賞金は色んなサイトをまわり、当時のものと思われるものを計算しました。日本時代は主にnet keibaを元に調べました。海外は様々な個人ブログやWikipediaや書籍などを調べ、為替レートは近い時期のものを元に計算しています。なのでわりとガバ。
産駒成績は重賞まで考えるとめんど、整合性がとれなくなってくるのでGIまで。順位とかAEIとか適当なので突っ込んだら負け。
あまり気にせず読んでください!!
名バ列伝 その1
「ウマムスキー粒子が俺を呼んでいる……ウッス、仕事やめます……」
「は、はぁッ!?」
ある日、私は仕事をやめて、必死に制止の説得をする上司に背を向けて会社を去った。
仕事に不満があったわけではなく、私もなぜ辞めたのかわからなかった。ただ、ウマムスキー粒子が溢れ出し、仕事をやめなくてはと心の中の黄金が輝いていたのだ。
職場には悪いとは思うが、入社して15年無遅刻無欠勤を貫き、仕事ぶりも問題なかった。それと相殺させてもらうことにしよう。
「何をしようか……」
とはいえ、趣味らしいものはゲームくらい。最近ハマっている、ウマ娘プリティダービーでもやろうかとしたところで、今日はゲームの新情報が生放送で公開されることを思い出した。
時間に合わせて、動画配信サイトを開き、情報を確認する。
「そして、ゲームの最新情報~!」
ウマ娘に扮した声優たちが席に座り、ぱちぱちと拍手をした。
無償石の配布、ゲームシステムの変更や、メインシナリオ、イベントについてなどの話が出てきた。
「最後に、なんと、なんと!」
「おおっ!?」
司会役の声優がもったいぶり、参加者の声優たちもわざとらしく引き伸ばす。
それだけすごい情報なのだろうか。
あまり期待しないで聞いていると、画面が切り替わった。
「新ウマ娘、実装です! 実装されるのはなんと! 『グレートエスケープ』です!」
グレートエスケープ。ウマ娘を知るまでろくに競馬を知らなかったが、それでも聞いたことがある馬の名前。
そして、ウマ娘から競馬をたどると、結構名前が出てきたことを思い出した。
かなり有名な馬なのだろう、コメント欄を開いてみるとお祭り騒ぎだった。
「きたぁぁぁぁぁぁぁ」
「wwwwwwwwwwwwww」
「グレートエスケープ実装!!!!?????」
「よっしゃあああああああ」
「ガチャ石解放の時間だぁぁぁぁぁぁ」
「日本競馬界最強馬実装とかウッソだろお前www」
「よう許可降りたわ」
「おい……なんで……また給料を吐き出すことになってる……?」
「ファッ!?」
「イクゾォォォォォ!!」
どうやら想像以上にビッグネームだったらしい。
(スペちゃんのことを調べていたら、何度か名前を見たことがあるような)
ついでにツイッターを開いてみると、競馬を知らないウマ娘ユーザーも聞いたことがあると反応するアカウントが多数あり、さらに競馬に詳しいアカウントはグレートエスケープの実装に奇声を発していた。
「なになに……グレートエスケープはこんなウマ娘……『アニメ1期のエルコンドルパサーに凱旋門賞で勝ち、ジャパンカップでラスボスだったウマ娘の元ネタ』って……ああ、この強そうなウマ娘がグレートエスケープだったんだ」
アニメではグレイテストランという名前のウマ娘だったが、生放送で公開されたビジュアルはだいぶ違った。
(許諾とれたんだな……でもどんな馬なんだろ)
さらにツイッターでグレートエスケープの情報を探ってみる。
「種牡馬としても活躍して、産駒は……もうかなり少なくなってるのか。XX15年生まれの産駒が最後で……もう数えるくらいしかいないじゃん。うーん残念」
ツイッターではお祭り騒ぎと同時に、オタクの妄想、グレートエスケープの性能予想、奇声をあげながらのたうち回るアカウント、現役時代の動画などなど、情報が氾濫していた。
生放送での情報によると、まずサポートカードが明日からガチャに実装されるらしい。
ランクはSSRで、性能は実装されてから攻略wikiなどがすぐに挙げるだろう。
「……イケメン系ウマ娘なんだな。なんかかっこいいし……可愛い」
フジキセキやエアシャカールを推していた私の性癖には合っている。
まずは彼女を知るところから始めることにして、まずは定番のwikipediaを見ることにした。
〇〇〇
グレートエスケープ(英:Great Escape)は日本の競走馬、種牡馬。XX99年に日本生産馬、日本調教馬として初となる、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(以下KG6&QES)と凱旋門賞を優勝し、同年に欧州年度代表馬であるカルティエ賞を受賞した競走馬。芝重賞14勝は日本歴代1位、そのうち芝GⅠを8勝しており、芝GⅠ勝利数はアーモンドアイに抜かれるまで日本歴代1位だった。獲得賞金もテイエムオペラオーに抜かれるまで世界歴代1位。XX00年に現在までで唯一となる満票でURA顕彰馬に選出された。
種牡馬としてはXX03年にファーストシーズンリーディングサイアーを獲得。XX09年にリーディングサイアーを獲得するなど活躍した。
グレートエスケープ
現役期間:XX95年~XX99年
欧米字:Great Escape
香港表記:大脱走
品種:サラブレッド
性別:牡
毛色:黒鹿毛
生誕:XX93.4.1
死没:XX18.8.26(25歳没)
父:アイネスフウジン
母:シルバーパート
母の父:シンボリルドルフ
生国:日本(北海道・浦河町)
生産:懇備弐(コンビニ)牧場
馬主:橘馬奈(タチバナ・マナ)→橘恵那(タチバナ・エナ)
調教師:黒井昭寿(クロイ・アキトシ)
調教助手:白村駿輔(ハクムラ・シュンスケ)
厩務員:西京白哉(サイキョウ・ビャクヤ)
【競走成績】
タイトル
・URA賞年度代表馬(XX96年・XX99年)
・最優秀3歳牡馬(XX96年)
・最優秀4歳以上牡馬(XX99年)
・最優秀父内国産馬(XX96年・XX98年・XX99年)
・カルティエ賞年度代表馬(XX99年)※欧州年度代表馬
・カルティエ賞最優秀古馬(XX99年)※欧州最優秀古馬
・顕彰馬
生涯戦績 27戦16勝
(中央競馬)23戦13勝
(イギリス)3戦2勝
(フランス)1戦1勝
獲得賞金 16億4416万7000円
(中央競馬) 14億2458万4000円
(イギリス) 64万4200ポンド →約1億2180万円
(フランス) 498万7500フラン →約9778万3000円
IC
120L(1996年)
119L(1997年)
122L(1998年)
136L(1999年)
勝ち鞍
GⅠ 東京優駿 XX96年
GⅠ ジャパンカップ XX96年・XX97年
GⅠ 天皇賞(春) XX98年
GⅠ 天皇賞(秋) XX98年
GⅠ 有馬記念 XX98年
GⅠ KG6&QES XX99年
GⅠ 凱旋門賞 XX99年
GⅡ 弥生賞 XX96年
GⅡ 神戸新聞杯 XX96年
GⅡ 日経賞 XX97年
GⅡ 阪神大賞典 XX98年
GⅡ プリンスオブウェールズS XX99年
GⅢ ラジオたんぱ杯2歳S
【競走馬時代】
〇生い立ち
XX93年4月1日、北海道浦河郡浦河町の懇備弐牧場で誕生。懇備弐牧場は年間10頭前後を生産する中小の牧場で、生まれた当初のグレートエスケープは病弱だった。牧場長の天長働郎は競走馬になれるかどうかを心配し、牧場の経営が傾くことを覚悟したという。
1歳のときに重度の肺炎にかかり、生死の境を彷徨う。しかし奇跡的に回復、それ以降は病気や怪我をせず、みるみる馬体が成長し、1歳後半ではバランスのとれた馬体になった。
そしてサマーセールに上場させる予定だったところ、馬主になったばかりの橘馬奈が「一目ぼれした」と場長の天長に交渉。若く、女性だった橘に対して天長はセリで500万円で売れるだろうと踏んでいたところ、800万円を提示。それに対して「安すぎる」と3倍の1500万円を橘に提示され、庭先取引にその場で応じたという。
