名バ列伝『グレートエスケープ』【完結】   作:伊良部ビガロ

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いつも感想ありがとうございます!励みになります!とかいっておきながら更新遅くてすんませんした!!


第24話 覚醒

 蹄を鳴らしながら部屋へ入るとたくさんのシャッターが瞬いた。サングラスをしていなければ即死だったろう。

 軽く一言挨拶をしながら、椅子に座ることは出来ないので、マイクが並べられたテーブルの前に立つ。

 馬装もきっちりつけた正装。会見に臨むなら当然である。

 

「ただいまより、黒井厩舎所属グレートエスケープ号による記者会見を開始させていただきます」

「本日はお集まりいただきありがとうございます。今日、会見させていただくにあたって、お伝えしたいことは……えー、私、グレートエスケープ号は、4歳シーズンの有馬記念を以て……」

 

 涙ぐむあまり少し言葉に詰まってから、言葉を続けた。

 

「今年の有馬記念を以て、引退させていただきます」

 

 顔を再び上げ、言葉を発した瞬間にフラッシュが瞬いた。

 挨拶を終えると質疑応答の時間となる。

 手を挙げる記者を指名し、質問が怒涛の勢いで飛んできた。

 

「今回の引退という判断に至った経緯を、お聞かせください」

「一番は、えー、身体能力の衰えといいますか、思ったような戦績を残せない、走りができないことですね。グレートエスケープという競走馬を、ファンの皆さんにお見せ出来なくなっている……それが一番ですね」

「社来グループで種牡馬入りの報道がありました。巨額のシンジケートが組まれているとも……その影響ですか?」

「いえ、違います。種牡馬価値を評価してもらえるのは嬉しいですけど、お金の問題ではありません」

「同じく報道ではシンジケートの価格について交渉決裂し、別の種牡馬場、それか現役続行かとありましたが……」

「決裂自体がないですね。詳細は後々詰めるとして……今はまだ、考えさせてくださいと一旦は保留させてもらいました」

「種牡馬価値を釣り上げるための交渉という声もありますが……」

「釣り上げる気持ちなんてありません。ただ、色んな生産者の評価を聞きたい気持ちはあります。グレートエスケープというブランドをそこで終わらせていいのか……どうすれば今後の私にプラスになるのかを熟考させていただいています」

「率直な今のお気持ちをお聞かせください」

「……黒井厩舎が大好きなので。っ……辛いです……喜んで引退するわけではないということは、理解して欲しいです」

「シルクジャスティス号、メジロブライト号といった年下の牡馬相手との競合を避ける意図はありますか?」

「……ありません。負けない自信はありますが、社来グループさんからもお話を頂いていまして……」

「結果的には逃げてるわけですよね?」

「いえ……逃げてるとかではなく……引退する時期が今かな、と」

「ですがまだ走れるのに引退する。これは……そう受け取られても仕方ないんじゃないんですか?」

「そう受け取る人もいるかもしれません。ですが怪我で現役を続けられない競走馬もいる中で、引退できるのは幸福なことかな、と思います」

「走れるなら……走ってもいいんじゃないですか? 負けて種牡馬価値が下がるのを恐れているんじゃないんですか?」

「……さっきからなんなんですか? 負けるとか負けないとか……関係ないですよね?」

「でも走れるのに引退するというのは、今のうちにシンジケートを組んで大金を得ようとしているだけでは?」

「は? ちがうし。勝てるし。俺を誰だと思っているんですか?」

「でも引退するんでしょう?」

「……引退撤回してやらぁ! なーにがシルクジャスティスだ、メジロブライトだ、エアグルーヴだ! やってやんよ、倒してから引退してやらぁ! 見てろよちくしょう! 100馬身差でぶっちぎってやらぁぁぁぁ!」

「ふふふ……その言葉が聞きたかったのです。グレートエスケープ……貴方はまだ競走生活を終えるには早い……強さと夢を運び、駆け抜けるのです……」

 

 先ほどまで質問していたはずの記者がふわふわと浮き上がる。

 

