呪術師と駄菓子と人殺し   作:サイnon

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ちゃんとした戦闘シーンを入れようとして挫折しました。ニュアンスで読んでください。


【9】ヤングドーナツ

 

貴透が他人と菓子を分けるのは、幼少期からの習慣が続いているからだ。

 

少ない小銭を握りしめて駄菓子屋に通っていた日々。多くは買えないからそのとき絶対に食べたいものを慎重に選んだ。店主のおばさんと話しながら買ったものを食べて、必ず一つは母親と半分こをするために持って帰っていた。

 

母親はいつも何かに怯えていた。

小さな物音やカーテンの揺れにさえ体をビクつかせ、常に落ち着きなく周囲を見回していた。肩に乗っていたナメクジに似た呪霊が見えていたわけではなかったため、恐らく怯えていたのは何か別に原因があったのだろう。

時折、何かに憑りつかれた様によく分からない本を読み漁り、「間違ってない。大丈夫。間違ってない」と繰り返していた。

そして、貴透が『普通でないこと』をすると異常なまでに激怒し、時には手を上げることもあった。

 

そんな母親が穏やかになるのが菓子を分けるときだった。

 

「ありがとう。由衣は優しいいい子ね」

 

隈が色濃い疲れ切った目元で笑う母親はひどく弱い生き物に見えた。

 

母親が嫌いだったわけじゃない。

 

育ててくれたし、お小遣いもくれた。一緒に食べるお菓子は美味しかった。頭を撫でてくれる手が好きだった。だから、できるだけ母親が怒らないですむように、疲れずにすむように振舞っていた。

 

あの日、母親が病院の屋上から一歩を踏み出してしまったときも。

貴透は母親のために行動したにすぎなかった。

 

 

 

「残暑マジ無理」

 

「今だけは同意します」

 

「早く終わらせてアイス食べよう」

 

お盆が過ぎ去っても張り付く湿気と蒸し暑さは一向にマシにならなかった。曇り空のせいで熱気は逃げて行かないし、そよ風すらも温風を運んでくる。

どんよりと薄暗い墓地の入り口で一年生三人は暑さで既に疲れ切っていた。

 

繁忙期が終わっても呪霊の数が急に減るわけではない。夏から秋にかけて一時的に活動が大人しくなるだけでイベント事が増える年末にはまた術師たちが総出で対応に当たらなければならなくなる。

今年は星奬体関連のドタバタもあってか、高専の生徒に降りてくる任務が多かった。上は他の案件で手一杯なのだろう。

要は体のいい使い走りだ。

 

「死んだ人が目撃されてるって言ってもねぇ。お盆に帰りそびれた幽霊とかじゃないの?」

 

「目撃情報だけならまだしも失踪している人間が出ている時点でほぼ確実に呪霊の仕業でしょう」

 

「まずは行方不明の人の保護優先で行こう」

 

灰原の言葉に頷きつつ、墓地に踏み行った。

昼間でも墓地の中は夜のようだ。人気は全くなく、風が木の葉を揺らす音が嫌に反響して聞こえる。古ぼけた卒塔婆の影が地面に墨汁を垂らしたかのようだ。じっとりと湿った空気が貼り付き、首筋に汗が伝う。

 

「…なんか貴透の言うとおり本当に幽霊出そうだね」

 

「猥談すると寄ってこないらしいよ」

 

「おい」

 

七海の眉間に一気にシワが増えた。仮にも女子が率先して猥談を提案するのはどうなんだ、という視線をガン無視して話は進む。

 

「灰原の女子の好みは?」

 

「いっぱい食べる子!」

 

「るみこ作品でいうと?」

 

「サクラ先生!」

 

「ド健全な趣味しとるわー」

 

「七海は?」

 

「やめてくださいこっちに話を振るな」

 

「私、シャンプーちゃん。はい、後は七海だけだよ」

 

じっと二対の目が向けられる。しばらく黙秘権を行使していたものの居心地の悪さに負け、ぼそりと呟く。

 

「……音無響子」

 

「あー、七海っぽい」

 

「ちなみに未亡人だから?それとも大人のお姉さんだから?」

 

突っ込んで聞こうとした貴透の頭にケースに入ったままの呪具が落とされた。思春期男子の心は繊細だ。

 

不意に足音がした。全員が口を閉じ戦闘態勢に入る。

小さな軽い足音と、何かを擦るようなカサカサという音。この時期よく見かける黒い虫に似た音だ。背筋に悪寒が走る。

墓石の陰から現れたのは小さな男の子だった。まだ小学生にもなっていなさそうな少年はこちらを見て泣きそうな顔になる。

 

「たすけ、助けて」

 

白い腕が背後に迫っている。

七海が呪具を振りかぶるのと、灰原が男の子の前に出たのはほとんど同時だった。

七海の斬撃が腕を吹き飛ばす。濃い緑色の体液が吹き出した。

灰原は男の子を担いで距離を取る。

七海の後ろから飛び出した貴透が追撃をかけるが、強烈な薙ぎに押されて逆に吹き飛ばされかける。七海にキャッチされ、地面に放られた。

 

