やすニャとうがたつシリーズ最終章。クリスマスの夜から数カ月、ソーニャは自分の気持ちに悶々として、かれこれ数カ月たっていた・・・。

今回はイチャイチャだけではなくで色々やってみました。前回以降のとうがたつシリーズを見ておいた方が分かりやすいと思います。

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ふたりのとうよえいえんに

ふたりのとうよえいえんに

 

 

 

 彼女の心は、言うなれば真っ白で何もない部屋である。あるのは出入りするための扉一つ。照明もないのにやたらと明るく、白い壁が四方をおおわれ、何とも寂しい部屋だった。ここまでくれば監獄と変わらないだろう。

 

 しかし、そんな部屋でも彼女は自分にお似合いだと思っていた。何も要らない。この部屋に飾りなんて何一ついらないのだ。そう心から思っていたから、何ら苦痛もなく過ごす事が出来た。

 

 そんなある日だった。部屋のドアがノックされた。最初こそ気に止めもしなかったが、そのノックはいつまでも続き、ついに扉を開けた。

 

 扉の向こうには、自分とは違う少女が立っていた。少女はそのまま部屋に押し入り、写真を一枚貼り付けると去って行った。

 

 次の日も、少女は部屋に押し入った。そしてまた一枚、一枚と写真を貼り付けると去っていく。壁は少しずつ、写真で埋まり始めた。

 

 少女はまた来た。今度は小さな机を持って、それを部屋の真ん中に置いた。そして、少女はその机の前に座ると、自分に話しかけて来た。

 

 部屋は、少しずつ埋まっていく。次の日も、また次の日も。何かと物が増えていく。真っ白だった部屋は置かれていった写真や物で埋め尽くされ、やがて入りきらなくなる。だが、彼女は置かれた物の扱いを知らない。それでも少女は物を持ってくる。どんどん増えて恐くなって、彼女は自分の部屋から逃げ出した。

 

 それでも、それでも部屋は埋められていく。ついにはドアがきしみ、彼女はそれに恐怖した。どうすればいい。壊れてしまう。こんなのいやだ。少女は震えた。開けてもどう扱っていいのか分からない物ばかり。開けなければ自分の部屋は破壊される。恐くて仕方が無かった。

 

 恐い。どうすればいい。彼女は震えた。震え続けた。行き場を失った彼女には何がある。あの部屋に一人でいればそれでよかったのに。何で追いだされなければならないのだろう。

 

 ぽん、と肩に誰かの手が置かれた。それは部屋を埋め尽くした少女だった。その少女は、震える彼女に向かってこう言った。

 

「大丈夫だよ、ソーニャちゃん」

 

 

 

 

「……んっ」

 

 脳が眠りから覚醒する感覚。誰でもこの一瞬の感覚は不愉快に思うだろう。ソーニャも例外なく、その感覚に対しては苛立ちを覚えるが、起きて数分もすればそんな物は忘れる事が出来た。

 まだ少し寝ぼけている目をこすり、首を少し回して体をほぐす。窓のカーテンの隙間から朝日が差し込み、ソーニャのシャツの下から伸びる脚を照らし出す。

 

 時刻は目覚ましの設定時刻よりも数分早めである。起きよう。ソーニャは自分が何するかを考えて、そしてさっきまで夢を見ていた事を思い出す。少し前の自分の夢だ。正確に言えば、自分の心。やすなで満たされていく自分の心だった。

 

 全く、やすなと会う前まで夢自体を見る事なんて無かったのに。自分の脳内もかなりあの馬鹿に占領されているなとソーニャはため息を吐く。

 

 起きよう。ベッドから立ち上がり、申し訳程度に来ていたYシャツを脱いで制服を手に取ると袖を通し、スカートを履いてチャックを閉めると軽く朝食を食べるために台所へと向かった。

 

 あのクリスマスの夜から数カ月。ソーニャは、未だに自分の気持ちをやすなに伝える事が出来ずにいた。

 

 

 

 

「それでいつ告白するんですか~?」

 

 学校の休み時間。手洗いに向かってたソーニャはあぎりと遭遇し、お互い手を洗いながら軽い世間話をしていた。

 そんな中唐突に出たあぎりの単語に、ソーニャは思わず固まる。水道水がじゃばじゃばと流れ続け、あぎりは蛇口を捻って水を止めると、ハンカチを取り出して自分の手に残っている水滴をふき取った。

 

「…………」

「水、出たままですよ?」

「……あ、ああ。すまん」

 

 ソーニャも我を取り戻して、蛇口を閉めると同じようにハンカチで手を拭う。あぎりは「これは反動が大きそうですね」と頭の中で呟いて本題に戻った。

 

「で、いつやすなちゃんに告白するんですか?」

「いつって……何で告白することが前提になっている」

「あら~、クリスマスの時にキスしたじゃないですか~。あれ以来進展が無いのはさすがにどうかと思いますよ~?」

「もうお前がどこまで知ってるのか追求しないことにした」

「それはどうも~。それで、まさかずっとこのままなんてことは無いですよね?」

 

 あぎりの顔が少しだけ真面目になり、ソーニャも冗談はここまでかと悟る。確かに、クリスマス依頼進展が無いのはソーニャも思っている事である。

 

 この数カ月で、自分の心境が変わってきた事をソーニャは自覚していた。当初こそその変化をどう扱うかで悩んだが、受け入れる姿勢を見せてからは世界が広がったような気がした。それによっての仕事の支障も無かったから、今のところ良い結果だったと結論付けている。そして、自分がやすなに抱いている気持ちについても、少しずつ見つめ始めていた。

 

 恐らく、ソーニャがやすなに抱いている感情は普通の物ではないだろう。世間から見ればアウトローな感情。最初こそ腐れ縁のクラスメイトだったが、次第にそこそこな友人、友人、大切な友人、そして更にステップアップしそうな所にまで来ていた。これ以上行くなら何と言うか。そう、恋愛対象。いわゆる百合と言う奴である。

 

 前にあぎり少しだけ相談してみたら、「ここに塔を建てましょうね~」と言われ、一瞬二度と相談しないと思ったが、どちらかと言うと援護はしてくれるそうなので、それはそれで安心した。現にこうして少し手助けしてやると言ってくれてる。

 

 さて。ここで自分の心境が変わっていったのについては良いとしよう。問題は今後どうするかだ。

 

 ソーニャの気持ちはまだ少し整理が終わっていないが、自分でもやすなの事が好きと認められる程度にはなれた。では、この自分の気持ちをどうするか。

 

 普通に考えて告白して交際と言う物に入るのが世間的な常識である。実際やすなからも告白は受けている。ただし本人はソーニャに聞かれたと思っていない。これはこれで微妙なラインである。

 

 殺し屋ソーニャ、人生初の恋愛にて絶賛苦悩中。どうしたらいいのか全く分かりません。

 

 いきなりべたべたになっても気持ち悪がられるだけだろうし、かと言っていつも通り過ぎても何も変わらない。いや大きく変わりすぎる事も必要ないのかもしれないが、それでもやっぱりもう一歩先に行くくらいはしたい。

 

「……まぁ、私だってもう少し進みたいとは思っているだがいかんせん、な」

「そうですね~。あなたの性格では、いきなりやすなちゃんに素直になっても違和感しか無いですしね~。変わりすぎずいつも通り過ぎず、難しい所です」

「……お前は、どうしてたんだ?」

「私ですか~? まぁ、ほぼ変わってませんでしたよ。明確に自分の気持ちに整理がついたのはもう終わりかけの頃でしたから……」

「……すまん、少しまずかったか」

「いいえー、気にしないでください。もう大丈夫ですよ」

「ならいいんだが」

 

 少しばつの悪い顔になるソーニャ。そんな彼女をあぎりは優しい目で見てやる。前までこんな顔しなかったくせに。彼女の心は、やすなのおかげで色々な物で満たされていくのが良く分かった。

 

 故に、痛む物もある。大切な物が出来ると言う事は、同時に失うという大きなリスクを背負うことになる。それはあぎり自身が良く知っていた。

 

「まぁ、時期的に言えばいわゆる告白の季節なので今ならちょうどいいのではないのでしょうか? 桜の木の下で想いを伝えるなどいかがでしょう~?」

「ベターだな」

「やすなちゃんならいつ告白しても大丈夫な気がしますけどね~。でも待たせ過ぎはよくないですよ?」

「分かっている……考えるさ」

「ふふ、またいつでも相談に乗りますよ~」

 

 そう言い残して、あぎりは先にトイレから出て行った。一人残されたソーニャはどうした物かと鏡に映る自分の顔を見る。一瞬だけ見えた自分の横顔は、殺し屋ではなくただの少女の顔だった。

 

 

 

 

「それでねー、ちくわが私のおやつ全部食べちゃったんだよ! 酷いと思わないー?」

 

 悶々とした一日を送っている内に、あっと言う間にいつもの帰り道まで辿り着いてしまった。愛犬のちくわがお菓子を全て食べつくした話しを面白おかしく語るやすなと、それをいつもの表情で聞くソーニャ。少しばかりの緊張した面持ちは、やすなにすら察知できないレベルだったから表面上はいつも通りの帰り道である

