入れたかった没ネタ。ジャパンカップ編。
グレ「これが……この感覚が……勃起……! ピルサドニシパ、これが勃起なんだね!」
ピル「そうだ。これが、勃起だ」
スペ「……!? ……!?!!???!」
早速記者たちは、歴史的勝利を挙げた陣営に群がった。
「勝利ジョッキーインタビューです。見事……見事、凱旋門賞を勝利したグレートエスケープ号騎乗の滝カナタ騎手です。優勝、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「ついに、悲願……日本のホースマンの悲願と言える、凱旋門賞の勝利を達成しました。感想をお願いします」
「健二、勝ったぞ。そして、嬉しいです。子供の頃からダービージョッキーになりたいという思いで、騎手になりました。それが去年叶って……今年は凱旋門賞ですから。多くの人に支えられたから、今があると思います」
「早速ですが、レースでグレートエスケープは控えていました。逃げるという前評判がある中であの戦法は、作戦でしたか」
「えっ? あぁ……まぁ、あれは作戦というより、出遅れですね。スタートした時にバランス崩して、ダッシュが付かず……正直どうなるか怖かったです」
「出遅れていたんですね。それでも、中団から差し切る見事な末脚を発揮しました。最後の直線は馬を信じて、といったところでしょうか」
「そう、ですね……中団に控える競馬はずっと得意ではないと思っていましたが、新たな一面だったと思います。彼は、グレートエスケープは、賢い馬で、我々の話すことを理解してますからね……レースもよくわかっているからこそ、できたことだと思います」
「ありがとうございます。欧州に来てからは、梶田騎手の落馬負傷からの乗り替わりでした。思いがあったと思います」
「やっぱり考えましたね。ケンジ……梶田騎手が育ててきた馬でもありますからね。復帰のための励みにして欲しいです」
「グレートエスケープ号ですが、同一年でキングジョージと凱旋門賞の制覇となりました。この記録はリボー、ミルリーフ、ダンシングブレーヴ、ラムタラの4頭のみが達成した大記録です。いずれも錚々たる名馬ですが、グレートエスケープ号もこの馬たちに肩を並べられたでしょうか」
「先生もケンジも、みんなそう思っていると思います。それほどの馬が日本競馬から生み出されたことは喜ばしいことですし、なにより騎乗して勝てたというのは誇らしいです」
「インタビューありがとうございました。最後に、日本のファンの皆さんへ一言、お願いします」
「ついにこの舞台を勝てたのは夢のようで、嬉しいです。グレートエスケープも人気のある馬ですしね。日本のファンの方々には、いい姿を見せられたんじゃないでしょうか。ありがとうございます」
「勝利騎手インタビューの滝カナタジョッキーでした。では、スタジオに戻ります」
――……
俺が凱旋門賞を勝利して、それはもう忙しかった。
代わる代わるに色んな人が来て、祝福してくれたので嬉しい悲鳴だ。
とはいっても、馬体になにかあってはということで検査につぐ検査。もちろんレースで疲れ切っていたから、体も休めた。
黒井先生や滝騎手は競馬開催があるから、すぐ日本へ帰ったけど、俺も準備したらすぐ日本に帰った。
栗東の厩舎に帰厩、とはいかず、検疫のためにまずは競馬学校の国際厩舎で様子を見られることになった。
そこで、今後について話し合いがあった。
「本来であれば凱旋門賞を勝利した今、種牡馬として引退してもいいと思っています。社来スタリオンステーションからも、以前以上の条件で種牡馬入りを望まれていますから」
「ええ。でも、URA(Uma Racing Association、この世界における競馬開催を行っている組織)と、社来SSの両方からジャパンカップの出走依頼が出ているんですよね」
聞き耳を立てれば、黒井先生と恵那ちゃん、そしてURAの職員や社来SSの責任者といった人達が話し合っているようだった。
聞きなれない、きっちりした雰囲気の声はURA職員だろう。
「はい。日本のファンに最後に走るところを見せて欲しい、と考えています。検疫期間の関係で本来は3ヶ月以上は自由に移動はできないのですが、今回は特例として外国招待馬と同じように国際厩舎と、東京競馬場に留まれば出走可能なように調整します」
「ほう……特例で」
「エルコンドルパサー陣営にも同じように依頼したのですが、オーナーサイドからは断られてしまいまして……断ったことを理由にペナルティなどは一切ありません。無事に種牡馬として馬産地に帰ることも、正しいことですから……」
「とのことです。橘オーナー、如何致しますか」
「く、黒井先生はいいんですか?」
「ジャパンカップにはスペシャルウィークが出走する予定です。私の判断に私情が入り交じる可能性もありますから……」
引退かぁ。
凱旋門賞を勝利した今、確かに潮時だろう。
あれから、脚の調子はイマイチよくない感覚があり、どこまで走れるかもわからない。
恵那ちゃんの返答の答えがない。
めちゃくちゃ小声になっているか、考え込んでいるのか。
しばらく待ってから、恵那ちゃんは語り出した。
「ジャパンカップに……出ます」
「本当ですか!?」
「橘オーナー、今すぐに決めなくても……」
「もちろん勝って種牡馬として箔付けされることは喜ばしいですが、怪我の可能性だってあります。熟慮しても……」
