どうして、こんな所にいるんだろう。
父の車の運転席に座りながら、そんなことを考えていた。
勢い任せで言ったことだという自覚はある。女性を迎えに行くという言葉を、無視出来なかったのだ。
それが何に根差した感情なのかも、理解している。彼と年の近い女性との密会を、阻止したかったからだ。
実際にそれは不可能だとは思っていた。私が『かれら』やその他の生存者のうごめく中に同行出来るはずも無かった。
それでも、彼は同行を認めてくれた。
車を守るのも大切な役目だ。
それは理解出来るのだけど……やはり止めておけばよかったと後悔してきたのである。真夜中の車の中でじっと待つというのは、意外と退屈なものなのだ。
この辺りは大学の敷地に近いので、昔から人通りはあまり無かった。そのためか『かれら』もあまり来ないらしい。エンジンも切ってあるので『かれら』が寄りつく事も少ないはず。窓を閉めてロックをかければ危険の殆どは避けられると、彼は言ってくれた。
「あ、また一人……」
月明かりに照らされた道路をゆっくり歩いてくる『かれら』。こちらを気にもせずに動いていて、少しユーモラスにも見える。たぶんサラリーマンだったのだろうそれは、ゆっくり時間をかけて視界から消え去っていった。
「ほっ……」
気が付けば、上着のカーディガンの下に潜ませたものを握りしめていた。
彼の渡してくれた、人殺しのためのもの。
それを振るう事など無ければいいと、わたしは願っている。使い方は教わった。だけど、それはそうしたいと願った訳ではない。あくまで身の安全を守るため。害意を持つ存在を遠ざけるための力なのだ。
「誰か来てくれればよかったのに」
恵飛須沢さんや柚村さん辺りが同行してくれると思っていたのだけど、なんでだろうか。まさか私と彼が何かするとでも思っていたのだろうか。
「…………(。>﹏<。)」
なんだか、顔が火照ってきたかも。
まずい、まずいわ。少し妄想が捗りすぎたみたい。気を紛らわすために、夜空に浮かぶ月を眺める。
「お月様は、変わらないわね……」
世界がこんな有様になっても。
月は変わらずに夜を照らし出していた。下界の事などどうでもいいと言っているようだ。
「あら?」
ふと。
その月の辺りが光ったように見えた。
「なにかしら……」
ゆらゆらと光るそれは波のように揺らめいていた。
そこに、飛び上がるものがあった。
「……魚?」
小さくてよく見えないけど。
それは魚のように、見えた。
金色にかがやく、おさかなの夢。
その言葉をわたしは思い出した。
「るーちゃんの、みたゆめ……?」
あの子は、そう言ってはいなかったか。そう言ったはずだ。けど、それは夢のはずだ。
胸がどきどきしてくるのが、分かる。
その幻想的な光景は、いきなり静まりかえった。黄金の魚も、宙に浮かぶ波間も、いつの間にか消え去ってしまっていた。
わたしは思わず表に出ていた。窓越しに見るのではなく、自分の目で見たかったのだ。
でも、その光景は戻ってくることはなかった。
「まぼろし……だったの、かな?」
呆然とするわたしは、静かに近づくものに気付けなかった。路肩の草むらから立ち上がった『かれら』に気付いたのは、もう間近に迫った時だった。
「きゃっ?」
「あ゛あ゛ぁ〜」
「あうっ」
