(旧)夜に灯はなくてはならないが、灯も夜がなければ煜かない。 作:四九十
雛鳥は巣を出るまでもなく獣に喰われる。
「ねえ、何の本を読んでいるの?」
木陰に座って分厚い本を読みながら物思いに耽っていた少年、
腰上まで伸びた艶のある明るめの茶髪に、澄んだ綺麗な赤い瞳を携え、赤を基調に
変わって篝は、短めの黒髪を後ろから少し刈り上げ、都市平民らしい黒い瞳孔に、紺の
「ん…小鳥か。『神道建都記』、学舎の宿題なんだ。」
篝は本から顔を上げて、少女を認識すると、本を縦向けて表紙を見せる。
「あぁ、それか。私も3つの頃読まされたなぁ。」
小鳥と呼ばれた少女が相槌を打ちながら篝の横に来る。
「へー、やっぱり読んだんだ。すごいね。」
篝は感嘆を示しながら本を閉じると、
『神道建都記』、それは、都市の成り立ちを創世の時代から綴る、都民にとっての歴史書である。学舎に通う歳になれば配布され、度々授業にも使われるが、本来、幼な子が読めるような代物ではない。
二人は、今年で齢六つになり、ちょうど学舎に通い始める歳だ。
「さすが、神童。賢者様の教え子だね。」
「ぷー。篝にそういう風に言われたくない。」
篝の言葉に小鳥は不服だったようで、頬を膨らませる。篝もわざと揶揄めいた声音で言ったようで、「ふふ、ごめん。」と笑みを浮かばせながら軽く謝意を示す。
「でも、やっぱり、私って神童って感じじゃないと思うんだよね。能力のおかげで頭が良いってだけで。」
「んー…。能力の無い僕としては、それだけですごいと思うけどな。まぁ、小鳥はすごく頭が良いけど、やんちゃが過ぎる部分はあるよね。今もこうして賢者様のところから抜け出してきたんでしょ?」
「あはは…。それほどでもあるかな。まあ、今日の分は終わらせてきたし。」
小鳥の呟きに返す篝に、彼女は今度は苦笑する。
異能は神々も当然持っているが、それ以外でも必ずしも妖怪だけのものではない。人にも多くはないが、先天的に授かるものがいる。人はそれを能力と呼ぶ。小鳥もその一人であり、生まれつき物の覚えや頭の回転が常人の何万倍も優れている。それは、都市の開発に携わった賢者様も認めるほどで。そのため、彼女は神童と呼ばれ、小さい頃から賢者様が自ら家庭教師として目を掛けている秀才なのだ。家庭教師が賢者様ということに、彼女の家が下級貴族なのが相まって当時一悶着あったのだが、それはまた別の話である。
そのような希有な立場にしては、彼女の立ち居振舞いは、下級とはいえ貴族淑女としての気品はあれど、神童というには厳かさのようなものが足りないかもしれない。
「小鳥。あなたの能力は脳内の神経網の配列と神経細胞間の出力を神秘的なまでに増大させるものよ。私の能力は医学・薬学特化のものだけど、あなたは違う。純粋に賢しさだけを飛躍的に上げるの。だから、あなたは私よりも賢くなるわ。」
初顔合わせの時に、小鳥が台に寝かされ、よくわからない管が繋がった硬い帽子を被せられて、家庭教師である賢者様、八意思兼様が言った言葉だ。
当時は何を言っているのか全くもって分からなくて、とにかく並々ならぬ期待が向けられていることだけは読み取れて、困惑したのを覚えている。
「で?その宿題って今どのあたりなの?」
小鳥が話を戻そうと、顔を傾けて篝に問う。
「創世記が終わって、原生記。最初の生命が創られて、その後穢れが発生したあたり。」
篝は閉じていた本を開いて、小鳥に寄せながらそう答える。
小鳥は、少し腰を上げて、手巾を横にずらして体を篝に寄せる。
「そこかー。創世記は終わったんだ。あれ宇宙創造とかさらっと流すのに、創造神からの神々の系譜とか生まれとか、すごい長いよね。」
近づいた二人の肩は今にもくっつきそうな距離で、それでも、お互いに気にする素振りはない。
「それは、わかる。覚える意味あるのかなってちょっと思った。」
篝は学舎の課題で必死に暗記した事を思い返して悪態をつく。
