なんか長くなって更新遅くなりました!
でもやる気だして書けているのは感想などのおかげです!
遠慮なく感想ください!
「あげません!!」
よよよ~!
そのウマ娘はただそこに座っているだけで風格があった。優美さ、華麗さ、美しさや気品を称える言葉はたくさんあるがそのどれを当てはめても安っぽく聞こえてしまうほど、浮世離れした美しさを纏っていた。
花や光に誘われる虫のように、美しいものに近づくものは出てくる。
あれほどの美人になら近づきたいと思った髪を金に染めた男が話しかけた。
「ねぇ、お嬢さんは一人? よかったらお茶でもどう? 美味しい喫茶店知ってるんだけど」
尋ねられたウマ娘は目をぱちぱちと瞬かせた。
きょとんとしてから、柔らかな笑みを浮かべる。
男の生物的な欲望を隠した仮面に気がつくことなく、それでいて至って社会的な振る舞いで誘いをやんわりと断った。
「ごめんなさい、友人を待っているの。カフェには行けないわ」
「そっか、じゃあ、せめて連絡先と名前だけでも教えてよ! また次の機会にでも行きたいんだ」
「えっと……」
ウマ娘は困ったように笑った。
逃げようと思えばいくらでも逃げられるが、待ち合わせが近づいている今、場所から離れてしまえば友人が困ってしまう。
かといって、強気に迫ってくる男を上手くいなす術を彼女は持っていなかった。
「ねぇ、次空いてる日とかでもいいからさぁ――」
「なんだァ、てめェ……ツレになんか用か?」
「先程彼女は断っていたように聞こえたが、まさか無理矢理誘っているわけではあるまいな」
「あっ、シャカールにグレ!」
ナンパをしていた男は思わずたじろいだ。
女性にしては大きな体格の二人が明らかに警戒の色を視線に込めながら睨みつけてきている。
片方はピアスを開け、つり上がった瞳と眉が好戦的な印象を抱かせるウマ娘で、今にも噛み付いてきそうな危険な雰囲気があった。
もう片方はダークグレーのパンツスタイルスーツで、パイロットサングラスをかけているから表情は伺えない。
だが胸ポケットに入れた手から取り出すものは不吉なものだと、男は予感していた。
ちなみに断っておくがウマ娘を怒らせることは人間にとってかなり危険である。
基本的に温厚な種族とはいえ、仏の顔も三度までという言葉があるように、怒る時は怒る。
ナンパをした男は冷や汗と作り笑いを浮かべながら、その場を後にした。
「ったく……おいファイン、寮から一緒に出ればよかったろうが」
「そう言うなエアシャカール。姫様たっての『どうせなら待ち合わせもやってみたい!』という願いだぞ」
「グレ! テメーもこいつを甘やかすな! 世間知らずのこいつがなにやらかすかわかったもんじゃねえぞ」
「あぁ、シャカールひどい! 今日行くラーメン屋さんの美味しい食べ方教えてあげないよ!」
「別にいいわ。ネットで調べりゃあったからな」
「さすがエアシャカール、ブレないな……ファイン、とにかく大丈夫だったか?」
サングラスをとったのはグレートエスケープ。
スーツスタイルはマフィアを思わせるが、すらりと伸びた足に颯然とした顔立ちがモデルめいた様相を呈している。
黒い髪を後ろで一纏めにし、パイロットサングラスを額にかけた姿はこれからラーメンを食べに行く姿とは思えない。
グレートエスケープとは対照的にジーンズにパーカーというラフな格好のエアシャカールは当然突っ込んだ。
「グレ、てめぇはなんでそんなカッコなんだ……? ラーメン食いに行くって言ってたのに不釣り合いだろ」
「少し調べたんだがこの時間、スーツ姿の会社員が多いらしい。スーツの方が溶け込めるから正体がバレないんじゃないかと思ってな」
「えっ、そうだったの!? どうしよ……私の服、結構カジュアルなやつにしちゃった……」
「アホか! そんなリーマンいてたまるか、マフィアとかヤクザとかだろ、その格好は! ファインも別にあれはドレスコードでもなんでもねェよ!」
先程まで粉をかけられていたウマ娘はファインモーション。エアシャカールのツッコミに「そうなんだ」と感心している。
カジュアルな格好というが、ファインモーションも着飾っており、少なくともラーメンを食べに行く格好ではないのだがツッコミの手が追いついていなかった。
「というかファインはともかく、グレ、お前はラーメン屋に行かないような奴じゃねえだろ」
「今日行く店は初めてだが、ラーメン屋には良く行く。だがいつもこの格好だったぞ?」
「マジかよ……」
ラーメン屋に行くたびに周囲を威圧しまくっていたのだがグレートエスケープは全く気づいていなかった。
(こいつ変なところでズレてるんだよなァ)
エアシャカール、早くも諦観。
今更着替える訳にもいかず、三人はラーメン屋に行くことにした。
「楽しみだね、すっごく美味しいって評判らしいよ!」
「ラーメンラボラトリー(※日本全国のラーメン屋の評価をまとめたウェブサイト)では90点以上ついてるから相当な客が来ているのは間違いないだろうな」
「私も楽しみにしているよ。やはり味も大切だが雰囲気や店員の振る舞いも中々楽しいものだからな」
実はこの三人、飲食店の楽しみ方はまるでタイプが違う。
ファインモーションはとにかく新しいもの、珍しいものを見たいという好奇心旺盛なタイプ。多少味がアレだろうと、物珍しさがあれば目を輝かせる。
箱入り娘ならではの視点。
エアシャカールは論理的かつ合理的なタイプ。味さえ良ければ余程でなければ店の綺麗さや店員の態度などは気にしない。
目的があればそれさえこなせば良いと考えているエアシャカールらしい。
そしてグレートエスケープは、実は『風情』を気にするタイプだった。無論、ラーメン屋に竹林を求めるようなことはなく、ただその店が持つ独特な雰囲気や環境を楽しんでいる。
