秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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第11話:チーム見学は万全の体調で

「ドリーの奴、お前には本当に懐いているよな。やっぱ、これの馬だからか?」

 

 いつも眠そうな眼付きをした調教師の男が、葦毛の馬に跨った青年に向けて小指を立てている。若い世代には伝わるかどうか怪しい古いジェスチャーだが、厩舎付きの騎手である青年は理解した様で、少し照れくさそうにはにかんだ(・・・・・)

 

「それは否定しませんけど。まぁ、当歳の頃から顔合わせてましたから」

「もう少し人を選ばないでくれると楽なんだがなぁ。助手を乗せるのも一苦労だ」

 

 調教師は大きなため息をついてそう言うと、背中に乗せる相手を選り好みする葦毛の馬を見る。厩舎入りしても相変わらず小柄で毛並みの悪いその馬は、つんと澄ましたような表情をして顔を逸らした。

 

「全く賢いことで。やっぱりこいつ、ヒトの言葉分かってるだろ」

「よく探したら背中にチャックが付いていたりしても、納得ですね」

 

 まさか、と言いながら調教師と騎手の2人が笑う。ひとしきり笑いあった後、青年が自信満々に口を開いた。

 

「きっとドリーとなら、GIだって取れますよ!」

 

 鞍上の青年が、跨っている馬の首を軽くパシパシと叩く。リラックスした様に横を向いていた馬の耳が、機嫌良さそうにピンと前方を向いた。

 

「なぁ、ドリー?」

 

 ぶるる、と同意するように小柄な葦毛が鳴いた。

 

 ……調子に乗るなよ、駄馬風情が。落馬させてその人の夢を絶った癖に。お前(わたし)なんか、迷惑をかける人が増える前に死んでしまえば良かったんだ。

 

 そう思った瞬間に、葦毛が突然崩れ落ちるように倒れた。放り出されたものの何とかうまく着地した鞍上が、血相を変えてそれに声を掛け、調教師がどこかへ連絡をしている。おそらくは獣医を呼んでいるのだろう。

 

 私の知らないことが起きている。前世では骨折以外は健康そのものだったのだ。訳が分からずにただ立ち尽くしていると、その光景が急速にぼやけて、そのまま泡となって消えた。異常事態が起きてから、初めて体の感覚がほとんど消えていることに気が付いた。唯一残されたものは聴覚だけ。それだって、誰かが自分を呼んでいることしかわからないほど不明瞭だ。

 

「――さん?」

 

 私は、この感覚を知っている。死だ。私を私足らしめているものが消えていく。前世を呪ったからだろう。前世が本来死なないところで死ねば、当然その来世である私にも影響が出る。まだ私が私だと認識出来てはいるが、時間の問題だろう。このまま何もかもあやふやになって、しかし自分が消えて行っていると自覚しながら希釈されていくのだ。

 

 ……死にたくない。消えたくない。まだ、生きていたい!

 

「――ヴァさん」

 

 呪ってから後悔したところで意味はない。人を呪わば穴二つ、ましてや呪った対象が自分自身ともなれば当然だ。私の体が不明瞭になっていく。何もない空間に溶け始めている。

 

 ……誰か、助けて!

 

 自ら死を望んでおいて無様にも助けを求めたとき、私の左手を何か暖かいものが包んだ。自分とそれ以外との境目を認識し、私が急速に元の形に戻っていく。

 

「ノヴァさん!」

 

 その大きな声と同時に、視界が明るく晴れ上がった。

 

 目を開いてまず認識したのは、心配そうに眉を寄せたラフィさんの顔と、仄かな柑橘類の匂い。

 

「ノヴァさん、大丈夫ですか? 魘されているみたいだったので、起こしましたが……」

 

 鈴の音よりも綺麗な声が、私に呼びかける。そこでようやく、さっきまで見ていた光景が夢であると理解した。荒くなっていた息を整えてから、ラフィさんの質問に答える。

 

