名バ列伝『グレートエスケープ』【完結】   作:伊良部ビガロ

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馬年齢を旧表記にすればよかったとめちゃくちゃ後悔してる(すり合わせがめんどくさい

※感想、評価、ありがとうございます。毎日励みにして頑張っております。でもこれを書くとウマ娘ができなくて、ウマ娘やるとこれが書けんねん……仕事辞めるか!


第5話 走り出す思い

「ハンバーガーが食べたいッ。ポテトもだ……Lサイズのコーラで油分を洗い流しながら味わうんだよ……どう思う?」

「どう、って言われても……私から言えるのは体重がすごいことになりそうってことくらいなの」

「脂肪分が多いと筋肉にもよくないよ」

「その通りなのだが、如何せんこの衝動を抑えるのは難しい。そんな時はないかな、アイネス姉さん、ライアン」

 

 トレセン学園のカフェテリアでテーブルを囲みながら、アイネスフウジンとメジロライアンにそう尋ねてみた。

 ハンバーガーとポテトのセットは油と塩分と炭水化物の塊、体重制限が必要なウマ娘にとっては毒物に等しい。

 

「というかどうしちゃったのさ! あんなに広背筋の素晴らしさについて話し合ったのに、君がジャンクフードを食べたいだなんて!」

「ライアンちゃんとそんなお話してたんだ……いいの、内容は聞く気ないから」

「誤解なんだよアイネス姉さん。効率的に鍛えるメニューについて相談していただけで、筋肉色の会話はしてないよ」

「そ、そんな!」

 

 落ち込むライアンだが本気で落ち込んでる訳ではないと思うので一旦無視する。

 

「とはいえ! ライアンやアイネス姉さんの言うことは正論だ。ましてや相棒、トレーナーからも控えるように言われている……そこで、だ。トレーニングやレースに影響させず、ハンバーガーやポテトを好きなだけ食べる方法はないだろうか」

 

 カフェテリアでは甘い甘い、乙女がときめくスイーツが多数販売している。これの我慢は意外といけるのだが、今はどうしてもハンバーガーの誘惑に耐えきれない状態だ。

 それもトレセン学園のこだわり抜いて作られたハンバーガーではなく、ファストフードのあのハンバーガーを食べたい。

 どうしてこんな辛い思いをしているのか、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

 

「エッちゃん、すごくストイックだからこういうことはないと思っていたけど……意外だなぁ。マックイーンと似てるかも」

「ライアンちゃん、実はエッちゃんって大食いというほどではなくても偏食家だったりするの。普段は徹底してるし、ガス抜きも上手くしてるけど、ガス抜きが上手くいかなくなるとこうなっちゃうの」

「そうなんだ……エッちゃん。それなら……やっぱり運動するしかないと思うよ。食べた分だけ筋トレ! 栄養素を筋肉に変えてさらにパワーアップだ!」

 

 ライアンがにかっと白い歯を見せて笑った。

 

「うむむ……しかしそれではほかのメニューが追いつかなくなってしまう。もちろんある程度は運動するつもりなのだが……」

「ここはやっぱり根性で我慢なの! 我慢して、レースに勝ったらご褒美にハンバーガーをいっぱい食べる。その方がやる気も出るはずなの!」

「それが一番かな……だが、トレーニングのモチベーションが出せるかどうか……」

 

 アイネス姉さんのアドバイスもイマイチ響かない。

 二人とも正論ではあるし、競技に励むウマ娘として当然の行いであって私がそもそもワガママや無茶を言っている。

 そんな私に対しても二人は意見を出し続けてくれた。

 

「マラソンしながら食べるのはどうかな!?」

「口がべたべたになりそうだな」

「ぎゅっと押し潰せばぺらぺらになるからカロリーゼロなの!」

「どこかで聞いた理論!?」

「炭酸抜きコーラ!」

「炭酸抜き無しコーラなら……」

「それはただのコーラなの!」

 

