二人で一人のウマ娘 作:なまたま
カース
窓際から大男は歩き始め、彼我の距離は十メートルほど。
「お前のせいだ」
しかし、だんだんと距離が近づくにつれ、違和感を覚え始めた。
なにせ、その体格ならばするはずの足音が殆どなかったのだから。
この寮は土足が基本なので、摺り足ですら多少なりとも砂や土の擦れる音くらいはする。
ましてや今日の天気なら尚更。普通なら泥か乾いた砂音が聞こえてくる。
「お前がまた、トレーナーをするなんて、絶対に許さない」
…いや、そもそも。
本当に僕を待っていたなら、
男性トレーナーは階が同じで、確か青年の部屋は僕よりも階段側だったはず。
ならば、何故反対側の窓際に居る?
→(君は…
そして、非常口の灯りの下に歩みを進め、薄く照らされた姿を見て確信した。
さっきは暗がりで遠目には判別できなかったが、髪形も服装も体格も全く違う。
何よりも、学園内では着用が義務付けられている、トレーナー資格のバッチが付けられていなかった。
この大男は、トレーナーですらない。
「黙れ、人殺し…!」
それだけ言うと大男は足の踏み込みで床を軋ませ、巨体の重心を前に傾けて。
跳ねると同時に、凄まじい速度でバールを振るう。
悪寒を覚え咄嗟にその場から飛び退くと、大男のバールは一秒前まで僕の頭があった場所を正確に擦っていた。
軌道は円を描き、執拗に僕の脳天を付け狙って。
大男は無言のまま、バールを地に着けるような真似もせず。
とにかく静かに、不可解で合理的な殺意を以って二の太刀を放つ。
「避けるな…!」
本の精査と追いかけっこのせいで、理事長室を出てからもうずいぶん経ってしまっている。
助けを求めるような真似をすれば大男から逃れられても、何故この時間まで起きていたのか不審に思われかねない。
「何で、当たらない!」
都度三度、経験に従い高速の凶刃を躱す。
第三者に頼りづらい状況ではあったものの、まるで危機感は抱けない。
(…『誰だ』(END)
→(…大振りすぎる
闇討ちをされるのは、これが初めてじゃなかったから。
たしかに彼の攻撃は速くて重いが、見た目から想像されるよりは遅い。
僕からすれば恵まれた体格からの重撃より、無力そうな人間が繰り出す鋭い一撃の方が余程恐ろしい。
さらに付け足せば、経験不足からくるものだろうとは思うけれど、小柄な相手に『当てる』振り方もできていない。
「クソ、クソッ!どうして!」
そういう意味で言うなら、僕にとっての天敵は『ウマ娘』だ。
耳を隠されると完全に意表を突かれるし、僕が相手したことがある人間は殆ど相対的に大柄な者ばかりなので、小柄な相手の経験は足りない。
こんな素人より、エレジーに組み付かれた時の方がよっぽど怖かった。
→(そろそろ、満足したかな
肩で息をする彼に、ゆっくり近づいて顔を覗き込む。
敷地内に侵入するだけでも本来はアウト。
それのみならず、女性もいるトレーナー寮に立ち入ったとなれば彼もただじゃ済まない。
僕も騒ぎにはしたくないので、ここらで手打ちにと思い声を掛けたが…
「いい加減に…!」
彼の気勢はあまり削れていないらしく。
振るわれた無言のバールを側頭部スレスレに躱しつつ、右腕を固く引き絞る。