「大丈夫です……。すみません、今何時ですか?」

「まだ4時前です。でも、今日の朝練はやめましょうか」

「えっ、どうしてですか?」

 

 寮に来た翌日から今日まで、毎日していたのだ。今や日課である。理由を問いかけながら起き上がろうとしたとき、ラフィさんの手に包まれていた私の左手に、少しだけ強く圧が掛かった。ラフィさんが私の手を握り直したようだ。

 

「そんなに顔色が悪いのに練習したら、倒れてしまいますよ?」

 

 小さな子に言い聞かせるような、優しいけれど有無を言わせない声だ。いまいち自覚はないが、相当酷いらしい。何を言っても休ませようとしてくるだろうと観念して、全身から力を抜く。

 

「……すみません」

「いいんです。たまにはそういう日だってあります。ゆっくり休みましょう?」

「はい……」

 

 ラフィさんは微笑みながら私の手を離すと、朝練用に用意していただろうタオルで、私の顔の汗を拭い始めた。そこで初めて、髪が張り付くほどの尋常ではない量の寝汗を掻いていたことに気が付く。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 少しの間ラフィさんに甘えて、されるがままになっていた。ラフィさんは私の汗を拭い終わると、私に声を掛ける。

 

「朝ごはんの頃になっても治らなかったら、今日の見学は中止にしますから」

「えっ!?」

 

 ラフィさんのいるチームの見学は、ずっと楽しみにしていたのだ。少し調子が悪いくらいで中止にしたくない。異議を申し立てようと起き上がろうとしたが、ラフィさんは私の額を抑えて出鼻を挫く。

 

「体調が悪いのに見に来ても、身になりませんよ」

 

 正論であるが故に、黙り込むしかない。するとラフィさんは、再び私の左手を握った。

 

「ノヴァさんがもう一度眠れるまで、こうしていますから。観念して眠ってください」

「……はい」

 

 ラフィさんの翠色の目が私を優しく見つめ、暖かくて柔らかい両手が左手を包んでいる。先ほど目を覚ました時とは真逆の、安らかな気持ちで私の意識は再び遠のいて行った。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 ラフィさんの呼びかけでもう1度目を覚ました時には、既に朝の7時を回っていた。幾分か気分が良くなっているのは、間違いなくラフィさんのおかげだろう。当のラフィさんは少しだけ息が上がっているあたり、どうやら私を寝かしつけた後で朝練をしていたようだ。

 

 私は朝の身支度を済ませてジャージに着替えると、ラフィさんと一緒に食堂に下りていく。メニュー表を見ると、今日はどうやら鮭の塩焼きらしい。パンにするかご飯にするか少し悩んで、ご飯にした。あまり食欲が湧いてこないので、ヒト基準の普通盛り程度のご飯とお味噌汁を自分でよそい、ラフィさんが待っているいつもの窓際の隅っこに座った。

 

 私の持ってきた朝食の量を見たラフィさんが、少し考え込んだ後に提案をしてくる。

 

「ノヴァさん、やっぱり今日は休みませんか?」

「ちょっと、今は食べる気が起きないだけです。午後には治っていると思いますし、大丈夫ですよ」

 

 これ以上心配させないように、笑顔でラフィさんに答える。着替えるときに姿見で見た限り、顔色には問題がなかったのだ。私の体調を怪しむかのように、ラフィさんは半目で私を見つめてくる。しばらく見つめあった後、ため息とともにラフィさんが口を開いた。

 

「……気持ちは、分かります。本当に、ほんの少しでも今より悪くなったら、ちゃんと言ってくださいね?」

「はい」

 

 私が退かないことを察すると、ラフィさんは渋々といった様子で見学を認めてくれた。我ながら少し子供っぽい振舞いだったとは思う。しかし、競走ウマ娘になればその日絶不調でもレースに出ることがあるのだから、食欲が湧かない程度の不調で休みたくはない。

 

