みんなが出てから、私は少し考えた。
今日も留守の間に何かやるべきではないかと。家計簿や食事の支度以外にもやるべき事があった筈だ。
「そろそろさやえんどうも収穫だし……」
プチトマトの苗もそろそろ定植しないといけないし、さつま芋の苗も出来ている頃合いだ。特にさつま芋は種芋からの栽培という初めての試み。これを失敗したとあれば先代部長に申し訳が立たない。
とはいえ、頭の痛い問題もある。
それはこの学校を、いや、世界を襲った未曾有の危機の一欠片、『かれら』の死体が菜園の一角に横たわっているからだ。
「恵飛須沢さんの先輩、なのよね」
『かれら』に変わったとき、彼女は涙を流しながら彼にとどめを刺した。その事自体はとても感心するし、同情もする。同じことをやれと言われても、できるわけも無い。九郎さんが来なければ、父の亡骸を越えて表に出ることもできず、妹とも二度と会えなかっただろうから。
シャベルを手に、自らの想い人(想像だけど、たぶん間違ってないと思う)を手にかけるという事が出来る
「ゴンドラの使い方は教わったけど……」
作業をすると動かすのを同時にやるのは難しいかもしれない。ふと、子どもたちが視界に入る。子供とはいえ妹の瑠璃は四年生、彼の妹の莉緒ちゃんは更に年上の五年生だ。操作は難しくはないし、台でもあれば背の問題も無い。私は二人に話しかけた。
「お手伝いするよ、りーねえ♪」
「何もする事も無いものね。いいわ」
二人の快諾を得て、作戦は開始した。
まず、覆っているブルーシートがはずれないように上からビニール紐で結び付ける。胸の辺りと脚の踵あたりに紐をかけ、二重に回して結ぶ。と、頭の辺りがふらふらする。首が取れている事を思い出し、ここにも紐をかけて取れないように包んだ。運んでいてポロリと落ちたら悲鳴を上げてしまいそうなので、念入りに。
「りーねえ。このひと、亡くなっちゃったの?」
「うん……そうよ。本当なら埋めてあげないといけないんだけど」
「ここに埋めちゃ、ダメなの?」
「るー。この人が埋まってる所で取れたお野菜とか食べられるの?」
「……ぅ、無理、かな」
莉緒ちゃんは時々手厳しい言い方をする。それは彼に対する時も変わらないので、たぶん性格なのだろう。
「本当は下に置くだけじゃなくて、埋葬しなきゃいけないんだけど」
「それは九郎かハンクに任せたほうがいいわ。私たちがやっても時間ばかりかかるし、危ないもの」
「莉緒ちゃん。私だけで平気よ」
足元を持つように屈む彼女にそう言うと、年に似合わない大人びた笑みを浮かべる。
「私だって少しは役に立つわ。いつまでもアイツの付属物じゃないんだから」
気丈にそう言うと足を掴んで持ち上げる莉緒ちゃん。私も肩のあたりを掴んで力を入れると思った以上に軽いそれが持ち上がった。横に置いた一輪車に載せるが、当然全身は乗り切らない。それでも一輪車だと動かすのは非常に簡単だった。重さも……たぶん三十キロ程度にしか感じない。人の身体というのは大変重いと聞いていたのだけど、少し拍子抜けだった。
ゴンドラのロックを外して一輪車を乗せる。渡し板もあるので苦にはならなかったけど、ここでも莉緒ちゃんがサポートしてくれたので助かった。
「悠里さん。これの操作ってここでも出来ません?」
「え? あ」
莉緒ちゃんが触った箇所が跳ね上がるレバーのようになっていて、そこを引くと上の操作盤のような物が並んでいた。
「そ、そうね。同じものみたい……これなら」
ゴンドラから操作が出来る。莉緒ちゃんや妹を信用しない訳じゃないけど、いざという時にきちんと連携が取れるかというと少々不安だったのだ。
「じゃあ、ちゃんとここで見張っていてね」
「う、うん。りーねえ、気をつけてね。莉緒ちゃんも」
「ええ。まかせなさい」
妹に屋上からの警戒を任せ、私と莉緒ちゃんでゴンドラに乗る。物言わぬ死体と一緒なので気分も落ち込むけど、これを何とかしない限り菜園の再開は望めない。ある程度の野菜を作れるならこのサバイバル生活にも希望が持てる。ならば、頑張らないと。
駆動音は響くけどゴンドラ自体は意外と音を立てない。これはゆっくり動いているためだ。屋上がうるさくても下には関係が無いのか、『かれら』が集まってくる様子は無い。
