グレ「ブライアンも、不良ウマ娘もみんな普通に門限破ってるじゃん!」
フジ「……」
グレ「穴掘ったり、色んな策を練ってたなんて……私、馬鹿みたいじゃん!」
フジ「その対応は当然の結果だよ」
グレ「もういい! 私門限破りやめる!」
フジ「むしろ助かるんだけど」
※感想、誤字報告いつもありがとうございます!感想や評価のおかげで続きの執筆が捗ります!
天皇賞・春を皮切りに、今週から連続で春のGIレースが開催される。
開催はいずれも京都または東京であり、まさに様々な路線のチャンピオンを決める戦いといっても過言ではない。
今週行われる天皇賞・春は伝統あるGIレースであり、最強ステイヤーを決める戦いでもある。
古くはこのレースを勝つことが最高の名誉とされ、今でもこのレースはまさに格付けにはぴったりの、大レースとなっている。
スーパークリーク、メジロマックイーン、ビワハヤヒデ、ライスシャワー、マヤノトップガンと平成に入ってからも名馬が綺羅星の如く、このレースを勝利して名を刻んでいる。
今回、その名を刻む馬はやはり◎メジロブライトだろう。
前走はグレートエスケープの逃げ切りを許したが、直線の短い阪神競馬場では持ち味を活かしきれなかった。
直線と距離がそれぞれ伸びることで末脚は前走以上に期待できる。久々にメジロの天皇賞制覇を見たいものだ。
対抗には〇グレートエスケープ。
昨年秋にジャパンカップを勝利し、その後の有馬記念もタイム差がない4着、年明け初戦の阪神大賞典を楽勝した。
恐らく当日は1番人気に推されるだろうが、そういうときに敗北したりするのがこの馬。
父アイネスフウジンはどちらかというとスピード型だが、その父シーホークはスタミナ型産駒を多く出していた。
体型からもステイヤータイプなだけに、今年はきっちり強さを見せて欲しい。
▲にシルクジャスティス、有馬記念ではスローな流れから素晴らしい追い込みで差しきり勝ちをおさめている。
今回の天皇賞・春でもグレートエスケープは悠々逃げてスローペースになりそうな予感。
しっかり追走していれば末脚で逆転は可能だ。
△には――
(競馬新聞『ハチ』のコラムより一部抜粋)
〇〇〇
緊張というものはまるで感じていなかったと思う。
レースが近づき、周囲がピリつく中でも自分はいつも通りに過ごし、ただ呼ばれるのを待つだけだった。
パドック周回では時々電光掲示板やパドックを見に来たお客さんを物見しながらのんびり歩く。
黒いブリンカーにみんなが注目し、データ重視で予想する競馬ファンは「ブリンカー着用か……」と難しい顔をしている。
そうは言ってもやはり俺が一番強いと評価してくれているのだろう。俺の現在の単勝オッズは2.0倍で1番人気だ。
そこにシルクジャスティスとメジロブライトが続く。
「グレートエスケープくん」
そこにやってきた馬は随分と懐かしい顔だった。
「……イシノサンデー! 懐かしいなぁ」
「まったくだ。日本ダービーの時以来かな……それにしても君は……大きくなったな」
「そうか? 前走よりは絞られてるはずだが」
「ふ……そういうことを言っているのではないが……それでも、僕の美しさにようやく並んだくらいかな」
「美しさは競ってないぞ。それに美しい馬の毛色といえば白毛だろ。いつか白毛でGIとか凱旋門賞とか勝つ馬出てきたら人気出るだろうな……」
「やれやれ。相変わらず君はセンスがないね。この美しい鹿毛こそが最も王道で洗練された美しさと速さを兼ね備えているというのに」
うん? こいつ何言ってんだ?