庭先取引の価格の通り、父アイネスフウジンこそ新種牡馬として比較的期待はされていたものの、牝系は古来から日本で紡がれてきたといえば聞こえがいいが、悪く言えば古臭い血統だった。母父シンボリルドルフも高い評価はされていないことから、あくまで良い馬体をしている、という評価にとどまっていた。
しかしその後、懇備弐牧場を訪れた黒井昭寿調教師がグレートエスケープを高く評価。黒井自らオーナーに依頼するなどして、栗東の黒井厩舎に入厩することが決まった。
育成牧場を経て入厩を間近に控えたころには胴はすらりと伸び、クラシックディスタンスから長距離向きだという評価を関係者からされていた。その際の育成担当スタッフや、黒井厩舎の白村駿輔調教助手(現調教師)は「もしかしたら菊花賞を狙えるかも」と願望混じりの期待をしていた。
・馬名の由来
馬名は1963年に公開された映画「大脱走(原題:The Great Escape)」に由来している。橘が懇備弐牧場へ購入する1歳馬を見に行った際に、グレートエスケープは放牧地から脱走して彼女の前に姿を現した。その際に橘は馬名を「グレートエスケープ」に決定したという。
〇2歳(XX95年)
XX95年6月4日、京都競馬場芝・内回り2000mでデビュー。鞍上は梶田健二。1番人気に推されるが道中かかってしまい、前半1000mを58.2秒という2歳馬ということを抜きにしても超ハイペースで逃げてしまう。結果として3着だったが、レース後の消耗は軽度であり、前述の超ハイペースでも3着に残ったことから調教師の黒井は「ひょっとして大きいところを勝てるかもしれない」と感じたという。休養を挟んだ未勝利戦(阪神競馬場芝1600m)では持ったままで2着に5馬身差で圧勝し、未勝利を脱した。
3戦目は自己条件ではなく、格上となるOP特別の芙蓉ステークス(中山競馬場・芝2000m)を選択。栗東所属にもかかわらず、中山で行われる芙蓉ステークスに出走したことについて、黒井は「グレートエスケープの輸送に対する耐久性を見る。体重があまり減らないのであれば、皐月賞、ダービーを狙える」と記者に答えていた。
芙蓉ステークスは1番人気こそシーズグレイスに譲り、2番人気となる。しかしレースでは逃げて直線で後続を突き放す、強い勝ち方で勝利。OP馬となった。体重も減らず、中山の小回りも苦にしなかったことから、黒井は密かに三冠を意識し始めた。厩舎スタッフも、ダービーを狙えるのではないかと期待が徐々に高まっていた。
休養を挟みつつ、次走は有馬記念前日に行われるラジオたんぱ杯2歳ステークスが選ばれた。GⅢながらも、阪神芝2000mという距離から関西の素質馬が集まる重賞であり、事実上の関西2歳馬最強決定戦の様相を呈していた。
また、1週前の朝日杯ではサンデーサイレンス産駒のバブルガムフェローが勝利しており、同じ父サンデーサイレンスであるロイヤルタッチ、イシノサンデー、ダンスインザダークと合わせてサンデー四天王と呼ばれていた。来年のクラシックでの活躍はサンデーサイレンス四天王を中心に回っていくと思われていた。当日、グレートエスケープは上記の3頭に加え、後にNHKマイルカップを勝利するタイキフォーチュンに次ぐ5番人気に推される。
レースではゲートを出ると、スムーズに逃げを打ち、直線でも脚は衰えず、サンデー産駒たちの瞬発力に対して粘り込んで勝利した。3連勝で重賞初制覇を決め、2歳シーズンを終えた。
〇3歳(XX96年)
クラシックで有力視されていたサンデーサイレンス産駒に対して正面から勝ち切ったことで、クラシックはバブルガムフェローとグレートエスケープの2強という評価をされていた。そして皐月賞トライアル、弥生賞へ臨む。
レースでは逃げず、道中を3、4番手で進み、直線で先頭に立つと追ってくるダンスインザダークを抑え、勝利。危なげない勝利に逃げ以外でも競馬ができる優等生ぶりから、周囲から三冠の期待がかかりはじめたという。
皐月賞では有力なライバル候補であるバブルガムフェローは骨折で春は全休、ダンスインザダークも熱発で皐月賞を回避するなど、皐月賞制覇の障害はほとんどない状態だった。枠も逃げ馬に有利な1枠1番を引き、それもあって単勝オッズ1.8倍の圧倒的1番人気に推される。しかしゲートを出た際につまずく不利があり、後方からの競馬を余儀なくされる。そして直線で伸びを欠き、10着に終わった。
次走の日本ダービーでの1番人気は皐月賞を回避し、プリンシパルステークスを勝利してきたダンスインザダークだった。グレートエスケープは前走の敗北が響き、4番人気でレースを迎えた。返し馬では立ち上がるほど入れ込んでいたグレートエスケープだが、レース後鞍上の梶田がインタビューで「頭をぶつけるかと思った。それくらいギリギリのタイミングでスタートが決まった」と回顧するほど抜群のスタートを決めると、最初の1000mを59.4秒で通過するハイペースでレースを進める。途中で12秒台のラップを挟むが、残り1000m地点からは再びペースを上げた。直線、猛追するダンスインザダークが肉薄するが追い付かせず、最終的に1馬身差で逃げ切り、1位入線を果たした。タイムは2.25.0で父アイネスフウジンがXX90年に記録したダービーのレースレコードを0.3秒更新した。
この記録は東京競馬場が改修されたあとのXX04年のダービーをキングカメハメハが勝利するまで、破られることはなかった。父アイネスフウジン以来の逃げ切り勝ちであり、またXX91年トウカイテイオー以来5年ぶりの父内国産馬のダービー制覇だった。
鞍上の梶田は戦後2番目の若さとなる、24歳でのダービー制覇を達成した。
この年の8月、馬主の橘馬奈が死去し、実妹の橘恵那が名義を受け継いだ。橘恵那は馬主資格を持っていなかったため、相続限定馬主という扱いだった。
日本ダービー制覇後、黒井は凱旋門賞挑戦を示唆していたが、馬主の橘が死去したこと、レース後の疲労が大きいため海外遠征は取りやめ、菊花賞を目指すことを明らかにした。
長期休養明けの神戸新聞杯(阪神競馬場・芝2000m)は他に重賞制覇した馬が1頭だけと手薄なこともあり、1.2倍の圧倒的人気に応え、5馬身差で勝利する。
続く菊花賞では単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持されるが、直線残り50mで猛然と突っ込んできたダンスインザダークに交わされ、2着に敗れる。
菊花賞後、陣営はジャパンカップか有馬記念に出走するか検討し、ストライドの長いグレートエスケープには東京競馬場が合っていると、ジャパンカップ出走を表明した。
ジャパンカップは古馬最強格のサクラローレル、マヤノトップガンが回避したものの、3歳で天皇賞(秋)を優勝したバブルガムフェロー、凱旋門賞を勝利したエリシオ、KG6&QESを制したペンタイアなどが参戦するなど豪華メンバーが揃った。その中でグレートエスケープはエリシオと人気を分け合いつつも1番人気に支持される。
レースではグレートエスケープはハナを奪い、緩みないペースでレースを進める。最後の直線でもスピードは落ちず、追いすがるシングスピールを2馬身突き放して勝利を飾った。タイムは2.23.4と自らが記録したダービーレコードより1.6秒も速かった。内国産の3歳馬のジャパンカップ制覇は史上初、また日本ダービーとジャパンカップの同一年制覇を記録した。これは、グレートエスケープの他に現在までジャングルポケットと産駒のグレートチャンプが達成したのみの記録である。
古馬相手に引けをとらないことを見せつけ、グレートエスケープは3歳シーズンを終えた。GⅠ2勝が評価され、この年、最優秀3歳牡馬と年度代表馬を受賞。
