リバーシティトロンの地下階は食品売り場となっている。平時であれば生鮮品やらお惣菜やらがこれでもかと並ぶ。俺も何回かは買ったが、デパ地下と言っても差し支えない品揃えに狂喜した覚えがある。ほぼ自炊しない人間には品揃えとは大事なのだ。
そんな勇姿も今は昔。明かりの消えた地下階にはほんのりと生ゴミのような匂いが充満している。『かれら』は不思議なことに腐敗臭をあまり出さないので、これは生鮮品の類から齎されている。昼間は大丈夫だった冷凍庫のものも、今では怪しいものだ。
システム維持のための電源は冷却装置とは別になっているのだろう。緑の非常灯はきちんとついていて、その周辺に誘われるように『かれら』が二体彷徨いている。
一体の視線が逸れたタイミングでハンクが別の方に忍び寄り、後頭部へナイフを突き込む。もう一体が振り向いた時には彼の後ろ回し蹴りが頭にヒット。首があらぬ方向に曲がっているのでどうも一撃だったらしい。周囲を確認してから、布で血を拭い鞘に収めるハンク。
『やはり若干脆くなってるな』
『なにが?』
『『かれら』の骨だ。本来この程度のナイフでは頸椎を断ち切るのは難しい筈だ』
それはそうだろう。フィッシング用で刃渡りは十二センチ程である。頑丈ではあるけど太い骨をあっさり貫くのはたぶん難しいと思える。
『人なら頸動脈を切れば片が付くのだが』
『そうだね』
フィルター越しの映像なので見てられるけど、やっぱりこういうのは慣れないな。そんな事じゃダメだとは理解してはいるんだけど……ままならない。
ハンクは素早く移動を開始すると、奥への両扉へ手をかける。鍵などは掛からない扉なので、手で押すとゆっくりと開いた。生鮮品のエリアなので、ここは調理場だ。シンクにまな板やボウルやザルなどがぼんやりと見える。彷徨いていたのは職人のような格好の店員……お仕事ご苦労さまです。
「フッ」
下段の蹴りから姿勢を崩し、特殊警棒で首を叩き折るハンク。物陰からもう一人職員が現れるが、こっちはドライバーのようだ。ハンクに事も無げに処理されたが、手際が良すぎて解説が間に合わない。この間に周りの物にもぶつからないし、本当にこの暗闇で見えているかの動きだ。
『正確には見えてはいない。音の反響でおぼろげに分かる』
……また、おかしな事を言い出したよ。お前はNINJAか。
『NINJAに名前を変えたら受けると思うか?』
『頭が湧いたのかと思われるから止めた方がいいよ』
そんな軽口を叩くながら調理場を抜けると、倉庫のような所に辿り着く。幾つか非常灯があるが、『かれら』の姿は無い。そんな所に一つ違和感を放つもの。緑のランプのついた端末だ。その側にはシャッターがある。
『さて。ここからはどうする? マスターキーが必要か?』
そう言って彼は胸元のポケットを指差す。けど、ここはそういうのは必要ない。
『シャッターは手動で開けられますよ』
『what's? セキュリティにならんではないか?』
『人相手のセキュリティじゃないんですよ』
緊急避難シェルターの入り口は解除された後はロックは掛からないようになっている。『かれら』がシャッターを開ける事が出来ない事を見越してこうしたのかは分からないが、今はどうでもいい。ハンクが手を差し込み持ち上げると、苦もなくそれは開いた。
『電気が……あるな』
『ここは別区画扱いだからね』
中に入るとシャッターをまた閉めておく。『かれら』が入ってくると厄介だ。
中の通路には扉が幾つもある。先の扉の前に倒れた人影がある。腐敗臭のない所を見るに『かれら』だろうか? ハンクが蹴ってひっくり返す。身体にはいくつもの穴が空いていた。
『……拳銃弾、9パラか? 頭部の二発が脳を破壊しているな』
冷静に検死とかやめようよ。
『撃った奴がいる。下手だが武装しているのは脅威だ』
そう言って彼はSAKURAを取り出した。おいおいおい、銃撃戦とかマジかよ?
『位置関係からすれば奥の部屋だ。行くぞ』
『おい、ちょ、まっw』
扉には鍵はかかっていなかった。中から強い腐敗臭がする。一見すると事務室のように見える。その椅子の一つの床に倒れた人の姿がある。握っていたであろう拳銃が横に落ちていて、返り血が僅かにこびり付いている。
『自殺か。それに失敗したようだが』
『……え? ちゃんと死んでるじゃん?』
『結果的には死んでいるが、よく見てみろ』
腐乱した死体の頭部を見ろとかかなりなハードルを要求してくるハンク。まあ、フィルター越しだから問題は無いが……思い出したら吐きそうだな。
右の側頭部から撃っているようで、反対側から弾は飛び出たらしい。ちゃんと頭を撃ち抜いてるが、なんで失敗なのかな?