「お前栗毛だろ?」
「――え?」
「いや、だから。お前の毛色は栗毛だって。鹿毛はもう少し黒みがかかってるぞ」
「……な、なんだってー!?」
馬の視覚だから正直どこまで本当か怪しいが、少なくとも鹿毛とされている馬よりも明るい色をしている。
イシノサンデーは本気でショックを受けているようだった。
「まさか、本当に自分が鹿毛だと思っていたのか……? 5年近くの間……」
「うっ……なんてことだ……なんてことだ……この僕が……鹿毛じゃなく栗毛……?」
「栗毛ダメなの?」
「ダメだ……鹿毛こそがもっとも美しい馬体なはずなのに……夢で見たんだ……サンデーサイレンスから生まれた鹿毛の馬が最高傑作になると……」
「なんか色々キマってるな……」
やっぱりサンデーサイレンス産駒はみんな頭がおかしい。
イシノサンデーは落ち込んだ様子でとぼとぼとパドックの周回に戻っていく。
アイツもダート競走のダービーグランプリを勝利して変則二冠馬とか言われていたらしいし、もう数少ない頑張っている同期なのだ。
気合い入れて頑張って欲しい。
「先輩」
また声をかけられた。
こちらを睨みつけているのはシルクジャスティス、そして隣にはメジロブライト。
一つ年下の有力馬たちだ。
「前走は俺の負けだ。完全に……やられたぜ。だがなぁ……ここでは負けねぇ。オッサン! てめぇに勝つ!」
「私もそのつもりです。貴方にはわからないでしょうが、ホースマンがダービーを目指すようにメジロは天皇賞・春こそが至高としています。貴方には負けられない……使命のためにも」
今回の天皇賞・春で最も強力なライバルになると思われるのが、この2頭だ。
前走で勝利したが今回はさらに仕上がっていることが予想され、決して油断できる相手ではない。
ところで――
「お前たちの後ろにいるやつも、仲間か?」
「え……げぇっ」
「うわ……」
ジャスティスもブライトも後ろにいる相手に対して後ずさった。
見開いて、鋭い眼光で俺を見つめており、年上だろうと噛みつきそうな雰囲気するある。
唸り声を上げんばかりの様子は確かに後退りもしたくなるというものだ。
「お前、名前は?」
「先輩。そいつに話しかけるのはやめたほうがいい。悪いことは言わない」
「というかやめろ。ほんとにやめろ」
「なんで? イジメはよくないぞ」
「――ステイゴールド」
2頭に止められる俺に対して、低いながらもはっきりとした声で答えた。
ステイゴールドは意外と小柄なやつで、俺に詰め寄ってきてもあまり迫力は感じなかったが、なにかやりそうな雰囲気を持った馬だった。
「あんたがグレートエスケープ?」
「そうだ。今日は負けないぞ」
挨拶代わりの宣戦布告。
それに対してステイゴールドは小さく笑った。
「よーやく俺様の出番が来たかぁ〜! いやぁ出番が来るの遅かったよなぁ! 大体もう26話だぜ? 俺様主人公適性高いのに全然触れないとか馬鹿なの? 馬鹿だよなぁ。俺様の出番をみんな待ってただろ? 俺様が出ただけでランキングぶち抜けるのになんで出せねえんだろうおかしいと思うよなぁ!?」
――俺は硬直した。
何かを言おうと口を開きかけてから、ちょっと怖くて再び黙った。ステイゴールドは俺を見ているが、俺に焦点が合ってない。
瞳は真っ黒に塗りつぶしたようで、ずっと見ていると引きずり込まれる魔物の窟のようだ。
「まぁわかるぜ? あくまでここまでの俺は足りない条件馬ってやつだからな。出番ねえけど、こっから俺の出番めっちゃ増えるからみんな安心しろよ! 感動のラストを見逃すな! 主人公は今回で変わるぜ!」
俺は後ろのジャスティスとブライトへ振り返った。
「どういうことなの、これは」
「やめとけって言っただろ……こいつ頭おかしいんだ」
「彼はステイゴールド……実力はあるそうだがあまりある頭のおかしさで台無しにしてる馬だ」
「そうか……」
こいつがどんな奴か大体わかった。
そして、最早限定的な状況であれば直感を超えて啓示の域に至った頭脳がほぼ自動的に俺を叫ばせた。
「――なんでサンデーサイレンス産駒は頭がおかしいやつばっかりなんだッッッッ!!!!」
「ぴすぴーっす! これいいな。未来へ託す言葉にしよう。まずは俺様の最高傑作の実装すべきだろサイ〇ームス! 青い勝負服はぶっつぶす!」
こいつの話を聞いていると正気を失いそうだ。
俺に対して話しているようで全く違うどこかの誰かに話しかけてくるステイゴールドは、パドック周回でもひたすら話し続けていて参ってしまいそうになる。
ひょっとしてこれは作戦なのだろうか。
ささやき戦術とかそれに近い……全然囁いてねえじゃねえかっ!
