまでか!?』
(いける!)
(ここから……!)
(いける!)
私を突くウマ娘たちのそんな心の声が聞こえてくるようだ。
しかし作戦通り私は焦らない。
抜かれても、ペースはあくまでマイペースのままで走る。
残り300m、私がマヤノだったらここからスパートをかけるだろう。
その直前で、一気に脚を弾けさせた。
『おおっとグレートエスケープがもう一度速度を上げて先頭に変わる! ここからだ、ダービーウマ娘はここからだ!』
第4コーナーで外に膨らむ集団の内側から一気に走り抜ける。
直線に入ったウマ娘の中から、1人だけ風を切り裂いてやってくるのがわかった。
「やっぱり来たか、マヤノ!」
「もっちろん! 思ってたスパートのタイミングと違ったけど、勝つのは私だもん!」
『外に持ち出したマヤノトップガンがグレートエスケープに並びかける! グレートエスケープは粘っている!』
3200mを走ったことは初めてだがマヤノは経験がある。その差はきっと思っている以上に大きなもののはずだ。
今回の作戦や戦術はその経験の差を埋めるためのもの。
大歓声にかき消されて聞こえないはずなのに、スタンドから相棒の声が響く。
「作戦を練ろうと結局、あとはマヤノトップガンより速く走れるかどうかに懸かってるんだ! 全力で走れ、グレートエスケープ!」
そうだ。いくら作戦を練ろうと、結局最後は実力差での勝負になるんだ。
レースに勝つのは相手を出し抜いた方じゃない。
最初にゴール板を駆け抜けた方が勝者だ。
『マヤノトップガン迫る! マヤノトップガン迫る! 抜かせない、抜かせない、グレートエスケープが抜かせない!』
後ろから聞こえる苦しそうな息遣いはマヤノのもの。
苦しいのは彼女だけじゃない。
私だって今にも肺が、脚が千切れそうだ。だが、私の心はまだ折れていない。
肺が破れるなら破れろ。
脚が千切れるなら千切れろ。
例え体がバラバラになっても構うもんか。
負けて泣き叫ぶことに比べたら、遥かにマシだ――!
「おおおおおおおッ!」
「うあああああっ!」
絶叫に近い雄叫びが喉からひり出される。
視界の隅に、観客の姿が映る。
祈るように腕を組む女はなにを願っているのだろう。
私のぬいぐるみを握りしめて声を張り上げる青年は私の勝利を疑っているのだろうか。
若者に負けない迫力で叫ぶ老人はこのレースをなにを見出しているのか。
(ああ――レースは、こんなにも多くの人たちが見ていたんだな)
自分のために勝ちたい。けど、それと同じくらい――レースを見ている人々に興奮と歓喜を与えたい。
彼らが見せてくれる景色はきっと、私の心を震わせてくれるだろう。
(そうだろう……相棒……!)
