今回はウマ娘のみ回。次回から最終章が開始になります。連載形式も今まで通りに戻ります。
天皇賞・秋の前夜。
東京レース場の芝コースを私は歩いていた。
ここ数日は晴天が続いており、芝は乾いている。
明日も晴れの予報で、良バ場で行われることは間違いないだろう。
いよいよ明日、ライバルたちとぶつかることになる。
サイレンススズカ、エアグルーヴ――共に私に近い世代の中では最強といわれるウマ娘たちと。
宝塚記念では届かなかった。
悔しかったし、悲しかったが、それと同じくらいワクワクした。
勝つことこそが好きだったのに、気づいたらより強い相手と走り、そして勝利を掴むことが好きになった。
「私も変わったな」
それが良いか悪いかでいえば、良いことだ。
トレセン学園に来たばかりの頃はガムシャラで、目指す場所や走るために必要なこともよくわかっていなかった。
今は、それが少しだけわかるようになった。
だが――変わらないものもある。
「スズカにも、エアグルーヴにも、勝つ。頂点の座を手に入れる……それは変わらない」
「それは譲れんな。エスケープ」
「やっぱりここにいたのね」
振り返ると、ジャージ姿のエアグルーヴとサイレンススズカが芝コースにやってきていた。
二人とも薄く笑みを浮かべ、リラックスしているようだった。
「どうした、眠れないのかね? 私としては寝不足で挑んでもらえる方が有利になるから助かるが」
「たわけ。昔ならいざ知らず、今の貴様は全力でレースに出走してほしいと願っていることくらいわかっている。下らん嘘をつくな」
「すっかり私を知られてしまっているな」
「当然だ。もう貴様の背を見る訳にはいかん。挑み、挑まれてきてそんなことに気づけない私ではない」
「そうか。スズカはどうだ、調子は」
「変わりないわ。私はただ、先頭を走るだけ……もう、二人が相手だろうと、負けない」
全員、勝ちたいという思いは同じ。
それを再確認すると、三人で笑いあってから、並んで東京レース場を後にする。
会話はまるでない帰り道だったが――不思議と心地よい時間だった。
決戦は嵐の中で――なんてことはなく、予報通り快晴で行われる。
集まった観客は拍手や歓声を送って天皇賞・秋が始まるのを今か今かと待ちわびていた。
地下バ道を歩きながらも聞こえてくる声に、心臓の鼓動が早くなり、手がじっとりと汗ばんでくる。
隣を歩く二人も同じなのだろうか。
私は勝負服のジャケットを羽織り直しながら、二人に宣言した。
「――本当はレースが終わるまで言わないつもりでいたが、今言うべきな気がしたから一度だけ言うよ。……ありがとう。二人がいたから、私は速くなれた。そして、これからも速くなる」
「……ふふっ、どうしたのエスケープ。かしこまっちゃって」
「私たちを動揺させようとでもいうのか? ……だが、切磋琢磨するライバルというものは大切なことには同意する」
「ええ、そうね。私も今まで、何度も色んなウマ娘の背中を見てきた。でも、今日は――誰の背中も見ないわ」
「残念だ、スズカ。今日は私が勝つ。そして、理想の姿というものを世界に知らしめてみせる。勝つのは私だ」
三人並んでコースへ歩いていく。
地下バ道の出口は光で満ちていて、これから始まるレースの結末のように、先が見えなかった。
〇〇〇
最後にグレートエスケープに言葉をかけたとき、彼女の出来は万全だったように見える。
合宿で誰よりも徹底的に鍛え上げたのはグレートエスケープだと、トレーナーたる自分がよくわかっている。
「誰が勝つと思う?」
「やっぱりサイレンススズカ! あのスピードを上回れるウマ娘はいないだろ! エアグルーヴの最高速に加速するための瞬発力や切れ味、グレートエスケープの粘り込むスタミナと勝負根性はすごいがスピードで上回られたら届かないしな!」
「だよなぁ、サイレンススズカが圧倒的な勝ち方をするかもしれないよな!」
観客の多くはサイレンススズカが勝つと予想しているらしかった。
確かに彼女の速度は現役どころか歴代のウマ娘より速いかもしれない。
短距離で活躍するウマ娘ならば匹敵するウマ娘もいるだろうが、天皇賞・秋が行われる2000mだと唯一とすらいえる。
それでも。グレートエスケープが勝つと、確信を持って宣言することができた。
――グレートエスケープ! 絶対に勝て! 勝つのはお前だ!
