名バ列伝『グレートエスケープ』【完結】   作:伊良部ビガロ

40 / 46
ハロウィンネタ

ゴルシ「おいグレ、なんだよジャックオーランタンなんてありきたりな格好しやがって。もっと面白いものしてこいよ!」
グレ「悲鳴を上げるな……神経が苛立つ……!」
ゴルシ「違った偽マフティーだ!」
グレ「ブルボンから『普段味わえない非日常感』『逃げられない恐怖』『写真に残るような大きな思い出』の要素を含めたものをと頼まれたからな」
ゴルシ「ハイジャック犯ではないだろ常識的に考えて……」


J〇AがURAになってるのは誤字ではないです。大百科の雰囲気出すの難しい……


名バ列伝 その2

ニヤニヤ大百科

 

グレートエスケープ

 

 

『偉大なる逃亡者(URAヒーロー列伝のキャッチコピーより)』

 

 

グレートエスケープ(競走馬)とは日本の元競走馬・元種牡馬である。馬主は橘馬奈→橘恵那、調教師は黒井昭寿、生産は懇備弐牧場。日本生産馬として初めてキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞を制覇した馬として知られる。

 

【概要】

〇誕生

 XX93年4月1日生まれ。父はダービーをレコードで逃げ切ったアイネスフウジン、母はシルバーパート、母父は無敗の三冠を達成した皇帝シンボリルドルフ。これらを聞くと超良血に思えるが、当時はトニービン、ブライアンズタイムを初めとした外国産種牡馬全盛期時代。サクラユタカオーやトウショウボーイ(92年没)が内国産種牡馬の代表格だったが、それでもクラシック路線では父が外国産種牡馬の馬がとりまくっており、血統はそれほど評価されていなかった。父アイネスフウジンはまだ新種牡馬となったばかり、内国産種牡馬の代表として先程挙げた2頭の父、テスコボーイが母父であり、期待されていなかった訳では無いし、生年時にはトウカイテイオーがまだいたため、母父シンボリルドルフもそこまでマイナスに見られていたわけではなかったが、牝系が古臭すぎてね……。

 生産の懇備弐牧場も中小の牧場。経歴で見たら下級戦で走ってる姿を見かけることがあるくらいの馬だった。

 だが、この時は誰も知らなかった……この馬が、日本競馬の歴史を塗り替えることを。予想できるか。

 

 幼少期は病弱なときがあったものの、次第に逞しくなっていき、馬体が見事に育ってからは評価も上がってきたが、あくまで牧場内の話であり、オープンまで上がったらいいな〜くらいのものだった。オープンまで上り詰めるのもかなり難しいのだが、後の成績を考慮するとあまりにささやかな期待だった。

 

〇入厩、2歳デビュー

 デビューはXX95年6月の新馬戦。京都芝2000m。この頃には調教でもタイムを出しており、厩舎では「こいつはやるかもしれねぇ」と徐々に期待が大きくなっていった。黒井調教師は「ダービーを狙える馬」と自信満々。

 黒 井 最 強

 そんなコメントや調教時計が評価されて1番人気に。この年のアイネスフウジンもまだ種牡馬として2年目産駒がデビューしたばかり、決してダメな種牡馬と見切られてはいなかったのだろう。

 レースではグレートエスケープがハナを決める。見事なスタート、加速。そしてそれが止まらない。前半1000mを58.2とかいう超ハイペースで逃げている。どう見ても暴走です。本当にありがとうございました。

 終わってみれば3着。よく3着に残ったな……かかってしまうなど折り合いに不安が残ったが、黒井調教師は「このペースで逃げて3着は素晴らしい。ここからこの馬は強くなる」と自信満々の笑みは崩さず。

 黒 井 最 強

 続く未勝利戦は折り合いをつけて持ったまま5馬身差の圧勝。続く芙蓉ステークスは逃げずに好位につけ、後ろを突き放し連勝。

 4戦目はラジオたんぱ杯2歳ステークス。有馬記念前日に阪神競馬場芝2000mで行われるGIIIで、来年のクラシックを狙う関西馬はここに集まるため2歳王者決定戦を呈することもある重賞だった。

