ちょっとよろしくない表現が出てきます。20歳未満の方は「タ」買っちゃダメです。
夏油と五条が高専に戻ってきたのは夕方だった。お盆が近づくと呪霊の数が一気に増える。茹だるような湿気の中、任務を複数件こなしてようやく帰ってこれた。制服の中にじっとりした空気が籠っていて気持ちが悪い。さっさと報告を終えてシャワーを浴びたいのが本音だった。
五条がダラダラと報告書を仕上げているのを眺めながらポケットから柑橘類がプリントされた紺色の箱を取り出す。夏油の術式において、呪霊を取り込むにはどうしても降伏した後に一度経口摂取する必要があった。人間の負の感情の塊が美味しいはずもなく、実際に消化しているわけではないのに胃がもたれている気がする。口直しの菓子を携帯するようになったのはここ最近だ。
「傑、それ気に入ってんの?」
五条の一言に菓子を口に運ぼうとしていた手をつい止めてしまった。横から伸びてきた長い指がオブラートに包まれたオレンジ色の直方体を掠め取っていく。止める暇もなくソフトキャンディーは五条の口に放り込まれた。
「うえっ、何だこれ変なもんくっついてるしネチャネチャしてる」
「…悟」
「最近任務後にしょっちゅう食ってるからもっと美味いのかと思った。傑って案外バカ舌だったりすんの?」
「ははは、お坊っちゃまの悟きゅんにはちょっと早かったかな」
「あ?こんなんジジババの食いもんだろ」
「よし、外に出ようか」
よろしい、ならば戦争だ。
一触即発の二人の睨み合いは夜蛾に落とされた拳骨によって終結した。
夏油がボンタンアメをポケットに忍ばせるきっかけになったのはあのよく分からない後輩である。興味本位で会話を試みたものの結局謎が深まったうえに夏油の使役する呪霊に
後日お詫びの言葉と共に机に置かれていた菓子の処理には困った。五条ではないが夏油もそのときはボンタンアメなんて祖父母の家の菓子盆にのっているイメージしかなかった。けれど、せっかく貰ったものをそのまま捨てるのも心苦しい。菓子に罪はないのだ。どうするか迷ったままとりあえずポケットに突っ込んでおいた。
その後に相手をした呪霊がこれまた最悪だった。雑魚の数が多いうえにすばしっこく厭らしいタイミングで邪魔をしてくる。本体に辿り着くまでに相当な時間を要した。くたくたの状態で口にした呪霊の味は思い出したくもない。とにかく何か別のものを口に入れたかった。
そういえば、とポケットから小箱を引っ張り出して半分縋るような気持ちで口にする。最初はオブラートに阻まれて味がしなかったが、歯を立てると爽やかな柑橘類の香りと控えめな甘味が口内に広がった。
なんだ、意外と悪くない。
欠点といえば食べた後に喉が渇くことくらいだろうか。大体どこのスーパーでも手軽に手に入り、値段も高くはない。なにより溶ける心配がなくポケットに突っ込んでおけることがポイントが高かった。
余談だが、一度オブラートを剥がして食べてみたところを例の後輩に目撃され、「先輩、それはないです。その食べ方は肉まんの中身だけ食べて皮捨ててるのと同義ですよ」とドン引きした顔で言われた。そこまで言うか。
夜蛾に作られたたんこぶを擦りながら寮への道を歩く。報告を終える頃にはすっかり日が暮れていた。しかし湿気がマシになっているなんてことはなく、アスファルトから立ち上る熱気でより不快な蒸し暑さが増している。
「なーんで傑が急にアレに興味持ったのか分っかんねぇ」
「確かにあの子は女子らしさの欠片もないけど『アレ』呼ばわりは流石に良くないだろう」
「アレはアレとしか形容できないんだよ」
五条は一年生が入ってきた当初から貴透由衣と距離を置いていた。
多くの呪術師にとって貴透は一言で言うなら『普通』だろう。大して呪力の量が多いわけでもなく、操作が精密というわけでもない。特筆する部分のない凡庸な術師の一人。しかし、五条の特殊な目にはその異常性が見えていた。
