下から『かれら』が大量に押し寄せてきている。そう聞いた私は、置いてあったバットを手に職員休憩室から飛び出した。
「ちょ、美紀? 待ってよ」
「圭はそこに居て! 危ないから」
彼女の足の捻挫はまだ完治していない。恵飛寿沢先輩や柚村先輩は中央階段で防いでいる。でも、こちら側にも階段はあるのだ。
思った通り、下からわさわさと上がってくる『かれら』だけど、こちらは意外と数がいない。多分、大声で戦っているあちらに多く向かっているのだろう。先輩たちに感謝。
「よっ……」
踊り場の壁面の把手を握り、ぐっと力を込める。これは防火扉であり、引く事で階段区画と通路側を遮断出来るようになっている。引かないと開かないので、『かれら』には開けられる心配は無い……筈なんだけど。
「う……おっもい……」
錆びついているのか立て付けが悪いのか。扉はびくともしなかった。私が悪戦苦闘していると、バリケードの机が揺さぶられる音がする。
態勢を変えて体重で引っ張る。でも、動かない。目をつぶって踏ん張っているとお腹の辺りに違和感があった。
「ひぃっ?」
「美紀のかわいい声、いただき♪」
「け、圭! 待っててって言ったでしょ?」
背中から身体を押し付けるのは、私の友だちだった。すえた臭いが近づいているのに、彼女の香りはなぜか甘い。おかしいな、同じシャンプー使ってる筈なのに。
「いっせーので引くよ」
「わ、分かった」
「「せーのっ!」」
女の子とはいえ二人分の体重に、ようやく扉は動いてくれて。バタンと扉が閉まった瞬間に向こう側から机の雪崩れる音が響いてきた。
「だ、大丈夫?」
「このくらい、平気だよ」
本当は手のひらがすごく痛い。でも、そんな事は言ってはいられない。圭の手を引いてすぐに戻る事にする。あ、バット、向こうに置いてきちゃった……
「ハンクさん、どうしたのかな」
圭の落ち込んだ声に心が苛立つ。圭に対してではない。彼女の言った精神異常者に対してだ。
「この非常時に高イビキとか、いい神経してるわよね」
「体揺すってるのに起きないみたいだし……」
そう呟いて圭がこちらを見る。ああ、やっぱりかわいいなぁ。
「サイッテー、とか言われたからかな?」
「はぁっ?」
え……そんなにショックだったの? メンタル弱そうだと思ってたけど、それはあまりにもだろう。
「くす」
「む、からかったなぁ」
「ふふ。案外、気にしてたんだね」
「う」
圭は時々、すごく勘がいい時がある。私が分かりやすいだけなのかもしれないけど。気まずさに口を尖らせると、彼女も少し黙った。前方からは恵飛寿沢先輩や柚村先輩の声が響いてくる。
「あっちは防火扉、間に合わなかったみたいだね」
「あそこ閉めちゃうと屋上にも逃げられないし」
そういう見方もあるけど、籠城するなら防火扉は絶対使うべきだ。先輩たちの判断は誤っていたとしか言えない。
それに、この事態になっても起きないあのバカにも責任はある。
本来、そうした指示は彼がすべきことだ。一番大事なときに、何をしているんだアイツは。私なら、それこそさっきのバットで殴ってでも起こすのに。
「今すぐ放送室に行って、下校放送をして下さい」
「えっ? な、なんでそんなこと」
「『かれら』を学校から帰すんですよっ」
校長室の近くに来ると、アイツの声が聞こえてきた。やっと起きたのか。
ガラリと扉を開けてアイツが飛び出していく。見送るように彼の側にいた子たちも出てくる。
「九郎さん……」
さも心配そうな顔の若狭先輩。
うん、なんとなくだけど、分かった気がする。
これはアレだ。
恋しちゃってる人の顔だ。
「りーさんっ ハンクさんに言われたようにしないと!」
「あっ、そ、そうね。」
丈槍先輩に腕を引かれ、二人は放送室へと入っていく。下校放送をしろと言っていた。『かれら』には生前の記憶というか習慣を行うフシがある。下校放送がかかれば、帰っていくかもしれないということか。
確証はないけど、駄目で元々なのだろう。この状況は如何にもマズイ。
「ね、美紀。あの子、ヤバくない?」
考えている最中に圭が話しかけてきた。ああ、もう。なに?