「え……? あ……貴方は一体……?」

「時間です。私はこれで失礼します……ふふふ……いつか会う時があれば……また会いましょう」

「貴方は一体何者なんだ!」

「ニューヨークカップ、といえば貴方はわかるでしょう」

「なっ……まさか……いや本当に誰だ!? ニューヨークカップ!? 聞いたことねえぞ! マジで誰だ! なんだお前!」

「ふふふ……ウマ娘、そして馬を司る女神、ゴルゴルシーナちゃんのお告げをよく聞いて覚えておくのです……貴方はそのまま走り続ければ、後世に美少女として言い伝えられるでしょう……」

「やめろッ! ウマ娘ってなんだ! 後世になんで美少女になるんだ! 関羽か!? 関羽雲長みたいな美少女化か!? 佞言断つべしッ! ちなみに巨乳キャラか!? 待て、答えろ! どうせなら深窓の令嬢みたいなお淑やかで美しい感じのキャラがいい! 聞いているのか、オイッ! 待て! 待ってくれーッ!」

 

「――はっ!?」

 

 目が覚めるとそこは馬運車の中だった。

 馬の女神はどこだ、引退会見は? 俺は周囲を見回すがそこにいるのは同じくレースを控えた競走馬たちだけ。

 輸送の疲れでぐったりしている奴がいれば、カリカリしているやつもいる。

 意外と気にせずヴヒヴヒと鼻を鳴らしてる奴も。

 ただの夢というには訳が分からず、どちらかというと悪夢だったような気もする。

 

「むぅ……なんだったんだ」

 

 時間が経つとどんな内容か思い出せず、とにかく酷い内容の夢だったことと、メジロブライトとシルクジャスティスには負けられないという思いが残っていた。

 今日は阪神大賞典。

 5歳になった初戦として選ばれたGⅡレースであり、阪神競馬場の芝3000mで争われる長距離戦だ。

 

「今回は阪神大賞典から天皇賞・春をとるで。そこから宝塚記念か、海外遠征か……去年は凱旋門賞と遠くを見すぎた。まずは春の天皇賞からや。ここを勝って、その上で今後を考えても十分間に合うわ」

 

 と、黒井先生のお言葉。

 そして阪神大賞典と天皇賞・春の鞍上は去年1戦乗ってもらった、滝カナタ騎手に決まった。

 ケンちゃんがシルクジャスティスを選択するであろうことを予想し、またカナタさんの長距離路線を走るお手馬がいなかったため、依頼したという形になっている。

 ケンちゃんに乗ってもらえないのは残念だが、天皇賞を幾度となく制覇した通称『盾男』が乗ってくれるのは心強い。

 輸送中にストレスも溜めることなく、無事阪神競馬場へ到着する。

 単勝馬券の人気はメジロブライトが断然の1番人気になっていた。

 パドックで真面目に歩いている姿を見て、競馬ファンたちはカメラを向け、競馬新聞に色々と書き込んでいた。

 中でもパドックを熱心に見ている競馬ファンの会話が聞こえてくる。

 

「すげえな、久々にメジロが春の天皇賞獲るんじゃねえか」

「去年の菊花賞は3着だが年末のステイヤーズステークスでは2着に1.8秒差の大楽勝。今年初戦のAJCCでも危なげなく勝利して、ここにきてようやく本格化した感じだなぁ」

「マックイーン、ライアンが引退してからは絶不調だったが去年はドーベルが出てきたしな。ここでブライトが活躍すれば、名門メジロ復活じゃないか?」

「有り得るな……そういえば父はメジロライアンだな」

「それがどうした?」

「メジロライアンのライバルといえば……ほら」

「アイネスフウジンか。そういえばグレートエスケープはアイネスフウジンの子供だったな」

「同じ内国産種牡馬を父に持ち、しかもクラシックを争ったライバル同士……これは見ものだぞ」

「けど、シルクジャスティスだっているからな。俺はなんだかんだシルクジャスティスだと思うぜ」

「そうか……長距離で実績が一番あるのはメジロブライトだ。俺は人気通り、メジロブライトが勝つと思うよ」

「エスケープは?」

「まぁ……若い方が勢いあるしなぁ」

「だな」

 

 おいおい、まるで俺が衰えたみたいじゃないか。

 こちとら調教は絶好調で自己ベストタイムを連発している勢いだっていうのに、軽視しすぎなんじゃないの?