「うわー。わりと真面目な篝らしからぬ発言だね。でも、神様の名前とか覚えてどこで使うのって気はするね。」
軽い調子で返す小鳥の声音には揶揄が混ざっている。
「僕、そんなに真面目なつもりないよ。小鳥がおさぼりさんなだけだって。」
小鳥の揶揄に、篝は取り合わず、意趣返しのつもりで皮肉を入れる。
「だってー、安息日まで、お昼までとはいえ、課題やることなくない?おかげで、二日あるはずの安息日が一日だけの気分。」
小鳥は少し口を尖らせて、文句を垂れる。
「まあ、それは同情するよ。才能ある人は大変だね。でも、この前さぼったのは安息日じゃなかったよね。学舎の窓から外見たら小鳥がいるんだからびっくりしたよ。」
「あはは…でも、その後篝も一緒に抜け出したから同罪だね。」
苦笑した小鳥は、しかし、首を傾けて少し艶美のある笑みを篝に向ける。
篝は、その小鳥の笑みに、胸を
神童と無能力という才に差はあれど、二人の友情にそれを持ち出すのは野暮なのだろう。
軽快に言葉を交わせる二人の関係は良好のようだ。
しばらくして、駄弁りに一段落ついた頃、篝に顔を向けて、小鳥は、その表情を悪戯を思いついたような、口角の上がったものに変える。
「ねぇ、壁の近くまで行ってみない?」
そう言って小鳥が立ち上がる。
篝の表情が笑顔のまま少し固まる。
あぁ、この子はまた何を言っているのだろう。軍の人間でもなければ基本的に壁には近づかない。壁には結界が施されているとはいえ、誰が好き好んで穢れのすぐ近くまで行くのか。篝は頭を抱えたくなった。
小鳥は敷かれていた手巾を畳むと、篝に礼を言って返す。
「また?近くまでとか言ってこの前門から外に出そうになって、おじさんと賢者様にすごく怒られたの忘れたの?」
手巾を受け取った篝の小鳥を咎める声音はほんの少し強い。
「いやー、探査隊が出ていく列に着いていこうとしたのは反省してるよ?だから、今日はほんとに近くに行くだけだって。」
小鳥は、少しばつの悪さを滲ませるが、しかし、完全に諦める気はないようだ。一人でも行きかねないことを考えると、ついていった方が精神衛生上良さそうだ。後で怒られることになっても、自分が小鳥を止められないことは理解してもらえるだろうと篝は考える。
「まあ、憲兵がいるから壁の外になんてそう簡単に出れるもんじゃないし、ていうか、普通はそれこそ、探査隊でもないとまず出ようと思わないし、大丈夫とは思うけどね。」
篝は、そう小鳥にジト目を向けながら立ち上がる。
しかし、彼女はそれには全く意を返さず、篝に背を向ける。
「それじゃあ、いっくぞー!」
空に拳を突き上げ、小鳥は歩き出す。
篝は呆れぎみに、しかし、顔に少し微笑を浮かべて、「はいはい。」と、小鳥の横に並んだ。
二区と三区の間の区間通りを、一際大きな交差点で折れて、三区に入り、壁に向けて歩く。中央区から壁の四方に向けて延びる中央通りの一本、東中央通りだ。
東中央通りは、特に人通りが多く、馬車や人力車が通り、平民、貴族はもちろん、四方の壁門付近にそれぞれある中で、特に大きい軍部施設域にも繋がっていて、憲兵や探査隊、訓練兵もよく通ることもあって、三区でも農蓄域までは商店が盛んだ。
二丈(*1)ほど頭上を屋根から屋根へ、夜を待つ提燈が連なり、店先は品書きや客引き、品物、食をそそる香りで客を待ち構えている。
「いらっしゃーい」「今日は、合挽が安いよ。」「お兄さん。ちょっと寄ってかない?」
快活な看板娘の声、野太い店主の声、艶美な客引きの声、それらに返す客の声、談笑する声。実に賑やかで、人々の心の豊かさが見える、煌びやかな光景だ。
「おい、外に出ろ!そのすました面明かしてやる!」
「やれやれ、品がないな君は。賭けは、僕の勝ちだろう?」
賭け屋から、荒々しい声と呆れた声の言い争いが聞こえる。
「ふざけんじゃねぇ。」
「きゃっ」
喚きながら後ろ向きで店内から出てきた、小太りの男性に小鳥がぶつかる。しかし、気付かなかったようで、その声が収まる様子はない。
