第1話 喪失、それでも前へ
種牡馬――それは、繁殖用の牡馬である。豚や牛は精子を凍結保存し、使用することが許されるが、サラブレッドは直接交配しなければ、サラブレッドとして認められない。
つまり、種牡馬はいずれ死ぬものであり、またこの世のどの馬につけられる訳でもないため、種牡馬市場というものは流動的だ。
馬産に関わる人間は、常に最高の種牡馬、リーディングサイアーを求めている。
ただ血統がいいというだけで、種牡馬になれることもある。GIを制しても種牡馬になれないことがある。
そして、種牡馬になっても結果を残せなければ、行方知れずになることも。
サラブレッドとしてレースで輝かしい戦績を残しても、必ずしも輝かしい未来が待っている訳では無い。
生き残りたくば、結果を残すしかない。
それは、日本競馬界では初となる凱旋門賞を制したグレートエスケープも同じだった。
期待は大きければ大きいほど、応えられなかったときの反動は大きくなる。
グレートエスケープは戦い続けなければならない未来に対して、苦悩していた――
×××
――ムラムラします。
社来スタリオンステーションの放牧地に出された俺は、どこまでも広がる青空と、そこを漂う雲を数えながら、俺は何度目かになるかわからないため息をついた。
引退した俺は、社来スタリオンステーション(SS)に繋養された。
健康診断では問題なしと太鼓判を押され、社来SSのスタッフたちもみんなが褒めてくれた。
しかし俺は元々人間だった。
馬たちに種付け、つまりセックスできるのか不安だったが、種付けシーズンが近づくにつれて、かえって困ったことがあった。
――ムラムラします。
そう、性欲がすごいことになっているのである!
サラブレッドの牝は春のシーズンが繁殖シーズンとされているが、牡は基本的に通年オッケー。
そのためシャトル種牡馬なんてのもいるくらいだ。
だからなのか、子孫を残したい欲望が凄まじいことになっているのだ。
人間だった感性でいうと、馬でしかないはずなのに、過去に見てきた牝馬が言葉を濁すと、『とても魅力的』に見えてしまう。
「だが待っていればその場面は来るはず……大丈夫。まだあわてるような時間じゃない」
なんて、俺は社来SSの馬房の中あるいは放牧地で日々を過ごしていた。
ただ雌伏の時を耐える――それだけでいいと思っていた俺に、衝撃を与える事件が起きる。
種牡馬としてファンや関係者にお披露目する種牡馬展示会に参加したときのことだ。
俺はスタッフにひかれて俺を見に来た関係者やマスコミ、ファンの前に姿を現した。
「グレートエスケープです。今年から種付けを開始し、来年に産駒が生まれる予定です」
カメラを持った人々が俺を見るなり、感嘆の声を上げた。
多くのファンが見に来てくれていることは嬉しい。
肉体美を誇るようにビシッと立ち姿を決めている時、社来SSの担当スタッフ――紺野さんが語った。
そして俺は衝撃を受けた。
「穏やかな気性と頭の良さ、そして雄大なストライドを活かすバネを産駒に伝えてくれることでしょう。
こちらに来た時と比べて『お腹もふっくらしてきました』ね」
ちょっと待て。今、なんて言った?
思わず紺野さんに振り向くが、当然言い直してくれるわけではない。
だが、本当はちゃんと聞こえている。
――太った。
俺は自分の馬体を見た。
ライバルたちと切磋琢磨した肉体は穏やかな海原を思わせるようになだらかで、そして中身が詰まったようにポヨンとしている。
はっきり言おう。
現役の時より太っている。
俺は想像した。
前世はおいといて、今世では当然童貞である(馬に童貞とか当てはまるのか?)。
どんなコがお相手になるのかはともかく、もしも初体験のときに、「あら? 凱旋門賞馬だって聞いたけど……ふふ、お腹、随分出ちゃってる」なんて笑われたら俺は……!
かといって馬体重を減らし過ぎれば怒られてしまう。
ならば体重はそのままに、筋骨隆々のバキバキボディになるッッッ!
俺は決意した。
そんなこともあって、放牧地に出るなり、黒井厩舎でやっていた調教の真似事をしていた。
まずは放牧地をぐるりと歩いて準備運動をすれば、徐々にスピードを上げる。
栗東のような坂路はないとはいえ、放牧地は広く、一周もそれなりに距離がある。
大体600mから800mくらいか?
