五条先生とナナミンの距離感好き
伊地知が運転する車の後部座席で七海は眉間のシワを深くした。
タブレット端末に送られてきた報告を読み終えて深く息を吐く。
サングラスを外し、眉間をもむ。そんなことをしたところで、この頭痛は良くはならないけれど。
「大丈夫ですか」
伊地知がバックミラー越しに心配そうな視線を送る。
「ええ」と短く返答してサングラスをかけなおした。
奇妙な案件がここのところ増えている。
歩く巨大な樹木のようなものを見た。森で巨大な蹄が通りすぎた。動物なんていないのに強烈な獣の臭いがした。
日本各地の窓からそんな目撃情報が入ってくる。
そして、それは決まって何の前触れもなく突然現れては煙のように消えるという。
術師が襲われた事例はまだ発生していないが、被害が出るのも時間の問題だろう。
日下部の報告を見た。
各地で目撃される謎の呪いの背後にはそれを呼び出しているらしき正体不明の勢力がありそうだということ。
灰原が回収した『写本』を解析したところ、十数年前に忌庫から持ち去られた『聖典』の一部を写し取ったものであり、おそらく一般にばら撒かれているということ。
そして、その件に少なからず貴透由衣が関わっていること。
事態は七海の想像以上に規模が大きく複雑な構造をしているらしい。
ようやく掴んだ元同級生の手掛かりにはこの上なく面倒なおまけが大量にくっついていた。
一つでも頭を抱えたくなるのに、厄ネタのオンパレードだ。お腹いっぱいを通り越して吐き気がしてくる。
七海の選んだ道が過酷になるだろうことを想定していなかったわけではない。だが、分かっていても気が滅入ってくる。
捜せば捜すほどに、記憶の中の小さな背中が遠ざかって見えなくなる気分だ。
ふいに七海のスマホが揺れた。画面には慕い甲斐のない先輩の名前が表示されている。
ため息をついてから通話ボタンをタップした。
「はい」
「おーす七海ぃ?ちょっと頼みたいことあんだけど」
「お断りします」
即座に通話をぶっち切りスマホを隣の座席に放り投げる。
数秒もせずスマホは息を吹き返したかのようにヴーヴーと抗議の声を上げている。
どうせ高専に着いたら顔を合わせるのだ。いま彼の八割適当な話に付き合う必要もないだろう。その時間を休息に当てる方がよっぽど有意義だ。
ものすごく不安そうな顔の伊地知をバックミラーでチラ見してから、七海は目を閉じた。
高専に到着すると、門の前で不機嫌を隠そうともしない大男が大福を頬張って待っていた。
巻き添えを察知して伊地知はすっと音もなくその場を離れた。
「ぅひふんぁよ」
「飲み込んでから喋ってください。行儀の悪い」
「電話シカトすんなよ」
「あなたの頼みごとはだいたいロクでもないことなので」
「うーわ、なんて可愛げがない。超イケメン最強先輩への態度じゃないね。やり直し」
ふんぞり返りながら二個目の大福を一口で頬張る。
「自分でそんなことよく言えますね。ある種の感心を覚えます」
「尊敬もしてる?」
「いえ、まったくこれっぽちも」
「ほんとに可愛くねー」
「本題に入らないなら、私はこれで」
「待った待った、分かったからちょっと止まって―って足速いな」
やろうと思えば力づくで従わせることもできるだろうに、それをせず真正面から頼んでくるのがこの男だ。
そういうところは七海も信頼している。
追い抜きざまに「イエーイ俺の方が足長いー」と煽ってくる五条を無視して歩くスピードを落とした。
「宿儺の器の付き添い、ですか」
「そ。表向きには死んだことになってるから僕と傑は引率できないし、七海が一番適任だと思って」
いったいいくつ持っているのか、三個目になる大福を包むビニールを剥がしながら五条は当然のように言ってのけた。
不幸にも呪いの王を宿して死刑宣告をされた、数ヶ月前まで一般人だった少年。
いくら脅威とはいえ、まだ人的被害を出していない未成年の子供の秘匿死刑なんてものが罷り通っているあたりこの業界は自分の学生時代とさして変わっていない。
「よく執行猶予がつきましたね」
「そりゃー、僕が超がんばったからね。御三家が多少口出せるとはいえ、僕以外はみーんな即死刑賛成派だったから骨が折れたよ。頭カッチカチのジジイばっかだからね」
この適当そうに見えて聡明な男に命を救われている術師は多い。
軽薄なところは学生時代から変わらないが、それなりに苦労は積み重なっているのが言葉の端々から感じられた。
呪術師の世界、特にその中枢は血統至上主義だ。
七海はもちろん、特級の称号を持つ夏油であっても一般家庭出身の術師が総監部の意向に口を挟むことはできない。
そういった身内での足の蹴り合いは由緒ある血筋と上を黙らせる肩書きの両方を併せ持つ五条が引き受けるしかないのだろう。
「いい子だよ。タフだしイイ感じにイカれてる。性格はちょっと灰原に似てるかな。根明なところとか。呪術師としてはまだぺーぺーだからシゴいてやって」
「……私が誰かにものを教えるのに向いているとは思えません。それに呪術師に出戻りしたのだって到底子供に聞かせられる理由じゃない」
半分はやりがい。そこに噓はない。
もう半分は学生時代の自分の尻拭いだ。その尻拭いが具体的に何を意味するのか、五条が一番分かっているはず。
七海はかつての同級生を殺すために、この地獄に戻ってきた。
「だからだよ」
今度は一口ではなく半分だけ大福を齧って、飲み込んでからまた口を開く。
「悠仁はさ、思い切りとか覚悟とかいろいろ真っ直ぐなんだよ。良くも悪くもね。そんな子には壁にぶち当たった時のうまい折れ方と立ち直り方を教えてくれる大人が必要だ」
「担任のあなたが教えるべきでしょう。私のどこが適任なんです」
「適任だよ。オマエ酷い折れ方してもこうして逃げずに戻って来てんじゃん」
「……」
「別に一から十まで教えろってんじゃない。上の目を誤魔化せてるとはいえ、またいつ陰湿なこと吹っ掛けてくるかわからないから僕が面倒見れない間、先輩として気にかけてやってよ」
その言葉に七海は言い返さなかった。
宿儺の器である少年は一度、その実力に見合わない任務によって命を落としたらしい。そして、彼の同級生たちもその無茶な采配に巻き込まれ負傷したとか。
安全圏にいる大人の都合に振り回される子供。嫌でも学生時代を想起させる。
間を置いてから頷くと五条は満足気に笑う。
「どんな動機であれ、オマエみたいなしっかりした奴が戻って来てくれて助かってるんだからさ。……何その顔」
「いえ、ちょっと鳥肌が」
「ちょっと!これでも超真面目に話してんのに」
「分かってますよ。だから余計にです」
軽口をたたきながら、大人たちは歩を進める。
「あ、大福いる?」
「食いかけをよこすな」