二人で一人のウマ娘   作:なまたま

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折れた凶刃

 (…『誰だ?』(END)

→(…大振りすぎる

 

事も無さげに零された、まるで危機感のない声色の呟き。

笑うでもなく、怒るでもなく。

ただ退屈そうに紡がれたその一言を聞いた瞬間、脳髄の沸騰する錯覚をした。

 

「クソ、クソッ!どうして!」

 

音を立てないという最低限の理性を残し、右腕のバールを出鱈目に振るう。

 

→(そろそろ、満足したかな

「いい加減に…!」

 

たった一回、それさえ当たるだけで勝敗を決する確信があるのに。

既に限界近い速度で攻撃をしていると言うのに、一撃とも入りやしない。

 

→(…いい加減にして欲しいのは、僕の方だ

 

都度三度、連続でバールを躱された瞬間。

眼前でウロチョロとしていた死神の姿が、その場から掻き消え。

ひゅうという呼吸音がみぞおちの下から響いてきて、俺は息を呑んだ。

 

「っ!?」

 

なんだ、この動きは。

…注視していたというのに、まるで認識することが出来なかった?

駄目だ、こいつを自由にさせたら。

そう気付き拘束しに掛かるも、右腕は降りぬいたままで。

空いた左腕は空気の破裂する乾いた音と共に打ち払われる。

 

→(護身術くらいは、覚えてるよ

 

蹴り上げようとした足は踏まれ、抵抗の手全てに反応されて、封じられる。

反射速度が異常に早い、インファイトに持ち込まれたら勝ち目がない。

どうすれば良い、どうすれば良いのかと思考が白熱し。

その隙を、死神は見逃してくれなかった。

 

「ぁ…ッ!」

 

後退しようと思い上体を逸らすと、ガラ空きになった顎に衝撃を受け、脳が揺すぶられ。

立とうと力を入れた身体がびくりと痙攣し、視界と意識が消散していく。

 

→(はぁ

 

その夜最後の感触は、小さな冷え切った腕。

真っ暗になった視界の中、ヤツの溜め息だけが嫌に響いた。

 

―――

メイクデビューまであと一週

―――

 

「っは、ぁ...ぇ」

 

目を覚ます、空は茜色。

見覚えのある白い壁紙と分厚い窓枠、小さな本棚といくらかの家具が設置されている場所。

誰も居ない、静かな自室。

 

喉がヒリヒリ痛み、目元が腫れぼったい。

時計の長針が指す時刻は午後の六時、放課後をとうに過ぎていた。

ついさっきまで見ていた筈の夢が思い出せない。

 

寝過ごしてしまった。

授業も、トレーニングも。

 

「…気持ち悪い」

 

西日に照らされた布団は温かく、そのせいか全身寝汗でべとべとに。

頭がどんよりと重い、唇は渇いている。

部屋に据え付けられている冷蔵庫を開け、冷やされたスポーツドリンクを呷ると、心臓が早鐘を打ち始め。

 

「ぷは、ぁ」

 

机の椅子に掛けてあるフェイスタオルを髪に被せ、額から零れ落ちてくる雫を拭う。

元が低血圧なので、血管が胸元から拡がる最中でも頭痛は感じない。

血液が汗腺に水分を運び、拭いても拭いても汗が流れてくる。

…お風呂前で良かった。

 

そう人心地付いていたら、扉から小さなノックが聞こえた。

回数は四、軽快な音からするに指の第二関節で叩いたと思われる。

五月蠅くない、国際的なビジネスマナーの作法を遵守した合図、かなり礼儀正しい人物だ。

 

「はい、今行きます」

 

連絡も入れず欠席したから、誰かが課題のプリントでも持って来させられたのか。

クラスメイトならここまで気遣いをしてくれるわけがないし、恐らくは教員の誰かだろう。

そう推測して内鍵を開くと。

 

「こんにちは…?」

 

白Tシャツに茶色のベストを着た、見覚えない長身の青年が立っていた。

一瞬、他のウマ娘と部屋を間違えたのかとも思ったけれど、それなら返事をした時点で何かしら断りが入るのが自然だ。

表情に困惑の色も見られないし、彼のお目当ては間違いなく私らしい。

 

「えっと、どなたですか?」

 

ただ、声はどこかで聞いたような気がするけれど、どうも記憶が朧気で思い出せなかった。

恰好良いは良いものの、声質自体はありふれている。分類でいえば、滑舌と話し方が抜群に良いタイプ。

普段から近くで接しているような人物には覚えが良いが、その逆だと中々印象に残らなそうな声。

 

「昨日の朝、お前の所のトレーナーに迷惑かけた奴だ」

 

正直、寝起きで覚えてない。

それに、フジキセキさんが視界を遮っていたから、顔は今初めて知った。

 

「それで、ただでさえ悪いトレーナーさんの評判をさらに落とした人が私なんかに何の用でしょうか」

「…その件の事を、謝ろうと思ってな」

 