 夕日が二人の顔を照らし、川のせせらぎが聞こえる。いつだったか二人でお花見をした桜は満開近くになり、また今年も見ごろを迎えようとしていた。明日か明後日が満開だろう。今度は自分からやすなを誘ってみようか。そう考えて、これはチャンスになるかもしれないとうソーニャは気付く。他に言うチャンスのある場所なんてないし、やるならここが良いかもしれない。あぎりに言われた事を思い出しながらソーニャは桜を横見に見て、やすなに声をかけた。

 

「やすな、明日帰り道にここで花見するか」

「へ? ソーニャちゃん何か変な物でも食べたの?」

「なんだとぉ!?」

「だってソーニャちゃんからお花見のお誘いなんて、何か変な物食べたに決まってる!」

「ほっほーう。そう言う事を言うか。嫌なら別に構わないぞ、少しばかり飯でも買って来てやろうと思ったが」

「行きます行きます! ソーニャちゃんからのお誘い、ぜひとも受けさせて頂きます! 明日は天変地異で雪と桜のコラボレーションだ!」

「どう言う意味だ」

 

 うわーいうわーい、と跳ねまわるやすな。相変わらず鬱陶しいがもう慣れた。と言うかこれが当たり前になってしまった。まったく、自分も甘いな。だが、まぁいいか。

 

「じゃあ明日楽しみにしてるね! そうだ、それなら夜桜でもいいかもね。お菓子とかお弁当とかいっぱい作るね!」

「ま、好きにしろ」

「ふっふっふ、期待するがいい! それなら早速準備だね、私今日は早く帰るからさらば!!」

 

 そう言い残して、やすなは颯爽と自宅に向けて走り出した。後ろ向きに走りながらソーニャに手を振り、やすなの姿は小さくなっていく。ソーニャも軽く手を上げてそれに応え、自分も帰ろうかと自宅に向けて歩みを進める。ほんの少しだけ、明日が楽しみになっている自分を見つけ、そして素直に受け止めようと唇を釣り上げた。

 

 

 

 

 折部やすなが誘拐された。

 

 ソーニャにその情報が入ったのはやすなとの帰り道、さっき二人で別れてから一時間もない後だった。ソーニャは受話器の向こうの呉織あぎりが一体何を言っているのか理解できず、数秒ほど硬直してしまった。

 ソーニャの意識が回復したのは、あぎりが三回ほどソーニャの名を読んでからで、ようやく何が起きたのかが理解できて、頭を振って余計な考えを振り落とした。

 

「どう言うことだ」

「そのままの意味です。あなたと別れた後、敵対組織の工作員によって誘拐されました」

「…………」

「聞いてますか?」

「……あ、ああ。それで敵の要求は」

 

 あぎりは、受話器越しにソーニャが動揺しているのが手に取るように分かった。無理もない。やすなはソーニャの人生に大きな変革をもたらした大きな起爆剤であり、今となっては彼女の今後の生きる糧でもある。そのやすなが巻き込まれてしまった。いや、彼女が巻き込まれた事は幾度となくある。だが、ここまで恐怖と不安を感じるほどの物は彼女には初めてなのは間違いないだろう。

 

 そう、かつてのあぎりだってそうだった。平静さを装っても、結局は感情を殺し切れずに爆発させた。ソーニャは正直なところまだ未熟なところがある。いや、当初は完璧だった。だが、やすなの手によって未熟に引き戻された、と言った方が正しいだろうか。なんにせよ、今のソーニャに任務を完遂できる可能性は限りなく低いとあぎりは判断出来た。

 

「敵の要求は、あなたです」

「私に何をしろと」

「あなたの、命です」

「…………」

「敵の要求はこう。折部やすなの身の保証が欲しければ、ソーニャの命を差し出せ、です。もちろん組織の上層部は聞く耳持たず。無視して、やすなちゃんを見殺しにしろ、と言う回答を私に出しています。何事も無かったかのように、その後の任務を全うせよとのことです」

「…………要は、行くなってことか」

 

 当然だ。わざわざ一般人一人のために優秀な人材を犠牲にする必要なんてない。警告したのに近付いた人物が悪い。そう言ってしまえばどうとでもなる。

 なら過去のあぎりの事例はどうなるか。これはまた違ってくる。あぎりの彼の場合は組織の意向で決められた事で、つまり半ば組織の手で利用され、殺されてしまったようなものである。だが、やすなは違う。やすなは組織に関係なく自らソーニャに近づいた。言わば自己責任。だから何一つ関係ないのだ。

 

 よって、今回上層部は何もする必要はないと決定していた。この一件に関しては関与しない。敵だってそれも承知しているはずだ。しかし、そうはいかないと言う事も、敵は知っていて、同じくあぎりもそうはいかないと知っていた。

 

「行くつもりなんでしょう。恐らく敵は、あなたが単独で乗り込んでくると踏んでやすなちゃんを誘拐したんです。組織がどう言おうと、今のあなたなら行く。そうでしょう?」

「…………」

「否定も肯定もないですか。まぁ、どちらでもいいです。安心してください、私はあなたの味方です」

 

 あぎりがそう言うと、受話器の向こうの威圧感が少しだけ和らぐのを感じた。恐らく結構焦っているのだろう。なに、そんなに身構えなくてもいいのに。まぁ、身構えない方が無理な話だろう。

 

「ただ、過度な援護はできません。組織はやすなちゃんの救出禁止をあなたに提出する方針です。私にも既に伝達されています。よって私が赴く事も出来ません。あなたがそれに目を通せば正式な事例が下り、命令違反を犯せばソーニャとやすなちゃんは消されます。その前に私が少しばかり工作をしましょう。まぁ、あと二時間は稼げますかね」

「…………すまない」

「ふふふ、構いませんよ。仲間じゃないですか。私にできるのはここまでです。後はソーニャ、あなたが一人で行ってください。お気をつけて」

 

 電話が切られて、受話器の向こうの人の気配が消える。ソーニャはしばらく受話器を耳に当て続けたが、やがて力なく腕を降ろして暗くなった空を見つめる。

 

「……ちく……しょう!!」

 

 ギリッ、と歯を食いしばる。自分が心を緩めたばかりに、やすなを危険な目に遭わせてしまった。携帯を握る手の力が強くなり、ミシミシと音が鳴る。もっと目を見張ればよかった。だが後悔をしたところでどうにもならない。とにかく今はやすなの救出が最優先だ。ソーニャは取りあえず敵の指定した場所を確認するため、あぎりが送ってきたメールを確認する。

 

 時間はちょうどあぎりの稼ぐ時間と同じ二時間後。そして場所は都心部のとある高層ビル。仲間は連れて来ないで一人で来い。少しでも有利にしなくては。ソーニャは自分の武器を隠している一番近い場所まで走りだす。

 

(やすな……待ってろよ)

 

 ソーニャは走る。全身の筋肉を使って、自分の肉体を前へ、前へと押し出す。頭の中をやすなの顔が横切る。その顔が血に染まっていくイメージが流れて、頭を思い切り振ってそれをそぎ落とす。

 

(させない……もう、自分に嘘を言わない……あいつは私が守る。守って見せる!!)

 

 ソーニャは、夜の顔になりつつある街を風の様に走り抜ける。春になったはずの街に流れる風は、やたらと冷たくソーニャの体に突き刺さっていた。

 

 

 

 

「大丈夫だよ、ソーニャちゃん」

 

 大丈夫。彼女はそう言った。大丈夫? 一体何が? この破裂しそうな自分の部屋の、どこが大丈夫なのだ?

 

 少女、ソーニャは理解できなかった。この明らかに危機的状況を、大丈夫という彼女は、優しい笑みを浮かべてソーニャを見ていた。

 だが、今のソーニャにはどんなに優しい笑みを向けられても、自分のおかれた状態が恐ろしくて仕方が無かった。今まさに自分の住む家がつぶれそうになっているのを見ているようなものだ。それを大丈夫というなんて狂気の沙汰だ。そもそも、こうなる原因を作ったのはこいつなのだ。どうしてくれる。

 

 きっ、とソーニャは彼女を睨みつけた。お前のせいだ。お前のせいでこうなったんだ。どうしてくれるんだと、怒り狂った。だが、彼女は表情一つ変えずに、そっとソーニャの背中の方を指差した。

 

 ソーニャは振り返る。そこには、一面真っ白な何もない世界が広がっていた。恐ろしいほど広く、果てしない世界。自分の部屋の外の世界。今まで見た事のない広い世界だった。

 

 次の瞬間、自分の部屋が破裂した。彼女の置いていった物たちが飛び出してその場に散乱する。ソーニャはそれを呆然と見つめる。

 

「ここが、ソーニャちゃんの世界だよ!」

 

 彼女は、そう笑った。太陽の様に眩しい、目も眩むような笑顔。ソーニャはそれが眩しすぎて、自分が酷く汚れている人間なのだと悟った。

 

 

 

 

 指定された高層ビル。そこは一般人からも何か怪しいと言われている場所で、都心部よりも少し外れにポツンと一つだけそびえ立つそのビルは、何か邪悪な物を放っているように見えた。まるでこのビルそのものが、闇を表しているような気がして、ソーニャは不愉快に思う。

 

