二人で一人のウマ娘   作:なまたま

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逃げられない

『条件設定、選択』(Juncture)

 

理解できないその表情に困惑していると、エレジーが僕の上に覆い被さって来る。

 

「足りないんです、曖昧な関係のままじゃ」

 

胸と胸が布越しに触れ合い、頬と頬がくっつけられ。

足を絡めとられて、まるで軟体動物同士が絡み合っているみたいに密着する。

 

「...わたしの家族に、なってくれませんか」

 

まるで叶わないと悟っているような、諦めの混じりの表情で零された囁き。

柔らかな感触と暖かい体温、そして香ってくる微かな匂いに否が応でも意識させられる。

 

→(...寝れないなら、僕は出て行くよ

 

それでも、耐えた。

今すぐ壊れてしまいそうな境界線を、寸での所で保ち続け。

はだけたバスローブを着付け直し、足を解いて元の位置に寝かせる。

 

「待ってください!嘘じゃ...」

 

家族、エレジーにとってその言葉が指す意味。

それは彼女を冷遇し、都合が良くなれば利用しようと態度を豹変させるような存在ではなく。

 

→(嘘じゃないなら。今出すべき言葉じゃないと分かっているハズだ

 

恐らく『姉』と定義を同じくするモノ。

庇護し、好意を示し、純粋な身体能力で劣り、そして自分よりも優れた才を持つ人間。

 

「今出すべき、じゃない?」

 

発言が本気なのは分かる。

痛いほどに、痛々しいけど雄弁に、縋るように、彼女の眼が物語っていたから。

 

→(添い寝と同じ。すぐはダメだってこと

 (デビューも近い、無駄な事は止めてくれ【END】

 

だからこそ。その本気は、本来受け入れる余地なんて微塵も残さずに否定しなければならない。

僕は十五でトレーナーを始め、シンザン二年、テンポイント三年、ライスシャワー三年、アグネスタキオン五年、ビッグウルフ四年、引きこもり一年、合計十八を十五に足して三十三で。

対するエレジーは十三。その差は実に二十だ。

晩婚が多い昨今では数少ないだろうけれど、彼女からしたら父親くらいの年齢層にかすっている。

こんな小さな子の提案を受けるなんて、どう考えても非常識。

なのに、異常だと分かっていながらも僕は、消極的な肯定とも取れる返事をしてしまっていた。

 

「メイクデビューで勝てば良いんですか」

 

何故彼女を拒めないのか、自分で自分が分からない。

それでも、受け入れてしまった以上はエレジーが納得できる塩梅で条件を設定する必要がある。

しかし無茶をさせて、ライスシャワーの二の舞になったら本末転倒。

 

 (未勝利戦で勝てば良い【END】

 (そうだ【END】

→(違うよ

 (教えられない

 

故に、勝利の責務は背負わせられない。

脳裏に掠めた候補。大人になったら、という言葉は余りにも傲慢で無責任すぎた。排除する。

嘘はつけない。もしバレてしまったら、その時点でエレジーとの信頼関係が完全に崩壊する。

そんな爆弾を抱え込みたくないし、何より作りたくもない。

後で真実になる可能性があろうとも、嘘になる瞬間が存在するような条件じゃ駄目。

無慈悲な思考の選択肢から、明確な解を探し。

 

 (無敗の三冠

→(URAファイナルズ選出

 (凱旋門賞【END】

 

不安そうに視線を彷徨わせているエレジーに、僕は目標として『URAファイナルズ選出』を提示した。これは人気投票で出走の可否が決まるレース。

秋川理事長の発言にもある通り、出走が認められた時点でスターだという事が証明される。

 

「あの、新設レースに?」

→(そう、出走さえ出来れば良い

 

有馬記念にツインターボが出走出来たように、結果を出せる見込みが無くても達成可能な条件。

エレジーにとっては一石二鳥のはず。

 

「...わかりました」

→(ちょっと厳しすぎたかな

「いえ、そんなことはないんです...全然」

 

なのに、何故か彼女の声は、一層悲しそうに震えていて。

不味い事を口走ってしまったかと思い尋ねてみても、特に問題は無いというから。

 

→(なら、いいんだけど

 

僕は電気を消し。

とっくに限界を迎えていた睡眠欲に身を委ね、ゆっくり瞼を閉じた。

 

―――

 

―――

 

それは、余りに甘すぎる言葉。

 

「...どうして、私は」

 

勝利だけを追い求めた果てに、取り返しのつかない過ちを犯した事。

勝手に無茶をされて、何も知らされずに潰してしまったウマ娘が居た事も知っている。

トレーナーさんが勝てと言いたがらない事情を把握しているから、理解はできる。

 

「こんなに、弱いんですか」

 

でも。

私が勝たなくてもいいのかと、思ってしまった。

 

―――

→(そう、出走さえ出来れば良い

―――

 