そこを一度ぐるりと走った。
軽い運動、コースを確かめるくらいのつもり、のはずだったが。
「はぁっ……はぁっ……3ハロンってこんなに長かったか……?」
体が重くて脚も重い。
そして息が上がっている。
「グレスケ、やけに息が上がってるな……放牧地ではしゃぎすぎじゃないか?」
見回りに来ていたスタッフの声も無視して、もう一度走り出す。
現役の頃はここをトップスピードで走るだけでなく、坂を走ったり、もっと長い距離をもっと速く走っていたのか。
「サラブレッドは化け物か……!」
俺もサラブレッドだったわ。
しかし、一度意識してトレーニングを積むと、徐々に肉体は引き締まって行った。
これなら誰に会っても恥ずかしくない。
そしてトレーニングすると気持ちがいい。
今日も、これから放牧地に向かうために紺野さんに引かれていると、すれ違う馬がいた。
どうやら黒鹿毛の種牡馬らしいと気づいた瞬間、お互いに顔を認識した。
「……! お前は……グレートエ……」
「†闇に舞い踊る閃光†! †闇に舞い踊る閃光†じゃないか!」
闇に舞い踊る閃光――俺がクラシックレースを走る際に一番のライバルとして立ちはだかった相手、またの名をダンスインザダーク。
社来SSで種牡馬になっているとは知っていたが、まさか再会できるとは。
俺はたたらを踏む紺野さんに構わず、再会を喜んだ。
「懐かしいな、元気してたか?」
「ああ、まぁ……」
「昔は何言ってるかわからなかったあの口調も、聞かなくなると寂しいもんだな……また言ってくれよ、ええっと……あの不思議な喋り方」
「いや、今は」
「正直なぜあんな喋り方をするのかよくわからなかったが……ダンスインザダークといえばあの語りだったよな。
またやってくれよ、久々に聞きたい!」
「っ……っ……!」
「どうしたんだ震えて。感動してるのか、再会に。
俺も嬉しいぞ。†闇に舞い踊る閃光†と再会できて。なぁ、†闇に舞い踊る閃光†!」
「う……」
「う?」
「うがーーーーっ!!!!」
うわぁっ! 急にダンスインザダークが暴れだした!
そしてしばらく、ダンスインザダークは暴れに暴れまくり、社来SSのスタッフたちの間では「ダンスインザダーク、昔のライバルに闘志剥き出し事件」として語られることになった。
「で、お前は元気にしていたのか?」
「うん、まぁ、大きな病気とかはせずに過ごしてるよ」
放牧地で柵を挟みながら、俺とダンスインザダークは世間話に興じていた。
俺より何年か早くに種牡馬入りした彼は、今年から産駒がデビューするらしい。
「俺も種付けとかするんだろうなー」
「きみは実績がすごいから、たくさんやらないといけないんじゃないか。それにしても……すごい体だな。まだ衰え知らずということか」
「まぁ、そんなところだ。それでそのぅ……ダークや。種付けってさぁ……どんな風に……やればいい……とか、ある?」
俺は目を逸らしながら、さりげなく、しかし上手く言う方法がわからず、そのままの言葉で尋ねた。
ダークは笑った。
「童貞乙」
「どどどど童貞ちゃうわ!! 黒井厩舎とかにいた頃からバリバリやってたわ!! GI牝馬とかよく知らないけど多分全員抱いたぜ」
「それは逆にまずいんじゃないのか」
「てかさー、あれだろ。ぶっちゃけ……可愛い子とかいんの?」
「そりゃあ、まぁ」
ダークは少し言いづらそうにしつつも、答えた。
今の俺は馬だ。馬の間にも可愛い可愛くないがある。そして、ヤるなら当然可愛い子としたい。
それが生物として当然の欲望だろう!