小鳥は思わず尻もちをついて、少し呆けて固まっている。
「あそこから負けるなんておかしいだろ。てめぇが何か小細工したに決まってんだ。」
口調も荒々しいが、顎には無精髭が生え散らかっており、服装もあまり綺麗とは言えない。かなり長く着続けているのであろう
「言いがかりはよしておくれ。きちんと決まりの下、私は勝った。それ以上でもそれ以下でもないよ。」
もう一人の声の主も、店から出てきた。変わってこちらは、顔つきは標準ではあるが、清潔感があり、襟に家紋の入ったその紺色の
篝は、ぶつかってきた相手が大人と分かっていながらも、多少込み上がってくるものを内心で認めながら、小鳥に駆け寄り、手を伸ばす。
「ありがとう。」
手を引いてもらい、立ち上がると、小鳥はその綺麗な瞳を少し垂れさせ、愛らしく微笑んで礼を言う。
「どうも。」と軽く返す篝は、しかし、その内心をほんの少し先の染まった耳が物語っている。今のは今日で一番だったな、と。
「あんた!何処に行ってるのかと思ったら、神童様の御前でなにやっとんじゃい!」
小鳥の笑顔に溜飲を下げた篝の耳に、怒り心頭な女性の声が響く。
通りの向かいからやってきたのであろう、その女性の手には、野菜の入った籠が握られている。
襟に家紋は入っていないものの、紬を丁寧に着こなしていて、一定の品が覗える。どちらかの婦人だろうか。
貴族であろう方の男性が、女性の言葉を聞いて真っ先に小鳥を認識して、向き直り、頭を下げる。
「申し訳ございません、小鳥様。醜態をお見せしました。」
貴族人に続いて、婦人も慌てて小太りの男に駆け寄ってその頭を抑えにかかる。男の方もさっきまでの荒々しさは何処へやら、二人で頭を下げる。
大人が幼女に頭を下げるというのは、些か疑問ではあるのだろうが、彼女は貴族であり、何より賢者様が目に掛けている神童なのだ。その家系は下級貴族とはいえ、その当人の身分は上級貴族の婦人と同等と言って良い。
小鳥は、さっとその表情を、貴族然とした公のものに変えると、柔らかく微笑んで言葉を返す。
「いえ、気にしておりません。
切り替えられた小鳥の佗まいは、篝の前でのような愛らしい女児らしさは鳴りを潜め、その歳にして既に貴族淑女としての完成を見せていた。
小鳥に黒桂と呼ばれた貴族人は、顔を上げると、小鳥に問い掛ける。
「ところで、小鳥様。貴女様は大事なご身分で在らせられます。本日は、警護人の姿が見えませんが。」
見知った口調の貴族人は、小鳥の知り合いらしい、小鳥の横の篝を見やり、その背後を見渡す。
それに小鳥は、得心がいったのか、ああ、と頷く。
「父に進言致しました。心配して頂けるのは有難いのですが、友人との時間ぐらい硬いことは無しにして欲しい、と。」
実際に自身の父にそう言ったのだろうが、今日は賢者様のところから抜け出してきて、そこに警護人も置いてきたのであろうからいないのだが、言えばややこしくなるので黙っておいた方がいいのだろう、と篝は考える。
「作用でしたか。失礼致しました。桂木殿の友人としては、彼の心情も気にとめて頂ければ幸いです。娘は元気が過ぎる嫌いがある、といつも溢されます。」
黒桂という貴族人は、小鳥の父の友人らしい。呼称が違うのは、友人というのもあるのだろうが、小鳥の場合は、家と個人で、階級は同じだが扱いが違うという複雑な事情がある。
都市の人間の身分は、月読様、賢者様と親王様方及びその親族、上級貴族、下級貴族、平民の順で位置する。そして、それぞれに対応して姓が与えられる。賢者様と親王様方は月読様他神様から直接与えられたか、自前で名乗って認められたものを使い、上級貴族は「月」をつけることを許され、下級貴族は「桂」を入れる、平民は基本的に姓を持つことを許されていない。
小鳥の姓は桂木で、篝に姓はない。黒桂は「桂」が入っているので下級貴族であろう。
