二人で一人のウマ娘 作:なまたま
→(あなた...って、僕?
慣れない呼び方をされたので、それが僕の事なのかと聞き返す。
「...はい。今私と隣り合っている、トレーナーさんの事ですよ」
→(そんな風に呼ばれたのは、初めてだ
(どうして、そんな呼び方を
「私もこんな風に呼んだの、初めてです」
分からない。
少し潤んだような目と、微かな緊張感が僕の視線を釘付けにする。
暫く無言で見つめ合っていると、ハリボテエレジーがゆっくりと口を開いた。
「...なんて言われても、嬉しくないですよね」
自信なさげな表情と、幾分かトーンの落ちた声。
普段の意地っ張りで努力家な彼女の姿がまるで見えてこない、その陰り方がどうも見てられなくて。
→(いや、すごく嬉しい
すぐ隣の彼女を、軽く抱き寄せた。
どうして、とかは分からないけど、経験則で行った行動は正しかったらしく。
「...えへへ」
すこし強気を取り戻したのを見て、安心した。
→(さて、お寿司食べよっか
『トレーナーさ、殴られたいの?』
―――
―――
『世の男っていうのは!あんなに鈍いものなのか!』
お寿司屋さんから帰ってきて、トレーナーさんと別れた後。
おねぇちゃんはトレーナーさんの態度に憤慨していた。
「しょうがないよ、トレーナーさんだし」
『でも良いの?結局あの二人の思い通りになっちゃうけど』
「良いの。私が決めた事だから」
まぁ、ちょっとデリカシーに欠けるところはあるけど。ムードを察することは多分出来ると思う。
「...えへへ」
『ちょっと抱かれたくらいで、なーに喜んでるの!』
「だって、初めてだったんだよ!トレーナーさんから触って来たの!」
『それはそうだけど...』
さっき、私を抱きしめてくれたんだから。
―――
メイクデビューまであと三週
―――
「返還ッ!トップトロフィーッ!」
朝日がまだまだ眩しい午前九時ごろ。
トレーニングの計画票を書いている最中の僕の部屋へ、秋川理事長がやって来た。
ノックも無くガチャリと鍵が開かれる、相変わらずの不法侵入で。
「こんにちは、トレーナーさん」
→(あの、今度は何ですか?
そして付き人も同じく。申し訳なさそうにするたづなさんに挨拶がてら話を聞いてみると。
「実は...」
トロフィーを毎回用意するのでなく、前の所有者から返還を受け、新たな所有者に同じトロフィーを授与する方法。持ち回り。
歴代トップトレーナーの座から僕が転落したため、トロフィーを受け取りに来たという話だった。
→(ああ、桐生院家の当代...桐生院葵ですか
僕が引きこもっている時期に入って来た新人。一流トレーナーを数多く輩出してきた名家中の名家『桐生院』の苗字を持つ女性。
彼女に歴代トップが取られたのも耳に入ってきてはいる。
いつまで経っても取りに来ないので、トロフィーの存在が忘れ去られているのかと思っていたが。
「はい...先日トロフィーが受け渡されていない事に家の方が気付いたようで、理事長に連絡が入りまして」
「急遽ッ!君の部屋にお邪魔させてもらったという訳だ!」
「あの、非常に残念だとは思います。十八年間苦楽を共にした品でしょうし…ですが一刻を争う状況で、早く渡してしまわないと学院と桐生院家の関係が...」
→(それならどうぞ、持って行ってください
持ち回り式のトロフィーは、様々な人の所を行き来するのが想定されているため、サイズも大きく頑丈であることが多い。
このトロフィーも例に漏れず、僕の獲得してきた中で最も大きなものだった。
→(重いので気を付けてくださいね
「...ふむ、少しは残念がるものだと思っていたが?」
→(肩書に踊らされるのは、もう懲り懲りなので
「かつての面影はもう無い...という事か?」
→(ええ。むしろ清々します
「天晴れ!功績に執着していた画竜に、瞳が付いたらしい!」
→(...