〇4歳(XX97年)
XX97年のURA授賞式で黒井は改めて海外遠征、ひいては凱旋門賞挑戦を表明。初戦は阪神大賞典か日経賞が候補にあったが、「今年の凱旋門賞を終えたあとはジャパンカップか有馬記念を走る予定。中山の芝2500mはトリッキーだから、ここでいけるかどうかを判断する。輸送はあまり苦にしないからコース適性が気になりますね」と述べ、初戦は日経賞となる。
日経賞当日、雨の影響で初めて重馬場でレースに臨むことになったが、唯一のGⅠ馬として単勝オッズ1.5倍の圧倒的1番人気に推された。スタート直後、馬場に足をとられて躓き、中団に近い6番手でレースを進めた。最後の直線ではしぶとく伸びてローゼンカバリーをクビ差抑えて勝利。不利もあったが、前哨戦を勝利し、次走は天皇賞(春)となった。
天皇賞(春)は前年の覇者にして有馬記念も制したサクラローレル、GⅠを3勝している一昨年の年度代表馬マヤノトップガン、その2頭に加えてGⅠで好走を続けるマーベラスサンデーの新平成三強を抑えて、1番人気に推される。
レースは2番手で進め、直線では一時先頭に立つも粘り切れず、4着に敗戦。レース後、右前脚の骨折が判明した。この敗戦と長期離脱により、凱旋門賞挑戦プランは白紙となった。天皇賞(春)後に手術を行い、回復が良好だったため、本来冬に復帰するはずだったが、秋の緒戦であるGⅡ京都大賞典で復帰することが発表された。
・スランプの秋
GⅡ京都大賞典ではこれまでデビューからすべてで手綱をとってきた梶田がシルクジャスティスに騎乗するため、滝カナタに乗り替わりとなる。先頭でレースを進めたが、直線では伸びを全く見せず、最下位の11着と惨敗した。レース後、滝は「第4コーナーまでは他が相手にならないくらいの手応えでした。どこまで千切るのかすら思ったけど、直線では馬が走ることをやめてしまいました。怪我か長期休養明けのせいかはわかりませんが、ちょっと分からない負け方ですね」とレース後振り返った。調教師の黒井も「状態は良かったから、ここまで負けたのはちょっと信じられないです。叩いたことで変わるとは思いますが」と首をかしげていた。
次の天皇賞(秋)では鞍上は梶田に戻る。レースは3番手で進むが、直線でまたも勢いを見せず、13着の惨敗を喫した。梶田は「手ごたえは抜群なのに、直線で失速してしまう。馬がレースを嫌がっているのかもしれない」と述べた。
・復活のジャパンカップ
このときには早熟馬だったのでは、という評価が出始めていた。次走のジャパンカップでは梶田から美浦の館山典佑に乗り替わる。欧州でGⅠ5勝のピルサドスキー、牝馬ながら天皇賞(秋)を制したエアグルーヴ、前哨戦の毎日王冠を快勝したバブルガムフェローが人気になり、グレートエスケープは5番人気だった。
スタート後、鞍上の館山は出ムチを入れると、後続に一時は10馬身近い差をつけて大逃げを打った。直線でも差は詰まらず、2着に6馬身差をつけて圧勝した。
ジャパンカップは前年に続き、連覇を達成。ジャパンカップ連覇は史上初(後にXX12年・XX13年にジェンティルドンナが達成)の記録だった。
次走の有馬記念は引き続き館山が騎乗する。8枠16番の不利な大外枠だったが果敢に先頭を奪う。しかし直線ではシルクジャスティス、マーベラスサンデー、エアグルーヴに交わされ、4着。いずれもアタマ差、ハナ差で固まってゴールしており、復調の兆しは見せていた。
〇5歳(XX98年)
5歳シーズンの目標は再び凱旋門賞となる。しかし黒井は「あくまで目の前のレースを走った上で挑戦するか決める。今年は挑戦者、一戦を大事に戦っていく」と流動的な目標であることを強調した。
春の初戦は阪神大賞典(阪神競馬場・芝3000m)が選ばれた。また、鞍上は滝カナタに乗り替わり、天皇賞(春)も含めて騎乗することが決定した。人気は2連勝中の4歳馬、メジロブライトが1番人気、前年の有馬記念覇者シルクジャスティスが2番人気でグレートエスケープは昨年末の不調、長距離の折り合いが不安視され、3番人気に。レースではギガトンが単騎で逃げ、グレートエスケープは離れた2番手で集団の先頭に立つ。直線では鞭を一発、滝が入れるだけで後続を突き放し、残りは流して2着の馬に1と1/2馬身の差をつけて勝利した。
・ブリンカー
天皇賞(春)からは黒いブリンカーを装着することが決まった。理由として「レースを理解するくらい、賢すぎるため他馬を気にしやすい。その矯正のため」と調教助手の白村は語った。このブリンカーはラストランのジャパンカップで外すまで、着け続けていた。
黒鹿毛に黒いブリンカーを装着したことで見た目にもさらに人気が起こり、いしだみほ作の漫画「馬なり3ハロン劇場」ではパイロットサングラスとして表現され、それ以降作中ではトレードマークとなった。
天皇賞(春)は単勝1番人気に推されると、レースでは後続を離して逃げる2頭を見る形の3番手でレースを進める。第4コーナー手前からスパートをかけるとそのまま先頭に立ち、追い込んでくるメジロブライトを抑えて1と3/4馬身差で優勝した。
鞍上の滝カナタはXX92年メジロマックイーン以来の天皇賞(春)の勝利で、5勝目を挙げた。
滝は「メジロマックイーンを思い出しますね。スタミナがあって、先行したまま押し切れるタフな馬。長距離ならそう簡単に負けないと思います」とグレートエスケープがステイヤー向きであることを述べた。
次走の宝塚記念では鞍上が滝から梶田に戻り、ファン投票1位、単勝1番人気に推された。レースでは逃げるサイレンススズカの2番手につけるが、1/2馬身差の2着に敗れる。
レース後、「今回は完敗だった」と黒井は述べた。数日後、札幌記念を前哨戦に凱旋門賞へ挑むプランが明らかとなった。
続く札幌記念は59kgを背負い、エアグルーヴと対決する。レースでは第3コーナーで併せたまま先頭に立つと、直線で激しい叩き合いを演じた末、ハナ差で敗戦した。
この敗北後、陣営は疲労が抜けないことを理由に凱旋門賞は回避。国内で天皇賞(秋)から始動することを明らかにした。
天皇賞(秋)ではサイレンススズカとの一騎打ちが期待された。レースでは二頭が後続を大きく離して大逃げを打った。第3コーナーと第4コーナーの中間地点でサイレンススズカに故障発生、競走中止となるがグレートエスケープはそのまま逃げ切り、レースレコードで勝利を収めた。この勝利によってタマモクロス以来の史上二頭目の天皇賞春秋連覇を達成した。
ジャパンカップは3連覇がかかっていたが、間隔が短く疲労がとりきれないことを考慮し、回避して有馬記念へ向かう。
有馬記念では単勝1番人気に支持されると、好位につけて最後は直線で抜け出し、2着のグラスワンダーに1馬身差をつけて勝利。梶田は前年のシルクジャスティスに続いて有馬記念2連覇を達成した。
この年、天皇賞春秋制覇と有馬記念勝利など、重賞4勝、GⅠ3勝、6戦全連対を達成し、最優秀父内国産馬を獲得するも、最優秀4歳以上牡馬、年度代表馬はジャック・ル・マロワ賞含むGⅠを3勝したタイキシャトルに譲った。
・種牡馬入りオファー
社来スタリオンステーション(以下社来SS)より5歳シーズンで引退し、種牡馬入りするオファーがあった。シンジケートは10億円とも言われていたが、陣営は海外GⅠ勝利を目標に、オファーを断り、翌年も現役続行が決定した。
〇6歳
・海外遠征
XX99年は海外遠征することが発表された。外国の馬場で戦えるよう、調教を海外で積む長期遠征となることが強調された。発表当時は目標レースは未定だったが、イギリスのKG6&QESを最大目標とすることを決定。それまでにイギリスで2戦し、KG6&QESの結果次第では凱旋門賞やBCターフへ向かうことが明らかになった。また、結果にかかわらず、6歳シーズンを最後に引退することも発表された。
