詳細については第11話後書きに記載しています。
このままお読みいただいても問題ありません。
「さて、今日は見学者がいるからトラックで練習の予定だったんだが、どうしたもんかね」
遠くから、懐かしい声がする。
「肝心の見学者が気絶していますからねぇ」
一緒にGIを勝とうと約束し、いつも背中に乗せていた鞍上の声。
「やっぱり、お爺ちゃんが堅気の顔してないから駄目だったんだよ」
オーナーが亡くなった後に馬主と牧場主の立場を継ぎ、いつも応援しに来てくれた孫娘さんの声。
「あぁ? 倒れたときは坊主の顔見てたんだ。坊主のせいだろ」
みすぼらしくて競走馬になれなかったかもしれない私を訓練して、最期まで私がGIを勝てると信じてくれたオーナーの声。
「えっ、僕ですか?」
……前世の夢だろうか。
「安城さん、またどこかで無自覚に口説いたんじゃないの?」
「ありそう」
違う。頭がぼんやりとしていて聞き分けが付かないが、リツさんたちの声がする。ならば、夢ではないだろう。
「ないです。間違いなく初めて会う子です!」
鞍上が声を張り上げて言い放った言葉に、自分でもわかっていたくせに少なからずショックを受ける。その拍子にうめき声をあげ、ようやく目が開いた。
「安城さん、大きな声を出さないで――ノヴァさん? 良かった、目が覚めたんですね」
「……おはようございます?」
まず最初に見えたのは、安堵した様な表情で私の顔を覗き込むラフィさんの顔だ。長い鹿毛の髪が照明や外光を後光が差すように遮り、逆光で暗くなった中でも輝くような翠色の眼差しが私だけを見ている。ラフィさんが動いた拍子に、柑橘類の香水とシャンプーの香りが混じった、女の子特有の良い匂いが漂う。
……今の思考は、流石に変態じみている気がする。
手で体を支えて起き上がりながら、良くない考えを振り払うように、しかしゆるゆるとした動きで首を横に振る。どうやらソファに寝かされていたようなので、そのまま足を下ろして座らせてもらうことにした。
部屋の中を見渡せば、ラフィさんの他に8人がいた。机の周りで椅子に座る5人は、リツさんたちアダラのチームメンバーだ。そしてミーティング用だろうホワイトボードの傍にいる3人は、初めて会うのに見覚えのある人たちだ。
……大丈夫。
目覚める直前に聞いた言葉が、ショック療法の様に働いたらしい。改めて顔を見ても、また倒れそうになるほどの衝撃は受けない。
「大丈夫? ノヴァちゃん」
「急に倒れたからびっくりしたよ」
ウマ耳をこちらに向けたリツさんたちが、心配の言葉を投げかけてくれる。相当不安がらせてしまったようだ。
「本当にすみません。大丈夫です」
座ったままというのは失礼な気もしたが、まずは頭を下げて謝罪だ。せっかくの練習だというのに水を差したうえ、余計な心配を掛けさせてしまった。
溜息を一つついたとき、私のウマ耳がすっかり垂れてしまっていることに気が付いた。かなり精神に来たらしいと自覚すると、強面の老人が歩み寄って来た。老人はしゃがんでいるラフィさんの隣――私の目の前で膝を折ると、私に目線を合わせて話し始める。
「頭が痛むとか、吐き気がするとか、見え方が変だとかねぇか?」
具体的な症状を尋ねて来るその人は、どこからどう見てもそうだとしか思えないほどに前世のオーナーに似ていた。目つきや鼻の形だけでなく、スキンヘッドに白い無精ひげと言った容貌まで同じだと、どうしても無関係な別人だと思えない。
「大丈夫です。えぇっと……」
「なら良い。俺はアダラのトレーナーをやっとる、大浪だ。まぁ、もう数年で定年だ。実際には担当を持たないで、サブトレーナー2人のケツ持ちと相談役ってところだ。おい、お前ら」
オーナー改め大浪さんは顎でヒト2人を差すと、立ち上がってそのまま退く。私が目覚めたときにはホワイトボードの傍にいた2人が、いつの間にか私の近くまで来ていた。女性の方が同じように私の前でしゃがむ。
「紗雪です。ノヴァちゃん、でいいのかな」
「……キャンドルノヴァ、です」
……あなたに、あなたにつけて貰った名前です。
そう言いたい気持ちを堪える。柔和な顔つきと牧場での仕事に邪魔にならないシニヨンは、やはり前世の孫娘さんを思い起こすには十分すぎるほど似ていた。
「いい名前だね。本当に大丈夫?」
「紗雪、こういう時に『大丈夫』か聞くなと言ったろうが。その癖は絶対に直せ。ウマ娘はちょっとの不調は『大丈夫』で走っちまうぞ」
「はい。お爺ちゃん」
大浪トレーナーの注意を聞いていた紗雪サブトレーナーが、私に向き直る。
「厳しいけど、良い人だから安心してね? 顔はまぁ、人殺してそうなくらい怖いけど」
「聞こえてんぞ」