ええ格好しいなグレートエスケープならではの感性でもあった。
そして三人が選んだラーメン屋の名前は――ラーメン『ウマジロー』。
超こってり系ラーメンにして殺伐とした店内の雰囲気がとても飲食店とは思えないところが魅力のラーメン屋だ。
健康に対して親の仇とばかりに体の悪いものを、体に悪い量入れて食べる。
胃腸だけでなく肝臓や腎臓、心臓にも良くないであろうラーメンだが、暴力的なまでの味が依存者を多数生み出している。
結果、店には既に長蛇の列ができていた。
「すごいならんでいるな」
「わー、そんなに人気なんだぁ」
「ペースを見てると15分くらいで入れそうだぜ」
「私、そういえば列に並ぶって日本に来て初めてなんだぁ。段々匂いが近づいてくるのはすごいわくわくしちゃう!」
「意外だな。姫様なら有名レストランに通っているかと」
「うーん、大抵シェフが家に来ちゃうから並ぶことはないかも……」
「そういうものなのか……すごいな」
こんな調子で話していれば15分もあっという間で、3人は店内に入る。
「すごいなぁ……あ、メニューください」
「ここは食券だ。こういう券売機で買って渡すんだよ」
「そうなんだ! おもしろーい! じゃあお腹減ってるから……ラーメン(大)で」
「私も同じものにしようかな。しかし黙々とみんな食べているな……ラーメン屋に複数人に来るものではないと思うが、随分と静かだ」
(オレも腹減ってるから同じでいいか)
「お客さん……私語はあまりしないでくれねえか」
店長が3人に声をかける。
大柄でスキンヘッドの店長の低く唸るような声に、3人は小さく返事しつつ、通された席に座った。
「マナーに厳しいお店なんだね……やっぱりスーツの人も多いし、こんな格好はまずかったかなぁ」
「姫様、よく見ろ。ラフな格好をした客は他にもいる。気にする必要はない」
「そんなこと言いつつグレはスーツじゃねェか」
小声でやり取りしていると、周囲の客が店員に食券を渡しながら注文していた。
「カタメコイメオオメヤサイアブラニンニクカラメマシマシ」
「!?」
「!?」
「!?」
突如発された謎の呪文を聞き、3人に電流走る。
エアシャカールはスマホで慌てて店名と調べ始めるが、店長が無言で指さした「店内での携帯・スマホ禁止」のポスターを見て、そっと仕舞いつつ焦りを隠せないでいた。
グレートエスケープは店内にさりげなくポスターを探すが見つからない。答えは沈黙――グレートエスケープは黙っていればなんとかなるだろうと考えた。
そしてファインモーションは、目を輝かせていた。
「ねぇねぇねぇ、今のなんだろう、私すごく興味あるな」
小声で隣のエアシャカールとグレートエスケープに語りかける。
(まずい)
(やべェ)
発言を聞くに、恐らくトッピングの類だろう。
そしてこういうときのファインモーションは周囲の人間も巻き込んで興味あることに邁進することが何度かあった。
「いやぁ、私はそんなに……」
「初めての店で冒険するのはロジカルじゃねえしな」
「そっか……そうだよね……三人みんなで新しいものを共有してみたかったけど……また一人で来たときにするね……」
シュン、と落ち込むファインモーション。
エアシャカールとグレートエスケープはそれぞれ手を挙げた。
「カタメコイメオオメヤサイアブラニンニクカラメマシマシ」
「カタメコイメオオメヤサイアブラニンニクカラメマシマシ」
「2人とも……! わ、私も同じのください!」
友情を選択したように見える2人だが賢しいタイプだけあって、全くの無策ではなかった。
少し離れた客が大ラーメンを食べているのが見えた。
あの量であれば、ウマ娘ならば、食べられる。
ウマ娘の胃袋は強靱、一部のウマ娘は想像を絶する食事量を誇っているが、並のウマ娘でも大抵はよく食べる。
そんな打算混じりの友情を見せつけた2人の前に置かれたのは、タワーのように積み上がったモヤシやにんにく、背脂――麺が見えない。
「」
「」
「わぁ、こんなにたくさん出てくるんだぁ……すごい、いい香り。いただきます」
マジかお前。
言葉を失ったグレートエスケープとエアシャカールの驚愕の表情をよそに、ファインモーションは恐れることなく油とにんにくと暴力の真っ只中に飛び込んだ。
「おいしい! 箸が止まらないよ!」
嘘だろ。
ファインモーションはキラキラとした笑顔で野菜を口に含み、底から麺を引きずり出してはすすっていく。
これがファインモーションか。
異国に舞い降り、どんな敵がいようと恐れず己の力が赴くままに蹂躙してみせる王者の風格。
ヤサイアブラニンニクマシマシラーメンに対してもその威風は損なわれていなかった。
姫などという可憐で無力な存在ではなく、力をもってねじ伏せる資格を持つ王、それがファインモーション。
両隣に控える取り巻きと化した2人は怒りすら覚えていた。
なぜあの客の大ラーメンとこんなにも量が違うのか。注文ミスか? レビュー最低点をつけなければいけないのか?
悩んでからそう時間が経たずに答えが出た。
少し離れた客の元に運ばれたラーメン。
「小ラーメンお待ち!」
馬鹿な!
大ラーメンと思っていたそれは、小ラーメンだったのだ!
小か大しかないのに……気づけるかそんなものッ!
2人は叫びたかったが確認しなかったこちらに非があるのは事実。
多少残すのはやむなし。
そう思った2人だが周囲からの話声が聞こえてきた。
「あれ、エアシャカールにファインモーション、グレートエスケープじゃないか?」
「すげえ本物だ。ラーメン食べに来るんだな」
「体重増やすためとかかな。でもあんなに食うのか……やっぱりGⅠウマ娘は違うぜ。飯もたくさん食えるってことだな」
「お客さん、静かに」
「あっすみません」
(残せねェ……!)