 三人寄れば文殊の知恵というが、中々妙案は出てこなかった。

 悩み疲れた私は情けない悲鳴を上げながら再度テーブルに突っ伏した。

 そんなとき、アイネス姉さんのスマホが振動する。ごめんね、と一言告げて電話に出た彼女は、すぐに悲鳴にも似た声を上げた。

 

「えっ、アルバイトの子が体調崩して人が足らない!? その子は平気なの? 風邪なんだ……でも人が足らなくて……わ、わかったの。手伝ってくれそうな人を当たってみるの」

「どうしたの?」

「実は……」

 

 バイトで欠員が出た! でも代わりがいない! 申し訳ないけど誰か手伝ってくれそうな人を探して欲しい!

 と伝えられたというのがアイネス姉さんの言葉だった。

 

「それはアルバイトの仕事なのか?」

「そう言われると弱いの……でもお世話になっている以上は助けたいし……」

「それならあたしに任せてよ! どんなアルバイトかわからないけど、できることならなんでもするから」

「ライアン、あまり安請け合いは……と言いたいが、私も協力しよう。アイネス姉さんには恩返しをしたいと思っていたからね」

「二人とも……ありがとうなの!」

 

 アイネス姉さんは少し涙ぐみながら「持つべきは友人なの」と呟いた。

 

「ところで、どんなバイトなんだ? あまり専門的だと手伝うのも難しいと思うが」

「ハンバーガー屋さんなの!」

「ハンバーガー屋さん……あっ」

 

 声を上げたのはライアンだった。とても気まずそうにこちらを見つめてくる。

 

「……食べないぞ」

「そ、そうだよね、ごめんね!」

「そうなの。いくらエッちゃんでも食べないの」

 

 いくら、ってなんだよ。

 なんて三人であははははと笑いあった。そして途中で二人が笑うのをやめて、もう一度見つめてきたから固く宣言した。

 いくらなんでもアルバイト中に食べるような真似はしない、と。

 

 

 

 ぐぎゅるるるる……。

 今の音は腹の音だ。猛獣が唸りをあげている訳ではないが、私の心情としては余り変わらないかもしれない。

 隣でポテトを揚げては紙のケースに詰めていくライアンが心配そうにしている。

 大丈夫だ、そんな目で見るんじゃあない。

 アイネス姉さんは最初こそこっちに仕事を教えてくれていたが今では忙しくなってそれどころではないようだ。

 一人で何人分もの仕事をこなしていくあたり、歴戦のバイト戦士だけある。

 しかし……なぜ一生懸命ハンバーガーを作っているのに私は食べられないのだろうか。作るだけだからか……でもでも……。

 いやいやいや。私はウマ娘、それもトゥインクルシリーズで走るアスリートだ。

 今日は不摂生OKデーではない。

 はっきり言って、昔からストイックにやってきたのは人並み以上に娯楽に弱いからこそ自分を律してきた面もある。

 正確には適度に自分を甘やかし、バランスをとってきた。だが、ここしばらく上手くガス抜きができなかったことが祟って調子は不調状態だ。

 ハンバーガーを食べたら調子が上がるんじゃないか……?

 

「そ、そういえばさ! エッちゃんはどうしてアイネスのこと姉さんって呼ぶの?」

「いや、食べてないぞ! ……ああ、そのことか。なに、彼女には色々と世話を焼いてもらってね。それから、そうやって呼ばせてもらっている」

「エッちゃんが世話になった……なんか想像つかないね。あたしみたいにズボラでガサツだったりするとアイネスはよく世話を焼いてくれそうだけど」

「ライアンの自己評価に意見はあるが……私にも迷っている時期があってね。思い出すのも少し恥ずかしいが……確か、模擬レースで負けが続いていた時のことだ」

 