リツさんたちが笑う。アダラの鉄板ネタらしい。前世でも、牧場主なのに馬に嫌われがちなのを気にしていた人だ。そんなところまで似ているだなんてと、なんとなく可笑しくなってしまい、小さく笑ってしまう。
「やっぱり。しょんぼりしているより、笑っている方が可愛いね。ほら、安城くん」
にこにこと笑顔で紗雪さんはそう言うと、膝を伸ばしてもう1人の男性――安城さんと入れ替わった。
「あっ、耳が」
誰が言ったのかわからないその一言で耳に意識を集中させると、ウマ耳がすっかり後ろに絞られていた。
「やっぱり何かあったんじゃあないの?」
「人たらしだもんねぇ」
「でも耳が忙しすぎるし、何かあったんならトレーナーさんたち3人ともじゃないかな」
……別人だ、別人。あくまでも別人。大丈夫。大丈夫だから。
ウマ耳を意識して、無理やり耳の方向を前方に戻す。初めてする行為だがどうやらうまくいったようだ。
「安城です。あの、何か気に障るようなことをしてしまいましたか?」
自分が出て来た途端に耳が後ろを向いたことを気にしているらしい。困ったように眉をゆがませた安城さんが尋ねて来る。
「いえ、その……」
前世ではすみませんでした。なんて自己満足のために言ったら、この先ずっと不思議系ウマ娘になってしまう。流石にご免被ると言ったところである。何か言い訳がないかと頭を働かせ、朝の悪夢の一件に考えが及んだ。
「……今日悪夢を見たんですけど」
「ええ」
「それで頭が弾け飛んだ人に安城さんがそっくりで……、すみません」
もちろん嘘である。この人たちに噓をつくのは大変心苦しいが、前世で大怪我を負わせてしまったヒトだ、などと電波なことを言い出すよりはまともだろう。
「皆さん、僕に何か言うことがありますよね?」
ぐるりと背後のメンバーを見た安城さんに、「ごめんなさい」と異口同音に謝罪がされた。
タイミングを見計らったように、大浪トレーナーが手を打ち鳴らす。
「よし、今はそれくらいでいいだろう。ミーティングを始めるぞ。ラフィはそのまま新入生についていてやれ」
「見学させるんですか?」
ずっと隣にいたラフィさんが、トレーナーの決定に不服そうに申し立てをする。朝からずっと心配を掛けさせっぱなしな上に倒れてしまい、ラフィさんには本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。レースを控えたラフィさんにどう詫びるべきか。
「お前の話を聞く限り、だいぶ我が強そうだからな。新入生――呼び方は『ノヴァ』でいいか?」
「はい」
「ノヴァ、見学は許可するが、これ以上体調が悪くなったらすぐに言え。気のせいかもしれなくても言え。俺の前で無理が通せると思うなよ」
「はい」
しっかりと釘を差されてしまった。何せ顔が怖いので、もはや五寸釘もかくやと言ったところである。
「ラフィもいいな? 俺たちもちゃんと見張ってる。大丈夫だ」
「……はい」
不承不承にラフィさんは頷くと、私に少しの間目を合わせて、そのまま無言でトレーナーの方へ向き直る。
私という異物を加えて、アダラの練習前ミーティングが始まった。
⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰
……意外と、両親が担当にさせていたトレーニングと変わらないなぁ。
アダラのトレーニングを見学して、最初に浮かんだ感想がそれだった。『ご両親のお仕事を紹介しましょう』という小学校の課題のため、1回だけ両親のチームでやっている練習を見せて貰ったことがあった。当時はレースに関するものを遠ざけていた時期だったので、両親の仕事について行ったのはその一回限り、しかも数年前の話であるから、詳細なところまでしっかり覚えているわけではない。しかし、設備のレベルは全く違うが、やっていること自体はほぼ同じに思えた。よく考えたら、うちの両親は南関で開催されるダートGIを、2人合わせれば全て勝ったことがある人たちだ。中央と遜色ないトレーニングをできなければ、そんなことは不可能である。
もちろん、両親は小学生でもわかるようなトレーニングを見せていたのだろうし、安城さんたちも新入生でもわかるようなトレーニングをしているから、そう見えるのだろう。
午前中のトレーニングの締めとして、校舎裏手の練習用トラック――その芝コースでラフィさんたちが6人でレースをすることになった。1周およそ2000m、東京レース場と同程度の長さのコースのうち、1800mを使っての練習だ。ラフィさんの次走は福島の芝1800mだそうだから、平坦で小回りなコーナーをしているトレセン学園のトラックでも、かなり実践的な練習になるだろう。
ラフィさんの代わりに私の様子を見ている紗雪さんの隣、コースの外から少しわくわくとした気持ちで外ラチに体重を預けて見ていると、整列したラフィさんたちの前にいた安城さんが、旗を持ってやってきた。