歪なのだ。呪力は術師本人が発する感情をもとに身体を巡っている。だが、貴透はなぜか身体と呪力が『合っていない』。例えるならキメラだ。別の生き物に別のパーツを取って付けたような気味の悪いチグハグさ。見た目も中身もただの人間であることがそんな不気味な異質さをより際立たせていた。
『人間』とも『呪霊』ともつかない存在。だから暫定的に「アレ」と呼んでいる。
そんな会話をしていると寮が見えてきたが、出入り口に人影が見える。一人は二人もよく知る愛煙家の同級生。もう一人は先ほどまで話題にしていた「アレ」だった。二人ともラフな私服姿で、貴透は大きめのビニール袋を提げている。何やらやり取りしながら手のひらサイズの箱を手渡している。
こちらに気が付いた家入に夏油は片手を上げる。つられて振り返る貴透を見て五条は分かりやすく眉根を寄せた。
「ずいぶんと珍しい組み合わせだね。何か悪巧み中?」
「…どうします姉御、見られちゃいましたけど」
「よし、買収しろ。まだいっぱいあんだろ」
「えっこれ私の分…」
「どうせそんなに持ってっても見つかったらまた七海にどやされるじゃん。今のうちに減らしとけ」
ささやかな主張を横暴な先輩にバッサリと切り捨てられ貴透は悲しげに肩を落とした。五条と夏油をじっとりと睨む彼女の視線には「余計なことしやがって」という怨念が込められている。家入は顎をしゃくって早くしろと言わんばかりだ。状況がよく分かっていない二人の前に貴透が不本意そうにビニール袋を広げた。中には色とりどりの駄菓子がこれでもかと詰まっている。
「……好きなのをお取りになってクダサイ」
「えーと、硝子…?」
「口止め料だよ。こいつにお使い行かせてたってバレたら
怪しく笑う硝子の手にはライムグリーンのパッケージが握られている。ネイティブアメリカンのイラストが描かれたそれは明らかに未成年が買うには早い代物だ。夏油は頭を抱えた。普段自分たちをクズと呼んでいる割に彼女もそういうところがある。
「後輩に買いに行かせるのは流石にアウトだろ」
「コンビニだと面倒だからね。顔見知り相手なら地元の駄菓子屋の方がゆるいんだよ」
「いやそういうことじゃなくて。というか貴透もほいほい買いに行くんじゃない」
「だって家入先輩が二千円までなら好きに買っていいって」
「……」
絶句だった。悪巧みどころの話じゃない。発想が完全に酒を子供に買いに行かせる良くない親のそれだ。
唖然とする夏油をよそに五条は仏頂面のままじっと貴透を観察していた。
やはりどう見てもただの人間にしか見えない。五条からすれば雑魚同然である。だが、彼の六眼がこれはどう見ても人間にしては歪みすぎていると訴えてくる。この何とも言葉にしがたい違和感を理解できる人は自分以外に誰もいないだろう。
「なんなの、お前」
ポツリと呟かれた一言はその声量に反して明確な疑心と鋭さを持っていた。攻撃的な声色に夏油と家入は目を丸くして五条を見る。普段から人を食ったような態度を崩さない彼がこんな風に警戒心を剥き出しにしているのを初めて見たかもしれない。
真剣な空気に反して、グラサン白髪の男が頭一つ以上の体格差がある女子に対してすごんでいる様子は傍から見るとカツアゲにしか見えずとてもシュールだ。
当の貴透はというと取られる前に食べてしまおうと紫色のビニールを開封している途中だった。ずっと静かだった五条が急に喋り始めたのをお菓子強奪の合図と勘違いしたのか、一口大にちぎった薄紫の綿菓子を素早く口に入れる。
「何といわれましても、先輩のパシリになっている哀れな後輩ですけど」
喋る貴透の口からパチパチと軽快な音が漏れる。
「よく分かんないですけどイライラしてるときは甘いものをどうぞ」
「そんな得体の知れない物いらねぇ」
「え、わたパチをご存知でない…?」
信じられないものを見る目で五条を見上げる。駄菓子が人生の一部どころか半分以上を占める貴透にとっては青天の霹靂である。
五条は呪術界の名家である御三家出身だ。当然一般人とは感覚がずれているし、駄菓子という概念にも触れずに育ってきた。家にダッシュで帰り、玄関にランドセルをぶん投げて友達と駄菓子屋に直行するという小学校時代のありふれた思い出もない。なんならボンタンアメもさっき初めて食べた。