向正面のスタート地点目掛けて、あらん限りの声援を送った。
「――相棒?」
「グレートエスケープ、早くゲートに入りなさい」
「あ、あぁ、すまない」
ゲートに入りながら、スタンドに視線を一瞬向けて、前を向いた。
まさか相棒の声が届いたのだろうか。
私は馬鹿な、と笑った。
「そんなもの、ずっと私に届いているよ」
ガコン、という音を立ててゲートが開いた。
歓声がどっと湧き起こり、ターフへ躍り出すウマ娘たちを出迎える。
私はただ前だけを見て走り続けた。
脚が軽い。そして、芝を蹴る度に小さな爆発が起こっているかのように脚が進む。
他のウマ娘を見る必要なんてない。
レースに臨めば、エアグルーヴもサイレンススズカも、凄まじいプレッシャーを放っているからこそ、どこにいても位置を感じ取れる。
「サイレンススズカのスピードには敵わない」
「エアグルーヴの切れ味には及ばない」
「二人に勝つには得意のスタミナ勝負にするしかない」
そして、今のレースの展開を見て、
「グレートエスケープはマークしようにもサイレンススズカに追いつけていない」
なんて、観客は考えているのだろう。
事実、私は向正面を走りながらスズカには2バ身近く遅れをとっている。エアグルーヴは感覚的に5バ身後方か。
確かに私はスズカより前を走り続けて逃げ切るようなスピードはない。
スズカも理屈にしろ感覚にしろ、わかっているからそうやって私を封殺しようとしている。
スズカはあくまでまだ全速力ではない。
普通の逃げウマ娘は最初に大きくセーフティリードをとって、最後に粘り込んで勝つ。または自分のペースを作り、最後に突き放して勝つ方法と、分けると二つに分類される。
このスピードを見ると前者に見えるが、実際は後者の戦い方をしている。
素のスピードが速すぎるからセーフティリードをとっているように見えるだけだ。ここからスズカはさらに加速を図るだろう。
それはきっと、第3コーナーと第4コーナーの丁度中間。
私は脚に力を込めた。
『サイレンススズカ逃げる逃げる! どこまで逃げるのか! このスピードはどうなのか、捉えられる娘はいるのか! 1000mを通過なんと57秒4!? サイレンススズカ飛ばしに飛ばしています、後続にこれだけの差が――』
一瞬、東京レース場に響き渡っていたはずの歓声が消失する。
誰もが言葉を失っているのだろう。
「あ、ありえない……!」
誰かがそう呟いた。走っているウマ娘か、観客か、あるいは先頭を走るサイレンススズカの声か。
私の、俺の勝負勘が囁いている。
――ここでサイレンススズカに加速をさせるな、と。
相棒の声が聞こえる。
――いけ、と。
頭の中ではっきり聞こえた声に導かれるまま、コースロスのない内側からではなく、外側から自分の姿を見せつけるようにサイレンススズカを追い抜いた。
(スタミナ勝負に持ち込むにしろ、私が――俺が勝つためにはこれしかなかった。スピードの世界で、一瞬でもスズカを上回ることでしか、勝てなかった)
「っ……いかせない……!」
サイレンススズカがスピードを上げようとしているが差はつまらない。
加速する直前に追い抜かれたことで、再加速までにラグがあった。
そこで生まれた差をもう一度追い抜かすには、サイレンススズカの脚質では難しい。
一度リードをとってしまえば、私はペースを上げることで残りをスタミナ勝負に持ち込める。
自分のペースで走るか、他人を追い抜くかどうかの差だ。サイレンススズカが私を追い抜いて勝ち切ることは難しくなった。
もちろん、後続のウマ娘たち相手に逃げ切るために、へろへろになる直前で粘り込みを図る。
『グレートエスケープが逃げる! グレートエスケープが逃げている! サイレンススズカが必死に追って、中団からエアグルーヴも伸びてきたぞ! しかしグレートエスケープだけが直線に入っている! 坂を上って少しペースが落ちてきたか! しかし逃げる逃げる、これは逃げ切る! エアグルーヴ猛追、サイレンススズカは苦しくなってきた!』
スズカは私のペースに振り回されて脚が一杯になっている。
残るはエアグルーヴ一人。凄まじい勢いで突っ込んできているのがわかる。