「ノヴァさん、スターターをやってみませんか?」
「私がですか?」
「はい」
安城さんは微笑みながら私に旗振りを勧めた。ラフィさんたちがこちらの様子を見ている。
「うまくできるかわかりませんが……」
「大丈夫です。タイム計測ではなくレースの練習ですから」
「特等席だよ」
私が渋ると、安城さんと紗雪さんは2人掛かりで説得にかかる。見学とは言えども、本当に見せているだけで何もさせていないのを気にしている様子だ。少しでも何かを体験させたいらしい。
「……わかりました」
安城さんから赤い旗とストップウォッチを受け取り、コースを挟んで内ラチ側にスターター台替わりに置かれている朝礼台へ歩いて向かう。整列しているラフィさんたちの前を通っていくと、ラフィさんが微笑みながら小さく胸の高さで手を振ってくれた。顔合わせで倒れた後は午前中いっぱいなんともなかったので、ラフィさんも安心してくれたようだ。
朝礼台を軽い足取りで登り、右手に握った旗を下げる。
「位置について」
ラフィさんたちが利き足を半歩引いた。ウマ娘はスタンディングスタートが基本だ。
「用意」
前傾し、前脚に体重がかかる。
右手の旗を振り上げると同時、ストップウォッチのスタートボタンを押した。
いの一番に飛び出していったのはリツさんだ。その後をラフィさんとトモエさんが競り合いながら追い、ネルさんとローズさんが差しらしい位置に控えた。最後方に1人、フユさんが離されすぎない程度に追走している。
第1コーナーまでの間に、競り合いはトモエさんが制した様だ。リツさんの後ろを取れなかったラフィさんは、代わりにトモエさんを風除けに使うことにしたらしく、ぴったりと後をつけている。
6人立てで脚質がばらけていると、やはり激しい競り合いというものも起きない。安城さんにストップウォッチを渡した後は、淡々とした展開でラフィさんたちが向こう正面から第3コーナーに入る。まだ、誰も仕掛けない。
第4コーナーに差し掛かったころ、トモエさんが仕掛けた。大外からリツさんを抜いて先頭を取り、ラフィさんと抜かれたリツさんがそれを好位で追う展開だ。ネルさんはスタミナに余裕があるのかまくって上がり始め、フユさんは直線で一気に仕掛けるつもりなのか、離されすぎない程度に抑えつつ追走している。ローズさんは距離適性の上限に近いのか、かなり苦しそうな顔をして走っていた。
最終直線に入ると、リツさんがスタミナ切れか少しずつ垂れ始めた。ラフィさんはそれを上手く躱し、一気に加速する。後方にいたネルさんが持久力任せで上がり、フユさんが上昇気流に乗ったかのように追い上げて来る。残り200mの地点でラフィさんがトモエさんに並んだ。いつも優しい眼差しをしているラフィさんの翠色の目が、今だけは決勝線を鋭い目つきで捉えている。
……格好いい。
声を出すことすら忘れて、ただただ見蕩れる。ラフィさんの新たな一面を見た気分だ。もちろん他の先輩も素晴らしい。真剣な人は何時だって格好いいのである。前世の私とは大違いだ。
一瞬、ラフィさんと目が合った。あまりにも瞬間的だったから、もしかしたら私の勘違いかもしれない。しかし、その直後にラフィさんはさらに加速した。
猛烈な追い上げを見せたネルさんとフユさんだが、ついに先頭を走るラフィさんを射程圏内に収め切ることはできなかった。
ラフィさんが1着で入線し、クビ差でトモエさん、さらに半バ身遅れてネルさん、ハナ差でフユさんが来る。次いで3バ身程度離されてローズさん、ヘロヘロになりながらリツさんがたどり着いた。
息の荒いラフィさんたちに安城さんが歩み寄り、各個人に短評を述べていく。
「1分49秒ちょうど、悪くはありません。当日の展開次第ではありますが、十分勝機はあります。頑張りましょう」
「……はい」
練習ではあるが1着を取ったのに、評価を聞くラフィさんの耳は元気なく垂れていた。
そのことに引っ掛かりを覚えたまま、私たちはお昼を迎えた。
活動報告にカスタムキャストで作成したノヴァ、ラフィの参考画像を掲載しました。興味のある方はご覧ください。
2021/08/22 07:10
ノヴァからアダラチームメンバーへの呼び方を変更いたしました
コンフュージョンのあだ名を間違えていたため修正いたしました
(コン→フユ)
2021/09/05 08:40
誤字を修正いたしました(慣れなかった→なれなかった)
2022/09/18 18:35
加筆いたしました
(時期だったのでしっかり覚えて→時期だったので、両親の仕事について行ったのはその一回限り、しかも数年前の話であるから、詳細なところまでしっかり覚えて)