げっそりナーバスグレちゃんとなりつつあったが、ようやくパドック周回が終わり、黒井先生が恵那ちゃんを伴ってやってきた。
カナタさんもほかのジョッキーと別れ、俺に向かってくる。
「状態は万全やな。カナタ、勝つで」
「1番強い競馬をしてきます」
言葉はあまり要らなかった。
トップトレーナーとトップジョッキー、あれこれ言わずともわかっているのだろう。それに、これまで調教を通じて話し合いもしてきた。
今更慌てて準備する必要も無い。
「グレくん……」
見上げてくるのは恵那ちゃん。
お仕事で忙しいようだったが来てくれて嬉しい。
仕事頑張りすぎて体調崩してないだろうか。少し痩せたかな? ……ちょっとウエスト増えたね。成長期とはいえないかな……なんというか、そ、育った、かもしれない。
「その顔に付けてるのは何……? マスク?」
「それはブリンカーいうて馬の集中力を高めるものなんや」
スペシャルも絶賛のブリンカーだ。
どうだ、かっこいいでしょ。
「……ちょっとかっこ悪いですね」
「せやろか。いいと思うんですが」
ガーン!
恵那ちゃんにそう言われるのはショックが大きい。外して貰えないかなぁと思うが、ブリンカーを装着してレースに出る時は届出が必要だという。
というかそんな理由で外してくれないよね……しょんぼり。
「それはそうと……グレくん。頑張ってね。勝てなくてもいいなんて言わないから……無事に勝ってきて」
言われずとも。
俺は頭を恵那ちゃんの胸元に押し付けて、抱擁を受け止めた。
柔らかな感触が俺に勇気を与えてくれる。
古馬最高の栄誉である天皇賞・春の盾を恵那ちゃんに、黒井先生に、厩舎や牧場のみんなに捧げてみせる。
「行こうか」
カナタさんが背中に乗る。
ぽんぽんと俺を撫でる彼は自然体で、流石トップジョッキーといったところだろうか。
「去年秋の天皇賞勝ってるからここで勝てば連覇なんだ。結構自信あるから、まかせてくれよ」
俺に対しても淡々と語る姿はどこか落ち着く雰囲気を纏っていた。
勝利を求めてはいるが飢えてギラギラとしてはいない。
絶対的な自信に裏打ちされた振る舞い――なるほど、素晴らしいジョッキーだ。
阪神大賞典の頃からも走りやすいとは感じていたが、彼の本当に素晴らしいのはこの精神力なのかもしれない。
さぁ、去年の忘れ物を取りに行こう。
ファンファーレがやんで、大歓声が轟くのは京都競馬場。
夢と欲望を載せた声援が俺と鞍上に雨あられの如く降り注いでいる。
〈上位人気馬 単勝オッズ(最終)〉
6番 グレートエスケープ 2.1倍
4番 シルクジャスティス 2.8倍
5番 メジロブライト 3.2倍
3番 ダイワオーシュウ 14.6倍
10番 ローゼンカバリー 25.3倍
電光掲示板には単勝オッズが表示され、耳をすませば「安い」だの「買い目」だの「会社のお金全部5番」だの「給料はグレートエスケープ」だの、欲望塗れの声が聞こえる。
春の王座決定戦に駒を進めたのは14頭。
マガジンに弾を込めるがごとく、次々とゲートへ装填されていく。
3200mというGIレースで最長の距離だろうと、1cmでも前でゴールを通り抜けた馬だけが掴める栄光。
僅かなミスや狂いが勝者をがらりと変えてしまう可能性がある。
故に競馬に絶対はない。
だが――敢えて言おう。
「勝つのは俺だ」
『大外14番のシグナスヒーローが収まります。ゲート体勢完了、第117回天皇賞・春……今、スタートしました。いつもの如く、メジロブライト少し出足がつかないか』
スタートは問題なし。このまま一気にハナを奪ってレースをコントロールする。
そのつもりが、手綱をぐっと引かれたため、スピードは出せなかった。
カナタさん? ハナは切らないの?