下に下ろしてゴンドラの留め具を外し、渡し板をかけて一輪車を動かす。焦って音を立てては何にもならない。慎重に動かして、一輪車を近くに溜められている死体の山に横たえる。
無数とも言える死体の山を見て、流石の莉緒ちゃんも顔色が良くない。とはいえ、取り乱さないのは大したものだ。彼女より大人なのだからと、弱りそうな心を奮い立たせてブルーシートを留めるビニール紐を解いて包を外す。
「わぷ?」
「わ、平気?」
「ぺっ、ぺっ……土埃みたい。んもう」
ブルーシートの中に溜まっていた土が撒き散らされたのだろう。風向きで莉緒ちゃんの方へいってしまった。
「莉緒ちゃん、大丈夫?」
「へ、平気よ、これくらい。さっさと戻りましょ」
一輪車にブルーシートを載せて、ゴンドラまで戻る。扉にフックをかけている間に校舎から出てきた『かれら』が近づいて来ていたらしく、ゴンドラに手を掛けられた。
「きゃ……」
避けようとして態勢を崩してしまい、一輪車の上に座るように乗ってしまった。『かれら』の手が私に伸びてくる……
パパパパッ
『ぁぁ……』
小さな破裂音と共に『かれら』の目に何かが当たる。痛みを感じない『かれら』であっても目が見えないとうまく攻撃できないようで、あらぬ方向に腕を振るった。
同時にゴンドラがゆっくり上昇し始める。莉緒ちゃんが操作しているのかと見てみると、その手には黒光りするモノ、拳銃が収まっていた。
「莉緒ちゃん、あなた……」
「天才ガンマン、莉緒ちゃん参上ー、てね」
少しでも上がり始めると『かれら』の手では届かなくなる。
「莉緒ちゃん、それ……」
「本物じゃないわよ。アイツの持ってた
「なんだぁ……」
すっかり驚いてしまったけど、それは当たり前だ。彼女は私より小さな子供で、そんな子が拳銃なんて撃てる筈もない。ただ、兄があの九郎さんだと……有り得そうな気がしてしまう。
九郎さんとの付き合いはそんなに長くもない。一週間にも満たないはず。
なのに。
いつの間にか、すごく大きな存在になっていた。
はじめは妹の、命の恩人。
そのお礼に自宅に呼んで、父と妹と談笑をしていた彼は……どこにでも居そうで、居そうもない。彼はそんな青年だった。
警察官という一般の人なら怖気付く職業の父と、笑いながら受け答える彼。高校を卒業してから大学にも行かないで、バイト生活をしている割には落ち着いているその様子は、とても大人びて見えた。
父には釘を差されたけど……満更でもなさそうな様子に、少し嬉しくもなった。
あの日。
早めに帰ったのは偶然だった。
商店街で買い物をしていたら、大きな怒鳴り声が聞こえた。怒鳴る人に人が掴みかかっていき、それを止める人に別の人が掴みかかっていた。
その時は巻き込まれない様にさっさと帰ろうと考えた。鞣河小学校はこちらとは反対なので、妹が巻き込まれるとは思えなかったけど……家に荷物を置いたら迎えに行こうと決めた。
そこに、父からの電話があった。
「お父さん? 勤務中じゃないの?」
『悠里っ! 今、どこだ?』
「い、家だけど?」
いつになく、焦ったような声色に驚く。と、同時に大きな爆発音が轟いた。電話の向こうとこちらとほぼ同じだったので、比較的近くだったのかもしれない。窓から少し離れたマンションから火の手が上がっているのが見え、恐怖が滲みよってくる。
「な、どうなってるの?」
『部屋からは出るなっ 俺が行くまで誰も入れるなよ!』
緊迫した声に、ただならぬ事態だと推測する。折しも表から遠くでパトカーや救急車のサイレンも響いてきた。
『くっ、ぐわっ!』
「お父さんっ!?」
苦しそうな声の後に、父の携帯からの音は途切れた。あまりの急展開についていけない私は、震える手でテレビの電源を入れる。
そこには逃げ惑う人と、人に襲いかかる人が映し出されていた。
「なに……これ……?」
悪い冗談はやめてほしい。
こんな事はありえない。
報道も混乱が酷く、本来なら映像処理をかけるようなショッキングな絵が普通に流されている。冷静に考えようとするけど、頭が追い付いてこなかった。
ドンッ
「ひっ!」
玄関の扉を殴りつけたような音に、私は引きつるように叫んだ。風を通す為に開けておいた扉の隙間から、腕が伸びてきていたのだ。
ガシャン、ガチャン
チェーンロックが掛かっているのでそれ以上開かないけど、その手の主は小さく呻きながら腕を振り回す。
「ひ、ひぃ……ひ」
なんで、こんな事に?
