二人で一人のウマ娘 作:なまたま
―――
―――
理事長室のある本棟を後にして寮へ向かう道すがら。
夜の帳が下り。雨が降る寒空の下で、僕は奇妙な存在を見つけた。
→(ん?
見慣れない黒のウマ耳パーカーを深く被り、『茶色一色のマスク』をつけた小さな子。
ゴミ置き場と焼却炉のある区画に続く、職員用の小さな通路を傘も差さずに歩いている。
→(君、何をしようとして…
「…!」
禁止とまでは言われていないが、生徒は立ち入らないように言われている場所の筈で。
そもそもこんな時間に出歩いているのがおかしい上、よく見てみれば制服も着ていない。
何の為に出歩いているのか聞こうと思い声を掛けると、その子はなかなかの速さで一目散に逃げだした。
足の速さから見るに、恐らくウマ娘だろう。背から推測すると、中等部くらいの年齢である可能性が高い。
見られたらマズイものでも処分しようとしているのだろうか。
袋らしき物を持っていなかったので、あったとしてもそれほど大きな物ではなさそうだが。
…燃やしても良い物なのか確認もせずに入れられたら、後々面倒な事になる。
すかさずその子の後を追いかけた。
―――
―――
追いかけた、のだが。
その子は付かず離れずの距離を保ち、時折足を止め。
追い付かれたらまた一気に引き離し、まるで僕を誘導するように走り続け。
学園内にある地上の屋外通路を全部走らされ、結局最初の道に戻って来る。
→(ま、って…くれ
「…」
そして、焼却炉への曲がり角を曲がった時。
→(え…?
その子は、まるで最初からいなかったかのように、ぬかるんだコース脇を走った泥も、足跡も残さず。
忽然と、姿を消していて。
ただ一点目につくのは、本来閉まっている筈の焼却炉が開いている事だけ。
中を覗き込むと、そこには…
→(『名ウマ娘への道のり』?
(『鋼の意志』の…!?
名前欄に修正テープの上から『エレジー』と書かれた一冊の本が置かれていた。
奇妙な事に、雨が降っている中投入口付近に置かれていたのにも関わらず、水滴が殆どついていない。
(…これは、まさか
→(一体、何の意図があって…?
つまり、焼却炉は最初から開いていて、エレジーが僕の来る直前に捨てたか。
もしくは、前回の焼却から今日までの期間でエレジーは本を捨てていて、焼却炉がついさっき開いたのか。
→(いや、どうなってる…?
だが、そう考えると不可解な点が数多く存在する。
前者は、朝の騒動の原因になった門限破りを、エレジーが日も跨がずにしたという事になってしまう。
その動機が、わざわざ本を捨てる為だけと言うのはおかしいだろう。
そもそも、この時間に捨てなければいけない理由も思いつかないし、例え理由があったとしても、だ。
頭の良い彼女がこんなに分かりやすく、規則違反の証拠を残すような真似をするとも思えない。
なら後者はというと、なぜ横開きの鉄扉が独りでに開いたのか、と言う疑問点が残る。
トレーナー寮は消灯時間が特に決まっていないとはいえ、明日も朝から仕事があるトレーナーが大半の為、大体九時頃には全員寝る。警備員も九時を境に居なくなる。
本棟が閉まり、消灯されるのは一番最後の午後九時二十五分だから、普段通りだと学園内で起きて出歩いていたのは、僕と理事長とたづなさんだけの筈。
本のページをめくってみると。
セロハンテープで補修されたページが、その上からマジックで塗り潰され判読出来なくされていた。
文字も、絵も、ページ数すらも。
→(…エレジーじゃないな、これは
捨てる本をわざわざ治し、塗り潰して深夜に捨てるなんてどう考えてもおかしい。論理性が破綻している。
トレーナー寮への通路は東、その途中の分かれ道が焼却炉に繋がっている。
理事長の寝室と食堂へは西、バッキングするはずがない。朝の騒動があったばかりなのに出歩くようなトレーナーも恐らくはいない。警備員も。
ならば残るは『ウマ娘』。
寮長も既に就寝している時間、窓から抜け出すのも窓から帰るのも身体能力的には可能。
だが前述のとおりエレジーである可能性は極めて低い。
となると、それ以外のウマ娘がエレジーの本を焼却炉に捨てたという事になる。
→(わざと、捨てられた…?