4月、グレートエスケープは牧場から栗東に戻ると、僚馬のハードバトラーを帯同馬としてイギリスのニューマーケットのアビントンプレイスに入厩した。
イギリス初戦は6月15日に行われるプリンスオブウェールズステークス(GⅡ)に正式に決定した。現地の調教は調教助手の白村が管理し、厩務員は西京白哉を筆頭に、現地と日本のスタッフでグレートエスケープの管理を行った。
調教開始してから、グレートエスケープは輸送の疲れと馬場の対応に苦しみ、ニューマーケットの調教師やスタッフは「あれが日本最強馬か」と馬鹿にしていた。しかし、調教を積んで馬場に慣れてくると、調子を取り戻し、気づけばニューマーケットの調教師たちはグレートエスケープの実力を疑わなくなったという。
・主戦騎手の落馬事故による乗り替わり
欧州でのレースで騎乗予定だった梶田が、5月に落馬事故に巻き込まれ、複数箇所の骨折を負ってしまい、グレートエスケープの騎乗が困難になった。そのため、陣営は急遽、滝カナタに騎乗依頼を出し、滝が騎乗することが決まった。
・イギリスでのレース
6月15日、イギリス初戦のプリンスオブウェールズステークスは1番人気で迎える。スタートから先頭に立つと、直線を持ったままで後続を突き放し、5馬身差で勝利。海外遠征初戦を見事勝利で飾った。
次走はサンダウン競馬場で行われるエクリプスステークスが選択された。ここでも1番人気でGⅠ勝利が期待されたが折り合いを欠き7着に惨敗した。
・KG6&QES
最終追い切りではほぼ暴走といえる速度でニューマーケットの調教場を走り、マスコミやホースマンを驚愕させた。追い切りに乗っていた滝カナタが危うく振り落とされるほど暴れたが、その後は落ち着きを取り戻した。「馬と喧嘩しちゃいましたね」と調教後、滝は語った。
調教内容が不安視されたものの、実績を考慮され3番人気に推される。
レースでは果敢にハナを奪うと、緩みないペースで進む。最終直線では追ってきたデイラミと激しい叩き合いの末に首の上げ下げの差で先着、日本生産馬、日本調教馬として史上初のKG6&QESを優勝した。
3着まで6馬身離れており、騎手同士がぶつかり合うほどの激しい叩き合いは「アスコットの死闘」と語られている。
この勝利に滝は「間違いなく日本最強クラス。このレースのグレートエスケープに、この距離で敵う相手はいないと思います」と賞賛し、黒井は「日本生産馬を両親に持ち、日本古来の牝系を引いた主流とは言えない血統の馬が世界を相手に制覇したことは、調教とこの馬自身のレースセンスがずば抜けている証拠。文句なしに最高の馬です」と喜んだ。
主戦騎手だった梶田も応援にかけつけており、人目を憚らず号泣していた。
馬主の橘恵那が先代馬主の写真をグレートエスケープに近づけると、グレートエスケープはしばらく眺めていたという。
・凱旋門賞
KG6&QESを制覇し、次走は凱旋門賞に決定する。KG6&QESで2着だったデイラミはアイルランドチャンピオンステークスを9馬身差で勝利。モンジューはニエユ賞を、ダルヤバがヴェルメイユ賞を、エルコンドルパサーがフォワ賞を、それぞれ前哨戦を勝利していた。
この年のパリは悪天候が続き、当日は不良馬場になる。デイラミ陣営が出走を悩むほど馬場が柔らかくなり、グレートエスケープ陣営も柔らかい馬場が苦手なグレートエスケープを考え、凱旋門賞を回避しジャパンカップかBCターフに向かう案も出たが、最終的に出走を決めた。
人気は1番人気がモンジューの2.4倍、次いでエルコンドルパサーの4.6倍、3番人気にグレートエスケープが5.0倍、デイラミが8.6倍、ダルヤバが9.9倍で続いた。
戦前からグレートエスケープが逃げると思われていたが、スタート直後、グレートエスケープは大外枠からさらに外へ膨れるように脚を滑らせ、出遅れてしまう。
滝は慌てることなく中団でレースを進めると、直線では猛然と追い込み、残り50mでエルコンドルパサーとモンジューをかわし、半馬身差でゴール。KG6&QESに続き、凱旋門賞を日本馬として史上初めて勝利。2着にはエルコンドルパサーが入り、日本馬ワンツーフィニッシュを達成した。
歴史的偉業にロンシャン競馬場から大きな喝采が送られた。
出遅れながらも中団から鋭い差し脚を見せたグレートエスケープに滝は「どこからでもレースが出来る馬だとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。デビューから乗れた健二が羨ましい」と述べ、「出遅れた瞬間はある意味この馬らしくて笑ってしまった。最後の直線では思わず涙が出てきたが、今はまた、笑いが止まらないほど嬉しい。日本競馬史に残るスーパーホースです」と黒井は労った。馬主の橘恵那は「彼がここまで関係者を連れてきたことを誇りに思います。姉も、きっと喜んでいることでしょう」と死去した姉に報告したいと述べた。
2着のエルコンドルパサーに騎乗していた海老原は「いいレースをしたけど、悔しい。でも悔いはありません。この馬と戦えたことは誇りに思うし、グレートエスケープの走りはすごいことだと思います」と語った。エルコンドルパサーを管理する三村調教師は「グレートエスケープは賢くて、勝負根性に溢れた素晴らしい馬。エルコンドルパサーも最高の馬だとは思ったけど、力で上回られた。世界最強と言っても誰も文句は言わないと思います。今はエルコンドルパサーが無事に走り終えたことに安堵しています」と評するとともに、エルコンドルパサーを労った。
・ジャパンカップ~引退式
凱旋門賞を最後に引退する予定だったが、URAと種牡馬入りのオファーを出した社来SSからジャパンカップ出走の要望が送られた。検疫の関係で本来ジャパンカップには出走できないが、海外招待馬と同じように国際厩舎と東京競馬場で過ごすのであれば可能という、特別措置がとられた。
ジャパンカップにはモンジュー、ボルジア、ハイライズ、タイガーヒルが参戦。国内からは同厩舎のスペシャルウィークが代表格として迎え撃つかたちになった。
ジャパンカップが正式に引退レースとして決定、当日はグレートエスケープの最後の勇姿を見ようと多くのファンが詰めかけ、20万人近い観客が集まった。
当日の単勝オッズはグレートエスケープが1.8倍の1番人気に推され、モンジュー、スペシャルウィーク、タイガーヒルと続いた。
スタート後ハナをとると、前半は60秒台と平均ペースで逃げる。そこから11秒台のラップが続く厳しい流れを演出すると、直線で満を持して追い出した。しかし残り100mでスペシャルウィーク、モンジュー、イディジェナス、ハイライズに交わされるがもう一度差し返す。しかし最後は及ばず、アタマ差でスペシャルウィークの2着に終わった。
レースタイムは2.22.1であり、オグリキャップとホーリックスが記録した2400mのワールドレコードを0.1秒上回るレースタイムを演出した上で2着に粘り込んだ。敗北こそしたものの、最強馬としてレース後は大歓声が送られた。
最終レース後、グレートエスケープの引退式が行われた。ゼッケンはダービーを制し、当日のジャパンカップでも同じだった5枠9番のゼッケンを着用し、ファンに別れを告げた。
12月、正式に社来SSで種牡馬入りすることが発表され、当時ラムタラに次ぐ史上2位、国内生産馬、調教馬では当時史上最高額となる総額36億円でシンジケートが組まれた。
翌年1月、URA賞年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬、最優秀父内国産馬を獲得。カルティエ賞年度代表馬、最優秀古馬を獲得し、史上初の日欧年度代表馬に輝いた。
さらに現在まで唯一となる満票での顕彰馬に選ばれ、殿堂入りを果たした。
