阿鼻叫喚の地獄絵図。
端的に表現するとその言葉がしっくりくる。
昼日中の街に悲鳴が飛び交い、歩道に鮮血が飛び散る。車のクラクションは喧しく怒鳴り散らすが、車道は既に交通麻痺を起こしていた。
「日本は人口が多いから、こういう事態には脆いな」
そう呟く言葉は近くの人にしか聞こえていない。その人物が怯えるようにこちらに言う。
「く、九郎。なんでそんな落ち着いてんのよっ? ぼーどーよ?」
セーラーカラーのワンピースを着た少女がそう宣う。
その様子からこの人物の妹のようだ。セミロングの黒髪をツインテールにしていて幼い印象を与える。どこをどう見ても日本人の少女だ。
「暴動なんてアメリカじゃ当たり前だからな」
「ここは日本なんですけどっ!」
他人事のような口ぶりに、少女はツッコミをいれた。
実際つい最近も似た状況にあった彼には慣れきったものだが、平和なこの国の少女にはやや刺激が強過ぎたらしい。
「それに九郎だってアメリカ行ったことないじゃんっ!」
噛み付くように言う少女。
それに対する返答とばかりに、彼は彼女をかき抱く。
「ふえっ?!」
「シュッ」
バキャッ!
少女を抱え、軸脚をくるりと変えて振り向きざまのトラースキック。違わずに不届き者の下顎部を粉砕。厚底の編上げブーツの底は鉄材が敷いてある安全仕様であり、その威力は推して知るべし。
「きゃあっ!」
「お、おい。なんて事するんだ、お前っ!」
慌ただしい雰囲気でありながらも、義憤に駆られた男が彼に食ってかかる。だが彼はそんな男に頓着しない。抱きかかえた少女を立たせ、手を繋ぐとその場を離れる。
「おいっ」
「うがぁ……」
「うわあっ!?」
彼を問い詰めようとした男は、背後から二人の人間に掴みかかられた。
「いくぞ」
「ちょ、あの人助けないの?」
「間に合わん」
少女よりも大柄な彼が手を引けば、抗うことなど出来ない。周りの人も、それを見て我先にと逃げ出し始めるが、それがさらにパニックを引き起こす。
「うわっ?」
彼はクイッと腕を上げると少女の軽い体が宙を舞う。すとんと彼の背中に乗っかると、彼は「しっかり掴まれ」と言う。そろそろ多感なお年頃になってきた彼女は支える右腕がお尻の辺りを触っている事に異議を申し立てようとする。
「……く」
だが、言葉にはならなかった。
急に加速したと思ったら、車道に止まる車のボンネットに飛び乗り、飛び跳ねるように駆け始めたからだ。自分では成し得ない速度で、車の上を飛び石のように駆ける様は、周りの人達も面食らっていたに違いない。
「ちょ、っ九郎ッ! こん、な、迷惑なことっ」
「黙ってろ、舌を噛むぞ」
密集したエリアを抜けるが、だからといって脅威が無くなるわけではない。前方でも人と人が争うような場面が見える。人が人に襲われている、という方が正しいのだが。
「うそ……なんで?」
「なるほど。発生源は複数……いや、アウトブレイクか」
「あうとぶれいく?」
飛び付いて来ようとする人を足蹴にして、さらに加速する。彼が異様に体を鍛えていた事は覚えているのだけど、その様は余りにも卒がない。この時期にしては気温の高い中を動いているにも関わらず動きには淀みがない。
「一度、家に戻る」
「そ、そうね。そのほうが良さそうね!」
少女は慌てながらもそう答える。こんな事態にあっても泣き叫ばないとはかなり気丈なのか。それとも自らを背負う人物への信頼ゆえか。
その青年は路上にある車へ、その場で拾った傘をいきなり突き刺した。
「ちょ……何してんの!?」
運転席側のウインドウガラスに刺さったそれは、蜘蛛の巣のように罅を巡らせる。そこへさらに左の前蹴りを突きいれるとガラスは砕け散った。途端にけたたましい音を車が鳴らす。防犯対策用の警報器らしい。
素早くその場から離れ、彼はポツリと言う。
「こういうのは音に敏感だ」
「だ、だからって……」