 なんて心で思いながらも、電光掲示板の単勝3番人気という評価は納得のいくものだった。

 シルクジャスティスには去年2敗し、メジロブライトはシルクジャスティスと互角以上に渡り合っている。

 そりゃあこのオッズにもなるというもの。

 

「貴方がグレートエスケープさんですね」

「君はメジロブライトか。今日はよろしく」

「いいレースにしましょう」

 

 傍に来たのはメジロブライト。

 単勝1番人気に推されているのに納得するほど、堂々とした振る舞いをしている。

 俺を前にしても欠片も萎縮する様子はなく、礼儀正しさの裏には勝利に対する執念が渦巻いているようだった。

 あくまで競争相手としか見ていないのだろう、一言二言で彼はまたパドック周回に戻ってしまう。

 

「けっ、なんだよおっさん。また来たのか?」

「シルクジャスティスか。元気そうだな」

「もう引退した方が良いようなおっさんとは違うからな。去年の京都大賞典では終わった奴だと思ったし、ジャパンカップは逆にしてやられたと思った。それでも有馬記念では俺が勝った。もうおっさんの時代じゃねえってことだ」

 

 シルクジャスティスは名前とは裏腹に悪役が似合う顔つきで言い放った。

 確かにそうかもしれない。

 世間では復活の気配ありと持て囃されていても、歳の衰えというものは来る。

 しかし――今の俺はそうではない。

 

「……レースが終わればわかることだろう」

「チッ、ジジイぶりやがって……ヤネの梶ちゃんが選んだのも、俺の方が強いと思ったからだぜ」

「ほかの騎手は知らないが、カナタさんが空いていたし、ケンちゃんがジャスティスを選んでも大丈夫なように黒井先生が先にカナタさんに依頼しただけだぞ」

「うるせー! どうでもいいんだよそんなことは! とにかく、てめーの時代は終わりだーッ!」

 

 シルクジャスティスは怒鳴ると背を向けた。若々しいが故に、荒く、闘争心に富んでいるやつだ。

 まだ4歳になったばかり、人間なら高校生くらい。運動部のエースとか大体ああいう感じだった気がするし、意外と違和感がなかった。

 対して俺は今年で5歳。一般的にサラブレッドの肉体的な成熟は4歳の秋ごろといわれており、人間では20歳くらい。

 そこから換算すると肉体的には20台前半。精神的なものは環境によって変わるものだが、肉体はまだまだ戦えると思う。

 精神的にはいい加減大人にならなくちゃいけないなという年ごろ。

 いきり立ってレースでかかるようでは、やっていけない。

 もちろんそれは冷めているというわけではない。大切なのは冷静さだ。

 冷静に勝利を見据えて走る――俺に最も大切なのは、きっとそれだ。

 シルクジャスティス、メジロブライト。

 この2頭には負けられない!

 パドック周回が終わり、カナタさんが俺の背に跨った。

 特にトラブルもなく、本馬場へ入場した。

 

「おー、前より調子良さそうだね」

 

 本馬場で走り出すと、レジェンドと既に呼ばれているジョッキーは笑った。

 彼は黒井厩舎の後輩でスペシャルウィークの主戦騎手を務めていて、来月には皐月賞をスペシャルと共に挑む予定となっている。

 後輩と鞍上のためにも見事勝利してみせたいものだ。

 ゲート入りもスムーズで、俺は2枠2番に収まった。

 ひとつ飛ばした先にはメジロブライトが少し落ち着かない様子でゲートに入ろうとしている。

 動きが硬い。噂ではゲートが少し苦手らしい。

 メジロブライトが後方からスパートをかけるタイプなのも、それが原因だろうか。

 大外枠の馬がゲートに収まって、スタート。

 俺は完璧にスタートを切るとそのままスッと先頭に立った。5番のギガトンがハナを主張したが、鞍上の抑えた手綱に従って2番手につけた。

 先頭のギガトンから1馬身ほど開けて俺が2番手。

 阪神芝3000mはスタートからカーブまで比較的短く、位置取りが熾烈になりやすい。

 しかし今日は人気の2頭が後方からのレースを得意とする馬だからか、周りも特にそちらを警戒して動いては来ない。

 正面スタンド前を走ると歓声が上がる。

 何頭かが歓声を聞いた結果、入れ込んでいるがいずれも騎手たちが落ち着かせて元のペースを取り戻している。

 さすがにGⅡを走る馬たち、落ち着いている。

 レースは淡々と流れている。

 どの馬も自分のポジションをとったまま動くことなく、レースのペースに身を任せていた。

 