「……グレくん、グレートエスケープのことは、黒井先生を信頼していますから、無事に牧場に帰してくれると思います。それに……日本のファンから支えられていたことも事実ですし、最後に、グレートエスケープの勇姿を見せたいんです。姉が最期に見た舞台と、同じ場所で……」
その言葉に反対意見は出なかった。
ジャパンカップ出走が決まり、そこが引退レースとなることが発表された。
しかし――
「おいグレ坊、調教行くぞ! おい! おいって、動け、動け、動いてよ! 今週ちゃんと走らなきゃジャパンカップでまともに走れないんだよ!」
最近、エヴァン〇リオンを見てハマったらしい白村が俺の手綱を引く。
栗東トレセンには戻らず、東京競馬場に入厩して調教を積むことになった俺は今日も調教を拒否していた。
「動けって! いつも調教真面目にやってただろ!? なんで急に嫌がるんだ!」
いや、疲れてるねん。
キングジョージと凱旋門賞を勝って、引退も決まった今、どうしても走るモチベーションが上がらなかった。
周囲に伝えるために行動で示しているが、かといって受け入れられているわけではなかった。
「いくぞ、世間じゃスペシャルウィークとグレートエスケープ、モンジューの三つ巴の戦いになるって言われてるのに! だらしない戦績じゃ格好つかないだろ!?」
……まぁ、それなら。
俺がすたすた歩き出すと、引っ張っていた勢いで白村がコケそうになる。
転ぶ前に引き縄を噛んで掴み、引っ張り起こした。
「うわっとと!? ……ふー、急にやる気出したな……お前最近、ますます人間の言葉理解してきたな……」
元から理解してるし、黒井先生や西京さんはデビュー当初から気づいていたぞ。
調教師試験を受けるために勉強を始めたという白村だが、まだまだらしい。
激励の意味を込めて、背中を押した。
「なんだよ、今度は調教に行きたくなったのか? んもー、わがままさんなんだから……」
やれやれ。伝わってないな、こりゃ。
繰り返し走るが、調教タイムは至って平凡。単走でしか調教を積めないからというのもあるが、やっぱり気合いが入らない。
正直、無事に一周回って帰ってくるだけでいいんじゃないか、とすら思う。
東京競馬場に逗留している間に、またイベントがあった。
ハードバトラーさんの引退だ。
「グレ様。優勝、おめでとうございます。歴史的な瞬間に関われたことで、私のさして優れたところのない馬生が、色づきました」
「バトラーさん……ニューマーケットで常にいいコンディションでいられたのは、貴方がいてくれたからです。この勝利は俺だけのものではないです。スタッフのみんなはもちろん、ハードバトラーさんの勝利でもあるんです」
「おお……感謝の極み……。GIは疎か、OP特別ですら遥か高みの世界と思っていましたが……キングジョージに凱旋門賞……それを勝利したと思えば、なんともまぁ……幸せなことです」
「どうか、お元気で……ふふふ、バトラーさん、泣かないでください」
「失敬……年寄りは涙脆く……おや、グレ様も……」
「……俺も歳をとりました。またいつか、会える時を楽しみにしています」
ハードバトラーさんは俺と同じく、3ヶ月の検疫期間がある。高齢であり、その上しばらく出走して稼ぐことも出来ないからという理由で、検疫期間が明ければ、引退し、登録を抹消される。
再就職先は乗馬クラブで、そこでは障害飛越競技の競技馬として活躍する予定らしい。
落ち着いていて優しいバトラーさんなら、きっといい競技馬になるだろう。
俺は彼の幸福を祈った。
それでも世界は回っている。
俺は嫌々ながらも調教を積んでいる中で、恵那ちゃんがやってきた。
「グレくん。今日はジャパンカップに乗る騎手を連れてきたよ」
カナタさんじゃないの?
と思ったら、カナタさんはスペシャルウィークに乗るらしい。
キングジョージと凱旋門賞を勝った仲なのに薄情だ! 若い子がいいのか! 天真爛漫道産子けっぱりウマ娘がいいのか! クールな現実主義ウマ娘は好きじゃないのか!
ちょっと思考が混線した。
じゃあノリさんか、また別の騎手か。
まぁ誰でも構わない。あまり下手だと走りづらくてしんどくなるから嫌だけど――
「なんと、騎手は……じゃ、じゃーん……」
俺の前で珍しく明るい態度だ。ちょっと照れてるのが可愛い。
なんて感想は束の間だった。
恵那ちゃんが避けると後ろに立つ人物は手を上げた。
「ようグレ坊。調教ちゃんと走らないんだって? 俺が乗っても……走ってくれないのか?」
思わず後ずさった。
下がった分だけ、その人物は、自分の足で前に踏み出した。
「――遅くなった。ごめんな、グレ坊」
確りと両足で地面を踏みしめ、ヘルメットとステッキを持ったその人物は紛れもなく――梶田健二その人だった。
「ケンちゃん……ケンちゃーーーーん!!!!」
「えっちょっとまてうわーっ!?」
流石に抱きつく勢いで体当たりはしない。
ケンちゃんの周りをぐるぐるぐるぐる回って、帰ってきたことを祝福する。
恵那ちゃんはそんな俺たちを見てくすくす笑っていた。
「今日から調教に乗って、問題なければ来週からレースに復帰する。黒井先生は引退レースのジャパンカップで、乗ってくれって言ってくれたんだ」
「そうか! そうなのか! 今日からか! 一番最初に乗ってくれるのか!?」
「いや、昨日栗東で調教には乗ってきた」
俺はケンちゃんに背を向けた。
「待て待て待って待って! なんで帰る!」
だって俺より先に優先する子がいるんだろう。
いいもん、どーせ選ばれることの無いオッサン馬だし。シルクジャスティスの方がいいんでしょ! 若い子の方がいいんでしょ!