しかし、彼の言うとおりに人々を襲う人間たちはこちらに向かってやってくる。かなり近い所から出てきた奴も彼らを無視してそちらへ行ってしまう。通りに隙間が大きく出来た辺りで彼は速やかに脱出を図る。
大通りから路地へ入る。人の数は少なくなるものの、避ける隙間も無くなるために注意が必要となってくる。襲われている人の横を通り過ぎ、襲いかかるものには威力過剰な蹴りを見舞って活路を開く。言うのは簡単だが、小学生とはいえ人一人を背負ったままの行動だ。
「お、おもくない?」
「軽い。幾つだ?」
「デリカシーっ」
「……ナットウでも食いたいのか?」
「なんでそーなるっ!」
そんな軽口を叩きあうのも兄妹ゆえなのか。極度の緊張からも逃れた少女は、少し余裕を取り戻していた。
「いやぁっ!」
「あ”あ”ぁ……」
「九郎っ!」
「シュッ」
幼子に覆い被さろうとする老人を後頭部から蹴り倒す。入った場所は的確に延髄であり、吹き飛ばされるようにして顔面から落ち、ピクリとも動かなくなる。その手前には頭を抱えて縮こまる少女がいた。帰宅途中だったのか赤いランドセルを背負っていて、自らを助けてくれた青年を仰ぐように見ている。
「大丈夫か?」
「へ、え……九郎さん?」
一瞬ポカンとした少女は、彼を見てそう答えた。背中の少女と同年代のようだが、彼の名前を知っているらしい。なのに彼は少し頭を傾げる。
「何処かで会ったか?」
「ええっ?」
彼にそう言われて、少女はショックを受けたようだ。その彼は、後ろからペシッと頭を叩かれた。
「こんな可愛い子を忘れんな!」
「か、かわいいだなんて、そんな……」
血みどろの惨劇の最中であるのに、少女二人の言う事はどこか呑気なものだ。青年は顔色を変えずに言う。
「ここは危険だ、早くご両親の元へ帰りなさい」
「は、はい」
「こら、九郎! 一人で行かせるつもりなの?」
背負われた少女が至極マトモなことを言った。駅前からここまでの間に何度も襲撃されているのだ。そんな中を幼子一人で行けるはずもない。青年はほんの少しだけ考えるとランドセルの少女に提案する。
「……俺たちは家に戻る。君も避難するか?」
「何なら私が九郎から守るわよ!?」
「リオ、少し声を落とせ。周りから呼び寄せる。この子を家に置いてからなら、君を送ってやってもいい。無論、拒否しても構わない」
青年は落ち着いた口調でそう答えた。少女は少しだけ逡巡してから頷いた。どう考えても一人で家まで辿り着けるか分からないからだ。
「分かった。リオ、一度降りろ」
「勝手に背負ったくせに」
背中から降りた少女、莉緒は座り込む少女に手を貸して立たせる。その間にも横の路地から迫るものに対し青年は躊躇なく膝を蹴る。ぼきりという音が響き、それは体勢を崩す。その横合いから強烈な肘打ちが決まる。そいつの首はまるっきり横に折れて、そのまま静かに倒れ伏す。
「ふぃ……」
「泣くな。さらに呼び寄せるぞ」
ランドセルの少女が涙を滲ませるものの、その言葉でひくっと止める。
すると、彼は少女の腰に手を回し、ぐいっと持ち上げた。傍らの妹もそうして持ち上げる。
「わ」
「こらっ、人を手荷物みたいにすんなっ!」
女の子二人を小脇に抱えたその姿は、さながら人攫いか。しかしながら一人あたり三十キロ近くある。都合六十キロを持っているにしては些かもブレがないというのは、よほど鍛えた人間でも難しい。
「いい子だから大人しくしてくれ」
「ひぃっ……」
「アンタ、そのセリフコワイわよっ!」
莉緒のツッコミに答えず、彼は走り始めた。
路地から出てくるものをひらりと避け、さらに路地の狭い方へ。
少しすると木立がまばらに立つ林のような林道になる。彼の住むアパートメントはその一角にポツンと建っていた。築年数は三十年を越えているが、外装はコンクリートの二階建て。合計六部屋からなるそこの二階角部屋が彼の部屋だ。