俺はそう力説すると、ダークは頷いた。
「うん。きみは種付け数が多いだろう。結果的に美ウマもたくさんいるはずだ。まぁちょっと年上だったり、ちょっとグラマラスすぎたり、ちょっとユニークな顔をしてるかもしれないが大丈夫だ。安心してくれ。多分。きっと」
「そっかー。可愛い子かー。うへへ、そっかぁ……うへへぇ」
「そのネチャついた笑みはやめたほうがいい。だが呑気すぎないか?」
ダンスインザダークの表情が変わる。
競走馬時代と同じような、いや、年月を重ねた分、さらに風格を纏った様子に浮ついた気分が霧散した。
「種牡馬というものは結果を残さなくてはいけない。当然、三冠馬だろうと、凱旋門賞馬だろうと、結果を残せなければ追放される。
それどころか、どこにも行けなくなれば……」
「行けなくなると、どうなる……?」
「僕にはわからないが……いいものではないだろうね」
生唾を飲み込んだ。
忘れていたが、競走生活を引退して種牡馬になるのはゴールではなく、新たなスタートに過ぎない。
それどころか、さらに過酷な戦いが始まるということですらある。
とはいえ俺が頑張ったところで、産駒が如何に走るか次第であって、やりようがないのだが……
と、いうわけで。
俺は気合を入れて放牧地を走り回り、そしてまだ見ぬ美しいお嬢さんにハッスルしていた。
社来SSに取材に来たマスコミに対して、紺野さんは「数々の良血の牝馬との種付けを予定しています」と言っていた。
馬になってからの感覚で言うと、やっぱり良血で期待される娘は美しかったり、可愛らしかったりと期待は尽きない。
もう人間だったころの名残はない。
美しい人間より美しい馬! それに俺の中で一番美しい人はもう決まってしまったし。
そして迎えた種牡馬の初仕事!
マスコミに注目されるのは恥ずかしいが、肉体から溢れ出す本能がそれらを振り切って楽しみという気持ちが大部分を占めていた。
いよいよ御対面だ。
才色兼備の美しいサラブレッドを相手に、俺は今、オトナになります――!
「どうも初めまして! この私こそが、日本競馬の歴史に燦然と輝く功績を残したサラブレッド――グレートエスケープです!!」
「あんらぁ、詳しくないおばちゃんでも知ってるわぁ。頑張ったんですってねぇ……ふふふ、若くてカワイイわね」
――そこにいたのは、美しいサラブレッドではなく、小柄ながらもずんぐりむっくりとしたポニーを思わせる馬でした。
そして漂う雰囲気からは、田舎の(ここも立派な田舎だが)おっかさん、或いは赤ちゃんの頃におむつを変えたことがあるのよとか言ってるような近所のおばちゃんを感じさせる年齢――いわば熟女の雰囲気を振りまく馬が、私を待っていました。
「あ……え……?」
「初めてで張り切ってるの? きっとこれから大変だと思うけど、おばちゃんでまず練習してもらって……頑張ってほしいわァ」
「な……なんで……こっ、こんの、紺野さァん……?」
俺は種付け場まで引いてきた紺野さんに振り返った。
紺野さんは優しそうな笑顔を浮かべて、マスコミに対応していた。
「グレートエスケープの最初の種付け相手はサラブレッドではなく、ハフリンガー種というホースパークで乗馬に使われている種類の馬です。年齢は……我々でいう、人生経験豊富な熟女――でしょうか」
なんで?
凱旋門賞馬に対する激熱ハーレム生活は?
ぬきゲーみたいな牧場に繋養されている種牡馬(わたし)はどうすりゃいいですか、ってはずが……え?
「何故他の種の馬を?」
「種付けは蹴られる可能性など、牡牝共に危険がたくさんあります。なので最初は練習も兼ねて、大人しい馬が選ばれます。経験を積んだ牝馬ですね。
あとはもし母馬が亡くなった場合の乳母を用意するという目的もあります。高い可能性で受胎、出産する馬でないとサラブレッドの出産シーズンに間に合いませんし、交配相手をサラブレッドにした場合、生れる時期の問題で遅く生まれてしまうので。
なので、サラブレッドではない、人生経験豊富な彼女が選ばれたわけです。とても大人しいですよ」
オーケーわかった把握した。
事情があるんだな。わかった。でも紺野さん。あんた昨日俺に「美人が来るからなー」って言ったよな。
このっ……!
でも、「違うじゃん!」なんて失礼なことは言えない!