「わかりました。心にとめておくと致します。今後とも父をよろしくお願い致します。」
小鳥は、微笑み、恩情と社交を混ぜてそう答えると体の向きを変える。
「それでは、失礼致します。」
貴族人と隣の夫婦に軽く会釈をして、横にそれて歩き出す。篝もそれに倣って、二度頭を下げてから小鳥に続く。
篝が小鳥の隣に並ぶと、後ろから先の言い争いが再開されたのが聞こえる。そこに婦人が夫を咎める形で加わったようだ。どうせあんたが間抜けだっただけだ、そもそも家の服装のまま外に出るな、など、声が遠くなっていくがその内容はよく聞こえる。
「結局、ぶつけられた事に対しての謝罪は貰ってないけど、いいの?」
「気にしてないよ。そもそもこっちは子供だし。謝りなさいって言うのはちょっと違うでしょ?」
小鳥は本当に気にしてないようで、篝も、まあ、そうか、と納得することにした。
暫く歩くと、喧騒が止んでいき、左右にあった商店は少なくなっていく。
人も商店も完全に見なくなると、そこは畑に変わる。小麦畑だ。三区は内部寄りにある住宅街と中央通り沿いにある商店街を除けばそのほとんどが畑、田んぼ、牧場など農畜域にあたる。そこで都市の食の全てを賄っているのだ。
さらに歩くと軍部施設の門が見えてくる。黒い一丈程の高さの門は、左右に一人ずつ憲兵を携え、物々しい雰囲気を醸し出している。壁門は、軍部施設の先にあり、訓練場や駐屯所、士官学舎、軍備倉庫と共に軍が一括管理している。
門番憲兵の男が小鳥達に気づいたようで、その一人が一歩歩み寄って、軽く頭を下げる。男は、黒を基調とした甲冑を身に纏い、その手には小銃が握られている。
動き安く且つ防御力を確保する、特殊な合成樹脂の甲冑と鉛を火薬の爆発力によって音速で飛ばす、小銃のその姿には畏怖を感じるが、憲兵用の軍備は、対妖怪を想定した探査隊のものよりもその性能は数段劣る。
「小鳥様ではありませんか。本日はどのようなご用向きでしょうか。」
「後学のために軍部を見学させて頂きたいのです。」
小鳥は前回訪れた時と同様の文句を垂れる。
「申し訳ございません。先日、ご案内した際に八意様から小鳥様が来られるようなら断るように、と上のものから伝えられておりますが。」
先手を打たれてしまったようだ。どうしようか、と思案するが、永琳先生が手を回してるのなら言いくるめるのは難しそうだ、と小鳥。
もう、諦めて引き返さないか、と篝。
突如、けたたましい音が辺りに響き渡る。都市中に響いているであろう、不快感を掻き立てるその音は、警報だ。
都市には、状況に応じて警報の吹鳴がある。今のは、探査隊帰還時のものだ。
警報を聞いた小鳥は、篝の手を掴み、少し屈む。
結局、そうするのかと意図を把握した篝は、同じように屈む。
力の流れを足に集中させ、二人同時に跳躍する。
二人の体は、世の理、重力から背き、門を軽々と飛び越える。
「あ、ちょっ。お待ちください!」
後ろで憲兵の焦った声が聞こえるが、その声はすぐに遠くなる。
二人は着地と同時に走り出す。小鳥が篝の手を引き、篝はなんとかそれに着いていく。その速度は、子供のそれではなく、鍛えた大人と同等かそれ以上だろうか。
人間の体には、霊力という、生まれ持った力の奔流が存在する。それは、魂に起因すると言われているが、鍛えれば理を歪め、物理世界に干渉することができる。だが、そこまでの霊力の才を持って生まれるのは珍しく、微弱には持っておれど、基本的には軍人でもなければ、一生関わりの無い人間の方が多い。
小鳥は幼い頃にその魅力に心を奪われ、己に才があると見るや否や自ら鍛え始め、一定その力の扱いを習得するに至った。門を軽々越え、快速で走るのは、霊力を足に纏わせ、筋肉を補強し、並外れた身体能力を実現させていたのだ。
篝にも多少の才があり、小鳥との遊びの延長で多少霊力は扱えるが、小鳥の補助があって初めて門を飛び越えられるようなもので、その差は歴然である。