(残しづらい……!)
真ん中のファインモーションは幸せそうな顔でラーメンを頬張っている。
いい加減早く食べなければ伸びてしまう。
(こんなラーメンなんだってんだ……!)
(たかがラーメンごときに……!)
2人は割り箸を咥えて割るやいなや、野菜と背脂とニンニクの山に猛然と飛び込んだ。
(二冠ウマ娘がビビってられるかってんだ!)
(私とてダービーウマ娘、あのときに比べれば……!)
「――いける!」
味は悪くない、それどころか美味しい!
こってりとしていて一見胃もたれしそうだが、決して雑な味付けではなく、脂だろうと食べやすいように野菜の甘みやスープのコクを感じることが出来る。
このまま食べきって――
「無理ぃ……!」
「無理〜……!」
「美味しい……実家のみんなにも食べさせてあげたいなぁ」
エアシャカールとグレートエスケープはまだ中間だというのにペースが落ちている。
反対にファインモーションは抜群の手応えで第4コーナーへ差し掛かる勢い。
これはお残しも止む無し、2人がそう考えたとき、すぐ後ろに並ぶ2人組の客の話し声が聞こえてきた。
「ウマジローのラーメン屋のラーメンがなんで大盛りなのか知ってる?」
「聞いたことある、有名だよな! 若い頃大将が腹を空かせて、今にも倒れそうというときに近くのラーメン屋の店主が格安で大量に飯を食わせてくれたんだよな! それで店主になったら若いやつにたくさんラーメンを食べさせてあげたいから大盛りにしてるんだろ? 赤字覚悟で!」
「お客さん、お静かに……」
エアシャカールとグレートエスケープ、再度ラーメンの山に突入!
人情味溢れるエピソードを聞いてもなお食事を残す酷薄な真似は、2人にはできなかった。
そうだ。
トレセン学園で走るウマ娘は、簡単には諦めない。
苦しくなる時もある。泣きたくなる時も、喚きたくなる時も、当たり散らしたくなる時もある。
それでも、何度も立ち上がり、再び走り出すのだ。
どんなに苦しくても、栄光は走らなければ掴めないのだから――!
「ごちそうさまでした!」
「ゴチソー……サン……」
「ごちそうさま……うぷ」
無事、完食!
ファインモーションはお腹いっぱいだと笑顔を浮かべ、残りの2人は小さく震えながら、そうだな、と小さく返すのが精一杯だった。
食べ終えたのを見計らって店長が3人に声をかける。
「嬢ちゃんたち……ウマ娘だと思うが、トレセン学園の生徒かい?」
「はい、そうなんです。仲良しの3人で来ました」
「そうか……最近は忙しくて見ていないが昔はよく見てたっけな……トレセン学園の生徒ならこんなんじゃ足りないだろう、デザートにはこれだ! この店特製のバニラアイス! 脂を口の中でさっぱりさせてくれ」
「わぁ、ありがとうございます! あ、カードでもいいですか?」
「無料だよ。そっちの2人も食べな」
「あ、ありがとうございます……」
「さ、サンキュー……」
アイスすらも手作りだとは、客へ提供する料理に対するこだわりの深さを感じられた。
バニラアイスの甘さと冷たさは口の中に残るニンニクや脂を洗い流してくれるだろう。
ラーメンを食べた後に是非とも食べたいもの。
だがしかし!
(量が……)
(多い……)
バニラアイスがどんぶりに見紛う食器に入っている。とてもじゃないが胃袋に納まる量ではない。
だが気難しそうだった店主が、完食してからは表情を少し緩ませてサービスしてくれたのだ。
グレートエスケープとエアシャカールは、今度はアイスの山に飛び込んだ。
そうだ。ウマ娘の戦いは、折れぬ限り、決して終わらないのだ――!
腹をいっぱいにした3人はトレセン学園に帰ってから、体重計に乗って戦慄したのは言うまでもなかった。
×××
天皇賞・秋を終えて、俺は喝采を浴びた。
タマモクロス以来、史上2頭目の同一年天皇賞春秋制覇――秋の天皇賞が2000mになってから、スタミナとスピード、そして勝負強さを兼ね備えていないと勝てない栄光になった。
外国産種牡馬全盛の中で輝いた内国産の血統。
競馬ファンは俺を最強だと讃えた。
それ以上に語られたのは、サイレンススズカに起きた悲劇だった。
天皇賞・秋でレースを終えることなく故障を発生、そして予後不良の診断が下り、安楽死――スポーツ新聞は『神が嫉妬した』『王座へ手がかかった馬』『運命があるならば、なんて惨い』それぞれ残酷な結果に慟哭を上げていた。
「お前も不運だなァ。俺、サイレンススズカが怪我しなくても絶対勝つと思ってたんだけど……全員がそう思ってるわけじゃないみたいだ」
調子を整えるための曳き運動をしながら、白村がぼやいた。
俺は黙って歩く。
「100回走っても100回グレ坊が勝つと思ってたんだ。少なくとも、あの天皇賞は。なのになぁ、怪我しなければサイレンススズカが……なんて言うやつが多くて。嫌になる」
俺は黙って歩く。
蹄が砂をかいて、足跡を作る。
一歩ずつ、一歩ずつ。
その途中で、他の馬の足跡が上書きされていく。
ここを通ったのはどの馬だろうか。ひょっとしたら一緒に走ったことがあるやつかもしれないし、その血縁かもしれない。
後ろを振り返れば、足跡がたくさんになっていた。
「GIはこれで……5つか? あと2つで皇帝シンボリルドルフに並ぶ。ジャパンカップは先生が出ないって言ったから、有馬記念か……ここ勝てばあと一つ。でもなぁ……5歳だもんなぁお前。引退しちゃうのかなぁ。せめて8勝すれば誰もお前を疑わないんじゃないかな……うーん、来年も走らせてくれないかな、橘オーナーは」
俺は黙って歩く。
俺が歩む度に、他の馬の蹄跡が消えていく。
