◇以前は美樹視点、以降はハンク視点となります。
「よし。まずまずの成果だとは思う。各人きちんと休息を取るように」
莉緒が、いや、ハンクがそう言って部屋から出ると、残った私達はほぼ一斉にへたり込んだ。一人だけやけに清々しい顔をしているのは恵飛須沢先輩だった。
「いやー、軍事教練とか言うからビビったけど。何とかなるもんだなっ!」
「そりゃあ、お前さんだけだろ。いたた、腕がいてぇ」
「たかえちゃんに同意……」
柚村先輩と丈槍先輩の意見には私も納得だ。ハンク曰く三割くらいの難易度だったらしいけど、体の至る所の筋肉が痛みを訴えている。
夕食の支度があるから先に抜けた若狭先輩も疲労の色は濃かったけど、羨ましいと感じてしまった。
「これで明日は射撃練習か。楽しみだなぁ」
いや本当に元気だな、
拳銃を扱うにも最低限の体力は必要だと言うことで行った訓練なのだが、平和な日本の、しかも女子にはハードル高すぎると思う。
ぐったりとした私の横にはようやく包帯の取れた圭がみんなにタオルを配っている。
「はい、みーくん」
「みーくんいうな……」
丈槍先輩に付けられたあだ名を圭に呼ばれるのはかなりこそばゆい。
受け取ったタオルはちゃんと洗濯されたもので、ほのかに柔軟剤の香りもした。うちと同じ香りに少しだけ嬉しくもなる。
「シャワー浴びたらちゃんと着替えてください。洗濯機回しますから」
「「はーい」」
今日の訓練を受けていないのは圭と瑠璃ちゃんだけ。そのため彼女は雑用を引き受けている。本来なら当番制なのだけど、脚がまだ本調子で無いのなら仕方がない。もう一人の瑠璃ちゃんはというと、夕飯の支度のお手伝いらしい。
「どっこいせっと」
花のJKにあるまじき掛け声とともに身体を起こすと立ち上がる。あちこち痛いけど、不思議と辛い感じはしない。それどころか少しだけ楽になったような気がする。
「そっか……」
精神的なストレスは肉体的なストレスによって軽減される。佐倉先生がああなって、先には不安しかないのに……でも、そういう事なんだろう。身体はとても正直者だ。
良くも悪くも、今日はよく眠れそうだった。
◇
とりあえず基礎の基礎、といった所までは進めたが、どうなる事か。そもそも年齢の満たない女子には成果は上げづらいだろうが、やらないよりはやった方がマシな筈だ。
基準以上なのはクルミのみ。他の者は継続的な訓練を行えばそれなりに動けるようにはなるだろう。
ケイは怪我のせいで始められないし、ルリは幼過ぎるから仕方ないとして……問題はユキか。反応速度はなかなかだが、如何せん筋力が足りない。あの様子だと的に当てることも難しいだろう。
否定的な意見ばかりのようだが評価出来る者もいる。
タカエは全体的にはバランスが良く、長く仕込めばそれなりになると思う。ミキは広範囲への観察力に優れている。二人はクルミのバックアップには最適だと思える。
そんな事を考えていたら、校長室へと着いていた。扉を開くとそこには。
「……」
思わず声が出そうになったが、すぐに中に入り内鍵を閉める。この状況を余人に見せるのは色々と不味かろう。
ソファーの脚に繋がれたサクラを抱きしめて寝コケているクロウの姿は、贔屓目に見ても恋人同士の逢瀬に見えた。二人とも起きているのならば、だが。
「ふむ」
mk.Ⅱを抜き近寄る。『かれら』化が始まっていればクロウも既にヤラれているはず。近くで見ると、どうもそういう様子は無い。サクラの肌は土気色からは脱してほのかに赤みを帯びている。息も正常だ。
むしろクロウの方こそ疲労が濃く見える。その近くにペットボトルの水……か。
学校の水道から汲んだ水が特効薬などと言われてもそんなバカな、と半信半疑だったが……これほどの回復を見せるなら信じられた。
あの街にもこんなものがあったなら、あれ程の被害にもならずに済んだのに。そう思わずにはいられなかった。
もっとも、これが水だけの効果かは疑わしい。注射した薬剤の効能かもしれないし、相乗効果を表したのかもしれない。
『ん?』
気になる事があった。
クロウの唇の端に僅かな血の跡が見える。まさかとは思うが、彼を起こす必要を感じた。
サクラを抱く腕に対して力は入っておらず、簡単に外す事はできた。ごろりと横に倒して馬乗りになると、銃把で額を殴りつけた。
「イッツッ!?」
「おはよう、クソ虫」
「ん? えっ? 莉緒? そ、そんな悪い言葉、使っちゃいけない」
起き上がろうとする所に銃口を額へ押し付ける。さすがにたじろぐが、行動自体に驚いている訳ではない。
莉緒という存在が、銃を向ける、という事に理解が追いついていないだけだ。
「俺が分かるか?」