ここまで来るとほとんど人影は見えず、彼はアパートの二階へと駆け上がる。大柄で子供を二人も抱えておきながらも、その足音はごくごく小さい。それでも響くことに変わりはなく、周りからはうめき声のようなものが近付いてくる。
自室の鍵を開けて二人を中に入れると、彼は玄関先に置いてあった鉄パイプを持った。
「戻ったらノック三、二と叩く。それ以外は誰も入れるな。誰が来ても居留守をするんだ」
「う、うん」
「九郎さんはどちらへ?」
「少し掃除をしてくる」
階段を降りていく僅かな音が聞こえてくる。その後の鈍い打撃音に、思わず少女二人は耳を塞ぐ。
「く、九郎さん、大丈夫ですか?」
ランドセルの子が心配そうに言うが、莉緒は特に気にした様子もなく、台所で手を洗っている。
「平気とは、思わない。でも、私達が居たら、もっとジャマになる……ちがわない?」
なんとも思ってない訳ではなかった。自らの非力さを理解した上で、信頼せざるを得ないだけだったのだ。思い違いをしたランドセルの少女は、気遣うように発言をした。
「そうですね。九郎さんならきっと平気です」
交代で手を洗うとペットボトルを差し出される。冷蔵庫には水のボトルが幾つも入っていた。
「アイツのだから好きに飲んでいいわよ」
「どうも……」
莉緒は部屋の壁に寄りかかり、携帯をいじり始める。電話をかけたようだが応答がないのかすぐに閉じてしまう。
「全然繋がらない……どういう事?」
「あ、あの」
「なに?」
物思いにふける所に声をかけられた。ランドセルを背から下ろした少女だ。
「電話を貸してくれませんか? 私も連絡したいのですが……」
「あ、そうね。ここには家電無いから、コレ使って」
ぽいっと折りたたみ式の携帯を渡してくる。あまりの気安さに慌てて受け取る。
「使い方、分かる?」
「は、はい。姉が持ってるので……」
拙い仕草でダイヤルをしていく少女。しかし、電波はやはり届かない。混雑を示す案内が出るとプツンと切れてしまう。姉や母の携帯にかけてもみるが、やはり繋がらない。
「だめ……つながらない」
「たぶん街中の人がいっぺんにかけてるからだと思うけど」
莉緒がテレビの電源を入れる。音は出ないがこれは家主の癖である。彼は必ず音量を下げてから消す癖がついているのだ。
少しだけ音量を上げてニュースのやっているであろう総合放送へチャンネルを変えると、そこには表と同じような光景が広がっていた。
『こちら、東京の渋谷ですが街は大混乱になっています。下に見えるスクランブル交差点には人が右往左往していますが、そこかしこで人が襲われています。襲っているのはそれまで普通だった人なのです!』
『こちらは横浜元町通りですが、混乱は、大変なレベルです! 住民の方は絶対表に出ないで下さいっ! きゃっ、いやっ、叩かないでっ た、助けてぇっ!』
『内閣は緊急事態宣言を発令すると発表しましたが、野党や与党一部の議員の反発があり予断を許しません。災害特措法で対応出来るとの見解もありますが』
『今のところ関東近県が対象地域と目されてますからそう言うのでしょうが、僕から言わせれば甘いと思いますよ。どう見ても異常事態なんですから。ホラー映画そのままの事が起こっているのだとしたら日本どころか世界規模でのパンデミックになりますよ?』
『では、先生。対処法はあるのでしょうか?』
『……今の段階では明確には言えませんが、被害地域を拡散させない方策が必要なのは間違いありません』
「難しいこと、言ってるね」
「そ、そうね」
二人の少女には少し分からなかったようだ。チャンネルはどこを回してもあまり変わらず。唯一アニメがやっている所があったのでそこにしておいた。
コンコンコン、コンコン
扉を小さく叩く音。莉緒が立ち上がり扉に近寄って声をかける。周りに聞こえないように、小さく。
「九郎なの?」
「ああ。鍵を開けてくれ」
