「本当にどうしようもないクズで、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げて謝罪するのは九郎の妹、莉緒である。病み上がりなのに折り目正しい正座から三つ指ついての謝罪は堂に入っていて、職員休憩室に会する面々は反応に窮した。
「な、なにしてるの、莉緒ちゃん」
「どうしようもないクズの妹なので代わりに謝るしかないと思いまして」
「そうじゃなくて〜」
死んだ目で謝罪を続ける莉緒に佐倉教諭もかける言葉が見つからないようだ。
「会ってすぐに肉体関係に漕ぎ着けるようなヤリチン野郎とは思わなかった……やっぱり監視の頻度を上げるべきだったのね」
「莉緒ちゃん、言葉遣いが悪いわっ! あと、年に見合った発言でも無いし。それと監視とか怖いわっ」
佐倉教諭は涙目で莉緒の肩を抱いているけど、彼女の目に光は戻らない。まるで大切ななにかを失ったかのようだ。
「ゆきねー、りおちゃん何言ってるの?」
「あー、うんと……どう答えたらいいの? たかえちゃん」
「アタシに振るなよ。弟とギクシャクしてたの、お前も知ってるだろ」
言われて由紀の頭に思い浮かんだのは、貴依の二つ下の弟くんの話だ。家に連れ込んで何やら致していた最中に帰宅し、ばったり目撃してしまったという話を聞いたばかりだったのだ。今の時点でその弟くんと恋人さんはどうなっているかはさておき、そういった場面を体験してしまった身としては共感以外何もない。
「莉緒。アイツの事でお前が謝る理由なんて、無いんだヨ」
貴依は莉緒の肩に手をかけて、そう言った。
「貴依さん……ですが」
「お前はお前だ。アイツの事で苦しむ必要なんて無い」
「はい……ぐす」
貴依の胸でわずかに涙ぐむ莉緒。そして、本来その場所にいたであろう佐倉教諭は若干の寂しさを感じていた。
「しかし、ハンクもちゃんと男だったんだな」
そこに胡桃の発言。皆がそちらを見ると、少し恥ずかしがりながらも言葉を続ける。
「卒業まではダメって手を出してくれなかった人もいたんだ。それに比べたら、まだ分かってるってカンジがするな、アタシは」
おそらく、今はもういない人のことを言っているのであろう。照れ笑いをしつつも淋しさに感じさせる笑顔は、見るものの胸を打った。
「分かってる……? なにがわかってるの? 胡桃」
呟くような声音の声に皆が慄く。その笑顔はいつものようであったが、見る者によっては能面のような印象だった。
「いや、だってさ。こんな世の中になったじゃん? 明日も分からないんじゃ、そういう気持ちをストレートに表すのも、アリなのかなって思って……」
「知ったふうなこと、言わないでよ」
「知ったふうなことって……じゃあ、りーさんは知ってるのかよ?」
「!……」
悠里は眉をしかめた。それは一番言われたくない言葉でもあった。彼女も知らないのだ。本当の気持ちとか、相手の気持ちとかも。それは実のところ、誰にも分からないたぐいの話なのだが。
「もう、やめて下さいっ!」
「美紀……」
「直樹さん……」
言い争う二人を止めたのは二年生の直樹美紀だった。彼女は二人の間に立ち、二人の仲裁を図った。
「今は結束を強めるべきなのに、中心の二人が何を言ってるんですか」
食事や在庫の管理などを一手に引き受けている悠里に、女子の中では最大戦力である胡桃。この寄り合い所帯の要と言える。
だが、二人とて意味もなく対立した訳ではない。
「……」
「……」
しかし、止められてしまうと再度やり合うというのも躊躇われた。有り体に言えば『恥ずかしい』からだ。片や想い人と結ばれずに拗らせ、片やその想いを告げられもせずに拗らせているのだ。
衆人環視の中で言い合うなど、勢いがなければ出来はしない。悠里は俯き、胡桃は頭をガシガシと掻きむしった。
「あー、もう。やめやめ」
「おい、どこへ行くんだ?」
「トイレっ」
席を立つ胡桃のあとを貴依が続く。
「なに?」
「アタシも行こうと思って。じゃま?」
「お好きにどーぞ」
二人が席を立つと、悠里も立ち上がる。瑠璃が近付くと、彼女は「帳簿を付けるから後でね」と言い聞かせた。彼女が帳簿を付けるのはいつも生徒会室であり、その間は邪魔をしない、という暗黙のルールがあったのだ。
言い争った二人がいなくなると、雰囲気は緩くなった。
「はあ……」
「莉緒ちゃん、あんまり気にしないでね。ふたりともいい子なんだけど、ちょっと、ナーバスになってるみたいで」
ため息をつく莉緒に佐倉教諭が励ますように言う。二人とも教え子ではあるし、胡桃に至っては恋の相談までされている。こうした話題には敏感になるのだろう。
そこに少し呑気な声が響く。二年生の祠堂圭だ。休憩室の椅子に座り、携帯ゲーム機を遊んでいた彼女は、イヤホンを外しながら言った。
「いやー。センパイ、モテモテですね♪」
「圭?」
親友の言葉に怪訝そうな声を上げる美紀。一方、圭はというと楽しげに言葉を続ける。
