紅魔館に住む吸血鬼と戦い、敗北して働くことになった日から数日。
レミリアお嬢様の命令で門番として働くことになった私だったが、吸血鬼を討伐しようと襲撃に来る人間は少なく、非常に弱くて張り合いの無い日が続いていた。
退屈な毎日に飽き、私の門番としての仕事は形だけのものになっていた。
特にやることも無く暇を持て余したので、先日の戦いを思い出す。
今は主人であるレミリアお嬢様と、その妹君であるアルジーナお嬢様。主人に対して無礼であることは承知の上だが、レミリアお嬢様の戦闘は未熟で、私の相手が務まるほどの強さではなかった。
それは妹君のアルジーナお嬢様も同じだったのだが、私はあの人に負けた。
──底が見えない異常ともいえる力はなんだったのか。
いくら考えても答えは出てこない。
今まで生きてきた中で初めて見る
力任せに暴れ、技術の伴っていない体術だったにも関わらず、私はあの人に勝てなかった。
戦っている最中にも感じていた恐怖が、今思い出しても蘇る。
気になって仕方がない。
でたらめな力を、気の赴くがままに振りかざしただけの暴君のような相手。
その力がどこからやってきているのか、それは本人にしか分からない。
聞いてみたい気持ちはあるが、あれ以降アルジーナお嬢様の姿が見られなかった。
吸血鬼は夜に生きる存在だから昼に見かけないというのは理解している。だが、夜になっても姿を見せないというのは不思議だ。
それだというのに、レミリアお嬢様ともう一人の妹君のフランドールお嬢様はずっと見かける。
「どうかしたの?」
「ひゃあっ!?」
不意に声をかけられて覗き込まれた顔に驚いて、私は情けなくも声を上げて驚いてしまった。
「アルジーナお嬢様!?一体どうしてここに?」
数日ぶりに、全く変わりない姿を目にする。
きっと最近は部屋にこもって何かに専念されていたのかもしれない。
事情は分からないが、私が予想できたのはこのくらいだった。
「やっと出してもらえたから」
アルジーナお嬢様の一言の意味が理解できなかった。
言い方からすれば、レミリアお嬢様が外へ出させなかったと受け取れる。だけど、どうしてそんなことをなさるのかが分からない。
心当たりがあるとすれば、それは先日の戦いのこと。
私の油断が招いた戦いにおいて、アルジーナお嬢様はまるで何も感じていないように暴力的に敵を襲い、その命を潰そうとしていた。
あの時はレミリアお嬢様のおかげで収まったが、もし再び同じ状況に陥れば、今度は他の従者の方々にも被害が及びかねない。
その話題に触れることに一瞬戸惑ったが、恐る恐る打ちあけると、アルジーナお嬢様は気にしていない様子だった。
「うん、正解だよ」
「だからってそんな……」
この数日を過ごしてきて、レミリアお嬢様は身内に対しては優しく、甘いお方だと印象を受けた。
それなのに、実の妹を閉じ込めるなんて真似は、私には理解できない。
「美鈴が気にすることじゃないよ?」
まるであの日のことが嘘のように、アルジーナお嬢様またお優しいお方だ。表情こそ何も変わらないが、確かに優しさを含んだ一言であることは分かる。
「あ、でもごめんね。お姉さまが負けたっておもったらつい」
アルジーナお嬢様からすれば、レミリアお嬢様が負けることはあり得ない。否、あってはならないことだったのかもしれない。
それを私が勝ち、壊してしまった。だから怒りに触れてしまったのだろう。
こちらとしては危うく殺されかけた身ではあるのだが、それはもう過ぎたことなので気にしていない。
「で、私がどうかしたの?力がどうとか言ってたけど」
「聞かれてたんですか!?それならそうと早く言ってくださいよぉー!」
「私はなんども呼んだけど」
私が気が付いていなかっただけのようで、非常に申し訳なくなる。そうなると、最初の方からずっと聞かれていたということにもなる。
それを理解した私の顔は少しばかり熱を帯び、赤くなった。