俺の蹄はそれほど大きかっただろうか。俺の蹄跡は、それほどまでに何かを残すものだったろうか。
きっと、俺の歩んできた跡も、このあと歩く馬たちによって消えていく。その馬たちの蹄跡も、消えていく。
本当に、そうだろうか。
もしも俺が残す蹄跡がもっともっと大きければ、蹄跡で上書きすることは難しい。
「橘オーナー、お前のこと大好きだからなぁ。サイレンススズカを見てナーバスになっちゃうかもしれないし……女だしな、ビビって走らせたくないとか言うんじゃないだろうか。やっぱり成金のそのまた棚ぼただしな、種牡馬にして金を稼ごうとか思ってイギャァァァッ!」
俺は黙って歩くのをやめて白村の足を軽く踏んだ。
軽くといっても馬体重500kg以上あるのだから相当痛いだろう。
爪は割れただろうが骨まではやっていない。
白村に刻まれた最強の馬の蹄跡はしばらく残るだろう。
「おま、おまっ、いたい……ぐぅ〜!! 俺だってお前にもっと走って活躍して欲しいんだよォ……!」
それがわかるから爪で済ましたんだ。本気だったら蹴りくらいは入れてやったところだ。
八つ当たりの気持ちがないといえば嘘になる――俺の中から天皇賞・秋のことはまだまだ消えていなかった。
ギロリと白村を睨むと彼は喉を鳴らして、再び歩き出した。
俺は再び黙って歩き出す。
「けどサイレンススズカが逝っちまった今、社来グループはお前を種牡馬にって躍起になってるらしいぞ。今はトニービン、ブライアンズタイムの産駒が走りまくってるが、サンデーサイレンス産駒もバシバシ出てきてる。ウチのスペシャルもそうだし……そうなると外の血を入れたいんだろうな。GI5勝、それもクラシックディスタンスで活躍した馬。そしてこの前のサイレンススズカとやり合ったことでスピードもあると、確信してたんだろうな……橘オーナーにオファーの話をしまくってるだろうよ。このまま有馬記念をラストランに引退、種牡馬入り……って筋書きで」
サイレンススズカ――あいつは小柄だったから、蹄跡は大きくないかもしれない。だが、俺の眼と脳に焼き付いた蹄跡は到底消えるものでは無かった。
だが、俺がいくらそれを訴えたところで、誰も聞きはしない。
人間はシビアだ。結果を見て判断するだろう。
それと同時にロマンチストでもある。もしも、を想像して物事を語るだろう。
(ダンスパートナーさん……あのときの走りと思いが、今でも俺にはあるよ)
ダンスインザダークやマヤノトップガン、そしてサイレンススズカ――他にもたくさんの優駿たちが消えていったが、蹄跡を残していった。
その蹄跡を大きくするには――
(――勝つこと。それしかないんだよな、ずっと)
俺が負けた馬。
俺が勝った馬。
どんな奴だろうと、決して風化させないように、俺は走り続ける。
だが、時々考える。
元は人間だった俺がなぜサラブレッドになったのだろうか、と。
最初はあるがまま受け入れていたが、多くの人や馬とかかわることで、少しずつだが考えるようになっていた。
俺が生まれた、意味について――そして、何をすべきか、と。
〇〇〇
「グレートエスケープは天皇賞・秋をレコードで走った反動を考えると、ジャパンカップを回避して有馬記念を走ります。怪我などはしてませんし、休めば充分な状態で有馬記念に出走できます――という話だけ聞きにきたんやないですよね、橘オーナー」
その言葉に、橘恵那はこくりと頷いた。
黒井には嫌な予感が半分と、良い予感が半分、それぞれ脳裏に浮かんだ。
橘恵那が口を開く。
「……グレートエスケープを引退させたいんです」
「そうですか」
嫌な予感と良い予感が同時に当たってしまった。
ホースマンとしての理想を追い求める自分がそれはダメだと言う。ホースマンとして現実的なことを語る自分が当然ですなと頷いた。
「でも、どうしたらいいか……競走馬登録を抹消すれば引退というのはわかるんですけど、その後は……どうしたらいいのか、と。一昨年の姉からの指示も『黒井先生に聞け』とだけで」
黒井は言うべきか、言うべきでないか迷ったが――馬はあくまで馬主のもの。
事実だけを口にした。
「実は社来スタリオンステーションから種牡馬入りのオファーが来ています。シンジケート込みで」
「シンジケート……ですか?」
種牡馬に対するシンジケートの内容をかいつまんで説明し、続けてシンジケートの内訳についても話した。
一緒に渡された書類を読んで橘恵那は目を白黒させた。
「じゅ……じゅうおくえん……10億円ですか?」
「シンジケートを受け入れればグレートエスケープは社来スタリオンステーションで種牡馬入り、橘オーナーにはこの値段が支払われます。
シンジケート会員であれば種付けの権利や配当を得ることもできる……もちろん橘オーナーは馬主資格を持っていないから、競走馬を持つことはできませんが……シンジケート会員になって、その分の種付けの権利を毎年余勢株として売っても可能です」
※このあたりからは読み飛ばして貰っても作中の展開を理解するのに問題ありません。
「チョリーッス! ウチは通りすがりのフツピなギャル! 時代が合わないところとかたくさんあるのマジウケる。色々調べてみたけどブラックボックス的なところもなきにしもアラブって感じでTBS。とりあえずこの条件でグレっちがシンジケート組んだ場合の想定で妹ピが貰える額とか色々話していくからよろたん!」
「10億円を60口で割ると1口約1600万円。種付け料は後の衝撃さんとか大王さんとかを見てみると大体1口あたりの15~17%、とりあえずここは15%で計算するよ!