目鼻立ちは非常に整っている、背筋も立っていて背が高い。

裾から覗く腕には筋肉が詰まっていて、礼儀作法も育ちの良さを感じさせる。

発声もハキハキして聞き取りやすい。

単純な男性のスペックとしてみれば、ほぼ完璧。

 

「私よりも先に頭を下げる先があるんじゃないですか?」

 

だが、突然トレーナーさんとの二人きりの朝をぶち壊しにされたことだけはしっかり覚えている。

出来るのならもう少しだけ一緒に、なんなら二度寝してしまいたい、とかぼんやり考えていたのをまるっと無視して寒い廊下に引っ張り出された。

その挙句、トレーナーさんを悪者扱いとくれば口調も厳しくならざるを得ない。

 

「…もう下げて来た」

「トレーナーさんは、何て言っていましたか」

「『良いよ、気にしないで』と」

 

しかし、トレーナーさんが許したというのを聞き、気勢が削がれた。

一番の被害者が許すと言っているのだから、私がとやかく言うのも野暮に思えて。

 

「なら、私は許します」

「…お前も、怒らないんだな」

 

青年の表情が、困惑に染まる。

仕草の気品と口調の下賤さが釣り合っていない辺り、相当無理して悪ぶっているようにも見えるし、小さい頃から怒られ尽くしの人生だったのだろうか。

 

「今日はこの時間までずっと眠りっぱなしだったので、事情を全く把握していないんです。 …差し支えなければ、何であんなことをしたのか教えて欲しい」

 

どうしても根から悪い人物には見えなくて。

話を聞いてみると、彼は体よく利用されただけだという事が本人の口から語られた。

 

「…どうして、そんなデマを真に受けたんですか?」

 

結果、浮上した一つの疑問。

幾ら思い込みが激しいにしても、トレーナーが自分の担当ウマ娘と同意なしに『そういうこと』をしようとしているなんて荒唐無稽な戯言に、何故彼は騙されてしまったのか。

 

「人は、言葉にしないと分からないんです」

 

私の個人的な感情論で言えば、まだ彼を完全に許せてはいない。

けれど、もし今知っている以上の情報が出てくるのであれば、情状酌量の余地が生まれる可能性はある。

彼の言い分で、もっと深くまで知ろうとする程度の精神的余裕は出来た。

 

「教えてください、その理由を」

 

故に、問う。

何故下手に汚い言葉を使おうとするのか、何故礼儀作法を身に着けたのか、何故トレーナーになろうと思ったのか。

 

その、答えを。

 

―――

 

―――

 

『トレーナーは、ウマ娘を守るもの』(k)

 

ウマ娘は、ウマムスコンドリアの活性状態で全盛期が決定している。

最もエネルギー効率が良くなる時期は個人差があるものの、概ね十五±三のうちどこかで始まり、そこからの三年間。

 

なので当然ながら、中には身体の成熟よりも先にウマムスコンドリアの最盛期を迎える者もいる。

そう言ったものは、大抵が大成することなく引退するか、無茶な負荷に身体が耐え切れずに壊れるかの二者択一を迫られる。

 

『だから、もうお前らに興味無ぇんだよ』

 

青年の母親も、そのうちの一人であった。

メイクデビューを制することが出来ず、未勝利戦を半年間走り続けて引退。

あまりにも眩しくなりすぎた世界ではありふれた、深く昏い日陰の住人。

 

『中央のライセンス取るまでの腰掛けに決まってんだろうが、バカか』

 

地方でもギリギリの成績でターフを掛ける姿を、羨むものはいない。

光が強ければ強いほどに、影は濃くなるという言葉を体現するように。

 

『勝手に産みやがって』

 

青年は、父親が嫌いだった。

仕事こそするが、自分の事を忌々しそうに睨みつける眼が嫌いだった。

物心付いた頃には洗剤を呑ませようとしてくる、筋骨隆々とした逞しい腕が嫌いだった。

逆らえない力を振るう者も、それに抗えないままに振り回されるばかりの母も、彼は嫌悪していた。

 

「おねがいだから、言う事を聞いて」

 

『間違ったことをする』から傷つけられる、恐ろしい形相で怒鳴りつけられる。

いつしか、母親は強迫観念に取り憑かれ、礼儀作法と言ったものに極端に厳しくなり。

青年が小学校に入学した日の夜、『正しさ』こそが最も尊重されるべきであり、それ以外を些事であるとまで言ってのけた。

 

当時まだ自身の置かれている環境が異常であるという自覚の無かった青年は、その洗脳をスポンジが水を吸うように覚え、忠実に実行した。

ほんの少しでもルールから逸脱した行いは見逃さず、常に礼儀正しく。

常に、正しい行いをし続けた。

 

「…どうして、みんな悪い事ばかりしたがるんだろう」

 