 ――トレーニングが足らないのか。戦法が悪いのか。走法か、条件か。

 思いつく限り、あらゆる可能性を想定し、ひとつひとつ潰していく。言葉にすると一瞬だが、実際にはひとつの欠点を潰すのにもっと時間がかかった。

 そうやって潰しきった末に臨んだレースでも勝てない日々が続いていた、そんなある時。「いいレースだった」と自分に言い訳をした。

 とても楽だった。事実、2着や3着もまたあと少しで勝てるということだし、そうやって次勝てばそれでいい、と。

 しかし、次第に2着や3着すら取れないようになってきて、ますます焦った。

 その頃から、理論や栄養を軽視して、我武者羅に走るようになった。そうでもしないと、おかしくなってしまいそうだったんだ。

 フォームはめちゃくちゃ、走行するルートもダメ。

 何度も転んで生傷が絶えなかった。倒れるまで走る日々を繰り返していた。

 ある日、走り終えて、倒れて、目を覚ますと近くにアイネス姉さんがいた。

 そのときはただの野次馬だと思って、素っ気なく接したが次の日からなんとお弁当を持ってきた。

 私も大概バ鹿なので「施しや同情なんていらない」と無視した。それ以上にアイネス姉さんもバ鹿だったのかもしれない。

 生意気に歯向かうウマ娘を相手に、次の日も、その次の日もお弁当を持ってきた。

 最初の数日は無視して、さらには酷い言葉を投げつけて、だいたい1ヶ月くらい経ったある日……

 

「トレーニング後に疲れて動けないところに無理やりおにぎりとスポドリを突っ込まれた」

「えっ」

 

 当然驚いたし、水も飲まずに走り続けた後だから窒息して死ぬのかなと思った。

 なんだかんだで食べて死を免れたが、おにぎりを噛んで飲み込むうちに、涙が止まらなくなった。

 張り詰めていた糸が切れたように、涙を流し続けながら、無言でアイネス姉さんが作ったおにぎりを頬張った。

 食べきってから、私はアイネス姉さんに尋ねた。

 

『どうして見ず知らずのウマ娘にこんな世話を焼くんだ……あんなに酷いことも言ったのに』

 

 アイネス姉さんは制服が芝や泥で汚れることも厭わず、私を抱きしめた。

 

『貴方が自分を痛めつけるのを、見ていられなかったの。なんだか、他人のような気がしなくて』

 

 普段の私なら新手のナンパか、詐欺の手段だと思っただろう。

 しかしそのときは、優しく背中を撫で続けてくれた彼女の胸に顔を押し付けて、泣き続けた。

 勝ちたくても勝てなくて、練習もどうすればいいのかわからなくなって。

 諦めたかったのに、諦めることも出来ず、ただ脚が痛くても走り続けて、苦しかった。

 そんな弱音を吐き続けてもアイネス姉さんはずっと聞いてくれていた。

 

「今思うと本当に恥ずかしいよ。優しくしてくれたほかのウマ娘に泣きついて弱音を吐き続けるなんて。私も若かった……と思うことにした」

「そうかな。アタシは恥ずかしくなんてないと思うよ」

 

 ポテトに塩を振りながらライアンは続けた。

 

「弱音を吐くって、大切なことだと思うんだ。一生懸命であればあるほど、弱音を吐くと自分の目標や夢を信じられなくなっていくけど……吐き出さないと、いつか爆発しちゃうんだと思う」

 

 あの時の自分は弱音を吐くことを恥だと考えていた。今でもないものねだりをしている暇はないと思って弱音を吐かずに歯を食いしばろうと心がけている。

 ライアンはそれは違うと言う。

 

「それを優しく受け止めて、励ましてくれる人は大切にすべきなんだと思う。そういう人がいるから、みんな頑張っていられるんだよ。アイネスは……エッちゃんのそういう人に、友達になりたかったんじゃないかな」

「……それだと、アイネス姉さんには助けてもらうばかりになってしまうな」

「アイネスは世話焼きだから……でも、こうやってバイトを手伝ってあげるのも、アイネスを助けることになるんじゃないかな」

 

 ライアンはそう言って笑った。

 私はなんだか随分赤裸々に語ってしまったことを思い出して、赤面した。

 