 そこにはいずれも期待馬、素質馬とされていたロイヤルタッチ、イシノサンデー、ダンスインザダークが参戦した。

 挙げた3頭と、このレースの1週間前に行われた2歳GI、朝日杯2歳ステークスで勝利したバブルガムフェローを合わせた4頭でサンデーサイレンス四天王と呼ばれていた。前年は皐月賞とダービーをサンデーサイレンス産駒が勝利しており、サンデーサイレンスフィーバーが起こっていた。来年もクラシックはサンデーサイレンス産駒のこいつらで決まり! という雰囲気であり、グレートエスケープは強い勝ち方で2連勝していたにもかかわらず5番人気にとどまった。

 レースでは例のごとく上手にスタートを決めると、猛然と突っ込んでくるサンデーサイレンス産駒を振り切って勝利。重賞初制覇を挙げた。

 3連勝、それも期待馬相手に完封してみせたことでようやく注目され始める。

 

〇クラシックシーズン

 年明け初戦は弥生賞。この時には既にバブルガムフェローと並んで東西の横綱扱いをされていた。実際、弥生賞でも好位先行抜け出しの危なげない競馬でダンスインザダーク以下を完封。これで4連勝となり、皐月賞へ。

 さぁバブルガムフェローと一騎打ち!

 と、思いきやバブルガムフェローは骨折で春は全休。

 じゃあライバルはダンスインザダーク!

 これも熱発で回避。まるで世界がグレートエスケープを勝たせようとしているかの如き有様に、誰もがグレートエスケープの完勝を疑わなかった。

 父はダービー馬、母父は三冠馬、日本内国産血統が三冠をとって世界へ……! そんな風潮すら漂い始めていた。

 枠順は絶好の1枠1番。

 Vやねん! グレートエスケープ!

 ……それらすべてがフラグだった。スタート直後、グレートエスケープがコケる。それはもう、吉〇新喜劇のような鮮やかなコケっぷり。

 最後方に置いていかれると、そのまま見せ場なく大敗。誰もが思った。

「一体なぜあんな馬の応援を……!」

 どこぞの元不良バスケ部員のように凹むファンたち。

 俺はもう夢から覚めた。

 次走の日本ダービー。ここはプリンシパルステークスを完勝したダンスインザダークか、対抗格は同じサンデーサイレンス産駒のロイヤルタッチかイシノサンデーだけだ。

 グレートエスケープはしょせん早熟な一発屋でしかなかった、といわんばかりにファンは一転してグレートエスケープを軽視し、4番人気となる。

 それこそがフラグだった。

 そして臨んだ日本ダービー。グレートエスケープは騎手の梶田が「頭ぶつけるかと思った」と回顧するほどのスタートを決めるとノンストップで逃げ始める。

 前半1000mを60秒を切るハイペースで逃げるグレートエスケープ。馬群もすべてそれを追いかけている。

 先行集団総崩れになると思いきや、直線に入ってもグレートエスケープの脚色は衰えない。それどころか、後続がバテはじめている。

 そう、あまりのペースに後続馬も脚を溜められず、凄まじい泥仕合に巻き込まれたのである!

 ダンスインザダーク、フサイチコンコルドが追い込むがグレートエスケープは逃げ切って勝利。父アイネスフウジンと親子でダービー制覇を達成した。

 しかもタイムは2.25.0のレコードと、父が記録したレースレコードを更新してみせた。

 この勝利は、馬主になって2年目の橘馬奈氏にとって当然初のGI勝利。しかも唯一の所有馬がダービー馬だなんて、幸せなことなこと限りなし。

 しかし、橘氏はこの時既に末期癌に侵されており、この年の8月にこの世を去っている。グレートエスケープは放牧中、この報せを聞いてからずっと鳴き続けていたという。

 

〇秋シーズン、そしてジャパンカップ

 夏は放牧に出されてリフレッシュ。黒井調教師はグレートエスケープのダービー後には凱旋門賞挑戦を表明していたが、疲労が抜けないことから白紙に。

 秋初戦は神戸新聞杯に決定。GI馬は疎か、重賞勝利馬も1頭だけという薄いメンバー相手には負けられないグレートエスケープは文句無しに勝利。菊花賞に弾みをつけた。

 そして1番人気に推された菊花賞。スタート、位置取り、折り合い、騎手の梶田が「勝ったと思った」というほど完璧な走りをするがダンスインザダークの執念の鬼脚に屈して2着。