「もっと優しく下ろしてくれない?こちとらレディだぞ」

 

「すみません、つい」

 

言葉と裏腹にまったく悪びれていない七海を見上げてぶすくれる。

 

墓石の陰から、『それ』は上半身だけを乗り出してこちらを見ている。

女だ。年は二十代後半だろうか。短い黒髪は外側に跳ねており、男の子と似ている。穏やかな微笑みはこんな状況でなければ快く思えたことだろう。しかし、彼女の欠損した左腕から滴り落ちる暗緑色の液体が現実を突きつける。

女が口を開いた。

 

「めェぐみィ」

 

あらゆる音声をごちゃ混ぜにして無理やり女らしくチューニングしたような声。間違いなくこれは呪霊だ。

喉を引きつらせる男の子に「答えちゃだめだ」と灰原が抱きしめる力を強める。

 

『それ』がずるりと這い出す。

蜘蛛だ。女なのは上半身だけであり、下半身は巨大な節足動物のそれであった。腹が縦に裂け、ずらりと並んだ牙と涎を滴らせる舌が露わになる。

 

「おあー、色んな意味でビジュアルがキツイ」

 

「言ってる場合ですか」

 

次々と振り下ろされる節くれた脚をいなすが相手の手数が多すぎる。しかも、妙に動きづらい。ナイフの刃先に何かが引っかかっていることに気が付いた。いつの間にか透明な糸がびっしりと纏わりついている。

 

「七海!ここ、こいつの巣だ!一旦撤退しないとヤバいって!」

 

「っ!灰原!」

 

「分かってる!」

 

男の子を貴透にパスして呪力を込めた拳を蜘蛛の脇腹にめり込ませる。巨体がぐらりと傾いだ。その隙を逃さず七海の斬撃が叩きこまれる。吹き飛んだ巨体が墓石に突っ込んだ。

 

「さっすが」

 

「いいえ、入りが甘い。すぐにでも起き上がります。態勢を立て直しますよ」

 

再び男の子を灰原が抱き上げ、七海は貴透を小脇に抱えてその場を離脱した。

 

 

 

「君、名前は?」

 

「……伏黒恵」

 

「何歳?」

 

「五歳」

 

「しっかりしてんねー。小学校もまだなのにあれ目の前にして逃げられるなんて」

 

「…前から変なのは見えてたから」

 

戦線離脱に成功し、墓地の入り口付近まで戻ってきた。今のところあの呪霊が追ってくる気配はない。

近くの階段に腰かけた男の子は先程より落ち着きを取り戻していた。隣に座る貴透は跳ねた毛先を指でつついて遊んでいる。

 

「あの女性の顔に見覚えは?」

 

「多分、母親。俺が生まれてすぐ死んじゃったから写真でしか見たことないけど」

 

「……なるほど」

 

七海と灰原は険しい表情になる。

つまり、あの上半身は釣り餌なのだろう。見える人間の死んだ身内に化け、誘い込み食い殺す。声さえ聞かなければ高度な擬態を見破るのは一般人には難しい。

できることならここで祓ってしまいたいが、仮にも親の顔をしたものを子供の前で殺すのは気が引ける。補助監督に預けてしまうべきか。

 

「そういえば、お墓参りに一人で来たの?」

 

「いや、つみ…姉ちゃんと。墓の方から変な感じがしたから寺で待っててもらってる」

 

「えらーい、五歳とは思えない。そんなえらい君にこれをあげよう」

 

ポケットから引っ張り出されたのは小さなドーナツの袋。一口に収まりそうな輪っかが四つ、可愛らしく並んでいる。

 

「四人だからちょうど一個ずつだね」

 

「食ってる場合か」

 

「これ美味しいけど水か牛乳ないとキツくない?」

 

「はい、恵くんどーぞ」

 

「……どうも」

 

恵はドーナツを受け取りつつも困惑していた。さっきまでの真剣な雰囲気はどこへやら三人は菓子を分け合っている。とりあえず口の水分が持っていかれないように少しずつ口に入れる。

 

「で、どう撃退する?」

 

「可能ならここくらい広い場所で迎え撃ちたいところですね。糸は行動の妨害程度ですし、切断と陽動を貴透に任せれば灰原と私で何とかなるでしょう」

 

「私囮かーい」

 

「さっき一撃で吹き飛ばされそうになったのはどこの誰です」

 

「囮やりまーす」

 

ドーナツをもさもさと咀嚼していた貴透はあっさり諦めて手を上げた。あの巨体に力比べで勝てるわけがない。

最終的に恵を外で待つ補助監督に預けてから呪霊がいたポイントまで戻るということに落ち着いた。後は七海の提言通り広いところまで誘き寄せたところで一気に叩く。

 

恵が貴透の手を取って立ち上がった時だった。あの何かを擦るような不快な音が聞こえた。

全員に緊張が走る。

薄暗い通路の奥からソレが現れた。切り落とされた腕は治ることなく緑色の液体を滴らせている。しかし、先ほどとは明らかに違う点があった。

上半身の女の形状が変わっている。黒髪は茶髪に、短かったはずの毛先は緩くカールしたセミロングに変化していた。女が顔を上げる。

 