「……まぁ、こんな具合に。それから色々と世話を焼いてもらってからアイネスフウジンを姉さんと呼び慕うようになったわけだ」

「なんだか……姉さんとか、お姉様って……本当にあるんだ……なんだか……ドキドキしてワクワクしちゃうな」

「この流れでそれを言うのか、君は」

「二人とも! 話してないで手を動かすの!!」

『はいッ』

 

 アイネス姉さんからの叱咤が飛んで、二人して返事をする。

 こうして助け合ったり、話し合う相手のことを友達と呼ぶんだな……。

 アルバイトの手伝いが少しでも助けになるように、バンズにパテを挟み続けた。

 

 数時間働き続けてようやくバイトの時間が終わる。この時間になると利用客もまばらになるため、もう三人が働く必要はないとのことだった。

 バイト終わりに店長に呼び出された。

 

「いやぁ助かったよ。まさかトレセン学園のウマ娘ちゃんたちが手伝ってくれるなんてね。メジロライアンちゃんにグレートエスケープちゃん。ありがとう。これ、多めに入れといたから……バイト代ね。美味しいもの食べてよ!」

『ありがとうございます!』

 

 バイト代という嬉しい臨時収入も入った。アイネス姉さんも同じくらい貰っていたようで、安心した。

 

「アイネスちゃんが連れてきた子がいい子で助かったよ」

「ありがとう店長! 二人とも自慢の友達なの!」

「そうか……あ、ちょうど……これ! 三人に一枚ずつ。セットメニューの無料クーポン券。これでウチにまた食べに来てよ」

 

 クーポン券を受け取る。そこには『ウマ娘セット』というメニュー名が書かれていた。

 ウマ娘セット、それは特大のバーガーに大量のポテト、さらに洪水レベルの飲み物を味わえる特大セットのことだ。

 そのセットメニューが自分の前に並ぶ光景を想像し、心の中のジャンクフードを食べたいと願う猛獣が唸りを上げた。

 ぐぎゅるるるる。

 

「エッちゃん……まさか」

「まさかなの」

「……店長。今からこのセットを食べたいのだが!」

 

 気づいたら声に出していた。

 ……労働後の空腹時にハンバーガーを食べたいという欲望を抑えられるはずがない。

 私は店長が笑顔で頷くのを見て、我慢できなかったことを自覚し、天を仰いだ。

 みんなで働いてから食べるハンバーガーは、とても美味しかった――

 

 後日。トレーニング前に、トレーナーへ提案をした。至ってどうということもないような、いつも通りの仕草と語り口で。

 

「トレーナー。特に理由はないんだが、今日はスタミナ中心のメニューにしないか? なに、私にもたまには気まぐれのトレーニングが必要だと思ってね……太ったわけではないからな?」

 

 体力が30回復した!

 スピードが5下がった

 スキルptが10上がった!

 太り気味になった

 

 

 

 ×××

 

 

 

 9月23日、土曜日。中山競馬場にて開催された第9レース、芙蓉ステークス。芝2000mの良馬場で行われたレースに俺は出走していた。

 

「14番グレートエスケープが先頭で第4コーナーに入ります。2番手8番ダイワアラモードは下がっていきます。1番人気の6番シーズグレイスが上がってくるが抜け出したのは14番グレートエスケープ! 2馬身のリードを保ったままゴールイン!」

 

 1番人気こそ譲ったものの、外枠からハナを奪い、直線で突き放すという逃げ馬として理想の形で勝利することが出来た。

 これでOP特別を勝利したから俺はオープン入り。兼ねてからの目標だった日本ダービーへ至る道が具体的なものに変わる。

 勝利するなり黒井先生はぽんぽんと俺を撫でた。

 

「少し短い間隔と輸送でどうかと思ったが体重も理想通りやったし、いい勝ち方やで。輸送はあまり苦労しなさそうやな」

 

