復讐鬼の歩み 作:せつな
山の中を、一人の幼い少年が走っていた。年の頃は4歳頃。普通なら村で同年代の子どもと笑顔を咲かせて走り回っているであろう少年は、恐怖に染まった顔で必死に手足を動かし、小石で足を擦り、枝に切られながらただ走る。
周囲から聞こえるのは怒声だった。よく聞こえないが、自分を追っているということだけがわかるそれに、少年は足に力を込めて、正面に見えた川を飛び越える。
少年は、山に住んでいた。山を下りた集落、その先に広がる人のコミュニティからは切り離された、十数人程度しかいない山奥の村。山を下りるなときつく言われていた少年の遊び場は、必然と山の中に限られる。
つまり、この山の中は少年の庭同然。元々持っている恵まれた肉体を駆使し、地の利を活かして追っ手を振り切ろうと懸命に走るが、少年を追う複数の気配はぴったりと少年を追ってくる。まるで、どこに逃げても見えているかのように。
平和な暮らしをしていた。優しい同族に囲まれて、その村にいる唯一の子どもだった少年は一身に愛を注がれていた。
それが、一瞬にして崩れ去った。統一された装束を身に纏った集団が突如現れ、次々に少年の周りの同族は殺されていった。
少年はその時、ただただ恐怖だけを感じた。優しかったみんなが怒りの感情をむき出しにし、襲ってきた者を潰す光景。そのみんなが数の暴力によって次々に倒れていく光景。
少年は、一人、また一人と数を減らしていく同族に思考が停止し、その時はまだ生き残っていた同族の『逃げろ』という声を聴いて弾かれたように走り出した。
少年の頭の中を、ぐるぐると嫌な想像が走り回る。みんなはどうなったのか、追いつかれたらどうなるのか。幼いながらもどちらの答えも理解できてしまい、竦んでしまいそうになるが『止まるな』と必死に自分に言い聞かせて、もはやまともな呼吸すらできずに、まるで地上で溺れているかのように逃げ回る。
──その少年の逃げ道を塞ぐかのように、炎の壁が地を走る。
少年は、逃げ出してから初めて足を止めた。その瞬間少年を囲うように炎の壁が現れ、あっという間に逃げ道が塞がれる。
表情を恐怖から絶望の色へと塗り替えられた少年の前に、炎の壁の中から一人の男が現れた。荒々しく見える赤い髪に、意志の強い金の瞳。
そして、その身を纏うのは少年の村を襲った者たちと同じ装束。
その男が、少年を見て悲痛な表情を浮かべていた。
少年の内から怒りが沸き上がる。みんなを殺しておいて、なぜ憐れむような顔をするのか。お前らがやったんだろ。お前らがみんなを殺したんだろ。
怒りとともに、少年の腕が赤い光に包まれた。そのまま砲弾のような速度で男に突っ込み、言葉にならない叫びをあげながら光をまとった腕を振りかぶる。
何が起こったかわからないうちに、少年の意識は闇に落ちた。
最後に見たのは、男の悲痛な表情と、優しく見える炎の光だった。
目を覚まして思ったのは、まだ自分は死んでいないのか、という驚きだった。
少年が目を覚ましたのは、牢の中。広い壁に覆われ、鉄格子で区切られた、壁の高い位置に窓が一つある暗い牢。
そこに、拘束一つされず入れられていた。
その牢の中は、何かを閉じ込めておくにしては少し異常だった。
綺麗に磨かれたトイレに、体を清める湯舟。さらに腹を満たせる菓子、食料も置かれており、少年が座ったときちょうどいい高さであろう机の上には、束ねられた紙と筆記用具が置かれてある。そして、少年が目を覚ましたのは柔らかいベッドの上。
まるで、少年をこの中で育てようとしているかのように。
少年が目を覚ましてしばらく、鉄格子の向こうに一つだけあるドアから、男が入ってきた。赤い髪で、金色の瞳の、少年を捕らえた男。
「お、目を覚まし……やっぱ嫌われてるよなぁ」
男を見た瞬間、少年の全身を赤い光が覆った。少年に原理は理解できないが、なぜか強くなるということだけがわかる赤い光。それを見た男は困ったように右手で頭を掻いて、少し悩んでから牢を開けて中に入った。
当然、少年は男に襲いかかった。少年にとって男は同族を殺した仇であり、少年の中に渦巻くのは殺意のみ。それが赤い光にも映し出されているのか、少年が纏う赤い光は暴力的な輝きを見せる。
瞬間、赤い光が爆発して地面を砕いた。それは暴風となって周囲の物を吹き飛ばす。
少年の耳に、外から慌てたような足音が聞こえてきた。敵が増えるかと忌々しさを顔に出す少年はしかし、「大丈夫だ! なんでもねぇ!」と少年の力によって鉄格子に背中から叩きつけられた男の声で、一瞬呆気にとられる。
「いってぇ……あーあー牢の中がぐちゃぐちゃになっちまった。まだ使えっかなぁこのベッド……」
男が少年の横を通り過ぎ、少年の背後で明らかに使えなくなったへし折れているベッドを触りながら、「高かったのになぁ」と嘆く。
少年の中に、怒り以外の感情、困惑が生まれた。男の目的がわからない。なぜ殺さないのか、なぜ手を出さないのか、なぜ仲間をここへ入れなかったのか。
わからないことが生まれた少年は、とりあえずわかることだけに意識を向けることにした。男に対する敵意を増幅させ、また赤い光が暴れだす。
「ちょ、待てって! 落ち着け! 殴ったりしねぇし痛いこともしねぇから!」