テンションの張った一本の弦のように、極限まで。
→(…いい加減にして欲しいのは、僕の方だ
体格で不利があった。
時間を掛ければそれだけ相手も学習する。
一撃貰えばそこから形勢は逆転するだろう。
…ならば、先手必勝、短期決戦、一撃の下に沈めるしかない。
左半身を前に突き出し、構え、左足の膝の力を抜く。
後ろ足は前足に沿う形で引きつけ、体が前に倒れていく力を使って、前足を滑らせるように前進する。
頭は上下せず、両足は同時。大きな筋肉運動は発生せず、動き出しを相手に悟らせない。
滑るように彼の懐へ入り込む。
「っ!?」
息を呑む音は、聞こえない。雨音も、鼓動すらも。
余分な情報を完全に切り捨て、眼前にあるモノがどう動くかに全神経を集中させる。
→(護身術くらいは、覚えてるよ
スローモーションに伸びて来た掴みは左腕で即座に打ち払い。
顎が無防備に曝け出されたタイミングを見計らって、掌底を叩き込んだ。
「ぁ…ッ!」
ビクン、と一回大きく痙攣し、膝から崩れ落ちる大男。
頭を打ち付けないように、途中で抱きかかえてゆっくり寝かせる。
→(はぁ
メイクデビューも近い。
これ以上余計なゴタゴタに巻き込まれるのはもう嫌だったし、何より今から理事長やたづなさんを呼びに行く気力もなく。
大事にしても双方が不利益を被るだけ。
なので僕は、とりあえず彼を学園の敷地内から放逐することにした。
→(…あれを使うか
部屋に戻り、一つの粉包を机の引き出しから取り出す。
僕が不眠症になっていた頃、アグネスタキオンが作ってくれた睡眠薬。
身体の弱い僕の為に、負担が低くなるよう調合されている。
僕はその薬を暖かめのぬるま湯で溶かしたものを、スプーンで少しずつ大男に飲ませ。
風邪をひかないようタオルで彼の身体を軽く拭き、古くなったコートを毛布代わりに掛けてから、学園の前にある上屋付きのバス停のベンチに寝かせて来た。
―――
メイクデビューまであと一週
―――
その後は特に何も無く。
一昨日寝なかった分も昼過ぎまでたっぷり睡眠を取り、栗東寮の入り口でエレジーが本棟から帰ってくるのを待っていた時。
「君は、先程からやけに辺りを見回しているようだが」
晴れ渡る快晴の夕日に照らされ、茜色の深まるレンガ道。
それを威風堂々と歩く、葦毛の長髪に特徴的なひし形の髪飾りを付けたウマ娘。
オグリキャップが声を掛けて来た。
「…ここの生徒に、何か用事でもあるのか?」
首を少し傾げ、まるでそうするのが当たり前のように相手の要件を引き出そうとするその姿。
模擬レース時にパドックで見せた、周囲の視線を釘付けにする無口な人気者といった印象とはうって変わって、意外にも親近感があるというか。思いやり深そうに映る。
→(まぁ、ちょっとだけね
「私の知っている子だったら、今から呼んで来るぞ」
だが、別段急いでいるという訳でもない。
それに、エレジーは中等部なので、高等部のオグリキャップとは恐らくお互い面識が無いだろう。
せっかくの厚意を無下にするようで申し訳なく思うが、条件にも一致しないので断りを入れる。
→(大丈夫だよ、時間に余裕はあるから
「…?余裕なんて、何処にも無いじゃないか」
→(どういうこと?