 この後ダンスインザダークは怪我で引退してしまうが、あれほどの走りをしたなら……と納得してしまいそうなほどだった。

 次走はセオリーの有馬記念、ではなくジャパンカップ。東京の方が合うだろうということで、そちらに決まった。

 サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンという新平成三強こそ回避したものの、クラシックを棒に振った代わりに天皇賞(秋)で3歳馬ながら勝利してみせたバブルガムフェロー、秋華賞でエアグルーヴに勝利したファビラスラフイン、エリザベス女王杯から中1週という強気のローテで挑んできた同厩舎のダンスパートナーなど、有力馬が出走。そして海外からは凱旋門賞馬のエリシオ、キングジョージを勝利したペンタイア、BCターフ2着のシングスピールなど、豪華な顔ぶれが揃った。

 その中でグレートエスケープはエリシオと人気を分け合いつつ、1番人気に。

 ダービー馬ならここは勝ってもらいたいという願望もあっただろうか。シンボリルドルフやオグリキャップ、ウイニングチケットでも3歳時のジャパンカップを勝利することはできなかった。

 果たしてグレートエスケープは――これがまたあっさり勝ってしまうのである。ゲートを出てすんなりハナをとると、緩みないペースで逃げていく。最後の直線では楽な手ごたえでスピードを上げるグレートエスケープ。感動も何もないくらいに、先頭をキープして逃げ切ってしまった。シングスピールには2馬身差、しかもダービーレコードより速い2.23.4で逃げ切ってしまった。日本馬として初めて3歳時にジャパンカップ勝利を達成したがあまりにもあっさりしてたのでなんだかあまり語られていない。すごいことやってるんだけどね……。とにかくこれで3歳シーズンを終える。GⅠ2勝、史上初の日本の3歳馬のジャパンカップ勝利が評価されてURA年度代表馬、最優秀3歳牡馬を獲得。この世代の顔として君臨した。

 

〇激動の4歳シーズン

 年明け初戦は日経賞から始動。ついでに黒井調教師は凱旋門賞挑戦を表明し、凱旋門賞を終えたあとは有馬記念かジャパンカップにするかの判断材料にするため、とわざわざ関東まで遠征してきた。

 唯一のGⅠ馬として断然人気に。しかし当日は雨の影響で重馬場に。初めての重馬場、そして大敗した皐月賞と同じ中山競馬場と不安要素はあった。嫌な予感は的中、スタートからいきなりグレートエスケープがコケる。出足が付かず中団に。あーあ、フラグでしたねと思いきや直線では馬場が重い中でもじわじわ伸びて中山巧者のローゼンカバリーを差し切って勝利。ヒヤヒヤさせるダービー馬である。

 次走は天皇賞(春)。多少のトラブルにも負けずに勝ち切る姿に「Vやねん!」とファンも本命を打つ。対戦相手は新平成の三強サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガン。しかし去年、グレートエスケープが倒したバブルガムフェローに負けている。しかも陣営も距離は一番合っていると自信満々。

 この戦い……我々の勝利だ……!

 そういうフラグを立てるときっちり負けるのが、グレートエスケープというフラグ回収馬である。

 直線激しい叩き合いを演じるが僅かに遅れて4着。しかも骨折という嫌なおまけつき。

 宝塚記念、そして凱旋門賞は当然白紙に。

 牧場に戻って手術を行い、復帰は冬になると思いきや、フラグを回収して負けたくせに怪我はあっさり治してしまう。そのため予定を早めて京都大賞典で復帰。その結果、デビューから手綱をとってきた梶田が主戦から降りる羽目に。

 乗り替わったのはレジェンド滝カナタ。ダービーではダンスインザダークに騎乗し、念願の勝利まであと少しだったがとらえきれなかった彼は、グレートエスケープに乗ると絶賛しまくりである。

 そして迎えた秋初戦。当時の牝馬ながら牡馬にぶつかりまくっては負けていたダンスパートナー、3歳馬ながら積極的に古馬に挑戦したシルクジャスティスと主戦を下ろされた梶田のコンビが相手だった。しかし結果はなんと最下位。