「その……この間の戦いでアルジーナお嬢様のお力はどこから来ているのか……と。失礼ですがレミリアお嬢様と同じくらいだと思っていたものですから」
今まで武人として技を磨き、強者と競い合って己を高めてきた。気になって仕方がないのはきっとそのせいだ。
もし秘密が分かれば、私はまだ上を目指せるに違いない。
「……私にもわからない」
返ってきた答えは、私の期待したものでは無かった。
そんなことよりも、答えられたアルジーナお嬢様の声が暗く聞こえた。
「お姉さまが負けたって思ったらムカついてきちゃって、そこから先は覚えてないんだよね」
「覚えてない……?」
怒りで我を忘れるというのはよく聞く。
しかし、様子を伺うにどうにもそんな感じではなさそうだった。
「覚えてないっていうか……私が私じゃなかったと思う」
ますます分からなかった。アルジーナお嬢様がアルジーナお嬢様でないとすれば、それは一体誰なのだろうか。
正体も分からない何かが憑りついたというのなら理解できなくもない。
だが、それならあの時の殺気はどこから来ているのだろう。
やはり分からないことだらけだ。
「相手をした身としてお答えしますが、あの時感じた殺気は尋常じゃなくどす黒いものでした」
もちろん殺意までは感じ取れなかったと補足する。
しかし、それを聞いたアルジーナお嬢様は、まるで信じられないかのような反応を見せた。
「たしかにムカつきはしたけど……私そこまで怒ってないよ?殺す気なんてなかったし」
「ですが確かに、お嬢様から殺気は放たれていました。本当に死んだと思いましたから」
やはりご自身で納得されていない様子だ。覚えていないと仰られている以上は無理もない。
あの時私が受けた殺気は確かなものだった。それなのに、アルジーナお嬢様にはそんな気は一切ないとの一点張り。
嘘をついているとも思えず、本当に殺気を放っていたつもりは無かったのだろう。だとすれば、アルジーナお嬢様とは別の何かが原因で放たれていたと考えるしかない。その何かに対して心当たりがあればいいのだが、生憎ながら私には見当もつかない。
レミリアお嬢様であれば何かご存じなのだろうか。今度時間のある時に伺ってみるのも良いかもしれない。
話しを一度止めにして、門番としての仕事を続けながらアルジーナお嬢様と雑談を続けた。
雑談とは言っても他愛のない話ばかりではなく、私が過去に戦ってきた人の事やアルジーナお嬢様が持っているという力の話。
なんでも、レミリアお嬢様と相談されても詳細が分からないのだという。
「何かを無くしてしまう……ですか」
「うん。自分に意識を向ければ分かるってお姉さまは言ってたんだけど」
アルジーナお嬢様が語られた内容は、『真っ暗な空間が広がり、何故か見える黒いナニカが現れ、そして消え去る。また現れては消えるの繰り返し』なのだという。
「現れては消えて、また現れたら消えるということは、何かを出現させて、また何かを消し去ることができるとは考えられませんか?」
聞いた限りで、すぐに思い浮かんだことを口にしただけの一言。それがヒントとなるかどうかは定かではないが、答えを見つけることができるのはきっと本人だけ。
「なんか違うと思うんだよね。消すっていうか、最初から無かった感じだから」
「最初から……ふむ、最初からですか……」
最初から無かったとなれば、”そこにあった”という痕跡ごと消し去っているのだろうか。
それとも、それ以前に存在していない状態に変えられていると言うべきなのか。
もしそんな事が可能なのだとすれば、それこそ異常としか言いようがない。
──ありえないことだ。馬鹿馬鹿しい。
そう言い切ってしまうこともできる。だがすでに、そんなありえないことを一度体験している身からすれば、簡単には言い切れなかった。
「……美鈴?」
いけない、少しばかり考えこみすぎてしまったようだ。
「納得されるかは分かりませんが、一つ思ったことが」
「聞かせて」
あまり難しくならないように、なるべく簡単に説明できるように整理する。そうでないと分からないまま何も解決しない。