俺が足を緩めると手綱も緩んだ。
集団から飛び出した2頭がレースの展開の鍵を握りそうだ。
『1番ファンドリリヴリア、11番のマイネルワイズマンが飛び出していきます。グレートエスケープは少し抑えて集団の先頭です。ファンドリリヴリアが前に行きました』
前の2頭は速いペースで飛び出すと、1回目の京都競馬場第3コーナーの坂へ差し掛かる。
あのペースで逃げていたらいずれバテるだろう。
他の馬たちもそれを理解しているからか追いかけず、むしろ3番手につけた俺を警戒しているようだった。
ブリンカーで良く見えないから感覚でそんな気がするだけなんだが。
『3番手はグレートエスケープ、その後ろにシルクジャスティスがおります。一昨年のダービー馬をマークする位置、早めに捉えられるようにということでしょうか。鞍上梶田健二はグレートエスケープの手の内を知る騎手であります。その外にダイワオーシュウ、シグナスヒーローは外から前目の位置をとろうとしているか』
前の2頭は集団から少し離れて飛ばしているが、馬群は落ち着いたペースになりそうだ。
1回目の淀の坂を下りつつ、じっくりと脚を溜めることに専念する。
すぐ外にやってきたのはダイワオーシュウ。
去年の菊花賞2着馬、スタミナには自信があるのか。スタンド前直線を走りながら、俺へプレッシャーをかけるかのようにじわりじわりと姿を見せつけている。
ブリンカーがあっても見える位置にペースが乱されそうになる。
(それだけ狙われている立場ってことか)
周りが望んでいるのは、俺のペースが上がり、最後の直線で力を発揮できなくなるかつ、後続の集団が末脚を活かせる展開になること。
だとしたら絶対に避けなくちゃいけないのは、俺が周りを気にして力んでしまうことだろう。
あくまで走ることに集中し、ペース配分は鞍上の滝カナタ騎手に任せる。
そのためのブリンカー、そのためのトップジョッキーだろう。
『第2コーナーです、もう一度先頭から見ていきましょう。ファンドリリヴリアが先頭飛ばして、5馬身ほど空いてマイネルワイズマン、さらに5馬身空いてグレートエスケープ、ダービー馬が、ダービー馬がここにいます。去年の借りを返したい、グレートエスケープが集団の先頭に立ってペースを作っています。その外にダイワオーシュウ、グレートエスケープの後ろにぴったりつけているのがシルクジャスティスであります。そしてさらにそれを見るようにしてメジロブライト。阪神大賞典と近い展開だ』
恐らくシルクジャスティスとメジロブライトはそんなに後ろに位置せず、好位をとるはずだ。
結果的に上位3頭がお互いを牽制しあう展開になる。
向こう正面を走る中で斜め後方に一瞬、青い帽子と白い勝負服が映った。
青い帽子は俺ともう1頭、ブライトしかいない。
俺に対して突っかかろうというのか、それともかかっているのか。このスローペースでは折り合いに苦労するだろう。
俺自身も、このペースで走って前の2頭を捉えて、さらに後方の連中を振り切ることができるのかという焦燥がちりちりと心を揺らし始めていた。
(いいや、動かない……長距離戦は我慢比べ。鞍上を信じると決めたんだ。この連中で1番強いのは俺なんだから……どっしり構えて、自分のタイミングでスパートをかければ負けない)
鞍上の手は動いていない。このペースで問題ないということ。
後ろが焦れれば焦れるほど、俺に有利に働く。
まだ大丈夫――俺は自分に言い聞かせながら、第3コーナーの坂を登る。
『シルクジャスティスの内からマウンテンストーン。メジロブライトの後ろにはユーセイトップラン、シグナスヒーロー、イシノサンデーも良い位置だ。そしてステイゴールド。メイショウヨシイエが続いてローゼンカバリーが後方から徐々に進出を開始している。第3コーナーへ差し掛かりペースが上がります。徐々に集団が仕掛け始めていきますがまだファンドリリヴリアが先頭です』
ここまで走り続けてからの坂越えは一気にスタミナを奪うにあきたらず、坂の下りを経ることで強制的に体力をさらに使わされる難所だ。
如何に乗り切るかが勝負の分かれ目となるが――関係ない。
俺はただ集中し、これまで通りのペースで走るだけ。
鞍上のゴーサインはいつ出されるか、出されたら溜まり切ったこの末脚を全力で発揮することだけを意識する。
集中しろ。前の馬はどうでもいい。後ろの馬も、どうでもいい。
俺は俺の走りさえすれば、決して負けない。
視覚も聴覚も、触覚も、すべて閉ざす。
視界が白くぼやけ、歓声と馬蹄が遠くに聞こえる。
全神経を、全脚力を、研ぎ澄ませろ――
『第4コーナー手前でファンドリ先頭で直線に入ります! グレートエスケープがマイネルワイズマンを躱す! シルクジャスティスはインコースへ突っ込んだぞ、その外からブライトきた、ブライトだ! ローゼンカバリーがそれを追っている!』
――今だ!
