耳鳴りがひどい。
貴透はぐったりと座席の背もたれに体を預けていた。体調不良は日に日に酷くなる。
苦しすぎて七海の前でうっかり人を殺しかけたほどだ。
ぐわんぐわんと耳の奥で反響している音は不協和音をいくつも重ねたような不気味な響きで脳内を掻き回してくる。
自室で倒れこんでいる所を星川に引っ張り出された。
単独行動を禁止されているため、高専から一級術師と共に車で移動している。てっきりいつものように呪詛師を狩りに行くものだと思っていたがそうではないらしい。
車は人通りのないトンネルの前で停車する。
「では、手筈通りに」
術師は頷くと帳の向こうへと消えていく。
「あれ、任務じゃないんですか」
「彼
車に戻ろうとすると引き止められた。何か手渡される。
手のひらに収まるほどの大きさのそれは山羊の角を模った黒曜石だった。
「何ですかこれ」
「これからは移動にそれを使ってもらおうと思ってね。呪力を流すことでいわゆる瞬間移動が可能になる。今回は私が予め移動先を設定しているけれど、自分で使うなら明確に移動先をイメージすることだ」
よく分からないまま呪具に呪力を流す。
次に目を開けて見えたのは山奥の村だった。
「最近は呪詛師たちもすっかり鳴りを潜めてしまっていてね。君に提供できるものとして、ここを選んだんだ。最近ずいぶんと体調も悪化しているようだし」
「…良いんですか。別に村ごと呪詛師と繋がってるとかじゃないんでしょ」
「良い。君は殺すだけでいい。ここは少し前から呪霊による神隠しが頻発している。村民が消えたところで疑われない。元々外界ともつながりが希薄な場所だ。発覚するのも早くて数か月後だろう」
「でも」
「『協力者』が死体を欲しがっていてね。その呪具の微調整もしたかったし丁度いいんだ」
それに、と星川は言葉を続ける。
「まだ君は学生生活を送りたいだろう?」
「……」
手渡された呪具をポケットに押し込む。
息が苦しくて仕方ない。
美々子と奈々子は檻の片隅で身を寄せ合っていた。震えているのは寒さのせいだけではない。
先ほどから、ずっと外から悲鳴が聞こえている。何が起こっているのかここからでは分からない。バタバタと騒がしい足音が近付いてきた。村人の一人が青い顔で駆け込んできた。
「た、助け」
言い終わる前に、男の体が前に傾ぐ。背後から現れた血液を滴らせる白刃が迷いなく首を貫く。
男が潰れたカエルのような悲鳴を上げながら倒れた。びくりと断末魔に身体を震わせている。
血塗れの前髪から覗く目がこちらを見た。喉の奥が引きつる。
「あれ、まだ人残ってたんだ。もう皆殺したと思ったのに」
この場に不釣り合いな軽い口調で恐ろしいことを口にする。檻の前にしゃがみこんで二人をじっと見ている。
「なんでそんな所にいんの?」
「…私たちが、呪術師だから」
「え、同業者じゃん。姉妹?双子?」
こくりと頷いて肯定を返す。目の前の少女が何を考えているのか美々子にも奈々子にも分からない。
「二人くらいならバレないかなー…。でもなー…」
湿った前髪をいじりながら何か呟いている。
「ホントは皆殺しにしろって言われてるんだけどさ、君らに似た子が友達にいるからあんまり殺したくないんだよね」
「じゃあ…」
「だから約束」
檻の間から腕を差し込んで小指を立てる。
「私がここにいたこと、ここでやったこと全部秘密にするって約束してくれるなら私も君らのこと秘密にする。ついでに良いものもあげる」
少し迷ってから、二人は小指を絡めた。少女は満足げに笑いポケットから細長い筒を取り出した。少し血で汚れた蓋を引っこ抜き、こちらに差し出す。
「手出して」
手のひらいっぱいにざらざらとカラフルな粒が落とされた。甘い香りがする。
空になった筒をポケットにしまい、少女は立ち上がった。檻にかけられていた南京錠をナイフで破壊する。
「今日中に片付け終わると思うけど、出るなら明日の朝とかの方が良いかもね」
バイバイ、と手を振って少女は村人の死体を引きずって扉の向こうへと消えた。
七海は自販機横のベンチで一人考え込んでいた。
以前に貴透が切りつけた男は一命を取り留め、「体調不良を原因とした判断力の低下による過剰防衛」として報告をあげた。
心の中にはずっとしこりが残っている。自分でも分かっていた。判断力が低下している人間が、あんなに正確に急所を狙った攻撃が出来るわけがないことくらい百も承知だ。あれは明らかに体に染み付いた動きだった。
それでも、ありのままを記すことが出来なかった。
深いため息をつく。考えたところで自分の判断が正しかったのか、答えは出ない。
不意に首筋に熱いものが当てられた。驚いて顔を上げると缶コーヒーとココアを持った灰原が笑いかけた。
「灰原…」
「ごめんごめん。呼んでも全然反応なかったから」
はい、と差し出された缶コーヒーを受け取る。じりじりと手のひらに熱が広がる。