 栗東トレセンから中山競馬場まで長い道のりだったが、前世はこれでも人間(だったと思う)だ。

 窓から外が見れず、あまりいい環境ではなかったが普通の馬よりは我慢できたはずだ。

 

「中山の小回りでしたけどここでは流石に相手が違ったッスね。意外と器用でした」

「頭いいだけじゃそこはどうにもならんと思ったんやけどな。レースを理解している分、コーナーを理解した上で曲がるから騎手も動きやすいやろ」

「ええ、俺も初めてのクラシック制覇が見えてきた気がするッス」

「小僧がよく言うわ。ま、実際リーディングで勝ててるからな、文句は言えんわ」

 

 どこか和気あいあいとした雰囲気だ。約1ヶ月後、ダンスパートナー先輩がGIレースに出走予定となっているから、弾みがついたということで陣営も気分が明るくなっているようだ。

 ケンちゃんはそのレースでは別の馬に乗るらしいが、まぁ騎手ってそういうものだ。昔はともかく、特にほかの厩舎の馬などに乗ることもある今では騎手同士や厩舎同士で犬猿の仲のようなライバルにはあまりならないという。

 フランスでは惜しくも敗戦してしまったが、頑張って欲しい。なんせ、牝馬であるダンスパートナーさんが牡馬クラシックの最終戦『菊花賞』へ出走するのだから。

 牝馬が牡馬に勝つのは人間と同じでとても難しいことだ。そんな難行に挑んでみせるというのだから、応援したい。

 厩舎でもダンスパートナーさんに対する応援の声が多数かけられていた。

 

「最近エッちゃんも調子がいいみたいじゃない? 次はどこを走るの?」

「黒井先生が言うにはラジオたんぱ杯2歳ステークス……重賞です」

「いよいよ重賞初挑戦なんだ……私、フランスでは負けちゃって落ち込んでたけど、エッちゃんの勝ちに勇気を貰えたんだ。今度は私の番だよ。菊花賞で勝って、エッちゃんに重賞挑戦の勇気をあげる!」

 

 ふんすふんすと鼻息を荒くするダンスパートナーさん。張り切っている姿はどこか微笑ましさを感じる。

 しかしいざレースに臨むと、切れ味鋭い末脚で牝馬たちを蹴散らす女王の姿に早変わりする。

 菊花賞でもその末脚を炸裂させて欲しい。

 

 

 

 当日、俺は馬房でラジオを聞いていた。なにも自分でラジオを流しているわけじゃない。馬房付近で菊花賞のラジオを聞いている厩舎スタッフによって俺も聞くことができているのだ。

 流石に場所を移動しようとしたときには引っ張って止めたが、馬の体でラジオの操作は難しい。コンセントを差すのが感電しそうで怖い。

 

「始まったな……なんでこいつ離してくれないんだ。わからんだろ……」

 

 スタッフがため息をつく。

 すまないとは思うが実は馬房のみんな、ラジオに耳を傾けている。

 意外と馬は人間の言うことをかなり理解しているのかもしれない……と伝えるのは難しいか。

 

「気合が入って……スタートしました。出遅れはありません」

 

 レースがスタートした。ダンスパートナー先輩は無事にゲートを出たらしい。既に俺たちにできることはない。思いよ届けと天に祈り続けることだけだ。

 ダンスパートナー先輩は牝馬ながら1番人気に推されている。今年のダービー馬を抑えての人気は誰もが彼女の力を認めている証拠。

 事実、ダービーよりもオークスのタイムの方が早かった。牡馬にも負けない力があるとみんなが信じている。

 ダンスパートナー先輩は中団につけているとラジオからアナウンサーの声が聞こえる。

 

「音量上げろよ兄ちゃんよォ」

「充分聞こえるだろ、静かにしろよ」

「今ダンスパートナーって言ってたよね?」

「うるさいから黙っててくれ」

 

 馬房でみんなが聞き耳をたててやいのやいの言い合っている。

 スタッフのあんちゃんにとっては鼻息がふごふご鳴ってるようにしか聞こえないだろうが、多分言葉の内容を聞いたら驚くだろう。

 レースは瞬く間に流れていき、第4コーナーへ差し掛かる。

 