とは言え、私すらも想像が付かない事を説明しようとしているのだから難しくならないわけがない。
「えっとですね、もしかしたらですけどアルジーナお嬢様が仰っているその能力は、何かを無かった状態に変えているんじゃないでしょうか?」
「変える……?」
「はい。例えばですけど──」
説明するために、地面に転がっていた手ごろな小石を拾い上げて手のひらにおいた。
あくまでも私が出した答えでしかないが、その内容を説明するにはちょうどいい。
「この小石です。これを無くすとなると、普通は手のひらから取り除いて何処は別の場所へ捨てることになりますよね。そうすれば、この石は手のひらからは無くなりますが、どこかに存在しているという事実は残ります。ですがもしも、手のひらから無くす際に、小石そのものを消し去りって、存在していたという事実すら残さない状態──最初から存在していなかった状態に変えていると考えればどうですか?」
果たして、これで納得してもらえるかは分からない。それでも、ほんの少しだけでも理解が深まってくれればそれでいい。
どのみち最終的な答えは、アルジーナお嬢様ご自身で見つけなくてはいけないことなのだから。
「わかったような……余計わからないような……」
進展があったのか、むしろ悪化したのか。
それは分からないが、少しでも理解が深まっていることを願うばかりだ。
自分の力を理解して正しく扱えたなら、それは以上に強力な武器になる。
「でしたら一度試してみませんか?」
私の一言に相変わらず変化のない表情で、何故かキョトンとした顔をしている。
この様子を見るに、どうやら一度も試されたことは無いようだ。
「試しにこの石を無くしてみるのはどうですか?そうすれば何か摑めるかもしれません」
先ほどの小石よりも一回り大きい石を渡す。
アルジーナお嬢様からすれば片手がほぼ埋まる程の大きさだが、この際それはどうでもいい。
集中するアルジーナお嬢様を見て、私の胸中は応援する気持ちが湧いてきている。
最初は危うく殺されかけ、その後は数日間見かけることなく今日が二度目だというのに、どうにも入れ込んでしまっている。
いくら主人の妹とはいえ、普通であれば警戒もすれば良い印象も抱かないことだろう。
だというのに、少しでも役に立ちたいと思っている自分が不思議でならなかった。
渡した石はすぐに消滅した。
地面へ落下したわけでもなく、どこかへ投げ捨てたわけでもない。欠片すら残さずに、文字通り消え去っていた。
その手を握っては開く動作を繰り返して、確かにそこには何も無いということが証明されている。
「お疲れ様です」
念のための確認として、アルジーナお嬢様の手のひらも見せてもらう。
石を細かく砕いた様子もない。本人もどこかへ移動させた感触はしなかったという。
ならば本当に消え去っていると見て間違いはなさそうだ。
後日、私はレミリアお嬢様に呼び出された。
大体の予想はついている。昨日、私がアルジーナお嬢様と話していた時に此方を見ていたことには気が付いていた。
きっとそのことで何か話があるのだろう。それが良い意味か悪い意味かまではわからない。
「昨日アルと話していたでしょう」
「はい。大した話ではありませんが」
予想は見事に当たっていた。そのことに安堵した私は、少し緊張が解ける。
レミリアお嬢様の口調が冷たいものではなく、普段から見せるごく普通のものだった。
「例えば?」
「そうですね……アルジーナお嬢様のお力の元だったりとかでしょうか?」
「そう……」
わざわざ隠す理由もない。私が気になっていたという私情もあるが、質問に対して正直に答える。
私の返事に、レミリアお嬢様がため息をつく。そのまま部屋の外の方を向き、遠くを見つめるような表情をされていた。
満月から少しばかり欠けた月明かりに照らされた姿に、思わず見惚れてしまっていた。
「美鈴」
「は、はい!」
主人に対して、秘かに不敬な思いに耽っていた最中に呼びかけられ、思わず肩が跳ね上がりながら返事をする。気のせいであってほしいが、若干声も上ずってしまった。
