Contraindication   作:まっちゃんのポテトMサイズ

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第七話 小さな不幸

俺は真っ暗な部屋の中、机に設置してある蛍光灯の光を頼りに自室で高校に明日提出する退学届にペンを走らせる。

最後の一行を書き終え、溜息を吐きながら椅子の背もたれに寄り掛かる。

腕を伸ばして、机の端に画面を下にして置いておいたスマホを手に取り、時間を確認する。

スマホの画面は午前四時を映しており、俺は蛍光灯の電源を切り、スマホをズボンのポケットにスマホを入れて部屋を出る。

 

「…身体が重い事だし、少し外に出て運動でもするか」

 

黒いスニーカーを履き、外に出る。

未だ日が昇っていないそこは酷く静まっており、時々通る車の音が良く響いていた。

扉の鍵を閉め、道路に出て地面を蹴る。

風を切る音が耳に入り、勝手に口角が上がる。

実に風を切る音と言うのは心地よいものだ。

そう思いながら、地を強く踏みしめ、更に加速する。

風の勢いに吹き飛ばされそうになるが、それを押し退け、走り続ける。

信号を走り抜けようとしたその瞬間、右から俺を呼ぶ声が聞こえて来た。

俺は急いで走るのを止める。勢い付きすぎてしまった所為か、少し距離が出来たところで漸く止まった。

呼ばれたところにまで戻りながら先程の声が聞こえた方向に視線を飛ばす。

そこには少し汗をかいたビワハヤヒデが居り、ゆっくりとこちらに歩いて来ていた。

 

「…こんな時間から走っているのか」

「ああ。妹には負けられないからな」

「そうか。…才能に勝てるのか?」

「…分からない」

 

顔を曇らせてビワハヤヒデは言った。

理論によるレースを展開する彼女がそんな事を口にするとは思ってもみなかった。

 

「だが、それでもアイツには私の背を見せなければならない」

「…そうか」

「ああ」

 

ビワハヤヒデは俺に手を振り、信号を渡ってトレセン学園へと帰っていった。

俺は地を蹴り、走ってきたコースをもう一度全速力で走って家に帰る。

家に着き、スマホをポケットから取り出し、電源ボタンを押す。画面は四時半を映していた。

 

「…まだこんな時間か。少しばかり寝るとするか」

 

再度ポケットにスマホを入れ、ソファに仰向けに寝転がり、クッションを枕にして瞼を閉じる。

太陽の光が瞼に当たり、瞼を開けて上体を起こす。

意識がはっきりしてから、両腕を上に伸ばしてソファから降りる。

ポケットにしまってあるスマホを取り出して電源ボタンを押す。

画面には六時半という表記が映っていた。

スマホをソファの肘置きに置き、制服に着替える。

 

「この制服を着るのもこれで最後か」

 

感傷に浸りながらスマホとトレセン学園の入校許可証を手に取り、食パンを一斤口に詰め込み、鞄を肩にかけて何時もより一時間早い、七時に家を後にする。

スマホの電源ボタンを軽く押して、トレセン学園に向かいながら、爺さんに電話を掛ける。

退学届の記名欄に名前を記入してもらうのだ。

爺さんは快諾し「書類はもう完成しているから、そこは心配すんな」と言った。

 

「ああ。分かった」

 

それだけ言ってスマホの画面に映る赤い部分を親指でタップして、スマホをポケットに入れる。

三十分歩くと、煉瓦でできた校門が見えてきた。

その前には何時もの様にたづなさんが笑顔で立っており、俺は入校許可証を差し出して見せ、会釈をして中に入る。

真っ直ぐトレーナー室に向かい、灰色の扉をノックして中に入る。

 

「おっ、来たか」

 

爺さんはパソコンの前に座り、椅子の背もたれに体重をかけながら、俺に向けて右手を上げた。

俺は鞄からクリアファイルを取り出し、爺さんのデスクに置く。

爺さんは直ぐに退学届を取り出し、傍に置いてあった筆箱からペンを取り出した。

 

「…漸く、アイツのトレーナーになれるのか」

 

俺は白い壁に寄り掛かり、爺さんに視線を飛ばす。

爺さんは険しい表情を浮かべながら棒付きキャンディーを咥え、退学届にペンを走らせている。

 

「…ああ。頑張れよ」

「言われずとも」

 

爺さんは小さく息を吐いて笑みを浮かべると、退学届をクリアファイルの中に戻し、俺にそれを差し出した。

 

「じゃあな」

 

それを受け取り、鞄に入れ、トレーナー室を後にする。

真っ直ぐ校門に向かっていると、校門の方からウマ娘たちの声が聞こえてくる。

そのまま向かうと彼女達の混乱を招くため、校門のちょうど反対側の裏門に回り、トレセン学園を後にする。

そして学校に向かう道中でお店を開いている黄色を基調としたキッチンカーに寄り、蜂蜜の飲み物を買う。

学校に着く頃にはそれを飲み干しており、教師たちにバレない様に鞄に入れ、校内に入って校長室に向かう。

校長室の焦げ茶色の扉をノックし、中に入る。

茶色のデスクの前に椅子に座ったふくよかな身体をした白髪の男性が俺を見て椅子から立ち上がった。

 