「よしっ……ここからだ……!」

 

 第3コーナー手前からギアを上げていく。

 阪神の直線は短く、第4コーナーにおけるポジションは東京や京都の外回り以上に重要だ。

 先頭を走るギガトンは俺の上げたペースに追い付ける脚は残っていない。

 第4コーナー手前でギガトンを躱すと勢いに乗ったまま先頭で直線に入った。

 歓声が上がる。

 すぐ後ろにシルクジャスティスかメジロブライトが上がってきているのだろう。3000mの長丁場となるとスタミナが尽きかけている馬も多くいるが、後続に控えていた馬たちは脚をしっかりと残している。

 後続を突き放しつつもぴったりと人気の2頭がついてきているのを感じた。

 阪神の最後の直線には坂がある。

 ここで失速してしまえば当然後続の馬に差し切られるだろう。

 これまでの俺であれば、歯を食いしばって必死に坂を上っていただろうが――生憎、今の俺は絶好調だ。

 

「なっ――てめ、え……!」

「まだこんな脚が……!」

 

 二強対決、あるいは三強と関係者やファンたちは考えていたかもしれない。

 いつぞやの彼の三冠馬ナリタブライアンとGⅠ4勝馬マヤノトップガンの一騎打ちのような戦いを期待しているのだろう。

 悪いがそうはならない。

 後ろに付かれつつも決して抜かせない。

 鞍上のカナタさんのペース配分、スパートのタイミングは完璧だ。

 決して最高速度そのものは速い方ではないが、最高速度を維持する時間を俺より長くできる奴は現役には恐らくいまい。

 滝カナタというトップジョッキーが判断した決して追いつかれない地点でのスパートは見事にシルクジャスティス、メジロブライトを置き去りにしていた。

 ゴール板を駆け抜けると同時に馬券が宙に舞う。

 阪神大賞典で2着に1と1/2馬身差をつけて見事に優勝したのだった。

 春の盾へ向けて視界良好、依然問題はなし。

 今年はグレートエスケープの年にしてみせるぜ!

 

 俺は阪神大賞典での完勝しながらも、春の天皇賞を見据えていた。

 自分の中で最強という称号を手に入れたい野望がすくすくと育ち、心を燃え上がらせているのを強く感じた勝利だった。

 

 

 

 ×××

 

 

 

「学園に幽霊が出る、ねえ。幽霊といわれてもピンとこないものだが」

「イマドキ随分使い古された噂が出てくるもんだなぁオイ。幽霊なんてロジカルじゃねーよ。何かと見間違えたんだろうよ」

「えー! 本当だよ? だってボク聞いたよ?」

 

 トウカイテイオーは頬を膨らませて反論する。

 幽霊と聞いても、ピンと来ないというのが素直な感想だった。

 始まりはカフェテリアでレースについて、エアシャカールと話している時のことだった。

 私をタイチョーと呼び慕うテイオーは暇していたのか、会話に混ざりこんで、話が夜のトレセン学園に及んだ時にテイオーは幽霊について話し出した。

 そのことについて私もエアシャカールも、子供っぽいテイオーの言うことだと真面目に取り合わなかった。

 

「幽霊なんてそもそも非論理的だよなァ。死者の魂がなんとか……そんなもんあるわけねーっての」

「まったくだ。夜のトレセン学園に忍び込んだことはあるが、そういったものは見たことがない。夜のトレセン学園は警備員もいて、完全な無人ではない。噂の種はいくらでもある」

 

 私とエアシャカールがそういうとテイオーはますます口を尖らせて拗ねた。

 

「なんだよぅ、つまんないの!」

「テイオーは幽霊に会いたいのか?」

「え!? いやぁ、流石に会いたくはないけど……でもでも、本当にいたらどうしよう!?」

「いねえよ」

「いないだろうな」

「あー! もうそうやって言うー!」

 