 目の前の自動ドアに、黒いスーツを着たいかにもな雰囲気を持った男が二人。ソーニャは入り口前に立ち、そのビルを見上げる。ここに、やすなが居る。そう思うと感情が高ぶるのを感じたが、今は冷静にならなければと深呼吸をして落ち着かせる。

 

「何者だ」

「……ソーニャだ。言われた通り来てやったぞ」

「なるほど、お前がか。一人で来たのは褒めてやろう」

「無駄話は良い。私の命が欲しいのならまず人質の解放をしてもらう」

「まぁ、そう焦るなっ!!」

 

 スーツの二人組は、懐に手を入れるとそのまま拳銃を引き抜き、銃口をソーニャの居る目の前に向けて引き金を躊躇なく引いた。

 

 だが、弾丸が撃ち出されることは無かった。なぜなら二人の銃口にはナイフが突き刺さり、そして目の前にいたソーニャの姿は無く、直後に大きくジャンプしたソーニャのナイフが二人の脳天に突き刺さって絶命した。

 

「こんな事だろうと思った」

 

 着地し、軽く制服をはたいてソーニャはもう一度高層ビルを睨みつける。恐らく中に入れば自分を消す為の罠だの資格だの、大量に待っているに違いない。だがそれでも行かなければならない。自分の心を照らした彼女を失う訳にはいかない。ソーニャは制服のブレザーを脱ぐ。その下には銃のホルスター、手榴弾、予備マガジンに大量のナイフ、仕込み刀、防弾チョッキで完全武装した自分の体。

 

 まずソーニャは腰に装着していたホルスターからサブマシンガンMAC10を二丁引き抜き、両手に構える。その目は、本気の殺し屋の目。やすなに手を出す奴は絶対に許さない。誰が何と言おうと、許すつもりはない。

 

 ゆっくりと自動ドアまで歩み寄り、そして回し蹴りでガラスを叩き割る。小細工なしの正面突破。自分は今大きく怒り狂っている。

 

 突入。ソーニャはそのまま駆け出して、ビル内部へと侵入する。まるで中身をくりぬかれたかのような無駄な作りだった。入って早々、弾幕の歓迎。だが、狙っているようでまるで狙っていないでたらめな弾道は、ソーニャの目にかかればどうという事は無かった。

 

 弾道を読み、最も弾幕の薄い場所へと駆け抜けると、上層階から乱射してくる敵の手下に向けて右手の銃口を向け、トリガーを引く。数撃ち当たれのサブマシンガンではあるが、それでもソーニャの射撃は正確な部類に入り、敵を一人、また一人と被弾させる。と、弾幕が濃くなる気配。増援か。

 

 ソーニャは軽く舌打ちをしながらサスペンダーにくくりつけていた手榴弾を抜き、口でピンを抜くとそのまま上に向けて放り投げた。

 

 爆音と悲鳴。ガラガラと破片が崩れる音がし、その中をソーニャは走り抜ける。目に付いた階段へと足を踏み入れ、上層部目指して駆け上がる。ここで下っ端がソーニャの出迎えをしていると言う事は、こいつらの居る所をたどればやすなの居る所へと通じてる可能性が高い。上等だ、捻り潰してやる。

 

 階段を駆け上がり、二階フロアにたどり着く。そこから筒状の内部に沿って螺旋状の坂道が続く。そこに数だけはやたら多い下っ端が待ちかまえていた。それを、ソーニャは真正面から叩き潰す。

 

 マシンガンを構えた敵が、ソーニャに銃口を向けるその前に脳天に弾丸をお見舞いし、ナイフで接近してきた敵を踏み台にして足に仕込んだナイフを投げて突き刺し、投げられた敵の手榴弾をナイフではじき返して迎撃し、まさに無双状態で突っ走る。

 

 体術で仕掛けて来た数人の集団を、回し蹴りで蹴散らし、その後ろから湧いた増援をマシンガンでハチの巣にする。

 

 弾切れ。予備のマガジン装填。再びソーニャの目の前には弾幕が張られ、近付いてくる敵を蹴散らしていく。敵の反撃が激しくなり、弾幕が厚くなってくる。ソーニャは壁を蹴って空中に舞い上がると、手榴弾のピンを抜かずに二つ同時に放り投げる。それを空中で撃ち抜き、爆破。二つ目の手榴弾に誘爆して爆煙が前方を塞ぐ。

 

 その中に向けて更に弾丸を撃ち込んで突破。右の銃が弾詰まりを起こし、左が弾切れとなる。予備はもうない。弾の無くなった銃はただの重りでしかないから迷わずに捨てると、今度はわき腹に吊り下げていたソーニャの愛銃、グロック26を二丁構えてトリガーを引く。やすなはどこだ、どこにいる? 震えて待っているのか、それをもにへらと笑いながら待っているのか。そもそも、もしかしたらもう生きていない可能性だって無くは無い。

 

 それでも。それでもソーニャは止まらない。何が何でも見つけ出す。そして助けて出して見せる。

 

「やすな……」

 

 ナイフが飛んでくる。目視してからの回避。ソーニャの人間離れした動体視力と反射神経で敵の攻撃をかいくぐる。

 

 それでも、かすりの被弾は少なくない。一つ、また一つと敵の迎撃がソーニャの体を痛めつけていく。だが痛くない、何ともない、真っ直ぐに進むことしか頭にない。

 

「やすな……!」

 

 頬を弾丸がかすめた。少しだけ目をしかめ、その一瞬で目の前に回避不能な距離まで敵に接近された事に気づく。とっさに左手の銃を投げて目潰しにし、右手の銃でど真ん中を撃ち抜く。致命弾は回避した。だが左腕を切られた。だがまだ動く。体はまだ動く。

 

「やすな!」

 

 ソーニャはやすなの名前を無意識に呼び続ける。色々な物がたまりにたまっておかしくなりそうになる。叫ばずにはいられなかった。そうでもしないと、自分はハチの巣にされてしまう。無事でいてくれ。お前にはまだ教えてもらいたい事がある。お前はあの狭くて何もない部屋から私を追い出し、無限の可能性のある真っ白な広い世界を見せてくれた。その世界を色鮮やかにしたのはお前なんだ。お前が居なくなったら、本当に何もかも失ってしまう。だから、無事でいてくれ。絶対に助ける。私が助ける。もう、何だっていい。私の全てを捨ててでも、お前を助けてみせる。

 

「やすなぁぁぁあああーーーーーーっっ!!」

 

 ソーニャの絶叫が、彼女の肉体に極限の力を与える。敵は怯んだ。数に全く圧倒されずにむしろ次々と自分たちを薙ぎ倒して突き進むあの姿。悪魔でも、死神でも言い表せないその恐ろしさを持ったあいつは、例えるならば鬼。そう、鬼神が突き進んでくるかのような恐ろしさだった。

 

 事実ソーニャは鬼になっていた。敵のみならず、自分の体の悲鳴にも全く耳を貸さない鬼となって突き進む。痛みも何も感じなくなるレベルにまで達していた。

 

 愛銃グロック26の最後の弾が無くなった。空になったマガジンを捨てると手榴弾を放り投げて後ろからの追手を蹴散らす。仕込み刀を抜き、立ちふさがる敵を切り裂き突き進む。懐に飛び込もうとした敵に、超小型スタンガンを押しつけて溝に蹴りを叩きこむ。敵の誰かが取りこぼしたマシンガンを奪うと、それを片手で撃ちまくり、近距離の敵をもう

片方の手に握ったナイフで切り裂く。

 

 銃から熱を帯びた薬莢が転がり落ち、その度に一人、また一人とソーニャを潰そうと襲いかかってくる敵が返り討ちにされていく。

 弾切れになった奪ったマシンガンを捨てると、今度は閃光手榴弾を投げ、直後に耳を貫く音と眼球を針で突き刺すようなまばゆい光がその場に広がり、敵の視覚と聴覚を奪い去る。その隙に中央突破を図り、それに成功する。その先にエレベーター。ソーニャはナイフを投げつけると、その刃先は見事に上階ボタンへとヒットし、扉が開いた瞬間に滑り込み、最上階のボタンと閉ボタンを押してドアが閉まり、銃撃の音が遠ざかった。

 

「はぁ……はぁ……ぐっ……」

 

 一時的とはいえ、敵の追手から逃げ切れたことに安堵したせいで体の痛みが浮き上がり始め、その多さにソーニャは顔をしかめた。思っていたよりも被弾が多い。撃たれた左腕からは出血が続いてシャツを赤く染めていた。

 

「く……そ……」

 

 ソーニャは防弾チョッキを脱ぎ、左袖をナイフで破いて包帯状にすると、傷口を縛りあげて止血する。痛みで脂汗が浮き上がるが、他に致命的な怪我は無い。ほとんど擦過傷、打撲、切り傷程度だ。試しに左手を動かしてみたが、多少の鈍りはあったが戦闘にはまだ耐えられそうではあった。

 

 エレベーターのランプが最上階に向けて一つ、また一つと動いていく。もうじき最上階に付く。やすなの居場所は分からない。だが、ソーニャはなんとなくだがもう察しは付いていた。

 

 こう言う時は、だいたい屋上が相場だろう。そんな気がしていた。

 

 体に装着していたマガジンポーチを脱ぎすて、ナイフベルト外す。幾分か身軽になったソーニャはまだ残っている武器を確認する。銃火器は残ってない。あるのは自分の十八番であるナイフと閃光手榴弾一つ。この先また大人数で来られるなら勝ち目はぐっと低くなる。どこかで武器でもかっさらうか。

 

 エレベーターが最上階に到着し、ゴトンと停止する。身なりを整え、準備を終えたソーニャは扉を睨みつけ、その顔におびえたかのようにゆっくりと開かれる。外が近いのか、やや冷たい風が頬を撫でる。

 

 エレベーターフロアから抜け、その先にドアが一つ。ドアノブにゆっくりと手をかけ、ソーニャは扉を開ける。その先はビル屋上のヘリポート。そして、その視線の先には、おびえた表情のやすなだった。

 

 

 

 

 ここが、私の世界? ソーニャは不思議でならなかった。ここは「外」じゃないか。寝泊りをするのにも不便だ。あの部屋で十分だったのに。私にどうしろというのだ?