『『かれら』対策でも言ったが、脳幹や延髄、小脳を破壊しないと速やかな死は訪れない。ショックで意識を失ったならいいが、下手をすると失血するまで意識は残ったまま死を迎える事になる』
『……』
現実的なお話しを続けるハンクだが、俺は別の事を考えていた。それは彼の死に至る経緯だ。
せっかくセーフティルームにまで来たのに何故自殺をしたのか。見たところ噛まれた傷はなく、他の避難者も居ない。数えたわけではないが、学校と同規模だとすると十四、五人程度が二週間は生き延びられる程度の備蓄は有る筈。
すると、ハンクがぽつりと呟いた。
『NESTにも居たな。研究室やセーフルームで自殺したり、同士討ちをしたりした形跡があった。おそらく恐怖に耐えかねたのだろう』
狭い部屋に押し込められて、いつ襲われるか分からない恐怖に耐えるのは……確かに辛いかもしれない。アメリカでは自殺に銃が使われるケースが多いとも聞く。俺は心のなかで手を合わせた。
内部を調べてみると、おおよそ向こうと同じ程度の備蓄が確認出来た。非常電源で向こう三ヶ月は維持出来るらしい。
あと、銃器があった。やはりというか何というか。
「何故64式だ? ショットガンは無いのか?」
『やだ、ハンクがミリオタみたいになってる……』
正直、銃にはあまり興味が無かったので何を言っているのかさっぱり分からない。彼が言うには小銃は日本の自衛隊の物らしく、相当使い込まれた跡があるらしい。つまり払い下げだね。
対して拳銃はほぼ新品のものだそうだ。SIG P226が三丁に小型のスタームルガーmk.Ⅱが一丁。
『危機意識が僅かに緩いな。拳銃弾では『かれら』を止めるのは容易ではない』
『そうなのか?』
『howa64なら頭部に当てるだけで十分威力を発揮するが、P226ではうまく当てないと止まらない。威力が違うからな』
64式の弾丸は7.62x51mm NATO弾。やや炸薬が少ないらしいが、当たれば威力は高い。対して拳銃であるP226は如何にも非力なんだそうだ。それでもSAKURAよりは強いらしい……日本の危機意識ってやはり緩いのかなぁ?
『問題はどれを持っていくかだ』
『どれって……威力で言うなら64式なんだろ?』
『威力はあるが、やや難がある。それに弾丸も含めれば5kg弱だ。自転車で運ぶのは些か手間取る。ここはSIGとmk.Ⅱだろうな。弾丸も含めてもそこまでは重くはならない』
たしかに持ち運べる量には限りがある。そもそもここに来た理由は生存者の確認だ。武装や糧食に関しては学校の地下のシェルターにあるだろうし、優先度は高くはない。ただ、それでもこれだけは取っておいた方がいいモノもある。
『その薬品は無意味だと言っていなかったか?』
『
実際にはこの二種による大規模感染は起こってはいない。あくまで予防措置として確保しておきたいだけなのだ。保冷容器自体に無接点式の充電器が内蔵されていて、アダプターを持っていけば保存も問題は無い。あとは。
『奴のPCか』
ディスプレイに繋がるPCとは別のラップトップ。これもアダプターごと持っていこう。ログインパスなどは分からないが探った私物の中にメモ帳があった。そこに手がかりがあるかもしれない。
『ほう……監視カメラは映るのか』
ハンクは設置済みのPCを弄っている。セキュリティ面がザルなのは分かっていたが、付箋貼り付けておくとかダメでしょ。
『監視しか出来んか。
見たところモール内の監視カメラではなさそうだ。モール全体のカメラを確認するにはこのディスプレイではやりにく過ぎる。おそらくランダルの手配した別口のカメラなのだろう。暗視仕様なので緑色っぽい映像で分かりにくいが、何とか視認は出来る。
『各階の踊り場と正面玄関が二面、屋外は正面と駐車場入り口、搬入口に、シャッター前か。客を監視するための物では無さそうだな』
『お客様の安全はどうでもいいんだろうね』
『む……』
ハンクが四階の映像を見て考え込む。
『どうした?』
『いや……何か違和感が』
『?』
見た感じは変わってない。仕留めた『かれら』をまとめて、そこに腐敗した死体も重ねたのだ。視点が俯瞰した映像だし、緑色っぽいので見づらいが、特に変わったようには思えない。
『山がもう少し高かったと思うが』
『ええ? こんなもんじゃない?』
怖いことを言うなよ。仕留め損なって復帰した奴がいるとか洒落にならんぞ?
でも言われてみると、確かに少ない気がする。
『全て首は折った。復活したのなら突然変異かもしれんな』
ええ……?
バイオハザードじゃあるまいし……とは言いつつも有り得ないとは言い切れない。ウイルスは普通に変異するし。
ともかく、保存していた画像データをこちらのPCにバックアップしておこう。USBを繋いでコピー開始。その間に他の確認をする。
『これは衛星携帯電話だな』
『電波は……地下だから無理か』
『そうだな。これもいちおう持っていこう。ただGPSが反応するから電源は落として、と』
トランシーバーのような携帯電話の電源を落として胸元に滑り込ませる。とりあえず必要なものはこんなところか。
『安藤則比古……』
財布に入っていた免許証で彼の名前が分かった。享年52歳である。こんな穴蔵で死ぬ事になるとは思わなかっただろうし、彼に罪があるとは思えない。こんな事故を起こしたランダルの被害者に変わりはない。代わってくれとハンクに告げると、手を合わせる。
気持ち悪いし、吐きそうだけど。
でもせめて、安らかに眠って欲しいと願わずにはいられなかった。
帰還は朝方近くになってしまった。
掛けたロープを登っていったら、屋上に人影があって驚いた。
『リオか』
ロープを繋いだ手摺にもたれ掛かるように眠っている莉緒。寝床から消えていたのに気づいたのか、探しにここまで来たのだろう。
寒かったのだろうか、ブルーシートを毛布代わりにして包み込んでいた。我が妹ながら、豪胆としか言えないなぁ……それ、アイツをくるんでいたやつ……
『……!?』
『どうした?』
思わず絶句する俺に、ハンクは何を驚いているのか見当が付かないようだ。
屋上菜園の片隅に野晒しにされていた、アイツの姿が、無い。
「……どういうことだってばよ……」
思わず、そう呟いていた。
俺に理解力を下さい、マジで。
当方、銃器に関してはにわか勢でございます。細かい考察などがあればコメントなどでお願いします。