「ダンスパートナーは外に持ち出してぐんぐん差を詰めてまいりました!」

「ヨシッ!」

 

 少し離れた事務所で観戦しているスタッフ、馬房でラジオを聞いているスタッフ、ダンスパートナーを慕う俺たち競走馬全員が声を上げた。

 中団から末脚を炸裂させて1着でゴールイン。誰もが牝馬の菊花賞制覇という夢を見た。

 しかし――

 

「マヤノトップガン先頭! マヤノトップガン先頭! 2番手にトウカイパレスが上がってくる! マヤノトップガン先頭! リード1馬身でゴールイン! 菊花賞を制したのはマヤノトップガンです!」

 

 ――牡馬と距離の壁はまだ厚かった。

 結果は1着と0.4秒差の5着。4コーナーでの手応えは悪くなかったが、最後の直線で伸びきれなかった。

 しかし厩舎では負けて強しのレースだったと受け取り方は前向きだった。これからも牡馬相手に互角に戦える、と。

 ダンスパートナーさんが帰ってくると、表情は明るかった。

 

「残念だったなぁ……悔しいけど、男の子相手にあそこまで戦えたなら悪くないでしょ? でも……みんなのためにも勝ちたかったな。ごめんね」

「そんなことないぞ! ダンスちゃんは流石の走りだった」

「ダンスパートナー、素晴らしい走りだった!」

「また次があるんだから、次勝つしかないだろ。次、勝つんだ!」

 

 少し悔しそうに笑う彼女に対して、ほかの馬たちは慰めの言葉をかけた。ダンスパートナーさんは励ましが次第に「可愛い!」「最近お姉さんぶってるの可愛い!」「優しくされてるグレ坊は落鉄しろ!」「ダンスちゃんのパートナーになりたい」という褒めてるのかセクハラなのか怨嗟なのかよくわからない言葉に変わっていくのを聞いて、恥ずかしそうにしていた。

 そうこうしているうちに夜になる。

 俺も寝ようかうつらうつらし始めた頃だった。

 

「エッちゃん……少しいいかな」

 

 壁越しにダンスパートナーさんの声が聞こえてきた。こんな風に聞いてくることは初めてで、眠気が消えて、耳を立てた。

 続きを促すとダンスパートナーさんはぽつりぽつりと語り出した。

 

「エッちゃんに勇気を上げたいから……私は走るって言ったけど、本当は違うの。本当は、ただ私が勝ちたかった。第4コーナーで勝てるかもって思って、想像したのは私が勝って、表彰される姿。でも、結果は5着だった」

 

 相槌を打つにとどめて、話を聞き続ける。声音からすると、いつもよりトーンが落ちていて、いわゆる落ち込んだ状態だった。

 

「バカみたいだよね。かっこつけて……結局自分のために走って……負けちゃうなんて」

「自分のために走ることは悪いことじゃないと思います。それに、いいレースだったじゃないですか。あと少しで勝てたかもしれないレースで……」

「勝てなきゃ意味ないの!」

 

 まさしく悲鳴だった。ダンスパートナーさんは直後に少し慌てて「誰も起きてないよね……? ご、ごめんなさい」と謝った。

 大きな声ではなかったが、そう感じるほど、心からの叫びだった。

 

「私は勝てると思ってレースに臨んで……1番人気にも推してもらった。でも勝てなかった! 勝てないと……意味ないの……!」

 

 ダンスパートナーさんはそう言うと、嗚咽を漏らし始めた。

 初めて見た彼女の激情に俺は少し戸惑い、なんて言おうか迷う。考えてから、素直な感想を言った。

 

「俺は……新馬戦で負けた時、次勝てばいいと思いました。でも、とある先輩と話して、それじゃダメだと思ったんです。確かに勝てなきゃ意味が無いと思います。勝つために走っているんだから……でも。だとしても……次のレースがあるなら、次勝てるために走るしかないんだと思います」