 

 ソーニャは彼女にそう聞いた。彼女は顔色一つ変えず、笑顔でこう言った。

 

「確かにここは『外』だよ。でも『中』よりもずっと色々な事が出来る。部屋が欲しいならもっと大きい部屋をここに作ればいい。それで、楽しい事探しに行こうよ! ここはソーニャちゃんの世界、だからソーニャちゃんのやりたい世界にすればいい!」

 

 さぁ、行こう! 彼女はソーニャの手を引っ張って走りだした。まったく訳の分からないうちに引っ張り出されたソーニャはただ着いていくことしかできなくて、しかしその足元に目を向ければ彼女の走った地面が色とりどりになって広がっていく。

 

 彼女がは立ち止り、振り向いて手を広げて見せる。

 

「ほら、見て!」

 

 促されるままにソーニャは振り返る。まず目に入ったのは潰れた自分の部屋。しかしその真っ白だった世界は空と雲と緑で彩られ、ソーニャにはそれが眩しく見えた。

 

「今度はソーニャちゃんの世界を見せて!」

 

 少女はそう言う。ソーニャにはどうしたらいいか分からない。自分の世界。真っ白な世界しか知らなかった自分にはどうしたらいいのか分からない。けど、もし作るなら一つだけ欲しい物があった。

 

「…………じゃあ」

 

 

 

 

「やすな!」

 

 ソーニャはヘリポートの奥フェンスで、手錠をかけられ、足にはそう簡単に動けないであろうおもりを繋がれて身動きの取れなくなったやすなを発見し、思わず駈け出した。待ってろ、今行く! アドレナリンが体中に流れ込んで、板がまるで最初からなかったかのように消える。

 だがソーニャは気付かない。自分が思っていた以上に冷静さを失っていた事に。

 

「ソーニャちゃん、ダメ!!」

 

 いつに無いやすなの緊迫した警告。ソーニャはその警告で自分が今致命的なミスをしたかもしれないと悟ったが、その時には既に遅く、わき腹の中を衝撃が突き抜けた。

 

「がぁっ!?」

 

 思わず前のめりに倒れ込み、コンクリートの地面に体が叩きつけられる。衝撃を受けたわき腹から流れる血液の感触。はめられた。やすなを囮にして自分に痛手を負わせるつもりだったのだ。少し考えれば分かる事なのに、自分が一番気をつけようと思った事を実行できていないなんてお笑いじゃないか。

 

「ソーニャちゃん、大丈夫!?」

「っつぅ……気にするな、これくらい……」

 

 どうにかして腕に力を入れて立ちあがる。だが、次にもう一人の気配を感じてソーニャは警戒レベルを最大に引き上げた。

 

「ようこそ、ソーニャ。よくぞここまで辿り着いた。あの数の部下たちを突破してくるとは、噂通りだ」

「お前がボスか……約束通り来たぞ、やすなを開放しろ」

「なかなかにせっかちだ。まぁ少し交渉でもしてみたいところだがどうだね?」

「聞く耳なんか、無い」

「まぁそう言わずに。私は正直なところ君を甘く見ていた。まさかたった一人であの数の警備を突破してくるのにはさすがに驚いた。理論上、君の戦闘能力は一人で数百人分の物になる。その能力を殺すのは中々惜しいと思う。そこで気が少し変わった。どうだね、こちら側に来ないか? そうすれば君の大切な友人を解放しよう。悪くない話だとは思うが?」

「……確かに幾分かまともな話だ。だが断る。こっちの組織は裏切り者を許さないからな。恐らくこの組織ごと私は消される」

「大げさだな」

「あまりこっちの事を甘く見ない方がいい。それなら殺される方がましだ」

「ふむ……はったり、という訳でもなさそうだな」

 

 芝居の掛った歩き方をしながら、敵のボスはやすなとソーニャの間に割り込む形でソーニャに向き直る。そしてそのままゆっくりと右手に黒光りする無骨な銃をソーニャの眉間に向けた。

 

「私を殺すなら人質の解放を先にしろ」

「ソーニャちゃん!?」

「私が死んでから開放なんて確認が出来ないだろう。もし拒否をするならこっちにもそれなりに抵抗させてもらうぞ」

「まぁ、確かにフェアでは無いな。良いだろう」

 

 ボスはスーツのポケットからリモコンの様な物を取り出して、ボタンを一つ押す。その間ソーニャはいつでもナイフを投げられるように身構えていたが、その次に「ガシャン」という音と共に、やすなの手錠が解除されたのを確認した。

 

 その次に足の重りの解錠も確認した。身軽になったやすなはソーニャに駆け寄ろうとして「来るな!」と拒否され、その足を止めた。

 

「これでいいかね?」

「……まぁ、良いだろう。あいつを無事に家に帰せ。私からの要求は終わりだ」

「最後にもう一度聞こう。こちらで働く気は無いか?」

「何度同じ質問をされても同じだ。どの道私は命令違反で殺され、裏切り者としても殺される。私に未来なんてない」

「残念だ。では」

 

 銃のノックが指で下ろされ、安全装置が解除される。ソーニャはその銃口をじっと見つめ続け、微動だにしない。最後にボスが問いかけた。

 

「なぜ恐怖しない。お前の眼は、まるで恐怖を感じていない。これから死ぬ人間の様には思えないが」

「そうだな。確かに私はこれから死ぬ人間だ。けど、あがきはするつもりだがな」

 

 ソーニャはちらりと後ろにいるやすなを見た。そして、にやりと笑った。ボスはそのソーニャの動きに不審さを感じ、まさかと思って後ろを見る。まさか、やはり仲間がいたのか? はたまたやすなが不意打ちを仕掛けてくるのか?

 

 だが、後ろには何も居ない。やすなは動いていない。やすな以外誰もいない。まさか。

 

 はっとして前に向き直る。その目の前にはソーニャの金髪が揺れ動き、その右手にはナイフを握りしめて回避不能な距離にまで接近していた。

 

「!?」

「遅い!!」

 

 カラン、と金属の塊が落ちる音。それは残っていた最後の閃光手榴弾。地面に落下すると同時に閃光と耳を貫く爆音を撒き散らし、その奥から右手に握ったナイフを持ったソーニャが予測だけで目標に接近し、そしてその切っ先はボスの胸の急所に突き刺さった。

 

 何が起きたのか分からないやすなは、強烈な耳鳴りに耐えてどうにか目蓋をこじ開ける。ソーニャが動いた瞬間とっさに目を閉じたのは直感だった。ソーニャがこのままやられる訳なんてないと知っていたから出来た事だった。それも、ほぼ無意識で。

 

 目に入ったのは、敵のボスの懐に飛び込んだソーニャの姿。その様子からして恐らく、胸を一突き行ったのだとやすなは察した。それを理解して少し胸の内がチクリとするのを感じた。そう、やすなはソーニャが人の命を奪う瞬間を初めて見たのだ。分かってはいたが、言葉に出来ない何かがやすなの中を流れた。

 

「おの……れ……」

「残念だったな。やすなは返してもらうぞ」

「…………く、くくく……」

 

 だが、ソーニャの予想に反し、敵は笑みを浮かべ、演技では無い笑みを浮かべていた。ぞわりと、不気味な何かがソーニャの体を舐めずり回した。そして、唐突に嫌な予感がした。

 

「予想通りだ……君が何か策も無しに来る訳がない……だから、奪わせてもらう……」

 

 ソーニャははっとした。全身を舐める嫌な予感が恐怖に代わった瞬間、やすなに向けて声を張り上げた。

 

「やすな、逃げろ!!」

「えっ!?」

 

 やすなは理解できなかった。直後、体が何かに引き寄せられるように、滑り出し、いや実際に気付かれないように体に繋がれたもう一本のワイヤーがやすなの体を手繰り寄せ、そしてフェンスの外へと引き寄せていた。とっさにソーニャはナイフを投げてやすなに繋がれたワイヤーを切断する。だが遅かった。勢いに乗ったやすなの体は勢いを止めなかった。

 

 あまりの出来ごとにやすなは何が何だか分からなかった。ただ次の瞬間。フェンスが意図的に外れて刹那。やすなの体は空中に放り出され、目の前にはやたらと明るい星空が広がっていた。そして、次に体を襲う浮遊感。今度は重力の糸に引かれて、やすなは真っ逆さまに落ちていく。

 

「う、うわぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!」

「やすなぁぁーーーー!!!」

 