すると……240万円! は? ウチのグレっちに種付けするなら1000万円持ってこいよそんなんナシよりのナシだわ」
「ちなみにゴルシちゃんもシンジケート総額は同じくらいで種付け料300万円といわれてんぞ! このプリチーなゴルシちゃんが300万円とか安いからギザ十10万枚持ってこいよ!」
「ベッケンバウアーだから話戻すわ。
グレっちが種付けを150頭に行ったとする。すると60口のシンジケート会員以外も種付けしてんね? この部分は余勢株ね。黒井センセーが言ってたヤツ。150−60で90頭ぶんの種付けをしたわけね。グレっちマジやばくね? 絶倫やん。まぁなんつーかあれだね、エロい。
そんで90頭に種付け料の240万円をかけるわけよ。すると240万円×90頭分=2億1600万円。さらに会員の数である60で割ると――360万円。
つまり諸経費引いたとして1口持っていれば300万円の収入が毎年得られるって訳。種付け料も付け足すと実質500万円以上だね!
もちろん産駒の活躍や種付け回数で金額は増減するけどグレっちの子なら全頭三冠とるから種付け料爆上げFooo!」
「いや、足んねえだろレース数的に考えて……ゴルシちゃんの明晰な頭脳働かせなくてもわかるわ」
「それな。なんつーか結構しっかりした条件で種牡馬入りしませんかって妹ピは言われてるわけ! メンディーな話でめんご。ふつピギャルの解説おわたにえん! ……グレっちの子供たち、見てみたかったなぁ……」
※読み飛ばしゾーンここまで。
「と、いうわけです。悪い条件ではないでしょうな……決して良血ではないですが、ここまで走った頑丈さや、スピードとスタミナを兼ね備えた点、そして馬体重も500kg前後と大きすぎない馬格が馬産地で評価されたんでしょう」
「……お金は、どうでもいいんです。本来は姉が得るはずのものでしたから……でも、この前の天皇賞で……」
やっぱりか、という言葉が黒井に浮かんだ。
普通の馬主であれば、予後不良は悲劇的とはいえ起こるものと考えるだろう。
しかし、橘恵那は競馬界隈に詳しくない、一般人に近しい感性の持ち主だ。
姉の忘れ形見の馬がもしも事故で亡くなったらと考えた場合、あまり走らせたくないと考えるのは当然だ。
ましてや引退するための条件も整っていると来たら、普通の馬主でも引退させるだろう。
「……まぁ、仕方ないですな」
グレートエスケープも5歳、ここが潮時だろうという気持ちもあった。
GIを5勝、ダービーに天皇賞……誰も文句はつけないだろう。
しかし橘恵那は、引退と断言はしなかった。
「姉だったら……どうしたかったんでしょうか。姉とはずっと一緒に生きてきましたが、競馬のことは全然わかりません。姉がどれだけ好きだったのかも、何を考えていたのかも……姉は、こんなとき、引退して欲しいと思うんでしょうか」
あくまでオーナーは橘馬奈だというスタンスを彼女は崩さないらしい。
律儀なことだと、黒井は感心した。
10億円は決して安くない額だ。馬主は総じて金持ちだが、この金額を無視できる馬主などほぼいない。
決して資産家、富豪の類いでは無い橘恵那にとっては目がくらんでもおかしくない金額だというのに。
黒井は、橘恵那の言葉に対して口を開きかけてから、別の言葉を口にした。
「橘オーナー……お姉さんからは何も聞いていません。預託料などについては遺されていますが。そして、私に故人の思いを代弁することはできませんよ」
「そう、ですよね。すみません……」
もし仮に、橘恵那が引退し種牡馬入りを選ぶ選択をしたとして、それを批判するホースマンはいないだろう。
競馬はスポーツであり、ビジネスだ。
黒井も種牡馬入りを選択することを軽蔑なんてしないどころか、当然とすら思っている。
そしてグレートエスケープの子供たちをまた預かりたいとも、考えていた。
だが、橘恵那はそうではないらしいく、引退させましょう、と答えるためにはまだ何か引っかかっている。
「橘恵那オーナー……馬はあくまで馬主のもの。そして、グレートエスケープの今の馬主は貴方です。貴方が決めるほかありません」
「グレートエスケープの……」
種牡馬入りに関する書類に目を落とす橘恵那。
それを見ながら、黒井は席を立った。
「なにも今日決める必要はありません。また今度、電話でもいいですから……簡単には決められる話ではありませんからね」
「……いいえ。私は、決めました」
橘恵那は種牡馬入りの書類を持つと、一息に破いてしまった。
「――姉だったらどうしたか、考えたけどわかりませんでした。でも、私は……まだ、グレくんが……グレートエスケープが、走るところを見たいと思いました。だから……まだ引退はしません」
「そうですか……そうか、そうか」
黒井は再び席に腰掛けた。そして、橘馬奈から遺言として渡されていた文書の内容を思い出していた。
『グレートエスケープ号が種牡馬入りできるなら、5歳までに引退させてください。お金を望むなら、きっとそちらの方がお金は多く残してあげられるでしょう。しかし、自分から現役続行の希望を妹が言い出した場合――彼女の希望を通してください。妹がグレートエスケープを、競馬を、それだけ好きになったということでしょうから』
姉の橘馬奈は金とグレートエスケープの未来について、深く心配していた。
妹が金を望むのならば、最も利益が出るようにしてほしい、と。その代わり、グレートエスケープが苦しめられることもないように、とも。
しかし今、橘恵那はグレートエスケープの走る姿に魅せられ、高みを目指して羽ばたくことを望んでいる。
だったら、やるべきことは一つだけだと、黒井は頭を下げた。
「ありがとうございます。グレートエスケープはもう1年……見させて欲しいと思っています。まだ私に、預けて貰えないでしょうか」
「はい。是非、よろしくお願いします」
嘘偽りのない本音でいえば、グレートエスケープをまだ走らせたかった。
種牡馬としてではなく、競走馬として、まだまだ活躍できると。
「では有馬記念のあとも、現役続行ということで……来年の話になりますが、大目標は天皇賞・春の連覇としましょうか」
「……いいえ。その、私も色々調べてみて……去年行けなかった……か、海外遠征に……行って欲しいんです」
「……! 海外、それも欧州やアメリカのGI制覇は日本のホースマンの夢です。それでも、聞いてみたい……何故ですか」
