呪術師と駄菓子と人殺し   作:サイnon

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パパ黒が出てくるとなぜか伸びるこのお話も今回で最終回です。
話終わらせるのって難しいですね…。今までで一番書き直した気がします。

※かなりクトゥルフ要素が強いです。五条先生は根性で発狂を耐えました。

感想、評価などありがとうございます。とても励みになりました。


【14】すっぱいガム

星川という男は信心深かった。

 

呪術師の家系でありながら豊穣の神を祀っていた実家の影響で、物心つく前から「母なる黒山羊」の一員として育てられた。

 

「産みなおし」は選定だ。喪った命を授けるという名目のもと、その実態は信奉対象である神の降臨に必要な依り代を用意するものだった。

しかし、中々適合する個体は現れなかった。成り損なって赤子とさえ呼べるのか怪しい何かを抱え笑顔で礼を言う女たちを何人も見てきた。そんな半端なものですら己の子であると信じられるのだから、母親という生き物の情念は恐ろしい。

 

ようやく適合した個体が現れた矢先に呪術師の襲撃を受け、教団は解体された。誤算だったのは呪術師の中に神を退去させる呪文を知る者がいたことだ。

星川は術師たちの追跡から逃れることに成功したが、呪具も人材も失い、実家は呪術界の汚点として闇に葬られた。

 

顔を変え名を星川と改め、補助監督として呪術界に再び潜り込んだのは解体騒ぎで行方不明となった適合体を探すためだ。きな臭い噂なら表の世界よりこちらにいる方がよっぽど耳に入りやすい。

そして、数年の捜索期間を経てようやく居場所を掴んだ。

ある地域で移動するように上下していた呪殺件数。単体で見れば誤差のようなもの。しかし、現地で確認した呪殺被害者たちの遺体を見て星川は確信した。巧妙に偽装してあるが紛れもなく人間が殺している。解剖に回される前にそれらの遺体はこっそりと引き取った。

現地に赴き、死体の引き取りと現場偽装を繰り返しながら足跡を追い、ようやく貴透由衣(適合体)たどり着いた。

 

幸運だ。やはり神は自分に味方している。

 

星川の目的はただ一つ。貴透由衣を依り代としてかの神をこの地に完全顕現させること。

今度は退去の呪文など効かない。完璧な形で『こちらの存在』として定義する。呪術師も、呪詛師も、非術師も例外なく彼女の腹に収まることになるだろう。

 

呪霊とするにはあまりに強大。神と呼ぶにはあまりに冒涜的。それでも人智を超えたその存在に人は名前を付けて神と呼んだ。

そんなモノが産み落とした落胤。生物を殺し、生贄を捧げ続けることで貴透由衣の魂は神とより強く結びついていく。あともう一押しなのだ。

貴透に持たせた呪具はただの呪具ではない。神に依り代の位置を伝えるための発信機だ。

あとは、依り代が祝詞を唱えればいい。

 

本来なら上層部が今まで自分と貴透に命じていたことを洗いざらい暴露し、混乱に乗じて上役たちを皆殺しにするつもりだった。その後は貴透の存在を盾に散り散りになっていた教徒たちを呪術界に潜り込ませ、ゆっくり下地を整える予定だった。

しかし、思ったより夜蛾の動きが早い。今のままの貴透に五条をけしかけられたら確実に負ける。その前に動かなくては。

 

かつて取り上げられ、忌庫にしまい込まれていた聖典。最悪原本がなくても祝詞さえあればなんとかなる。

頭痛と吐き気に苛まれながら常人は理解しようのない単語の羅列を携帯に打ち込んでいく。狂気の狭間で作業を進める。背後から近付く気配に気が付けなかった。

後頭部に鈍い音。景色が回転して、頬に固い床が当たる。

 

「やあ、今まで暗躍ご苦労さま」

 

こちらを覗き込んで微笑む男の額には一文字の傷が走っている。

じくじくと後頭部に広がる熱。思考が塗りつぶされていく。

 

「貴透由衣はなかなか参考になる面白いモデルケースだったよ。人間の進化の可能性の一つと言ってもいい。あまりにお粗末で醜悪だがね」

 

侮蔑を込めた笑い。

男に悟られないように、星川はポケットに手を潜り込ませる。こうなることを想定していなかったわけではない。男は機嫌がいいのかお喋りを続ける。

 

