校長室に運び込んだ二人の容態はいいものではなかった。
佐倉先生は高熱を発していて、意識が戻らなく、うわ言のように『ごめんなさい』と謝り続けていた。噛まれた部分は一応消毒をして、水で洗浄して、包帯を巻いておいた。やったのは若狭先輩。元保健委員だったらしく、その手際は相当に良いと思われる。ただ、噛まれるのではないかとビクビクしながらだったので、作業自体にはかなり時間を要した。
「これを注射する」
莉緒は、いやハンクは、傍らに置いてあったケースからある物を取り出してこう言った。それは玩具の銃のようにも見えるが、私はそれを見たことがある。映画とかで出てくる押し付けて注射するタイプの注射器だ。
「そ、それ。何だよ?」
「特効薬であればいいのだが、そこまで完全ではない、らしい」
恵飛須沢先輩の問いに、にべもなく答える彼女。
「それって……治験は、臨床試験は通っているんですか?」
確かそういった試験を経ていない薬品は、使ってはいけないもののはず。ハンクが大人であるならそれも答えられると思ったのだけど、彼女は軽く笑って手を広げた。
「そんなもの、通る筈もない。何せこの感染症自体、日本の政府は元より世界のどこの国でも認知はしていない」
「そんなものを、佐倉先生に射つつもりなの?」
「ああ。少なくとも関係スジの作ったものだ」
「「関係スジ……?」」
「ランダルコーポレーション。聞いたことはあるだろう?」
思い当たるなんてものではない。ランダルコーポレーションと言えば世界企業でも有数のビッグネーム。基幹産業は薬品製造だけど、その他にも色々と手を伸ばしている。
ここ巡ヶ丘に日本支社があり、周辺の開発にもかなり関わっているらしい。そういえばこの巡ヶ丘学院高等学校も、そのうちの一つだった筈だ。
「もういいか?」
「ま、待って、下さい」
急くように言うが、あいにくと頭の回転がついてこない。分かるのだ。感染症だとすると細菌なりウィルスなりが廻り切る前に投与して阻害する必要がある事くらいは。
でも、ハンクがなぜ、それを持っているのか。そこを明らかにしない限り、信用する事はできない。私は恐る恐る聞いてみた。
「入手場所? リバーシティートロンの地下避難シェルターだ」
「え、ええ……?」
リバーシティートロン。
巡ヶ丘の市内にあるショッピングモールである。な、なんでそんなところに。
私が驚愕している間に、彼女は行動を起こしていた。
「クルミ、タカエ。済まないがサクラの身体を押さえていてくれ」
「お、おう」
「任せとけ」
先輩たちが佐倉先生の体を押さえつける。そんな事をしなくても、今の彼女は明らかに弱々しい。だけど、いきなり凶暴化して噛み付いてくるのが『かれら』なのだ。
足を押さえる若狭先輩などは目を瞑っていた。佐倉先生とはかなり親しい様子だし、辛いに違いない。
その右腕に機材を押し当て、プシュッという音がする。投与されてもすぐに効果がある訳ではなく、佐倉先生は未だに熱に浮かされたように呟き続ける。「ごめんなさい、ごめんなさい」と。
もう一人の方は、怪我はしていなかった。ただ、意識を取り戻す様子はなく、昏昏と眠り続けている。
看病についているのは小学生の瑠璃ちゃんと同年代にさえ見えかねない丈槍先輩。思ってはいけないのだけど、どう見ても微笑ましい。
「今は寝ていてくれた方が有り難い」
その様子を一瞥して彼女が何をしているかというと。なんと、使っていた拳銃や彼の所持していた拳銃を分解していた。
私より小さな手が、器用に拳銃をバラバラにしていく。まるで魔法のように思える。近くで見ていた圭が目をキラキラさせている。
「うわー、あの映画でもやってたよね。こーいうの」
あの災厄の日に見ていた映画にもこんなシーンがあった。エージェントが銃のメンテナンスをしているシーンだったと思う。尤も、そのエージェントは三十代のイケオジだったので、違和感が凄いのだけど。
ただし、使っているのはタオルや手ぬぐい、後は某メーカーの有名なアレ。先端ノズルを付けて時折シューシュー吹きかけ、拭ったり磨いたり。手際が良いのだろうけど、それも違和感であったりする。
「お父さんが扉の蝶番とかに使ってたやつだ」