 ソーニャは迷わず駈け出した。悲鳴を上げる傷を完全に無視して、全神経を足の筋肉に注ぎ込む。何の躊躇いもなくコンクリートの地面を蹴り飛ばし、自分の体を宙へと投げ出す。そのまま自由落下。体の抵抗を可能な限り少なくして高速で落下してやすなを追いかける。

 

 やすなは落下する恐怖によって空中でもがいていた。それがある意味幸運だった。手足を広げて動かしていることにより、空気抵抗が増えてやすなの落下速度が微弱ながらに減速し、ソーニャはやすなの体により確実に近づいていく。

 

 もう少し。もう少しで手が届く。ソーニャは精一杯右手をのばしてやすなの体を掴もうとする。だが、風圧で目が上手く開けられない。腕も固定できずに空を掴むばかりだ。地面まで距離は無い。早く、早くどうにかしないと。

 

「やすな、やすな!!」

 

 パニック状態で落下するやすなを落ち着かせるためにソーニャは何とか呼びかけるが、落下の風圧の音が耳を塞いでうまく伝わらない。もう地面まで数秒もない。

 意を決してソーニャは落下の勢いをさらに上げた。もう待ってられない。過度な加速はやすなと衝突の危険があるが、どの道死ぬ。それだったらあがいた方が全然ましだった。

 手を思い切り伸ばす。もう少しで届く。もう少し、もう少し。伸びろ、私の腕。やすながそこにいるのだ。

 

「届けぇぇぇええ!!」

 

 掴んだ。やすなの手を、ソーニャは確かに掴むことに成功した。そのまま腕を背中に回し、抱き寄せてやすなの目を見る。恐怖におびえていたやすなの目に、ほんの少しだけの安堵が見えた。

 

「そ、ソーニャちゃん!」

「掴まれ!」

 

 最終兵器だ。ソーニャは袖の口からフックを取り出し、それをビルめがけて投げ飛ばす。フックは見事にビルの凹凸に引っ掛かり、服の下に仕込んだワイヤーが伸びて減速を開始する。これで助かる、後は地面にゆっくり下りれば任務完了だ。

 

―ブチッ―

 

「……え」

 

 とても聞きたくない、嫌な音が聞こえた。ゆっくり自分の袖から伸びているはずのワイヤーを確認する。減速作業に入っているはずのワイヤーの勢いが止まらない。それどころか落下の勢いを増していく。ソーニャは思い出す。さっき腕を切りつけられた時だ。その時にケーブルの基部に損傷が与えられたのだ。

 

 一気に血の気が引いた。ワイヤーが伸び切り、安全装置が働いて本体と切り離される。体はそのまま地面に向かって落ちていく。もう、何も残っていなかった。

 

(そんな……こんな所で……)

 

 ソーニャは歯を食いしばる余裕もなかった。ただ迫る地面の恐怖が押しあがって来て体が震えそうになる。死ぬ。もう、助からない。今まで危機的状況下は経験してきたがこれは強烈だった。

 

 だが。ソーニャはそれでもあがこうとした。とっさにやすなを全身で固定し、自らの体を地面に向けた。例え無駄だろうとも、せめて自分がクッションになってやすなへの衝撃を少しでも和らげようとした。もう自分はどうなってもいい。だが、やすなだけは。やすなだけは助けてくれと心の中で叫んだ。

 

(神でも仏でも、キリストでもアラーでも何でもいい!! こいつだけは、やすなだけは助けてくれ!!)

 

 たまらなくなって、ソーニャは叫んだ。どうせ死ぬのなら、自分の本音を言ってから死のうと。だから精一杯、恐怖でひしゃげそうな喉から今まで言葉にできなかった自分の気持ちを叫んだ。

 

「やすな、――――!」

 

 その声がやすなに聞こえたか分からない。ただ風邪を切る音だけが聞こえて、時間が長く感じた。ぎゅう、とやすなの体を強く抱きしめる。やすなも全てを覚悟したのか、ソーニャにしがみつく手の力が強くなる。ソーニャも覚悟を決め、最後に横目に自分の位置を確認した。地面に植えられている街路樹が同じ高さに居て、次にやってくる衝撃を受け入れる覚悟を固め、その目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「何かお困りの様ですね~」

 

 

 

 

 

 

 

 ソーニャは、いつまでたってもやってこない衝撃に違和感を感じた。いや、まて。おかしい。さっきまで自分の耳を塞いでいたうるさい風切り音は鳴りを潜め、自分の頬には撫でるような心地よいそよ風が吹いていて、どう考えても死ぬ間際の人間に起こる現象ではないと言う事に気がついた。

 

 恐る恐る、目を開けて見る。目の前に広がるのは夜の街の夜景。そして宙に浮く自分。やすなの方を見てみれば、ちょうどソーニャと同じように目をゆっくり開けて状況を確認し、「あ、あれ……?」ときょろきょろと見回していた。

 

「なんだ、これ……なんで私たち……」

「と、飛んでる……ソーニャちゃんが?」

「いや、私は何も…………」

 

 二人はまだ何が起きたか分からずに、ただ頭の中が混乱して行くばかりだった。が、次の瞬間に自分たちの身に何が起こったのか一発で理解できる強力な起爆剤が耳の中に投下された。

 

「忍法、空も自由に飛びたいなの術~」

 

 その先には二人を両手に持ってにへらと余裕の笑みを浮かべている、呉織あぎりの姿がそこにあった。

 

「あぎり!」

「あぎりさん!」

「いやー、なにか美味しい所を持って行けそうな気がしたので来てみたら、どうやらいい感じに持って行けたみたいですね~」

「…………ったく、本当にいいとこ取りが好きだな、お前は!」

「本当です! あぎりさんかっこよすぎです!」

「ヒーローはー、遅れてやってくる物ですからね~」

 

 うふふ~。と笑みを浮かべるあぎり。これだけ安心できる物が過去にあっただろうか。ソーニャは今だけ、あぎりに今後一生分の夕食を奢りたくなった。

 

「ところであぎりさん、私たちどうやって飛んでるんですか?」

「はいー、上をご覧くださいませー」

「おお! あれは忍者御用達の凧ですか!?」

「よく見ろやすな。その上から組織のヘリが私たちを吊るしている」

「やっぱりインチキだったか……」

「うふふ~、それじゃあそろそろ着地しましょうか~」

 

 えいやー、と突然ソーニャ達は白煙に包まれて、けほけほと咳き込む。少しばかり息苦しいが特に害もなく、煙はすぐに晴れて視界が戻り、そしていつの間にか自分たちが地面に着地している事に気がついた。

 

「あ、あれ!? もう地面に……なんか忍術っぽい!」

「はい、無事到着です」

 

 じゃーんと手を広げるあぎり。やすなはぺたぺたと地面に手を触れて感触を確認する。間違いなく自然の芝生であった。

 

「……ところで、なぜ助けに来た。来てくれた事には感謝しているが、組織からの命令は…………」

「それに関しては心配はいりませんよ~。命令が変わっただけです。あなたたちを救出せよ、という物に」

「そんな馬鹿な。一体上は何を考えているんだ?」

「ボスからの指令です。こうしてしまえば誰が何と言おうとあなたたちを救出しなくてはなりませんからね~」

「まて、話が見えない……本当にボスの指令で私たちの救出を命令されたら分かるが、それが本当に可能なのか?」

「ええ、可能ですよ。私直々の命令ですから」

「…………は?」

 

 ソーニャはあぎりが何を言ったのか一瞬分からなかった。あぎり直々の命令? それで組織が動いた? 一体どういうことなんだ? ソーニャでも理解できない話の内容に、やすなに関しては一体何のことかさっぱりだと言う、頭空っぽの顔になっていた。

 

「そろそろネタばらししましょう。今、私たちの所属している組織の総指揮県は私、呉織あぎりにあります。つまり、今私たちの組織のボスは私ということになりますね」

「おい、待て。確かにそれならお前が命令すれば私たちの救出が可能になったのも納得がいく。だが、前のボスは」

 

 ふっと、ソーニャの耳元に何かが触れた。それは一瞬でやすなの耳元に近づいたあぎりの吐息で、小さくその耳元で囁いた。

 

「あまり、模索しないで頂けると助かりますね。随分と汚い事をしましたから、やすなちゃんには聞かせたくありません」

「…………分かった」

 

 ソーニャはそれ以降追求する事を止めた。昨日までソーニャの組織のボスはあぎりでは無かった。しかし、たった今あぎりにボスの指揮権が与えられた。昨日の今日で変われる物では無い。つまりどうしたのか。

 

 邪魔な上司は、消してしまえばいいだけの事だ。

 

「まぁ取りあえず、私は相手側の組織の片づけにも行かなければならないので、近場の隠れ家まで連れてきました。そこでしばらく休んでください。一応命令として、ソーニャ。あなたに無期限の休養期間を与えます」

「無期限だと……? それってほぼクビじゃないのか?」

「まぁまぁ、何かあったらまた連絡しますよ。どの道その状態では任務も出来ないでしょう」

「それは、そうだが……」

「決まりですね。やすなちゃん、ソーニャの事よろしくお願いしますね」

「え、あ、はい! あぎりさんも気をつけて!」

「ありがとうございます。では」

 