 まぁ怪我明けだし、前哨戦だし、乗り替わりもあったし。次走は梶田に手綱が戻るし……なんてファンは気にしなかったが、天皇賞(秋)でも13着に敗北するのを見ると、流石に顔を青くした。

 ひょっとしてただの早熟馬だったのか、ナリタブライアンのように故障して上手く走れなくなってしまったのか……そんな中でジャパンカップでは2getでお馴染み館山典佑が騎乗することに。

 エアグルーヴ、バブルガムフェロー、立派なモノをぶらぶらさせていたGⅠ5勝の欧州馬ピルサドスキーらが相手となった。グレートエスケープ鞍上館山はスタートするなり、彼に気合いを入れさせるかのように出ムチを入れた。いきなり10馬身近いリードをとって逃げるグレートエスケープ。こんな馬名の癖して何気に初めての大逃げである。

「あーあ、とうとう大逃げまでやって……あとは沈んでおしまいだな……」

 と馬券を買ったファンは頭を抱え、買ってないファンは失笑すら浮かべていたが、直線に入ってもグレートエスケープの脚色が衰えない。気づけば楽々セーフティリードをとったグレートエスケープは6馬身差で圧勝。史上初のジャパンカップ2連覇を達成。終わってみればダービー馬はやっぱり強かった。

 完全復活グレートエスケープ! 有馬記念も勝利して日本競馬界を背負って立つ! という雰囲気の中で最悪の大外枠を引いてしまう。有馬記念、果敢に逃げるがやはり中山芝2500mの大外枠はきつかったのか、4着に敗れる。しかし1~4着がアタマ差、ハナ差で固まっており、決して無様な敗北というわけではなかった。コケなかったし。少なくとも復活はしたことをアピールして、4歳シーズンを終える。

 

〇充実の5歳シーズン

 黒井調教師は三度目の正直とばかりによせばいいものを、懲りずに凱旋門賞挑戦を表明。しかし今度はあくまで最大目標であり、1戦ずつ勝っていくことを強調。というわけで鞍上に滝カナタを迎え、まずは阪神大賞典から5歳シーズンは始まった。

 ここの相手は昨年のグランプリホースのシルクジャスティス、そして父アイネスフウジンとクラシックを争ったメジロライアンの子供、メジロブライト。若造にはまだ負けてられないとばかりに、3強という風潮の中でグレートエスケープは後続を完封して勝利。

 続く天皇賞(春)は前走は強かったけどこいつは本番でやらかすからな……と思われたのか、1番人気だが差がないオッズだった。レースでは3番手につけると坂の下りから進出開始、第4コーナーで先頭に立つとそのまま後続を寄せ付けずに天皇賞(春)を勝利。王道にして強い勝ち方を見せつけたことで、現役最強と呼ばれ始める。

 しかし待ったをかけた馬がいた。そう、稀代の快速逃げ馬、サイレンススズカである。グレートエスケープがペースやレース展開に合わせて逃げる、いわば巧者だとしたらサイレンススズカはスピードにモノをいわせて逃げるスピード強者。このとき4連勝中、前走の金鯱賞では重賞なのに大差勝ちという伝説的なレースを見せていた。

 まさに究極の逃げ馬バトル。鞍上は梶田に戻り、万全の状態で挑んだ宝塚記念。予想通り飛ばすサイレンススズカの2番手でレースを進めるグレートエスケープ。直線を迎えてじわじわ差が詰まり出す。後続とは差が開いていく、しかし前との差が詰まらない。ちょっとずつ差を詰めるが半馬身及ばずゴール。サイレンススズカの逃げ切り勝ちだった。鞍上の梶田と黒井調教師が「完敗です」と言ってしまうほどだった。