ちなみに、神には、神力、妖怪には妖力というそれぞれ別の力が備わっている。質も保有量も人間とは、比べるべくもなく、基本的には、神力、妖力、霊力の順で台頭する。そこに、魔力も加わるが、この時代には、発見されておらず、発見されていたとしても、それは、魔界とかいう別の世界の話である。
軍部施設域は、壁門を壁の内側から覆うように存在していて、軍部域の門から壁門まで中央通りを延長するように一直線に大きな通りで繋がっている。
軍部の建物は、木造の民家と違って、鉄筋を組み、石灰等で砂利を固めた
篝は、手を引かれて走りながらも、その特徴的な建物に興味を引かれて、視線を彷徨わせる。頑丈で硬いのだろうが、やはり、見た目は豆腐のようだ、と。箱形でその壁の白に近い色も相まって、豆腐に見えなくもない。
道中、豆腐街を通り過ぎながら、訓練兵や憲兵、その他の兵科と思しき兵群と一瞬すれ違ったが、皆、一様に篝達を奇異の目で見ていた。数人、またか、と言いたげな視線もあったが。
篝と小鳥は暫く走り続けて、壁門付近に到達する。
壁門は、これまた混凝土造りの壁に、比較的脆いが駆動性を確保できる煉瓦造りで、結界によって補強されている。
付近には、道の中央を大きく開けて、迎え役なのであろう憲兵数名と、講義の一貫なのだろうか、教官ぽい上官が訓練兵の一団を引き連れている。
篝達は、彼らに倣って道の端の壁門が見える位地に寄る。
兵群が篝達に気づいたようで、少しざわめく。何故、ここに子供がいるのか、と。しかし、相手が小鳥だと分かっているようで、立場上扱いが難しいため、咎めに来るのは尻込みしているようだ。
教官らしき男が仕方なくこちらに向かおうとするが、その前に篝達は声を掛けられる。
「お久しぶりです、小鳥様。またですか。」
憲兵の男が困った顔で篝達の前に来る。
齢三十ぐらいだろうか、鍛えられた体格に、渋さの少しある顔立ちと、憲兵の制服が軍人としての頼もしさを演出している。
「お久しぶりです。はい、机に向かっているより、自分の目で見た方が得るものが多いと思いまして。」
小鳥は満面の笑みで答える。
男は、はあ、と溜息を吐くと顔を篝に向ける。
「お前もまた止められなかったのか。」
「ごめんなさい、父さん。僕に小鳥様の暴走を止めるのは無理だよ。せめて、一人にするよりはと思ってついてきた。」
篝は、憲兵である自分の父へ謝意と自分の無力を示す。
篝は、基本的に小鳥だけの時以外は、小鳥の呼び名に敬称をつける。元々、常につけていたのだが、いつだったか小鳥が距離を感じると嫌がって二人きりのときは呼び捨てにするようになった。
男は、息子の言葉を聞いて再び溜息を吐き、呆れを多分に含んだ声音で小鳥に問う。
「それで、今日のご用向きは?」
小鳥は、ざわついている周囲を一瞥して、思案してから、少し配慮することにした。
「そうですね…。あまり長居はしない方が良さそうですね。先の警報で、探査隊が間もなく帰還するみたいなので、それを見たら帰ることにします。」
「わかりました。今回までということでしたら。」
男は、面倒くさそうにしながらも切り替える。また、桂木様に小言を言われるのだろうな、と小鳥の父を思い浮かべながら。
「近年はございませんが、昔は、探査隊帰還時の開門で、何度か妖怪が数匹入り込んで、討伐が大変だったと聞きます。念のため私が護衛します。」
お付きの人間は何をしているのか、と内心別の者に怒りをぶつけて、篝の父は、護衛を買って出る。
「わかりました。お願いします。」
小鳥は、早々に追い出されることはなくなったと見て、笑みを深め、一応の形式上、ぺこりと頭を下げる。
篝の父が近くの違う憲兵に言伝をして、憲兵が何処かへ行く。それを機に辺りのざわつきは一旦収まる。
「開門!」
辺りに大きな声が響く。
視線を壁門に戻すと、壁門付近の結界は、篝達が来る前に既に緩められていたようで、すぐに重い煉瓦造りの門が上がっていく。
