呪術師は「呪いを祓い人々を守護する」ことを大義として掲げ、活動している。だからこそ、庇護すべき非術師に対して術式を使い害を成すことは禁忌とされ、禁を破るものは呪詛師と認定される。
だが、それはあくまで守られる対象が善良であることで成立する。
非術師でありながら呪詛師に手を貸し悪事に手を染める人間は少なからず存在した。
守るべき存在が敵側に回ったとき、呪術師はどうしても対応が後手後手にならざるを得ない。時には非術師の存在が致命的な被害を招くこともあった。一番簡単なのは非術師を排除してしまうことだが、掲げる理念を表面上でも守らなければ呪術師の存在意義は揺らぐ。
そのジレンマの解決策を上層部に提示したのが星川だった。
曰く、『汚れ役』を用意すればいいと。
表向きには呪術師として活動し、秘密裏に呪詛師とそれに関わる非術師を始末するいつでも切り捨てることができる駒を用意すればいい。つまりは対呪詛師用に上層部公認の呪詛師を飼うということ。
「あなた方はただ黙認すれば良いだけです。全ての根回しはこちらで引き受けましょう」
協議の結果、上層部は星川の提案を受け入れた。
もしこのことが露呈すれば上層部だけでなく呪術師界そのものが揺らぎかねない。だが、その時は星川ごと切り捨ててしまえばいい。隠蔽など造作もない。
すべては呪術師界の安寧のために。
「…とか考えてんだろうな」
「何か言いました?」
「なにも」
星川は眉間に寄りかけたシワをすぐに引っ込めていつも通りに笑う。
腐ったミカンどもの思考は大体分かっているが、今はこのままでいい。
せいぜいこちらをトカゲの尻尾と侮っていろ。いつか寝首を掻かれるその時まで、尻尾が頭にすげ変わろうなどと考えるはずがないと椅子の上で胡坐をかいていればいい。
「星川さんも食べます?」
後部座席からオレンジ色の箱が差し出されるが無視する。何も答えない星川をつまらなそうに見てから貴透はミルクキャラメルを口に放り込んだ。
都内某所。盤星教本部である「星の子の家」に貴透と星川は訪れていた。
仰々しい門構えの施設は広大な敷地面積を誇り、いくつもの建物が併設されている。天を衝く一番大きな白亜の建造物はこの宗教の総本山だ。
車から降りた貴透はぐっと伸びをする。ずっと座ってたせいで凝ってしまった肩をほぐすために両腕を大きく回す。
「マジでやるんですか?いくら天元様を信仰してるって言っても信者って非術師でしょ。殺したらさすがに高専側にも気付かれる、ていうか呪術師のなんちゃら規定に引っ掛かりません?足付かないように頑張って呪詛師だけ殺してきたのに」
「別に高専に気付かれようが関係ないよ。園田茂の殺害は上からの秘匿任務だからね。ちょっとくらいやりすぎても隠蔽のしようはある。耄碌爺どもは臆病ではあるが馬鹿じゃない。自分たちの保身さえできれば追及してこないさ」
「じゃあその園田さんだけ殺せば良くない?」
「いや、『盤星教の解体』がそもそもの任務内容だ。今まで非術師側だったゆえに存在を黙認していたけれど、星奬体の暗殺にまで直接関わるようになったから上も鬱陶しくなったんだろう。代表役員と中心幹部が一気に消えれば盤星教も立ち行かなくなる」
「えぇ~、汚れ仕事じゃないですか~」
「散々公式の任務外で呪詛師を殺して回っているんだから今更だよ。それに、試したいこともある」
そう言って星川が取り出したのは古ぼけた桐の箱。いくつも札が張られ厳重に封印が施されている呪物に貴透は見覚えがあった。以前、生得領域と化した精神病院で見つけた一級呪物だ。
星川が札を剥がす。箱の中には先端が五つに割れた枯れ枝のようなものが収まっていた。人間の指を思わせる分かれた先端の一つは折れている。背筋に虫が這うような気配をまき散らすそれに貴透は吐きそうな顔になる。
「ヤなもん持ってこないでくださいよ」
「必要なものだよ。帳を降ろすのにこれの力を借りる」
帳は一般人の目から怪異を秘匿するためのものだ。しかし、条件を付ければ秘匿以外にも特定の効果を付与することができる。例えば、指定した人物だけを結界から弾いたり、逆に結界の中から誰も出さないようにすることも可能となる。
星川は呪物の力を以てして帳にさらに条件を付け加えると話す。
呪物のブーストによって結界内を疑似的な領域として組み換え、指定した人間に絶対的優位を付与するのだという。
一般人に生得領域を獲得させるほどの力を持っているからこそ可能になる裏技だ。万が一園田が強力な呪詛師と結託していた場合、さすがに貴透一人では手に負えなくなる可能性を考えての秘策。お上に袖の下と回収した呪詛師の死体を送り続けた甲斐があった。
「君以外が全員死ぬまでは出られないようにしておくから安心して殺しておいで」
「気が進まなーい」
「まさかこの期に及んで非術師を殺すのに抵抗があるのかい?」