 しかし面目は保たれた負け方ではあった。

 凱旋門賞前の前哨戦として、今でこそ時々見かけるが当時としては異例の札幌記念を前哨戦として凱旋門賞へ向かうプランが黒井調教師から明かされた。

「札幌競馬場は洋芝だし、馬に負担をかけずに前哨戦が行える。ここで勝てる馬は欧州の馬場にも対応できる。これからは札幌記念がよく使われるようになるだろう」

 黒 井 最 強

 壮行レースにはさせないとばかりにエアグルーヴも参戦しており、牡馬・牝馬の最強決定戦が繰り広げられた。札幌記念では爆走するサイレントハンターを見ながらグレートエスケープ、それをさらに見るようにエアグルーヴがつける展開。第3コーナーからグレートエスケープが進出すると、エアグルーヴも追いかける。既にマッチレースの様相を呈しており、直線では2頭の激しい叩き合いとなった。しかしハナ差及ばず2着。まぁでも2頭が強かったということで、グレートエスケープの凱旋門賞が楽しみだな。なんて言ってる束の間にグレートエスケープは疲労が抜けきらないため凱旋門賞回避となった。思わず競馬ファンはずっこけた。

 結果的に次走は天皇賞(秋)へ。一部ではサイレンススズカにリベンジするため、という噂も流れた。そして迎えた秋の天皇賞。毎日王冠でエルコンドルパサー、グラスワンダーといった強豪を破り、6連勝を飾ったサイレンススズカに譲ったものの、当日は一騎打ちだとマスコミもファンも世紀の対決に心を躍らせた。

 当時、マル外と呼ばれる外国産馬が日本競馬界を席巻していた。クラシックこそ規定により出走できないが、マル外が出走可能なGIレースで多くのマル外が勝利していた。毎日王冠ではサイレンススズカが当時のマル外最強格のエルコンドルパサー、グラスワンダーに完勝。

 日本内国産馬でも勝てる――そして次にファンが注目したのは、血統だった。

 サイレンススズカの父は当時隆盛を極めつつあったサンデーサイレンス。母父もMiswakiと外国産馬の血統だった。

 対するグレートエスケープは父アイネスフウジン、母父シンボリルドルフ、牝系に至っては由緒ある日本産馬の血統というものだった。

 結果として、日本内国産馬VS外国産馬という図式だった毎日王冠から一転。今度は日本内国産馬血統VS外国産馬血統というかたちで注目された。

 世紀の一戦の火蓋が切られると、1枠に入った2頭が絶好のスタートを切る。戦前はサイレンススズカが逃げてグレートエスケープが追いかける形になると競馬ファンは予想していた。しかし、2頭がほとんど並んだまま後続をぐんぐん引き離していく。3番手のサイレントハンターも個性的な大逃げ馬だったが、それが置いていかれるとほどのハイペース。

 カメラが限界まで引かないと馬群全てを映すことができないほど後続を引き離す。中継していたマジテレビは途中から諦めて2頭だけを映していた。

 スタートから最後までマッチレースになる、こんなレースもう一生見られないであろう――ファンが期待と興奮にどよめく中、2頭が大欅に隠れた。そしてすぐに、サイレンススズカがペースを緩めたかと思われた。実際に緩めたのではなく、失速したのだと気づいたのはテレビカメラでレースを見ていた者と、実況者くらいだろうか。遅れて東京競馬場に押しかけたファンから悲鳴が上がった。サイレンススズカの故障発生――しかしグレートエスケープはペースをまるで緩めずに直線に入る。

 結果的に、グレートエスケープは後続に7馬身差をつけて圧勝した。だが、王者の圧勝劇というには、東京競馬場の雰囲気は異常だった。

 それでも勝利は勝利である。サイレンススズカの陰に隠れていたがタマモクロス以来、史上2頭目の天皇賞春秋連覇を達成した。ついでに府中芝2400m専用機という噂も破壊した。

 続くは3連覇がかかるジャパンカップ――ではなく有馬記念。陣営はレコードで駆けた反動を中3週間では回復しきれないと考え、万全の状態で有馬記念へ向かう姿勢を見せた。

 有馬記念ではラストランを迎えるエアグルーヴ、この年の二冠馬セイウンスカイ、古馬戦線を走り抜いてきたメジロブライトとシルクジャスティス、昨年の菊花賞馬マチカネフクキタルに加えて、復活を期すグラスワンダーが参戦するなど、豪華なメンバーが揃う。