いつの間にか。
アイツの妹の莉緒とやらが、かなり前の方に進んでいたのだ。折しも前線を交代した恵飛須沢先輩や柚村先輩のすぐ側の辺りである。
ちなみに若狭先輩の妹の瑠璃の方は、放送室とそちらの方をキョロキョロ伺っている。どちらに行こうか迷ってるらしい。いや、迷う所じゃないでしょ。
「圭、瑠璃ちゃん連れて放送室に入ってて」
「美紀は?」
そんなのは決まっている。
私はすぐに駆け出した。
「バ、バカ。あぶ、ねえぞ?」
「に、げろ、莉緒……」
先輩たちが息も絶え絶えに、でも彼女を気遣っていた。それは当たり前だ。私たちより小さな彼女にとって『かれら』は対処できない脅威なのだから。
私は手を伸ばし、彼女を後ろから抱えあげようとした。
ぴたり。
「……え?」
私は、行動を止めていた。
いや、止めざるを得なかった。
何故なら、銃口がこちらを向いていたからだ。
「すまん。邪魔をしないでくれ」
彼女は。
振り向きざまに拳銃を構えていた。
初めは玩具かと思ったけど、その迫力に気圧された。
動いたら撃たれる。
そう、確信していた。
「……ぇ」
理解が追い付かない。
なんで、彼女が拳銃を持っているの?
なんで、そんなふうに扱えるの?
なんで……
「アアアア゛ッ!」
そこへ、耳を
肩を噛まれた佐倉教諭が。
アイツを庇うように抱きついていて。
アイツは、手に持った斧で、『かれら』の頭をすっぱり切り落としていた。
「……お、おい」
「めぐねえ、噛まれた、よな?」
動揺を顕にする先輩たち。
それはたぶん私もそうだ。
奴らに噛まれたら、『かれら』になる。
それがこの理不尽な世界のルールなのだから。
「ガアアッ!」
噛まれた佐倉教諭を抱きかかえたまま、アイツは斧を振り回す。『かれら』がまるで小枝のように断ち切られ、四肢をバラ撒き、頭を砕かれる。
パスッ
近くで音がなった。
莉緒が拳銃を発砲したのだ。
アイツに掴みかかる『かれら』の頭にそれは命中した。それで倒すには至っていないけど、アイツを守るという行動には成功していた。その後に振るわれた斧によって、その『かれら』は物言わぬ躯となった。
「ふむ。mk.Ⅱでも反動があるな。子供ではちと厳しいが、まあなんとかするか」
なんだ?
莉緒という子は、こんな話し方をしていたか? たしかに年に比べたら大人びてはいたけど。
『下校時間になりました。生徒の皆さんは、速やかに下校してください』
そこへ、場にそぐわない校内放送が流れてきた。声は丈槍先輩だろうか。
それを聞いた『かれら』は、一瞬動きを停めて、ゆっくりと踵を返していった。階段が苦手なので殆どが倒れていたけど、立ち上がってまた下の階へと降りていく。
放送の効果は覿面だったようで、窓から表を見れば、校庭から外へ向かう『かれら』の姿が確認できた。
カラン、どさり。
糸が切れたように、アイツが倒れた。
それでも、佐倉教諭を床に落とさないように抱きしめていた。
「ど、どうするよ」
「どうするって、おまえ……」
先輩たちは顔を見合わせていた。
どうしようか判断がつかないようだ。それはそうだろう。一人は気絶しているし、一人は『かれら』に噛まれているのだ。
だが、そこで指示を出す者がいた。
「二人を運んでくれ。校長室へだ。サクラは手錠で拘束。手錠はクロウが所持しているからそれを使え。ミキは防火扉を閉じておいてくれ。バリケードの作り直しは後回しだ」
莉緒は、坦々とそう告げた。その異質さはなんとも形容し辛い。まるで軍隊で上官が命令するような口調なのだ。
「復唱はどうした?」
キッと睨む彼女に、私たちは抗い難いモノを感じた。だけど、その指示はおおよそ正しい。閉じ込めるには個室が必要だし、校長室の机やソファーは重い立派な物だ。手錠で拘束すれば下手に動くことは出来ない。
のそのそと先輩たちが体を起こし、二人を担いで動き出す。私は散らばる『かれら』の亡き骸を、階段から落としていく。このままだと、防火扉が閉められないからだ。
こちらの防火扉は普通に動いてくれた。作業をする間、莉緒は近くを警戒していた。拳銃を手に廊下や階段に注意を払う仕草は、とても小学生の行動には見えない。
私は疑問をぶつけずにはいられなかった。作業が終わり扉を締め切ると、私は彼女に質問をした。
「もしかして……ハンク、ですか?」
「さすがに才女と言われるだけあるな」
「そんな、バカな……」
その時の私には、それくらいしか言えなかった。だって……妄想の人格が、他の人に移るなんて。
──あり得るはずがない。
みーくんのSAN値が削れていくぅ……