その言葉に鍵を開けると、彼は素早く入ってくる。外を警戒し、扉を閉める。手に持った鉄パイプは水で濡れていて所々が凹んでいた。静かに玄関に置くと編上げブーツの紐を解いて上がりこんだ。
「ど、どんな状況なの?」
「周辺の奴は処理した。事前情報のとおりなら暫くは平気な筈だ」
剣呑な事を言いながらも台所で手を洗う姿はやけにシュールだ。
「さて、君の名は……ルリか」
「あ、はい。覚えてくれてたんですね」
瑠璃と呼ばれた少女が安堵した顔をする。莉緒が少しだけムッとした表情をするが、彼女には何も言わない。その代わりに彼に向かって問い詰めるように言う。
「やけに親しい間柄みたいね」
「そ、そんなわけでは……」
驚くのはランドセルの少女であり、彼は意にも介していない。
「クロウが言うには、先日車に轢かれそうな所を助けた、らしい」
「何よ、それっ! 他人事みたいに言っちゃってさ」
ぶっきらぼうな言い方に莉緒は声を荒げる。
しかし、当の本人は涼しい顔だ。スポーツタオルで汗を拭うと、本当に涼しげにも見える。季節はそろそろ夏が本格化しそうな時期、空調を動かしていないこの部屋もじったりと暑さを感じるのに、彼はそんな様子も見せない。
「苛ついているのか? 低血糖か……冷蔵庫の物は好きにしていいと言った筈だ。空調も使って構わない。動作音が聴こえる範囲内はクリアしてある。暫くは平気だろう」
「そういう事じゃない。アンタさっきからどうしたの? まるで別人じゃないの!」
淡々と語る彼に苛ついた様子の莉緒に、彼は視線を向ける。
「な、なによ……」
常ならばどこか申し訳なさそうな瞳をした兄とはまるで違う、冷たさを含んだ眼。兄妹として過ごした時間はあまり多くはない。だが、そんな顔を今まで見たことも無かった彼女には理解出来なかった。
彼は冷蔵庫から出したペットボトルの水を一口飲む。口の中を巡らせてから嚥下するその姿は、確かに見たことが無い。人の仕草というのは簡単には変わらない筈だ。
莉緒は見た目が全く同じ別の人間かと疑念を抱いたが、そんな訳はない。昨日から今朝までは兄のままであったわけだし、先ほどまでそうだったのだ。街の中であの暴動が起こるまでは……。
怪訝な様子の莉緒と、状況がよく飲み込めていない瑠璃。二人の視線に身動ぎすることなく、彼はこう言った。
「……そうだな。今の俺は半澤九郎でない。ハンクと呼んでもらおう」
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ついに起こってしまった。
何日か前に車に轢かれそうな少女を助けたから、そろそろだとは思っていた。
「え……なにあれ」
目線を落とせば小さな妹の莉緒が、急に変わった世界に呆然としている。それは当たり前だ。人が人を襲うなんて、狂った世界を垣間見てしまえば誰でもそうなる。かくいう俺も、予測はしていてもそうなったから。
俺が予測していた、と言うのは前世の記憶を持っているからだ。齢十二の頃に突如として思い出したそれは、この世界の悪意そのものだ。『がっこうぐらし』という、嘗て俺のいた世界にあった作品。それがこの世界だったのだ。
色々と準備をした。身体も鍛えて物資も集めて、危機的な状況に対応出来るようにしたつもりだった。
だけど、人のこころなんて分かったもんじゃなかった。
いざという時にこの身体は全く動かず、大切な妹がうろたえているのにも対応出来てない。群衆の一部がこちらに向かってくるのを黙って見ている自分の弱さをよそに、俺は誰か助けてくれと心の中で叫んでいた。
『危機において思考を止めるのは最もマズイ行動だ』
頭の中で、そんな声が聴こえた。
すると、身体が勝手に動いた。
妹に襲いかかろうとする『かれら』。
素早く小柄な彼女を抱き寄せ、回転するとそいつの下顎に向かって鋭いトラースキックをかましていた。その威力に俺は驚くが、体の自由は未だ戻らない。というか勝手に妹と話していたりする。どういう事だ?