JPNクラフィシケーションでは日本生産馬、調教馬として史上最高となる136ポンドを古馬Lコラム(2200~2799m)で獲得する。これは当時歴代3位の記録だった。
【競走成績】
Rはレコード勝利
年月日 競馬場 レース名 着順 騎手 距離馬場 1着馬(2着馬)
95/6 京都 2歳新馬 3着 梶田 芝2000 ゼニナカッタ
95/9 阪神 2歳未勝利 1着 梶田 芝1600 (パクパクマック)
95/9 中山 芙蓉S 1着 梶田 芝2000 (シーズグレイス)
95/12 阪神 たんぱ杯2歳S 1着 梶田 芝2000 (ロイヤルタッチ)
96/3 中山 弥生賞 1着 梶田 芝2000 (ダンスインザダーク)
96/4 中山 皐月賞 10着 梶田 芝2000 イシノサンデー
96/6 東京 東京優駿 1着 梶田 芝2400 (フサイチコンコルド)R
96/9 阪神 神戸新聞杯 1着 梶田 芝2000 (シロキタクロス)
96/11 京都 菊花賞 2着 梶田 芝3000 ダンスインザダーク
96/11 東京 ジャパンC 1着 梶田 芝2400 (シングスピール)
97/3 中山 日経賞 1着 梶田 芝2500 (ローゼンカバリー)
97/4 京都 天皇賞(春) 4着 梶田 芝3200 マヤノトップガン
97/10 京都 京都大賞典 11着 滝 芝2400 シルクジャスティス
97/10 東京 天皇賞(秋) 13着 梶田 芝2000 エアグルーヴ
97/11 東京 ジャパンC 1着 館山 芝2400 (ピルサドスキー)
97/12 中山 有馬記念 4着 館山 芝2500 シルクジャスティス
98/3 阪神 阪神大賞典 1着 滝 芝3000 (メジロブライト)
98/5 京都 天皇賞(春) 1着 滝 芝3200 (メジロブライト)
98/7 阪神 宝塚記念 2着 梶田 芝2200 サイレンススズカ
98/8 札幌 札幌記念 2着 梶田 芝2000 エアグルーヴ
98/11 東京 天皇賞(秋) 1着 梶田 芝2000 (オフサイドトラップ)R
98/12 中山 有馬記念 1着 梶田 芝2500 (グラスワンダー)
99/6 アス PrinceofWalesS 1着 滝 芝2000 (リアスピア)
99/7 サンダウン EclipseS 7着 滝 芝2000 コンプトンアドミラル
99/7 アス KG6&QES 1着 滝 芝2400 (デイラミ)
99/10 ロンシャン 凱旋門賞 1着 滝 芝2400 (エルコンドルパサー)
99/11 東京 ジャパンC 2着 梶田 芝2400 スペシャルウィーク
【種牡馬時代】
引退後は北海道勇払郡安平町の社来スタリオンステーションで繋養され、XX00年より供用が開始される。サンデーサイレンスの他、トニービンやブライアンズタイム、ノーザンダンサーといった主流血統の血を持たないため、当時あふれつつあったトニービンやサンデーサイレンスの血を持つ繁殖牝馬などと交配できることが大きなメリットであった。
また、グレートエスケープは従順な気性なため、気性の良さも産駒に期待されていた。
初年度の種付け料は1000万円、当時の種付け料として国内で繋養される種牡馬として最高額(当時サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムはprivateやBOOK FULLのため公開されず)だった。
初年度から144頭の繁殖牝馬に種付けし、最高で250頭を超えるシーズンもあった。
翌XX01年には産駒がセレクトセール01に総勢29頭が参加し、27頭が落札された。最高額はエアグルーヴ01の牝馬で3億円で成田金雄(ナリタ・カネオ)に落札された。後にプリズンブレイクと名付けられ、XX04年のオークスを勝利した。
〇産駒デビュー後
・XX03年
初年度産駒がデビューし、7月19日に函館競馬場で行われた2歳新馬戦でプリテンダーが勝利。URA初出走初勝利を挙げた。その後、札幌2歳Sをブラックストリームが勝利し、産駒初重賞勝利を挙げた。初年度から活躍馬を出し、URAファーストシーズンサイアーを達成した。
・XX04年
プリズンブレイクがオークスを優勝し、初年度産駒からGⅠ初勝利及び初クラシック勝利を達成。12月にはキューティースターが阪神ジュベナイルフィリーズを制し、産駒初のURA賞の最優秀2歳牝馬を受賞した。
・XX05年
ダート戦線で活躍していたノーザンショットが川崎記念(JpnⅠ)、かしわ記念(JpnⅠ)を勝利し、ダートでも活躍馬を出した。
・XX06年
前年に続き、ノーザンショットがフェブラリーステークスを勝利。さらにサファリレインボーが桜花賞を勝利した。メジロレックスが菊花賞を勝利したことで牡馬クラシック初制覇、さらに年末の香港ヴァーズではプリズンブレイクが制し、産駒初の海外GⅠ勝利も達成するなど、GⅠ4勝、重賞10勝など全国種牡馬リーディングでは2位まで浮上した。
・XX07年
フェブラリーステークスをノーザンショットが連覇すると、さらに帝王賞(JpnⅠ)も制覇するなど好調なスタートをきる。さらにネイビーコスモスがヴィクトリアマイルを制覇、2着にサファリレインボーが入り、GⅠで初めて産駒によるワンツーフィニッシュを達成。クラシック路線ではドリームアンサーがオークスを制覇、その後も同期のウオッカ、ダイワスカーレットといった名牝と名勝負を度々繰り広げた。ドリームアンサーは年末の香港カップも勝利。年末にはジョイエロが朝日杯を勝利し、2歳GⅠ牡牝制覇を達成した。前年を上回るGⅠ5勝(地方ダートグレード競走を含めると6勝)を挙げ、サンデーサイレンスに続く種牡馬リーディング2位をキープした。
・XX08年
ハチミソングが天皇賞(春)を勝利し、親子制覇を達成。さらにジョイエロが菊花賞を勝利。ドリームアンサーはエリザベス女王杯を制し、年末の有馬記念でもダイワスカーレットの2着に入るなど活躍した。また、ハナノビールが全日本2歳優駿を勝利した。リーディングサイアーはアグネスタキオンに僅かに及ばず、2位に。有馬記念の1着と2着が逆であれば、種牡馬リーディングも入れ替わるという他に類を見ない接戦だった。
この年は最多となる259頭に種付けを行った。
・XX09年
クラシック戦線ではアドマイヤグレートが皐月賞、菊花賞の2冠を達成。その年の最優秀3歳牡馬を受賞。ラビットホールはNHKマイルカップを勝利。さらにジョイエロが天皇賞(春)を制覇し、グレートエスケープ産駒の連覇を達成した。ダート戦線ではハナノビールがジャパンダートダービーを勝利した。GⅠ4勝、重賞13勝と産駒が活躍し、ついに全国種牡馬リーディング1位に輝いた。
・XX10年
この年、ジョイエロが天皇賞(春)をテイエムオペラオー以来史上3頭目の連覇を達成。クラシックではシーザリオとの産駒であるセヴァスチャンが菊花賞を勝利し、菊花賞史上初の同一種牡馬産駒による3連覇を達成した。アドマイヤグレートはドバイシーマクラシックを勝利、グレートエスケープ産駒としてドバイミーティング初勝利を飾った。この後、グレートエスケープ産駒として初めて凱旋門賞に出走、しかし5着に終わった。全国種牡馬リーディングでは牝馬3冠馬のアパパネやジャパンカップを制覇したローズキングダムを送り出したキングカメハメハに1位を奪われた。
・XX11年
クラシックではハイドランジアがオークス、秋華賞の2冠を達成。しかし牡馬クラシックはオルフェーヴルが三冠を達成、古馬戦線でもGⅠ勝利は叶わなかった。
・XX12年
URAのGⅠではXX05年以来の勝利無しに終わった。しかし地方交流GⅠではカヤノブリッツが帝王賞、JBCクラシック、東京大賞典を勝利。これにより、地方リーディングサイアーを初めて獲得した。