「正直に答えて頂戴。あの時、貴女はアルのことをどう感じたの?」
気づかれたかもしれない不安は外れ、安心する。
それよりも、レミリアお嬢様が仰った内容の方が大きく、私の心からは先程の思いは押し出されていた。
あの時というのは間違いなく、私が
そして、その時感じ取ったものは、とても気軽に口にできるようなものではない。
”ソレ”を口にすればレミリアお嬢様を不快にさせてしまうだろう。下手をすれば、妹を侮辱されたとして怒りに触れてしまってもおかしくは無い。
「”化け物”かと……」
それでも、あの時感じた事を正直に話す。
その内容が、もっとも望まないものであることを承知した上で。
「そう……そうよね」
もし今ここで命を絶たれたとしても、本来無くなっていてもおかしくない命が数日だけ伸びたと思えばいい。
それが主人の決定なのであれば、従者たる私は従うだけなのだから。
だが、本音を言えば死にたくはない。
いくら主人の不興を買ってしまったからといっても、それを受け入れられるほどのお人よしにはなれそうにない。
「ねぇ美鈴、聞いてくれる?」
だから今、レミリアお嬢様の声が弱々しかった事を聞き逃さなかった。
レミリアお嬢様は、一つ昔話をされた。
前当主であり、お嬢様方のご両親が亡くなられたという話。
今から百年近く前。吸血鬼討伐を目的とした人間の集団が、幾度となく襲撃を繰り返した。
人間の力では吸血鬼には敵うはずもなく、襲撃の度に敗北を繰り返していた。
普段は屋敷の門から先へ入ることすら出来なかったが、たった一度だけ、それが破られたという。
当然だが、人間側に対した力はなく、普通であれば一方的に屠られる。たとえ太陽が昇っている時間でも、影になりさえすれば活動する分には問題はないらしい。
誰も想定していなかった
「だけど、それだけなら父が負けるはずなかったの」
「まさかそれって……」
私には一つだけ心当たりがあった。あってしまったのだ。
実際に知っているわけではないために、単なる憶測にしかならない。
ただでさえ強者の部類に入る吸血鬼。それも、お嬢様方の父君が敗北するのであれば、相手が相当に強く、もしくは賢い者であるのは間違いない。
そんな強者を打ち破り、命まで奪うとなれば、その力は並大抵のものでは無いことは確かだ。
だからこそ、自分の身をもって思い知らされてしまった力が頭をよぎる。
「アルジーナお嬢様が……」
否定してほしいと願いながら、唯一の心当たりを口にする。
「えぇ……そうよ。あの子がやったの……」
答えるレミリアお嬢様の表情が暗くなった。
本心では認めたくない、あってほしくなかったというのが見て取れる。
だが、現実を知ってしまっているが故にどうしようもないのだろう。
今のレミリアお嬢様は、普段から見せる支配者たる風格は感じられない。
幼くして妹に親殺しという罪を背負わせてしまった過去を悔み、ご自身がその罪を引き受けようとされている。
紅魔館の一員となって日が浅い私でも分かってしまうほどに。
考えるよりも先に体が動いた。
今にも崩れてしまいそうな、小さくて脆い背中を包み込むように、後ろからそっと抱きしめる。
「美鈴……?」
押し潰されたような弱々しい声が私の名前を呼ぶ。
返事の代わりとして、更に強く、そして優しく抱きしめた。
|紅魔館≪ここ≫にとっては新入りの私に話し、決して見せない姿を晒しているお嬢様は、きっと私のことを信用して下さっている。
「一人で抱え込まないでください」
だから私は応えたいと思った。
小さな主人を支えたいと思った。
抱きしめたこの腕を解けば、すぐにでも崩れてしまいそうな背中を、放ってはおけなかった。
「私は門番で、お嬢様方を守る者です。だから私も一緒に背負わせてください」
「……ありがとう」
この日から自分の心に誓う。
お嬢様方を守り、傷つけさせないと。
小さくて幼い、それでいて偉大な主人の盾として──。