「え……り、莉緒じゃないか。お前、俺の電動ガンで遊ぶのはいいけど、それ本物だからな」
リオはなかなかにオテンバだったらしい。まあ、それはさておき。
「当人が一番理解出来ないものだな。俺がいなくなってさっぱり忘れたか?」
この言葉で、顔色が変わった。妹思いの兄から、悪鬼のように。
「ハンク……なのか」
「ああ」
その刹那。クロウは飛び起きた。体重の軽いリオは簡単に転ばされ、顔をあげると彼が拳を固め、見下ろしていた。
「なんで、莉緒の中にいる」
「それは俺が聞きたい。なんで俺はお前の中からはじき出された?」
なんで、と聞いてはみたものの大凡の理由は分かっている。だが、彼はまだそれに気付いていないらしい。構えた拳を振り下ろすことが出来ずに、ワナワナと震えている様は、まるで安い映画のようだ。
「……莉緒と、代わってくれないか?」
クロウが苦しげに言う。
だが、それは叶わない。
「お前の時とは事情が違うようだ。彼女はずっと眠りについている」
「……なんだって?」
クロウの時は、彼が起きていないと俺は行動出来なかった。主はあくまでクロウだったのだ。
だが、リオの場合はそうではない。
彼女の意識が無い状況でも、俺が出てこれる。逆に彼女の意識が戻ったときにどうなるかは分からない。
「彼女はきちんと存在している。それは保証する」
「……嘘だったら、ただじゃおかない」
悔し紛れの返答。実際にどうこう出来る訳はない。精神に寄生しているだけの存在に、どんな事ができる?
だが、悪い気はしなかった。チキンだと思っていたこの男の目に、強い意思を感じたのだ。
「どうでもいいがどいてくれないか? さすがに体格差があり過ぎてどうにも出来んのでな」
「わっ……すまん」
妹を押し倒した形であったと気づいたクロウが頭をかきながら退く。距離を取ると拳銃を肩掛けカバンへ仕舞う。ポシェットというのか? ローティーンの女子の持ち物とかに造詣はない。強いて言えば、容量が少なすぎるか。
「サクラは回復したようだな」
「あ、そうだ。めぐねえ」
慌ててサクラへと駆け寄るクロウ。額に手を当て、首筋と手首の脈を測り、ほっと息を吐く。
「……ハンク。あの注射は、お前が?」
「出自は聞いていたし、栄養剤だと確定していた訳でもあるまい?」
「そうだよな。サンキュ、ハンク」
「
「莉緒の姿で英語使われると、少し驚くな」
「その内話すようになるぞ。この子は賢いからな」
「はは、違いない」
サクラをソファーに横たえる。未だに手錠は嵌ってはいるが、もう外しても問題はないだろう。誰がどう見ても、彼女は健康体だ。ありえない程に。
「クロウ。原作においての回復例というのは、実際はどうだったのだ?」
「え?」
彼は少し考えながら思い出し、答えた。曰く、感染から短い間隔で学校の水を摂取したミキは、後遺症もなく回復。しかし長く感染していたクルミの方には下半身不随を発症していたらしい。
「では、今回の事はあり得る、という事で構わんのだな?」
「……実際、ここまで回復が早いとは思わなかったけど、ね」
クロウも半信半疑といった所か。
「まあ、臨床例が出来たという事は喜ばしい事だ」
「……!」
クロウが『いま、気付いたっ』みたいな顔をする。お前、結構抜けてるな。
「ランダル側へこの件を報告すれば、事態の収拾は可能ではないのか? まあ、一筋縄でいくとは思えんが」
「そ、そうだよな……」
なぜか戸惑う素振りを見せる。
「ためらう必要はない筈だ。検体として扱われても、原作では生きていたのだろう?」
「それは、そうだけど……」
聞いていた話では、原作の方ではかなり終盤だったらしい。時間経過も長く、世界は未知の感染症によって危機に瀕していて……滅菌作戦も秒読みだったそうだ。
だが、現状では事件発生から一月も経っていない。そこまでひどい状況になっていない可能性も十分にある。
「アオソイならランダル側へのアプローチも可能だろう」
あの“ボーモン”というアプリは元はランダルの開発だとか。それならセキュリティホールからのアクセスなども出来るだろう。あの才媛なら既に手法は確立しているかもしれない。
「……気になる事がある」
「懸念材料か」
「ああ。まず、連絡出来たとして彼らがここまで来るのは容易ではないと思う。例のジャミングのせいだな」
原作において、混線や停電による電波の途絶はあったらしい。だが、航空機やヘリの飛行を困難にするほどのジャミングの話はなかったそうだ。
「回収の時にヘリも使っていたし、校舎を半壊させたヘリもいた。使えれば簡単にやってこれたんだ。でも、ここでは勝手が違う」
「ジャミングに関して思い当たる事は無いのか?」
ダメ元で聞いてみたが、クロウは頭を振った。