カナタさんの鞭が肩に入ると同時に、視界にターフの緑が広がり、世界に大歓声が取り戻された。
『ファンドリ逃げる、ファンドリ逃げる! ファンドリが逃げたが猛然とグレートエスケープが伸びてくる! カナタの右鞭が飛んでグレートエスケープが伸びる! 真ん中赤い帽子はジャスティス、外からメジロだ! メジロだメジロだ! ブライトが外から突っ込んでくる! そしてなんと9番ステイゴールド!』
ブリンカーのせいで何が迫ってきているのかさっぱりわからない。
ジャスティスか、ブライトか。
はたまた伏兵か。
馬蹄の音が後ろで響いていても、心は驚くほどに冷たく、そして脚は軽かった。
『ブライトとステイゴールドが迫る! ジャスティスは少し苦しいか! しかしグレートエスケープだ、グレートエスケープだ! 外からローゼンカバリー! メジロブライトが追う、ステイゴールドも突っ込んでくるがグレートエスケープに届きそうもない!』
息は切れていて酸欠で倒れそうだが、視界は明るく、光が一直線にゴールへ伸びている。
苦しい、苦しい。
けれど、澄み切った視界はどこまでも続いており、俺はどこまでも届きそうだった。
「みんな待たせたなッ! 俺が……最強だぁーっ!」
『メジロブライトは2番手、グレートエスケープ1着でゴールイン! 一年遅れで春が来ましたグレートエスケープ! 去年の忘れ物を取り返しました! グレートエスケープです!』
舞い散る馬券は桜吹雪の祝福が如く。
馬券を外した者の絶叫と、的中させた者の歓喜、そして俺を応援してくれた人々の大歓声が俺とカナタさんに降り注いだ。
『2着にメジロブライト、3着にはなんとステイゴールド! 流石は平成の盾男です。滝カナタ、これでなんと天皇賞・春はメジロマックイーン以来5勝目、秋も含めると7勝目です』
「エスケープ。俺、すごい騎手でしょ」
カナタさんが俺を撫でながらウイニングランをする。
大レースを勝利したというのに、どこかのんびりとした雰囲気のままでなんだか気が抜けてしまいそうだ。
ひょっとして勝つのがもう当たり前で嬉しくないとか?
少し疑念を抱くが、客席に向かって手を振ったり、ガッツポーズする姿を見ると、その気負わない姿こそが、彼という人物の味なのだとわかった。
ウイニングランを終えて検量室へ戻ると、黒井先生が満面の笑みで出迎えてくれた。
「でかした! カナタもダービーへ良い弾みになったやろ」
「こんなに良い馬を2頭も乗せてもらえるなんて本当に嬉しいです。ありがとうございます」
「次は宝塚記念に行くんやが……流石にエアグルーヴか?」
「すみません。今年いっぱいはエアグルーヴを優先すると先生やオーナーと約束がありまして……」
「そうか……健二は宝塚記念まではジャスティスに乗る言うてたし、ノリもローゼンカバリーがおるし……まぁ、鞍上はおいおい決めるわ。とにかく、カナタおめでとう。スペシャルのダービーも頼むで」
「ありがとうございます。しかし――グレートエスケープは強いですね。この馬に敵う馬は……ほぼいないでしょうね」
「ほぼ――か」
「ええ、『ほぼ』です」
カナタさんと黒井先生が話している。
耳を立てると今後についての話らしかった。
予定では俺は宝塚記念ということになっているが――相手は今回のジャスティスやブライト、3着に食い込んだステイゴールドの他にあのエアグルーヴもやってくるはずだ。
去年果たすことができなかった凱旋門賞へ向けて、最強の称号を掲げながら宝塚記念への思いを強くするのだった。
――そんな、俺のあずかり知らぬ場所で。
『ぶっちぎったぶっちぎった! これは圧勝でしょう、楽勝、いや大楽勝です! 2番手以下にもう何馬身差がついているのかわかりません! 20m以上引き離してゴールイン! もちろんレコードです! とんでもない馬が現れてしまったかもしれません!』
実況が、興奮冷めやらず叫ぶ。
観客はあまりの強さに馬券のことすら忘れて、誰もがその走りに魅了されていた。
のちに伝説のレースのひとつに数えられるこのレースは、勝者にとって栄光ではなく、宣言でしかなかった。