「しかし、このままこの国もろとも呪術師を皆殺しにされては困るんだ。まだ私はやりたいことがあってね。君らが大量に死体を増やしてくれたおかげで当分は動くのに困らない。安心するといい、彼女のことは五条悟が片付けてくれるさ」

 

携帯のボタンを決められた順で押していく。画面が見えなくとも、この手順を踏めば用意しておいたメッセージは一斉送信される。

この先の未来、人間のいなくなった地で笑うのは自分じゃなくていい。

最後のボタンを押したとき、再び頭に衝撃が落ちた。

 

「さようなら、哀れな狂信者。ついでに君の体も貰っていくよ」

 

 

 

貴透は高専から逃げる支度をしていた。

 

しばらく星川との連絡が途絶えていた。何やら忙しそうにしているとは思っていたが、ここまで音信不通だったのははじめてだ。電話にも出ないので直接会いに行くかと迷っているところにメールが来たのだ。

 

星川はメールを使わない。

メールは消去してもデータが残ってしまうと言って、必ず盗聴対策のされた秘匿回線で連絡を取っていた。それなのにメールが来たということは、星川自身が声すら出せない状況にあるということだ。

送られてきたメールの前半には呪文のような文字列のみが並んでいた。常人が読んだら理解できないオカルトめいたそれを貴透だけが理解できた。全てに目を通して唱えたら自分の身に何が起きるのか、何が()()()()()のかを不思議と直感的に理解できた。

これを読んで理解できるというのもおそらく星川のシナリオ通りなんだろう。

後半部分は自分以外の誰かに向けたメッセージということしか分からなかった。

 

「お別れくらい言ってくれればいいのに」

 

結局、星川は一度も菓子を受け取ってはくれなかった。

彼が貴透ではなく自分を通して何か別の存在を見ていることには前から気が付いていた。世間から見れば星川はお世辞にも善人とは呼べないだろう。それでも、居場所をくれた恩人だから少しだけ情はあった。

 

最低限の荷物だけ持って部屋を出る。渦巻の校章は部屋に置いてきた。

星川が死んだと仮定するともう貴透を庇護するものは何もない。上は今までのことを隠蔽するためすぐさま自分を処分しに来るだろう。

 

どこへ行こうか。どこへでも行ける。山羊の角を模った呪具を指先でいじる。

星川から託された呪具は効力を失っていない。今すぐ北海道や沖縄に行くこともできるし、なんなら海外にだって行けるかもしれない。でも、海外には駄菓子屋がない。旅行で行くならまだしも向こうで生活はちょっと気が引ける。

今まで任務で赴いた先を候補地として思い浮かべながら携帯で時間を確認する。

あと三十分ほどで七海と灰原が帰ってくる。

 

「きっとこれが最後だもんなぁ」

 

ポケットに入れたままのロシアンルーレットのガムをおさえる。

卒業証書は受け取れないけど、最後くらい超すっぱいガムを引いて顔を歪ませる同期を指さして笑うくらいはできるだろうか。

人目を避けて音を立てずに移動していると、突如視界がぐらつく。急激に息が上がり、内臓が締め上げられる。

よりによってこんな時に。

つんざくような耳鳴りに呻きながら貴透はその場にしゃがみこんだ。

 

廊下の向こうからこちらに近付いてくる気配。教師ではない術師は貴透を目に留めると呪具を片手に真っ直ぐに歩いてくる。高専内でもお構いなしに殺しに来るとは、思っていたより上層部は焦っているようだ。

時計を確認する。あと二十八分。あと二十八分ここにいられればいい。

貴透は後ろ手にナイフを引き抜いた。

 

「黒雲顎門」はクセが強い術だ。

発動に必要な三つの条件。それによって呪力こそ平凡の域を出ない貴透の術は格上の相手に通用するようになる。

しかし、術の真価はそこではない。

『術師自身が死に瀕するほどの体調不良』という四つ目の縛りによって、貴透の術は完成する。

すなわち、相手の殺害という効果を「絶対不可避」まで押し上げる。

 

落ちた術師の首を見下ろす。遺体に手を合わせてフラフラと歩く。耳鳴りが止まない。

殺した術師の仲間らしき補助監督が貴透と死体を見て目を剝く。悲鳴を上げようと口を開けたままの頭部がごとりと床に落ちた。

二人が帰ってくるまであと十七分。

 