「――グレートエスケープに世界一の馬になって欲しい。世界に知られる名馬になって……姉の名と、グレくんの名をいつまでも遺したいんです」
「海外遠征はとにかく金がかかる。輸送費、滞在費、人件費……簡単に数千万円の費用が飛びます。勝つなら欧州に長期滞在して調教し、欧州の馬場に適応できるように鍛えなおさないといけません。滞在費も、かなりかかるでしょう。それでも、行きますか」
「そこは……グレくんの賞金を使わせてもらいます。ずっと貯めていたんですけど……」
「わかりました。社来グループには私から連絡を入れておきましょう。怒ってもう馬を回して貰えなくなるかもしれませんが……グレ坊がいい子を出してくれたら気にしませんわ。どこに行くかは、有馬記念が終わったら決めましょう」
はははと笑ってから、種牡馬入りについて書かれた書類を黒井は片付けた。
そして、書面に『引退時期についてなどは話し合いを』と書かれていることに気がついた。
「……オーナー。何も破る必要はなかったかもしれません」
「えっ……え?」
後日、グレートエスケープは来年は海外遠征を目指し、海外で長期滞在することが発表された。
〇〇〇
有馬記念当日――ジャパンカップは疲労があるからという理由で回避となった。
メジロマックイーンも達成できなかった同一GI3連覇という偉業は見送られることになったが、俺に後悔はなかった。
それよりも、黒井先生や恵那ちゃんから言われた、有馬記念が恐らく国内最終レースになるということに対して気合いが入っていた。
「貴様はまだ走るのだな、グレートエスケープ」
「そういうエアグルーヴは引退か。寂しくなるな」
「ふっ、嘘をつけ。私がいないことでGIを勝ちやすくなって嬉しかろう」
パドックでエアグルーヴと軽口を叩き合う。
前走のジャパンカップでは惜しくも2着となり、そのまま有馬記念がラストランになるようだった。
「そうだな……まぁ、どこかに逝っちまうよりは、引退して道を譲って貰えた方が嬉しい」
「……貴様は、リベンジは果たせたか?」
「いいや。だが、エアグルーヴ……お前よりは……溜飲が下がったかもしれない。一緒に走れたからな」
「そうか……グレートエスケープ。今日のレースで私は、最後だが……勝ちは譲らんぞ」
「譲られるのはもうたくさんだ。力ずくで奪い取るさ」
エアグルーヴと走るのも、今日が最後だ。
また一頭、ライバルがターフを去っていき、俺が後に残っている。
このレースを終えれば海外GⅠ制覇を目標に、外国で調教を積んでいくことになるだろう。
「エアグルーヴが引退して、スズカもいなくなった今、俺はどうすればいいんだろうな」
そう考えると、少しだけ寂しくなって、みんなと同じように引退したい弱気の虫が顔を出してくる。
エアグルーヴはそんな俺に、厳しくも、優しく諭すように言った。
「お前はお前の使命を果たせ。それしかないだろう」
「俺の……使命か」
「ああ。私は多くの人々の期待と願いを背負い、そして応えられるように走ってきた。お前はどうだ、背負うものがあるのではないか?」
なぜだか、エアグルーヴが一際大きく見えた。
実際にその願いを達成出来たのかどうかはわからないが、少なくとも己の全てを尽くしたのだろう。
そんな自信の裏返しが、こうして言動に滲み出ている。
「そうだな。それしかないな……当たり前のことを聞いた」
「貴様がそのような体たらくでは困る。後進が続々と現れているのだからな」
エアグルーヴが視線を向ける。
今年皐月賞と菊花賞の2冠を達成したセイウンスカイ。
ここまで堅実に走り続けてきたメジロブライト。
朝日杯でレコード勝ちをし、復活を期するグラスワンダー。
去年の有馬記念覇者のシルクジャスティス。
今年のエリザベス女王杯ではエアグルーヴに勝利した女王メジロドーベル。
他にもマチカネフクキタル、ステイゴールド、キングヘイローといった優駿たちが一年の締めくくりを飾るために虎視眈々とグランプリホースの称号を狙っていた。
「ラストランを迎える私より高い人気なのだ。不甲斐ないレースを見せるなよ。私が勝って引退するに相応しいレースにしてもらうためにな」
「言ってろ、エアグルーヴ」
今年最後のGⅠレースが、間もなく始まる。
サイレンススズカ――お前を悲劇の最強馬にはさせない。あくまで最強馬に挑み、散った勇者として送り出してやる。
それが今の俺の、走る意味だ。
《第43回 有馬記念 上位人気馬 単勝オッズ》
1番人気 4枠7番 グレートエスケープ 2.1倍
2番人気 6枠11番 セイウンスカイ 4.0倍
3番人気 2枠3番 エアグルーヴ 5.9倍
4番人気 5枠10番 メジロブライト 13.6倍
5番人気 1枠2番 グラスワンダー 16.7倍
『第43回有馬記念、16番ゲートにエモシオンが収まります。各馬ゲート入り完了……今スタートしました!』
ゲートが開くと同時に飛び出していく各馬。大きな出遅れはなく、揃ってゲートに出るとそれそれが自分のとりたいポジションをとろうとテンポを合わせていく。
『1番人気天皇賞馬グレートエスケープがいくんでしょうか、外からセイウンスカイがじわじわとハナを奪いに行きます。ついていくのは6番オフサイドトラップ、秋の天皇賞2着馬。グレートエスケープが控えて3番手です。グレートエスケープ今日は控えました、鞍上梶田健二』
「お先に行っちゃうよぉッ! ここでもワールドレコード叩きだしてやるもんね!」
セイウンスカイがリードをとって逃げていく。
今年の二冠馬にてスペシャルウィークを相手に逃げ切った逃げ馬――菊花賞ではワールドレコードを達成している。
気ままに逃げさせれば捉えるのは難しい、長くスパートをかけられるスタミナと二の脚を持っていると黒井先生とケンちゃんは言っていた。
「グレ、焦るな。今日の馬場は内側が荒れて楽には逃げられない。ロスを少なく、それでいて荒れていないポジションで控えていくぞ」
了解だ。
芝生は今日のレースで内側はかなりデコボコしており、走りづらそうだ。一概にロスの少ない内枠が有利とはいえない状況で、俺はケンちゃんの手綱に従って内ラチからは離れた位置を走る。
脚元の荒れた芝生と荒れていない芝生の境目に近い場所を走りながら、しっかりとポジションをキープする。