『これは今後が楽しみになりました。素質馬という評価はありましたが4歳にしてついに覚醒したか――サイレンススズカ! 金鯱賞をレコード勝利です』
――神すら嫉妬する怪物が、目覚めた。
×××
ウッドチップのコースで走ると小刻みで軽快な音が奏でられる。
自分の息遣いと地面を踏みしめる音だけを耳に入れながら、意識をレースへ飛び込ませた。
第3コーナー手前から徐々に速度を上げていく。
前に走るサイレンススズカと、後方から詰め寄るエアグルーヴどちらも抑え込めるように、ラストスパートの機会を伺った。
「はっ……はっ……はっ……はあぁっ!」
無理やり大きく息を吸い込んで肺の隅々まで酸素を行き渡らせる。
そして、脚に力を込めてスパートをかけた。
残り400m、宝塚記念の舞台と考えるとコーナーを曲がりながらの最高速度となる。
如何にスムーズに曲がれるかが問題だ。
直線に至ればやることはひとつ、真っ直ぐ走ることだけ。
止まりそうな脚を叱咤しながらゴール板を全力で駆け抜けた。
「タイムは……まぁまぁ、か」
息を再び入れながら、ゴール板の傍で見守っていた相棒から聞いたタイムは悪くは無いが破格というほどではないものだった。
実際は駆け引きやコース取り、バ場状態でタイムはいくらでも変わるからこれだけではなんとも言えないが、物足りないというのが本音だった。
「状態は悪くないようだな」
スポーツドリンクで喉を潤す私に声をかけるウマ娘。次の宝塚記念で対戦予定のエアグルーヴだった。
彼女もトレーニング中のようで、汗で濡れた前髪を額に貼り付かせている。
「偵察か? 光栄なことだ」
「ふん。いつだって貴様のことは見ている。悪い意味でな……なにかやらかすからな」
「レースやトレーニングでは非常に紳士的で通っている。もちろん、譲るようなマネはしないがね」
「当然だ。そのような真似をして貴様に勝っても意味が無い」
トレーニングの合間のトラッシュトークがてら挑発し合う。
お互いにその程度で揺らぐことはないとわかっているからこその軽口の応酬。そんなつもりで話していると、蚊帳の外だった相棒が尋ねてきた。
いつから知り合いなのか、と。
「お互い入学した時には名前は知っていたが……デビュー前の模擬レースを重ねるうちに、かな」
「当時の貴様は今と考えると協調性がまるでないやつだったな」
「やめろ。君とて、常に剣呑な雰囲気をまとわせていただろう、それは同じではないか」
どんな風に仲良くなったのか知りたい、と相棒が言う。次のメニューまで少し時間がある。
その暇つぶしがてら、私は語り出した。
「あれはエアグルーヴの情熱的な告白を受けた時のことだったかな」
「貴様! 適当なことを言うな!」
〇〇〇
デビュー前のウマ娘は教官からのメニューに従って基礎トレーニングを行う。
とはいえ、多数の相手に一人の教官がトレーニングをつけるのは現実的ではなく、画一的でとりあえずやっておいて損はないがそれをしたところで劇的に伸びる訳では無い、そんな質のトレーニングでしかなかった。
私はそんなトレーニングはほどほどに、自分のトレーニングを中心にやっていた。
「グレートエスケープさん! どうしてトレーニングメニューをこなさないんですか! 選抜レースで見てもらえなければ、困るのは貴方なんですよ」
教官がそのことを咎めてくる。
しかし、そのトレーニングを行えば強くなれるかと言うとそれはノーだ。
それで強くなれるならトレーナーと一々契約なんてしない。
「困るのは私か。ならば問題ないではないのかね。私は私のために走る。メニューも最低限はこなしているし、サボっている訳では無い。問題は無いだろう」
「それはそうだけど……まだ体も出来上がっていないデビュー前に、無闇にトレーニングで負荷をかけたら怪我のリスクがあります!」
「怪我は怖いな、たしかに。だが怪我を恐れていては何も出来ないのでは? ……失礼。休憩時間は終わりなので」
「ああっ、ちょっと! まだ話は……」
坂路を駆け上がりながら、見据えるのは前だけだ。
足元や後ろを見て得るものはなく、才能がない自分はただ前に踏み出すしかない。
