やって来た人は、見るからに危険な人物だった。まるで映画やゲームから出てきたような現実感のない恰好。軍人、というのがたぶん正しいのだろうけど、その手には銃はなく、血で汚れた鉄パイプ。どこかちぐはぐな印象な彼は、中身も同じだった。
「ここに避難しているのは君たちだけ?」
「この部屋には私達だけです。他は出歩けなかったから知りません」
「私が怪我しちゃったせいでね」
「平気かい?」
ハンカチで包んだ足首を見て、彼は跪いて触っていいか確認をしてくる。見た目の無骨なイメージからはかけ離れた気配りに、少々気勢をそがれた。
「……骨は大丈夫そうだ。とりあえず冷やしておこう」
そう言って冷却スプレーをかけてから、固定するようにテーピングを施していく。その仕草が何だか手慣れてるので聞いてみると、彼は柔道をやっていた頃に覚えたと答えてきた。やはり格闘技の経験者らしい。
「ありがとう、えーと……」
「俺は半澤だ」
「ハンクだ」
「? えっと、半澤ハンク?」
「混ぜるな」
「詳しい事は後で話すけど、俺とハンクは別人と思ってくれ」
「……? よく分かんないけどアイコピー」
圭があの日見た映画で使われていた言葉で答える。ちなみにすぐに影響を受けるわりに英語は苦手である。
それにしても『半澤』と『ハンク』という二人分の自己紹介とはなんぞ? まるで二人分の人格が入っているとでも言わんばかりだ。もしそうなのだとしたら彼は精神疾患を受けている人間だ。まともな人とは言い難い。全幅の信頼をしてはいけない。
そう考えていると、彼は部屋の中をぐるりと見回して物色していいかと聞いてくる。
「元より私達の物じゃないですし」
「うん、ありがとう」
ガスマスクを外した彼が礼を言う。その理知的な瞳に先ほどの印象が間違いであるかと思わせる。狂人はこんな優しげな顔立ちになるものか? それとも、狂人だからこそなのか。経験の少ない私には判断が付かない。
彼はデスクを物色すると、私がまとめておいた書類に目を落とす。そしてパソコン周りを確認する。
「ここのパソコンは無かったんだよね?」
「はい。コードが散乱してましたし」
「君たちがここに避難したのはいつ頃か覚えている?」
「三日前の夕方……確か五時くらいです」
あの日の事は、今でも心に刻みつけられている。人が人を襲う恐怖にとらわれてあの日から一歩も外へ出られていなかった。幸いな事に部屋の中にトイレもあって、水も出る。とはいえこのままではいけないと思ってはいた。
「あの人が言ってたんですよ。『職務放棄だって』」
「それは確かにひどいな」
ぷりぷりと怒りながら言う圭に彼が同意している。だけど、それも仕方が無いと私は思う。常識的にはあり得ない未曽有の災害だ。その渦中にあって職責を全うする人など、おそらくほとんど居ない。自己保存を優先するのは人の本能だと思うし、当然の権利だ。
あれから三日。喧騒は二日目にはほとんど無くなって、テレビは砂嵐しか映らない。中継局がやられたか、放送局自体がダメになったかは分からないけど、BSの電波すら受信しない。
生き残ったとしても、何処からも救助が無ければ助からないと同じ意味だ。
すると、彼が下の階の様子を語り始めた。
「下の階の殆どは電気が落ちているんだ。避難用の非常灯は点灯てるけど。防火シャッターも開かないくらいだからメインの電源は落ちてるんだろうね」
「え……でも」
「そう、ここは電気が来ている。サブの電源は生きている。もしかしたら支店長はそこに逃げたのかもしれない」
書棚の中を真剣に見つめながら彼は言う。後になって気になったので見てみたが、そこには何もなかった。
※
『緊急避難マニュアルか……』
『ああ。たぶん、ここにもあったんだ。不自然なスペースに荒らされたデスク。支店長本人かどうかはともかく、その所在を知ってそこへ避難した人間がいる』