「貴透と何かあった?」
灰原は言葉を誤魔化さない。その率直な物言いは美点ではあるが、今はどう答えたものかと迷ってしまう。
そもそもまだ確証のない話だ。自分が口を閉ざしてしまえば知られることはない。
本当に、それでいいのだろうか。
「…灰原は貴透をどう思いますか」
抽象的な質問に灰原は一瞬キョトンとした顔になり、すぐにハッと何かに気が付いたように口元を押さえた。
「もしかして、七海。貴透に告ってフラれた?」
「違う」
食い気味に否定しながら眉間に皺を寄せる。「冗談だよ」と灰原は笑顔を引っ込めて少し考える。
「うーん。アホっぽいし変わってるけど、悪い奴ではないと思うよ」
「そうですか」
「七海はどう思ってるの?」
「私は…」
自分は、どうなのだろう。
しょっちゅうフラフラどこかへ行こうとする手のかかる同級生。灰原と悪ノリしているときは少々、いやかなり面倒くさい。駄菓子のことになるともっと面倒くさい。
デリカシーに欠けているくせに、他人をよく見ている大切な同期。
「少し、気になっていることがあります」
あくまで自分の違和感だという事を前置きにして、七海は話し始めた。
灰原は時折相槌を打つだけで、ひたすら耳を傾けていた。
「正直、私の考えすぎだというのも捨てきれません」
「でも、そう思えないから話したんだろ?」
沈黙が落ちる。
どちらも言葉を続けられずにいると、パタパタとこちらに近付いてくる足音が聞こえてきた。
「あ、こんな所にいた」
曲がり角から貴透がひょっこり顔を出す。
「体調はもう良いんですか」
「今のところねー。暇ならどっちでも良いから買い物ついて来てよ」
「そっか、一人で外出れないんだもんね」
「もーマジで不便。いっその事学校の敷地に業者呼んで店開いてほしい」
「それはあなたにしか需要がないでしょう」
「私にあるんだから重要でしょ」
早くー、と急かす彼女の顔色は以前より血色が戻っている。そのことに七海は少しだけ安堵した。
「イケメンだー!」
「金髪だー!」
貴透の行きつけだという店の前で二人の小学生が道路にチョークで絵を描きなぐっていた。瓜二つの顔を見るに双子だろうか。
二人はこちらを見るや否やこれでもかと目を輝かせて叫んだ。
「貴透の知り合い?」
「友達」
二人はランドセルを店先に置いたまま貴透にタックルをかけて抱き着く。ぐえっと貴透から潰れたカエルのような声が漏れた。
「とうちゃんの彼氏!?外人と日本人の彼氏!?」
「どっちが彼氏?両方?」
「やめてください。縁起でもない」
「貴透が彼女なのはちょっとなー」
「おいコラどういう意味だ」
きゃらきゃらとした声を弾ませて二人の小学生は楽しそうに貴透の腰に引っ付いている。
「何か買ってくる?」
「おまかせします」
「じゃあ僕も」
「いつもと変わんないじゃん」
「しょうがないなー」と笑いながら双子とともに店の中へ消えていく。あれがいいこれ買ってとせがむ微笑ましい声が聞こえてくる。
つい七海は苦い顔になった。少し前までなら、こんな穏やかな時間に疑問を持つことも無かっただろう。
ベンチに座った灰原は険しい表情の七海を見上げる。
「僕はそんなに難しいことじゃないと思うよ」
「…彼女が人殺しだとしてもですか」
「自分で見たわけじゃないからなー」
口調はいつもと変わらないが灰原の顔は真剣なものだ。
「なんの理由もなく貴透がそんなことするわけ無いって七海も分かってるから悩んでるんじゃない?」
「……」
「もし、貴透が悪いことしてるならさ。その時は、二人で止めようよ」
「…そうですね」
まだ間に合うだろうか。
救うだなんて傲慢なことは言わない。それでも手を伸ばして届くなら、こちら側に引き戻せるなら、やらないなんて選択肢は無いだろう。
「おまたせー。何難しい顔してんの?好みのタイプで対立でもした?」
「違います」
「何買ってきたの?」
「これ。はい、二人とも手を出す」
言われるがまま手を出せば目に眩しいカラフルなチョコレートが筒からこぼれた。
貴透は普通サイズの筒の二倍はありそうな大粒と書かれたパッケージを片手に双子とどう分けるかじゃんけんを始めている。
その光景を眺めながら、七海は黄色の粒を口に含んだ。
貴透は二重の意味で普通ではなかった。
人を殺さなければ生きられない体質と呪いが見えるという二つの異常。友達はいても、本当の意味で共感ができる相手がいなかった。
だから、片方だけでも良いから普通で居られる場所が欲しかった。
最初から分かっていたことだ。そんな願いは長く続かないことなんて。
良いじゃないか、ちょっとくらい欲張ったって。自分ではどうしようもなかったんだから。
角を模した石を手のひらの上で転がす。
もうすぐこの殺伐としていて、手放しがたい学生生活は終わるのだろう。
なんとなく、そんな予感がしていた。