嫌な仮説が浮上する。
エレジーが、先程のウマ娘に敵意を抱かれていたら、という嫌な前提の上に成り立つモノだが。
→(一度、考えてみるか
矛盾は、ある程度解消出来そうだった。
―――
―――
先程のウマ娘が着けていたマスク。
アレはエレジーだと誤認させる為の物だ。
本物はおととい僕がエレジーから預かったので、今も胸ポケットに入っている。
それに本物はツギハギなので、左右の色が微妙に違う。
僕を相手するにはあまりにお粗末なカモフラージュだが、他の人なら騙せる。
黒いパーカー。
アレは、誤魔化しようがない髪形や、髪色を隠す為の物だろう。
雨に濡れるとウィッグやカツラは地毛との差異が目立ちやすく、不自然になるから。
→(…うん
服装についての推測はこれで完了、次は行動から予測する。
黒パーカーは真っ直ぐ焼却炉に向かわなかった。
それは何故か。
恐らく、最初に追いかけた時点では、まだ向かえない理由があったと思われる。
説としては、事前に扉は開いていたものの、エレジーの本をまだ捨てていなかったか。
もしくは、事前に捨ててはいたものの、扉は僕の来る直前に開きたかったか。
『焼却炉の扉が開いていて、かつ、本が殆ど濡れていない』
という状況を作り出すことはどちらでも可能なので、さして重要ではない。
次に、彼女が僕をわざわざ誘導した理由。
それは、エレジーがその日の内に門限を破ったと誤認させる為。
人数に関しては、もう答えが出ている。
単独では出来ない。焼却炉は建物から離れているし、鉄扉はかなり重い。濡れずに本を投下したり、扉を開けるトリックを仕掛けるのは非常に困難だ。
僕が黒パーカーをずっと追いかけていたので、捨てるか開ける役が最低でも一人必要になる。
本の裏表紙に書かれた数字。第1版第1刷発行年月は、今から八年前。
つまりこれは、彼女が五歳の頃に刷られた、破れたページを補修する程に思い入れのある大切な本と言う事。
…それをグシャグシャにして燃やされた挙句、無実の罪で僕に叱責なんて受けたら、彼女がどれだけ傷付くと思っているのか。
→(…これが、正解なら
僕に焼却炉を確実に見させるのは今日しか出来ないので、この作戦は朝の事を知った誰かが夜までに考えたんだろう。急造で組み上げられた策らしく犯行の成功率には疑問を覚えるものの、保身に関しては舌を巻くほど上手い。
まず、いくら古いとは言えモノは別段希少な物ではない点が挙げられる。
『名ウマ娘への道のり』という本自体は何度か本屋で見かけたことがあるし、今でも入手することが出来るだろう。
本の思い出なんてものは、何も知らない部外者からすれば、いくらでも捏造できるものにしか見えないのだ。
初版であるという事を加味しても、被害額で見た時は一万円にもなりはしない。
それに、証拠が少なすぎる。
茶色マスクも黒パーカーも、外出して学園外で処分されればまず発見は困難になる。
手荷物検査を行えば誰が実行犯かを特定するのは可能だが、本は既に潰されているので犯人を見つけた際に得られるメリットが薄かった。
→(狡猾な…
更に言うと、トレセン学院の運営費用を一部国が負担しているのも要因の一つ。
生徒の本一冊が燃やされかけた、というだけの理由で全生徒に対し、非常に手間と時間の掛かる手荷物検査を実施したらどうなるか。
すぐさま誰かから情報が洩れ、税金の無駄遣いだと非難を受けるのが目に見えている。
ようは、客観的に見た時に理由が弱すぎるので、大それた調査をするのは難しいんだ。
まぁ、秋川理事長なら承知の上で対応してくれるとは思うけれど…
部外者の目線がどれだけ厳しいモノなのかは、僕自身が十分以上に体験している。
今ただでさえ危うい立場にいる彼女が、無関係な人間の食い物にされる可能性は否定できない。
だからと言って別の方法で特定しようにも、靴はトレセン学院指定の物を履いていたし、足跡は雨で流されてしまっている。身長も個人差が大きい上、僕の目測では判断材料になり得ない。