 テイオーが騒ぐが私とシャカールはどこ吹く風というやつで二人してコーヒーに口をつけた。

 ぷんすこうるさいので私はお茶請けとして食べようとしていたキャロットケーキを半分に分けると、大きい方をテイオーへ差し出した。

 

「これあげるから静かにするんだ」

「子供を宥めるんじゃないんだからやめてよ! 食べるけど!」

「お子様はこれだから……ユーレイとかそういうアホみたいな話が好きだなぁ」

「むー……シャカ先輩もタイチョーもお化けが怖いだけなんでしょ!」

 

 ピタッとシャカールと私が動きを止めた。

 

「別に怖かねーよ。ただ存在が有り得ねーってだけの話だ」

「同意見だ。確かめるのも時間の無駄だしな」

「ふーん、だ。そういって逃げようとしてるんだ。本当は怖いくせに」

「あぁ!? 別に怖かねーよ! いいじゃねえか、幽霊騒ぎが本当かどうか確かめてやるよ!」

「……テイオーもついてくるんだぞ。言い出しっぺが逃げるのは許せないからな」

「ぴぇ!?」

 

 というわけで幽霊騒ぎの真相を探るべく、エアシャカールと私グレートエスケープ、そして嫌がるトウカイテイオーを連れて夜のトレセン学園を探索することになった。

 トレセン学園へ向かって歩きながら、気になったことをテイオーに尋ねた。

 

「テイオー、そもそも幽霊話はどんな話なんだ?」

「おいおい別にいいじゃねーか。聞かなくても。どうせ火の玉と懐中電灯を間違えたとか、そんなもんだろ」

「えー、ぼく怖くてあまり話したくないんだけど……」

 

 テイオーは鈴の鳴るような声音から一転して、低く、足元から這い出てきそうなトーンで話し始めた。

 

「トレセン学園に寮ができた頃の話なんだけどね……とあるウマ娘がGIを目指して走っていたんだ。けど、中々結果が出なくて……その子が結果を出せなかったのは太りやすい体質のせいだったんだって。筋肉をつけるためにご飯を食べると体重オーバー、かといって制限をしたら力が出ない。そんな体質のせいで重賞も中々勝てなかった」

「本調子ではないのにOP戦勝つなんてすごいな」

「栄養学がなってねえな。トレーナーはなにしてんだ?」

「知らないよ。というか話の腰を折らないで。それで、そのウマ娘は夜遅くまでトレーニングをしていた。そしたら、誰もいないはずのトレセン学園の食堂から音が聞こえてきた……」

 

 誰かがつまみ食いをしているのだろうか、それともメンテナンスだろうか。

 そのウマ娘は寮に戻る前にキッチンを覗いてみることにした。

 台所には、青鹿毛のウマ娘がいた。

 ウマ娘は尋ねた。

 

『盗み食い? ダメだよ、怒られちゃうよ』

 

 青鹿毛のウマ娘は首を振った。

 

『いえ、待っていただけです』

 

 誰を待っていたのか聞こうとしたら、青鹿毛のウマ娘は答える。

 

『お腹が減っているのは本当です』

 

 そして聞こえてきた腹の音に、そのウマ娘は思わず笑った。

 冷蔵庫におにぎりがあったので、青鹿毛のウマ娘と一緒にそのおにぎりを食べることにした。

 青鹿毛のウマ娘は美味しそうに食べていた。

 食事をしながら、最近は中々勝てないこと、食事制限の度合いが難しくて悩んでいることを自然と話していた。

 青鹿毛のウマ娘は相槌を打つと最後には、

 

『食事は大切です。貴方は私におにぎりをくれました。そのお礼に体重をキープする秘訣を教えましょう』

 

 青鹿毛のウマ娘は色々と話してくれたが、どれも聞いたことがある栄養学のことばかりで目新しいものはなかった。

 そんな心中を察したのか、青鹿毛のウマ娘は提案をした。

 

『これは特別なのですが……貴方の体を軽くしましょう。今回はこれだけ……』

 

 青鹿毛のウマ娘がそのウマ娘に触れた。

 しばらくするとなんだか体が軽くなったような気がした。次の日、模擬レースで自己ベストのタイムで優勝した。

 そのウマ娘は嬉しくなり、その勢いで出走した重賞レースで2着になった。

 惜しかった。

 ただ、手応えを感じた彼女は再び夜の食堂へ向かう。青鹿毛のウマ娘はやはりそこにいた。

 