「僕の親父はハッキリ言って零細血統だ……僕も全然期待されていなかった。でもここで証明するんだ! 血統なんて関係ない、俺がすごい奴だって。成功しないって言った奴らを、見返してやるんだ!」
セイウンスカイは自分のペースにするため、レースを引っ張ろうとしている。
気合が入っていて、良い走りだ。
スペシャルが負けたのもわかる、だが――若い。
ましてやこの馬場では内側の荒れた馬場を避けるから、楽には走れないだろう。
よほどのスローペースにならなければ、セイウンスカイはさほど恐れる必要はない。
『ビッグサンデー、マチカネフクキタルが追従してエアグルーヴは先頭から6番手といったところ。それを見るようにして外にメジロドーベル、中団になってステイゴールド、内側にサンライズフラッグ。去年の2歳王者グラスワンダー、後ろにダイワオーシュウ、エモシオン、キングヘイロー。シルクジャスティスとメジロブライトが後方にいてユーセイトップランが最後方です。第4コーナーを回って最初のホームストレッチにかかります』
スタンド前の直線を通り、歓声が大きくなる。
馬場の四分どころを走っており、内側の荒れ馬場を避けながら走っている形だ。
「内側空いてるじゃん」
俺を含めてほとんどが内側を空けている中、サンライズフラッグがポジションを押し上げている。セイウンスカイもリズムを掴んだのか、直線でリードを大きくすべく加速している。
俺は4番手でじっくり控えながら、前方と後方をそれぞれ気にしながら走った。
後ろから標的にされている気配がある。
だが慌てる必要はなにもない。
内ラチぴったりのカーブであればコーナリングは少し苦手だったが、全頭が内側を空けて走っている今の状況ではカーブの小回りは少しマシになっている。
状況は俺に有利に働いている。
『セイスンスカイが4馬身、5馬身リードをとりながら第1コーナー、第2コーナーを回っていきます。2番手にサンライズフラッグがいてオフサイドトラップ、グレートエスケープはメジロドーベルと控える展開だ』
「もう、また男の馬……!」
「久々だなお嬢ちゃん。有馬記念に出てきて牡馬がいないのは無理があるだろ」
向こう正面に入り、近付いてきたメジロドーベルに牽制替わりに声かけをひとつ。
こちらから距離をとりたいのか、ペースを上げようとするなど、鞍上の吉原騎手と折り合いを欠いている様子だった。
気合いが空回りしているのもあるだろう。
(エアグルーヴは……落ち着いているな)
ブリンカーによって姿を完全に見ることはできないが、息遣いやオーラからいいリズムで走っていることが肌で感じ取れる。
それ以上にいいリズムを感じさせているのが、グラスワンダーだ。
2歳GⅠをレコードタイムで勝利し、『スーパーカー』マルゼンスキーの再来といわれた今年のクラシック世代の有望株のうちの一頭。
春は怪我で全休し、復帰後の毎日王冠とアルゼンチン共和国杯では凡走するなど早熟説が囁かれていたが、今日の雰囲気からは徐々に調子を取り戻していることがうかがえる。
『第3コーナーに入り徐々にセイウンスカイのリードが詰まってきました。5馬身ほどのリードをメジロドーベルが早めに捕まえようと位置を押し上げていきます。オフサイドトラップもついていきます。グレートエスケープは持ったまま、楽な手応えです。グラスワンダー、エアグルーヴも上がっていきます、間もなく第4コーナーに入る!』
――そういえば、俺はレース中、こんなに周りが見えていただろうか。
今までのように周囲を気にし過ぎているのではなく、ブリンカー越しでもなんとなく展開がわかったり、様子を感じ取れるようになっていた。
(なんだ、見なくてもわかる。走りに集中しながらでも、周りの様子がわかる。セイウンスカイは一杯になりつつある。オフサイドトラップ、メジロドーベルは仕掛けが早い。俺は外目を回って……俺がここにいれば、グラスワンダーとエアグルーヴはさらに外に回すしかなくなる……ケンちゃんもそれを考えてこっちを走らせている)
ケンちゃんも間違いなく完璧な騎乗をしているだろう。
前に広がった芝生と、内側にいる先に仕掛けた馬たちがいて、外側に広がる芝生はまだ誰も視界に飛び込んでこない。
直線を向いて、ケンちゃんの鞭による合図が一つ、二つ入るのに合わせてスパートをかけた。
――負ける気がしなかった。
『第4コーナーに入ってセイウンスカイが逃げる! しかしリードがなくなってきた! メジロドーベル、エモシオン、そしてグレートエスケープが上がってくる、グレートエスケープがくる! グレートエスケープがセイウンスカイに並んだ! グラスワンダー、ステイゴールド、メジロブライトも突っ込んでくる! エアグルーヴは少し遅れている! 200を切ってグレートエスケープ先頭! 大外からグラスワンダー、メジロブライトが迫る! 間をついてステイゴールドもやってきた! しかしグレートエスケープだ! あと100だ、グレートエスケープ抜け出した! グレートエスケープ先頭で今、ゴールイン!! やっぱり強かった、天皇賞春秋制覇に続いて暮れのグランプリも制覇! まさに最強馬です! 夢はいよいよ、世界へ飛び立つか。2着はグラスワンダー、復活の狼煙となるか。3着はメジロブライトです。2頭とも大外から良く伸びましたが役者が違いました』
レースを終えてウイニングランをケンちゃんと行う。
去年シルクジャスティスで制したケンちゃんはこれで有馬記念を2連覇ということになる。
去年の勝ち馬と負け馬、そして今年の勝ち馬と負け馬それぞれ入れ替わっているが、鞍上だけは美味しいとこどりというやつだ。
結果的に上手いことになったのではないだろうか。
『ケ・ン・ジ! ケ・ン・ジ! ケ・ン・ジ!』
スタンドからのケンジコールにケンちゃんは腕を突き上げてこれでもかと勝利騎手の姿を見せつけている。
天皇賞・秋ではあまり喜べなかったから、今回勝ったら思い切り喜びたいと言っていたケンちゃんはとても嬉しそうだった。
「これからは海外出走だな……グレ坊」
「そうだな。今日はお互いに完璧だったな……まさに封殺だ」
「人生で最高にうまく乗ったよ。なぁ、グレ坊」
「うん?」
「俺はお前に会えて……ジョッキーをやっていてよかった」
「それは――俺が引退するときに言ってくれよ」
「……違いない」
……あれ? ちょっと言葉通じてないか?