「これでもきちんと洗浄できる。それに、入手しやすいからな」
「へえー」
確か自転車用品とかにも置いてあったと思う。
「長い間仕舞われていたせいか動作に違和感があった。本来はノズルの清掃だけでも構わなかった」
カシン。
遊底をスライドさせる動きもスムーズだ。説明によるとこちらのスマートな方はスタームルガーmk.Ⅱ、よく見る形状の少しゴツい方はP226というモデルらしい。
「
「……なんでそんな物を持っているんですか?」
カシン
拳銃のスライドが鳴る音が響く。
まるで、場が凍りついたかのような錯覚を覚えた。
聞いてはいけない事なのかもしれないけど、聞かないで済む話でも無い。場合によってはハンク、そしてその媒体とも言える半澤九郎やその親族も犯罪を犯していた可能性があるのだ。
それを咎める権威が効力を発揮するとは思えないけど、倫理観というものは簡単には覆らない。
「拾ったのだが?」
にも関わらず、彼女は(主張から言えば彼なのだが)さも当然と言ってくる。
「こんなものがどこに落ちてるのですか? ここは日本ですよ?」
「平和で治安の良い国だったのは知っている。こういった物に手が届く人間も少なかっただろうな」
そのとおり。一般の警官だとしても、安全性重視の
「先ほど使った薬品と同じ場所で入手した」
「え……?」
にわかに動揺が広がる。
圭と一緒に避難していたあの場所に、そんな物があったなんて。
「あのショッピングモールはランダルが出資しているそうだな。隠れ蓑としては都合良かっただろう」
……意味が、分からなかった。
日本の、どこにでもあるショッピングモールの地下に、なんで未知の感染症に対しての薬品とか、拳銃なんてものがあるのか。
現実感の乏しい発言はさらに続く。
「そちらの銃で自害していた。ああ、安心してくれ。それはヤツの使っていた物ではないから」
「り、莉緒ちゃんっ!」
「……ああ、済まない。配慮を欠いた発言だったな」
おざなりに頭を下げる
それもその筈だ。そんな話を聞かされれば、私だって青褪める。ほんの少し前までは、普通の女子高校生だったのだから。
「隠してあった拳銃は全部で六丁。荷物の都合で持ってこれなかった小銃もあった」
「あ、ありえません」
思わず、大声を上げてしまった。空気がうまく吸えずに息が浅くなっている事を自覚する。なのに、彼女は顔色一つ変えない。
「常識を超える事象に直面すると、大抵の人間は思考を放棄する。そういう意味では君は、至極理性的だ」
坦々と語られる言葉は、まるで物語の語り部のようだ。こちらの動揺などを意にも介さずに続けられる。
「生き残るためには考えることを放棄してはいけない。だが、思考に耽るだけでもいけない。最善を考え、冷静に迅速に行動することが肝要だ」
「……莉緒ちゃん、言ってることが難しすぎるよぅ」
丈槍先輩が涙目で言っている。彼女は中身がハンクに入れ替わっている事を理解出来ていないようだ。
……いや、私だって理解はしたくはない。
だけど、あの青年のもう一つの人格と非常によく似ているのだ、今の彼女は。
それは言動だけではない。
拳銃を用いての正確な射撃や、撤退時の判断などを考慮しても、ハンク自身であることは疑いはない。
つまり、そうであると認めるしかないのだ。
丈槍先輩以外の全員も、恐らくそう思っているはずだ。
「ハンク……よう。それで、これからどうするんだ?」
「そうだ。佐倉先生が噛まれて、アイツは目を覚まさない。ヤバイぞ」
「く、九郎さんは、ちゃんと目を覚まします」
「でも、今はアテにできない。それぐらい分かんだろ? りーさんっ」
「……」
先輩たちの言い争いはこれからへの不安の表れだ。これまで中心的だった半澤九郎の不在と、佐倉先生の感染、それにハンクが不明瞭な存在だと判明した事も大きい。
カシンッ
金属音が響く。莉緒が拳銃に弾倉をはめ込んだ音だ。注目を集めるためにわざと大きくさせたのだろう。彼女は皆を見回してこう言った。
「戦うための武器はある。だが、それを扱える者はここにはいない。ならばやる事はただ一つ。扱えるようになればいい」
「
寒くてスマホでも更新できない……手袋買わなきゃ (ヘタレのたわごとw)