本当に申し訳ないm(__)m
暗い道を走る夢。
いつの頃からか見るようになった、お決まりの夢。
アメリカの下町のような通りを走る俺は、なにかに追われているらしい。喉はひりついて激しい渇望感に襲われていた。
『xxxxx……』
呻くような声がはるか後ろから聞こえた。通りの横道へ曲がり、建物の陰に隠れた所でさらに加速した。すでに体力は無くなりそうだが、なんとか無理やり動かす。
前に出てきた人間のようなものが、俺を止めようと掴みかかってくる。咄嗟に首筋に肘を叩き込むと、そいつはもんどり打って倒れた。気にしている場合ではない。すぐに逃げないと、ヤツが来る。すぐに駆け出すと俺は懐から何かを取り出した。
「ちっ、予備弾倉持ってくるべきだったぜ」
走りながら、拳銃の弾倉に弾を詰めている。弾はカーゴパンツのポケットから鷲掴みにして出している。何発か落としているけど、そんな事もお構い無しだった。
夢だからこんな事も出来るのかと、客観視する自分もいる。おかしな話だ。
「くそったれっ!」
フル装填した拳銃で、迫るソイツらを撃っていく。弾の限りはあるし、敵の数も分からない。的確に頭だけを撃ち抜いていく自分の腕に、僅かながらに余裕が生まれた。
「xxx、見たか。俺だってやれるぜ」
凄腕の同僚に見せてやりたい。今の俺なら十分競えるレベルの筈だ。
そうして思い出したのは、一人の女。
「xx。無事だよな」
ヤツが俺を追っているのなら、無事な筈だ。いつもの憎たらしい笑顔を思い出すと、力も湧いてくる気がした。
「……死ねねぇよな」
ふと呟いた言葉に、俺は目が覚めるのを自覚した。
「……う、うん……?」
そこは暗い部屋だった。変な夢を見ていたせいか、冷や汗が身体を濡らし気持ち悪かった。よく見ると校長室なので、タオルを探す。すると、もう一人の寝息がするのに気が付いた。
「うう……」
「……めぐねえ……?」
ソファの脚に手錠で括り付けられためぐねえが、苦しげに呻いていた。
そして俺は、さきほど起こった惨劇をようやく思い出した。急いで近寄ると声をかけた。
「めぐねえ、大丈夫か?」
返事は、ない。苦しげに呻いているのは肩口に巻き付けられた包帯が示していた。
拘束されているところを見るに、悠里や胡桃たちは処置はしたけどとりあえず隔離、という形にしたのかもしれない。
その首筋に触れると驚くほどに冷たい。すでに『かれら』化が進んでいる状態にあると思って間違いない。
俺は自分のリュックを探した。
「び、予備が……あった、はず」
汲んであった水のペットボトルをリュックから取り出す。いざという時のために汲み置きしているものだ。
ついでに抗生剤も投与しておこうと保管ボックスへ向かう。原作では投与していたし、栄養剤だと断じていた向こうの青襲は実物を見てはいない。効果が皆無とは言い切れないのだ。
だが、そこには使用済みの注射器しかなかった。中の薬品が空になっていたのだ。
『……誰かが投与したのか?』
そうとしか考えられなかった。
中には説明書もあり、分かりづらい文言で書かれてはいるけど、
だが、疑問も残る。
ここにこれがあると知らなければ、開けて投与するなんて出来はしない。俺は誰にもその事は教えてはいない筈だ。一体誰が、ここにある
「……ぅぅ……」
……考えていてもしかたない。
それより一刻も早く、この水をめぐねえに飲ませなければ。本当の特効薬はこちらなのだ。
俺はボトルキャップを開け、その口をめぐねえの唇に当てる。いきなり発作が始まり、噛みつかれるかもしれない。
でも、そんなことを言っている場合ではない。首の後ろを右腕で支え、左手で水を注いでいく。
「かふっ、ぅ、けほっ」
「めぐねえ、ちゃんと飲んでくれよ……」
薄紫色の唇から、水が溢れる。どうもうまく嚥下してくれない。意識のない人間とはそういうものなのだろうか。だとすれば手の打ちようが無い……。
「……ぅ」
顔色は土気色で、息もか細い。
身体は冷たいのに汗が額に滲んで、桜色の髪が額に張り付いていた。痛々しくて、とても正視してはいられないけど、目を逸らすことも出来ない。
ふと、出会ったときの事が思い出された。
それはまだ在学中の話。
下校時刻も近くなっていた頃、作業用の一輪車を押すめぐねえを見かけた。
その上に積んだ肥料の袋は三つ。女性の手には余るように思えた。あまりにも不安だったので手伝うと声をかけると、彼女は自分の仕事だと言って断ってきた。
「先生こう見えても、おっとと」
「危なっかしいっなぁ」
押している手押し車がバランスを崩しそうだったので横から手を貸した。
「あ、ありがとう」
「このまま屋上? なら、担いだ方が良くね?」
「職員用のエレベーターがありますから、このままでいいんですよ」
「さいですか」
そのまますり替わるように一輪車を押すと彼女はようやく諦めたようだ。少し先に歩いて階段の奥にあるエレベーターのボタンを押す。
「──君は、妙なひとですね」
「そうですかね?」
「自覚無しですか? これは相当なモノです」