結果として、彼はクラスの中で孤立することになる。

始めの内は、何もかもにケチ付ける彼の事を受け入れようとする者もいたが。

 

「僕は、正しい筈なのに、どうしてきらわれるんだろう」

 

自分が被害を被った時は甘い顔をし、自分が裁かれる時は有らん限りの憎悪を向ける。

昨日まで普通に話していた人は離れ、態度を豹変させて悪行を犯す。

そんな事ばかりが続くうちに、彼は親しくして来ようとする人物そのものをシャットアウトするようになった。

 

当然、わざわざ嫌われ者に声を掛けたと言うのに取り付く島も無いとなれば嫌いにもなる。

 

「警察官、か!お前にぴったりだな!」

 

しかし、そんな彼は年上には滅法かわいがられた。

どんな先生にも臆面なく話しかけ、態度は模範的、容姿、声、ともに良し。

子供の目では大人の不正に気付けなかったというのはあれど、彼にとって職員室は『正しいもの』に満ちたエデンの園にも等しかったと言えていた。 

 

…しかし、概して楽園とは長く続かないもので。

小学五年生の春、彼が最も親しくしていた教師が生徒に『手を出して』逮捕されたのをきっかけに、彼のエデンは崩壊した。

他にも、楽園の残骸を叩けば次々に出てくる不正の数々。

教育委員会すらグルになって隠蔽していたイジメなど、小学生が気付くのは困難な物ばかり。

 

「生徒に手を出す教師なんて、最低だ…!」

 

全国紙の一面を飾る母校の名前を忌々しく睨みつけ、グシャグシャに丸めてゴミ箱へ捨てる。

悔しかったのだ、正義を貫くための洞察力も、知識も、経験も何もかもが不足している事が。

 

「どうして、俺は…」

 

無力感に打ちひしがれたままに日々は過ぎ、小学校の卒業式。

予想通り両親のいないピロティ、至る所で合流する親子の群れを掻き分けて家に帰ると。

母親が、父親を殺していた。

 

「わ、わたし、そんなつもりじゃ」

 

足の裏にべったりと付いた血液、へし折れた首の骨がみっともなく飛び出ている。

 

「…母さん、やったんだ」

 

感動も、感激も、何も無い。

ただ目の前に悪人が居ると言う事だけが事実で、右腕は母親の携帯を迅速に奪い取り、110番をコールしていた。

 

「っ!待って! 違うの、あなたが、このままじゃ殺されちゃうからっ!」

 

言い訳も、悪人の戯言だと思えば鶏の鳴き声にも劣る。

住所、氏名、要件、初めての通報は予行練習していた通りに滞りなく進んでいく。

 

「それで、良いんだよ」

 

母親の顔を見る、青年の顔は失望に塗れていた。

彼の価値観は、正義こそが絶対。悪はその対極に位置する。

 

「…そうすれば、良かった」

 

親子の情で零れそうになった涙が、蒸発してゆく。

歪に育った理性が彼の選択肢の悉くを潰し、目の前に居る『悪』を裁けと強制する。

コレはあの教師と同じ『悪』なのだと。等しく許されざる者なのだと。

 

「どうして、俺を父さんに殺させなかった?」

 

口から零れた音が部屋の中に響き、残響が消える頃。

母さんの表情が、冷凍庫に入れられた氷のように、ゆっくりと冷え始めた。

信じられない物を見ている、理解できないモノに怯えている表情。

 

「…え…何を、言って…?」

 

そうだ。

俺が殺されてしまえば、父の素行も自ずと白日の下に晒されるように仕向けられた。

母さんは正当性を以って。『正しい』側の立場に立って、あの男を排除できた筈だ。

 

「そうすれば、母さんは悪にならずに済んだのに」

 

…でも、もう遅かった。

人間を。それも配偶者を、ウマ娘が殺してしまった。

これは、絶対に許されない悪だ。

僕個人の価値観としても、そして人間主体の現在の社会でも。

 

「ま、待って…やめて…!」

 

如何な理由があれど、ウマ娘の殺人は人間のソレとは比べ物にならない程重い処罰を受ける。

何時でも隣人を殺せるだけの強大な力を生まれ持つと言う事は、とどのつまりその責任もまた大きなものであると言う事。

そうでもなければ、異種が共存なんて出来る訳もない。

 

「止めない。母さんは裁かれるべきだから」

 

熱を取り戻した母さんの言動と対照的に、脳がじんわりと覚めてゆく。

躊躇う必要は無い。

だって僕は、正しいんだから。

 

「その罪から逃げるなんて、絶対に許さない。 …許されない」

 

母さんの手加減されつくした無力な抵抗をのらりくらりと躱し、電話を終える。

通報完了。あとは待つだけで事が進む。

 

「…さようなら、母さん」

 

最後に僕は、目の前で泣き崩れているウマ娘に決別の言葉を投げかけた。

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