完全に門が上がって、その先が開けると、馬で隊列を組んだ探査隊が壁内に入ってくる。
その様子は悲惨だった。体を纏う甲冑は、泥や血でまみれ、四肢を欠損したのか、脚や腕の途中で包帯が巻かれ、杖をついているもの、隣の者の肩を借りているもの、失明したのであろう、右目から頭にかけて眼帯や包帯をつけているもの。馬達にも多量の血がついており、脚を負傷したのか、他の馬に連れられている個体もいる。多くの負傷者の群れを見て、場の空気は一気に重くなる。
訓練兵達は悲壮な顔をしており、憲兵達も息を呑んでいる。
暫くして、門が下がり始める。
「おいおい。これで全員か?」
「前回よりかなり帰還できたのが少ないな…。」
「電信部への報告では大妖怪に遭遇したらしい。」
「今回は、賢者様が参加なさらなかったそうだ…。」
「だからか…。」
兵群からぼそぼそと、やり取りが聞こえる。
その一つが耳に入ってしまって、小鳥の心を掻き立てたようで、その顔を酷く曇らせる。
篝は小鳥の様子を見て、すぐに何か言わなければと思ったが、目の前の光景が強烈過ぎて、心に余裕がない。
それでもなんとか絞り出して、やっと出た声は、震えていた。
「だ、大丈夫だって…。小鳥は関係、ないよ…。」
ああ、こんな声では却って不安を煽ってしまう。
「うん…。分かってはいるんだけどね…。ここ数日、月読様に呼ばれてたみたいで、課題貰ったらすぐ出掛けて行かれたし。」
頭の良い小鳥なら、すぐに分かるだろうに、目の前の光景に自分が関係しているかもしれない可能性を少しでも考えるとえもいわれぬ不安が押し寄せてくるのだろうか。その綺麗な赤い瞳が揺れている。
篝は、次になんと言うべきか分からず押し黙る。
父は、少し前にいて、こちらの会話は聞こえていないようだ。父も探査隊の様子に動揺しているのだろうか。その顔は前を向いていて見えず、体格の良いその背中からも読み取れない。
探査隊の一番前の、頭に包帯を巻いた男が、隊列から一歩前に出て、馬を降り、上官であろう将校の元に向かう。
隊長であろうその男は、なんとか姿勢を正し、敬礼する。
「第325回壁外遠征任務、完了致しました…。帰還数は…全探査隊100名中…51名です。」
男の疲弊も酷く、頭だけでなく、手足の至る所に傷が見える。
「ご苦労。すぐに医療部へ行って、穢れの浄化と隊員の手当を。その後、宿舎で休息。報告書は明日でいい。湯浴みも済ましてしまえ。」
上官は、事務的に、しかし、最大限慰礼を込めて答える。
「はっ。お気遣い、感謝致します。」
隊長は今一度姿勢を正し、敬礼の後、後ろへ振り返って、隊員に指示を出す。
少ししてから再び乗馬すると、隊を率いて何処かへ消えていく。
軍部の門を出て、二人で帰路につく。
あの後、すぐに篝の父は呼ばれて、篝達に帰るよう促すと、別の者に目付けを任せて、仕事に行った。父のその表情からは、やはり、感情は読み取れなかった。
小鳥は沈痛な面持ちのまま、素直にそれに応じた。
出口に着くと小鳥が家までの自衛は自分で出来ると断って憲兵と別れた。
篝の横を歩く小鳥の表情はいまだ暗いままだ。
「やっぱり…気にしてるの?」
篝は、声音に気遣いをのせて問い掛ける。
「んー…。それもあるんだけどね…。結局、また知りたかった事が分からなかったってのが大きいかな。」
小鳥は、立ち止まって、顎を右手の親指に乗せて、それ以外の指を軽く握って、顎を挟むように添える。たまに見る、小鳥とか、頭の良い人が、考える時の仕草だ。
辺りは小麦畑が広がっており、そろそろ西の空が染まり始めた頃か。
「知りたかった事?」
「うん。穢れって言われてる物の正体。穢れってのを実際に浴びた探査隊を見れば何か分かると思ったんだけどね。」
篝は、小鳥の方に顔を向けるものの、小鳥は先の仕草で、その視線は正面の、少し下の方に向けられている。
「あー…。前にもなんかそんなこと言ってたね。」