 ボンッ、と白煙が上がり、あぎりはその中に姿隠す。もくもくと出た白煙は数秒も経たないうちに消え、女子高生忍者は完全にその場から姿を消した。

 

 ポツンとその場に残された二人は、しばしの間どうしようかと考えて静寂が流れる。そうして少し時間が経って。先に口を開いたのはやすなの方だった。

 

「…………あのさ、ソーニャちゃん」

「…………なんだ?」

「……私たち、助かったんだよね」

「……ああ」

「これからどうするの?」

「……取りあえず、私の隠れ家に行こう。そう遠くは無い。というか、私たちの後ろにある」

 

 そう言われてやすなが振り返ると、森林公園の中に作られた管理人室にカモフラージュされた小さなログハウスがあった。

 

「一体どうやってここまで……」

「もうあいつの忍術に突っ込みはしない事にした。追いつかん」

「そ、それもそうだね」

 

 さて、入るか。ソーニャが立ち上がろうとするが、安心した事によってどっと出た疲労と傷の痛みによって体がぐらついて大きく傾き、やすなが慌ててそれを支える。が、落下の恐怖で腰が抜けていた事に気づいていないやすなはソーニャの体を支えられる訳もなく、そのまま二人して地面の上に転がり込んだ。

 

「うわっ!」

「わわ!」

 

 二人してドスンと地面に転がり込み、やすなの上にソーニャが圧し掛かる形で倒れ込む。体は痛むソーニャだったが、やすながクッションになってくれたおかげで痛みはまだましな方で済んだ。

 

「いっつ……やすな、大丈夫か?」

「あ、うん……平気……」

 

 と、ソーニャはやすなの顔がやたらと近い事に気がついて、どう言う訳か頭の中が真っ白になってしまう。自分が次に何のアクションをすべきなのか分からなくなり、体を動かすのか、目を動かすのか、手を動かすのか、どうしたらいいか判断できずに必然的にやすなを見つめ続ける形になってしまう。

 

 やすなからしてみればソーニャがじっと自分の事を見つめ続けているように見えただろう。胸の鼓動が速くなって、顔が熱くなるのが手に取るように分かった。このままどうなるのだろう。このまま顔を近づけたら、どうなってしまうのかと、そんな事を思ってしまう。

 

 ごくり、と唾を飲み込み、やすなは緊張しながらソーニャに声をかけた。

 

「そ、そーにゃちゃん?」

「…………」

「ソーニャちゃん、その……動けない、よ?」

 

 やすなのその一言で、ソーニャははっとして体を慌てて起こし、しかし撃たれたわき腹の痛みによって強制的に体が停止して背筋が直線になって固定され、脂汗がじっとりとにじみ出て来た。

 

「ぐぅっ……」

「ああ、怪我してるからそんな急に動いちゃだめだよ!」

 

 やすなはソーニャの隙間から抜け出し、うずくまるソーニャの腕を自分の肩に回して立ち上がらせると、隠れ家のドアを開けて部屋の中に入る。

 部屋の広さはざっと六畳ほどで、その中にベッドが一つと机が一つ、その上にテレビ。加えて恐らく備品が備蓄されているであろう収納庫と冷蔵庫があった。

 

 やすなは取りあえずソーニャをベッドの上に座らせると、手近にあった電気ランプを点灯させ、手当てできる物がないかと探す。収納庫を開けてみれば、分かりやすい救急箱があったからそれを取り出してソーニャの傍まで持ってくると、中身を確認して消毒液とガーゼを取り出した。

 

「あまり上手くできる自信は無いけど、じっとしててね」

「すまん……今回は恩にきる」

 

 制服のボタンをはずし、ソーニャの制服を脱がせて下着姿にさせる。なんとなくソーニャは気恥しくなってやすなの顔を見るが、やすなの顔は真剣そのもので冷やかしもなにも無しに、ソーニャを下着姿にして傷口を確認する。首を曲げて一番フなんなわき腹を見てみる。貫通した訳ではなく少し深めにかすった程度だったから一安心した。

 

 ピンセットで綿を掴み、消毒液を浸して一番ひどいソーニャの腹部の傷口に可能な限り優しく当てる。じゅうじゅうと消毒液が傷にしみ込んでいく感触。たまらずソーニャは少し顔をひきつらせてしまう。

 

「大丈夫?」

「どうってことない……」

「もうちょっと痛くなるかも、我慢してね」

 

 傷口の上にガーゼを当てて、その上からさらに包帯でソーニャの体をぐるぐる巻きにして次の傷口の手当に入る。いざ服を脱いでもらえば痛々しい物だった。

 

 全身傷だらけである。顔から始まり、腕で終わるその怪我の具合。どれもこれもかすり傷程度ではあったが、数が数なだけに目を背けたくなる。自分を助けるためにここまでしてくれたのかと思うと、嬉しい半面、大きな迷惑をかけたと言う罪悪感がずっしりと圧し掛かっていた。

 

 一通りの手当てを終えて、やすなは救急箱をぱたんと閉じる。一回の手当てで中身が随分軽くなったなと思いながら机の上に置き、ソーニャの方を見る。ソーニャは窓から外の状況を伺い、一応追手が来ていないかどうか確認する。その次にブラインドを閉めて、やすなにドアのカギを閉めるように頼み、それを確認してようやく安心した様子になった。

 

「これで一安心、かな?」

「ああ。取りあえずはな。この建物も設計上燃料気化爆弾の直撃にも耐えられるからな」

「よく分かんないけどそうじゃなくて、ソーニャちゃんの体だよ」

「え……ああ、そっちか」

「うん、そっち」

 

 何言ってるんだこいつ、というやすなの顔。ソーニャは自分の頭が一般認識とずれている事に少し憂鬱になるも気を取り直して収納庫から着替えが無いかと探して、フリーサイズの寝間着を二着見つけたからそれを着ることにする。

 

 やすなはその間に食べ物が無いかと探し、冷蔵庫の中に大量の保存食が置いてあるのを見て一安心し、適当に取り出す。ふと目を横に向ければ、ソーニャは着替えを終えていた。

 

「ソーニャちゃん、はいこれ。お腹空いてるでしょ?」

「ん、すまん」

「それにしてもあれだね、これって形的にカ○リーメイトだよね」

「そのままそれだ。なんやかんやで一番栄養価のバランスがいいからな」

「恐るべしカ○リーメイト……」

 

 やすなも自分の分の袋を開けて、一口食べて見る。うむ、忙しい人間の強い味方、栄養保存食品カ○リーメイト。ぶれないチョコ味は素晴らしい。ついでに取り出した水も一口入れて、やすなは自分が思っていた以上に空腹だったと言う事に気がついた。ぺろりと一袋分を平らげてしまう。一応カロリー的には問題ないのだが、いかんせん見た目があれな物だから、食べた気があまりしなかった。

 

「…………なんか、物足りないね」

「私は慣れてるからこれでも十分だがな。まぁ、お前には少し足りないだろう」

「ハンバーグとかとんかつが食べたい~」

「非常時だ。贅沢言うんじゃない」

 

 ぶーぶー、と唇を尖らせるやすなだったが、ソーニャはそれを見て思わず笑みがこぼれ、「食べるか?」と自分の分を半分差し出した。やすなもソーニャの笑み気づいてえへへと笑い、それを受け取って口の中に入れる。物足りはしないが、食べ物を食べることの幸せについては満腹だった。

 

 

 

 

 軽い食事を終え、一晩ここで過ごすことにした二人は何度目か分からない二人きりの夜を迎えていた。枕が一人分しか無いのが少し残念だったが、気を使ったソーニャが制服と適当な布を丸めてそれを自分の枕にしてくれたため、やすなは幾分か快適に過ごす事が出来た。

 

 電気を消して、天窓を開けて月明かりを部屋の中に入れる。天窓の位置がちょうど枕の真上だったため、そこから顔をのぞかせる月はなかなか風情があってよい物だとソーニャは思い、やすなも「綺麗だね」と小さく呟いた。

 

「…………ソーニャちゃん、一ついいかな?」

「なんだ?」

「その……手、握っていい?」

 

 そっ、とやすなの手の甲がソーニャの手に触れる。その手はわずかに震えている事に気がついて、やっぱり怖かったんだなとソーニャは察してやすなに向き直ると、自分の手をやすなの背中にまわして抱き寄せてこつんと額をぶつけた。

 

「大丈夫だ、私が居るから安心しろ」

 

 ぎゅ、とやすなの手を布団の中で握ってやる。それを自覚したやすなは少し震えて、鼻をすする。ちらりと見れば目には若干の涙。いつも通りを装っても、やっぱり怖かったのだろう。やすなの握る手の力が強くなって

、ソーニャも握り返してやる。

 

「恐かった……恐かったよ、ソーニャちゃん……」

 

 涙を見られたくないのか、やすなは顔をソーニャの胸にうずめる。ソーニャは空いていたもう片方の手でやすなの頭を撫でてやる。本当にすまない事をしてしまった。ソーニャは自分の不甲斐なさに少しばかり嫌気がさしたが、それは後回しにしてやすなをなだめることに専念する。

 

「すまない、私のミスだ……もっと気を配っておくべきだった」

 