・XX13年
この年、体調不良により前年種付け数194頭から52頭まで数を減らす。URAサイアーランキングは7位と順位は落としたものの、カヤノブリッツがドバイワールドカップで2着、BCクラシックで3着と世界を舞台に活躍。グランデフエゴがマイルチャンピオンシップを勝利。牡牝混合古馬GⅠで、マイル以下の勝ち鞍は初めてだった。
・XX14年
体調は回復しきらないまま、種付け数を絞り、種牡馬生活を続行。しかし47頭の種付けにとどまった。前年に引き続き、グランデフエゴが天皇賞(秋)を勝利し、親子制覇を達成。ダート戦線ではカンピオーネが帝王賞を制覇した。
・XX15年
体調が悪化し、治療が続けられたが種牡馬生活の続行は難しいと判断され、社来スタリオンステーションから種牡馬を引退することが発表された。種付け数は22頭で、この世代がラストクロップとなった。引退後は生まれ故郷である懇備弐牧場で余生を過ごすことが決まった。
この年にはラストエスケープがジャパンカップを制覇。親子2代制覇を達成した。ジャパンカップの親子制覇はシンボリルドルフ・トウカイテイオー、スペシャルウィーク・ブエナビスタ、ディープインパクト・ジェンティルドンナ以来4組目の達成となった。ラストエスケープは続く有馬記念も勝利し、有馬記念でも親子制覇を達成した。
・XX16年
ラストエスケープはこの年、凱旋門賞へ出走。アタマ差の2着で敗北し、凱旋門賞の親子制覇は惜しくも叶わなかった。
・XX17年
年末にジャストフィットがホープフルステークスを優勝。新設された2歳GⅠを勝利し、2歳GⅠを改めて完全制覇した。
・XX18年
8月26日、繋養されていた懇備弐牧場の放牧地内で死亡しているところを発見される。牧場の柵の傍で眠るように倒れており、発見した牧場スタッフは当初眠っているのではないか、と思ったという。25歳没。
晩年は体調を崩していたが、懇備弐牧場に戻ってから体調は回復し、前日まで観光客に壮健な姿を見せていた。
訃報を受け、URAは9月1日、9月2日に新潟、札幌、小倉で行われるメインレースを追悼競走とし、「グレートエスケープ追悼競走」の副題が冠されることになった。追悼行事として、9月1日から9月15日まで、全国の競馬場に献花台と記帳台が、全国の場外馬券場に記帳台が設置され、多数のファンの記帳と献花が集まった。
これらは馬主の橘へ届けられた。
グレートエスケープの死に、梶田は「騎手として苦しいことも、嬉しいことも、全部を教えてくれた名馬。若い頃に出会えたことで今の自分があると思います。世界に名を轟かす名馬の主戦騎手だったことは、僕の誇りです」と語った。
欧州で主戦だった滝は「僕の中で馬の名前を挙げろといわれたら、必ず最初の3頭に出てくるくらい思い出深い馬。世界最高のレースを2つも勝たせてくれた偉大な馬ですし、その子供たちでも勝たせてもらいました。残念ですが、子供たちもよく走りますから、その血統はずっと続いていくと思います」とインタビューに答えた。
調教師の黒井は「心肺機能が優れていたが、それ以上に賢くて、勝負根性溢れる人間臭い馬でした。今でもこちらの言葉が通じていたと信じて疑いません。競走馬としてはもちろん、種牡馬としてこれだけの活躍をしてくれたのですから、私が関わった中で最高のサラブレッドです」と賞賛した。
当時調教助手だった白村調教師も「若いころにあの馬を見たことで、あんな馬を育てる、という明確な目標ができました。これから、彼に負けない馬を育てていきたいですね」と述べた。
相続馬主を終えてから馬主資格を取得した橘恵那は「姉から引き継いだ馬でしたが、ここまで大きな存在になるとは思ってもみませんでした。心にぽっかり穴が開いたような気分です。それだけ愛した馬ですし、ファンの方々からも愛してもらえた馬です。とても悲しいですが、彼の栄光を伝えていきたいと思います」と涙ながらに語った。
フランス、イギリスでもグレートエスケープ死亡の訃報は一面で報道された。そして「極東から来たスーパーホース。我々の歴史と伝統からも逃げ切った偉大なる逃亡者」と評した。
9月1日の追悼競走となった札幌2歳Sではグレートエスケープ産駒のグレートチャンプが優勝。亡き父に捧げる勝利となった。グレートチャンプは生産が懇備弐牧場、馬主は橘恵那、調教師は当時調教助手だった白村駿輔、厩務員は担当だった西京、そしてこの日手綱をとったのは主戦騎手を務めていた梶田というチームグレートエスケープともいえるメンバーだった。
・XX19年
前述したラストクロップであるグレートチャンプが東京優駿で優勝。これにより、種牡馬としてクラシック完全制覇と八大競走完全制覇を達成した。
グレートチャンプはその後、凱旋門賞へ出走し、凱旋門賞を勝利。親子制覇を達成。帰国後のジャパンカップも勝利し、年末に屈腱炎を発症、引退した。
グレートエスケープ産駒最後のGI勝利となった。
【種牡馬成績】
成績はXX20年終了時点
XX03年 38位
XX04年 7位
XX05年 5位
XX06年 2位
XX07年 2位
XX08年 2位
XX09年 1位
XX10年 2位
XX11年 3位
XX12年 6位
XX13年 7位
XX14年 7位
XX15年 14位
XX16年 19位
XX17年 29位
XX18年 34位
XX19年 18位
XX20年 27位
〇主な産駒
GⅠ競走優勝馬
・XX01年産
プリズンブレイク(XX04年オークス XX06年香港ヴァーズ)
ノーザンショット(XX05年川崎記念、かしわ記念 XX06年・XX07年フェブラリーステークス XX06年帝王賞)
ネイビーコスモス(XX07年ヴィクトリアマイル)
・XX02年産
キューティースター(XX04年阪神ジュベナイルフィリーズ)
ハチミソング(XX08年天皇賞(春))
・XX03年産
サファリレインボー(XX06年桜花賞)
メジロレックス(XX06年菊花賞)
・XX04年産
ドリームアンサー(XX07年オークス・香港カップ、XX08年エリザベス女王杯)
・XX05年産
ジョイエロ(XX07年朝日杯フューチュリティステークス XX08年菊花賞 XX09年・XX10年天皇賞(春))
・XX06年産
ハナノビール(XX08年全日本2歳優駿 XX09年ジャパンダートダービー)
アドマイヤグレート(XX09年皐月賞・菊花賞 XX10年ドバイシーマクラシック)
ラビットホール(XX09年NHKマイルカップ)
・XX07年産
セヴァスチャン(XX10年菊花賞)
・XX08年産
ハイドランジア(XX11年オークス・秋華賞)
カヤノブリッツ(XX12年帝王賞・JBCクラシック・東京大賞典 XX13年ドバイワールドカップ2着、BCクラシック3着)
グランデフエゴ(XX14年マイルチャンピオンシップ XX15年天皇賞(秋))
・XX09年産
カンピオーネ(XX14年帝王賞)
・XX11年産
ラストエスケープ(XX15年ジャパンカップ・有馬記念 XX16年凱旋門賞2着)
・XX15年産
ジャストフィット(XX17年ホープフルステークス)
・16年産
グレートチャンプ(XX19年東京優駿・凱旋門賞・ジャパンカップ)
GⅠ31勝(地方JpnⅠ9勝) 重賞98勝(地方交流重賞20勝)
【特徴】
〇競走馬としての特徴
・レーススタイル
名前や大逃げで勝利したジャパンカップから逃げ戦法がクローズアップされがちだが、XX98年天皇賞(春)、有馬記念では先行策で勝利し、XX99年の凱旋門賞では中団から直線一気で差し切るなど、逃げにこだわらない脚質を持っていた。
これについて主戦騎手だった梶田健二は著書で「スタートが抜群に上手いため、出遅れがなければ基本的にハナにたつか、2番手、3番手でレースを進められた。極端に後ろでなければ、どこからでも折り合いをつけて、レースができる馬だった。逃げや先行が多かったのは、それだけグレートエスケープのスタートが上手かった証拠」と述べている。