「うん。酸素と、後、細胞分裂は分かる?」
すっ、と小鳥は、顎から手を放すと、篝に顔を向ける。
篝は、暫く頭を悩ませて、なんとか、小鳥の言う言葉に沿うものを口にする。
「えーと…。前に小鳥から聞いた気がする…。確か、空気中にある、動物が生きるのに必要な呼吸によって取り込むもの、と、動物は細胞っていう小さな部屋の集まりでできていて、その部屋の1つずつが2つに別れて、それぞれ同じ大きさになるってやつだったかな。」
「おおー…覚えてたんだ。篝クンは勉強熱心なんだね。」
篝の言葉に、小鳥は、深い笑みを浮かべて感心するが、篝は、その顔に少し乾いた笑みを写すと、含んだ視線を小鳥に向ける。
「まあ、おかしいくらい頭の良い人が隣にいるからね。多少、ついていこうともするって。」
「いいね。なんなら私の能力、篝に譲ってあげるよ。」
小鳥は、ふふふ、とさらに笑みを深める。
篝は、「それはちよっと勘弁かも。」と乾いた笑みのまま返す。
「で、話を戻すと、酸素ってのは他の物とくっ付こうとする力が強いの。鉄とか放って置くと錆びちゃうでしょ?あれは、鉄と空気中にある酸素が少しずつくっ付いているの。それを酸化って言うんだけど。」
「動物の体でも同じことが起こるの。呼吸によって取り込んだ酸素の一部が酸化する力がさらに強い活性酸素ってのになって細胞がほんの少しずつ酸化していくの。」
小鳥の難しい話が始まってしまった。ここまで無かったから今日は、無いと思ってたんだけどな、と篝。
「んー…。難しいね。」
小鳥は、篝の理解を多少気にしつつ、言葉を選んで、しかし、結局、六歳本来の頭の篝では、理解するのは難しい。
「続けるね。細胞分裂は、動物は、まあ、植物もだけど、日常的に行ってて、定期的に細胞が全部新しくなるんだけど、それによって体が成長して、軽い怪我ぐらいなら治っていくの。」
「でも、何度も細胞分裂をしていると、たまに上手く複写、分裂できない事があって、それが癌って言う病気の元になったりするんだけど、それを防ぐために細胞は一定回数分裂すると自分で分裂するのを止めるの。それによって新鮮な細胞ができなくなるの。」
「んー、じょうほうかた、だね。半分も分かんない。」
六歳には話の内容が流石に難し過ぎたのだろう、篝は肩を竦める。
「ようするに、動物も植物も老化の原因は、酸化と細胞分裂の失敗の蓄積なの。」
「ん?じゃあ、穢れって…。」
小鳥が言わんとすることを、篝にも少し分かったようで、目を丸くする。
「そう、本当は関係なくて、そんなものないはずなんだけど。その穢れによって妖怪が生まれたって言われてるでしょ?穢れって…なんなのかな…。」
小鳥は、最後に力無い呟きを残す。
小鳥が分からないということは、おそらく賢者様にも教わってないということで、ならば、賢者様にも分からないということなのだろうか。
小鳥は、再び顎に手を当てて、思索にふける。
篝は、その横顔をなんとなしに見つめていた。
暫くして、小鳥の横顔が急に明るくなる。口角が上がって、ついに開く。
「んふふ…。ふふふ。」
目を細めて、口元を抑えて笑いを堪えているが、抑えきれていないようだ。
笑い声は次第に大きくなって、大笑いへと変わる。
篝は、目を丸くして、小鳥を少し心配してしまう。小鳥がひとしきり笑い終わって、落ち着いたのを機に声を掛ける。
「どうしたの?」
「答えが出たの。分かってみたら簡単なんだけどね。きっと、永琳先生は承知の上ってやつかな。」
小鳥のその優秀な頭脳は、今の間に先の答えを導き出したらしい。
篝は、小鳥の雰囲気から、自分には言ってくれそうにないと察する。
「篝には、言わないよ。言ってもさすがに分からないと思うし。」
やはり、言うつもりはないようだ。篝は、少し気を落としながらも、軽く約束を取り付ける。
「なら、僕が分かるようになったら教えて。」
「いいよ、分かった。」
小鳥が笑みを浮かべて頷く。
