伝説。それすら追い付かない神の話
いつもそうだ、突然“ソレ”は来る。
だが、予想できないからこそ“ソレ”は衝撃を帯びる。
ある年から、日本競馬歴史史上最大の低迷期が訪れていた。
凱旋門賞に挑戦どころかジャパンカップも、東京優駿も、有馬記念など名だたる重賞が全て外国馬に取られるという前代未聞の事件。
その煽りを受け競馬愛好家は減衰していき、また一人、また一人とその界隈から去っていった。
それは重く、そして厚い鉛色の雲として日本の競馬界を覆い、結末は衰退の一途を辿る。
……はずだった。
たった一頭。
たった一回のレースで世界の情勢を変えてしまった。
日本を王者へ、世界を挑戦者へ。
雲を晴らすは白金色の輝き。
その馬の名は──。
『さぁ始まりました。函館2歳ステークス、芝1200m。天候は重い雲が上空を覆っております曇り、馬場は稍重となっております。出走は五頭、外国馬がほとんどを占めます。』
あまり良くない雰囲気で始まろうとしていた。
鉄すらも溶けてしまいそうな熱い熱気で覆われていた会場は今は暇つぶしに来る程度の人がいるだけだ。
数年前までは多くを占めていたスタンドが今は寝っ転がれるほど広く感じる。
今では鮨詰め状態での怒声が懐かしかった。
『1枠1番メアリジーザス。1番人気です。』『母はブリーダーズカップ・ターフスプリントを二度制したミスディレクションです。これは期待できますね。』
『続きましては…』
海外で名だたる馬たちの産駒がパドックへと入ってゆく。
実況と解説をBGMに流し目でスタータの旗を見る。
いい風だ。
強くなく、かつ追い風。
何か予感がした。
ソレは気の所為とも取れるわずかな違和感。
『続きまして五番人気ハレバレ。』
『新馬戦としてこのレースに挑みます。今日は少し気がちっていますね。』
国産馬だけに期待が低い。
今の日本は国産馬の水準が低く、その為外国の競馬連盟から良いように扱われているからだ。
『各馬、ゲートイン完了いたしました。』『おっと唯一の国産馬五枠ハレバレ、なんだか落ち着きませんね。出遅れなければ良いのですが。』
印象的な毛色の馬がいた、白金色の透き通るような色だった。
何故だか目が離せなかった、たかが馬だ、たかが動物だ、そう思っていたはずの思考は遠く、彼方に追いやられる。
瞬間、全身の細胞が沸き上がった。
『さぁスタートしました。おっとハレバレ逃げを選択か、馬群をどんどん突き放してゆきます。』
白金色の馬体を先頭にあっという間に200mを通過してしまう。
人とは違う運動能力を持ったその生き物は会場にいる人々を惹き付けた。
『は、はやい!?はやい!はやい!ハレバレあっという間に5馬身差だッ!』
一頭、いや一人だけ違う。
明らかに性能が、与えられた能力が違う。
『あっという間に第三コーナーへ!その差はすでに七馬身へ膨れてるぞ!』
気づいたら声が出ていた。
気づいたら手を振り上げていた。
そしてソレは伝播してゆく。
数人から数十人へ、数十人から数百人へ。
『今ハレバレは第四コーナーを抜けました!ソレでもまだ1秒差はあるぞ!』
今では数万人もいるかと思うほどに大歓声が上がった。
曇天は終わった、嵐はさった。
その気持ちを形容するかの様に空は道を開ける。
『信じられません!国産馬が優駿な産駒達をこうも圧倒している!オールカマーのツインターボのようにっ、金鯱賞のサイレンススズカのように!ただ一頭だけが直線を駆ける!!』
光がハレバレを照らす。
『これは伝説だ!これは神話だ!』
その馬体は漆黒に輝く。
『あなたは今!目撃者になる!』
『大和の国は!函館の空とともに晴々だっ!』
ただ一人、後続との差は2.6秒。
その実、13馬身。
ゴール版をかけるその姿は、晴れた空ととても良くあっていた。
1分5秒84。
これを切っ掛けに、神が大きな嘶きをあげる。
世界を揺すソレはただただ美しかった。
雲を晴らすは白金色の輝き。
その馬の名は──《ハレバレ》