 ジャパンカップ3連覇を捨ててまで挑んだ有馬記念、状態は万全だということで1番人気に推される。こういうときに負けるのが定番な気もするが。

 現役最強馬として負けられないこの戦い、グレートエスケープは好位に控える。逃げるセイウンスカイは荒れた馬場を嫌って外を回りながら逃げていたが、第4コーナーでは捕まえて一気に加速すると、そのまま後続を突き放して有馬記念を勝利した。なんだかんだこの年6戦走って4勝、残る2走も2着と、最終的にGI3勝の好成績を挙げたが、年度代表馬や最優秀4歳以上牡馬はタイキシャトルに拐われた。

 

〇ついに海外遠征

 5歳でシンジケートが組まれており、引退の話もまとまりかけていたが、陣営は現役続行を決定。さらに海外遠征することを発表した。今度こそ行くという気持ちの表れか、普通の1レース使って帰るのではなく、半年間海外に遠征して過ごすという長期的なプランを選択した。

 昨年ジャパンカップを勝利したエルコンドルパサー陣営も長期遠征を決定。陣営からは「国内での勝負付けは済んだ」と発言があり、一部のファンの間で物議を醸したが、「国内での勝負付けは済んだ=海外GIの舞台で決着をつける」という意味ともとれるとされていたし、実際にエルコンドルパサー陣営は同じ日本から遠征するグレートエスケープのことを意識していたという。

 なにはともあれ、グレートエスケープはイギリスのキングジョージを最大目標とし、結果次第で凱旋門賞やブリーダーズカップ、ジャパンカップに出走するプランが明かされた。その前にイギリスで2戦走るとも。

 そして1戦目はプリンスオブウェールズステークス(G2)が選ばれた。しかしレース直前に主戦騎手の梶田が日本のレース中の落馬により長期離脱、天皇賞(春)を共に制したレジェンド、滝カナタと欧州のレースに臨むことが決まった。

 プリンスオブウェールズはあっさり逃げ切って勝利。英国でも「日本最強馬来訪」「極東からやってきた偉大なる逃亡者」「イギリス馬は勝てるのか」と異国からの来訪者に興奮するマスコミが多くいた。日本のマスコミも「エルコンドルパサーに続け!」「欧州を席巻する日本競馬!」「Vやねん!グレートエスケープ!」とイギリスGIの勝利を期待していた。

 次走はエクリプスステークス。イギリス上半期の最強中距離馬決定戦である。ここで1番人気に推されるとグレートエスケープは折り合いを欠き、7着に敗れる。ああ、こいつそういう馬だった……。

 誰もが彼の姿を思い出しつつ次走はキングジョージに予定通り進む。本当に大丈夫か?

 相手は古馬路線に進んでから本格化し、後に1990年代の欧州最強古馬といわれるほどになるデイラミ。

 本当に大丈夫か???

 最終追い切りでは滝カナタを振り落とさんばかりの大暴走をやってのける。

 本当に本当に大丈夫か?????

 不安しかない過程を披露してしまったグレートエスケープは3番人気でレースを迎える。レースでは上手く逃げると直線で一気に後続を突き放す。しかしデイラミもとんでもない脚で追ってくる。完全に2頭のマッチレースになると、騎手同士がぶつかりあうほどみっちり併せた状態で「アスコットの死闘」と評される叩き合いを繰り広げる。

 最後の最後、人馬一体となってクビを伸ばしきった地点がゴール。まさに首の上げ下げの差で勝利を達成した。日本馬がキングジョージ制覇。歴史的偉業に日本は大騒ぎ、英国でもアジアの競走馬による初勝利を絶賛した。

 そして次走で凱旋門賞を走り、引退することが発表された。

 当日はアイルランドとフランスのダービー二冠を達成した3歳馬モンジュー、フランスの古馬中距離路線で戦ってきたエルコンドルパサー、キングジョージで激闘を繰り広げた後にコロネーションカップで圧勝したデイラミらも並んで人気の一角に推された。

 当時、日本競馬界は競馬後進国だった。その中で欧州最高峰のレースで2頭も人気馬として出走するということは、まさに有り得ないことだった。誰もが勝てるかもしれないと期待を膨らませながら凱旋門賞がスタートする。