しかし差し戦法について、調教師だった黒井は著書で「加速力、瞬発力は当時隆盛を誇っていたサンデーサイレンス産駒に比べると劣っており、後方から進めて直線で戦うには分が悪かった」と述べている反面、「あくまでGIレベルのスペシャルウィークやダンスインザダークといったのと比べた場合であり、その他の馬であれば中団や後方からレースを進めても問題はなかった。一番勝率がいいから逃げまたは好位抜け出しのレースを選択することが多かった」とも述べていた。
・グレートエスケープの武器
調教師の黒井はグレートエスケープの武器について、優れた心肺機能やトップスピードだけではないとし、後にこう語っている。「グレートエスケープの心肺機能やスピード、パワーが優れているのはいうまでもないですが、それ以上にレースを理解する賢さと、併せても絶対に抜かせまいとする勝負根性が勝利の要因だった」と。
かねてよりグレートエスケープは知能が高いが、高すぎて利口ではなかったと厩務員の西京は後に語っていた。「強い馬は頭がいいことが多く、ダメだといったらすぐに覚える。しかしグレートエスケープは、ダメだと言ったことを、今度は見ていないところでやろうとする。ダメなことだとわかっていながらやるから、タチが悪かった」と。
厩舎スタッフの赤川はインタビューで「飼料で食べたくないとき、それを隣のスペシャルウィークに食べさせようとバケツを押し付けようとしていました。それを叱ると、黙々と食べ始めたかと思うと、目を離した隙にスペシャルウィークに飼料を上げてしまったんです。食べるフリをして隙を伺っていたんでしょうね。それをたまたま別のスタッフが見ていて、それからはグレートエスケープだけバケツが固定になりました」と知能は高いが、悪さしていたことが明らかになった。
滝カナタは賢さと勝負根性について「非常に賢くて、レースをよく理解している。そしてびっくりするほど負けん気が強い。調教でも先着しようとするけど、あくまでコースのゴールで抜くことをわかっていた感じ。ゴール前を2回走ることがあるレースでも、1周目はリラックスして、2週目でちゃんと反応するから大した馬ですよ」と後の自身の競馬番組滝カナタTVで話した。
梶田健二は著書で「厩舎やレース前は落ち着かなかったり、いたずらすることが多くあった。でも調教やレースでは堂々としているし、集中していた。オンオフがわかりやすいくらいハッキリしていた馬」と述べた。
・ストライドの大きさ
引退後のURA競走馬総合研究所がグレートエスケープが制した日本ダービーの走りを研究したところ、最後の直線の加速時のストライドはかなり大きく、サラブレッドの平均完歩が約7メートル弱のところ、グレートエスケープは8メートル40センチで走っていたと検証結果が露わになった。
跳びが大きいため、東京競馬場のようなコーナーが大きく、直線が長いコースかつ、2200m以上の長距離レースで特に好成績を残したのは、これが大きいのではないかと考察していた。
その代わり、中山などコーナーがきつい競馬場では走りづらそうにしていた、と梶田は後にインタビューで答えていた。
・活躍期間について
グレートエスケープは2歳から6歳まで、長く活躍を続けた。この活躍期間の長さを白村は「元々調教やレースでは真面目に走る馬だったが、力の入れるタイミングをよく理解していた。だから余計な消耗は少なく、長くやれたのではないか」と分析している。
しかし成長が早く、衰えがなかったというわけではなく、黒井は著書で「そもそもの地力がほかの馬より優れるところはあった」とした上で「4歳春のときが一番出来がよく、上がりそうな部分があったから、天皇賞(春)の前までは少なくとも秋のGIは全勝できると思っていた。しかし骨折してしまったことで一時的に馬も走りを見失ってしまい、思ったより成績を残せなかった」と述べ、「5歳は馬体以上に精神状態が完成していた。怪我がなければどこまでの成績を残せたのか、楽しみで仕方なかった」と締めくくっていた。
実際、5歳シーズンはすべてのレースで連対し、GIを3勝するなど最も好成績を残したシーズンだった。
〇種牡馬として
・産駒傾向
本馬は長く活躍し、芝の中距離から長距離で活躍していた。産駒はやや晩成傾向だが、2歳から重賞を勝利する馬も送り出しており、2歳GIはすべて勝利している。馬場は芝が多いがダートにも産駒を送り出しており、ダートGIは地方GI級競走を含めて11勝を挙げている。父、アイネスフウジンも帝王賞、東京大賞典を制したファストフレンドを送り出しており、ダートにも対応出来るパワーが産駒に伝達されていたと考えられる。
実際、グレートエスケープのダート適性を確かめる目的で一時はフェブラリーステークスの出走案もあったという。また、6歳の海外遠征時はドバイワールドカップへの出走、凱旋門賞後はBCターフの他に、BCクラシックの出走も検討されているなど、ダートも走れると思われていた。
距離では総じて2000m以上の距離で勝ち鞍が多く、GIでは特に菊花賞と天皇賞(春)のような超長距離レースで産駒が多く活躍している。
反対にマイル以下では不振であり、世代限定戦を除けばグランデフエゴがマイルチャンピオンシップを勝利したのみである。
スピードが求められるマイル以下のレースではサンデーサイレンス系統の種牡馬や、キングマンボ系に劣る面があるのではないか、と血統評論家の鶴岡敬善(ツルオカ・タカヨシ)は述べている。
滝カナタも「毛並みや馬体、顔は全然違うけど、メジロマックイーンにレース適性やレースぶりが似ている」と述べており、黒井も「2400を超えるような距離が得意なステイヤー型」と評していた。
距離が長い方が、産駒も好成績を残すことが多かった。
・種牡馬生活
社来SSに来てからも落ち着いており、堂々とした振る舞いは流石スーパーホースだと担当者やスタッフを驚嘆させた。
種付けをするようになってうるさくなる馬が多い中で、グレートエスケープは変わらず、むしろ威厳のある佇まいを保っていたという。
種付けは常にスムーズで淡々と仕事をこなしていた。牝馬がグレートエスケープを嫌がることはほぼなく、関係者は安心して見ていられたという。ただ、人が多いと少し落ち着かなくなる場面があり、あまり人が多く見ることがないように配慮された。
好みもあったとされ、社来SSのスタッフはインタビューに対して「あまり待たせず、牝馬に優しいです。ただ、小柄な牝馬や、若い牝馬の方が好きらしく、その時は臨戦態勢に入るのもすぐですね」と語っていた。また、種付けが好きだったらしく「種付け後もケロッとしていますし、好みの牝馬を見かけると近づこうとしていました。絶倫です」「種付けのタイミングがわかるんでしょう、時期が近づいてくると放牧地で走る量が明らかに増えるなど、テンションが上がっていましたね」とも述べた。
受胎率は平均して90%以上を記録していた。晩年は体調不良があり、種付け数、受胎率共に低下していたが、基本的に種牡馬としての役目を全うしていた。
【エピソード】
・病弱
元々病弱で、生死を彷徨うほどの重症の肺炎に罹患したこともあった。しかし、その後は病気なくすくすく育った。牧場スタッフはあまりの変わりぶりに、「頭の中身が変わってしまったのかと思った」とコメントするほどだった。
・気性
利口で素直な馬で、馬体もすっきりとした胴長の姿勢だったことから評価されていた。しかし、一部のスタッフはあまり利口な馬ではないと語っており、厩舎スタッフは当初、やっかみの類だろうと思っていた。
しかし入厩すると、人によっては悪さをしたり、見ていないところでイタズラするなど、人の目を気にするところが明らかになり、関係者を驚かせたという。