「グレくんがめんどくさくなってる……!」
「グレ坊! いきなりぶっつけ本番で乗ってなんかあったらやばいから、他の子に乗っただけなんだ! 本命はお前なんだよ!」
「梶田騎手はなんか情けない人みたいになってる……!」
ほんとに? ほんとに本命は俺? 他の子にも同じこと言ってるんじゃないのか?
「本当だぞ。本当にお前だけだからな。……それに、ジャパンカップが最後なんだ。お前に乗らないと……元の騎手に戻れねえよ……」
俺はケンちゃんに振り返るなり、顔をべろべろと舐めた。
冗談だ。ちょっとからかっただけだよ。
最後――ああ、本当に最後なんだ。
泣いても、笑っても、これまで走ってきたすべてが、次のジャパンカップで終焉を迎える。
「仕方ないなぁ。本気で走るところ、見せてやるよ!」
ケンちゃんが乗る。
そう考えたら、だらだらなどしていられない。
この日の調教は、久しぶりに気合いを入れて走って見せた。
――ジャパンカップに向けて、競馬界は色めきたっていた。
キングジョージ、凱旋門賞を制した歴史的名馬となったグレートエスケープの帰還、そして引退レース。
競馬界に留まらず、日本中に知れ渡ったその名は、ジャパンカップが近づくにつれて話題に出ない日はなかった。
もちろん、グレートエスケープだけがサラブレッドではない。
XX99年の日本競馬界を牽引したスーパーホース、スペシャルウィークも満を持してジャパンカップに臨む。
同厩舎、同じダービー馬であり、グレートエスケープが世界を制した名馬として迎えられるのならば、スペシャルウィークは日本競馬界の総大将として立ち向かうことを期待された。
さらに、香港最強馬インディジェナス、英国ダービー馬ハイライズ、フランスの強豪タイガーヒルが参戦。それらを押しのけて、海外代表と扱われているのが、フランスとアイルランドのダービーを圧勝し、凱旋門賞では激闘の末に3着だったモンジューが来日する。
世界と日本を制した王者か、世代交代を告げる日本総大将か、欧州最強を再び証明するリベンジャーか。
誰もが名勝負を予感し、ジャパンカップにはなんと20万人近い人々が集まった。
東京競馬場の最高動員数を記録したのが、グレートエスケープの父、アイネスフウジンが制した日本ダービー。
そのニュースを聞いて、往年のファンは運命めいたものを感じずにはいられなかった。
ついに、ジャパンカップ出走馬のパドック周回の時間を迎えた。
パドックはGIレースだけあって、とても多かったが、いつも以上に俺への声援があった。
「グレートエスケープ! ここでも勝ってくれーっ!」
「引退しないでくれー!」
「今日も給料全部ぶちこんだからな、負けるなよぉ!」
横断幕が垂れ下がり、凱旋門賞馬グレートエスケープが讃えられている。
応援と同時に、別れを惜しむ言葉も聞こえてきて、寂寥感を覚えた。
(……橘ちゃん。あんたの選んだ馬は、ここまで声援を送られる馬になったぞ)
「エスケープ先輩」
一人感涙に打ちひしがれていると、声をかけられた。久しぶりの声は振り返るまでもなく、スペシャルウィークのもの。
しかし、俺の目に映るスペシャルは、去年最後に会った時と比べてまるで別馬だった。
「スペシャル……でかくなったな。体じゃなく、雰囲気が」
「はい。エスケープ先輩と走ることは夢でした。今日もすごく嬉しい……ですけど、夢より大切な目標ができました。今日、先輩を追い越して、俺は目標を達成してみせます」
鋭く、磨き抜かれた鋼のような冷たさと、力強さ。
馬体は以前より痩せたようには思えるが、痩せたというより絞られたと表現するべきだった。
なにより雰囲気と瞳だ。
甘さと子供っぽさがあったスペシャルは、気づけば戦ってきたライバルのように鋭い闘志を俺に突きつけている。
「戦いたい相手が見つかったのか」
「グラスワンダーという馬です。完敗でした。次は有馬記念で戦う予定ですが……今度は負けない」
「……そうか。だとしたら、それは思い上がりということを教えてやる。スペシャル、前座で俺に勝とうなんて100年早いってな」
ピリピリとした空気。
俺の最後の相手がスペシャルウィークで、よかった。
最後だから、きちんと仕上げてきた。