しばらくすると、彼女――ラベンダーというらしい――は、困ったように笑った。
「貴方もこれから大変なのに、初めてがこんなおばちゃんでごめんなさいね?」
「いえ、そんなことはありません。とっても……セクシーです」
ほぼ反射的に答えていた。
確かに年はかなり上のようだが、何故だろう――馬の本能か、若さ故か、その、正直……
「すごく――ムラムラします」
※突然ですがグレートエスケープがトレセン学園にダンスの特別講師としてやってきたラベンダーさんと、うまぴょい伝説を練習するシーンをご覧ください。
「そう! グレさん、いいわよ! もっと腰を使って……いいわよォ!」
「くっ、こう、ですか……!」
「その表情素晴らしいわ! もっとよ! もっと楽しませることを意識して!」
「ハイッ! 3・2・1 ファイッ!!!!」
――橘ちゃん。恵那ちゃん。
貴方の馬は、階段をひとつ登りました。
競走馬として登ってきた階段とは、少し違った大変さがありますが――俺は頑張っていこうと思います。
それが役目なのならば――
「なぁ、ダーク」
「なんだい、エスケープ」
「……小柄な子って、いいな」
「……は?」
――例え初体験が性癖として刻まれようと。
〇ウマ娘編 小ネタ
――ビューティー安心沢とグレートエスケープとオトナノジジョウ
「私、グレートエスケープも立候補させてもらおう!」
「ほう。貴様が興味を持つのは意外だが……立ちはだかるというのなら、容赦はせん!」
「それなんだけど、グレートエスケープちゃんは参加は無しで」
「なぜ?」
「スタイルがエアグルーヴちゃんと被るから、ちょっと消費者側にアピールしづらくなっちゃうし……」
「経済的な理由!」
〇今日の幻覚――グレスケ世界のウマ娘のとあるスレ
「自分、漫画版の『THE GREATEST RUN』からウマ娘入ったんで、アプリシナリオの敗北時の歯ぎしりシーンに物足りなさを感じてしまう……」
反応
「プリティじゃないからな」
「本当にいいんですか? あんな人を〇しそうな表情でいいんですか?」
「アプリ→スポ根 漫画→美少女擬人化コンテンツでする顔じゃない」
「基本的に絵柄は可愛いのにシリアスなシーンでは表情がギラつきすぎてるのよ。シングレもだけど……」
「プリティとはいったいなんなのか」
「いうほど危険な笑みか? 【画像】」
「進撃の巨人とかハン〇ーハンターとかで見たことあるんだけど」
「コラだろ?」
「本物です」
「アプリも3Dモデルが可愛いだけで血がにじむほど拳を握りしめてただろ!!」
〇今日の幻覚――ホープフルステークス
「今日はゴールドシップ産駒で母父がグレートエスケープのミスイベイジョンが出走するぞ!」
「ホープフルS、ミスイベイジョンの鞍上は引き続き館山さんか。新馬戦で最高のスタート決めて逃げ切り勝ちしたのに、札幌2歳Sは出遅れ後方待機からの直線一気とか、どう動くか全く読めないんだよなぁ……父ゴルシ母父グレスケだからって、出遅れとか走りまで真似せんで良いの……だから両方乗った事がある館山さんなんだろうけど」
「とりあえず今回は3番人気。2戦2勝、でも調教で全然言うこと聞かないってノリさん言ってたからかな……」
「動画ではまともに走ってなかった?」
「今回の最終追い切りではふわふわ走ったり、しゃかしゃか走ったり、走り方を変えて遊んでるってコメントが」
「タイムまぁまぁよくない?」
「いい脚はあると思うんだが……」
~レース後~
「オイ……なんで……ミスイベイジョンが走り回ってる……」
「ゲート出るなり急ブレーキ→ノリさん落馬→空馬で1着→そのまま2周目」
「馬鹿やろうそれやったのはステゴだろ!!!! 血が帰りすぎ!!!!」
「ノリさんは無事そうでよかった」
「息子の剛史(ツヨシ)が見事に勝利したっていうのに」
「カナタさんは2着で完全制覇はできずかぁ……」
「ミスイベイジョンはいつまで走るん?」
「スタミナすげぇなぁ……」
「ゴルシでもグレスケでもやらなかったことをやる、それがミスイベイジョン」
「※祖父のステイゴールドはやっています」
「とんでもない馬だぁ……」
「俺の……俺のボーナス……え? おい……え?」
「馬券はほどほどにね!!」
〇種付けの最初の下り
オルフェーヴルの最初の種付け相手の記事を参考に描写しました。現実と違う可能性があることはご理解ください。今更ですね。
〇幻覚
定期的に小ネタとして拾っていきます。世界の解像度を上げていくぜ!
幻覚放流場→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=272498&uid=37842
アンケート→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=270000&uid=37842
〇次回予告
ついに種牡馬生活がスタート! これからどんどん種付けして優秀な子供を! そう思っていた矢先に先輩馬に絡まれてしまう。え!? この社来SSには3頭のボスがいて、そこから序列が決まっている!?
知らねえそんなこと! どんな馬だろうと俺は簡単に従わねえ!
次回、名種牡バ列伝「グレートエスケープ」
第2話【調子乗ってすみませんでした!】
お楽しみに!