「いや全然。ただあんまりいっぱい殺しすぎるのももったいないなーって」
「今まで体調が悪くなるたびにちまちま殺してばかりだっただろう。一気に大勢を殺すことで君の体質が改善するかもしれないよ」
「そっか、それもそうだ」
あっさり納得して貴透は敷地に足を踏み入れる。その背中を見送って、星川は掌印を結んだ。
「『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』。さて…」
後は高みの見物。あの人殺しだけが取り柄のシリアルキラーが果たしてどこまでやれるか。
園田茂は顔を上げた。窓の外が異様に暗い。
一般の信者たちは何事かとざわついているが園田には何が起こっているのか理解できた。何者かが帳を降ろしたのだ。
騒々しい広間を出てすぐさま建物奥の非常用通路へと向かう。
どういうことだ。星奬体の護衛を任されている術師は今頃沖縄にいるはず。高専が嗅ぎつけたにしては対応が早すぎる。なにより、自分たちは今まで非術師側に徹してきた。例え特級の術師であろうとこちらに軽々に手を出すことはできないはず。
遠くで悲鳴が聞こえた。額を冷や汗が伝う。
薄暗い通路をしばらく進んで気が付いた。なぜか前に進めていない。非常用通路は一本道で外につながる扉が奥にあるだけだ。なのにいつまで経っても出口が見えてこない。
悲鳴は連鎖しながらこちらに近付いてきている。必死になって足を動かすがやはり風景は変わらない。まるで空間が歪んだように園田を捕らえている。
やがて、息が上がり立ち止まったのと同時に悲鳴が止んだ。
「オジサンなのに逃げ足早いじゃん」
この場に似つかわしくない軽い口調とわずかに香る甘い匂い。振り返った先には黒い制服の少女がいた。渦巻きの校章は明らかに呪術高専のものだ。返り血でべっとりと濡れた顔は表情が読めない。
「貴様、高専の術師だろう。非術師相手に術式を使ってただで済むと思っているのか」
「知らなーい。大丈夫なんじゃない?上の人公認って言ってたし」
「なに……?」
「それに使おうが使うまいが関係ないよ。誰も生きて出られないし、生きてる人がいなければ何もなかったのと変わらない」
いつの間にか少女は眼前にいた。どうやって距離を詰められたか理解できない。逃げようと動いた足がもつれる。自分の身体が倒れる前に、血まみれのナイフが喉笛を抉った。
「よし、終わったー」
帳が上がった空を見上げて大きく息を吐いた。正直めちゃくちゃに疲れた。殺した人数は20人を超えたあたりで数えるのを辞めた。
貴透は殺しに罪悪感を持たないが、快感を感じるタチでもない。
人の頸動脈を切るのはかなり力がいる。それでも彼女が殺すときに首を狙うのは一番苦しませにくいからだ。中学時代の理科の先生が授業の一環で見せてくれたと畜場の映像でも最初に切るのは首だった。命をいただくのだからせめて苦しませないように、というのが信条だ。
ナイフについた血を制服で適当に拭いつつ星川が待つ場所へ向かう。あちこちに返り血を浴びたせいで気持ち悪い。シャワーを浴びたいところだが、とりあえず車の中で着替えさせてもらおう。
「あっ」
あることに気が付いて慌ててポケットを探る。入れっぱなしだったミルクキャラメルはスカートに染み込んだ血液でべちょべちょになっていた。
頭の中で予定を組みなおす。着替えたらまずは新しいのを買いに行かなくては。
「伏黒、依頼はナシだ」
「あ?」
孔時雨からの電話に伏黒甚爾は耳を疑った。
「なんでだよ、まだ星奬体は死んでねぇぞ」
「出資者がいなくなっちまったんだよ。どうしようもねぇだろ」
「いなくなった?」
「安心しろ。俺も何が何やらさっぱりだ」
そう、時雨にも何が起こっているのか分からなかった。
星奬体暗殺の依頼をしてきた盤星教の代表役員とは小まめに連絡が取れていたのに、今日唐突に音信が途絶えた。盤星教の一般回線にかけても繋がらない。まさか金を渋ってバックレられたかと思い本部の「星の子の家」に行けばそこはもぬけの殻だった。人がいた痕跡はあるのに中身だけが忽然と姿を消していた。
「オマエも聞いたことあるだろ。『呪詛師殺し』の都市伝説」
最近、界隈でまことしやかに囁かれている「呪詛師が姿を消す」という都市伝説。残穢と血の匂いだけを残し存在ごと抹消する何者か。それが呪術師なのか、呪詛師なのかは定かではない。なぜなら情報を持ち帰る生存者が一人としていないからだ。
「悪いが俺は手を引かせてもらう。報酬はパーになっちまったが命に比べりゃ安いだろ。オマエもさっさと引いたほうが身のためだぞ」
無情にも通話が切られた携帯のディスプレイを見下ろす。
禪院家から持ち出した呪具も侵入ルートの下調べも無駄になった。ついでに金も入ってこない。邪魔をしてきた何者かによって全てが吹き飛んでしまった。
物言わぬ黒い画面を伏黒は片手で握り潰した。