ホラー映画じゃあるまいし、いきなり人が襲ってくるなんてあり得ない。震える体は力を失い、座り込む事しか出来なかった。
「だありゃあっ!」
そこに、怒号とともに襲いかかる別の人。いや、それは。
「悠里っ! ドアを閉じろっ」
父が暴漢を押し退け、警棒を振るう姿が扉の隙間から垣間見えた。
「お父さんっ 中に早くっ」
「いや、俺は……それより、瑠璃は無事か?」
「まだ、戻ってないの。後で迎えに行こうと思ってたのに、こんな」
「小学校には、仲間が向かっている……大丈夫だと、信じよう」
扉越しの会話。なぜ、父は中に入って来ないのか。
チェーンロックを外し、扉を開けると……そこには血塗れの人だったモノと、それに手を掛けた父の……勝るとも劣らない血塗れの姿だった。
「中には、入れない……たぶん、こうなっちまう」
「……そんな」
廊下から聞こえてくるのは小さなうめき声。そちらを見ると、ドアを押し開けて出てくるヒトや、エレベーターから出てくるヒト……。声が引き攣り、血の気が引くのが分かる。
「お、お父さんっ! 早く、中にっ!」
ほとんど泣き叫びながら、私は父に促すけど……ゆっくり首を振る父は、そっと、扉を押してきた。
「お前や、瑠璃の花嫁姿を見るのが夢だったんだがな……」
「お父さんっ!」
扉が閉じ、向こうから聞こえる小さな呟き。乾いた破裂音が響いて……それが遺言だと知った。
あのとき。
私の心は一度、死んでいたのかもしれない。玄関口にへたり込み、滂沱の涙を流しながら。力なく、扉を叩くだけだった。
どれほどの時間、そうしていただろうか。
カチャリとドアノブが回り、扉が開かれた。そこに居たのは、あのとき妹を助けてくれた青年だった。
「……あ、くろう、さん……」
「悠里さん、平気? 怪我は無いですか?」
私のことを気遣う彼。嬉しくない訳ではないけど、その時の私には余裕が無かった。
「るーちゃんも、戻ってない。どうしよう、わたしどうしたら……」
妹のことを言う。
「瑠璃ちゃんは保護してある。無事だよ」
「……え?」
一度ならず二度までも。妹を助けた上に、ここまで来てくれた。
「う……、よ、よかった……るーちゃん、よかった」
私は、彼に縋り付いて泣いてしまった。はしたないとは思うけど、勢いだったのだ。
身体を離すとき、彼の頬が赤らんでいた事に気づいた。意外とシャイな人なのかも。
「親父さんは……ゴメン。間に合わなかったよ」
「……ううん、いいの」
本当は、助けてもらいたかった。でも、それは言えない。ここまで来るだけでも、彼は大変な労苦をしているはずなのだ。
「俺の家に行こう。着替えとか準備してもらえる?」
「は、はい」
「君と瑠璃ちゃんの分と。それと悪いんだけどウチに妹が来てるんだ。着替えとか無いんで、出来れば瑠璃ちゃんのを貸してもらえないかな?」
妹さんが、いるんだ。
だから女の子とも如才なく話せるのかな?
「分かったわ。私の古着とかもあるし」
「助かるよ。あと、親父さんって車とか持ってる?」
「下の駐車場に停めてあると思うけど」
「なら、それも貸してほしい。流石に君を無事に届ける自信は無いんだ」
鍵は家に置いてあるし、ガソリンも満タンのはず。だけど、彼は免許は持っているのだろうか?