この巡ヶ丘学院高校は、というよりは巡ヶ丘市自体がランダルコーポレーションの息のかかった企業城下町だ。その影響は深く浸透している。例えば、俺が意見したくらいで学校の備蓄が増えたくらいである。父は学校に多額とはいかなくても寄附をしているので、そこを忖度したとも思えるが。
それはともかく。ランダルの支配下とも言えるこの街なら、彼等の支援体制が整えられていてもおかしくはない。
『では、行くのか?』
『正直気にはなるけど、みんながいるから難しいかな』
『そのとおりだ』
今は要救助者と学園生活部の引率がある。緊急避難マニュアルの存在を皆が知らない段階でそれに関わる者と接触するのはマズイ。それに、避難シェルターの場所も詳しくは分かっていない。だいたい予想は出来るけど、確定でない以上リスクの方が大きそうだ。
「ええと、祠堂さんだっけ? ほら」
「し、失礼します……重くないです?」
背中に乗っかる圭は、別段重くは感じなかった。しかしながら手で支えなければならないので戦うことは難しそうだ。持ってきた鉄パイプとリュックは美紀に渡しておく。
「途中で会う『かれら』は基本無視していく。リュックの中にサイリウムがあるからそれを使って誘導してくれ」
「はい」
言葉少なに返事をする美紀。やはり緊張しているようだが、ここまで来る間に動いて来そうな奴は間引いておいた。そんなに危険はないと思う……騒いだりしなければ。
「あのあの……やっぱアタシお荷物じゃないですか?」
しおらしい事を言ってくる圭。だが、それを理由に置いていくなんて出来ない。そんなことしたら美紀が病むに決まっている(キリッ)
「大きな声はNG。『かれら』は音に引き寄せられる。あと、目や鼻はあんまり効きがよくないから近づかないと分からない。だから、静かにね」
「はいっ! 分かりましたっ」
「わかってない(ポコッ)」
「あいたっ!?」
美紀が圭の頭を軽く叩く。同級生という気安さなのか、原作ではあまり見られない様子に少し頬が緩む。こういう直樹美紀は、たぶんレアだ。
「もう……笑わないで下さいよ」
「ああ、すまない。皆は三階で服を物色している。君たちも揃えた方が良いだろう」
「はっ? クンカクンカ……美紀? あたし、臭う!?」
「えっ? うーん……たぶん平気?」
「よかったー、兵器とか言われたら埋まるとこだわーw」
……誰がそんな上手いこと言えと(笑)
扉を出て、バックヤードから映画館へと向かう最中に一体の『かれら』がいた。美紀は手に持っていたケミカルライトを折って、そいつの足元に向けて放る。こういうとき誘導するために別の通路へ投げる者もいるけど、それは悪手だ。先の方にいる奴もおびき寄せかねないし、肝心の目標が釣られない可能性もある。
『あう……』
足元のライトに興味を引かれた『かれら』の後ろを、静かに走り去る。俺のブーツは軍の特殊部隊などが使うような静音性の高いものだからともかく、美紀はなかなかに音を消すのが上手い。あと、圭は口を手で押さえるのは止めよう。子供かよ。
吹き抜け部分に来ると先程倒した『かれら』以外に姿はない。止まったエスカレーターを使い、三階まで一気に降りる。そこへ懐中電灯の光が当てられた。
「誰だっ……て、遅いじゃないか、ハンク」
胡桃が哨戒に立っていた。早めに終わらせるつもりだったけど、意外と時間を食ったらしい。
「生存者は二人だけか。! 怪我、してるのか?」
「傷口は見たけど噛まれてないよ。ただの捻挫だ」
「そっか。大変だったな、お前たち」
リボンの色から二年生だと分かると警戒を緩める胡桃。圭を背中から降ろしながら言う。
「ここは俺が見てるから、胡桃は彼女たちをめぐねえ達に会わせて、物色させておいてくれ。たぶん着替えとか無いし」
「そ、そうだな。ほら、肩貸してやるよ」
「あ、ありがとうございます
」
「ありがとうございます、先輩」
「お、おう……困ったときはお互い様だからな」