「……ない。細かい齟齬があるみたいだけど、どれが関係しているのかも皆目見当がつかない」
「なにか気が付いたらいつでも言え。些細な事でも構わん」
「ああ」
空路が使えないとなると手段は陸路しかない。だが。
「陸路で動くしかないとなれば、『かれら』との戦闘は避けられない」
防衛戦を構築しなければ対処できない程の戦力だ。その中を突破するのは容易ではないだろう。
「お前ならどうする?」
「少数精鋭での行軍しかないな。大部隊を動かすと被害が拡大する」
基本的に陸上部隊というのは損耗が激しい。ことに敵が『かれら』の場合、接触=感染という可能性がある。簡単に意志が折れるような兵士を大勢連れて行動すれば、その分『かれら』を増やすようなものだ。
「なので潜入に特化した少数で不要な戦闘はせずにここまで到達。速やかに検体を回収して離脱することが望ましい」
「そうなった時に、他の子たちはどうなる?」
……なるほど。
確かにそれは有り得る。
「一人二人なら余積として回収できるかもしれんな」
「つまり、全員で脱出ということには、ならない……」
消え入るような声色。
だが、そこは無視して言葉を続ける。知っておくべき事なのだから。
本来の俺の仕事ととても密接な関係があるのだから。
「一つ昔話をしよう。俺が回収を命ぜられたのはGウィルスのサンプル、あくまでウィリアム・バーキン博士の確保はついでの任務だった」
「……」
クロウは黙って聞き入る。何を言おうといるのかを、彼は把握しているのだろう。
──アレは不幸な事故だった。
不慣れな部下が誤って博士を射ってしまったが、それ自体は任務に支障はなかったのだ。組織はあくまでそのサンプルが欲しかっただけであり、開発者そのものには頓着していなかった。
サンプルがあれば引き継ぐ事は可能だと言うことでもあるし、元よりあのウィルスには商用価値を見出していなかったフシもある。勝手に自己進化を続けるウィルスなど害悪でしかない。商品としてみる連中はその辺りは理解していたようだった。
「企業側の理念とは当然、収支に帰する。人道的な措置が取られる可能性は今回のケースではほぼ無い。リスクが多すぎるからだ」
「……ランダルだけでなくて、自衛隊とか米軍とかは?」
「国はさらに保守的な立場を取る。助けるのも国民だがそれを行うのも国民だ。ただでさえ防衛線の構築で相当数の被害が出ていると思われる。どの勢力でも基本方針は少数による回収となるはずだ」
クロウが苦虫を噛み潰したような顔をする。だが、着眼点は悪くない。
「ただ、複数の勢力に同時にアプローチをかけるのはアリだ」
「……逆に混乱しないか?」
「目標はここで検体は一つしかない。到達するまでは相互協力する事は十分に考えられる」
複数の勢力が共同でことに当たれば成功率も増すだろう。ランダル側としては責任回避のために独占を狙うかもしれない。その抑止力としても期待はできる。
「ランダルコーポレーション以外に対応可能な組織は二つ。一つは日本政府だ」
日本政府がどれくらいの被害を受けているかは分からないが、防衛線構築のために大規模な空爆をするにはそれを認可する政府がなければならない。他国がそれを行うと侵略する意図があったと見られかねないからだ。
責任を負う事の出来る政府要人が一人いればいいだけの話なので、政府という形ではないかもしれない。しかし、体面だけでも政府なのだ。事実を知ったら無視はできないはず。
「もう一つは……」
「
基本的に、他国への派兵というのは体面が必要だ。国連からの要請で米軍が動いている筈なので大本の方へ情報を渡す必要がある。
「基本方針はこんなところか。ときにクロウよ」
「……ぇ? お、おいっ!」
ずずいと近寄り口に手を添える。
顔を赤らめているとは、本当にヘタレだな。もしや本当にリオの事を懸想しているかもしれんが、それはさておき。
むにっ
「ふぇ?」
口の中に手を入れて頬袋を引き伸ばす。血糊のついた辺りに傷はなく、口中にも傷は見えない。
「ふぁ、ふぁのぅ。ふぁんふ、すぁん(あ、あの。ハンクさん)?」
「ん? 傷はないようだな」
「……あ、あう……」
声がする方を見ると。
顔を真っ赤にしたサクラがいた。
「きょ、きょうだいで、そういうのは……感心しないわ……」
「ち、違うぞ? めぐねえっ」
「私は教育者です。ふしだらな行為は見過ごせません」
「だから、誤解だって」
サクラに誤解を解くように説明をするクロウ……なんだが。どうにも浮気を問い詰められているようにも見える。なんとも平和なことだ。
『……アオソイに聞くべき案件かもな』
何はなくとも彼女と接触せねばならない。これからの方針はそれで決まるだろう。