「うそぉ」
閉ざされたシャッターの前で貴透は力なくへたり込んだ。
経年劣化で錆交じりのシャッターには『長年のご愛顧ありがとうございました。』の文字が簡素に並んだ張り紙。
ここ数年で少子化と不況、経営者の高齢化というトリプルパンチで個人商店は確実に数を減らしつつある。それに輪をかけるように大型商業施設が増加してきたことで貴透にとってのオアシスは見る見るうちに更地になっていった。
コンビニやスーパーで取り扱いがあるなら良いじゃん、と思われそうだが貴透にとっては物の置きすぎでごちゃついたノスタルジーを感じる店内とお菓子がセットなのだ。
地方は過疎化のせいでどんどん居場所が無くなり、関東なら人口が多い分まだ生き残っている店舗が多いだろうとわざわざ神奈川までやって来たのにこの有り様だ。
シャッターに背を預け、鼻をすすりながら残り少ないねり飴を開封する。
なぜねるのかは知らないが割り箸から垂れないように上手くねるのが遊びの一つである。
蛍光ピンクの水飴をぐりぐり捻ってから口に運ぶ。
「最近こんなんばっか……、ん?」
ふと空を見上げる。
空気がぴりぴりと張りつめている。
貴透は猫のように近くの塀に飛び乗り、さらに飛んで民家の屋根へと着地する。
少し離れた場所で帳が下りるのが見えた。
「もー、誰だよー。こんな真昼間から」
服の下に潜ませたナイフに手をかけ、貴透は仏頂面で駆け出した。
帳が下りた里桜高校での戦闘は術師側が優勢だった。
事件の中枢である呪霊、真人が領域を展開するまでは。
「クソ!ふざけんな!」
虎杖は拳を何度も結界に打ち付けるがビクともしない。
七海だけが真人の領域内に引きこまれた。領域内での攻撃は必中効果を持つ。真人の無為転変は対象の魂に干渉して存在そのものを変質させる。
この術式効果が必中となればどれほど七海が強くても状況は覆しようがない。
このままでは確実に七海は死んでしまう。
「なにやってんの?」
「うぉあ!?」
背後から突然かけられた声に虎杖は飛び上がる。いつの間にかすぐ近くに少女が立っていた。
虎杖と同い年くらいに見える少女は茶色の癖毛を揺らしながら割り箸の先端に絡まった蛍光ピンクの水飴を舐めている。
「え、誰」
「なんだー、てっきりまた誰かが場所も弁えず儀式でもやってるのかと思って慌ててきたけど違うのか。こんなとこで領域展開なんて珍しい」
「誰だって!無視すんな!」
領域を知っている、ということは少なくとも呪術師の関係者ではあるのだろう。
あまり強そうには見えないが、なぜか虎杖は背筋が粟立つのを感じた。少女を見ているとぼんやりとした不安感とも恐怖心ともつかない感覚が心にじわじわと広がる。
避難を促すべきなのか、頼っていいものなのか判断に迷っている虎杖をよそに少女はぺちぺちと結界を手で叩いている。
「誰か中にいるの?」
「ナ……、俺の師匠っていうか面倒見てくれてる人」
「あれま、それはまた御愁傷様というか。私がやるとその人ごと巻き込むな……。でも君が生身で入っても自殺行為だし」
「やる」
迷いなく答えた虎杖に少女は目を瞬かせ、首をかしげる。
「や、入ってもたぶん死ぬよ?なんか救出案あるの?」
「ねえけど……。それでも、目の前で何もできず人が死ぬなんて、もう絶対に、絶対嫌だ」
ぐっと拳を握りしめる虎杖を少女がじっと見つめる。
その目を見返した虎杖はある違和感を覚えた。よくよく見ると少女の眼球、虹彩のさらに奥にある瞳孔にあたる部分が円ではなく横長の四角形になっている。
偶蹄目を思わせるその瞳はあまりにも人間の顔と不釣り合いで、ちぐはぐな気味の悪さがあった。
ぱちりと一つ瞬きをすると普通の丸い瞳に戻っていた。
「うーん、大丈夫かな。君どんなことならできる?」
「コンクリの壁とかなら破れる」
「術式とかの話だったんだけど、素でそれが出てくるのヤバいな……。領域展開っていうのは中に閉じ込めたら勝ちなのは知ってる?だから、相手を中から出さないことに重きを置くわけ。で、結界は基本的に条件の足し引きで成り立ってる」
「つまり、外からの攻撃には弱い?」
「せいかーい。君頭イイね」
少女が指差したのは球状の結界の上部。普通の人間なら届かないが、虎杖の身体能力があれば跳躍でたどり着ける。
「横は突破されないように固められてるのがほとんどかな。攻めるなら警戒が薄くなりがちな上からだね」
そう言うと彼女はポケットから自身が咥えているものと同じ蛍光色の飴がついた割り箸を取り出して虎杖のポケットに突っ込んだ。
「え、ちょ」
「しんどいときは甘いものだよ。がんばれー、若者」
ひらひらと手を振り、次の瞬間には少女は煙のように消えていた。
なんだったんだ、と思うも今はとにかく時間がない。
校舎の壁を蹴って高く跳躍し、黒々と広がる結界へ渾身の力を込めて拳を振り下ろした。
結果として、真人は殺せず被害の爪痕だけが残った。
安置所に置かれた遺体は物言わず、ただ虎杖に自分の無力さを突きつけてくる。
殺すしかなかった。それ以外に真人の手にかかった被害者を助ける術はなかった。
だが、本当にその判断が正しかったかなんて分かるはずがない。
自分が弱いゆえに、その選択をするしかなかった。
もっと強ければ別の道があったんだろうか。
この人たちは正しい死を迎えられたのだろうか。
「誰にも分かりませんよ。そんなこと」
ぽつぽつと虎杖がこぼした問いを七海が拾い上げる。
万人にとって死は必ず訪れる終わりであり、しかし同じ死は存在しない。
たどり着く過程で善悪があれど、最後の終着点には善悪など関係ないのだろう。ある種平等でありながら、最期の瞬間というものは不平等だ。
正しく、安らかに。
「それが簡単なことなら、私はここにいないでしょうね」
「え?」
「いえ、昔の話です」
正しく。
七海自身、正しい選択をしているかなど分からない。それは学生の時からずっと、重くのし掛かっている。
だからこそ虎杖の向かう先がどれほど難しく、重いものであるか知っている。知っているから、まだ年若い真っ直ぐな少年が背負うべきでないとも思う。
「それでも君はやるんでしょうね」
危ういほど優しく真っ直ぐであるがゆえに。
それなら七海のやるべきはこの若者が呪術師として道に迷わないよう、自分が先に足跡をつけることだ。
「今日私が助けられたように、君に助けられる人はこれから大勢出てくる」
自分と同じ後悔を、しないように。
折れてもまた進めるのだと示さなければ。
「虎杖くんはもう、呪術師なんですから」
七海の言葉に虎杖は唇を噛む。
きっと今が自分の呪術師としてのスタートだ。あまりにも悲痛で、救いなんてない。それでもきっと進む意味はあると背を押してくれる人がいる。
ふとポケットの中に入っていたものを思い出す。ビニールに包装された蛍光オレンジの飴は形が崩れ潰れていた。
しんどいときは甘いもの。なんとなくその言葉が思い出された。
遠くなる七海の背を追いかけ、横に並ぶ。
「……ナナミン、これ食べ方知ってる?」
一瞬、ほんの一瞬だけ七海は目を見張り、「ええ」と短く答えた。
飴を受け取った手が、少しだけ震えている気がした。