『生存の為に行動したまでだ。お前はこの子を死なせたくないのだろう?』
また、声が聴こえた。よく分からないまま俺は答える。当たり前だ、と。
『ならば協力を願う。俺とてよく分からんまま死にたくはないからな』
そう答えながらも身体は勝手に行動をしている。車道を埋め尽くす車の上を、飛び跳ねるように走る自分に驚きながら、もう一人の声に話しかける。勝手に動かすのはやめてくれ、と。
『拒否する』
にべもなく言われた。
『非常時に動けないような奴に自分の命を預けるほど、俺は愚かではない。こんな身体スペックを持ちながらも心が弱すぎる』
声の言い分はもっともだとは思うが、言い過ぎな気もする。こんな修羅場、まともに動ける奴なんている訳がない。
『こうした事態には慣れている。休暇が無いとは思わなかったがな』
何だか言ってる事がよく分からない。俺は根本的な事を聞いてみた。
お前は誰だ、と。
『U.S.S所属、コードネーム HUNK。本名はあいにくと忘れたようだ』
は……?
ハンクと言ったか?
ハンクなら知っている。ゲーム『バイオハザード2』に出てくるキャラクターだ。達成困難なミッションに悉く生還する、通称『死神』。
しかし、ゲームのキャラだぞ? と思ったけど、ここはマンガ『がっこうぐらし』の世界だった。どちらも大した差はないと思うと有り得る話なのかもしれない。
しかし、俺に憑依してくるとは思わなかった。そういう事ならハンク自身が転生してくればよかったのに。
『俺だってこんな
憮然と言われてしまった。まあ、確かにそうか。お互い様だということか。
前の道には『かれら』が子供に襲いかかろうとしていたが、ハンクは邪魔だとばかりに蹴り倒した。的確に延髄を狙って、しかも首があらぬ方向に曲がるとか自分の体がやった事とは到底思えないが、結果として子供は助かったようだ。
「へ、え……九郎さん?」
ハンクの言葉に答えるのは見知った顔、若狭瑠璃だった。
『知り合いか?』
彼の問いを肯定する。流石にそのまま帰すのはマズいと思ったか、ウチに避難するか聞くと彼女は頷いた。事案発生の現場であるがこんな状況だ。
『日本は妙な国だな。子供を放置しておくのが当たり前なんだからな』
ハンクのぼやきが矢鱈と人情味があって笑えてくる。こいつ、実はいい人か?
『そんな訳あるか。戦う事の出来ん者に価値はない』
さいですね。徹頭徹尾、任務の事しか考えてない仕事人間でした。そんなハンクは莉緒を降ろしたと思ったら二人を小脇に抱えやがった。
おいおい、無茶すんなよ。俺の身体だぞ?
『行動に多少の阻害があるが、深刻な程ではない。君の体は実に鍛えられていて動かしやすい』
お、おう……なんかいきなり褒められた。
鍛えまくったつもりではあったけど、実際に小学生女子二人を抱えて走るとか、出来るとは思わなかった。なんとなく達成感を感じてる間に高校入学当初から住んでいる我が家に到着。
『二人を置いたら、近辺の掃除に出る』
掃除? そう思ってたら奴が掴んだのは箒やちりとりではなく、武器として持ち込んでおいた鉄パイプの内の一本……はあ、そういう意味ね。
『思った以上に活性死体が弱いな』
彼の言う言葉はたしかにその通りだ。バイオハザードにおける『活性死体』いわゆるゾンビはt-ウイルスによって新陳代謝が異常促進されたものだ。筋力も上がるし、胃酸を武器として吐き出せるとかも出来たりする。
がっこうぐらしにおける『かれら』は、基本的に脳をウイルス(菌という話もあるが)に侵食された存在だ。襲ってくるのは本能だし、行動の基本原則は習慣を元にしている。また、筋力は向上しているが運動能力はお粗末なもので早歩きでも逃げられるほどだ。
それでも厄介な敵なのに変わりはない。『かれら』に傷を負わされれば、いずれ『かれら』になってしまうのだから。