「背も高くてすごくたくましいし、顔だってわりといいよね。おまけにアイツらなんて目じゃないくらい強いしっ!」
「そうっ! ダリオマンみたい!」
「イエスッ、ダリオマンッ!」
途中から入ってきた由紀と一緒に漫画のヒーローの決めポーズをする圭。
「ハンクさんはマスクを着けることでハンクマンになるのだぁっ!」
「イイね、それ。胸には『H』って書いてさ」
ひとしきりそんな話を続ける二人と、毒気を抜かれたようなその他の面々。しかし大きく溜息をつく少女によって会話が途切れた。
「アイツはヒーローなんかじゃないわ。そうならあんな事してないでしょ」
少し赤らんだ顔色を悟らせないように俯いて言う莉緒。圭は立ち上がると莉緒の側に近寄っていく。彼女とは知り合って間もない。僅かな逡巡を見せる莉緒に、圭は頭をそっと撫でた。
「そうだね。ヒーローじゃあ、無いんだよね」
「圭……さん?」
「ハンクさんさ。私が怪我してると見たら、手当してくれて。しかもおぶってくれてね。あそこから出る事すら出来なかった私たちにとってはヒーローみたいな人なんだけど……結局、人間に変わりはないんだよね」
正義のヒーローではない。
その言葉は確かに正しい。莉緒にとっては、かけがえのない兄であり、一個の人間なのである。
「それにね。たぶん、ハンクさんはそういう事はしてないよ?」
「……ほんとうに?」
上目がちに問う莉緒に、圭はにっこり微笑みで返す。
「私をおぶる時にすっごい緊張してたもん。ありゃあ、手も握れないくらいかもね」
「ぷっ」
思わず吹き出した莉緒。圭はそのまま彼女を胸に抱きしめた。
「だから、大丈夫だよ」
「……ん」
「ねえ、みーくん」
「なんですか、由紀センパイ。あと、みーくんて、誰ですか?」
「わたし、けーちゃんより年上だよね?」
「……私に聞かないで下さいよ」
一方。
「さくらせんせー。どうしたの?」
「何でもないのよ、なんでも……」
一番年上なのに、ロクにフォローも出来なかったと落ち込む佐倉教諭は、瑠璃を膝に乗せて密かに涙を流していた、とか。
「ついてくんなよ」
「トイレのついでに見回りとはご立派だね。一人で動くなってアイツも言ってたろ」
アイツとは、ハンクの事である。こと、こういう事にかけては一家言あるのは確かである。そのハンクは今日は自主的に校長室という反省房に入っているため、そのおハチが回ってきただけの話だ。
胡桃はいつものシャベルを持ち、貴依は新しく調達した武器を手にしている。購買に何故か売っていた高枝切り鋏を分解して作った簡易槍だ。テープだけでなく、太めの針金で補強してあるのでかなり頑丈である。土台がモップなので不安ではあるが、追い払う分には役に立つと思われる。
「二体か」
「やるのか?」
バリケードの向こうにいるのは二体の『かれら』。少し距離があるのでバリケードを越えても迎撃は出来るだろう。
「アイツ無しでも、イケる」
「んじゃ、アタシから降りるよ」
「おい?」
「リーチはこっちの方が長いからな。牽制してる間に仕留めてくれ」
相手の足を止める。間合いを測る技術がまだ拙い彼女たちには有効な戦術だ。胡桃もそれを理解し、頷く。そういった立ち振舞を貴依は彼から教わっている。
バリケードに登り、降りるまでの間に出る音によって、『かれら』は少し接近していた。貴依は槍を僅かに振ると、静かに前に進む。槍の届く範囲に入ると、その足元目がけて小さく振った。
「ち」
目測が甘かったのか、槍は空を切る。『かれら』の歩みは遅いので再度振ると、今度は足首に当たった。簡易槍とはいえ、先端は金属で針金をきっちり巻いたものだ。足に当たれば掬って倒す事が出来る。『かれら』は態勢を崩して倒れた。
「てえいっ」
そこへ胡桃の容赦ない一撃が振り下ろされる。一階の廊下に血の染みが広がる。
「声デカいよ」
「ごめん、つい」
「やべえ、戻るぞ」
中央の出入り口から、何体かこちらに向かってくるのが見えた。もう一体を仕留めるのは難しそうなので貴依は撤退を提案、胡桃も頷いてそのままバリケードを登り始める。武器の槍とシャベルは向こう側に放り投げ、机を立てたバリケードを登る。向こう側へついてひと息した所で、『かれら』の集団が机にのしかかって来た。
「胡桃がデカい声出すから」
「文句言う前に突け、突けっ!」
机の隙間から槍やシャベルを突き入れる。追い払う事が目的でもあるが、うまく首元や頭などに刺さることもあり、それで何体かは動かなくなる。だが、机に掛かる圧力は一向に消えない。後から後から、『かれら』が補充されるようにやってくるからだ。濡れそぼった身体を揺らして近付く『かれら』に対し、二人は危険を感じて撤退を決めた。
「ヤバいぞっ! 敵襲だーっ!」
「あ、アタシらのせいじゃないかんねっ」
一方そのころ。
『空気が湿ってきたな。雨が降ってるぞ』
『な、なんだって?』
校長室にて落ち込んでいた九郎に、雨の到来をハンクが告げていた。
引き籠もってたため、気付くのに遅れた主人公(笑)