話に一段落ついて、二人は、前を向いて帰路を再開する。
再び歩き出して数分。
突如、辺りを強い威圧感が支配する。
胸を締め付けられるような、体全体を抑えつけられるような、酷く息苦しくなる威圧感だ。
先程まであった夕日の優雅な雰囲気は消え去り、場の空気は、キリキリと命が削られるような危機感を孕ませる。
小鳥は、すぐに目を鋭くして、辺りを見回し始める。
篝もそれにつられて、首を左右に回し、威圧感の正体を探る。
小鳥が、それを見つけて、声が詰まる。
「っ…。」
小鳥の視線の方向に篝も顔を向ける。
少し遠いが、それが、いた。
大きな獣だ。体長一丈はあろうか、四足歩行で、頭から尻尾まで灰色の体毛に覆われ、目には黒い炎のようなものが揺らめいている。口先に見える牙は、鋭く、皮膚など簡単に食い破ってしまいそうだ。
そして、その体全体に紫色のもやが掛かっている。
都市の文献にある壁外の動物、狼と何処か似ているが、大きさが全く違う、なにより、普通の動物に禍々しい紫色のもや等出す術はない。
十中八九、妖怪だ。
どうして、ここに妖怪がいるのか。そう考えるより早く、妖怪が踏み出す。
「篝!逃げて!」
小鳥は、瞬時に構えを取って、両手に霊力を集中させながら叫ぶ。
篝は、恐怖で体が硬直してすぐに動けない。
「早く!」
小鳥の二回目の叫びで、ようやく、篝の体の自由が戻る。
とにかく逃げなければ。
逃げる?小鳥を置いて?
篝の中で一瞬葛藤する。
自分より遥かに霊力が使える小鳥が言っている、ここは任せて、助けを呼びに行くべきだ。
篝は、背を向けて走り出す。
後ろで霊力弾のはじける音と、妖怪の呻く声が聞こえる。
数瞬して、篝は、後ろを振り返ってしまう。
妖怪が小鳥に飛び掛かって、小鳥が押し倒されるのが視界に写る。
妖怪は、その獰猛な牙でもって小鳥に噛みつく。
同時に、空中に赤黒い液体が飛び散る。
いつの間にか止まっていた篝の足は、考えるより先に、小鳥の元に向かう。
瞬間、妖怪が小鳥の腹からその口を放して、返り血で染まったその姿を顕にする。
妖怪は、一瞬、篝を見て、霧に紛れたように、忽然と消える。
地に伏した小鳥は、動かない。
篝の足が速まる。
小鳥に駆け寄った篝は、その散らばった血の匂いと喰い裂かれた腹にむせ返る。
「うっ…おぇ…。」
こんな場合ではない。
「ことり!ことり!」
返事はない。
そんなはずはない。彼女は、こんなことで終わっていいはずがない。彼女は、特別だ。彼女は、神童なのだ。神に愛されているはずだ。世界に愛されているはずだ。
「か…が…り…。」
小鳥の声が、今にも事切れそうな声だが、しっかりと聞こえた。
「ことり!小鳥!」
篝が、小鳥の手を握って存在を確かめる。
「ば…か…、にげて…て言った、のに…。」
小鳥は、弱々しく握り返す。
「喋らないで小鳥!すぐに賢者様を呼んでくる!」
「だ、めだよ…も、う…。」
腹の半分を噛みちぎられ、腸が晒されているのを見れば、末路は明らかである。
篝の顔がこれ以上無いほど酷く悲痛に歪む。
「駄目なことあるもんか!絶対に!絶対に!」
しかし、篝はそれを認めたくないのだろう。もう間に合わないそれを必死に手繰り寄せようと、強く言葉を発す。
「か…が…り…。」
さっきまでの気迫のある声音は影もなく、小鳥の調子は、さらに弱々しくなる。
小鳥は、一息ついて、なんとか振り絞ってもう一度言葉を紡ぐ。
「…だれ、も…うら、ま…ない、…で…。」
篝の手から、小鳥の手が落ちて、
小鳥の体から力が抜ける。
嫌だ嫌だ。駄目だ駄目だ。まだ彼女は連れていかれて良いはずがない。まだ話したい事がいっぱいあって、まだ過ごしたい時間もたくさんあるのだ。将来、幼年学舎を修了したら、大学に一緒に通うのだ。さっきの約束だって…。
「ねえ!小鳥!ことり!」
小鳥が完全に動かなくなった。
「あぁあ…。あぁああああああああああア!」
小鳥さんは、たぶん退場です。