「ュゆいいィ」

 

貴透に瓜二つな女性。

 

「……お母さん」

 

かすれた声が漏れた。

その声に反応して呪霊は猛然とこちらに向かってくる。

 

「走れ!」

 

灰原の檄で我に返った貴透はすぐに恵の手を引いて墓地の出口へ走り出す。七海と灰原でなんとか呪霊を押し留める。二人が離脱するまで時間を稼がなければ。

斬撃を打ち込みながら七海は舌打ちをする。迂闊だった。見える人間をターゲットにしているなら当然自分たち呪術師も含まれる。

既に貴透は呪霊の呼びかけに答えてしまった。恵と共にこのまま墓地から逃げなければ次に食い殺されるのは彼女だ。

鈍い音が背後から響く。目だけで後ろを見やれば貴透が転倒していた。足にはいつの間にか蜘蛛の糸が絡みついている。

 

「恵くん行って!」

 

貴透の叫びに恵は弾かれた様に走っていく。

攻撃が節くれた脚にいなされて呪力が届き切らない。呪霊の目的は獲物探しから喰うことへシフトしている。一瞬でも気を抜けば七海たちなど無視して貴透のもとへ向かうだろう。

絡んだ糸に引きずられまいと貴透は必死に地面に爪を立てる。それでもじりじりと距離が縮められていく。

 

ふっ、と貼り付いていた貴透の体が地面から剥がれた。

放物線を描いて呪霊へと引き寄せられていく。咄嗟に手を伸ばした七海と灰原の体に呪霊の脚が直撃した。地に叩きつけられ、脳が揺らされる。

呪霊は右手で貴透の首を掴み上げ、楽しそうに嗤う。

 

「ユいぃ」

 

「…うるさい」

 

「なんでェ?」

 

「は…?」

 

「なんでころしたのォ?」

 

貴透の目が見開かれる。何か言おうと開かれた唇が戦慄く。

振り上がった貴透の足が呪霊の腕に絡みつく。腕を引く間もなく、手首が切断される。緑の体液が滴る肉片を喉元にくっ付けたまま呪霊の首をナイフで貫く。力任せに刃を薙いで母親の顔をした頭を千切り飛ばした。

唐突に視界を失った巨体の動きが鈍る。

ダメージから復帰した灰原が地を蹴る。落下の勢いと全体重を組んだ両手に乗せて打ち付ける。蜘蛛の体が地面に沈んだ。

 

「七海!」

 

「聞こえてる」

 

ふらつく頭でも、動きさえ止めれば当てられる。

 

―十劃呪法。

相手や物体に対して、長さを線分した時の7対3の比率の点に攻撃を当てることができれば、そこを強制的に弱点として攻撃をクリティカルヒットに転じさせる。

正確な斬撃は呪霊の体を一瞬で両断した。

 

 

「無事ですか」

 

「…あんまり」

 

「貴透、手。応急処置しないと」

 

彼女の両手は爪が剥がれ、血が流れている。大人しく手を差し出して治療を受ける貴透の顔は暗く沈んでいる。無理もない、呪霊とはいえ母親の姿をしていたものを殺したのだ。

声をかけようとした七海の言葉が遮られる。

 

「なァんでェ?なんでェころしたのォ?」

 

首だけになった女が嗤う。

七海が呪具を振るうより早く、貴透がそれを踏み潰した。粘着質な嫌な音が響く。

 

「殺してない」

 

静かだが確かな怒気が込められていた。ここまで激情を露わにした彼女を七海も灰原も見たことがない。

先に動いたのは灰原だった。貴透の右手をそっと引く。

 

「帰ろう」

 

強張りが解け、感情が抜け落ちた顔でゆるゆると頷いた。

繋いだ手を離すことなく灰原は歩き出す。二人の背中を見つめながら、七海は言いようのない不安感にかられた。

 

 

 

その日、貴透はいつも通り母親の病室を訪れていた。

ポケットにはヤングドーナツ。一人で全部は多いから、二人で二個ずつ分けるのが決まりだった。その決まりもこの頃はすっかり機能していないけれど。

ベッドに括りつけられた女性の虚ろな目は何も映していない。ただ虚空に向かってずっと何事かを呟いている。

ドーナツをベッドサイドに置いて母親の手を取る。握り返されなくなって久しい。

 

「お母さん」

 

答えはない。ぼそぼそと唱えられている言葉は貴透には理解できない。

 

「お母さんはどうしたい?」

 

呟きが止まった。血走った目が数ヶ月ぶりに貴透に向けられる。

 

「しにたい」

 

はっきりと、願いが口にされた。貴透はただ頷いた。

 

 

もぬけの殻となったベッドに頭を預ける。拘束のためのベルトは解かれ、くたりと垂れている。

 

「寂しいなぁ」

 

自分以外誰もいなくなった病室に声が通り抜ける。

「ころして」ではなく「しにたい」。それなら自由にすべきだと思った。こっそり持ち込んだナイフはカバンにしまったままだ。

 

数分後、何かが潰れる音と悲鳴が外から聞こえた。

 

 

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