無論、もう少し若い時の方が、体の動きは良い。だが、今の俺のベストパフォーマンスは発揮出来る状態だ。
負けてひんひん泣いていた若い奴に、負けてちゃあ格好がつかない。
――旅の終着地点、ジャパンカップ。
俺は、スペシャルウィークを最後に、逃げ切りを19万人の大観衆を見せつけることを決意した。
「うおおお……! 話に混じりたいのに腹が……! くそ、日本にもっと早く来ていれば……注目されてるけど体調悪いのが憎い……! 鬱だ……! しんど……」
その頃、モンジューは輸送による体調不良で一人苦しんでいた。
パドックから本馬場へ向かう俺の下へ来たのは、白村と、西京さんと、ケンちゃん、そして恵那ちゃんだった。
黒井先生はカナタさんと一緒にスペシャルウィークの元へ向かっていた。
「先生はスペシャルウィークの方に行くって。今のグレ坊に、俺はもういらない、ってさ。本当は泣いちゃうから、強がってるだけなのに」
最後に馬体を見ながら、白村が言う。
黒井先生らしい。
「……お前は、すごい賢い馬だったな。引退ってことも、わかってるんだろう? ……みんなは手のかからない子だと言ってるけど、俺は手を焼かされたのは忘れないからな」
確かに、やんちゃする相手は白村か、生まれ故郷の牧場のあんちゃんくらいだった気がする。
気安く接していたが、そのことで助けられたことも多くあった。
「……問題ない。勝ってこい」
言葉少なく、西京さん。
寡黙ながらいつも俺を気遣い、怪我が少なくやってこれたのは、間違いなく厩務員として丁寧に接してきた彼のおかげだ。
今日も、西京さんは寡黙に俺を送り出す。
「グレ坊。遅くなったが、これで最後だ。東京芝2400m……負けたことがないこの舞台で、でっかく伝説を飾ろうぜ。マックイーンですら同じGIを3連覇できなかった。それを達成すれば、また伝説ができるってわけだ」
ケンちゃんは明るく、俺の背に跨りながら鬣を撫でた。
伝説的な……特別な記録。
ここまで来たらとことん作ってやらないと。
俺はくるりとその場では回って見せた。
「グレくん」
そして、恵那ちゃん。
「――最初は、正直怖かった。大丈夫なのかなとも思ったし、そんなに一生懸命走らせる意味があるのか、わからなかった」
ある意味、巻き込まれた人間でもあった。
しかし、決して俺を見捨てることなく、ずっと見守っていて、遂に馬主として目覚めつつある人。
「でも、グレくんが走ってるのを見て――好きになっちゃったみたい」
恵那ちゃんは少女のようにはにかんだ。
とっくにわかっていたことだけれど、言葉にされると、それがたまらなく嬉しかった。
「……グレくん。行ってらっしゃい」
――行ってくる。
パドック周回が終わり、本馬場へ向かうために地下馬道へ向かう直前、スペシャルのところから黒井先生がやってくるのが見えた。
「グレ坊……ありがとな。お前には、たくさんのものを貰ったわ」
黒井先生が俺の首に手をかける。
ブリンカーがするりと外れると、視界が広がり、東京競馬場の大きさを改めて味わった。
「ファンに素顔を見せて勝ってこい。スペシャルの勝利も、お前の勝利も、両方を願ってる」
ありがとう、黒井先生。
競走馬として力をつけたのは、間違いなく黒井先生が俺を見てくれていたからだ。
やりたいことをやらせてくれたし、常に俺の最善を目指してやってくれていた。
俺はそれに応えたくて走ったし、応えられたと自信満々に言える。
だから、今回も応える。
俺の名前はグレートエスケープ――世界を制したサラブレッドだ。
その名前に恥じない走りを、最後に見せてやる。
《ジャパンカップ 最終単勝オッズ 上位5頭》
1番人気 9番グレートエスケープ 1.8倍
2番人気 14番モンジュー 3.7倍
3番人気 13番スペシャルウィーク 4.0倍
4番人気 1番タイガーヒル 10.4倍
5番人気 6番ラスカルスズカ 13.5倍
5枠9番――思えば、日本ダービーと同じ枠と馬番だ。本馬場へ入場した途端に大きくなった大歓声を聞いて、俺はそんなことを思い出した。
「ケンちゃん、ケンちゃん」
「うん? ……ああ、やらないでほしいんだけどなぁ」
ダメとは言ってないからよし!