そんなことで止まるはずのない少年の拳が、男の頬に突き刺さる。直前に見えた男の頬を覆った紅色の光に首を傾げながら、確実に仕留めるために走り出そうとした瞬間、いつの間にか後ろに回り込んでいた男に抱きしめられた。
「よっしゃ捕まえた! お前それ抑えろ! じゃねぇと怖いおじさんがいっぱいきちまうんだよ!」
「──!!」
「暴れんなって! あれ、っていうかそもそも言葉わかんのか?」
少年の小さい体を持ち上げて、腕の中で暴れる少年を必死に抑え込む。同族の仇に抑え込まれるなど少年に許容できるはずもなく、落ち着けと言われても暴れるなと言われても少年は暴れ続けた。
「よし、それならこのまま自己紹介しよう! 俺の名前は
少年が落ち着かないことを理解した男──焔は、無理やり自己紹介を決行した。少年が暴れる度ボロボロになっていく体をまったく気にせず、焔は少年の言葉を待つ。
しかし、いくら待っても少年は暴れるだけで、焔は傷ついていくだけ。このままでは埒が明かないと、焔は考えることが苦手な脳をフル回転させて、自分なりの名案を導き出した。
「そうだ。菓子食え菓子! そうすりゃちょっとは落ちぶっ!?」
先ほどの暴風で吹き飛ばされた菓子に一瞬意識を向けた焔に、少年は頭突きをお見舞いした。腕が緩んだ隙に少年は拘束から抜け出し、仰向けに倒れこんだ焔の腹の上に立つ。
そのまま掲げた右手に赤い光が集約していったその時、ドアが勢いよく開き、外から二人の男がなだれ込んできた。
「榊! 無事……っ、だから言っただろう! いくら子どもとはいえ、
「鬼の血は根絶やしにするべきだと、お前もわかっただろう!」
「なんもねぇっすよ!」
二人が入ってきた瞬間焔は起き上がり、少年を抱きしめて頭を掻き撫でる。
「じゃれてただけっすよ! ちょっと暴れん坊なだけでなんの問題もないっす!」
「そんな言い訳が通用するとでも」
「俺が死ぬまで!!」
焔以外が、焔の声に体を震わせた。
静まり返る部屋に、焔の静かな声だけが落ちていく。
「俺が死ぬまで、なんでもないってことにしてもらえませんか」
大事そうに、少年を抱える焔。気づけば少年は赤い光を消していて、ただぼーっとしながら混乱する頭でごちゃごちゃと、わからないことを考えていた。
そういえばこいつらには角がない。みんなが誇りだといっていた角がない。外のやつらは角がないのか? もしかしてこの男は自分を庇っているのか?
「……間違いなく早死にするぞ、お前」
「ははっ、じゃあご期待に添えられそうにないっすね」
それが、少年の始まりの記憶。
妖怪である少年が、妖怪を退治するようになった、始まりの記憶だった。
目を、覚ます。あの日と同じ、牢の中。俺が妖怪を退治する退魔師になってからも、ここは俺の家みたいなものになっていた。あの日よりも充実した内装はとても牢屋には見えないが、内と外を隔てる鉄格子がここが牢屋であることを認識させてくれる。
顔を洗って、鏡を見る。好き勝手跳ねまわる癖のある黒い髪に金色の瞳。幼い頃は普通だと思っていた、頭に生えている一対の赤黒い角。俺が鬼であることの証。
鬼。焔さんに教えてもらったのは、数百年前に食物連鎖の頂点に君臨し、人間を蹂躙していた野蛮な妖怪。退魔師の登場によってその数を減らしており、その数が増える前に皆殺しにする作戦で、俺が元々いた村はなくなった。きっと生き残りも俺しかいない。
俺は、懐柔されたわけじゃない。家族同然のみんなを殺されて、その仇と肩を並べて仲良しこよしなんて反吐が出る。
だから、今はやつらにとって有用な存在であることをアピールする。鬼の戦闘力っていうのはバカにならない。俺の村を襲いに来たときの戦力を思い出せばそれは一目瞭然だ。鬼一体に対し、退魔師数十人で挑まなければまず勝てない相手。それを懐柔できるなら、退魔師にとって有益であることは間違いない。
今は耐えて、俺が退魔師全員を殺せる力を持ったら根絶やしにする。
そして、復興する。鬼を、再び食物連鎖の頂点に立たせる。
「おはようエンマ! 朝飯食いに行くぞ!」
扉を開き、焔さんが元気よく入ってくる。
俺は、形的にはこの人に助けられた。周りの反対を押し切って俺を生かし、名前を与え、保護責任者にもなった。
きっと、退魔師を根絶やしにしようとしたら焔さんは止めてくる。それを考えると、何かやりにくい気もした。
「って、まだ着替えてねぇじゃん」
「今から着替えるんでちょっと待っててください」
「敬語使うな! 俺たちは兄弟だろ?」
本当に、よくわからない。悪の血である俺を生かし、『榊エンマ』という名前を俺に与え、偉い立場のくせに周りの目を気にせずタメ口を強要してくる。時々、俺が退魔師を根絶やしにしようとしてることに気づいていて、それを止めようとして俺の居場所を作ってくれてるんじゃないかって思ってしまう。
「よっし、似合う!」
黒の着物に赤い袴、白い羽織の背中に『退』という字が刻まれている退魔師の装束。
それを身に纏った俺を見て、焔さんは満足げに頷いた。
日常に潜む奇々怪々。人に仇なすその者を、退治するのは羽織に刻んだ『退』の一文字。
これは、終わらない人と妖の戦いを。
その未来を変える者たちの、物語。