「早く帰ってこないかな」

 

 

 

五条は長期任務の途中で呼び戻され、高専に戻ってきていた。

夜蛾に貴透の監視を頼まれてから異様に五条に回される任務が増えていた。おかげで監視はほとんど機能していない。まるで五条を高専から遠ざけようとしているかのような采配に違和感はあった。それでも任務中に夜蛾から連絡がなかったということはそこまで大きな変容はないということなのだろう。

 

そんなぬるい考えは今目の前に広がっている惨状によって打ち砕かれた。

転がる頭と胴体。廊下の真ん中に広がる殺戮の跡に教師陣と補助監督が右往左往している。ひどく顔を歪めた夜蛾がこちらを見た。

 

警戒していなかったわけじゃない。それでも、夏油があそこまで気を許しているのなら、もしかしたらと思ったのだ。もしかしたら、人間らしい心を持っているのではないかと。どれだけ生物として歪でも、人間と相容れぬ存在だとしても、人として生きようとしているのではないかと。

 

そんなことあるわけねぇだろ。

 

残穢を追って駆け出す。気配はまだ高専を出ていない。()()を外に出してはいけないと脳内で警鐘が鳴る。

あの時。一番はじめにあの異質さを知覚したとき。やはり、殺さなくてはいけなかったのだ。

 

 

 

「貴透、喜ぶんじゃない?」

 

七海が片手に提げた袋を見て灰原は嬉しそうに笑った。七海は少し居心地悪そうな顔になりつつも何も言わない。

貴透にお土産を買って帰ることを提案したのは七海の方からだった。別に特別何かがあったわけではない。ただ、帰り道に駄菓子屋を見つけて、貴透の顔がふと浮かんだ。

灰原は別にからかうつもりなど無いが、七海の行動に頬が緩むのを抑えられなかった。

さっさと報告を済ませてしまおうと歩いていると門の前で夏油に出くわした。

 

「あれ」

 

「こんにちは!夏油さん」

 

「お疲れ様です」

 

「お疲れ。なんだ、七海もついに貴透に影響されたのか?」

 

「夏油さんこそ」

 

「私のこれはお土産だよ。美々子と奈々子に」

 

夏油が手にする袋にはマーブルチョコが入っていた。

神隠し被害が出ていると通報があった地域の山道で保護された双子はすっかり夏油に懐いていた。

発見時ボロボロだった二人はどこから来たのか、何があったのか、一切話さなかった。しかし身体中に残る怪我や衛生状態、大人に怯える様子を見るに、どこかで虐待を受けていたのは明らかだった。

その姿に一番心を痛めていたのが夏油だった。二人が少しでも普通の生活に戻れるようにと気にかけていた。

もともと物腰が柔らかい夏油に二人が心を開くのにそう時間はかからなかった。ほとんど自分たちのことを話さない美々子と奈々子がようやく教えてくれたのがカラフルなチョコ菓子が気に入っているということだった。

 

「最近は五条さんと一緒にいないことが多いですね」

 

「まあ、任務も別々だからね。私には私の、悟には悟のやるべきことがある」

 

そう言った夏油の表情は穏やかだ。

五条が一人で任務をこなすようになり、夏油が『最強』を口にしなくなった時期よりずいぶん明るくなったと灰原は安心していた。

やつれるとまではいかなくとも、どこか暗い雰囲気をまとっていた尊敬する先輩を密かに案じていた。

体術指南をお願いしたのはただの思い付きだったが、思ったよりいい方向に転がったようだ。

貴透は後輩イジメだと不服そうだったけど、傍から見ていれば夏油が楽しそうに指導しているのがよく分かった。

 

「あの人、今は長期任務なんでしょう。あと三日くらいは帰って来ないんじゃないですか」

 

「あれ、さっき急に呼び戻されたって言って夜蛾先生のところに行ったけど」

 

「今日何かありましたっけ?」

 

「さあ?」

 

話していると門の向こうから貴透が歩いてきた。これからどこかへ出かけようとしていたのか、制服ではなくラフなパーカー姿で小型のリュックを背負っている。

 

「あ、おかえり。先輩も」

 

いつもと変わらない軽い調子だが、顔色が悪い。

 

「体調悪そうだけど、出かけるの?」

 

「うん、まあ。その前に二人に会っておこうと思って」

 

言葉の端々に、七海はなんとも言い様のない違和感を感じる。まるで、別れでも言いに来たような雰囲気だ。

 