『貴方のおかげであと少しで重賞で勝てそうなんだ!』

『またあの特別なやつをやってほしい!』

『アレならGIだって勝てる!』

 

 ウマ娘は興奮した様子で青鹿毛のウマ娘に頼み込んだ。

 青鹿毛のウマ娘が了承し、体に触れるとまた軽くなった。今度は翼が生えたようにすら思えた。

 それからウマ娘はGIを勝ち、その後またレースに負けた。

 そして負ける度に青鹿毛のウマ娘を頼っていた。

 しかし、五度目のお願いをすると、青鹿毛のウマ娘は初めて返答を渋った。

 

『4回もやったから、もう出来ないと思う』

 

 引き下がれないのは件のウマ娘だ。

 ここで勝てないと失望されちゃう、ただの弱いウマ娘だとバレてしまう。

 何が必要なのか、何でもするから。

 そのウマ娘は青鹿毛のウマ娘に懇願した。

 

『……でしたら、次のGIレースが最後ですよ? 終わったら必ず……必ず私の元へ来てください』

 

 ウマ娘は喜んで、そのGIレースで見事に勝利した。

 約束通り青鹿毛のウマ娘に会いに行くと、そのウマ娘はにっこりと微笑んだ。

 

『約束を守ってくれて嬉しいです。では、いただきますね』

 

 何を言っているのだろう。

 そのウマ娘は意味を尋ねると青鹿毛のウマ娘は言った。

 

『貴方の体をずっと軽くしてきたんですけど、もう一口ぶんしかないですから。だから、今回で最後』

 

 常軌を逸した事象に巻き込まれていると気づいたウマ娘は後退ろうとして、尻もちをついてしまう。

 転んだのだろうか。

 足を見ると、両足が付け根から綺麗さっぱり消え失せていた。

 その先には、ウマ娘の顔がまっぷたつになりそうな程口を開けて、足を咀嚼している。

 悲鳴を上げながら逃げようとして、既に這い蹲るだけの腕すらもいつの間にか食べられている。

 助けて、勝ちなんていらないから――ウマ娘は結局、丸呑みにされて食べられてしまった。

 

「――ってお話。怖いは怖いけどちょっと唐突すぎて作り話だよねって僕は思うんだけど二人ともめちゃくちゃ膝笑ってる!?」

「べべべべべべべべべつにビビっちゃいねえよ。ただ今日はトレーニングやりすぎただけだよへへへやりすぎちまったなハハハハハ」

「大体そういう話は子供をしつけるための話とかそういう類から来ている。これもいわゆる勝利が欲しいために禁断の行為に手を染めることを諌める逸話からきているのだろう怖くなんてないぞ」

「すごい早口じゃん……やめてよぉ、二人が怖がったら僕も怖いでしょー!?」

「怖かねーよ!」

「怖くない!」

「ぼ、僕だって怖くないし!」

 

 3人の間で流れる沈黙。

 完全に撤退する流れを失ってしまった。

 誰か一人でも『えー、怖いから帰ろうぜ!』と冗談めかして言えば乗る流れだったというのに、つまらない見栄のせいで探索を続ける以外の選択がとれなくなっている。

 

「……とにかく食堂に行けばいいんだろ! 食堂に何もなきゃただの噂ってだけだ。そうだろ?」

「ああ! そうだなシャカール! さっさと食堂に行ってしまえばいいのだ」

「じゃっ、じゃあ、さっさと行っちゃおうよ!」

 

 しかし行かない! 誰も前に行かない!

 まるで逃げウマ娘不在のレースで誰がハナを切るか迷った結果超スローペースになってしまうレースが如き有様。

 三人の中で共通の認識があるだろう。

 1番前は怖い、かと言って1番後ろも怖い。だとしたら真ん中……真ん中がいい!

 私もそう思う。

 

「シャカ先輩……タイチョーでもいいけど、前に行きなよ」

「バカ言うんじゃねえよ、テイオー。お前が言い出したんだからお前が行け」

「そうだぞテイオー。隊長命令だ」

「なんで僕が! タイチョーは逃げウマ娘でしょ! シャカ先輩は追い込み! 僕は先行だから真ん中が僕になるべきでしょ!」

「ふっ、ふざけんな! 追い込みだろうと最後は捲るんだよ!」

「私は先行するときもあるから」

「じゃあ僕差しになるもーん!」

「ガキかてめぇは!」

 

 ぎゅおおおお……!