『それはt-ウイルスでも同じだ。やる事は変わらん』
アパートメントの階段から降り、鉄パイプを壁に擦りながら離れる。脇の道から出てきた『かれら』の首めがけてフルスイング。骨の砕ける音がして、そいつは倒れて動かなくなる。
『頚椎、延髄、小脳に繋がる部分が活性死体の弱点だ。的確に当てれば打撃でも十分に仕留められる』
さすが死神。こともなげに言うけど、そんなのはアンタしか出来ないよ。この光景見せられてる俺は吐けるなら吐き出したい衝動に駆られてるからね。それでも銃で頭パーンとか、ナイフで首スパッよりはまだマシなんだけど。
『あらかた片付いたか』
こっちを追っていた『かれら』と近隣に潜んでいた『かれら』、合わせて十二体程だろうか。物言わぬ骸はただの死体であり、俺の意思ではないにしても身体が起こした事象だと思うと穏やかとは言えない。平時ならば大量殺人の犯人である。
『緊急避難と思え。どのみち警察も検挙できない』
物言わぬ死体の中に制服の警官が居た事もその証明だ。発砲したのか、腰に下げた拳銃は既に撃ち尽くされていて使い物にはならない。だが、警棒と無線はそのままだ。彼は手早くそれらを外すとさらに手錠と鍵も懐に収めた。
『簡易な拘束具が必要な場合もある』
その他にめぼしい物はなかったようで、倒したかれらを隣の民家の影に引きずっていくとそこにまとめて放り捨てる。ちなみにそこの家の爺さんはここに既に転がっている……あんまり話した事は無かったけど、面識のある人間だった。ハンクだからこそ的確に対処していたけど、俺だったらどうなっていたか。竦んでしまってその隙にやられていたかもしれない。
『感情を殺せとは言わんが、制御する術を持て』
簡単に言ってくれる。
こちとら弱肉強食の摂理から外れた世界で生きてきた人間だ。そんな事ができるか。
『出来ねば死ぬだけだ。お前だけでなく、妹やあの娘もな』
……的確に嫌な所をついてくるのは、さすが死神と云うべきか。その言葉で彼女をどうするかと思案する。幸いな事に若狭家はこの家からは近い。
『連れて行くか?』
連れて行っても構わない。というか親元に届ける事の方が正しい筈なのだが……どうもそれは無駄になりそうな気がする。ハンクの操る警察無線からの情報から、そんな予感はほぼ的中していた。
『所轄署内でも感染が広まっているな。指揮系統が分裂していて手が付けられん』
署内にいる『かれら』の対処とやってくる『かれら』の対処。さらに駅前からメインストリートの辺りを封鎖しようとして機動隊を投入したせいで戦力が足りなくなっているらしい。発砲許可を求める声に答えられず、無許可で撃つ音も聞こえている。
『ラクーンの地上もこんな様子だったらしいな』
感慨もなくそう呟くハンク。彼が脱出する時には既に組織的な抵抗は出来ていなかった。その前にはパンデミックはまだ発生していなかったのだから、又聞きなようになっても仕方ない。
集めた死体はそのままだ。衛生的には問題だけど、燃やすのは現実的では無い。軒先の水道で鉄パイプを洗い血を落とす。感染症の予防になるかというと疑問だが、やらないよりはマシだ。
掃除を終えたハンクが部屋に戻ると、妹と少女が待っていた。やはり心細かったようだが、ハンクは気遣うような言葉をかけない。やっぱ、こいつは死神だ。人の心とか分からないに違いない。
『無い訳ではない。生存に必要ならば宥めもする。だが、それは俺の仕事ではない。お前がすればいいことだ』
……現状、俺は行動出来ないんだがな。
そう言うと、奴はこんなことを言ってきた。
『そろそろ交替しよう。一度休息したい』
自分のことをハンクと名乗ってから、奴は身体の支配権を渡してきた。
おい、この状況、オレが説明しなきゃなんないのかよ?
原作とはかなり乖離してしまうかもしれませんが、とりあえず学校に向かうのが目標です。