 いただきますと食事の挨拶をして、ラフィさんと同時に食事を摂り始める。鮭の程よい塩気と旨味、ご飯の甘さがとても美味しい。醤油を垂らしたホウレンソウのお浸しとキュウリの浅漬けもとてもご飯にあっているし、わかめのお味噌汁もよく出汁が利いている。少しばかり塩分過多かもしれないが、トレセン学園のウマ娘は良く運動をして汗をかくので丁度良いだろう。

 

 いつもよりも少ない量の朝食を食べ終えるのは、ラフィさんとほぼ同時だった。ラフィさんの淹れてくれた紅茶を飲んで、食休みを兼ねてお互いに一息入れる。

 

「それでは、そろそろ行きましょうか」

「はい」

 

 朝食の時間が終わる朝8時の間際になって、ラフィさんに保たされるまま食器を返却し、食堂を出た。相変わらず心配そうなラフィさんは、私の顔を見て言い聞かせるように話し出す。

 

「本当に、本当に無理をしたら駄目ですからね?」

「ちゃんと言いますから、大丈夫です」

「なら良いですけれど……。部室に案内しますから、ついて来てください」

「はい」

 

 ラフィさんの心配性なところも可愛いと思う気持ちと、今更ながら芽生えてきた、優しいラフィさんを心配させてしまっている後ろめたさがせめぎ合う。ラフィさんは明日レース本番である。余計な心配をさせないためにも、素直に休んだ方が良かっただろうか。

 

 そう悩みながらも、ラフィさんについて行った。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 入学式には満開だった学園敷地内の桜の木々だが、よく見ると葉桜を見つけられるようになった。桜が散るのは早いものだな、と思いながらラフィさんの後を歩いていると、簡素な建物が並んだ区域にたどり着いていた。ラフィさんはある小屋の前、少し離れたところで立ち止まり、小屋を開いた手で示して説明を始める。

 

「あの部室、チームスピカの部室なんですよ」

「スピカって、あのスピカですか? 校舎の方に部室を持ってると思ってました」

 

 アニメ版だと確かに小屋を部室に使っていたような気がするが、それは1度解散寸前まで追い込まれた上に、実績がなかったからだ。今のスピカと言えば、所属するウマ娘が全員GIを勝ち取り、リギル、シリウスと並び立つ学園トップクラスのチームである。未だにここに留まっているというのは意外だった。

 

「こちらの方が、多少汚しても掃除がしやすくて便利なんだそうです。確かに、練習上がりすぐだと土埃が付いていたりして、結構床が汚れてしまいますからね」

「なるほど」

 

 校舎は他の生徒も使うので綺麗に使う必要があり、そのあたりにも気を遣う。しかしこちらなら、多少汚しても文句を言うのは同じチームのメンバーだけだ。気が楽なのだろう。

 

「それでですね。なんと、アダラの部室はその2軒隣なんです」

「えっ!?」

「ただ、それだけなんですけれどね」

 

 ラフィさんは苦笑いしながら、アダラの部室へと歩いて行く。有名人がご近所ですということが、果たして後輩へのアピールポイントになるかと言われたら、私も同じ反応をするだろう。

 

 私を連れたラフィさんが、声を上げながら部室の扉を開いた。

 

「皆さん、ノヴァさんを連れてきましたよ」

 

 部室からはすぐに返事がなかった。どうしたのだろうと不思議に思いながら、ラフィさんの後に続き部屋に1歩踏み込んだ。

 

「でかした、ラフィ!」

「新入生1人ゲットォ!」

「入るって決まったわけじゃないでしょ?」

「えっ、そうなの!?」

 

 途端、扉の横に待機していたらしい誰かが、声を張りながら私の背中を押して、部屋の真ん中へ連れていく。抵抗せずに歩きながら後ろを見ると、尾花栗毛のブリッジコンプ(リツ)さんだった。

 

 

「みんな、騒いだら駄目ですよ。ラフィが連絡入れていたでしょう?」

「あっ、そうだった。ごめんね、ノヴァちゃん」

「い、いえ……、大丈夫です……」

「声響かなかった? ごめん。多分悪夢見たんでしょ? 大丈夫?」

「私もごめんなさい。良い夢を見られるASMRとかいる?」

「あの、大丈夫ですから。そこまで調子悪いわけじゃないので」

「それは一安心だね」

 