 さわさわと、やすなの頭を今までに類を見ないほど優しく撫でてやる。少し警戒を怠りすぎてしまったか。恐れていた事がこうして現実になると、いかんせんやるせない気持ちになる。

 

 そう思っていたソーニャだったが、次にやすなが顔を上げてソーニャを睨む形になる。睨む? ソーニャは自分の思考の語尾に疑問符をつけたした。

 

「そうじゃないの! 私はソーニャちゃんが……ソーニャちゃんが死んじゃうかもしれないと思ったから怖かったの!」

「えっ……」

「だってあの時、私を見て走った時撃たれて、血がいっぱい出て、もう駄目なんじゃないかって、それで……それで……っ!!」

 

 やすなの震えが強くなる。まさかそっちの方で震えているなんて思ってもみなかった。誘拐という一般人が経験すれば嫌でもトラウマになるであろう事態に遭遇してなお自分の事を案じていたなんて、本当に大した奴だと変に感心してしまう。が、同時に罪悪感も感じる。もう少し冷静になればこんなに泣かせることは無かったかもしれない。

 

「だからっ……だからもう危ないことしないで……ソーニャちゃんが居なくなったら私、寂しくておかしくなっちゃいそうだよ……」

 

 その目には涙が浮かんでいて、あの時酔ったやすなが自分に本音を訴えかけた時と重なる。前の自分なら少し面倒だと思っていただろうが、今となっては反省しなければならない、と思うようになっている。この心境の変化も、だいたいやすなのせいである。

 

「やすな……」

 

 やすなを抱き寄せる手の力を強める。それにやすなはピクリと反応して、少しだけ震えがおさまるのを感じた。

 

「すまない……何というか、お前がそこまで私の事を考えてくれてるなんて知らなかったんだ。けど、怖くなかったのか? 連れ去られて、閉じ込められて、挙句の果てには地面に向けて真っ逆さま。普通なら他人の事なんて構ってられないし、私のせいでこうなったと責められても…………」

「バカ」

 

 ごつん、とやすなの額がソーニャの額にぶつかり、そしてそれが思いの外痛かったから少しばかりむっとしたが、その次に見たやすなの顔はとてもやわらかい笑顔で、ソーニャはそれを見て思わずどきりとして抗議する事を忘れてしまった。

 

「信じてたから、大丈夫だったよ」

「信じてた?」

「絶対来てくれるってね」

 

 偽りも何もない笑みを浮かべてやすなはぎゅうとソーニャにしがみつく勢いで抱きつく。その力が思っていたよりも強くて、温かい物だったからソーニャはとても心地よく感じ、そしてやすながこんなにも自分を信じていた事が嬉しかった。

 

「だから怖く無かったよ。相手に何言われても、ソーニャちゃんが来てくれるって信じてた。流石に落ちるのは怖かったけど、それでもソーニャちゃんが来てくれて少しだけ大丈夫だと思ったよ」

 

 ああまったく。本当にこいつはバカだ。大バカすぎて笑いが出るくらいだ。それでどうしようもなくやすなの事が愛おしくなってしまう。今まで我慢してきた感情の反動が爆発しそうで、ソーニャはこのまま完全に冷静さを消し飛ばし、本能のままに動いたらどうなってしまうのだろうかと思う。

 一瞬本能に従おうかと思った。もう殺し屋のプライドなんて何も要らない気がした。やすなだけばいればいいと思った。手が震える。こんなの初めてだ。こう言う時どうすればいいのだろうか。

 そっと、顔を近づけてみる。このままいける気がした。やすなも察したのか目を閉じてソーニャが動くのを待っている。ごくりと唾を飲み込む音がやたらと大きく聞こえた。意を決して目を閉じる。そのまま、前進すればいい。もう偽る必要なんてないのだ。

 

 ソーニャは自分がすごく楽になった気がした。素直になると言うのはこんなにもいい物だったのかと、とても安らぎを感じた。そしてそのままやすなに唇を重ねようと顔を近づけて、そしてその次に自分の骨の髄にまで染み込んだ戦闘本能による緊急アラートを呪った。

 

 何か違和感を感じて目を半分開けてみる。ソーニャのアクションを待っているやすながそこにいた。いやそれは良い。問題はその顔が唇をアホみたいに尖らせて、タコの様にむちゅむちゅと待ちかまえていることだった。あえて言おう。台無しである。

 

「ふんっ」

「あいたぁ!」

 

 ソーニャは人差し指と中指を合体させ、渾身の力を込めてやすなの額に凸ピンを叩き込み、その音は「ベチン!!」と明らかに凸ピンでは到達できないような音を部屋中に響かせた。

 

「もー、何すんのさ! 今のは空気読んでそのままチューする物でしょ!」

「顔が気に食わん。なんだそのタコみたいな口は」

「ソーニャちゃんの愛の証を受け入れるためにはあれくらいしないと受けとめられないのさ!」

「でたらめを」

「ねーねー、もう一回キスしてよー。一線越えちゃおうよー」

「ったく、うっさい奴め……」

「告白までしておいてここで引き下がるなんてそれはちょっとヘタれすぎないかな?」

「…………お前、今何て言った?」

 

 ソーニャはやすなのその一言で何か黒歴史的な物を思い出した気がした。実際半分当たりではあった。

 

「だから、告白したじゃん。ビルから落ちていくときに「愛してる」って」

「…………聞いていたのか」

「ばっちり」

 

 やすなを抱えて落ちる時ソーニャが言った言葉。風に遮られて聞こえているとは思わなかった。そう、あの土壇場でソーニャはやすなに告白していたのだ。どうせ死ぬくらいならとやけくそになっていたが、今思えば恥ずかしい事この上なく、聞こえないのならそのままにしてまた日を改めようと思っていた。

 

 その結果がこれである。やすなはにやにやと嫌な笑みを浮かべて「ソーニャちゃんに~、告白された~」といつものアホ面になって冷やかしてくる。ぶちりとちょっとだけ懐かしい感覚。ソーニャはやすなの手首を思い切り捻ってやった。

 

「あだだだだだ!!」

「調子に乗るな」

「ひぃぃぃいい! さっきまでいい感じな雰囲気だったのにこれじゃあいつも通りだよ~!!」

 

 自業自得だ。そのまま普通に待っていればよかった物を。そう思いながらソーニャはやすなの手首を離してやり、ふーふーと痛む手首をやすな息を吹きかける。

「もー、ひどいよソーニャちゃん。恋人はもっと丁寧に扱うものだよ」

「いつお前と恋人になった、いつ」

「だって告白してきたじゃん? つまりそれって私たちもう恋人ってことなんじゃないの?」

「勝手に決めるな、こういうのはお互い交際を申し込んで承諾してから始まるものだろ」

「いやいや、何も言わずにお互い理解しているっていう愛って素晴らしいじゃん?」

「どうでもいい」

「っていうか、その言い方だとちゃんと告白したら付き合ってくれるんだね」

「…………まぁ、その……」

 ソーニャはやすなの発言に対して少し受け答えにくくなり、しどろもどろな返事になってしまう。こうなると弱くなってしまうと、やすなは間違いなく調子に乗って突っかかってくる。

 現に、また殴りたくような顔になってソーニャを煽ってきていた。

「んん~、どうしたのかな~、ソーニャちゃん?」

「……うっせ」

「うぶだね~、初々しいね~、恋する乙女って感じ~?」

「ふん!」

「うっひょーい! 不意打ちで殴り掛かるなんて卑怯な!」

「殺し屋が不意打ちして何が悪い! 許さん、散々おちょくりやがって!」

「ちょちょちょぉ!!? まって、ナイフは危ないからダメ!」

「問答無用、逃がさん!」

「ひぃいいい!!」

 やすなはベッドから飛び降りて狭い部屋の野中を縦横無尽に逃げ回り、ソーニャもそれを追いかけてナイフを投げつける。どたばたと部屋が騒がしく、外から聞いてみればなかなかカオスな会話が繰り返されていた。

「ぎゃあーー!!」

「こぉら! 逃げてんじゃねーー!!」

「うわああ、やっぱり真面目にチューしてればよかったぁぁ! うっほ!!」

「ちっ、避けたか。だが次は外さん!」

「勘弁してよー、これじゃあ何も変わらないよー!」

「お前がもうちょっとおとなしくしてればよかったんだ!」

「だって、私だってちょっと照れくさかったんだもん!」

「それでも覚悟を決めて受け入れろ!」

「ソーニャちゃんが言うとなんか怖い!」

「んだとぉ!!」

「だからナイフはダメ、あだだだ、外れちゃう、外れちゃうよ!?」

「ふんっ!」

「ひぎぃいぃいい!! ごめんなさいごめんなさい、お許しください、ソーニャちゃぁあーーーーん!!」

「今度はソーニャちゃんの世界を見せて!」

 そういった彼女。ソーニャは自分の世界と考えて、一歩踏み出してみる。真っ白な地面に、少しだけ色が塗られた。もう一歩踏み出す。また色ができた。

「ソーニャは振り返る。彼女は笑みを浮かべていた。それがまぶしくて、まるで太陽のようで、ソーニャには直視するにはまだ難しかった。だが同時に、そのまぶしさがほしいと思った。