とっさに避けようとしたのだけど、位置がまずかった。車にぶつかって、倒れてしまったのだ。『かれら』はゆっくりと屈み込んで、こちらにのしかかって来た。
「ん、んぅぅ」
両手首を掴めたのは僥倖だ。でも、『かれら』の力は強い。普通の女の子である私に抗う事など難しい。
「くっ」
両腕を上に上げて『かれら』自体を上方向にいなす。噛みつこうとしていたため、その勢いのままアスファルトに突っ込む『かれら』の下から抜け出し、その背にのし掛かる。
「う、うまくいった……」
お父さんから手ほどきされていた経験があったおかげかもしれない。背中に乗った状態だと『かれら』も噛みつくことは出来ない。腕を振り回してもなかなか私には当たらないようだ。とどめを刺すためにわたしは……
「あ……車の中」
車から降りた時に、中に置いてきてしまったらしい。カーディガンには内ポケットは無いし、あったとしてもあんな拳銃は入らない。
とはいえ、どうしたものか。
私は他に武器らしいものは持っていないし、このまま押さえつけておくなんて無理だ。『かれら』は立ち上がる事を思い出したのか、腕を立て始めた。このままではひっくり返される……
「そのままっ」
そこへ知らない人の声がかかる。
思わず顔をあげると、こちらへ走り寄る人影。手には月明かりに反射する兇器が見えた。
「ふっ!」
反射的に顔を覆う。
だけど、その兇器は私ではなく、『かれら』の後頭部に突き立てられていた。
「ケガはない? 噛まれてない?」
突き立てたままそう聞いてくる声に、こくこくと頷く私。車の影でよく見えないけど、左側に纏められた長い髪と、その声のおかげで女性だと分かった。
「シノウー、一人で先行するな。危ないぞ」
その後ろから駆けてきたであろう男性が、彼女にそう声をかける。
「ごめん、れん君。この子が襲われそうだったから……」
「そ、そうだったんだ。きみ、平気かい?」
ニット帽を被った眼鏡の青年がこちらを気遣うように声をかけてくる。アイコンタクトをしていたので、目の前の彼女とは知り合いらしい。ひょっとしたら恋人同士かもしれないけど。
さすがに『かれら』に乗ったままというのは勝手が悪い。立ち上がりスカートの裾を払うと彼らにお礼を言った。
「危ないところをありがとうございました」
「そんな。とどめ刺しただけだし」
「それより、君一人なの? こんな所にいたら危険だよ」
そう言う彼の手にはボウガンが握られている。銃刀法違反で捕まえられないとお父さんが愚痴っていたのを思い出す。よく見ると、女の人の使っていたのはアイスピックだ。凶器を持って武装しているのだ。
「あ、あの、連れが居ますのでご心配なく」
「連れ?」
女の人はぽかんとした様子だけど、男の方は顔色が変わった。
「こんな所に車を置きっぱなしにして、君の連れはどこに行ったんだい?」
カチリ
ボウガンの弦がセットされた音に後ずさる。女の人がそれを見て彼を止めるように言う。
「れん君、やめて」
「大学の側で不審な行動をしてるんだ。うちの物資を狙う生存者の仲間かもしれない」
「そんなつもりはない」
「「!?」」
いきなり会話に割り込まれて二人が驚く。
「九郎さん……」
「今はオレだ。どういう状況か分からんから代われないんだが」
彼ら二人の後ろに音もなく近づいていた彼は、そんなふうに言う。彼らが武器を構えて距離を取るけど、私を守るように位置どったのはなんでだろう?