俺は大観衆に見せつけるように、前脚を高く振り上げ、大きく立ち上がった。
観衆が危険だと、驚きの声を上げるが、ケンちゃんは冷静に手綱を掴んでおり、落馬はしなかった。
「あのときと、一緒だな」
「まったく……勝ってから言うんだよ、そういうのは」
最後を惜しむように、そして勝つために足元を確かめながら、返し馬を行った。
その途中で、第3コーナーと第4コーナーの中間で立ち止まった。
(サイレンススズカ……俺はお前に勝ったあとも、走り続けた。俺と走ったお前もまた、伝説として語り継がれていくのだろうか)
約一年前に起きた、ありふれた悲劇。
今でもサイレンススズカが走っていれば、そんな声を聞く時がある。
これからも、アイツは多くの人々の心で、生きていくのだろう。
「行くか。俺も、いつかは追いつくだろう」
『東京競馬場でファンファーレが鳴り響きました。第17回ジャパンカップ、今回のレースは世界と日本の最強馬の決定戦となりました。世界が注目しています。フランスからはモンジュー、日本からはスペシャルウィーク。そして、敢えて言うのならば今年の世界王者たるグレートエスケープが三つ巴でぶつかり合います。グレートエスケープはこれがラストラン。今日で27戦目、凱旋門賞でついに皇帝シンボリルドルフを超えるGI8勝目を掴んでみせました。さらなる伝説を今日塗り替えるのか。モンジューは凱旋門賞のリベンジを果たすために日本まで来ました。そして日本競馬を引っ張ったスペシャルウィーク。天皇賞・秋では復活の走りを見せ、先輩馬グレートエスケープをなぞるように天皇賞春秋制覇。欧州ではなく日本が最高峰だと叩きつけるのか。ゲート入りは順調です』
いくつもの言葉が思い浮かんだ。
そのどれもが、言葉にしようとしても、上手く口から出てこなくて、切って捨てた。
もう言葉は要らない。
俺はサラブレッド――人間じゃあない。なにより語るべき言葉は持たず、見せつけるのは走り、ただそれ一つ。
『全頭ゲートに収まりました。日本総大将か、フランスの強豪か、凱旋してきた英雄か、それとも伏兵か。最強のメンバーが揃いましたジャパンカップ、今スタートしました!』
大歓声と共にゲートからするりと抜け出す。
真ん中の枠から前に出ると、そのまま加速して第1コーナーへ突入した。
『いったのはやはりグレートエスケープ! 当然逃げます。ハナを奪います。ここでも逃げ切ってみせるのか。その後ろにアンブラスモア、3歳牝馬スティンガーが3番手、鞍上は館山典佑がっしりと手綱を抑えています。そして香港のインディジェナス、さらにドイツから来たタイガーヒル、サンクルー大賞ではエルコンドルパサーの2着と日本には因縁があります。外に並ぶようにステイゴールド、天皇賞・秋では惜しい2着。オースミブライト、滝士郎がいて、イギリスのダービー馬ハイライズは中団の前! そしてラスカルスズカ、あのサイレンススズカの弟です。フルーツオブラヴ、ここにいましたスペシャルウィーク! 日本総大将は丁度中団。ボルジア、そしてスペシャルウィークを見るようにモンジューです。モンジューがどっしりと睨みつけています。オークス馬ウメノファイバーがいて、少し遅れてスエヒロコマンダーです。第2コーナーを回って向正面に入ります。先頭に戻りましょう、グレートエスケープは果敢に先頭を進んでいます。日本を世界の舞台に連れていった偉大なる逃亡者は、ラストランもレースを引っ張ります』
競馬場がとても広く見える。
緑のターフ、隣のダートコース、晴れた空に遠くから聞こえる大歓声と、遠くで声を張り上げる競馬ファン。
そして、後ろから俺を捉えようと追いかける音。
前半はやや遅めのペースだ。
前半800mあたりから、手綱が緩んだ。
「フーっ……いくぞ!」
ここまでペースは1ハロン12秒台が続く緩やかな流れ。後続はこのまま、ペースをじわりと上げた俺についてくるだろう。
ダービーと同じだ。ここからは、最後までスピードが落ちないハイペースのスタミナと根性勝負だ。
『前半の1000mを通過、タイムは60秒ちょうど! それほど速い流れではありません。ゆっくりと、ゆっくりと、噛み締めるようにグレートエスケープは先頭を進んでいきます坂を上って、下りに入ります。馬群に入れ替わりは多くありません!』
「……少し、ペースが速くなってきたか?」
「だが抑えたらポジションを下げちまう。このまま耐えるしかねぇっ」
後続がペースが速いことに気がついたらしいが、もう遅い。第3コーナーで後ろに下がれば、直線を迎えたときにポジションを確保できなくなる。
このまま得意の消耗戦に持ち込んで、競り勝つ!
『第3コーナーに入っていきます。スペシャルウィークは中団やや後ろ、モンジューはスペシャルウィークをぴったりマークしている! 最高のメンバーが揃ったジャパンカップ! 日本競馬は世界に届くことを見せつけるのか、間もなく直線へ入ります! 先頭は依然グレートエスケープ!』
直線に入り、俺も消耗しているがそれ以上に後続も脚を残していない。
あとはポジションの差しか残っていない。
前にいればその分のリードをある程度保ったままゴール板を抜けられるだろう。
「だが……そうならないのが、お前らのめんどくさいところだな!」
『大外からスペシャルウィークが上がってきた! さらにモンジューも後ろから追ってきた! 真ん中からハイライズ、インディジェナス! 世界からの刺客が逃亡者を捉えようとしている! グレートエスケープ先頭! グレートエスケープまだリードが1馬身ある!』
そんな簡単に話がつかないのが、ジャパンカップという世界最強決定戦ってやつだ。
後方でたっぷり脚を溜めたモンジューとスペシャルウィークが襲いかかってくる。
3歳馬と4歳馬という若さ溢れるキレのある末脚に、高齢馬にさしかかりつつある俺ではどうしても劣る部分が出てくる。
『モンジューとスペシャルウィークがグレートエスケープに並ぶ! スペシャルウィーク僅かに先頭だ! モンジューが追う、モンジューが追う! グレートエスケープは一杯になったか!』
俺の血には、歴史が流れている。
生まれた馬が走り、その中で素質を見出され、また走り出した先では同じように素質を見出された他の奴らと競走する。
勝てば、さらに上のやつと。
そして勝ち続けた末に、子孫を残すという生物が生物たり得る行為を許される。
生まれた馬は、さらに素質を見出され、走り出す。
気が遠くなるような選定の果てに、今の俺は生まれた。
魂か、精神か、異物が混じったことは否定しない。
それでも俺の体と、血には、幾多の名馬と、名前も知らぬ馬たちの屍の血が流れている。
(血脈は受け継がれていく……俺より歳上の馬たちがターフを去ったように、俺も後輩に後を託して、ターフを去る……)
知らず知らずのうちに受け取ったバトンを、引き継ぐ時が来ている。
サラブレッドでなくても、生きているならば、前の者から受け取ったものを、継承していかなくてはならない。
それが責任というやつなのだろう。
(人間として生きているときにゃ、考えたこともなかった)
馬になった数年の方が、よっぽどマトモに生きているような気がする。
いや、本当に人だったのかすらも、定かではなくなってきた。
スペシャルウィークとモンジューが少し前に出て、激しいデッドヒートを繰り広げられている。
(こうして、あいつらに受け継がれていくのだろうか……)
もう充分走ってきた。俺はもうここまでだ。
――蹄が大地を抉る。
モンジューに、スペシャルウィークに、受け継いでもらい、先に進んでもらおう。
――ストライドが狭く、回転の速いものに変わる。
俺も俺で、種牡馬として、後を継ぐものたちを生み出さなくてはいけないのだから。
だから――だから、だからといって、負ける気なんてサラサラない!