 

 時間は戻らない。菊花賞は一度だけしか挑めないクラシックレース。それでも、競走馬を続けているなら、次のレースがある。

 確かに次勝てば、なんて精神では何も掴めないかもしれない。けれど、負けたレースを引きずり続けても、前には進めないのだ。

 

「次のレースは重賞レースを予定しています。先生が言うには、来年のクラシック候補が何人も出てくるらしいです。勝てないかもしれない……でも、そこで負けたからといって、これからのレースも走らない訳にはいかない」

 

 だから今は……悔しさを全部吐き出しましょう。

 そう締めくくると、ダンスパートナーさんはぐすんと音を立てながら泣き止んだ。

 

「……うん、うん。ん……ほんと、ダメだなぁ……年下の男の子に八つ当たりして、慰められちゃって……本当に……ダメだ……」

「年齢は関係ないかもしれないですよ」

 

 一応人間の人生も経験しているから、年上のはずだ。種族が違うのでなんとも言えないが。

 馬だろうと色々と考えるものなんだなぁ、なんてぼんやり考えていると、ダンスパートナーさんは笑った。

 

「そうかも。エッちゃんはここに来た時から頭良かったし……」

「頭良くないと思いますよ? 馬鹿なことしてましたし」

 

 挑発に乗ってレースで負けたり。

 結局、人であろうと馬であろうと、悩んだり迷ったりするものらしい。もし人間の頃、そんなこと言っても真に受けられることはなかっただろうが。

 

「むしろダンスパートナーさんみたいに自分のために走れるのは羨ましいです。俺は、厩舎のみんなのためとか、そういうのばかりで。そういう意思が足らないんですかね……」

「お互い、羨ましく見えるものなのね」

「そうかもしれません」

 

 人と違い馬は睡眠時間が短いので別に辛くもなんともないのが幸いというべきか。朝日が厩舎に差し込んでくるまで話が続いたのだった。

 

 

 

 12月23日、有馬記念の前日。阪神競馬場に集まるのは、来年のクラシックで本命となる、未来のスターを探すファンたち。

 2歳馬のチャンピオンを決定するレースは牡馬は朝日杯FS、牝馬は阪神JFという2つのGIレースがあるが、本日阪神競馬場で行われる2歳重賞レースもクラシックを占う大事な一戦だ。

 レース名はラジオたんぱ杯2歳ステークス。

 GIIIながら、阪神競馬場芝内回り2000mという距離から、皐月賞、日本ダービーを狙う馬たちが参戦するこれもまた2歳チャンピオン決定戦でもあった。

 今競馬界では外国産種牡馬全盛期といわれるほどで、例に漏れずラジオたんぱ杯2歳ステークスにも多くの父が外国産種牡馬を持つ馬たちが参戦していた。

 そんな外国産馬を父に持つ競走馬が競馬界に旋風を巻き起こす中で、父が内国産種牡馬ながら堂々と挑む馬がいた。

 その馬の名は――『グレートエスケープ』

 ダービー馬、アイネスフウジンを父に持つ内国産種牡馬の期待の星が、日本競馬の底力を見せるために参戦するのだった。

 競馬ファンたちは、日本の血統は外国の競馬血統に通用するか否か、注目していた――




ラジオたんぱ2歳ステークス出走馬診断
グレートエスケープ
父:アイネスフウジン
母:シルバーパート
母の父:シンボリルドルフ

各記者の予想印 増田… 岡矢部◎ 則本▲ 竹川〇
血統△ 戦績◎ 調教〇
新馬戦ではかかりながらも3着に粘り込むスタミナを見せつけた。その後2戦は危なげない逃げ切り勝ち。しかしスピードに欠ける面がある印象。瞬発力勝負になると他の有力馬に分があるか。スムーズに逃げられれば勝ち目はある。


Q.馬たち頭良くない?
A.すげえよなぁ

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