面倒見の良い姉御肌の胡桃だが、実は後輩と呼べる子は陸上部には居なかった。年下の人間に呼ばれ慣れてないせいか、顔が少し赤らんでいた。それとも、アイツの事を思い出したか。
「にしても……やっぱ臭いな」
踊り場の隅に寄せられた『かれら』の山から臭ってくる死臭。上の階を彷徨っている時には感じなかったそれは、やはり鼻の曲がるような臭いだった。
それから後は、地下の食料品売り場でほんの少し食糧を物色。生鮮品は殆どダメだったけど、扉の閉じられた冷凍庫はまだ冷気が残っていた。火を通せば食べられそうなのでハンバーグやコロッケ、野菜系の冷凍食品をリュック一つに満載して背負う。ちなみに圭はめぐねえに背負ってもらった。力だけはあるので最適解だと思う。
こういった時にはケミカルライトは本当に便利だ。近くの奴は呼び寄せるけど、ブザーのように大きく響かないので他からの『かれら』の流入はしない。また幾つか補充したいけど、どこで扱っているのだろうか?(ちなみに今持っているものはこうなる前にネットで注文した物だ)
帰りも恙なく、学校まで戻った。
『では、降ろします』
「頼む」
近くに寄ってくる『かれら』を倒しつつ、悠里の操作するゴンドラが降りてくる。他のみんなは車の中で待機。胡桃だけは念の為に外にいるけど、近づく『かれら』の撃退は主にハンクの仕事だ。
『簡単に言ってくれるな』
頭の中でハンクが不平を漏らすが、既に商談は成立済み。今日の晩飯も味わう権利は彼にある。最近マトモにご飯、味わえてないな。まあ、いいか。安いものだ。
「悠里さん、どうぞ。こちらの指示で停めてください」
『はい、いきます』
一度に全員は乗れないので先に由紀、貴依、美紀、めぐねえを乗せてもらう。指示出しはめぐねえだ。その間、ハンクはまた二体の『かれら』を始末している。今日だけで初日に勝るスコアかもしれない。
こわいこわい、と喚く由紀に時間がかかったが、二度目のゴンドラが降りてきた。次に乗るのは胡桃、圭、そして俺と荷物である。
「いや、しかし。凄え量だな」
「女の子の服なんだから当たり前ですよ、センパイ」
「人数も多いしなぁ」
持っていったリュックやトートバッグでは足りずに店のビニール袋に詰めて持ってきたそれは、ゴンドラの半分を埋めている。帰りの車の中が狭かったのは気のせいではなかったのだ。
「よっ」
危なげなく飛び移る胡桃に、ゴンドラの荷物を受け渡していく。その間も圭は俺の背中だ。そのまま三階の窓に飛び乗ると、ようやく彼女を降ろすことが出来た。やっぱり、妙齢の人と密着というのは慣れないね。
「九郎っ!」
「九郎さんっ」
「おおっと、ただいま」
妹様と瑠璃ちゃんが飛びつこうとしてきたので止めた。いちおう噛みつかれてるし、不用意に触れて欲しくない。少し不満そうだけど、それより先にゴンドラの回収だ。悠里だけでは難しいだろう。
「! お帰りなさい、九郎さん」
「すいません、手伝います」
「ありがとう。さすがに重くて」
滑車とワイヤーがあるので自重ほどでは無いけど、やはり大きなゴンドラだからそれなりの力はいる。よいしょ、と引っ張ると内側に引き込まれ、定位置に固定する。メンテナンス毎に取り付ける場合が殆どだろうけど、ここは常に稼働できる状態で取り付けてある。たぶん、ソーラーパネルの保全のために必要だからだろう。
「ちゃんと戻ってきて……よかった……」
潤んだ瞳を押さえながら、悠里が呟く。
「ハンクがいるんですから、平気ですよ」
「今日の晩飯が楽しみだ」
俺とハンクの言葉に、彼女はくすりと笑った。
「今日はカレーライスですよ」
「日本式カレーライス! これは楽しみだっ!」
屋上から降りるとき、ふと青いビニールシートの包みに目をやる。アイツが臭わないのは、『かれら』になったからなのだろうな。いつか地面に埋めてやれる日が来るのだろうか。胡桃のためにも、早くしないとな。