「まだだぁぁぁぁッ! 俺は挑み続ける、頂点に! たとえ、何度負けようとも! ナンバーワンだとしても! 俺は挑戦者でありつづける!」
「どう考えても限界だろうに! 凱旋門賞も勝ってるのに! 貪欲すぎて自分の器の小ささが突きつけられているようだ! それでも勝つのは、このモンジューだ!」
「エスケープ先輩……! 僕は、貴方を超える! 貴方を超えて、僕は僕の勝たなきゃいけない相手に、勝ってみせる!」
『もう一度グレートエスケープが差し返す! 内からグレートエスケープ! 日欧王者が激突しているジャパンカップ、残りは200mです!』
俺だけではない。モンジューと、スペシャルウィークだけでもない。
「香港最強たる俺が負けていられない……!」
インディジェナスが。
「俺だってダービー馬だ! お前らに負けているところなんてなにもないッ!」
ハイライズが。
「兄貴のような名馬に……兄貴の強さは、俺が引き継ぐ!」
ラスカルスズカが。
「まだ勝てるときではないが、本気出さないのはかっこ悪いだろう!? 球磨ちゃんも、みんなもそう思うだろ!?」
ステイゴールドが。
「俺が……!」
「僕が……!」
「私が……!」
GIを勝っている馬も、勝っていない馬も、出走している馬すべてが、ひたすら前を目指して走っていた。
「――勝つ!!」
勝利という、たった二文字の栄光を求めて。
たとえ、レースをもう走らないとしても、今は、走っている。だから、勝利を目指さないなんて選択肢は、有り得ない。
『グレートエスケープが差し返す! 内からインディジェナス、外からモンジュー、しかしスペシャルウィークだ、スペシャルウィークだ! スペシャルウィークが先頭だ! スペシャルウィーク先頭でゴールイン! グレートエスケープは2着、世界最強は譲らないぞスペシャルウィーク! まさに日本総大将、スペシャルウィークが勝ちました! 勝利タイムはなんとなんとご注目! あのオグリキャップとホーリックスが記録したレコードを0.1秒更新する2.22.1です! 文句なしのワールドレコード!』
走り終えて、どっと疲れが出てきた。
相変わらずレースはしんどい。走り終えたあとは、しばらく走りたくないと思うのだが、今日はそこまで嫌だとは思わなかった。
「エスケープ先輩! エスケープ先輩! 俺の勝ちです!」
スペシャルウィークが駆け寄ってきた。
鞍上のカナタさんは嬉しそうにスペシャルウィークを撫でていた。
初めてのジャパンカップ制覇といってたから、それもあるのだろう。
「エスケープ先輩……僕は、このまま有馬記念にいきます。そこで勝って……僕は僕の因縁に、決着をつけます」
「ああ、そうしろ。なんだかな、あの坊ちゃんがこんなに強くなるとは、少し驚いてる。お前の傍にいて、変化を見ていたかったかもな」
「……それは違いますよ」
「ん?」
「先輩が……遠いところに行って、僕は追いつこうとした。凱旋門賞は行けなかったけど、先輩が遠くにいたから、僕は星に手を伸ばすように、走り続けられたんです」
「そうか……そうだったのか。どうだ、追いつけたか?」
「わかりません……でも、でも」
スペシャルウィークがぼろぼろと泣き出した。
「もっと走りたい! 一緒に! もっと話してみたいこともたくさんあるのに! 引退なんて……嫌ですよぅ……」
相変わらず、まだまだ甘えん坊の小僧だ。
俺は少しだけグルーミングをして、荒れた毛並みを整えた。
「しっかりしろよ。来年はお前が最強馬として、引っ張っていくんだから」
「エスケープ先輩……でも……でも……俺……!」
俺はスペシャルウィークに背中を向けた。
あいつは凄いやつだから、俺がとやかく言う必要はないだろう。
そんな俺に向けて、スペシャルウィークは泣きながら叫んだ。
「俺……次の有馬記念がラストランなんです!!」
ずっこけた。
ジャパンカップのあと、最終レースを終えて、俺の引退式が行われる。
昼休みにエルコンドルパサー、レース後に俺の引退式とは豪勢なことだ。
それまで少しだけ時間があった。
「ふー……」
周りに誰もいなかった。
2歳から走って、6歳までの5年間が今、終わった。
終わったんだ。
「ああ……悔しいな。悔しいッ……ちくしょうっ……!」
しばらくの間、俺は敗北の悔しさに打ちひしがれていた。そして、涙を流し続けた。
引退式では多くのファンが残ってくれた。
それぞれに声を上げて、別れを惜しみ、種牡馬としての活躍を祈り、グッズをたくさん出してくれと言われていた。
グッズを出すのは俺じゃないが。
「お疲れ様、グレくん」
オーナーたる恵那ちゃんが代表に、みんなが俺を労い、たくさんの人々に愛されていたことを実感した。