「そうだ、夏油先輩」

 

「ん?」

 

「美々子ちゃんと奈々子ちゃんに伝えといてください。もう約束守らなくていいよって」

 

「約束?」

 

夏油は首をかしげる。

貴透は美々子と奈々子に面識はなかったはずだ。二人が高専に保護されてから灰原はときどき顔を見に行くことはあったが、それに彼女がついて来たことは一度もなかった。では、その約束はいつ結ばれたものなのか。

灰原も同じ考えに至ったのか、怪訝そうな顔になる。

 

「そんな顔色で外に出ても仕方ないでしょう。これを持って部屋で大人しくしていてください」

 

七海が袋に入った駄菓子を差し出す。それを見て貴透はぽかんとした後に嬉しそうに笑う。

 

「わざわざ買ってきてくれたの?」

 

「たまたまです。深い意味はありません」

 

「やだー、ママやさしーい」

 

「没収」

 

「うそうそ、ありがと。じゃあこれ代わりにあげる」

 

くすぐったそうに笑う貴透がポケットから出したのは黄色いパッケージのガム。以前、灰原が当たりを引いてあまりの酸っぱさに転げまわっていたのを覚えている。

受け取ろうとした七海は何気なく見下ろした貴透の袖口にべっとりと付着した血を見た。一瞬で頭が冷える。怪我、ではない。なら誰の血液なのか。

思考がまとまる前に、弾け飛んだ血しぶきが七海の顔を濡らした。

 

 

 

五条の目が貴透を捉えた瞬間、ぞわりと全身の毛が逆立った。

人より見えてしまう五条にとって、その異常性が知覚できてしまうのはある意味で致命的だった。

術式どころの話ではない、貴透と得体の知れない何かの間に完成した()()()。母体と胎児をつなぐへその緒のようなそれの()を不用意に目で追ってしまったのが間違いだった。

以前、夜蛾に見せられた狂気じみた図像。それをより歪に、おぞましく、悪意と狂気で塗り固めたような存在を知覚してしまった。

五条の脳が防衛本能から意識を強制的にシャットダウンしかける。舌を噛んでギリギリ踏みとどまった。

 

―術式順転、《蒼》。

首をへし折るつもりだったが狙いが外れた。袋を持っていた貴透の腕がぐしゃりと潰れる。噴き出した血が七海の顔に飛ぶ。赤い液体にまみれたビニール袋が地面に落ちた。

咄嗟に七海は貴透を背後に庇い、灰原と夏油が前に出る。

 

「悟、何を」

 

思考が狂気に引きずられそうになるのを血が滲むほど拳を握り込んで耐える。

このまま直視し続けるのは危険だと分かっている。だが、ここで逃がすことは許されない。

 

「さっき死体があがったんだよ。上直属の術師がそいつに殺されてる。残穢が残ってるんだ、言い逃れできねぇぞ」

 

七海の思考が白に塗りつぶされる。

死んだ?何が。殺した?誰が。

貴透が、殺した。

 

すぐ後ろにいたはずの貴透がすっと七海から体を離した。彼女は何も言わない。ただ、隠し事が見つかってしまった子供のような顔で七海と灰原を見る。

それが答えだった。

 

「止めろ!七海!」

 

夏油の叫びに七海は手を伸ばす。貴透に触れる直前、ほんの一瞬の躊躇。

 

ここで引き留めて何になる。

もう貴透をこちら側に連れ戻すことは不可能だ。彼女は既に一線を越えた。きっと自分が気がつくよりずっと前から手遅れだった。ここで貴透を止めると言うことは彼女を殺すということだ。呪術師であるならば、そうすべきだ。だが、七海の心は軋んでいる。その選択を拒んでいる。

 

呪術師であり、彼女の友達である自分はどちらを選択すべきなのか。

 

迷いは動きに如実に表れる。時間にしてほんのわずか。それでも貴透が七海の葛藤を察するには十分だった。伸ばされた七海の手に黄色いパッケージのガムを押し付ける。

少しだけ、彼女は寂しそうに笑う。

 

「元気でね」

 

短すぎる別れの言葉を置いて、貴透の姿は音もなく消えた。

 

 

 

後日、貴透由衣は特級呪詛師として指名手配され、発見され次第処刑することが決定された。

 

 




次回エピローグです。
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