俺は少しだけ疑問に思ったが、それが不思議だとはすぐに思わなくなった。
だって――言葉なんか交わさなくても、レースではずっと通じ合っていたからな。
そんな相棒と、次に向かうのは超一流の戦場たる、世界の名だたるGⅠレースになる。
きっと、強敵とぶつかり合うことになるだろう。
だが、黒井厩舎のみんなと、ケンちゃんと一緒にレースに臨めば、絶対に勝てるという希望の輝きは決して毀れはしなかった。
有馬記念から数日後。
放牧に出される前になって、俺はエアグルーヴのいる加藤厩舎へお邪魔させてもらっていた。もちろんアポはない。エアグルーヴが牧場へ帰る前にやってきたのだ。
「よぉ、エアグルーヴ」
「貴様……なぜここにいる」
「脱走してきたからな。加藤先生は今は席外してるかな? あの先生、ちょっと俺のこと目の敵にしているから怖いんだよね」
管理馬に苦渋を舐めさせたライバル馬だからか、それとも愛娘に寄ってくる悪い虫と見ているのかわからないが、あまり長居したら問題になりそうだ。
「まったく。それで、何故私に会いに来た?」
「理由がないとダメか? ……理由がないと、くだらない話に来るのはダメか?」
「――……いや」
繁殖馬入りをしてしまったら、もうエアグルーヴとは会えないかもしれない。
彼女は俺と何度も鎬を削ったライバルだ。
どうかお元気で、と簡単に別れを決められるほど、彼女に対する想いは軽いものではなくなっていた。
しばらくレースのことや、厩舎周りで起こったこととか、他愛のない世間話をしていたら、あっという間にエアグルーヴが出発する時間に近付いてしまった。
「エアグルーヴは……良い母親になると思うよ」
「なんだ、励ましか? 似合わない真似をする。そして、随分と似合わない顔をするな、貴様は」
からかうようにエアグルーヴがくすりと笑った。
ずっとレースで顔を合わせていたから、いつもピリピリとしたイメージがあったけど、こうしてみると結構穏やかな雰囲気だった。
まだ、彼女を知らないことがたくさんあるんだなぁ、とため息をついた。
「寂しそうな顔をするな」
「……寂しいよ。もっと話してみたかったからな」
「だがそういうわけにもいかない。私にも使命がある――私に流れる偉大な血を、次代へ繋ぐという使命が。お前もいずれ、その時がくるだろう」
「そうかもな……牡馬と牝馬の違いはあるが」
「――周りが許せば、だが……貴様も、次代に血を繋ぐことになって……そのときに偉大な血統だというのなら……その……か、構わんぞ。私は……き、貴様と……じ、じじ、次代の結晶を紡ぐ、のは……」
エアグルーヴはこちらに背を向け、馬運車に向かう前に、そんなことを言った。
尻すぼみに小声になっていったのだが、馬の聴覚は完璧に言葉の内容を拾っていた。
「よかった。じゃあ、来年――俺はでかいレースを何個も勝って、そしたらお嫁さんとしてエアグルーヴを迎えに行けるような馬になるよ」
「ッ……フン! 期待なぞ、全然してないがなッ!」
足早にエアグルーヴは馬運車へ駆けこんでいく。
乗り込む直前でピタリ、と脚を止めて、最後に一度だけ振り返った。
「――息災でな」
「……ああ。もちろんだ」
エアグルーヴが馬運車に乗り込むのを見届けると、背を向けて歩き出す。
来年からは海外でしばらく過ごすことになる――忙しくなるぞ、と自分に活を入れながら厩舎へ帰っていった。
帰り道、冬の空は雲一つない快晴で、時々身を刺すような冷たい風が吹いていた。
「そういえば……これは浮気になるのかなぁ」
〇競走馬パート
・今回の被害馬「グラスワンダー」
「何が名バ列伝か……!」
説明不要のグランプリホース、グラスワンダー。史実では復活の勝利を挙げたのだが今回は奪われてしまった。その結果グランプリ3連覇という偉業まで消えてしまったとさ。地味にウマ娘勢初の被害馬。
・シンジケート
内容については色んなサイトを適当に調べた結果のガバガバ内容なので真には受けないでください。ウマムスキーワールドではこういうことになっているよという体でお願いします。
・解説役
普通に文章で解説するのはつまらなかったので謎のギャルちゃんとゴルシちゃんに参戦してもらいました。書いてるの楽しかったけど口調調べるのに時間摂られたのは秘密だ!
・浮気
ダンスパートナー(メール送信中)
グレートエスケープ(ダンスパートナーさんからメールだ。どれどれ……
「ごめんね↲
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さよなら↲」)
グレートエスケープ「」
ダンスパートナー「……」