早朝に三階の縄梯子からまず俺(ハンク)が降りる。早朝とはいえ『かれら』はゼロではない。見れば体操服姿の『かれら』が居たりするので、おそらく『朝練』なのだろう。
素早く来た時に置いたままのワゴンへと走る。運転に関してもハンクはお手の物だ。
『左側走行というのは慣れんがな』
そらまぁ、仕方ない。でも交通規則を遵守出来る状況でも無いから気にしなくてもいいと思う。あちこちに停まった車やトラック等で動ける道は意外と少ない。さらに『かれら』が通勤時間になるので多くなる筈だ。
音を立てずに走行するのはさすがに無理なので『かれら』が近寄ってくる。エンジンを切って鍵だけは開けておき、上から降りてくるメンバーを待つ。
「ハンクさん。上見ちゃダメだよぉっ!?」
「くだらん事言っとらんでさっさとしろ」
ハンクは冷たくあしらうがそれは俺も同意見。外出するのにジャージが駄目なわけもないのに制服にしている由紀が悪い。
そんな声を聞いて近づく『かれら』は運動部の女子。五メートルくらいなので走って一撃。首元に叩き込まれた鉄パイプが骨を砕く感触。倒れた奴の首を踏むところまでワンセットでこなすハンク。さらに何人かが近づいているが、もう少し待つべきだろう。胡桃と貴依も恙無く降りたけど……
「あう、ひぃ、あ、あ……」
「一歩降りるごとに変な声上げるなっ」
「ご、ごめんなさーい」
都合二体を倒した頃にようやくめぐねえが降りきった。上に合図すると悠里が縄梯子を上げていく。戻ったらトランシーバーで連絡して降ろしてもらう算段だ。
めぐねえが助手席に座ったのを確認したら運転席に入りエンジンをかける。カーナビの機能は切ってある。道路状況なんて更新出来る訳も無いし、ナビゲーションで最短なんて動けるわけもない。
そう思っていたらハンクはもう一つ理由を付けてきた。
『理性ある生存者の動向は報せない方がいい』
『え? なんで? 救助とか来るかもしれないだろ?』
『監視しているのが善意の第三者とは限らん。こちらを捕捉するために活用する可能性は十分だ』
……はあ。たしかにそうかもしれないけど。
そんなのいるとは思えないけどなぁ。こんなに広くて車も多いのに判別なんてつかないと思うけど。
『あれだけいた人間が『かれら』に変わった。文明を使う『生存者』はよく目立つ。ビーコンを出してるようなものだ。LACMなんて撃たれたくはない』
そこまで警戒するということは、ハンクには確証があるのだろう。では携帯電話などはどうなのだろう? 電波が入らなくてもみんな自分の物は持っている筈だけど。
『アレは地上の中継局を通る特性からさしたる危険性は今のところない。あるとすれば衛星電話だろうな』
ああ……あんな高いもの個人で持ってる人なんてほとんどいないだろ?
『法人は契約している可能性がある。公的機関もな。地上の電波が壊滅していてもアレなら外部と連絡は取れる』
そうか……。確かにその可能性はある。警察署が壊滅したとしても他の所が生きてる可能性はある。一番濃いのはランダル日本支社だ。コイツラは残って研究をさせてたくらいだから外部と連絡はしているだろう。
道路は車があちこちに停まっており、なかなかに速度を出せない。また、そこかしこに『かれら』もいるので避けようとするとさらに時間がかかる。それでも昼前には到着出来た。
「あんま、変わってないな? 火も出てないみたいだし」
「火事のビルとか悲惨だったもんな……」
道中、火災が発生したであろうビルの側を通る事になったのだが……かなり凄惨な現場だった。外壁は残っているけど真っ黒な煤がこびり付き、熱で割れたり溶けたりした窓からは内装も真っ黒。倒れた人の身体が炭化した状態で転がっていた。ビルから飛び降りたのだろう。その後、火に焼かれたか、『かれら』にやられたのか。
幸いにしてリバーシティー・トロンは大規模な火災には見舞われていないようだ。駐車場には全部で三十台くらいの車がある。 ハンクは正面に停めずに駐車場へと向かった。
「遵法意識と言うわけではない。葉を隠すには森の中だ」
移動距離が長くなると逃げる時にリスクにならないかと思ったが、彼には別の思惑もあるらしい。車を停めて、すぐに表に出ると周囲を確認。一番近い『かれら』でも五十メートル以上離れている。すぐにはやっては来ないだろう。
ハンクは車に戻ると双眼鏡で周囲の警戒に務めた。みんなが表出ないの? って顔してるぞ?