「こいつお坊ちゃんだからパンピーの菓子なんて食ったことないだろ」
「それは…、人生の大半を損しているのでは?」
「大げさすぎじゃない?」
「いやいや、駄菓子は子供のオアシスでありコミュニケーションツールなんすよ。人生を生きる上での必須科目です」
「あんた駄菓子の事になると早口になるよね。そういうとこちょっとキショいわ」
家入のサラッとした罵倒など意に介さず、貴透は残りのわたパチを半分にちぎり、大きいほうを五条に差し出した。
「どうぞ」
「いらねぇって言ってんじゃん」
「なんでですか食べてくださいよ。私のことは嫌いでも駄菓子の事は嫌わないでくださいよ」
「ホントになんなのお前…」
あまりに鬼気迫る貴透に五条は引き気味だ。今まで避けていたせいで直接的な交流がほぼなかったため、彼女の意図が掴めない。先ほどまでの剣呑な雰囲気はどこへやら、なぜか会話の主導権は貴透に握られている。よく分からない空気に押し負け、五条は半分やけくそな気持ちで薄紫の綿菓子を口に突っ込んだ。夏油は「あっ」という顔をしたがすぐに諦めた表情になる。
「食ったぞ。これで満足…」
言葉が途切れる。
口に入れた綿菓子はすぐに溶けて小さな飴の塊になった。それだけなら普通の綿菓子と変わらない。しかし、五条はわたパチを一気に食べると何が起こるのか知らなかった。
塊になった飴はしゅわしゅわと泡をたて始め、そして五条の口の中で盛大に弾けた。
「っ!?ぅゲッホ!ゴハッゲホ!!」
咥内で爆発が起きたかのようだった。飴はパチパチを通り越してバチバチと音を立てながら舌の上を跳ねまわっている。頬の内側や口蓋に弾けた飴の先端が容赦なくぶち当たってきてかなり痛い。
サングラスを落とす勢いで噎せている五条を指さして家入は大爆笑だ。こうなることを大体予想していた夏油も笑いながら珍しくダメージを受けている相方を携帯で撮影している。
「すいません、先輩。最初に食べ方を教えるべきでした」
「おっまえ゛、マジ、げほっ、殺す…」
神妙な顔をする貴透がさらにツボだったのか、家入は身体を震わせながら声もなく地面に沈んだ。
「っあ゛ー。クソ」
五条は部屋で水を飲み干してようやく落ち着いた。まだ口の中がヒリヒリする。
あの後、笑いすぎて呼吸困難になった家入を引きずり貴透は女子寮に帰っていった。去り際に五条と夏油に未開封のわたパチを押し付けることを忘れなかったのがさらにムカつく。あんな目に遭った後に食べる気にもなれず夏油に押し付けようとしたが「せっかく食べ方教わったんだから食べなよ」と明らかに面白がっている顔で拒否られた。
結局貴透の異常性が何に由来するのか分からないままである。だが、術式を展開してダメージから立ち直った五条が腹いせに落とした拳骨は普通に痛がっていた。「後輩虐待!サイテー!」と涙目で叫ぶ彼女はどこから見ても平凡な女子だった。
「ま、いいか」
面倒になって考えることを放棄する。万が一アレがこちらに牙をむくようなら自分と夏油で殺せばいい。なんなら自分一人でも十分だ。あの凡庸な術師に負ける要素など一ミリもないのだから。
呪詛師の死体が転がる廃墟の一室で貴透はあの最強なグラサン先輩に関して悩んでいた。
確かに向けられた猜疑心。あの場はなんとかはぐらかしたが、次も上手くいくとは限らない。
自分がこうして裏で殺し回っていることまでは勘付かれていないだろう。しかし下手に探られて平穏な高校生活が脅かされるのは困る。かと言って貴透に五条が殺せるかといえば否だ。あらゆる物理攻撃を弾くあの術式を相手に貴透が敵うはずもない。それに御三家出身の有名人を殺してしまったら簡単に足が付いてしまう。
彼女はまだ七海と灰原のいる日常を手放したくはない。
「どーしたもんかなぁ」
星川に相談すべきか悩んでいるとちょうど携帯が震えた。
「貴透でーす。あ、ちょうど良かった。相談したいことがあってですね…、え?」
電話越しに聞こえた言葉に貴透は首をかしげる。
「盤星教?なんすかそれ」