「入校時に渡された冊子にも書いてあるだろう?入学希望者の見学は、放課後までだ」
僕が聞き返すと、彼女は諭すように優しい語り口で理由を説明してくれた。
まるで、年下の子に接するように。
→(まさか
「まだ読んでいなかったのか?」
入学希望の見学者と言うことは、他校で高校三年生以下の女子生徒。
僕は、とんでもない勘違いをされているのではなかろうか。
「しょうがない。人探しは手伝ってあげるから、名前を…」
確かに僕は最近の新人たちとは違って、体力テストが必要無かった時代にライセンスを取ったからトレーナーらしからぬ程にちっちゃくて華奢ではある。
ビッグウルフに、かなりの女顔と揶揄われたことだってあるけれど。
→(…僕はトレーナーだよ、オグリキャップ
肌身離さず持ち歩いているライセンスを見せると、彼女は無表情を破り。
少し目を見開いたかと思えば、申し訳なさそうに目じりを下げた。
「す、すまなかった…大人には見えなくて、つい」
→(よ、余計に失礼な…
…この見間違えは、流石におかしいだろう。
「ただ、なら何故寮の中に入らないんだ? 女性トレーナーなら別に…」
ひとしきり謝罪を終えると、オグリキャップはすぐさま怪訝そうな表情をする。
すかさずライセンスの性別欄を指差して見せたら、再び表情が驚愕に染まり。
「…都会には、不思議な人がいるんだな」
虚空に視線を逃がして、しみじみとした感想を述べた。
―――
―――
誤解を解き、オグリキャップと別れてから十五分後。
いつもならエレジーがとっくに帰ってくるはずの時間なのに、影すら見えない。
→(…遅い
あんまりにも遅いので、もう寮に帰らずターフに向かってしまったかと思い探しに行ってみたものの、いつもの場所にはいなかった。
練習前に集まるコースは決まっているので、もう皆目見当がつかない。
「あ、こ、こんにちは」
→(こんにちは…怖いなら、挨拶しなくてもいいよ
そこいらを彷徨っていると、練習途中らしきライスシャワーが震える声であいさつをしてくれた。
青年トレーナーは遠巻きに此方を見つめているが、目が合うと申し訳なさそうに逸らされる。
気持ちはわかる。
勘違いで悪い事しちゃうと、申し訳なさ過ぎて謝れなくなるんだ。
僕も小学生くらいのとき、自分で食べたことを忘れて母さんに怒ったことがある。
多分彼も、あんな気持ちなんだろう。
→(…あはは
「ひっ」
若いなぁ、と微笑ましい気持ちになり漏れた笑い声。
ライスシャワーには怖がられ、遠くから聞きつけた青年がまたこっちを見始め。
ついに意を決したのか、近づいてきた。
→(こんにちは
「…お前、怒ってないのか」
挨拶は華麗に聞き流され、質問が飛んでくる。
→(騙されたんだし、しょうがないよ
僕の答えはシンプル。
不可抗力を責めるつもりになれないのと、寮長も騙されたのを考慮に入れて無罪。
もともとこの手のトラブルには慣れっこだ。
むしろ、罪悪感を持ってくれてるだけかなり上等と言っても良い。
「俺が馬鹿だったせいで、ライスシャワーにも、お前達にも迷惑を掛けちまった」
そう考えていると、青年が勢いよく頭を下げた。
それはもう見事に、斜め四十五度で背筋の伸びた良い姿勢で。
「…本当に、悪かった」
→(良いよ、気にしないで
そこでふと思いつく。
この二人に、エレジー探しを手伝ってもらうのはどうか。
一人で探すよりは確実に効率が良くなるし、彼らと和解した事がエレジーにも伝わるだろう。
「あの、それで、さっきからどうして辺りを見回してたの…?」
→(担当ウマ娘を探してたんだ
「まだ見つかってないのか?」
→(そう、寮にも戻て来てなくて
青年は少しだけ悩むような素振りを見せたかと思えば、自分の頬を両手で軽く叩き。
ライスをコースに残して、ターフ脇でこそこそ耳打ちされる。
「…俺に、探すの手伝わせてくれ」
→(良いの?
「ああ、ただ、ライスは練習させといて良いか」
→(構わないけど、どうして
「そろそろメイクデビューだってのと…ライスは多分『謝っちまう』からだ」
ライスシャワーはあまり自信家じゃない。
自己肯定感が低いから、何か悪い事が起きるとすぐ自分のせいにして謝ってしまうのだ。
…彼も、ちゃんと彼女の内面まで見れているらしい。
それに昔の僕と違って、知ったうえで無視せず、出来る限りで守ろうとしている。
「騙されて、皆を引っ掻き回したのは俺だ。ライスにこれ以上嫌な思いはさせたくない」
耳元から覗く彼の眼は、澄み切っていた。
第一印象に踊らされやすいのと、思い込みが激しいのが玉に瑕だけど。
こういう良い所を見て来たから、彼女も彼の事を『お兄様』として慕っているんだろう。
→(…分かった、じゃあそうしようか
その後、ライスシャワーに話がまとまったことを伝え、二人で学園内を手分けして探し始めた。