エレベーターの中で、そんな会話をした。まだあどけなさが残る新任の教師であるめぐねえは、気さくに話しかけてくる。元より生徒との距離が近いとの評判の彼女はこの頃はより近いため、勘違いをする男子生徒が続出する事態を起こしていた。
先輩の神山先生が事あるごとに注意をしているのを見かけたことも多かった。
「こんなの、部員に任せとけばいいのに」
「今日はみんな、用事があるらしいのよ」
「体よく使われてるだけって自覚ある?」
「! ……むぅ」
お返しのイヤミに頬を膨らませるその姿は、やはり可愛いとしか思えない。威厳ある教師像とは全くかけ離れた存在。それが彼女なのだ。
エレベーターを降りて三階に。屋上へは中央階段からしか行けないのでどうするか聞くと、階段前まではそのまま行っていいそうだ。
「お、半澤。今日は園芸部の手伝いか?」
廊下で男性教諭に声をかけられた。
「佐倉先生の手伝いっスよ」
「感心感心。早く帰れよ」
「ウィッス」
「失礼します」
丁寧にお辞儀をするめぐねえにその教諭はやや顔を赤らませて答える。既婚者の男でもこうなるのだ。そういった事に免疫のない男子生徒に刺さりまくるのは自明の理だな。
「半澤君は田川先生と親しいの?」
「田川は空手部の顧問だからね。入学当初は熱烈なアプローチだったんスよ」
もっとも、それは田川に限らずだった。他の運動部系は軒並み勧誘に来ていたのだ。それを全て断るのはなかなかに骨であった。
「今更だけど、部活には入らないの?」
中央階段に着いた所で、めぐねえがそう言ってきた。一輪車はここまで。俺は肥料の袋をまとめて肩に担ぐと、上に向かって歩き出す。三十キロの負荷は意外とキツイが、なんてことはない。
「は、半澤くん。私も持つからっ」
「いいっていいって。これも鍛錬、だよ」
正直言うと、危なっかしいので。のしのしと階段を登り、屋上の扉を開く。そこは既に夕焼けの朱に包まれていた。
肩に担いだ化成肥料の袋を園芸部のロッカーに積み込みながら、俺はさっきの問にこう答えた。
「俺の目的は身体を鍛える事なんで。偏るからダメなんですよ。一つの部活だと。総合的に鍛えてかないと、いざという時に頼りにならないんでね」
自分の持論を言うと、彼女はなんだか不思議そうな顔をした。
そしてこう聞いてきた。
「いざというときって?」
めぐねえが、不思議そうに小首を傾げてそう言ってくる。平和ボケという言葉がよく似合う姿だった。
確かにあの頃の状況では、そんな事を考える人間のほうが絶対的に少なかっただろう。いつもと変わらない日常が、明日もまた来ると信じて疑わない……そんな、普通のひとの、普通な応対であった。
「めぐねえは、暢気そうだもんな」
「のんき……、っていうか、めぐねえとか呼ばないで下さいっ」
「ははっ♪」
「もうっ、笑うんじゃありませんっ」
ちっとも怒ってないような様子のめぐねえとのくだらないやり取り。
普段は見せない少し柔らかなその顔は、やはりめぐねえらしかった。夕暮れの屋上での僅かな逢瀬ではあったけど、忘れられない思い出だった。
「……君は妙なひとですけど、ずっと先を見据えているんですね。すこし、うらやましいです」
そう呟く姿は、年相応の女性に見えた。
自分の未熟を責め苛む、ただのひとだ。
そんな彼女を励ましたかったのか、自然と言葉が漏れた。
「めぐねえだって、頑張ってるじゃん」
「え……?」
「これだって、生徒のためを思ってやってたんだろうし。偉いと思うよ。尊敬するよ」
「あの……そんな褒められる事では……」
ちょっと褒めると恥ずかしそうに肩を竦める。
その様子が面白くて話し続ける。
「授業だって分かりやすいって評判だし。ただ説明が長いのはちょっと問題だけどな」
「あ、はい。それは神山先生からも言われておりまして……是正していきたいと思っています」
何故かぺこぺこ謝りだすめぐねえに思わず頬が緩む。一喜一憂する様は、まるで実家にいる妹のようで……つい、頭を撫でてしまっていた。
「あ……」
「……(なでなで)」
「……あ、あの……」
「……(なでなで)」
「うう……せんせい、大人なのにぃ」
抗議はしているものの、手を振り払うこともせず……しばらくされるがままだった。さすがにマズいと思って手を離す。
「……私、あなたより年上なんですよ?」
上目遣いでこちらを睨む。しかし前世込みならこちらの方が年上だ。
「なんか、妹を思い出しちゃってさ」
「もうっ 大人をからかって……妹さんて幾つなのよ」
「こないだ二年生になったはず」
「そう……なんだ」
小学生だというのは伝えていないけど間違いではない。中学とか高校とかと勘違いしているかもしれないけど、今は追求はしないだろう。
──そんな、幸せなひとときの、思い出。
あの時と同じように、髪に触れる。
優しく撫でると、少しだけ息が安らかになった気がした。
俺は意を決して水を口中に含むと、彼女の唇に流し込んだ。
「っ……」
こくり。
彼女の白い喉が嚥下した事により動いていた。
代償は俺の罹患。唇の端を彼女が噛んだため、血が滲んでいる。それでも、構うものか。ハンクがいなくなった俺に、存在価値は無い。
俺は彼女を抱きしめ、目を閉じる。
在りし日の姿に戻ってくれと、願いながら。