「やぁ、どうしたのかね」

「少しお話があります」

 

俺はそう言って鞄から取り出した退学届を校長先生に差し出す。

校長先生はそれを受け取ると、驚いた様に目を見開いた。

 

「…単刀直入に申し上げます。私はこの学校から退学させて頂きます」

 

俺の言葉を聞いてから、校長先生はクリアファイルに入っている手紙を開いた。

十分経ってから校長先生は口を開いた。

 

「…この手紙を読ませていただいたよ。私は止めはしない。では、少し席を外させていただく。君はそこのソファに腰を掛けておいてくれ」

 

そう言って校長先生は校長室を後にした。

俺は息を吐き、黒いソファに腰をドッと下ろし、鞄を傍に置く。

身体が深く沈み、気味の悪い浮遊感を感じる。

 

「どうもこの手のソファには慣れないな…」

 

そう呟きながら背もたれに体重をかける。

またしてもソファの異常な程のふかふかさが俺を襲う。

その気味悪さをかき消すようにビワハヤヒデの選抜レースを思い出す。

最終コーナーを回り、直線に入った瞬間に外から抜け出し、先頭に立ったと思えば大差を付けての勝利。

あの時の走りに対する衝撃は今でも忘れられなかった。

その衝撃に再度鳥肌が立ちそうになる。

あのレースの事を思い出していると、ドアがノックされ、校長先生が中に入ってきた。

 

「…先程、職員全体で会議をした。結論から言わせてもらえば、君は退学することが出来る」

「そうですか」

 

そう呟き、鞄の中から生徒手帳と学生証を取り出し、校長先生にそれらを渡す。

 

「…では、これにて失礼します。今までお世話になりました」

「ああ。…何を君がしたいのかは知らないが、頑張ってくれ」

 

その言葉を聞き、重い校長室の扉を開け、そこを後にする。

その扉を閉める寸前、校長先生が何かを呟いた。

空耳だろう。

上手く聞き取れなかった為、そう思うようにした。

 

「これで漸く、トレーナーになれるのか…」

 

俺は空を仰ぎ、トレセン学園へと向かう。

トレーナー室に行き、爺さんに学校を辞めたことを伝える。

 

「…分かった。それじゃあ俺はこの資料を理事長に提出してくるから少し待ってろ」

「ああ」

 

爺さんはその資料を手にしてトレーナー室を去った。

俺は爺さんが座っていた椅子の傍の床に置いてあるビニール袋の中から棒付きキャンディーを一本取り出し、それを口に咥える。

そして、青いソファに腰を下ろし、鞄を傍に置き、ポケットからスマホを取り出す。

適当なネットニュースを読んでいても何も感じず、ただただ退屈な時間だけが過ぎていった。

そうしていると、爺さんがトレーナー室に戻ってきた。

その時の表情は少し緩んでいて、嬉しそうなそれを浮かべていた。

 

「何だよ、気色悪い。ニヤニヤすんな」

 

俺は半目で爺さんに視線をぶつけながら、溜息交じりにそう言った。

しかし、内心嬉しかった。

ビワハヤヒデのトレーナーになるという夢にまた一歩近づけたのだ。

嬉しくないわけが無かった。

 

「ひでぇな…。お前の夢に貢献してやったんだぞ?少しは褒めたっていいじゃねぇか」

 

爺さんは心にもない事を口にしながら、パソコンの前の椅子に座った。

 

「…まぁ、感謝はするよ」

「おう」

 

パソコンを開きながら、俺に視線を寄越さず言った。

俺はソファから腰を上げ、トレーナー室を後にしようと扉に手をかけた。

すると、爺さんが口を開き、「明日、正午丁度にトレーナー室に来い。理事長に挨拶しに行くぞ」と言った。

 

「…お節介だ。俺は一人でも挨拶に行ける」

 

そう言ってトレーナー室を後にする。

そのまま校門に向かい、トレセン学園を後にしようとした時、ウマ娘とぶつかってしまった。

そのウマ娘は尻餅をついてしまい、俺は直ぐにその娘に手を差し出した。

その娘は直ぐに俺の手を取り、尻に付いた小さな塵を叩き落としながら立ち上がった。

 

「…大丈夫か?」

「あ、あの、ごめんなさい…。ライスの所為でお兄さんに怪我させちゃって…」

「怪我?」

 

俺は体を一通り見て回る。

怪我らしい怪我はしておらず、首を傾げた。

 

「怪我なんてどこもしてないが…」

「ここに青い痣があります…」

 

彼女は俺の腕にあった小さな痣を指さしてそう言った。

 

「…ああ、これの事か。これくらいの事、気にするな。すぐに治る」

「あ、あの、本当にごめんなさい…!ライス、直ぐに行くから、そしたら大丈夫だから…!」

 

彼女はそれだけ言うと直ぐに走り去ってしまった。

容姿はあまり見ることが出来なかったが、彼女の雰囲気は幼い頃に救った子供のそれとどことなく似ていた気がした。

 

「…今日は不思議な事が良く起きるな」

 

彼女の事を覚えておこう。あの娘もウマ娘だ。

トレーナーをしていれば何れ出会う事だろう。

俺はそう思うようにして家に戻った。


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