 明らかに三人の声ではない音が鳴り響き、沈黙が流れる。顔を見合わせてから、後退りをしようとしたときだった。

 後ろからガタリ、と物音が鳴った。

 

「キャーーーー!!??」

「わあああああああああ!!??」

「アアアアアアア!!??」

 

 三人全員が一斉に走り出すとまるで逃げ込むように廊下から部屋に飛び込んだ。

 心臓がバクバクいって口から飛び出そうだ。

 

「なんだ、なにがあった!?」

「オイオイオイ後ろから物音がしたぞいるんじゃねーか!?」

「っていうか……ここさ……」

 

 テイオーの声が震えている。

 まるで踏み込んだ先がいてはならない場所だとでもいうのか――私はテイオーの言葉を聞いて辺りを見回すと、彼女が恐怖に染まった理由を理解した。

 

「ここ……食堂だな……」

「ぴ」

「ヒュッ……」

 

 さっき聞いたウマ娘のかたちをした怪物の話を思い出してガタガタと震えた。

 そして、ぎゅるるるという音がもう一度鳴る。今度はすぐ傍から音が聞こえた。

 

「だ、誰だ!? いわゆる幽霊というやつなら相手になるぞ! テイオーが!」

「おうコラ舐めてんじゃねーぞビビらせようとしたってそうはいかねえぞ! 黙ってねーからな! テイオーが!」

「なんで僕なんだよぅ!!」

「……何をしているんですか?」

 

 影から出てきたのは美浦所属のウマ娘、マンハッタンカフェだった。

 見事なまでに光を飲み込む美しさを持った青鹿毛のウマ娘だけあって、闇に溶け込んでいた。

 

「なぜカフェがここに?」

「……お願いされて、見回りの手伝いをしていたんです。時々トレセン学園に忍び込むウマ娘がいるとのことだったので……」

「なんだよ、さっきの音もオメーか?」

「音ですか……? 少しお腹がすいていたので……」

「はーびっくりした。やっぱりお化けなんて嘘だったね!」

「お化け? 何を言ってるんですか。そんなことより、早く寮に戻ってください。叱られますよ……」

 

 マンハッタンカフェが扉を指差す。

 流石に見つかってしまえば大人しく寮に戻る他ないだろう。

 脱走ウマ娘として名を馳せた私としては残念だが今回は寮に戻るとしよう。残念だが! 仕方ないが!

 

「あれ? こっちに扉ってあったっけ……」

「何を言ってるんですか。私もお腹がすいているので……早く、入ってください……」

 

 ぐい、とまとめて背中を押される。

 マンハッタンカフェと話したことはあるがこうも強引なタイプだっただろうか。

 少し違和感を覚えた瞬間だった。

 

「こらぁ! なんでこんな夜中に学園にいるんだい!」

 

 怒声によって背筋がピンと伸びた。

 声の主は懐中電灯を持った美浦寮長、ヒシアマゾンだった。

 姉御肌で面倒見が良くて人気者。

 そんなヒシアマゾンまでここに来るとは何事だろうか。

 

「アマ寮長はなぜここに」

「見回りだよ。時々こうして見回っているんだ。そんなことより、お前たちはなにしてんだい? 警備員もいるとはいえ、不審者が侵入することだってあるかもしれないんだ。事件に巻き込まれたらどうするんだい!」

「ケッ」

 

 ヒシアマゾンのお叱り言葉に思わず小さくなる私とテイオー。シャカールはそっぽ向いているが、どこかバツの悪そうな表情だ。

 

「ごめんなさい……」

「すまなかった」

「まったく。早く寮に戻りな! フジはきつーいお灸を据えてくるだろうが、もうするんじゃないよ!」

 

 三人で返事をして振り返る。

 気づいたらマンハッタンカフェはいなくなっていた。

 

「アマ寮長、さっきまでいたマンハッタンカフェは戻ってしまったのか?」

「カフェ? なにを言ってるんだ。最初からあんたら三人しかいなかったろ」

「は? いやいやいや今ここで私たちをあの扉の方に――」

 