「点睛ッ!くれぐれもその目、滲ませる事なく精進するのだぞ?」
大きなトロフィーを抱えたたづなさん。
その背の向こう側から、開闢と書かれた扇子が確かに見えた。
―――
メイクデビューまであと二週
―――
いつも通りの練習をしている最中の事。
ターフの第一コーナーを曲がりきったばかりだというのに、最後の直線でスパートをかける時のようなスピードになったのは。
→(…あれは?
違和感を覚えて良く見てみると、普段から使っている技能ではない、全く未知の走法。距離が延びれば伸びるほど明らかに向上しているタイムに、その大きな効果。
『トレーナー!見てた?』
→(今の走法、まさか
「ふふふ、こっそり練習してたんです」
走り終えて近寄ってくるハリボテエレジーの、練習していたというワードで確信する。
→(...すごいじゃないか
固有技能に、彼女が目覚めていた事を。
あり得なくはないという程度の希望を、ハリボテエレジーが掴み取っていたという事を。
一瞬で爆発的に加速するタイプではない。
ストライドを広く取り、ピッチをどんどんと上げていくだけの単純明快な技術だ。
それが齎すのは凄まじい消耗と、青天井のトップスピード。
→(...名前は、何て言うんだ?
固有技能の発現は二段階ある。
ハリボテエレジーのこれは恐らくまだ第一段階だが、名前は分かる筈だ。
激しい魂の囁きが、確かな形を持ったのだから。
「えっと、『アクセラレーター』...だと思います」
ただ、やはりまだ完全に目覚め切っている訳じゃない。
いま分かるのは特徴を捉えられなくもない、という程度でしかない仮の名前。
『何となくだけど、そんな感じ!』
その名前に、可能性を感じた。
長距離を常に加速し続けながら走り抜ける、人としても、ウマ娘としても致命的に壊れた異端の技能。
スプリンターとしてのスピードを、ステイヤーとしてのスタミナで加速し続けるその鬼気迫る姿。
まるで姉と妹、二人の技能が矛盾を起こさず混ざり合ったような狂気の業。
これを上手く運用することが出来たのなら...
届くかもしれない。
ハリボテエレジーは、スペシャルウィークよりも、サイレンススズカよりも、エルコンドルパサーよりも、オグリキャップよりも、シンボリルドルフよりも、テンポイントよりも上の―――
―――シンザンよりも強い、ウマ娘に。
「と、トレーナーさん...?」
まだ第一段階だというのに、最後の直線だけはライスシャワーに匹敵する。
ならば、完全に目覚めた時の潜在能力は計り知れない。
→(やっぱり君は、技術の天才だったんだな
ライスシャワーは既に固有技能を完成させていたというのに。
身体能力では、素質では、完全に劣っているというのに。
未完成ですらトップスピードで勝るというのは正しく『技の格が違う』と言える。
「...でも、この技は殆どおねぇちゃんが作ったもので」
→(どういうことだ?
「私、おねぇちゃんが完成させたのを劣化して使えるだけなんです」
『さっきは私が使ってたから、本領発揮できてたんだけど...』
「私が使うと加速効率が悪い上、スタミナ切れに」
長く走れば走る程強くなる、ステイヤーとして最高の技能だ、と浮かれていたら。
ボソボソと欠点が語られた。
その後の話を簡単に説明すると、姉の基礎技能が妹の応用技能相当で。
全く同じ技能を使えはするものの、全てにおいて妹側は劣るという事。
「…私の技術って、全部おねぇちゃんのマネなんです。私はまだ、落ちこぼれのまま」
でも、熟練度の違い…と言うには差が隔絶しすぎている。
(劣化コピーでも、別に良いじゃないか
→(君の努力を、自分自身で否定しなくても良いと思う
僕は、顔を俯かせた彼女に、思ったことをそのまま伝えた。