「じゃあ……頼みがあるんだ」

「なぁに?」

「……もう少しだけ、一緒にいてくれ……この先どうしたらいいのか自分でもよくまだわからない……一人でやっていける自信がないんだ。だから、ここにいてくれないか?」

 断られるのが怖かった。だが、このままじっとしていても、彼女はいずれ自分の場所に帰ってしまうかもしれない。それが怖い。ソーニャは気づけば自分が一人きりになるのを恐れていた。あれだけ慣れていて、あれだけ十分だと思っていた一人の世界が急に怖くなったのだ。

 少女は微笑みを浮かべながらソーニャの言葉を最後まで聞き、満面の笑みになって答えた。

「もちろん!」

 ソーニャは、とても救われた気がした。彼女が手を差し出す。ソーニャは、その手を握ろうとして一瞬戸惑い、手を引っ込みかける。だが、少女はそのソーニャの手をつかみ、ぎゅっと握りしめた。

 ソーニャはまだ真っ白な自分の世界を見てみる。もう、そこは真っ白な世界じゃなくなっていた。自分たちの足元に草が生い茂り、その先には真っ白な砂浜が続く。その向こうに、どこまでも続くような水平線。空は少し薄暗くなり、その真上には満天の星空。水平線の少し上に、碧の美しい惑星。そして、現れる太陽。ああ、なんてきれいなんだろう。ソーニャは自分の心が満たされていくのがとても心地よかった。

「ソーニャちゃん、行こう! まだまだ知らない世界がいっぱいあるよ!」

「…………ああ、行こう!」

 二人は駆け出した。まだ真っ白な世界に向けて。どこまでも続く、終わりの見えない世界を作るために走り続ける。少女が走り、ソーニャが続く。二人の走った後ろに塗り絵のように現れていく新しい世界。それが楽しく、面白く、幸せで、ソーニャは満たされていく。

 願わくば、この幸せがいつまでも続いてくれればいいのに。

 走り続ける少女の背中を見ながら、ソーニャは初めて心の底から笑った、と思った。

 結局騒ぎ立てて疲れ切って眠った二人は、そのままだらしない恰好で朝を迎えて、ソーニャが先に起きてあたりを見回した。

 二人で騒ぎ散らして、物があちこちに散乱していた。怪我だってしているのに、さすがにこれはやりすぎただろうかと反省する。現に少々傷口がうずいていた。今日は大人しくしよう。

「ん……おふぁよう、ソーニャちゃん……」

「ああ、おはよう」

 それからすぐにやすなも目をこすりながら体を起こす。まだ若干の疲労の色が残っていたが、昨日あれだけ追いかけっこをすれば当然だろうと思う。とはいえ、なんだかんだでいつも通りに騒ぎ立てることに一番安らぎを覚えた。

 が、いつまでもこういうわけにもはいかないだろう。自分から動くべきだとあぎりに言われた言葉を思い出し、ソーニャはやすなを呼ぶ。

「やすな、ちょっといいか」

「んー、なぁにソーニャちゃん……」

 まだ眠そうな顔をして、半分くらい寝ぼけているやすなだったが、ソーニャは構わずやすなの後頭部に手を回し、自分の顔に近づけて唇を押し付けた。やすなはきょとんとした顔になり、完全に頭がフリーズしていた。面白い反応だ。薄目にその様子を見たソーニャは、そのまま唇を離した。

「そー……にゃちゃん?」

 やすなは唇に手を当てて若干呂律のまわらない様子だった。信じられない、というような顔だ。これまたいつもと違うあほ面に、ソーニャは笑みをこぼす。

「なんだよ、キスならクリスマスにもしただろ」

「…………」

「顔、真っ赤だぞ?」

「……ひゃ、べっ……だっ、誰のせいだと思ってるの!」

「さぁな」

「だだだだだだって、ソーニャちゃん、あれ、え、うそ、えっ、夢じゃない、の?」

「ふんっ」

 いまだに状況が理解していないやすなのほっぺを、ソーニャはやや強めに引っ張る。むにむに、もちもちとしたいい感触。思わず頬ずりしたくなるぐらいだったが、今回はぐっと抑えた。

「いひゃいいひゃい!」

「夢じゃないだろ」

「あいたた……えっと、うん……」

「ったく、夕べさんざん煽ってきたくせに、いざキスしてやると随分としおらしいな」

「だ、だって…………」

 だって、と抗議の態勢に入るやすなだったが、その先の言葉が見つからないのか、しばらくきょろきょろとするも、やがて大人しくなって顔を真っ赤にしてうつむき、蚊の鳴くような小さな声で口を開いた。

「その……ソーニャちゃん」

「なんだ?」

「……もう一回、して?」

 とても小さな声。最後のほうなんかほとんど声になっていなかったが、ソーニャの鍛えられた聴力は聞き逃さない。もう一度やすなの顔に手を当てて自分のほうに向けて、じっと目を見つめる。本気だ。やすなはソーニャの目を見て思う。青紫の深い瞳が、やすなの瞳の奥をじっと見つめる。

 今度は、心の準備ができた。ソーニャが少しだけ顔を近づけ、やすなも今度はしっかり目を閉じてソーニャに自分を預けた。だが、少し待ってみたがなかなか来ない。じらしているのかと思い目をちょっとだけ開けた瞬間だった。

「やすな、愛してる」

 唇に唇が押しつけられる感触。思わず目を見開いてしまった。なんて反則技を使ったのだ。体が熱い。心臓が破裂しそうなほど脈打っている。それは一瞬のようで長くて、とても暖かい人の生きてる証のように思えて、やすなはいっそずっとこのままでいいと思ってしまう。

 ゆっくりと唇を離され、つー、とどちらかのわからない、いやおそらく二人のが混じったであろう唾液が伸びてぷつんと切れる。やすなはまだ胸の鼓動が収まらなかった。ソーニャは、そんなやすなを少し面白そうに見ている。何か言わなければ。

「そ、ソーニャちゃん……」

「なんだ?」

 そう答えたソーニャの顔が、恐ろしいほどに美しく、それを見てまた胸が高鳴るのを感じる。ああ、なんて綺麗な瞳なのだろう。わずかに微笑みかけるその優しい顔に、やすなは引き込まれていく。それを感じて自分はアウトローな人間になってしまったなと思うが、もうどうでもいいだろう。開き直ると少し楽になった。

 やすなはえへへと笑い、満面の笑みを浮かべて深呼吸。ソーニャはやすなの次の一言を待ってくれている。それのおかげで幾分か安心できた。落ち着いて、応えよう。やすなは覚悟を決めて、ソーニャの瞳を見つめる。自信を持って自分の気持ちを伝えた。

「大好きだよ、ソーニャちゃん!」

 

 やすなは言い終わると同時にソーニャに抱きついた。ソーニャもそれを優しく受け止めて、強く抱きしめた。温かい。二人はそう思う。ようやく、二人が今まで秘密にしていた本当の気持ちを伝える事が出来たのだ。これほどうれしい事は無い。

 

 やすなも、ソーニャも、しばらく離す気は無かった。ただこうしてじっとしているだけで本当に幸せだった。願わくば、仕事の依頼はしばらくご免だ。いや、そう言えば無期限の休暇を与えられていたなと思いだす。ならこれかゆっくり二人で過ごせるじゃないか。今度あぎりにはなにか奢ってやろう。

 

 そのまま、二人は抱き合い続けた。どれくらいの時間がたったのかも分からずに、ただずっとお互いの温もりを感じて、その時間が幸せで、永遠に続けばいいのにと、やすなも、ソーニャも、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の塔よ永遠に

おわり

 




はい、ここまで呼んでくださってありがとうございました。やすニャとうがたつシリーズ完結でございます。

もともとはこんなにやるはず無かったのですが、書けば書くほどキルミーの魅力に引き込まれて行って気付けば三部作。なんてこったい。やっぱりキルミーは神でしたね。

今回ついに結ばれた二人ですが、いやなんかソーニャちゃんのデレが凄まじすぎじゃないのかなと思いながら書いてました。これ一歩間違えたら反動きつすぎてヤンデレになっちゃうんじゃね?

そして内容が過去の私の書いたキルミー短編全部読まないと分からないレベルに達してました。いや一応全部つながってるからそれは良いと思うのですが、いかんせん初見さんもいると言うのを考えるとやっぱりもうちょっとやり様はあったのかなと思ったりしてます。

私のキルミー短編初の要素として、ソーニャちゃんのバトルシーンを描写したりしました。名前書いた銃は実在するので良かったらググってみてください。ちなみに、グロック26と言う銃はカヅホさんがソーニャちゃんの銃のモデルにしている奴です。ソースはファンブック。アニメではゾンビーベイベーで結構詳細に見れます。たぶん間違いないです。さぁ皆さん買いに行こう!! もちろん私もその内買いに行こうと思ってます。お金がたまれば。

で、今後の動きですが、一応もう一つくらいネタは考えてますが、今のところ出すつもりはありません。出すならこのやすニャの裏であぎりさんがどんな動きをしていたのか的な奴が先になると思いますね。あぎりさん抱いてください。

さて、また長くなりましたがそろそろお暇しようと思います。キルミー短編を書いてツイッタフォロワーさんが増えたり、色々な輪が広がったりしてとてもうれしく思ってます。これからもキルミーの発展、復活を願いつつ、ちまちまと短編考えたりします。それではキルミストの皆さん、ありがとうございました!

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