Contraindication 作:まっちゃんのポテトMサイズ
チームスピカの部屋から走り去る事数分、俺は校舎の壁に寄り掛かりながら熱を持った左眼を左手で抑えつける。
良くある事だった。本気で走り回ったり、本気で勉強すると左眼の視界が赤くなって、それが連続すると、今の様に熱を持つ。
本当は、熱を持とうがそれを超えることが出来る。けれど、爺さんはそれを何としてもさせたくないようだった。
だから俺はそれを超える事は絶対にしない。
ふと、空を仰いだ時、こちらに落ちて来る赤いフレームの眼鏡が視界に入ってきた。
「…何で落ちて来るのやら」
俺は溜息交じりに呟き、その眼鏡を左手を目から離し、その手で掴む。
そして、その眼鏡をこの学園の教師に手渡そうと歩を進めた時、上から凛とした声が聞こえて来た。
「君、大丈夫か!?」
俺は顔を上げ、頷いた後に眼鏡を彼女の元に持って行く為に校舎内に入った。
ウマ娘、彼女達の事を俺はよく知らない。
ただ、常人離れした身体能力を持っている、という事だけは知っていた。
だからそんなに彼女達に興味は無かった。
元々、アイドルだとか、そう言うキラキラしたものは嫌いだ。
夢を与える、希望を与える、そんな事が本当に出来るのなら、それはとても素晴らしい事だ。
だけど、俺には夢も、希望も、何も無かった。与えられもされなかった。
唯一の身内だった父さんも、ダメ人間だ。社会では嫌われる、どうしようもない、屑。
その子供である俺も、そんな屑なんだ。
「…クソったれ」
俺は右手を握り締めながら吐き捨てるように呟く。
そして、二階に上り、彼女が居る教室の扉を開ける。
「…この眼鏡、随分と頑丈何だな」
俺は彼女に眼鏡を手渡して、少し離れる。
腰辺りまで伸びた白髪を持つ彼女はその眼鏡に異常が無いか確認していた。
そして、それが終わるなり彼女は口を開いた。
「ああ。この眼鏡はレース中にも使える代物なのでね」
「そうか。珍しいものもあるものだ」
「特注品だからな。珍しいものだと思われても仕方がないさ」
「…さて、そろそろ俺は帰るよ。これ以上、部外者が居る訳にはいかないさ」
早々に帰りたかった俺は取って付けた様な言い訳をして、教室の扉の前に立つ。
すると、彼女は俺を呼び止めて、素っ頓狂な事を言った。
「明日、選抜レースがある。君にはそのレースを見てもらいたい」
俺は突然の招待に少し驚きながら、明日が暇だったという事を思い出す。
学校も無く、課題は今日の夜に終わらせる予定だ。共に遊ぶような真似事は俺には到底出来ない為、必然的に何も出来なくなるのだ。
だから、暇つぶしに丁度良いだろうと思い、その話題に食らいつく。
「悪いが、その選抜レースについて教えてくれないか。生憎と俺はその辺には疎くてね」
「ああ、勿論。…選抜レースとは、デビューを志すウマ娘たちが、スカウト獲得を目指し、トレーナーにその能力を示す為のレースだ。…そして、その第10レースには、この私、ビワハヤヒデの名がある」
「…大体わかった。それで、君はそこでどうするつもりだ。ただ勝つだけなのか、圧勝で終わらせるのか」
「無論、圧勝で終わらせるさ。私は10バ身以上の差をつけ、一着になる」
俺の目をまっすぐに見据える彼女の瞳は、常人の瞳では無かった。
10バ身と言うのは分からなかったが、大差をつけるという事だけは分かった。
それ程、彼女の意思は確固たるものだったのだ。
だからこそ、俺はその日、彼女のレースを見に行くと決めたのかもしれない。
「…そうか。楽しみにしているよ。ビワハヤヒデ、君がどれ程の実力者なのか、俺には到底見当がつかない。だからこそ、先入観無しで、キッチリと見させてもらう」
俺は振り向き、彼女に微笑んでから、教室を後にする。
そして、その翌日、一睡もせずに課題を終えた俺は選抜レースの会場でビワハヤヒデのレースの開始を待っている。
「…そろそろか」
腕時計を見れば、そろそろ開始の時刻になる頃だ。
すると、突然けたたましい実況の声がレース会場全体に鳴り響く。
ふと、ターフ内の方に視線を移せば、入場ゲートからウマ娘が出て来た。
そして、それと同時に実況はそのウマ娘の名、何番人気か、そのウマ娘の特徴を言う。
それが終わると、入場ゲートに立っていたウマ娘はその場から降りて、横に移動していった。
それを何回か繰り返すと、彼女達は出走ゲート前に集まり、それぞれストレッチを始めた。
暫くした後に、ファンファーレが鳴り響き、ウマ娘たちは出走ゲート内に入る。
そして、ゲートが開き、彼女達は一斉に飛び出した。
ビワハヤヒデの走りが気になって居た俺は、彼女の姿に釘付けになって居た。
周囲の声は何も聞こえやしない。けたたましいと感じていた実況の声も、俺の周りで彼女達を応援する声も、何も聞こえない。
「良い場所に付けている。…さて、大差を付けて勝利する、と言ったが、そろそろ抜けだしてくる頃か」
第四コーナーから直線に向いた直後、彼女は俺の予測通りに抜け出してきた。
先頭に立ち、リードをどんどん広げていく。
そして、ゴールインする頃には、宣言通りに大差を付けて勝利した。
その時、俺は彼女の走りに感動した。
彼女はきっと、将来的に怪物になる。根拠は無いが、俺の直感が何故かそう言っていた。
そして、何故か、彼女の事をもっと知りたいと、そう思ってしまった。
俺はトレーナーでも、ましてやこの界隈の関係者でもない。
今日、初めてレースを見ただけの、言わば初心者だ。
だけど、彼女のトレーナーをしてみたいと、無責任にも思ってしまった。
トレーナーは、彼女達にとって大切な存在だ。
彼女達の人生を左右する、とんでもない大役だ。
だからこそ、俺はビワハヤヒデのトレーナーをしてみたいと思った。
席から立ち上がり、レース会場の外に出る。
そして、スマホをポケットから取り出し、爺さんに連絡を掛ける。
爺さんは三コール目で通話に出た。
「…なぁ爺さん。俺、今日ウマ娘たちのレースを見て来たんだよ」
『そうか。お前がレースを見るなんて珍しいな』
「ああ、ある一人のウマ娘に誘われてね」
『それで、どうしたんだ。お前から連絡するって事はそれ程大事な用事なんだろ?』
俺は「ああ」と言って赤みがかった空を仰ぎながら、自分の夢を告げる。
「俺さ、トレーナーしてみたい。今日のレースを見て、そう思った」