私は今日もコースを駆ける。
周囲に目を向ける余裕は、まったくなかった。
デビュー前のウマ娘も定期的に開催される模擬レースに参加し、そこでレース勘を磨く。
流石の私もそのレースに参加することには大いにメリットを感じていたのだが、最近はそうでもなくなりつつあった。
「はっ……はっ……はっ……ふっ……!」
「む、むりぃー!」
「む〜り〜!」
先頭を奪った勢いそのままレースを進め、直線では一気に後続を引き離す。
同学年のウマ娘相手では最早敵う相手はほとんどいなかった。
1着でゴールしても勝利の喜びはなく、ただ自分はいったいなにをしているのかという焦燥に駆られるばかりだった。
こんな同世代を相手に、なんの感動もなく勝つだけで頂点に至ることはできるのか。
模擬レースが終われば、そんな思いを燻らせながら部屋でキャロチを食べ、また次の日からトレーニングに励む。
そして迎えた模擬レース。
今日はいつも以上にギャラリーの数が多い。
あくまで同期しか参加していないから有名なウマ娘はいないはずだというのに。
「今日はデビュー前の子達の模擬レースなのに人が多いですね」
「お前知らないのか? 今日の模擬レースはエアグルーヴとグレートエスケープが同じレースに出走するんだよ。恐らく、この二人がこの世代で一番力があるだろう」
……なるほど。
ほかに出走するウマ娘のゼッケンを盗み見ると、エアグルーヴはすぐに見つけられた。
期待のルーキーというところだろうか、それも頷けるオーラを纏っている。
だからどうした。
最強を目指す私には同期になんて負けていられない。
模擬レースが始まると聞こえる歓声はいつも以上に大きかった。
芝2000mという今回の条件は今の私にはマッチしている。
ほかのウマ娘を制してハナに立つと自分のペースでレースを進めた。
私は私のタイミングでスパートをかける。
直線が見えた瞬間、脚に力を込めた。
しかし――
(なんだと……!?)
「はああああっ!」
エアグルーヴが既に並んでいた。
恐らく先行していたのだろう、しかしこのスピードと切れ味はまるで予想していなかった。
けど、負けるか――!
『グレートエスケープとエアグルーヴの壮絶なマッチレースになった! 2人が後続をぐんぐん引き離す! 壮絶な叩き合いだ! エアグルーヴか、グレートエスケープか、エアグルーヴか、グレートエスケープか!?』
ここまで激しく競り合ったのは、トレセン学園に入学してから初めてだ。
逃げる作戦を身につけてから相手に追いつかせる間もなく逃げ切っていたからこそ、味わうことのなかった勝負。
「あぁ、エアグルーヴに追いつかれた……!」
「グレートエスケープは入学以来逃げ戦法がほとんどでこうした競り合いはほとんどなかった。競り合いになれば最後の力を発揮するのは相手を抜かせないという精神、いわゆる勝負根性が肝になる」
「どうした急に」
「競り合いを経験していないグレートエスケープにとって、エアグルーヴの壮絶な末脚に切れ味で負けてしまう可能性が高いんだが頑張れぇー!」
「どっちも負けるなぁーッ!」
勝負根性が大事?
確かにトレセン学園に入学してからは経験したことの無い展開になっている。
だが――根性の勝負なら、負けられないんだ!
「うおおおおおっ!」
「はあああああっ!」
私は勝つ。
いいレースは勝ったレースだけがいいレースだ。
何故勝ちに拘るのか聞かれたことがある。
そんなもの決まっている……勝つことが『楽しい』からだ!
『グレートエスケープ少し苦しいか! エアグルーヴか、エアグルーヴか! いやグレートエスケープが差し返す! グレートエスケープが差し返す! 大接戦だ! 大接戦でゴール!』
走りきってから膝に手を着いてぜぇ、ぜぇと荒く酸素を求めて肺を稼働させる。
呼吸も忘れるほどのデッドヒートに観客たちは口々に賞賛を口にした。
「かっ……はっ……あぁ……」
息を大きく吸い込んでから、再び長く息を吐く。
余裕な姿を見せつけなくては。
欠片も疲れていないフリをして、まだまだ走れることをアピールする。
今のレース、結果はどうだった……?