失敗時のリスクを最小限に抑え、成功時のリターンを最大化する。
これは、以前僕が言った賭けに於ける考えだ。
犯人にとって『彼女を傷つける』のがリターンだと考えれば、なるほど確かにこれは『理想的な賭け』と言える。言えるが。実行される側に回ってみれば非常に厄介でしかない。
思い返せば、兆候はあったのかもしれない。
そこそこ長い期間僕は担当として付き合ってきたのに、一度もクラスでの話を聞かされた事は無く。
また、休日に予定があるという話も聞いたことが無い。
→(取り敢えず、明日エレジーから話を聞いて…
なら、その理由は何か。
そこまで考えた途端、頭が激痛を発し始め、たまらず手を当てる。
どうも、ストレスと雨中マラソンの疲労に身体の方が耐え切れなかったらしい。
勘は良く働いてくれるけれど、どうも調子が狂う。
→(…頭が、痛い
さしもの僕も限界を感じ、寮へ帰る事にした。
―――
―――
そして、今度こそ何事もなく寮へ帰宅した僕が、ベッドに腰掛けて『名ウマ娘への道のり』を精査している時の事。
→(…ん?
全ページを捲り終え、最後にカバーを取ると裏表紙が露になり。
その間から一枚のしおりが足元に滑り落ちて来た。
透明なラミネートフィルムにクローバーが挟んである、形式としてはよくあるもの。
→(これ、千切ったのかな…?
驚いたのは、葉の枚数だった。
クローバーはその殆どが最初は成長点を三つ持っており、人間や動物から踏まれたりして傷ができると、成長点が増えて四つ葉や五つ葉になっていく。
多葉性クローバーが、人通りの多い場所の方が見つかりやすいというのはこの性質が関わっている。
なら、その逆はどうかといえば。
成長点が後から減ることはないので、遺伝子操作をされるとか、余程の事がない限り葉の少ないクローバーは突然変異でしか発生しない。
目を擦る。
いくら凝視しても、何処にも裂け目が見当たらない。
→(二ッ葉、か
『素敵な出会い』の花言葉を持つ、本物なら四つ葉以上の奇跡の産物。
部屋の中を照らす無機質な光を消し。
曇天の隙間から差し込む、鈍い月光。
翳すと映る、黒い影。
僕はその双葉が、物寂しく見えて。
→(…何を、考えてる
青いバラに、酷く似ていると感じてしまった。
→(エレジーに限って…
悲劇の予兆。
音を発することも無く、ただ静かに佇むその在り方がどうも不吉に思える。
負けん気の強いエレジーが、いくら精神的に弱っているからと言ってそんな選択をする筈が無いのに。
第一、お姉さんの件でそんな真似をすればどうなるかは彼女自身が一番良く分かっている筈だ。
(…明日に響くし、もう寝ないと
→(…シャワーでも、浴びるか
でも、一度考え始めると脳裏にこびり付いて離れない。
悪い事や、嫌な想像に限ってこうなる。
エレジーじゃないが、こんな状態で寝たらそれこそ悪夢でも見てしまいそうで。
朝へ後回しにするつもりだったシャワーを、今浴びてしまおうと思い部屋の扉を開けた。
―――
―――
廊下の光源は非常口の緑光のみ。
薄暗く、響く雷雨で音すら滲むようで、不明瞭な空間。
その中で、背後から近寄る気配を感じる。
「…よお」
→(君は、ライスの…?
剣呑な空気を纏った、大男。
いや、大男というのは、僕が小さいからそう感じるだけだろうか。
→(どうして、こんな時間に
「…いや、俺も少し反省しててな」
だが謝りに来たというには、大男の手に握られている物は似つかわしくなかった。
良く見えないけれど、L字バールのような…
「だから、待ってたんだ」
→(…何をだ
憤怒と言うほど、衝動的ではない。
激しくなくとも、確かに燃え続けている。炎と言うよりは、溶岩のよう。
「お前が、一人になるのを」
形容するならば、憎悪そのものと言える表情。
それが、大男の顔に張り付いていた。