他の誰かが勝っても良いと言われているみたいで。

何よりも、期待してはいけないかのように、腫物扱いされているみたいで、イヤだった。

他の人たちみたいに聞き流せず、トレーナーさんの言葉だけが耳に残る。

すぐ隣で寝息を立てている『その人』は黒髪で、童顔で、綺麗な声の持ち主。

お姉ちゃん以外で初めて、私の味方をするって、言ってくれた人。

この人だけには、失望されたくない。

どんなに負けていても、私だけを見て、栄光の舞台を夢見ていて欲しいのに。

 

「...いやです」

 

今の私は、この人へ夢を見せるには余りに弱すぎた。

嫌なほど分かっている。普通の学校でも、地方トレセンでも、中央トレセンでも、いつだって私は弱い。

欲しかった。トレーナーさんにとってのシンザンみたいな。私だけの力が。

でも、写し取る為の光が何処にも見えない。

 

少し考えてみれば、当たり前のこと。

真似するしか能の無いこの身には、自分だけの強さなんてもの、何ひとつとして持ち合わせていないんだから。

 

「おねぇちゃん」

 

目を瞑ったとき、脳裏に浮かぶのは唯一の家族の姿。

両親や親族なんて偽物じゃない、たった一人の輝き。

いつも私を温かく照らしてくれた『太陽』の姿。

 

「こわい」

 

でも、消えていく。

話さないで、離れている時間が長くなればなるほどに残光も薄れて、やがて無くなってしまう。

記憶の燃え滓を掻き集めても、だんだん思い出せなくなってゆく。

せっかく作らせた固有技能も、ステイヤーとしての走法も。

あの日、胸の奥に宿った残り火を使って組み上げたものが、すべて。

 

「こわいよ...」

 

硬く目を瞑り、布団に顔を埋めて息を殺す。

私が作っている声も、今の私の声も、追憶の邪魔にしかならないから。

 

『』

 

もう居ない、頭を出して部屋の中を見回しても。耳を澄ませても、足音一つしない。声なんてどこにもない。でも聞こえる。音ならざる音によく似た何かの、金切り声。

キイキイ、と。錆び鉄の奏でる不協和音が、絶叫となって部屋の中に鳴り響く。

 

「っっ!」

 

恐ろしいだとか、悍ましいなどと、表現しようとする事さえ烏滸がましい。

 

『エレジーはすごいね』

優しい声。

 

『どうして貴方はいつも問題ばかり起こすの?』

『お前もお姉ちゃんにおんぶ抱っこじゃなくて、何かやってみたらどうなんだ』

嫌いな人の声。

 

『エレジーって、頭いいんだね』

大好きな人の声。

 

『小学校のテストなんて満点で当たり前でしょう』

『お姉ちゃんもそうなのに、何を偉そうにしてるんだお前は』

優しくない人の声。

 

『いつもルールルールって、いい加減にしてくれないかな?』

『真面目で良い子してたいんなら家から出てくんなよ』

『空気読めないっていうか、ノリ悪りぃし』

『うざいんだよお前。キモイ』

馬鹿な人の声。

 

『はぁ。何も喋らないんですよ、私達も困ってて』

興味の無い声。

 

『お前のせいで怒られたじゃん』

『何も話さないんなら最初から黙ってろよ、キモウト』

理不尽な声。

 

『悪い事したなら、私が代わりになるから』

庇う声。

 

『どうしてあんな事させたの!?せっかく大会を控えてたっていうのに!!』

『いい加減にしろ。 泣いてればいい問題じゃないのは、俺の子なら分かるだろ?』

 

「...ごめんなさい...ごめんなさい...」

 

『分かってて何故止めない?大会に出れなくて良かったって言いたいのか?』

想起させる声。

 

『先生だって疲れてるんだよ、いい加減にしてくれないか』

諦めた人の声。

 

『おねぇちゃんがいないと何にも出来ないんだな、お前』

『お前ウマ娘向いてねえよ、弱虫』

『あんたさえいなければ良い子なのにね。こんなのが妹でかわいそうだ』

『知らなかったの?笑えるんだけど』

『あんなのホントに信じるヤツいたのかよ、マジでアホだな』

 

―――

 

―――

 

『通学路の地蔵を壊したってのは、本当なの』

『…お前は、居ない方が余程マシだ。迷惑ばかりかけて…申し訳ないと思わないのか?』

『いい加減にして...あんたなんて、産むんじゃなかった』

 

情報の濁流。

知ってる人も、名前も覚えていないような人も。

好きな人も嫌いな人もどうでもいい人も一切区別される事なく、耳を塞いでも頭の中から大型バイクを吹かすような爆音量で騒がれ続け。

 

「きえて、きえて...おねがい、だから...!」

 

聴いているだけで脂汗が滲み、全身がすくんで動けなくなる。

 

「っ!!ぅ……ぁ、い……ぃ、やだ……」

 

激しいノイズまみれなのに、意味だけはクリアに理解させられる。

思い返すのも苦痛で、理不尽だらけの嫌な世界の記憶が、鮮明にフラッシュバックする。

ぶつぶつと全身の皮膚が粟立ち、顎は私の意思に反して暴れ出し。

ついに耐えきれなくなって、喉から微かな嗚咽が漏れた。

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