 そしてグレートエスケープは足を滑らせたのか大外に膨らむほど出遅れた。ここまでくるとファンは笑ったらしい。対照的に好スタートを切ったエルコンドルパサーが逃げるのを見ると、全員グレートエスケープのことは忘れてエルコンドルパサーのことを応援した。

 直線ではエルコンドルパサーの手応え抜群で後続を引き離していく。勝った! と誰もが思ったがモンジューが猛追する。残り50mで並ばれて限界かと思いきや、グレートエスケープがさらに外から襲いかかった。中団から伸びてきたグレートエスケープは最後の最後で差し切り勝利。エルコンドルパサーもハナ差残しきって、凱旋門賞の舞台で日本馬ワンツーを見事に達成した。

 欧州メディアはこの2頭を絶賛し、世界から注目された。特にグレートエスケープはラムタラ、ダンシングブレーヴなどが達成した同一年連続キングジョージ、凱旋門賞勝利を達成。この年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング長距離部門において136ポンドの破格の評価を受けた。まさに世界的名馬と知れ渡ったのだ。

 凱旋門賞後、引退するエルコンドルパサーとは逆に、グレートエスケープはジャパンカップを走り、そこをラストランの舞台に決定。史上初の同一GI3勝がかかっていた舞台で同厩にして年下のダービー馬、スペシャルウィークやモンジューなどを抑えて1番人気に推された。

 例のごとくスタートを決めると緩やかにグレートエスケープは逃げていく。しかし途中から11秒台のラップを連発し、直線では抜け出してみせる。だれもが最強馬の凱旋と思ったが、後方に待機していたスペシャルウィークの直線一気の追い込みに差され、2着に終わる。当日の最終レース後に引退式を行い、グレートエスケープはターフを去った。昼休みにはエルコンドルパサーの引退式が行われており、豪華な一日だった。

 

〇引退後

 社来スタリオンステーションで種牡馬入りすると、アウトブリード血統かつ、当時主流のノーザンダンサーやサンデーサイレンスの血がないことから多くの牝馬を集めた。大きな期待をされたグレートエスケープは初年度からライバル、エアグルーヴとの産駒プリズンブレイクを送り出し、オークスを勝利。その後もダート、芝問わずGI馬をコンスタントに出し続けた。XX15年に種牡馬を引退。その後も勝ち星を増やし、XX21年現在、GI勝利数はサンデーサイレンス、ディープインパクトの3位、重賞勝利数もサンデーサイレンス、ディープインパクト、キングカメハメハに次ぐ4位と日本ではグレートエスケープ系が確立されそうなほど種牡馬成績を残せてみせた。また、産駒による八大競走制覇や、ラストクロップのグレートチャンプは親子ダービー制覇、凱旋門賞制覇を達成している。

 競走馬として、種牡馬としても大成功を収めたグレートエスケープは今も日本競馬界の歴史に名前を刻まれている。

 

〇エピソード

 それで終わるにはグレートエスケープを語るには足らないのがすごいところ。有名馬というのもあるが、それを抜きにしてもエピソードが多い馬である。真偽定かではないものもあるが、様々なエピソードを挙げていく。

 

・蛇嫌い

 調教は真面目に走る馬だった。しかし坂路コースに現れた蛇を見て驚き、途中で走るのをやめてしまった。騎手が蛇を避けてやったが、その日一日は蛇を恐れてそのコースは走ろうとしなかったという。

 

・スタート

 関係者も口を揃えてスタートが上手いと評価しているが、皐月賞、日経賞、凱旋門賞と3回もスタートしてコケている。主戦騎手の梶田によると速く出ようとする意思が強すぎて、失敗するとコケるのだという。それだけレースを理解しているともいえるが、もしかしたらドジキャラなのかもしれない。

 

・ボス

 栗東では厩舎全体の馬たちのボスだったという。喧嘩を売るようなタイプではなく、威厳ある立場で仕切るボス馬だった。ちなみに同厩舎のスペシャルウィークは黒井調教師から「コバンザメみたい」といわれるほどグレートエスケープにべったりしており、グレートエスケープの次に偉いと勘違いしていたフシがあると語られている。日本総大将ェ……

 