5年という短い時間だったのに、まるで長年勤めた会社を定年退職するときのようで、少しだけ笑った。
俺は多くの人に見送られて、ターフを去った。
「グレっち……ありがとう」
声が聞こえた。
「俺の方こそ……感謝している。ありがとう、橘ちゃん。みんな……」
ジャパンカップからしばらくして、社来スタリオンステーションで種牡馬入りすることが正式に決定し、発表された。
検疫期間を終えて、一度黒井厩舎に戻ってから牧場に出発することになり、俺は約1年ぶりに自らの馬房に帰ってきた。
右隣はスペシャルウィーク、左隣はダンスパートナーさんがいた馬房だが――今は別の馬が入厩しているらしい。
小柄で若い、栗毛の馬だった。
栗毛の馬はすんすんと泣いて、寂しそうに嘶いていた。
俺の存在には気づいていなかった。
「なぁ……ボウズ」
「ひょえっ!? だ、だれですか……!?」
誰かと聞かれて、俺は小さく笑った。
黒井厩舎、それどころか栗東ではちょっとしたボスのような扱いになっていたのだが、時が経てば俺を知る馬はいなくなるという時の流れが予見できて、それが面白かった。
「俺は……もう引退する馬だ」
「引退しちゃうんですか……? ど、どうして」
「たくさん走ったからな。もう俺は、走る必要がなくなった」
「え、えぇ〜! ようやく優しそうな馬が声掛けてくれたのに……」
「寂しがるな、男だろう? これからは競走馬としてやっていくしかないんだから」
「でも、でも! ママから引き離されて、ようやく前の牧場でも仲良しの子が増えたと思ったら、また引き離されて……寂しいよ〜!」
本来、これが正しいサラブレッドだ。
集団を好む、寂しがりや。草食動物として当たり前とも言える。
「大丈夫だ。いずれ走っていけば、色んなやつと仲良くなる」
「そうかもだけど……でも、おじさんはどこかに行っちゃうんでしょ?」
「おじっ!? ……ま、まぁな」
「僕、聞いたことあるよ。勝てなくなったり、満足に走れなくなると引退させられるって。おじさんも、勝てなくなったの……?」
「……そうだな。もう勝てないだろうな」
間違いなく全力で走ったジャパンカップは負けた。
次のレースはもうないのだから、確かに勝てなくなってしまった。
「でも、そういうものは受け継がれていくものなんだ。俺は先輩から受け継いできた。勝ちたいという心を。夢を、想いを。俺が誰かに受け継いでもらう時が来ただけ……それだけさ」
「おじさんは、誰に受け継いでもらうの?」
スペシャルウィークが真っ先に思い浮かんだが、あいつは俺と同じ時期に引退が決まっている。
良血なだけのことはある。
それはそうと、黒井厩舎には俺の背中を見て育った奴らがたくさんいる。
特定の誰かというものではないだろうと、俺が考え込む沈黙を、誰もいないと解釈したらしい若い栗毛の馬は鼻息を鳴らした。
「……じゃあ、僕が受け継ぐよ。レースにたくさん勝つ。GIだって勝つ! なんか、遠いところの国のGIレースを勝ったなんとかって馬みたいに、そういうところのGIも勝つから!」
「寂しがり屋の甘えん坊が、急にどうした」
「……おじさんが、寂しそうだから。僕も寂しいから、その気持ちはわかるんだ」
「寂しい、か」
自分の心に問うてみれば、なるほどと頷いた。
俺は、ターフを去り、黒井厩舎を去ることが、寂しい。それは間違いない事実だった。
栗毛の若馬には、それが見抜かれてしまったらしい。
「じゃあ……任せようかな。俺の想いを、走りを、積み重ねてきたものを受け継いで、さらに遠くへ運んでくれることを。ボウズ、名前は?」
「僕の名前は……アグネスデジタル。世界中のGIレースを制覇する馬の名前だ」
アグネスデジタル、か。
種牡馬をしていたら、いつか名前を聞く時があったらいいなと、俺は未来に祈った。
「おじさんはなんていう名前なの?」
「俺か? 俺は――」
――グレートエスケープ。ただの、サラブレッドだ。
×××
史上最高にして、唯一といわれるほどのメンバーが揃ったジャパンカップ。
スタートするなり、グレートエスケープが先頭に立った。
後ろにはサイレンススズカ、ダイワスカーレットが続いている。
後ろから追うウマ娘の名前は、誰が聞いても姿と実績が思い出されるほどのスターウマ娘ばかり。
トレーナーとして、レースが始まってしまえば何もやれることはない。
血が滲まんばかりに拳を握り込み、大歓声の中、呼吸すら忘れて担当ウマ娘の走りを見つめていた。
『残り200mでグレートエスケープが先頭です、グレートエスケープ先頭!サイレンススズカが追ってくる、さらにスペシャルウィーク、シンボリルドルフだ! グレートエスケープが並ばれたが、粘っている! グレートエスケープ粘っている! ここからが強いぞグレートエスケープ! ルドルフとグレートエスケープが並ぶ! グレートエスケープ! シンボリルドルフ! 並んだ、並んだところでグレートエスケープ抜け出してゴールイン! 流石の勝負根性! 根性勝負なら負けられない!』