 黒鹿毛のミニローズ(ローズ)さんに注意をされて、リツさんが私に謝る。それに続いて、コンフュージョン(フユ)さんとトンネリングボイス(ネル)さんも謝罪した。尾花栗毛のそっくりさん4人組のうち、私が部屋に入ったときに唯一冷静だったトモエナゲ(トモエ)さんは、私の自己申告を聞いて安堵の息を漏らしている。

 

 ……よく似すぎていて、合っているかどうか自信がない!

 

 容姿だけでなく、声も話し方もそっくりだ。本当に私は見分けられているのだろうか。特にネルさんとトモエさんは、双子トリックをされても気が付ける自信がない。

 

「リツ、トレーナーさんたちはどこにいますか?」

「勧誘資料を作ってから来るって言っていたから、トレーナー室じゃないかな。そろそろ来ると思うけど」

 

 ラフィさんとリツさんがそう話した直後、再び、今度は少し荒々しく扉が開かれた。

 

 入って来たヒトは3人だ。厳ついスキンヘッドに白い無精髭を生やした、強面の初老の男。本来なら腰まで届くだろう長い髪を、後頭部で1つのシニヨンにまとめた女性。そして短い髪をかき上げた、精悍な顔つきの青年。

 

 見覚えのある顔をした、2度と会えないはずの人たち。驚きのあまり大きく目を見開き、息が詰まる。耳が意思による制御を離れ、真後ろへと引き絞られているのを感じた。

 

 反射的に「ありえない。あり得るはずがない」という考えが浮かび、次の瞬間に自分でそれを否定する。ウマ娘自体がいわば競走馬の転生体であるし、ウマ娘に詳しい細江さんや武さんがいる世界だ。結局1度も勝利を捧げることができないまま死んでしまったオーナーや、何とかして私の子供たちを成功させようとしてくれたオーナーの孫娘さん、私が落馬させてしまったせいでGIを取るという夢を断念させてしまった鞍上もこの世界にいるのだと、予想してしかるべきだった。

 

「君がラフィの同室だね? 僕はアダラでサブトレーナーをしています、安城です。今日はよろしくお願いします」

 

 弥生賞から2度目の秋天まで、ずっと背中に乗せ続けてきた声。何と答えるべきかわからなくて、唇はただ震えるだけだった。

 

 ……謝らないと。謝ってどうする。前世の話などされたところで困るだけだ。それでも、私のせいで引退したのだ。我が身可愛さに左脚をかばわなければ、大怪我をすることはなかった。あの時死んでいれば、私を種牡馬にすることもなかった。私なんかにわざわざ有望な繁殖牝馬をあてがって、期待外れの子ばかり産まれて経営が苦しくなることもなかった。鞍上も娘さんももっと楽な暮らしができたはずだ。全部、全部私がいたせいだ。だから。でも、今世のこの人たちにとっては知らない話で。謝っても私の薄汚い自己満足でしかなくて――。

 

「……ノヴァさん?」

「何だか様子が変だね」

 

 浅い呼吸がどんどん加速していくのに、息苦しさが続く。心臓が全力疾走した時のように激しく鼓動している。なのに視界はどんどん暗く狭くなっていく。全く意図せず、膝から力が抜けた。

 

「ノヴァさん!? しっかりしてください!」

「ラフィはそのまま支えて! リツは酸素を持ってきて。フユはソファの荷物を――」

 

 ラフィさんが私を抱き止めて、何度も声を掛けてくれている中、私は意識を手放した。




2021/07/25 21:30
加筆修正を行いました
(ラフィさんとリツ先輩がそう話した直後~私は意識を手放した。)

2021/08/22 07:05
ノヴァからアダラチームメンバーへの呼び方を変更いたしました

コンフュージョンのあだ名を間違えていたため修正いたしました
(コン→フユ)
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