・モテモテ

 黒鹿毛でグッドルッキングホースなのだが、牝馬にとってもそれは同じらしく、とてもモテたらしい。現役時代から発情期以外は牡馬を跳ね除けるはずの牝馬に嫌われることは少なく、また種牡馬時代も牝馬に嫌がられることなくスムーズに種付けをしていたという。

 

・テクニシャン

 種牡馬として活躍したが、種付けの速さ、牝馬に嫌がられない、受胎率の高さなどが評価を高める一因にもなった。そして種付けが大好きだったらしい。基本的に拒否はしないが若い牝馬や小柄な牝馬の方が張り切っていたとスタッフから語られていた。

 

・オーナー

 橘オーナーは現役時代に死去しており、妹が後をついでいる。オーナーとの絆の物語はテレビでも放映され、涙無しには見られない。グレートエスケープもオーナーが大好きだったらしく、パドックではオーナーに甘える姿がよく見られていた。

 

・脱走

 厩舎でも有名な脱走名人で、しょっちゅう馬房や放牧地から抜け出していたという。色んな手法が有名だが、一番驚かせたのは閂を蹴り壊して脱走したことと、厩舎スタッフを騙して扉を開けさせて抜け出したことだろう。パワーと賢さ、共に兼ね備えた馬だったという。

 

・等速ストライド

 URA競走馬総合研究所はストライドの大きさに注目した。その中でグレートエスケープが凱旋門賞では走法を使い分けていたことが明らかになった。本来サラブレッドは体格によって走法が変わる。スピードは出るがスタミナを使うピッチ走法、加速力にかけるがスタミナを保つのに向いているストライド走法の2つとされている。これは胴の長さや足の長さで変わるため、スプリンターやステイヤーが馬体で区別されるのは、これを判断基準にしているからである。しかしグレートエスケープは凱旋門賞では最後の直線のみ、ピッチ走法に切り替えていたことが研究で明らかになった。

 その後のジャパンカップでそれは見られなかったが、もしもそれを早くに身につけ、自由に切り替えていたら……これ以上の成績を残していたかもしれない。

 

・ダンスパートナー

 オークスを制した、同厩舎にして一つ年上の牝馬だが、相思相愛の仲だったといわれている。種付けのときもグルーミングをするほどイチャついており、厩舎や栗東トレセンでは有名だった。引退後、2頭は無事結ばれる。産駒のブレイクダンスはGIこそ勝てなかったものの、重賞を5勝。両親の丈夫さを受け継いで、長く活躍した。

 

・スペシャルウィーク

 これまた同厩舎にして年下のダービー馬。兄弟のようだと評されるほどで、スペシャルウィークはいつもグレートエスケープにくっついていた。グレートエスケープも食事をスペシャルウィークにあげることがあったが、好物を食べようとするとスペシャルウィークに怒っていたらしい。スペシャルウィークはその度に驚いていたという。

 

・嫌いな馬

 サラブレッドには珍しく嫌いな馬が明らかになっている。その馬はステイゴールド。栗東トレセンで顔を出せばステイゴールドを追い払おうとし、社来スタリオンステーションでも放牧地が近ければグレートエスケープは威嚇していた。流石のステイゴールドも500kgほどあるグレートエスケープに威嚇されては引き下がることが多かった。しかし、懲りずにちょっかいかけていたため、ステイゴールドはグレートエスケープが好きなのでは、という噂がファンの間で囁かれている。

 

 ……などなど、強いだけでなく、頭の良さもあったことがわかっている。エピソードが豊富であり、関係者が彼を語る時はいつも笑顔を浮かべている。

 最強馬議論となると話は変わってくるが、人気と実力を兼ね備えたスターホースということは、変わらないはずだ。

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 気づいたら夜中になってしまった。

 流石に眠くなってきたが、私は明日から実装されるグレートエスケープというウマ娘が本当に楽しみになってきた。

 ゴールドシップなみにエピソードが豊富な競走馬がモチーフなのだから。

 とりあえず眠ろうとして、リンクに気になる文言を見つけた。

 

「……黒井最強?」

 

 とりあえず明日見てみるか。

 黒井調教師のことだろうが、最強とはどういうことか、とても気になった。

 




https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=268599&uid=37842
ちょっとしたアンケート。大したことじゃないので、思いついた方はご記入ください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。