その代わり調教では真面目かつ、仕掛けにも鋭く反応するなど、素質の高さを見せつけた。黒井は当初オーナーに「ダービーを勝てる」と語ったが、後に「リップサービスだが、重賞を勝つくらいの期待はしていた」と著書で述べた。
・食事のこだわり
基本的になんでも食べていたが、人参や果物などは皮を剥いたものしか食べなかった。また、全部を混ぜたものはあまり好まず、定食のようにそれぞれ分けた方が食いがよかったという。
好まない食事のときはあまり食べようとしないのが普通のサラブレッドだが、グレートエスケープは食べるフリをして、隣の馬房のスペシャルウィークや、別の馬に分け与えようとしていたという。それを叱ると、やらなくなったと思いきや、厩務員が見ていないところでまた試みていたなど、食事に対するこだわりや、ルールに対する理解も深かったエピソードがある。
・橘オーナー
元々先代である橘馬奈オーナーに指名されて購入されたが、グレートエスケープは非常にオーナーに懐いていた。橘もよく厩舎や牧場を訪れており、グレートエスケープは彼女が近づくとテンションが上がるため、馬房から出してやらないといけなかったと厩舎スタッフは語っている。
パドックでは必ず橘に顔を押し付けるルーティンがあった。実際、パドックの映像では度々その光景が確認されている。橘が死去し、妹の橘恵那が相続してからもあったという。
橘が死去したことが伝えられた日は、グレートエスケープは放牧地でずっと寂しそうに鳴き続けていたと牧場スタッフだった紅林は著書(世界に届いた馬の素顔)で述べていた。
グレートエスケープが死亡した日は先代の橘オーナーの命日だった。
・脱走名人
牧場にいたころから脱走名人として有名だった。柵を飛び越えるのはもちろんのこと、扉が空いた隙に抜け出したり、一説には南京錠を噛み壊して脱走したこともあるという。ちなみに、牧場の馬房では閂を蹴りで破壊して脱出したことが複数のスタッフからの証言で明らかになっている。
ダンスインザダークやエアグルーヴが引退し、牧場へ戻る際はグレートエスケープが脱走してやってきたという逸話がある。真偽は定かではなく、前述の脱走癖から出現した噂でしかないと思われている。実際、黒井厩舎から離れており、誰にも見つからずに訪れるなど不可能である。ファンによる創作や噂に尾ひれがついたものの可能性が高い。
ちなみに、黒井厩舎では脱走しても道路など危険な場所には行かないことから、比較的放していることが多かったという。そのとき、グレートエスケープは勝手に厩舎から離れず、どこか行こうとする時は自ら引縄をスタッフに渡すなど行動していた。
人間のルールを理解したうえで破るというのも、こういったエピソードによると思われる。
・栗東厩舎のボス
馬は群れ社会であり、サラブレッドも例外ではなく、群れにはボスがいる。グレートエスケープは堂々とした振る舞いをしており、黒井厩舎にとどまらず栗東トレセン全体のボスであったという。
基本的に列の先頭を歩き、血気盛んな他馬に噛みつかれようものなら、猛烈に反撃するなど、基本的に穏やかな馬だったが序列争いにおいては激しい気性を見せていた。
これについて紅林は著書で「超がつくほど負けず嫌いで、レースや調教はもちろん、他馬に舐められるのも気に入らなかったらしい」と述べていた。牧場でも、幼い頃はいじめられっ子だったが、次第にいじめっ子を追い回すようになったという。
しかし、決して気性が荒いことはなく、喧嘩を売ることはなく、基本的に優しいタイプだったという。
・ダンスパートナー
馬房が隣で1つ年上のダンスパートナーと非常に仲がよかったことで、厩舎スタッフによると「相思相愛」だったという。
馬房から頭を出している時はいつも寄り添い、調教場でも互いを見つけると走って寄ろうとすることもあった。しかし、調教で併せるとグレートエスケープは決して抜かせようとはしなかった。これについて白村は「いいところを見せたかったんだと思う」と冗談交じりに話していたという。
種牡馬となってからダンスパートナーに種付けする機会があった。基本的に手早く終わるグレートエスケープだが、ダンスパートナーに寄り添い、しばらく何もせずにいたという。発情期になったとはいえ、本来牝馬は牡馬に対して繊細であり、種付け中の事故は存在する。そのため関係者はヒヤヒヤしていたが、グレートエスケープは気にせずグルーミングなどをしていたという。
・スペシャルウィーク
ダンスパートナーが恋人なら、スペシャルウィークは兄弟のようだと評された。
スペシャルウィークは生い立ちから人に慣れているがあまり他馬に対しては親密ではなかったという。そんなスペシャルウィークだが、不思議とグレートエスケープには懐いており、曳き運動などではいつもグレートエスケープの後ろを歩いていた。
馬房が隣であり、グレートエスケープの飼料を横からスペシャルウィークが頭を伸ばして食べようとしていたことが度々あり、グレートエスケープもそれを食べさせようとしていたことがあったという。しかし、なんでも食べさせていた訳ではなく、自分の好みの食事のときはグレートエスケープは譲らず、食べようとしていたスペシャルウィークに怒ることもあったという。
黒井は著書で「グレートエスケープは厩舎全体のボスだったが、スペシャルウィークはそれにいつもついているので、自分もボスだと勘違いしているフシがあった。なので、グレートエスケープがいないときに他馬に絡まれるととても驚いていた」と述べていた。
・種牡馬時代
種牡馬となっても落ち着いた振る舞いは変わらなかった。隣に放牧されていたステイゴールドがうるさいときには一喝して追い払うなど、社来SSでもボスのように振る舞っていたという。基本的に他馬を嫌うことはなかったが、ステイゴールドが近づくと喧嘩してしまうため、放牧地を離された。後にやってくるオルフェーヴルに対しても当たりが強く、よく威嚇していたと担当スタッフは話していた。
・シンボリルドルフ
母父であるシンボリルドルフの主戦騎手だった岡谷幸男は、グレートエスケープに対して「ルドルフによく似ていた。脚質を選ばない戦法や賢さなど、レースしていてそう感じることが多く、一度乗ってみたかった」と後に語っている。
放牧地でもシンボリルドルフがカメラを理解し、ポーズを決めていたように、グレートエスケープもカメラというものを理解していたらしく、カメラを向けると立ち止まってポーズを決めていたという。
【血統】
〇〇〇
Wikipediaを読むだけで内容がとても濃かった。
「調べるだけでこんなに……関連書籍の欄もめっちゃ多いし」
総合すると日本近代競馬の最高の成績を残した馬として評価されているようだった。
勝利だけでなく敗北も多くあることから、最強かといわれるとネットでは賛否両論だが、人気という面ではあのオグリキャップやディープインパクトに並ぶ人気を誇っていたらしい。
近年だとそれに並ぶのはゴールドシップかキタサンブラックくらいのものだろう。
「しかし……興味出てきたな。うん、ウマ娘としても、競走馬としても……ドラマチックな馬だからかな」
もっと調べようかと思い、ブラウザバックをすると、その下には某動画サイトの大百科などのページが検索結果に表示されていた。
既に時間は夜遅いものになっており、ページを開くのを躊躇したが、仕事はやめていたので気にする必要がないことを思い出す。
「このために仕事をやめたのかもしれないな」
ページをクリックしてから、麦茶を用意しに席を立った。
私の心は、すっかりグレートエスケープによってワクワクさせられていた。
ボツネタ
「グレートエスケープ実装!」
「おい無能、ちんたら仕事してるんじゃねえよ!」
「アザっす……俺仕事やめます(ボコォ」