そして、先頭でゴールした担当ウマ娘の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
喜びよりも安堵が先に来るのは、きっと、彼女の勝利を信じているからこそなのだろう。
トレーナーとして、彼女を迎えに、走り出した。
レース中の彼女よりずっと遅いだろうが、それでも、ここまで走ってきた速度は、一緒のはずだ。
〇〇〇
走り終えた瞬間、私は大歓声に全身を包まれた。
まさに最強ウマ娘決定戦という様相を呈していたジャパンカップで勝利した私は、間髪入れずに拳を突き上げた。
「うおおおおおッ!」
ついに。ついに。手が届いた。
渇き、飢えるほどに焦がれた最強という称号へ。
何度も拳を突き上げながら、観客にアピールすると、その度に大歓声が上がった。
まるで子供のように、笑いがこぼれて止まらない。
「――グレートエスケープ」
振り返れば、シンボリルドルフ会長が汗をぬぐいながら、手を差し出してきた。
「今日の君の走りはまさに獅子奮迅だった。覚えているか? 君がデビューする前のことを」
3年前、選抜レースに出た後、イベントレースに出走し、惨敗した記憶は未だに消えていない。あのときの悔しさと、絶望感は、まだ心のうちに棲みついている。
「あのときの君は、正直言って、私に遠く及ばなかった。でも今日は――間違いなく私を越えた。最強のウマ娘だと持て囃されてきたが、今日のレースで、それは塗り替わっただろう」
シンボリルドルフの差し出した手を掴む。
私は笑いながら、首を左右に振った。
「今日は私が勝った。だが――最強の座というものは、また変わるものだ。私が勝ったことで、今度は私を倒そうと、研鑽を積むことだろう。頂点を目指し、走り続けるのがウマ娘――そうだろう?」
振り返ると、今日走ったウマ娘たち全員が、闘志に満ちた視線を私に向けていた。
今日のレース参加者だけではない。
テレビで見ているウマ娘たちも、私が手にした最強の座を奪おうと、夢を掲げることだろう。
「ああ、違いない。ならば、その王座を奪い返すために、捲土重来を期そう。今は――おめでとう、グレートエスケープ」
握手をしてから、健闘をたたえ合うハグをすると、観客の歓声がまたひとつ大きくなった。
シンボリルドルフを越えたとしても、また別のウマ娘が私を越えようとする。ルドルフ会長も、奪還せんとまた私に挑んでくるのだろう。
そうやって、競い合って、どこまでも走っていく――憧れも、誰かも、夢も、越えていくために。
それが、特別な記録として積み重なっていく。
私の名前が呼ばれた。
こちらを大きく手を振っているのは、3年間、支えてきてくれた相棒の姿。
「相棒……これで終わりじゃないんだ。まだまだ、私の道は続いていく。果てにたどり着くまで――相棒。ずっと、一緒に走ってくれるか?」
返答は、聞くまでもなかった。
そして迎えたウイニングライブで歌うのは、Special Recordという曲。願い続ければ、いつかは叶う、そんな想いが込められた歌。
「私にぴったりだな」
幕が上がる直前、呟くと、左隣のシンボリルドルフ会長が小さく笑った。
「似合わないウマ娘なんていないさ」
さらに、右隣のスペシャルウィークが言った。
「次は、私が歌ってみせますから」
勝っても負けても、次々と現れるライバルたち。
華やかさで溢れるトゥインクルシリーズの裏は険しく、厳しい荒野と同じだ。
走るのも難しい大地で、立ち止まってしまう者がいる。引き返してしまう者もいる。
それでも、その先の栄光を目指すから、どんなに脚が痛んでも、前に進むのだ。
夢は、前にしかないのだから。
少なくとも、ここまで歩んできた私は、そう断言する。
だから、諦めないで前に進んでほしい――私は、ウイニングライブを見るすべての人に、想いを伝えるように歌った。
きっと、上手に歌えたはずだ。
――たくさんの仲間であり、ライバルである、みんなに、背中を押されてきたのだから。
固有称号『偉大なる逃亡者』
条件:日本ダービー、ジャパンカップ(クラシック級)、ジャパンカップ(シニア級)を勝利し、基礎能力[根性]が1200以上、ファン数が480000人以上になる
EDテーマ「Special Record!」
ウマ娘編の最後1ハロンは言うまでもなく、夢の11レースのラスト1ハロンの実況をモチーフにしています。
エピローグを投稿して完全完結します。
もう少しだけ、続きます。