『写真判定の末、勝利したのはグレートエスケープ! 今回の模擬レースでは見事に勝利を飾りました!』
アナウンスに対し、拳を握り込む。
しかし勝てると思っていたが、まさかここまで接戦になるとは。
「グレートエスケープ。いい走りだった」
エアグルーヴが近づいてくる。
言葉では賞賛しているが、視線は欠片も敵愾心を隠せていない。
かといってこちらを憎んだり、妬むのではなく、己の至らなさに怒りすら抱えている目だった。
「……今回勝てたのは運が大きい。だが……次も負けない」
エアグルーヴは母がオークスを勝利したウマ娘であり、それもあって入学当初より将来を有望視されていた。
いわゆる秀才というやつなら勝負根性に欠けるかと思えば、ギラついた勝利への執着を見て、私は一目でエアグルーヴを気に入った。
エアグルーヴは鋭い視線のまま言い返した。
「それはこちらのセリフだ。……同学年のウマ娘は多くいるが、GIをいくつも勝利できるウマ娘は僅かだ」
「……そうかね」
「私はそう思っている。それができるのは……私か、貴様のどちらかだろう」
「熱烈な宣戦布告だな。だが何度だって相手をするとも。そして、何度だって勝利してみせる」
「望むところだ……!」
――それからはエアグルーヴとなにかと関わりが増えた。
方や生徒会でも辣腕を振るう副会長であり、反対に私は自分のためなら規則を平気で破る不良ウマ娘。
まさに正反対のタイプで、学園生活ではエアグルーヴが私を注意して、私はそれから逃れるために知恵を働かせる関係になった。
しかし、コースに出れば面白いほどに私たちはよく似ていた。
エアグルーヴは己の掲げる理想に邁進し、私は最強という純粋な欲望に身を焦がした。
目的は違えど、ストイックに自分の肉体を追い詰め、いじめ抜く姿は自然と親近感を湧かせ、それでいて負けたくないという気持ちを奮い起こさせた。
同期のウマ娘には私とエアグルーヴを実力はある者同士でも正反対だと語る娘もいる。
だが、コースで並べば、百の言葉を重ねるよりも雄弁に走りが語り、どこまでも分かりあえた。
トレーニングに励み、時々二人でレースを行う。
専属のトレーナーがつくまで、そうやって切磋琢磨し、強くなってきたのだった。
〇〇〇
「――と、いうわけだ。その時以来、エアグルーヴとは走っていない。だから……宝塚記念で決着をつけるつもりでいる」
「ほう? 模擬レースでは私が勝ち越しているが……それは忘れたらしいな」
「忘れてはいないさ。だが、最終的に本番で勝てばいいのだ。いくつ勝ったかなんてどうでもいい」
お互いに軽口を叩き合う。
既に口元には笑みが浮かんでいて、宝塚記念で雌雄を決する喜びに気が逸っていた。
「エアグルーヴ。決着は宝塚記念だ」
「当然だ。しかし私やお前だけが走る訳では無い。精々足元をすくわれんようにな」
「それほど自分を過信してはいないさ。だが、負けた時の想像は欠片もしていない」
脳裏に浮かんだのはサイレンススズカという稀代の快速ウマ娘の姿だった。
強敵の出現は勝利の邪魔になるが……なぜだろう。
笑みが浮かんでしまうのは。
背を預けていた埒から身を起こして跳ねるようにコースへ向かった。
「相棒! 休憩が長くなってしまったな。私はまだまだ走れる……もっと追い込んでいくとしようか」
エアグルーヴに背を向ける。足音がして、ちょうどエアグルーヴも踵を返したところらしい。
次に会うのは阪神競馬場――宝塚記念の舞台だ。
エアグルーヴ、そしてサイレンススズカ。
強敵に勝つためにも、私はトレーニングに打ち込むのだった。
〇競走馬ワールド
・競馬「ハチ」
古くから競馬ファンに親しまれてきた競馬新聞。予想馬券にある買う種類の馬は8頭以内にしなければならないという鉄の掟が社内には存在する。
・今回の被害馬「メジロブライト」
拙作史上初めて2回目の登場。本来ステイヤーズステークスから年明け初戦のAJCC、阪神大賞典、天皇賞・春を連勝したのだがグレートエスケープにもぎとられてしまった。ちなみに史実での勝利はメジロ牧場最後の天皇賞・春の制覇だった。メジロブライトの父はメジロライアンであり、グレートエスケープの父であるアイネスフウジンとはクラシックを争った関係。そのため、この世界ではそのあたりがフォーカスされたりもした。
・グレートエスケープの血統
父アイネスフウジン
母父シンボリルドルフ
母母父ネヴァービート
母母母父コダマ
※2021/7/20追記
活動報告にて今後の投稿について報告させていただきました。ご一読いただけると幸いです。