『監視を確認している……クリア』
そう呟くと皆に行動開始と命令をするハンク。ここで各員の装備をサラッと紹介しておこう。
胡桃は愛用の園芸部シャベル。後は誰かの持ち物だった少し大きめの登山用リュック。基本ハンクとのツートップなので今の段階では荷重は少なめだ。ペットボトルの水とシリアルバーが二つにチューインガムが二切れ。これは全員が持っている。はぐれた場合に備えてだ。
貴依はモップの頭を取ったモノ。これは攻撃というより近づけさせない為だ。女子用のリュックにはトートバッグやらの折りたたみ可能な袋が入っている。回収できる物資はなるべく多い方がいいからな。緊急用に防犯ブザーも一つ持っているが、これは胡桃以外の女性は全員持っている。
めぐねえこと佐倉先生の持っているのは木製のバット。野球部員の私物だったらしい物で何人かを叩いた痕跡が残っている。その割には血痕は残っていない……誰かが洗ったのだろう。その背には防災用の持ち出し用リュックがある。中身は昼食用に包んだおにぎりとお茶の入った水筒だ。
由紀ちゃんには武器は持たせてはいない。たぶんろくに使えない。その代わりに防犯ブザーとトランシーバーは彼女に持ってもらった。トランシーバーは俺(ハンク)とめぐねえも持っている。背中には小さな羽のついたお気に入りのリュック。グーマちゃんのストラップが揺れている。
ちなみにこの世界でのグーマちゃんはポケモンみたいなゲームのキャラクターらしい。位置付けでいうとピカ○ュウに当たる感じかな?
「さて。お誂向きに『かれら』が一人でやって来たな。クロウ。
「えっ?」
エントランスに入った辺りでいきなり交代させられた。
「え、おい。ハンクっ!」
『騒ぐと他の奴もおびき寄せるぞ? 手早く仕留めろ』
よたよたと歩く『かれら』は成人女性っぽい格好をしていた。
「ハンク。やらないのか?」
「あ、いや。その……」
「?」
胡桃が怪訝そうに聞いてくる。ハンクの奴、説明も無しとかマズイだろ。悠長に説明なんかしてたら接近し過ぎてしまうし。
『出来ずにお前がやられれば、どのみち彼女達も長くはあるまい。覚悟を決めろ』
感情を感じさせない口ぶりは、最初に交わした頃のようなものだった。奴め、本当に試金石にしようとしてやがる。
「お、おお……やってやる」
そう呟くと手に持った鉄パイプを握りしめる。廃材の中でも頑丈そうな物を選び、滑らないようにテープを巻いたこれは、既に何人もの血を吸っている。やったのは主にハンクであり、俺は一人も殺めてはいない。その覚悟を持たせるために、あえてやらせようというのだろう。
覚悟を決めて鉄パイプを構える。緊張で汗が滲みだすが、ガスマスクのせいで拭うことはできない。距離はおよそ八メートルほど。『かれら』が接近するまで待つのは良くないと思い数歩歩いて詰める。
「援護する」
「……いや、周囲の警戒をしていてくれ」
「……え?」
怪訝な声をあげる胡桃。だがそれに頓着している余裕は無い。黒いオーラを滲ませて迫りくる『かれら』。その身体は活ける屍だ。腕の部分に噛み傷があり、そこからゆっくり転化したらしい個体は、思ったよりも損壊が酷くない。だがその瞳は白濁し、口元は生ける者に噛みつこうと大きく開かれている。黒ずんだ汚れは血だろうか。口の辺りから胸元までを汚したそれは大層な出血を強いた結果だ。おそらくやられた奴もまた『かれら』へと変わっている事だろう。
こんな他人事のように物を言ってはいるが、俺自身はひどく混乱していた。握りこんだ鉄パイプはゆらゆらと揺れ、息は荒くなる。目の前で何度も見た光景だ。恐れる事はないと自分に言い聞かせる。
ああ、だが。
それはフィルター越しに見た物であり。
ハンクというフィルターが無い状態で迫るそれは、死そのものであった。
だから俺は矢も盾もたまらずに得物を振り抜いた。ハンクに言われていた通り、首の辺りを狙って。
ゴキィッ
だが、それは首には当たらなかった。ズレて頭頂部の辺りに当たっていた。大きく体勢を崩して倒れる『かれら』。
「うっ」
「ひ」
小さく呻くのはめぐねえと由紀だろうか。胡桃はさすがに黙ったままだ。
「お、おい。ハンク仕留め損なってないか?」
貴依が小さく慄えるように言った。
倒れた『かれら』がまだ呻いていたからだ。