観客の中にただ一人、腕を組み、じっと見つめている男がいる。
微塵も疑いを浮かべていない瞳に映るのは、きっと私が走る姿だ。
ずっと、信じてくれた。
私が私を疑っても、私を信じてくれた貴方に贈るのは――勝利の栄光、ただ一つ。
「絶対に、かああぁぁぁぁぁつ!!」
体をガクンと沈ませる。
ほぼ倒れ込むような姿勢になりながら、体を前傾させた。
そして――
『グレートエスケープだ! グレートエスケープだ! 音速からも逃げ切るウマ娘、それがグレートエスケープ!!』
ゴール板を駆け抜け、反射的に拳を突き上げた。
心臓の鼓動と必死に空気を出し入れする呼吸の音がうるさい。
それすらかき消して、レース場の観客が大歓声を上げた。
『天皇賞・春の勝者はグレートエスケープ、なんとレコードで決着!』
私は拳を突き上げたまま、ふらふらと後ろに倒れ込んだ。
もう立っていられない。
視界がぐるぐると回って、ただ興奮した観客たちがいつまでも大歓声を上げていた。
隣にどさりと音がする。
顔だけ傾けると、マヤノトップガンが前のめりに倒れ込んでいた。
「はぁ……はぁ……マヤノ……私の勝ちだ……」
「ぜぇ……ぜぇ……悔しいなぁ……」
鼻をすするような音。視界の端でマヤノが涙を拭う仕草を見せた気がしたが、きっと汗が目に入っただけだろう。
私は起き上がらずにマヤノの手を握った。
「だったら、何度でも走ろう。天皇賞・春だけじゃない。有馬記念も、宝塚記念も、ジャパンカップも。そしてまた、全部勝ってみせる。勝ち逃げはしないし、させないからな」
マヤノは私の手を握り返すと「アイ・コピー」と言った。少しだけ笑ったのを聞き遂げると、起き上がった勢いそのままマヤノを立ち上がらせる。
そして、思い切りハグをすると、観客がどっと湧いた。
「エッちゃん。今度は勝つよ。リベンジ返し!」
「次も負けないさ……また走ろう、マヤノ」
表彰式が終わると、いよいよウイニングライブが始まる。シニア級の王座決定戦とすらいえるレースの晴れ舞台では柄にもなく緊張しつつあった。
そわそわしている私をマヤノと3着のマーベラスサンデーが笑う。
相棒に助けを求めると、いつものグレートエスケープでいい、と。
それでいいのか。
だが、それ以外も思いつかないのでその意見を受け入れた。
「……相棒。レース中、ずっと私を見つめていたが、あれはどういう意図だったんだ?」
少し緊張が解けたのもあって、相棒に話を振ってみる。レース中でも捉えられる動体視力があるんだぞというちょっとした自慢のつもりだったが、と相棒は驚くことなく答えた。
――俺のグレートエスケープが負けるはずないと信じてた。
俺の。俺のグレートエスケープ。
その言葉がやけにくすぐったくて、レースを終えてシャワーも浴びたと言うのに、なぜだか急に顔が熱くなった。
「俺の……だなんて。勘違いを招く発言はやめておけ。……ばか」
私は顔を逸らして吐き捨てると、マヤノとマベにライブが始まるまでいじられ続けた。
スタッフが私たちを呼びに来ると、流石に二人はからかいはしなかった。その代わり、軽く手を合わせて、ライブの成功を祈った。
――頂点を目指し駆け抜け、そして頂へ至った者だけが歌える曲『NEXT FRONTIER』のイントロが流れ出す。
今日のレースを見届けた10万人近い観衆がサイリウムを振る様は圧巻の一言。
それでも、ここがゴールではない。
力の限り先へ――まだ、頂点へ至ったとは思っていない。
まだ、次の最前線(フロンティア)がある。
そして私は、グレートエスケープは、次の戦いでもきっと勝利し、いつかは頂点へたどり着いてみせる。
そんな誓いを胸に、私は高らかに歌い上げたのだった。
目標達成!
天皇賞・春で3着以内
Next
宝塚記念で3着以内
第19話ED曲『NEXT FRONTIER』
〇競走馬ワールド
・ロイヤルタッチ
史実ではこのレース、怪我で競争中止している。のちに復帰し、ジャパンカップや有馬記念を走るも引退している
〇ウマ娘ワールド
・ウマンサンクレール
とてもおいしいスイーツ店。ウマ娘でもスイーツ食べ放題が許される優待券を手にメジロマックイーンは幸福の絶頂に至った。
・親愛度ランク5
家族のこと 母はギャル語を使いこなし、姉妹と間違えられることがよくある
次回予告
「エッちゃん。次こそ負けないよ!」
瞬間、グレートエスケープの脳裏にあふれ出した、存在しない記憶。
「どけ! 俺はダービー馬だぞ!」
明かされるグレートエスケープの正体。謎深まる関係!
次回、名バ列伝グレートエスケープ第20話
『ゴルシちゃん大勝利! 希望の未来へレディー・ゴーッ!』
嘘です。