どこまでも楽には勝たせてくれない奴らだ。
だからこそ――勝ちたいと思える、ライバルなんだ。
「うおおおおっ!」
「はああああっ!」
「おおおおおっ!」
『グレートエスケープだ、グレートエスケープ! 粘って粘ってグレートエスケープ! 今先頭でゴォォーールッ! 府中2000m、超高速レースを勝利したのは逃亡者、グレートエスケープです!』
そして私は、願いをつかみ取った。
天皇賞・秋を走り抜けた喜びが爆発して、何度も何度も、噛みしめるように拳を握って小さくガッツポーズを作った。
最高の走りが最高の場面で出たと自分でも断言できるレースだった。
「……おめでとう、エスケープ」
「エアグルーヴ……」
息も絶え絶えながらに、エアグルーヴが手を差し出してきた。
祝福の言葉と、悔しそうな表情。
私はエアグルーヴの手を握る。
「……今日は私の勝ちだな」
「ああ。今日はお前の勝ちだ」
握手する私たちに歓声が上がった。
そういえば、スズカはどこだろうか。
振り返ると膝に手を着いて息を荒くするスズカがいた。
私は歩み寄った。
「スズカ」
「エスケープ……おめでとう」
「スズカ……ああ、私は勝ったぞ。スズカより、前でゴールしてみせた。最強の座は譲らない」
「そうね。でも……次は勝ってみせるわ。そのときはまた一緒に、走ってくれるわよね?」
そのとおりだ。そう答えようとして、言葉に詰まってしまった。
なぜか目元がツンと熱くなり、じわりと視界が歪む。
私は言葉ではなく、スズカを思い切りハグすることで答えた。
歓声が一際大きくなった。
「ちょ、ちょっとエスケープ!?」
「何度でも……何度でも走ろう。私がここまで走れたのは、ライバルがいたからだ。また、一緒に走りたい」
「エスケープ。スズカが困っているぞ、離し、うわぁっ!?」
「エアグルーヴも! また走ろう!」
「わかった、わかったから離せ! まったく……」
「エスケープったら……ふふっ」
私はいつまでも、エアグルーヴとサイレンススズカの二人を抱きしめていた。
――数日後。
私は相棒と共に次に出走予定のジャパンカップについて話していた。
「錚々たるメンバーだな、これは」
相棒が頷きながら出走表をホワイトボードに貼り出した。
サイレンススズカやエアグルーヴはもちろんのこと、『皇帝』シンボリルドルフ。『葦毛の怪物』オグリキャップ。『シャドーロールの怪物』ナリタブライアン。
それだけではない、『世紀末覇王』テイエムオペラオーがいて、『超光速の脚』アグネスタキオンが、『天衣無縫の三冠バ』ミスターシービーもいる。
年上たちだけでなく、年下のライバルにも『日本総大将』スペシャルウィーク、『怪鳥』エルコンドルパサー、『常識破りの女帝』ウオッカ。
まさに夢のレースといった様相で、メディアもレースへの注目度がこれまで以上のものとなっている。
「これを勝てば……文句なしでナンバーワンかな」
相棒が答える。
――君はずっとナンバーワンだよ。少なくとも俺にとっては。
「ば、ばかっ、そういうことを言っているのではないッ! まったく……それで。次のジャパンカップで私は勝ちたい。相棒は……どうかな」
グレートエスケープが勝つところを見たい。
目を見てハッキリと相棒が宣言する。
であるならば、私も目指すところはこれまでどおり、何も変わらない。
「ならばジャパンカップで勝利してみせよう。そして、最強を証明してみせる。そうだろう、相棒」
私たちはジャパンカップで勝つために、データを集め始めるのだった。
天皇賞・秋で1着 clear!
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ジャパンカップで1着
Qつまりなんでスズカに勝てたの?
Aスタミナ根性盛りまくってスパートタイミング早くしてパワーで追い抜いてあとは加速と速度をスキルでモリモリモリッ!
前回できなかったので天皇賞・秋の被害馬紹介
・オフサイドトラップ
史実では98年の天皇賞・秋を勝利。屈腱炎で苦しんだ馬だったが重賞を2連勝。その勢いのままGIに手が届いた。サイレンススズカの故障のイメージが強いが、この馬も何度も屈腱炎を乗り越えた不屈の競走馬だった。