その頭は醜く変形し、鉄パイプが当たった辺りは陥没していた。口から『かれら』自身の血が、ごぼりと垂れ流される。その様子は傍目から見れば婦女暴行の場面にしか見えないだろう。そう自覚すると、途端に手から力が抜けた。
カランッ……
静かなエントランスに鳴り響く金属音。その音に反応するようにうずくまった『かれら』が顔を持ち上げる。
「お、おいっ! ハンク、やべえぞ?」
「ハンクさんっ」
「九郎くん!」
後ろから悲鳴のような声が上がる。そんなに大声あげちゃあダメだよ。『かれら』がいっぱい寄ってくるよ? 完全にズレた事を考える俺は、すぐ間近で顎を開く化け物への対処が出来なかった。
有り体に言えば、フリーズしていたのだ。
動かしたくても身体は全く言うことを聞かず。ゆっくりと『かれら』の牙が太腿に食い込むのを黙って眺めていたのだ。
「だああっ!」
その刹那。横合いからシャベルの平で『かれら』を叩き剥がされた。胡桃は倒れた『かれら』を踏み付け、その首にシャベルを刺し込んだ。
はは……さすが。原作では何人もの『かれら』を葬ってきたゴリラさまだ。俺なんかとは違う。『かれら』の訳のわからない恐怖に怯えて動けない俺なんか……。
『後ほど追試だ。愚か者め』
ハンクの呆れたような言葉と共に、身体の指揮権が彼に移った。と、同時に恐怖から開放された。
「おい、ハンク。噛まれてないよなっ?」
「手助け感謝だ、クルミ。俺の方は万事問題ない」
そう言って彼は噛まれた右の太腿の部分を見せる。破れたズボンの下にはタイツを履いているらしく、そこには傷は見当たらない。
「アラミド繊維という防護素材だ。人程度の咬合力ではどうにもならん」
かの作品、『刃牙シリーズ』のジャック・ハンマーの咬合力にも耐えたアラミド繊維なら『かれら』対策には有効だろう。そう思い、ボディーアーマーとタイツを用意しておいたのだ。今にして思えば、これ着てるなら大分有利じゃないのか? 少なくともむき出しの部分以外は噛まれても傷は受けないよな。
『そんな事も分からんほどテンパっていたのか。俺がなんの策もなしに放り出すわけあるまい』
……失敗しても大事にはならないだろうとの親心。誠に有り難くは思うけど、出来れば説明が欲しかった。そうすればこんな醜態は晒さずに済んだのにぃ。
そんな俺の落胆を気にしない様子の彼は、女性陣に気さくに声をかける。
「スマンな。クロウにも場数を踏ませたかったのだが、アレは
「……なんだよ、そりゃあ」
「ハンクと九郎って、本当に別人格なのか……」
「九郎くん……」
「ハンクさんっ、大丈夫なの?」
「ああ、
抑揚の無いハンクの言葉には絶対の信頼があるのか、みんながほっと息をつくのが分かる。
「ミッションの最中だ。まずは上階の偵察へ向かう。隊列を組め」
ハンクの命令にみんなが頷き、二列に並ぶ。先頭はハンクと貴依。その次に由紀とめぐねえ。最後は胡桃だ。懐中電灯は貴依とめぐねえが持って前後を警戒する。アタッカーは当然のようにハンクと胡桃だ。由紀ちゃんは……撤退する時にブザーを投げる係だ。
『五階バックヤードの仮眠室に彼女たちは居るんだな?』
そう問いかけてくるバンクにそうだと俺は答える。
『ただ、変わってるかもしれない。原作と違うんで』
パンデミックからしばらくの間は、映画館の生存者たちは生き残っていた筈だ。あの二人もその中にいる可能性が高い。あの仮眠室に行っていない可能性もある。その場合はどうするか。
『まずは確認してからだ。だが、こちらにもそれほど受け容れる余裕が無い事は覚えておけ』
学校はそれなりに広いし水や電気もいちおう使えるけど、それはあくまで少人数でやり繰りしての話だ。避難民全てを受け容れるだけのキャパシティは無い。
『生存者同士で対立する可能性も考慮しておけ』
場合によったら直樹美紀や祠堂圭の保護も出来ないかもしれない。それでも、原作キャラはなるべく助けたいと考えてしまうのが、原作を知ってる俺の
ホールから上に伸びるエスカレーターは当然のように停まっている。天窓から射し込む光が見えない空間には、おそらくかなりの数の『かれら』がいる筈だ。それでも上に向かうにはここを通らねばならない。正確には上に向かう階段は別にあるのだけど、それは奥まったエリアにあるので遠回りだ。
「では、諸君。探索開始だ」
ハンクの号令のもと、一行は上へと進み始めた。