「な、何だコイツ? ガスマスクなんて付けてかっけえなぁ!」
「れん君、褒めてる場合じゃないよ。この人、強い」
やっぱり強いと言うことはすぐ分かるのだろうか。九郎さんは鉄製の斧? を持ってぶらぶらさせている。
「む、そうなのか。ふむ、では代わるか」
「おい、俺だよ。れんちょん!」
そう独り言を言ってマスクを外す九郎さん。その顔を見て、男の人が驚く。
「えっ!? もしかしてハンキュー?」
「「はんきゅー?」」
私と女の人の声が重なる。男の人はボウガンを下ろして、九郎さんに近づき、九郎さんは肩を叩いて再会を喜んでいた。
「中学で同級生だった半澤九郎だよ。頭文字から『はんきゅー』ってあだ名でさ」
「高上
「にゃんぱすー言うな」
……どうやら男の人とは知り合いだったらしい。なんともはや、だ。
「あの……」
すると。
女の人の方が私に声をかけてきた。
「わたし、右原
「あ、えっと。私は若狭 悠里と言います。巡ヶ丘学院高等学校の三年生です」
自己紹介されてこちらも自己紹介してしまったが、良かったのだろうか? 背の高い彼女は先程までとはうって変わった柔らかい笑顔をしていた。なら、私も笑うべきなのだろう。むりやり笑顔を作り、彼女に合わせる。
「死ぬわけないと思ってたけど、なんだよその格好、イカしてんじゃん」
「お前こそボウガン、いいなあ。買ったの?」
「工学部だぜ、自作だよ」
「マジか、スゲェ!」
男の子たちの方はすごく盛り上がっている。声に集まって来ないだろうか、私は気が気ではなかった。それを悟ったか、シノウが彼らに声を抑えるように促すと、彼らはいま気付いたかのように謝罪してきた。
「ごめん、ちょっと舞い上がってたわ」
「ごめん、悠里さん」
そのとき。
空が少しだけ明るくなった。
まるで夜明けがいきなり来たかのように。
「え?」
誰の声だったか、分からないけど。
それはすぐに地響きのような音にかき消えていた。
「あ、あれ……」
シノウさんが指を指す方向。
はるか彼方の地平線に、幾つもの光の玉が出来ていた。雲が揺蕩うように舞い上がっていく。
「な、なに……? なによ、これ……」
「……空爆か」
「く、空爆、だって?」
れんちょんと呼ばれた男の人が焦ったように言う。それも当たり前だ。新聞やニュースの中でしか知らなかった事が、現代の日本で起こるなんて。
「かなり遠いが屋内に避難したほうがいいな。帰投するぞ」
「お、お前たちも大学に戻れ。『かれら』が活性化する」
ハンクと九郎さんが続けて喋る。
響いてくる爆音にどこから湧き出したのか、『かれら』が次々と現れる。
急いで助手席側に回りドアを開けて滑り込む。私が入るのを見るや彼は車を急発進させた。二人も急いでその場から離れるとあっという間にリアウィンドウ越しの姿は見えなくなった。
「封じ込めに空爆を使うのは、ラクーンでも行われていた」
「マジでか……」
「ラクーン周辺はアークレイ山地から伸びる大森林があって、そこに溢れたゾンビやケルベロスなどの突然変異B.O.Wが大量に潜伏していた。森林を吹き飛ばす必要があったのさ」
ハンクと九郎さんの一人による会話。
そこに携帯電話から電子的な声が上げられた。
「シイコ、からの通話チャットが、入ったよ。受けるかい?」
「オーケイ、ボーモン。繋げてくれ」
「……声紋データ、89%で一致。クロウ、は、体調を整える必要が、あるね」
「きちんと判別するとは恐れ入ったな」
「茶化すな。ボーモン君、繋げて」
「通話を、つなげるよ」
人工知能による音声ガイダンス、かな? 彼が携帯をドリンクホルダーに指すと、そこから知らない女性の声が響く。
『やあやあ、表が煩いと思ったら遠くで花火が上がってるね』
「こちらは運転中だ。要件は手短に頼むぞ、アオソイ」
『Okey-dokey. 傍受出来た内容からすると、ほぼ円状のエリアにナイアガラを仕掛けたようだ。デイジーカッタークラスを合計138発とか、大盤振る舞いもいいところさ』
「デイジーカッターって……紛争地帯かよ」
『そっちは九郎君だね。教えただろう? 世界中が紛争地帯なんだよ』
「やはり戦術核は使えなかったようだな」
「ああ。おかげで何とか生きてはいるけどね」
何を言っているのか、わたしには理解できなかった。
一つだけ分かった事は。
もうすでに、
世界は元に戻らないという事だった。
ここのりーさんは少しだけ柔道をかじってます。お父さんが警官だった事が関係してますね。
それにしても、いざという時に拳銃が使えないとか……なんのためのフラグだったのか(笑)