 指差した先には、ただ壁があるだけ。

 だがさっき見たときは確かに扉があって、マンハッタンカフェが私たちの背中を強引なまでに押していて――

 

「寝ぼけてるんじゃないよ。そもそも扉すらないじゃないか」

 

 シャカールとテイオーと三人で顔を見合わせる。

 身の毛もよだつ怪談の内容、そしてマンハッタンカフェだと思っていたウマ娘は実は存在しなくて、あるはずのない扉へ連れて行こうとしていて――

 

「きゅぅ」

「どうしたんだいアンタたち!? おい、しっかりしな!」

 

 トレセン学園の怪談の正体に近づいてしまった私たちは、意識を失った。

 この学園は途轍もなくヤバい事件や事故が眠っているのかもしれない――もう二度と安易にそういった話に首を突っ込まないことを決意したのだった。

 

「……ダンスパートナーさん。あの、今日……その、ちょっとー……一緒に寝てくれないかな……」

「エッちゃん……どうしたの急に」

 

 数日は独りで眠れなかった。

 




〇競走馬ワールド
・冒頭の夢、没ネタ

東京競馬場で迎えた天皇賞・秋。
グレートエスケープはハナを奪えず、直線も勢いを見せず惨敗だった。
競馬場に響くファンのため息、どこからか聞こえる「今年で引退だな」の声。
無言で帰り始める競走馬たちの中、昨年の年度代表馬グレートエスケープは独り馬運車で泣いていた。
日本ダービーで手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できる騎手……
それを今のレースで得ることは殆ど不可能と言ってよかった
「どうすりゃいいんだ……」グレートエスケープは悔し涙を流し続けた。
どれくらい経ったろうか、グレスケは目が覚めた。
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい床の感覚が現実に引き戻した。
「やれやれ、帰って調教をしなくちゃな」グレスケは苦笑しながら呟いた。
立ち上がって伸びをした時、グレスケはふと気付いた
「あれ……?お客さんがいる……?」
地下馬道から飛び出したグレスケが目にしたのは、4階席まで埋め尽くさんばかりの観客たちだった。
千切れそうなほどに競馬新聞が振られ、地鳴りのようにファンファーレが響いていた。
どういうことか分からずに呆然とするグレスケの背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「グレ、返し馬だ、早く行くぞ」声の方に振り返ったグレスケは目を疑った。
「ろ、ロイヤルタッチ?」 「なんだグレ、居眠りでもしてたのか?」
「だ、ダンスインザダーク?」「なんだグレ、かってにダンスインザダークを引退させやがって」「イシノサンデー……」
グレスケは半分パニックになりながら電光掲示板を見上げた。
1番:オンワードアトゥ 2番:アドマイヤビゴール 3番:ダンスインザダーク 4番:ザゴールド 5番:ブラウドマン 6番:内川 7番:サクラスピードオー 8番:トピカルコレクター 9番:グレートエスケープ 10番:イシノサンデー 11番:マウンテンストーン 12番:ロイヤルタッチ 13番:フサイチコンコルド 14番:ビワハイジ 15番:メイショウジェニエ 16番:ミナモトマリノス 17番:カシマドリーム(出走取消) 18番:チアズサイレンス
暫時、唖然としていたグレスケだったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった。
「勝てる……勝てるんだ!」
梶田健二から指示を受け取り、グラウンドへ全力疾走するグレスケ、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった……

翌日、放牧地で冷たくなったグレスケが発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った。


・今回の被害馬
「メジロブライト」
メジロライアンの子供だったが大物感を漂わせていたライアンとは違い、ブライトは見栄えせず、落ちこぼれな存在だった。デビュー戦のタイムもめちゃくちゃ遅かったのだが、その後は勝利を重ね、クラシックに挑んだ。史実ではクラシックでこそ勝利できなかったものの、年末のステイヤーズステークスでは圧勝、その後も連勝し史実では阪神大章典含めて三連勝した。後方から追い込み一辺倒の脚がかっこいい馬だった。

〇ウマ娘ワールド
・怪談話
ウマ娘は結構スピリチュアルな世界ですよね。そりゃあVR世界程度、大したことないですね
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