「運転は平気だよ。俺は出来ないけど」
「俺が可能だ」
「え?」
今のは、なに? 途中から口調がまるっきり変わったようだったけど。腹話術は声色を変えるけど、今のはそうじゃ無かった。まるで同じ声を別の人が話すような。
「俺はハンク。故あって彼の身体を間借りさせてもらっている。悪いが、俺が出ている間は身体には触れないで貰いたい。女性は苦手なのだ」
「……え?」
困惑する私に、彼が元の口調で答えてくる。
「彼、凄腕のエージェントなんだ。戦闘でも車の運転でも何でもござれ、だよ」
「あの手の輩への対処は経験がある。信用してほしい」
またしても、ハンクとやらが喋る。これは、何だろうか? ひょっとして彼は……いや、先程までは九郎さんだった、はず。困惑する感情を押し込め、今は作業に没頭しよう。
手当り次第、という感じで着替えの服をリュックやカバンに詰め込んでいく。大きなスーツケースでもあれば良かったのに。自分の着替えと妹の分、あと彼の妹さんの分を私の古着と妹の方から見繕う。体格は妹よりも僅かに背が高い程度らしいので、問題は無いと思うけど。
三人分を三日分揃えるとかなりの量になる。カバンに入らない分はゴミ用の袋に詰めていく。
その間に彼は食料品の詰め込みをしている。こちらも袋は少ないので、レジ袋やゴミ用袋を利用している。パンやクラッカー、シリアル、パスタ、お米などの多少形の崩れても食べられる物はそちらに。生鮮品や加工食品は保冷用の袋に詰め込んでもらった。今日は常夜鍋にしようと思っていたので豆腐や葱、葉物の野菜や鶏肉などもある。
「買い物は慣れてるからね」
そう答える彼の技術は確かになかなかである。卵は潰れないように柔らかい素材に合わせ、汁が溢れないように一つ一つ水切り袋を閉じるのはとても良い。
そうして準備をしてから、最後に二つの品を手元の鞄に忍ばせる。母の位牌と、父のライター。扉を開けるとその後ろには、見る影もない父の姿があった。顔にハンカチをかけてあったのは、九郎さんの配慮だろう。
「親父さん……行ってきます」
手を合わせてそう呟く彼の声。
涙に滲む視界だけど、私もそうして声をかける。
「……いってきます、お父さん。今まで、本当にお世話になりました」
言っていて、何だか妙な気分になった。この場面にはそぐわない事甚だしいけど……。
「あの、九郎さん」
「はい?」
「不束者ですが、どうか宜しくお願いします」
「えっ」
動揺する彼の耳が赤く染まる。
そういう意図を以て言ったのだけど……さすがに私も恥ずかしくなってしまった。
「アオハルというやつか」
「ちょ、ハンクさん?」
「そういうのは後にしろ。行くぞ」
完全に一人芝居なので、ふっと笑ってしまった。廊下を埋める夥しい数の骸を前に笑う私は……やはりおかしいのかもしれない。
「悠里さん?」
「……え?」
一輪車の上に横になったまま。
暫し私は気を失っていたのかもしれない。まるで回想のような短い夢。ゴンドラはもうすぐ屋上に着くらしい。
「返事が無いから気が気じゃなかったわよ、もう」
頬を膨らませて怒る、彼の妹。
瑠璃とは別の意味で可愛らしい容姿に、少しだけ嫉妬してしまう。
もちろん、そんな事はおくびにも出さないけど。
「あなたに何かあったら、アイツ、悲しむからね」
そんなふうに気遣える優しい子なのだから。だからこれは。
私のほうがよくないのだ。
そんな事を考えこんでいたせいで、この件をみんなに話すのが遅れてしまった。幸いなことに誰もそれを咎めずにいてくれたけど、少し間違えれば大変な事になっていたのだ。
しでかした自分が言うのもなんだけど、ここの集まりは危機意識が低い気がする。もっと気を付けていかないと。
その日の夕方にもう一度、校長室に行って莉緒ちゃんの様子を見る。
「熱が、下がらないわね」
「コホッ……風邪をひくなんて、久しぶりだわ」
「平気か、莉緒」
「わ、伝染るからやめろって、バカ兄貴」
彼女の手を握りながら枕元に座る彼の様子は真剣だ。莉緒ちゃんも悪態をつきながらも嬉しさを隠さない。
「身体を拭く準備をしてくるわ」
「す、すみません」
部屋を出ると、妹の瑠璃が待っていた。
「りーねえ……?」
「しばらくは莉緒ちゃんと会っちゃダメよ。風邪が伝染るかもしれないから」
「そ、そうなんだ。よかった……」
「……?」
妹がほっと胸を撫で下ろすのを見て私は訝しんだ。
「りーねえも、九郎さんも、こわい顔してたから……りおちゃん危ないのかと思って……」
だけど、一番問題なのは。
自分の感情がうまく御しきれていないことなのかもしれない。
りーさんの湿度がヤバい……